サハリン州 しゅう
ロシア語 ご : Сахалинская область
サハリン州 しゅう 旗 はた サハリン州 しゅう 紋章 もんしょう
サハリン州 しゅう (サハリンしゅう、ロシア語 ご : Сахали́нская о́бласть , ラテン Sahalínskaya óblast’ ; IPA: [səxɐˈlʲinskəjə ˈobləsʲtʲ] )は、ロシア連邦 れんぽう の州 しゅう (オーブラスチ )で連邦 れんぽう 構成 こうせい 主体 しゅたい のひとつ。樺太 からふと 島 とう (ロシア名 めい ・サハリン島 とう )と千島 ちしま 列島 れっとう (ロシア名 めい ・クリル諸島 しょとう )を管轄 かんかつ し、極東 きょくとう 連邦 れんぽう 管区 かんく に属 ぞく する。
州 しゅう 域 いき の半分 はんぶん ほど(樺太 からふと 島 とう 南部 なんぶ と千島 ちしま 列島 れっとう )は戦前 せんぜん 日本 にっぽん 領 りょう であり、日本 にっぽん 政府 せいふ の見解 けんかい では1945年 ねん 8月 がつ のソ連 それん 侵攻 しんこう により一方 いっぽう 的 てき に編入 へんにゅう されたものの国際 こくさい 法 ほう 上 じょう は所属 しょぞく 未定 みてい 地 ち とされる。そのためこの所属 しょぞく 未定 みてい 地 ち は、日本 にっぽん 国内 こくない で発行 はっこう される地図 ちず においては日本 にっぽん ともロシアとも異 こと なる色 いろ で色分 いろわ けされる(50度 ど 線 せん を参照 さんしょう )。
州都 しゅうと ユジノサハリンスク 市 し [ 1] も所属 しょぞく 未定 みてい 地 ち のうちであり、1905年 ねん - 1945年 ねん までの日本 にっぽん 統治 とうち 時代 じだい は豊原 とよはら 市 し [ 注釈 ちゅうしゃく 1] と呼 よ ばれていた。面積 めんせき は8万 まん 7100km2 、南北 なんぼく の広 ひろ がりが約 やく 900km 、人口 じんこう は45万 まん 9,985人 にん (2023年 ねん )。
サハリン州 しゅう 章 あきら
サハリン州 しゅう 旗 はた
宗谷海峡 そうやかいきょう 、オホーツク海 かい を挟 はさ んで日本 にっぽん の北海道 ほっかいどう に接 せっ しており、日本 にっぽん (特 とく に北海道 ほっかいどう )との経済 けいざい 的 てき な結 むす びつきが強 つよ い。主 おも な付属 ふぞく 島嶼 とうしょ に海馬島 とどしま (ロシア名 めい はモネロン島 とう )があり、1983年 ねん 9月1日 にち に発生 はっせい した大韓航空 だいかんこうくう 機 き 撃墜 げきつい 事件 じけん のあった舞台 ぶたい としても有名 ゆうめい である。樺太 からふと 島 とう の南部 なんぶ (南 みなみ 樺太 からふと )および千島 ちしま 列島 れっとう 全域 ぜんいき は、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以前 いぜん は日本 にっぽん 領 りょう の地域 ちいき であった(詳細 しょうさい は日 にち 露 ろ 和親 わしん 条約 じょうやく 、樺太 からふと ・千島 ちしま 交換 こうかん 条約 じょうやく 、ポーツマス条約 じょうやく を参照 さんしょう )。日本 にっぽん がボリシェヴィキ 政権 せいけん に対 たい して1918年 ねん にシベリア出兵 しゅっぺい をした際 さい には北 きた 樺太 からふと を占領 せんりょう して実効 じっこう 支配 しはい を続 つづ けていたが、1925年 ねん に日 にち ソ国交 こっこう 樹立 じゅりつ したのを期 き に日本 にっぽん 軍 ぐん が撤退 てったい し、ソ連 それん 統治 とうち 下 か に戻 もど った。
1945年 ねん 8月 がつ 、未 いま だ有効 ゆうこう 期間 きかん 中 ちゅう であった日 にち ソ中立 ちゅうりつ 条約 じょうやく を破棄 はき してソビエト連邦 れんぽう が対 たい 日 にち 参戦 さんせん をして侵攻 しんこう し、9月 がつ までに南 みなみ 樺太 からふと と千島 ちしま 列島 れっとう の全域 ぜんいき を占領 せんりょう した。ソ連 それん は翌 よく 1946年 ねん に併合 へいごう を宣言 せんげん し南 みなみ サハリン州 しゅう を設置 せっち 。1947年 ねん にこれらの地域 ちいき を一方 いっぽう 的 てき にサハリン州 しゅう に編入 へんにゅう し、実効 じっこう 支配 しはい した。
ロシア語 ご ではМалая Курильская гряда と表記 ひょうき する。
色丹島 しこたんとう 。人口 じんこう 2,917人 にん (2016年 ねん 現在 げんざい 、ロシア統計 とうけい より)。
歯舞 はぼまい 群島 ぐんとう 。いずれの島 しま も現在 げんざい は一般人 いっぱんじん の定住 ていじゅう のない無人島 むじんとう であるが、志発島 しぼつとう に夏 なつ のみ少数 しょうすう のロシア漁民 ぎょみん が移住 いじゅう する。また主 おも な各 かく 島 しま にはロシア沿岸 えんがん 警備 けいび 隊 たい が200名 めい ほど配置 はいち されている。
多楽島 たらくとう 。現在 げんざい は無人島 むじんとう で、ロシア沿岸 えんがん 警備 けいび 隊 たい が常駐 じょうちゅう 。
