五十嵐 広三
いがらし こうぞう | |
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1926 | |
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2013 | |
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ほくみん | |
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ほくみん [ | |
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1994 | |
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3 | |
1963 |
来歴
[生 い立 ち
[1926
地方 政界 にて
[1963
国政 にて
[1980
1993
1996
政策
[- アイヌ
旭川 市長 時代 からアイヌについて関心 を持 っており、政府 に対 する働 きかけを行 っていた[1]。衆議院 議員 となってからもアイヌ文化 振興 法 の制定 を推進 した[1]。また、萱野 茂 に国政 に挑戦 するよう勧 め、アイヌ初 の国会 議員 の誕生 に尽力 した[2]。- サハリン
残留 韓国 ・朝鮮 人 問題 への取 り組 み - サハリンでは、
戦中 に日本 国籍 を持 つコリアンが出稼 ぎや徴用 により移住 していた(詳 しくは在 樺 コリアンの項 を参照 )。1987年 に「サハリン残留 韓国 、朝鮮 人 問題 議員 懇談 会 」が立 ち上 がった。発足 前 から積極 的 に立 ち上 げに尽力 した自由民主党 の原 文兵衛 を会長 とし、五十嵐 は事務 局長 となり、原 とともに問題 の解決 に奔走 した。 女性 のためのアジア平和 国民 基金 村山 政権 下 において、1995年 6月 14日 に官房 長官 であった五十嵐 は、「女性 のためのアジア平和 国民 基金 」について声明 を発表 する。日本 の「戦後 責任 」や歴史 認識 の問題 への取 り組 み- これらの
日本 の「戦後 責任 」や歴史 認識 の問題 について、それに抵抗 する自民党 右派 の圧力 を乗 り越 えて、自民党 の原 文兵衛 とともにサハリン問題 の解決 、アジア女性 基金 を作 り、最低限 の償 いを実現 することができた。これは、当時 村山 政権 下 であったことも大 きいが、原 文兵衛 が他 党 の議員 である五十嵐 を、全面 的 に信頼 していたことも大 きい。 在日 韓国 人 政治 犯 解放 の要望 書 について- 1989
年 、在日 韓国 人 政治 犯 29名 の釈放 の要望 書 に署名 した。この中 には北朝鮮 による日本人 拉致 の実行 犯 である辛 光 洙を始 めとする北朝鮮 のスパイ容疑 者 10名 が含 まれていた[7]。 地方 自治 地方 分権 推進 論 者 として知 られ、関連 する著書 も複数 上梓 している。衆議院 や参議院 で地方 分権 推進 を全会 一致 で議決 するよう働 きかけるとともに、地方 分権 推進 法 の制定 に尽力 した[1]。村山 富市 は五十嵐 の地方 自治 に対 する識見 を高 く評価 するとともに[8]、内閣 官房 長官 在任 中 の五十嵐 について「村山 内閣 で初 めての地方 分権 推進 法 をつくったんじゃが、首長 の経験 がある野中 (広務 )さんが自治 大臣 、自治省 出身 の石原 (信雄 )さんが官房 副 長官 で、2人 とともに五十嵐 さんが官房 長官 としてやってくれたから成立 できた」[8]と語 っている。- ソビエト
連邦 旭川 市長 を務 めていた1967年 に、旭川 市 を本来 日本 では所属 未定 地 であるはずの「サハリン州 ユジノサハリンスク市 」(樺太 豊原 市 )と姉妹 都市 にした。ソ連 崩壊 後 のクレムリン秘密 文書 公開 により、1975年 の五十嵐 の北海道 知事 選挙 出馬 時 には、社会党 の北海道 本部 長 (当時 )の関田 伸男 からソ連 大使館 への最大 1億 5千 万 円 の秘密 の選挙 資金 援助 の要請 があった(資金 援助 が実際 に行 われたかは不明 )[9]などのソ連 との秘密 交渉 が明 らかにされた。北方 ジャーナル事件 - 1979
年 の北海道 知事 選挙 に立候補 したとき、『北方 ジャーナル』に中傷 記事 を書 かれそうになったため、出版 前 に差 し止 めを裁判所 に申請 し認 められた。この件 は「北方 ジャーナル事件 」として、表現 の自由 をめぐる判例 として著名 である。 選択 的 夫婦 別姓 制度 選択 的 夫婦 別姓 制度 導入 に賛同 [10]。
人物
[交友 三浦 綾子 と親 しく、三浦 綾子 記念 文学 館 の設立 に尽力 した[1]。趣味 ・特技 趣味 は油彩 画 で、1947年 には道 展 や自由 美術 展 にて入選 した経験 を持 つ[1]。また、柔道 は三 段 の段位 を持 つ[1]。首相 に直談判 太平洋戦争 のさなかに北海道 旭川 市 を訪 れた内閣 総理 大臣 の東條 英機 は、視察 先 で塵 箱 を調 べ「食 べられる物 を捨 てている。暮 らしにまだ余裕 がある」[2]と発言 した。この発言 を新聞 で知 った五十嵐 は「そんなことはない。みんな苦労 しながら頑張 っているんだ」[2]と言 いたくなり、友人 と連 れ立 って東條 が宿泊 する旅館 を訪 ねたという[2]。五十嵐 らは東條 との面会 を求 めたものの、商業 学校 の学生 に過 ぎない五十嵐 らの要望 は取 り合 ってもらえず、そのまま派出所 で叱 られたという[2]。