志発島 しぼつとう 。ロシア沿岸 えんがん 警備 けいび 隊 たい が常駐 じょうちゅう 。無人島 むじんとう であるが、夏 なつ になると昆布 こぶ を採 と りに来 く る漁民 ぎょみん が季 き 節 ぶし 移住 いじゅう し、季 き 節 ぶし 営業 えいぎょう の食堂 しょくどう もあり活況 かっきょう を呈 てい する。
勇留島 ゆりとう 。
秋勇留島 あきゆりとう 。
水晶島 すいしょうじま 。納沙布岬 のさっぷみさき から珸瑤瑁 ごようまい (ごようまい)水道 すいどう (ロシア名 めい :ソビエツキー海峡 かいきょう Пролив Советский )を隔 へだ ててわずか7kmの距離 きょり 。ロシア沿岸 えんがん 警備 けいび 隊 たい が常駐 じょうちゅう している。
貝殻 かいがら 島 とう 。珸瑤瑁 ごようまい (ごようまい)水道 すいどう (ロシア名 めい :ソビエツキー海峡 かいきょう Пролив Советский )のほぼ中間 ちゅうかん 地点 ちてん 。1957年 ねん に、当時 とうじ ソ連 それん KGB の一 いち 機関 きかん であったソ連 それん 国境警備隊 こっきょうけいびたい が実力 じつりょく で占拠 せんきょ した。その時 とき 、日本 にっぽん は日米 にちべい 安全 あんぜん 保障 ほしょう 条約 じょうやく により米国 べいこく によって防衛 ぼうえい されることになっていたが、米 べい 軍 ぐん は一切 いっさい 出動 しゅつどう しなかった。この島 しま の灯台 とうだい は長 なが らく点灯 てんとう していなかったが、近年 きんねん ロシア当局 とうきょく により修理 しゅうり された。しかしその後 ご も点灯 てんとう と消灯 しょうとう を繰 く り返 かえ している。この島 しま と納沙布岬 のさっぷみさき との中間 ちゅうかん にロシア側 がわ の主張 しゅちょう する「国境 こっきょう 線 せん 」があり、それを示 しめ すブイ が設置 せっち されている。
日本 にっぽん 名 めい では千島 ちしま 列島 れっとう 。国後島 くなしりとう から占 うらない 守 もり 島 とう まで
クナシル島 とう (Остров Кунашир ) - 日本 にっぽん 名 めい は国後島 くなしりとう 。アイヌ語 ご でクナシルと言 い い、ロシア語 ご に基 もと づいた国際 こくさい 標記 ひょうき もこれに従 したが っている。北海道 ほっかいどう 本島 ほんとう とはクナシルスキー海峡 かいきょう (日本 にっぽん 名 めい :根室海峡 ねむろかいきょう )で隔 へだ てられている。根室海峡 ねむろかいきょう の最 さい 狭 せま 部 ぶ はイズメナ海峡 かいきょう Пролив Измены (日本 にっぽん 名 めい :野付水道 のつけすいどう )と呼 よ ぶ。主 おも な山 やま にチャチャ山 やま Вулкан Тятя (日本 にっぽん 名 めい :爺爺岳 ちゃちゃだけ )がある。人口 じんこう 6,622人 にん (2004年 ねん 1月 がつ 1日 にち 現在 げんざい 、ロシア統計 とうけい より)。
イトゥループ島 とう (Остров Итуруп ) - 日本 にっぽん 名 めい は択捉島 えとろふとう 。アイヌ語 ご でイトゥループと言 い い、ロシア語 ご に基 もと づいた国際 こくさい 標記 ひょうき もこれに従 したが っている。エカチェリーナ海峡 かいきょう Пролив Екатерины (日本 にっぽん 名 めい :国後水道 くなしりすいどう )を隔 へだ てて国後島 くなしりとう の北東 ほくとう に並列 へいれつ する。島 しま の南部 なんぶ や北部 ほくぶ は自然 しぜん 保護 ほご 区域 くいき として、地元 じもと のロシア人 じん でさえも立 た ち入 い りを制限 せいげん されている。
ウループ島 とう (Остров Уруп ) - 日本 にっぽん 名 めい は得 とく 撫 なで 島 しま 。フリーズ海峡 かいきょう Пролив Фуриза (日本 にっぽん 名 めい :択捉 えとろふ 水道 すいどう )を隔 へだ てて択捉島 えとろふとう と相対 そうたい する。
ブラット・チェルポエフ島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は知 ち 理 り 保 ほ 以南 いなん 島 とう 。
チェルポイ島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は知 ち 理 り 保 ほ 以島 。
ブロウトナ島 とう (Остров Броутона ) - 日本 にっぽん 名 めい は武 たけ 魯頓島 とう 。
シムシル島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は新知 しんち 島 とう 。
ケトイ島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は計 けい 吐夷島 とう 。
ウシシル島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は宇志 うし 知 ち 島 とう 。
スレドネワ島 とう (Остров Среднего ) - 日本 にっぽん 名 めい は摺 すり 手 しゅ 岩 がん (スレドネヴォ島 とう 、スリェドニェヴァ島 とう ともいう)。スレドネワ海峡 かいきょう (日本 にっぽん 名 めい :摺 すり 手 しゅ 海峡 かいきょう )の中間 ちゅうかん にある。
ラスシュア島 とう (Остров Расшуа )又 また はラスシュヤ島 とう (Остров Расшя ) - 日本 にっぽん 名 めい は羅 ら 処 しょ 和島 わじま 。ラスシュア山 さん Вулкан Расшуа (日本 にっぽん 名 めい :幌 ほろ 茶 ちゃ 登山 とざん )がある。
マトゥア島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は松 まつ 輪島 わじま 。
ライコケ島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は雷公 らいこう 計 けい 島 しま 。北 きた 東方 とうほう 約 やく 9海里 かいり には、間 あいだ に牟知列 れつ 岩 がん (ロシア名 めい :ロヴシュキ列 れつ 岩 がん Скалы Ловушки )を挟 はさ んでシアシュコタン島 とう がある。
シアシュコタン島 とう (Остров Шиашкотан ) - 日本 にっぽん 名 めい は捨子 すてご 古丹 こたん 島 とう 。シナルカ山 さん Вулкан Синарка (日本 にっぽん 名 めい :黒岳 くろたけ )がある。
チリンコタン島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は知 ち 林 りん 古丹 こたん 島 とう 。
エカルマ島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は越 えつ 渇磨島 とう 。越 えつ 渇磨海峡 かいきょう (ロシア名 めい :エカルマ海峡 かいきょう Пролив Экарма )を挟 はさ む南東 なんとう 方 かた 、約 やく 5海里 かいり にシアシュコタン島 とう がある。シナルカ山 さん Вулкан Синарка (日本 にっぽん 名 めい :黒岳 くろたけ )がある。
ハリムコタン島 とう (Остров Харимкотан ) - 日本 にっぽん 名 めい は春 はる 牟古丹 こたん 島 とう 。捨子 すてご 古丹 こたん 島 とう の北 きた 東方 とうほう 、セヴェルギナ海峡 かいきょう Пролив Севергина (日本 にっぽん 名 めい :捨子 すてご 古丹 こたん 海峡 かいきょう )を挟 はさ んだおよそ16浬 かいり にある。セヴェルギナ山 さん Вулкан Севергина (日本 にっぽん 名 めい :春 はる 牟古丹 に 岳 だけ )が座 ざ していて、有史 ゆうし 以来 いらい 度々 たびたび 爆発 ばくはつ 、噴火 ふんか をみている。
オネコタン島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は温 ゆたか 禰古丹 こたん 島 とう 。
マカンルシ島 とう (Остров Маканруши ) - 日本 にっぽん 名 めい は磨 すり 勘 かん 留 とめ 島 とう 。西方 せいほう 、約 やく 11浬 かいり にアヴォシ岩 がん (скала Авось )またはアボスと呼 よ ばれる三角形 さんかっけい の裸 はだか 岩 がん がある。
アンツィフェロヴァ島 とう (Остров Анциферова ) - 日本 にっぽん 名 めい は志 こころざし 林 はやし 規 ただし 島 とう 。幌 ほろ 筵 むしろ 島 とう 南西 なんせい 端 はし の西方 せいほう 、ルジナ海峡 かいきょう Пролив Лужина (日本 にっぽん 名 めい :志 こころざし 林 はやし 規 ただし 海峡 かいきょう )の沖 おき 8浬 かいり 半 はん に位置 いち する。
パラムシル島 とう (Остров Парамушир ) - 日本 にっぽん 名 めい は幌 ほろ 筵 むしろ 島 とう 。南 みなみ の温 ゆたか 禰古丹 こたん 島 とう とは第 だい 4クリル海峡 かいきょう (Четвертый Курильский Пролив )(日本 にっぽん 名 めい :オンネコタン海峡 かいきょう )によって隔 へだ てられている。千倉 ちくら 岳 たけし (ロシア名 めい :チクラチキ山 さん Вулкан Чикурачки )の標高 ひょうこう 1,817mをはじめ、後 こう 鏃岳(ロシア名 めい :フッサ山 さん Вулкан Фусса )、白 はく 煙山 けむりやま (ロシア名 めい :カルピンスキー山 さん Вулкан Карпинского )、千島 ちしま 硫黄 いおう 山 さん (ロシア名 めい :エベコ山 さん Вулкан Эбеко )など、1000メートル級 きゅう の山々 やまやま が座 ざ している。
アトラソヴァ島 とう - 日本 にっぽん 名 めい は阿 おもね 頼 よりゆき 度島 たくしま 。親子 おやこ 場 じょう 山 やま (ロシア名 めい :アライト山 さん Вулкан Алаид )が聳 そび える。ロシア名 めい は、18世紀 せいき の探検 たんけん 家 か 、ウラジーミル・ヴァシーリヴィチ・アトラソフ の名 な にちなむ。
シュムシュ島 とう (Остров Шумшу ) - 日本 にっぽん 名 めい は占 うらない 守 もり 島 とう 。北 きた のカムチャツカ半島 はんとう とは千島 ちしま 海峡 かいきょう (ロシア名 めい :第 だい 1クリル海峡 かいきょう (Первый Курильский Пролив ) )で、南 みなみ の幌 ほろ 筵 むしろ 島 とう とはパラムシル海峡 かいきょう (ロシア名 めい :第 だい 2クリル海峡 かいきょう (Второй Курильский Пролив ))で隔 へだ てられている。