略歴
[- 1926
年 -北海道 旭川 市 にて誕生 。 - 1943
年 -北海道庁 立 旭川 商業 学校 卒業 。 - 1953
年 -五十嵐 広三 商店 創業 。 - 1960
年 -北海道 民芸 品 社長 。 - 1963
年 -旭川 市長 選挙 当選 。 - 1975
年 -北海道 知事 選挙 落選 。 - 1979
年 -北海道 知事 選挙 落選 。 - 1980
年 -第 36回 衆議院 議員 総 選挙 当選 (北海道 第 2区 )。 - 1983
年 -第 37回 衆議院 議員 総 選挙 当選 (北海道 第 2区 )。 - 1986
年 -第 38回 衆議院 議員 総 選挙 当選 (北海道 第 2区 )。 - 1990
年 -第 39回 衆議院 議員 総 選挙 当選 (北海道 第 2区 )。 - 1991
年 -日本 社会党 自治 ・環境 委員 会 委員 長 。 - 1992
年 -日本 社会党 自治 委員 会 委員 長 。 - 1993
年 -日本 社会党 自治 委員 会 委員 長 。 - 1993
年 -第 40回 衆議院 議員 総 選挙 当選 (北海道 第 2区 )。 - 1993
年 -建設 大臣 (細川 内閣 )。 - 1994
年 -内閣 官房 長官 (村山 内閣 )。 - 2004
年 - ほくみん会長 。 - 2013
年 -北海道 札幌 市 にて死去 。
表彰
[栄典
[著作
[- 『
市民 運動 の証言 ドキュメント旭川 』 1970年 10月 鶴 書房 - 『
人間 都市 復権 都市 新 時代 を先導 する旭川 方式 』大成 出版 社 、1973年 6月 10日 。NDLJP:9634408。(高橋 芳郎 との共編 著 ) - 『
北斗七星 随筆 集 』 1974年 11月五十嵐 広三 の本 を出版 する会 - 『
掘 る・耕 す・創 る北海道 にひらく自治 の実践 と論理 』 1978年 10月 楡 書房 - 『
官邸 の螺旋 階段 市民 派 官房 長官 奮闘 記 』 1997年 8月 ぎょうせい ISBN 4-324-05244-1 - 『まちづくり・
国 づくり』(西尾 六 七 との共著 ) (北海道 町 村会 企画 調査 部 企画 編集 ・地方 自治 土曜 講座 ブックレットNO.9) 1997年 2月 北海道 町 村会 企画 調査 部 ISBN 4-87555-304-8
脚注
[- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “
訃報 :五十嵐 広三 さん 87歳 =元 官房 長官 、元 北海道 ・旭川 市長 ”.毎日 jp(毎日新聞 ) (2013年 5月 8日 ). 2013年 6月 15日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2022年 8月 23日 閲覧 。 - ^ a b c d e f 「
五十嵐 広三 さん」『五十嵐 広三 さん-北海道新聞 [卓上 四季 ]』北海道新聞社 、2013年 5月8日 。 - ^ a b c d e f g h 「
五十嵐 広三 ・元 旭川 市長 が死去 」『五十嵐 広三 ・元 旭川 市長 が死去 :北海道 発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞 )』読売新聞 、2013年 5月8日 。 - ^ “
旭川 市 名誉 市民 ”.旭川 市 . 2015年 6月 10日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2022年 8月 23日 閲覧 。 - ^ 「
創業 者 の略歴 」『ほくみん [会社 概要 ]』ほくみん。 - ^ “
五十嵐 広三 元 官房 長官 死去 ”. NHKニュース (日本 放送 協会 ). (2013年 5月 7日 ). オリジナルの2013年 5月 7日 時点 におけるアーカイブ。 2013年 5月 7日 閲覧 。 - ^
辛 光 洙事件 #在日 韓国 人 政治 犯 釈放 の要望 書 について参照 - ^ a b 「『
五十嵐 元 長官 、手堅 い政治 家 だった』――村山 元 首相 」『朝日新聞 デジタル:「五十嵐 元 長官 、手堅 い政治 家 だった」村山 元 首相 -政治 』朝日新聞社 、2013年 5月8日 。 - ^ 1994
年 名越 健郎 『クレムリン秘密 文書 は語 るー闇 の日 ソ関係 史 』中央公論社 ISBN 4-12-101207-0 - ^
第 123回 国会 衆議院 法務 委員 会 議事 録 15号 - ^
共同通信 2013年 5月 7日
参考 文献
[張 明秀 『裏切 られた楽土 』 1991年 8月 講談社 ISBN 4-06-205074-9大沼 保 昭 『サハリン棄民―戦後 責任 の点景 』 1992年 中公新書 ISBN 4121010825新井 佐和子 『サハリンの韓国 人 はなぜ帰 れなかったのか帰還 運動 にかけたある夫婦 の四 十 年 』 1998年 1月 草 思 社 ISBN 4-7942-0798-0北野 宏明 『強 い国 より優 しい国 元 旭川 市長 ・元 内閣 官房 長官 五十嵐 広三 伝 』北海道新聞社 、2022年 10月 21日 。ISBN 978-4867210819。
関連 項目
[外部 リンク
[- ほくみん [
会社 概要 ] -五十嵐 を紹介 するほくみんの公式 サイト
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