クリリオンスキー半島 はんとう - 日本 にっぽん 名 めい は能登 のと 呂 りょ 半島 はんとう 。南 みなみ の宗谷海峡 そうやかいきょう に対 たい しては、西側 にしがわ に位置 いち する。
トニノ・アニフスキー半島 はんとう - 日本 にっぽん 名 めい は中 ちゅう 知床 しれとこ 半島 はんとう 。南 みなみ の宗谷海峡 そうやかいきょう に対 たい しては、東側 ひがしがわ に位置 いち する。
テルペニア半島 はんとう - 日本 にっぽん 名 めい は北 きた 知床 しれとこ 半島 はんとう 。
シュミット半島 はんとう
クリリオン岬 みさき - 日本 にっぽん 名 めい は西 にし 能登 のと 呂 りょ 岬 みさき 。
アニワ岬 みさき - 日本 にっぽん 名 めい は中 ちゅう 知床岬 しれとこみさき 。
テルペニア岬 みさき - 日本 にっぽん 名 めい は北 きた 知床岬 しれとこみさき 。
エリザベス岬 みさき - 日本 にっぽん 名 めい は鵞小門 もん (ガオト)岬 みさき 。
アニワ湾 わん - 日本 にっぽん 名 めい は亜 あ 庭 にわ 湾 わん 。
テルペニア湾 わん - 日本 にっぽん 名 めい は多 た 来 らい 加 か 湾 わん 。
サハリン湾 わん
サハリン州 しゅう の行政 ぎょうせい 区画 くかく
サハリン州 しゅう は17の地区 ちく (ラヨン )およびユジノサハリンスクに区分 くぶん される[ 2] 。面積 めんせき の単位 たんい は平方 へいほう キロメートル(km2 )[ 3] 、人口 じんこう は2023年 ねん 推定 すいてい のものである[ 4] 。「旧 きゅう 市町村 しちょうそん 」は行政 ぎょうせい 中心 ちゅうしん の戦前 せんぜん の日本 にっぽん の市町村 しちょうそん での所在 しょざい 。
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行政 ぎょうせい 区画 くかく
ロシア語 ご
行政 ぎょうせい 中心 ちゅうしん
旧 きゅう 市町村 しちょうそん
島 しま
面積 めんせき
人口 じんこう
1
アレクサンドロフスク・サハリンスキー地区 ちく
Александровск-Сахалинский район
アレクサンドロフスク・サハリンスキー
落石 らくせき 、亜 あ 港 こう
(北 きた 樺太 からふと )
サハリン島 とう
4,777.36
10,043
2
アニワ地区 ちく
Анивский район
アニワ
留 とめ 多 た 加 か 町 まち
サハリン島 とう
2,684.80
20,946
3
ドリンスク地区 ちく
Долинский район
ドリンスク
落合 おちあい 町 まち
サハリン島 とう
2,441.56
22,155
4
コルサコフ地区 ちく
Корсаковский район
コルサコフ
大泊 おおとまり 町 まち
サハリン島 とう
2,623.58
39,913
5
クリル地区 ちく
Курильский район
クリリスク
紗 しゃ 那 な 村 むら
択捉島 えとろふとう ・得 とく 撫 なで 島 しま ・新知 しんち 島 とう
5,145.90
6,916
6
マカロフ地区 ちく
Макаровский район
マカロフ
知 ち 取 と 町 まち
サハリン島 とう
2,148.43
6,939
7
ネベリスク地区 ちく
Невельский район
ネベリスク
本 ほん 斗 と 町 まち
サハリン島 とう
1,445.40
15,122
8
ノグリキ地区 ちく
Ногликский район
ノグリキ
縫 ぬい 江 こう
(北 きた 樺太 からふと )
サハリン島 とう
11,294.80
11,513
9
オハ地区 ちく
Охинский район
オハ
奥 おく 端 はし
(北 きた 樺太 からふと )
サハリン島 とう
14,815.87
21,456
10
ポロナイスク地区 ちく
Поронайский район
ポロナイスク
敷 じき 香 こうやつ 町 まち
サハリン島 とう
7,284.27
20,472
11
北 きた クリル地区 ちく
Северо-Курильский район
セベロクリリスク
柏原 かしわばら
占 うらない 守 もり 島 とう - 計 けい 吐夷島 とう
3,501.23
2,439
12
スミルヌイフ地区 ちく
Смирныховский район
スミルヌイフ
敷 じき 香 こうやつ 町 まち (気 き 屯 たむろ )
サハリン島 とう
10,457.43
11,348
13
トマリ地区 ちく
Томаринский район
トマリ
泊 とまり 居 い 町 まち
サハリン島 とう
3,169.33
8,300
14
ティモフスコエ地区 ちく
Тымовский район
ティモフスコエ
対 たい 毛 け
(北 きた 樺太 からふと )
サハリン島 とう
6,312.68
14,437
15
ウグレゴルスク地区 ちく
Углегорский район
ウグレゴルスク
恵 めぐみ 須取町 まち
サハリン島 とう
3,965.55
16,434
16
ホルムスク地区 ちく
Холмский район
ホルムスク
真岡 しんおか 町 まち
サハリン島 とう
2,279.04
33,148
17
南 みなみ クリル地区 ちく
Южно-Курильский район
ユジノ・クリリスク
古 こ 釜 がま 布 ぬの
国後島 くなしりとう ・色丹島 しこたんとう ・歯舞諸島 はぼまいしょとう
1,856.09
11,487
18
ユジノサハリンスク
Южно-Сахалинск
ユジノサハリンスク
豊原 とよはら 市 し
サハリン島 とう
905.02
180,467
ユジノサハリンスク (Южно‐Сахалинск ) - ユジノサハリンスクとは、「南 みなみ サハリンの町 まち 」というロシア語 ご に由来 ゆらい する、サハリン最大 さいだい の都市 とし 。人口 じんこう は18万 まん 467人 にん (2023年 ねん 時点 じてん )。日本 にっぽん 名 めい は豊原 とよはら 。豊原 とよはら とユジノサハリンスク市 し との間 あいだ には制度 せいど 上 じょう の連続 れんぞく 性 せい はなく、区域 くいき も一致 いっち していない。豊原 とよはら の範囲 はんい は、ロシア連邦 れんぽう の行政 ぎょうせい 区域 くいき ではユジノサハリンスク 市 し の一部 いちぶ 及 およ びアニワ地区 ちく の一部 いちぶ に相当 そうとう する。
コルサコフ (Корсаков ) - 日本 にっぽん 名 めい は大 だい 泊 はく 。人口 じんこう は3万 まん 9913人 にん (2023年 ねん 時点 じてん )でサハリンで人口 じんこう 第 だい 2位 い の港湾 こうわん 都市 とし 。帝政 ていせい ロシア時代 じだい に、この地 ち をコルサコフと呼 よ び、この名称 めいしょう は現在 げんざい のロシア連邦 れんぽう でも引 ひ き継 つ がれている。
ホルムスク (Холмск ) - ホルムスクとは「丘 おか の町 まち 」というロシア語 ご に由来 ゆらい する。日本 にっぽん 名 めい は真岡 もおか だが、真岡 もおか とホルムスク市 し との間 あいだ に制度 せいど 上 じょう の連続 れんぞく 性 せい はなく、区域 くいき も一致 いっち していない。人口 じんこう は2万 まん 8979人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )である。
ドリンスク (Долинск ) - 日本 にっぽん 名 めい は落合 おちあい 。人口 じんこう は1万 まん 1814人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )である。ユジノサハリンスクとは鉄道 てつどう 及 およ び自動車 じどうしゃ で約 やく 1時 じ 間 あいだ の距離 きょり にある。ソコル(日本 にっぽん 名 めい は大谷 おおや )の飛行場 ひこうじょう はソ連 それん 時代 じだい になっても使用 しよう されており、1983年 ねん の大韓航空 だいかんこうくう 機 き 撃墜 げきつい 事件 じけん ではこの場所 ばしょ からソ連 それん 軍機 ぐんき が飛 と び立 た ったことが知 し られている。
オジョルスキー村 むら - 日本 にっぽん 名 めい は長浜 ながはま 。
チェプラノオ村 むら - 日本 にっぽん 名 めい は瑞穂 みずほ 。
ネベリスク (Невельск ) - 日本 にっぽん 名 めい は本 ほん 斗 と 。ネベリスク市 し 及 およ びネベリスク地区 ちく と呼 よ ばれている。人口 じんこう は1万 まん 0722人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )である。市 し の南東 なんとう には大韓航空 だいかんこうくう 機 き 撃墜 げきつい 事件 じけん の犠牲 ぎせい 者 しゃ を悼 いた む「祈 いの りの碑 いしぶみ 」がある。昆布 こぶ の名産 めいさん 地 ち である。
チェーホフ (Чехов ) - チェーホフとは、かつて樺太 からふと を訪 おとず れたロシア の文豪 ぶんごう チェーホフ に由来 ゆらい するが、実際 じっさい にチェーホフがこの地 ち を訪 おとず れたというわけではない。日本 にっぽん 名 めい は野田 のだ 。
トマリ (Томари ) - 日本 にっぽん 名 めい は泊 とまり 居 きょ 。北海道 ほっかいどう 天塩 てしお 郡 ぐん 天塩 てしお 町 まち と姉妹 しまい 都市 とし となっている。人口 じんこう は4,033人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。
ウグレゴルスク (Углегорск ) - ウグレゴルスクとは「炭鉱 たんこう の町 まち 」というロシア語 ご に由来 ゆらい する。日本 にっぽん 名 めい は恵 めぐみ 須取。人口 じんこう は9,597人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。タタール海峡 かいきょう (間宮 まみや 海峡 かいきょう )に注 そそ ぐウグレゴルカ川 がわ (恵 めぐみ 須取川 がわ )河口 かこう に位置 いち する。
ポロナイスク (Поронайск ) - ポロナイスクとはポロナイ川 ないがわ (幌内川 ほろないがわ ) の河口 かこう に位置 いち することに由来 ゆらい する。人口 じんこう は1万 まん 5251人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )である。日本 にっぽん 名 めい は敷 じき 香 が だが、行政 ぎょうせい 区画 くかく としての敷 じき 香 が とポロナイスク市 し との間 あいだ に連続 れんぞく 性 せい はなく、その範囲 はんい も一致 いっち してはいない。友好 ゆうこう 都市 とし は北海道 ほっかいどう 北見 きたみ 市 し 。
レオニードヴォ - 日本 にっぽん 名 めい は上敷 うわしき 香 が 。
ネフチェゴルスク - 1995年 ねん の地震 じしん で壊滅 かいめつ し放棄 ほうき 。現在 げんざい は慰霊 いれい 碑 ひ のみが残 のこ る。
オハ (Оха ) - サハリン北部 ほくぶ で最大 さいだい の町 まち 。人口 じんこう は2万 まん 1495人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。東海岸 ひがしかいがん にある石油 せきゆ 生産 せいさん 基地 きち 。
モスカリヴォ - サハリン湾 わん に面 めん する村 むら 。日本 にっぽん 名 めい は増 ぞう 穢 けがれ 。
アレクサンドロフスク・サハリンスキー - 日本 にっぽん 名 めい は落石 らくせき (おっちし)。人口 じんこう は9,737人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。
スタロドゥプスコエ - ユジノサハリンスク から北 きた に約 やく 50キロのオホーツク海沿 うみぞ いの村 むら 。日本 にっぽん 名 めい は栄浜 さかえはま 。琥珀 こはく が取 と れる海岸 かいがん があることで有名 ゆうめい 。宮沢 みやざわ 賢治 けんじ もかつて訪 おとず れ、銀河 ぎんが 鉄道 てつどう の夜 よる のモチーフにしたと言 い われる。人口 じんこう は2,262人 にん (2013年 ねん 時点 じてん )。
ノグリキ - トウィミ川 がわ の河口 かこう の街 まち 。人口 じんこう は10,127人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。
アニワ - 日本 にっぽん 名 めい は留 とめ 多 た 加 か (るうたか)。人口 じんこう は9,239人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。
シャフチョルスク - 日本 にっぽん 名 めい は塔 とう 路 ろ 。人口 じんこう は7,351人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。
スミルヌイフ - 日本 にっぽん 名 めい は気 き 屯 たむろ 。人口 じんこう は7,214人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。
マカロフ (サハリン州 しゅう ) - 日本 にっぽん 名 めい は知 ち 取 と 。人口 じんこう は6,525人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。
チストヴォドナヴェ(Чистоводное ) - 日本 にっぽん 名 めい は清水 しみず 。ロ ろ ーマ字 まじ では Chistovodnoye と表記 ひょうき される。
ブズモーリエ (Взморье ) - 日本 にっぽん 名 めい は白浦 しろうら 。
チャイウォ (Чайво) - チャイウオ、チャイボ。日本 にっぽん 名 めい は茶 ちゃ 江 え 。
ポギビ (Погиби) - 日本 にっぽん 名 めい は鉾 ほこ 部 ぶ 。
ティモフスク (Тымовск) - ティモフスコエ。
ピルトン (Пильтун) - ピリトゥン。日本 にっぽん 名 めい は弁 わきまえ 連 れん 戸 ど 。
ルンスキー (Лунский) - ルンスコエ。日本 にっぽん 名 めい は呂 りょ 郷 きょう 。
ルイブノフスク (Рыбновск) - リブノフスク。日本 にっぽん 名 めい は田村 たむら 尾 お 。
マロークリリスク (Малокурильск =「小 しょう 千島 ちしま の町 まち 」の意 い )とクラバザヴォーツク(Крабозаводск =「カニ工場 こうじょう の町 まち 」の意 い ) - 色丹島 しこたんとう 。日本 にっぽん 名 めい は斜 はす 古丹 こたん と穴 あな 澗。シコタン島 とう (Остров Шикотан )(日本 にっぽん 名 めい :色丹島 しこたんとう )の2大 だい 集落 しゅうらく 。中心 ちゅうしん 地 ち はマロークリリスク。「小 しょう 千島 ちしま 」とは、根室半島 ねむろはんとう に連 つら なる歯舞 はぼまい 群島 ぐんとう と色丹島 しこたんとう の列島 れっとう を、ロシア側 がわ は「小 しょう 千島 ちしま 列島 れっとう 」(Малая Курильская гряда )と呼 よ んでいることに由来 ゆらい する。穴 あな 澗には日本 にっぽん の拿捕 だほ 漁船 ぎょせん 乗組 のりくみ 員 いん の収容 しゅうよう 所 しょ がある。1945年 ねん 8月 がつ 、ソビエト連邦 れんぽう によって占領 せんりょう され、連邦 れんぽう 崩壊 ほうかい 後 ご は、それを継承 けいしょう したロシア連邦 れんぽう が占領 せんりょう ・実効 じっこう 支配 しはい している。面積 めんせき 255.12km2 。人口 じんこう は、マロークリリスクが1873人 にん 、クラバザヴォーツクが947人 にん である(2014年 ねん 時点 じてん )。
ゴロヴニノ(Головнино ) - 国後 くなしり 島 とう 。日本 にっぽん 名 めい は泊 はく 。ロシア連邦 れんぽう による占領 せんりょう ・実効 じっこう 支配 しはい が続 つづ いている。人口 じんこう は102人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。ゴロヴニノとは「ゴロヴニンの町 まち 」という意味 いみ である。ゴロヴニンとは、日本 にっぽん では一般 いっぱん には「ゴローニン 」として知 し られている人物 じんぶつ である。詳細 しょうさい はゴローニン事件 じけん を参照 さんしょう 。
ユジノ・クリリスク (Южно-Курильск =「南 みなみ 千 せん 島 とう の町 まち 」の意 い ) - 戦後 せんご ソ連 それん によって新 あら たな中心 ちゅうしん 都市 とし が、ソ連 それん 軍 ぐん 侵攻 しんこう 前 まえ の漁村 ぎょそん であった古 こ 釜 がま 布 ぬの (ふるかまっぷ)を望 のぞ むほぼ無人 ぶにん であった高台 たかだい に建設 けんせつ された。人口 じんこう 7,048人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。現在 げんざい は中心 ちゅうしん 地 ち の古 こ 釜 がま 布 ぬの を除 のぞ き廃 はい 村 むら 状態 じょうたい である。
ブレヴェスニク (Буревестник ) - 択捉 えとろふ 島 とう 。日本 にっぽん 名 めい は天 てん 寧 やすし 。人口 じんこう は53人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )が住 す むのみで、かつての中心 ちゅうしん 地 ち である留別 るべつ (クイビシェフ Куйбышев )や内保 うちほ (ドブロエ Доброе )等 とう 、他 た の集落 しゅうらく は廃 はい 村 むら 状態 じょうたい である。島 しま 唯一 ただいち の軍民 ぐんみん 併用 へいよう 空港 くうこう であるブレヴェスニク空港 くうこう (旧 きゅう 天 てん 寧 やすし 飛行場 ひこうじょう ) があり、サハリンのユジノサハリンスク空港 くうこう との間 あいだ に週 しゅう 3〜4便 びん の定期 ていき 便 びん があるが、有 ゆう 視界 しかい 飛行 ひこう が前提 ぜんてい のため欠航 けっこう が多 おお い。このため、隣接 りんせつ する紗 しゃ 那 な (クリリスク)郊外 こうがい に新 しん 飛行場 ひこうじょう が建設 けんせつ されており、完成 かんせい 時 じ には廃 はい 港 こう されるとの観測 かんそく もある。
クリリスク (Курильск =「千島 ちしま の町 まち 」の意 い ) - 択捉 えとろふ 島 とう 。日本 にっぽん 名 めい は紗 しゃ 那 な 。人口 じんこう は1,757人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。漁業 ぎょぎょう 資源 しげん が豊富 ほうふ なこの海域 かいいき の漁業 ぎょぎょう 活動 かつどう の中心 ちゅうしん 地 ち となっており、町 まち が面 めん するナヨカ湾 なよかわん (キトブイ湾 わん (Зал Китовый ))には、外国 がいこく からの船 ふね も含 ふく む大型 おおがた の漁船 ぎょせん が補給 ほきゅう のため来訪 らいほう する。なお、中心 ちゅうしん 地 ち ・紗 しゃ 那 な から北東 ほくとう 約 やく 14kmの別 べつ 飛 ひ (レイドヴォ Рейдово )には、現代 げんだい の択捉島 えとろふとう の産業 さんぎょう を支 ささ えているギデロストロイ社 しゃ の大 だい 規模 きぼ な水産 すいさん 加工 かこう 工場 こうじょう が立地 りっち しており、産業 さんぎょう の中心 ちゅうしん 地 ち となっている。人口 じんこう は1,700人 にん (1992年 ねん 時点 じてん )。隣接 りんせつ する留別 りゅうべつ (ピオネール Пионер )、蘂 しべ 取 と (スラブノイェ Славное )には道路 どうろ が通 つう じているが、いずれも舗装 ほそう はされておらず砂利 じゃり 道 どう である。留別 りゅうべつ 村 むら に向 む かう道路 どうろ は、島 しま 唯一 ただいち のブレヴェスニク空港 くうこう (旧 きゅう 天 てん 寧 やすし 飛行場 ひこうじょう ) (軍民 ぐんみん 共用 きょうよう )に向 む かう道路 どうろ でもあり、ある程度 ていど の整備 せいび はされているが、蘂 しべ 取 と に至 いた る道路 どうろ はソ連 それん 崩壊 ほうかい 前後 ぜんこう に廃 はい 村 むら となり、ロシアが設定 せってい した自然 しぜん 保護 ほご 区域 くいき に属 ぞく していることもあって、一般 いっぱん の通行 つうこう に供 きょう しうる整備 せいび された道路 どうろ は廃 はい 道 どう となった。クリリスク港 みなと はサハリン のコルサコフ 港 みなと と週 しゅう 2便 びん の船 ふね で結 むす ばれているが、2006年 ねん 現在 げんざい 、島 しま 側 がわ の港湾 こうわん 整備 せいび が進 すす んでいないため、艀 はしけ を利用 りよう した物資 ぶっし の積 つ み卸 おろ しや乗客 じょうきゃく の移動 いどう が行 おこな われている。また、2006年 ねん から始 はじ まった「クリル開発 かいはつ 計画 けいかく 」で、クリリスク近郊 きんこう にイトゥルップ空港 くうこう を2008年 ねん に着工 ちゃっこう し、2014年 ねん に開港 かいこう した。全天候 ぜんてんこう 型 がた の空港 くうこう であり、完成 かんせい すれば、島 しま の住民 じゅうみん の悩 なや みであるユジノサハリンスク空港 くうこう への定期 ていき 便 びん の欠航 けっこう 率 りつ が劇的 げきてき に低下 ていか して、物資 ぶっし や観光 かんこう 客 きゃく の輸送 ゆそう に利便 りべん 性 せい が大幅 おおはば に向上 こうじょう することが期待 きたい されている。
スラブノエ(Слабное ) - 択捉 えとろふ 島 とう 。日本 にっぽん 名 めい は蘂 しべ 取 と 。現在 げんざい は村 むら 域 いき のほとんどがロシア当局 とうきょく によって自然 しぜん 保護 ほご 区 く に指定 してい されており、地元 じもと のロシア人 じん さえも立 た ち入 い りを制限 せいげん された地域 ちいき である。Google Earth の解析 かいせき [ 注釈 ちゅうしゃく 2] によれば、紗 しゃ 那 な から蘂 しべ 取 と までの道路 どうろ は、(途中 とちゅう の川 かわ に橋 はし も架 か かっていないような悪 あく 路 ろ ではあるが)戦前 せんぜん に日本 にっぽん が作 つく ったものが残 のこ っており、走行 そうこう する自動車 じどうしゃ も認 みと められる。また、蘂 しべ 取 と には漁業 ぎょぎょう 施設 しせつ と思 おも われる建物 たてもの が数 すう 軒 けん 認 みと められる。
セベロクリリスク (Северо-Курильск =セヴェロクリリスク「北 きた 千 せん 島 とう の町 まち 」の意 い ) - 幌 ほろ 筵 むしろ 島 とう 。日本 にっぽん 名 めい は柏原 かしわばら 。人口 じんこう 2,487人 にん (2014年 ねん 時点 じてん )。この島 しま を実効 じっこう 支配 しはい しているロシア連邦 れんぽう サハリン州 しゅう 北 きた クリル地区 ちく の中心 ちゅうしん 地 ち であり、北 きた 千 せん 島 とう で唯一 ゆいいつ 民間 みんかん 人 じん が定住 ていじゅう している島 しま である。また、セベロクリリスクはNHKラジオ第 だい 2放送 ほうそう の「気象 きしょう 通報 つうほう 」を聞 き いている人 ひと にはおなじみの地名 ちめい でもある。現在 げんざい 、セベロクリリスクに渡 わた るにはカムチャツカ半島 はんとう のペトロパブロフスク・カムチャツキー から空路 くうろ でシュムシュ島 とう に渡 わた り、そこで艀 はしけ やヘリコプター に乗 の り換 か えるか、またはサハリンのコルサコフ 港 みなと からの船便 せんびん で行 い くことになる。
バイコーヴァ(Байково ) - 占 うらない 守 もり 島 とう 。日本 にっぽん 名 めい は片岡 かたおか 。現在 げんざい 、この集落 しゅうらく があるのみで、定住 ていじゅう 者 しゃ はいない。
2010年 ねん の各 かく 民族 みんぞく の人口 じんこう
2007年 ねん のオハ─ノグリキ狭軌 きょうき 鉄道 てつどう 線 せん 廃止 はいし でロシア国内 こくない の最 さい 東端 ひがしばた 鉄道 てつどう 駅 えき となったロシア鉄道 てつどう ノグリキ駅 えき 構内 こうない (2009年 ねん )
現状 げんじょう の詳細 しょうさい については、サハリンの鉄道 てつどう の項目 こうもく を参照 さんしょう
戦前 せんぜん 、南 みなみ 樺太 からふと には日本 にっぽん が建設 けんせつ した鉄道 てつどう もあったが、1945年 ねん のソビエト連邦 れんぽう (ソ連 それん )による南 みなみ サハリン(南 みなみ 樺太 からふと )の実効 じっこう 支配 しはい に伴 ともな う1946年 ねん 2月 がつ 2日 にち のソ連 それん 人民 じんみん 委員 いいん 会議 かいぎ 令 れい 263号 ごう に基 もと づき、1946年 ねん 4月 がつ 1日 にち 、ソ連 それん 国鉄 こくてつ を運営 うんえい するソ連 それん 運輸 うんゆ 通信 つうしん 人民 じんみん 委員 いいん 会 かい および同 どう 人民 じんみん 委員 いいん 会 かい を改組 かいそ したソ連 それん 運輸 うんゆ 通信 つうしん 省 しょう が編入 へんにゅう した。
以後 いご 、ソ連 それん 運輸 うんゆ 通信 つうしん 省 しょう 南 みなみ サハリン鉄道 てつどう 局 きょく および極東 きょくとう 鉄道 てつどう 局 きょく 、ロシア連邦 れんぽう 運輸 うんゆ 通信 つうしん 省 しょう サハリン鉄道 てつどう 局 きょく 、ロシア鉄道 てつどう サハリン鉄道 てつどう 支社 ししゃ を経 へ て、現在 げんざい はロシア鉄道 てつどう 極東 きょくとう 鉄道 てつどう 支社 ししゃ が所管 しょかん している。全線 ぜんせん 非 ひ 電化 でんか で軌間 きかん は旧 きゅう 豊 ゆたか 真 しん 線 せん の残存 ざんそん 区間 くかん (狭軌 きょうき 、1067mm)を除 のぞ き、ロシア鉄道 てつどう と同 おな じ広軌 こうき (1520mm)。2012年 ねん 現在 げんざい の路線 ろせん 総 そう 延長 えんちょう は804.9kmである。
1975年 ねん にかけてサハリン北部 ほくぶ のノグリキ まで路線 ろせん が延伸 えんしん された。1973年 ねん のワニノ・ホルムスク鉄道 てつどう 連絡 れんらく 船 せん 就航 しゅうこう で、車両 しゃりょう 航 こう 走 はし を介 かい して、ターミナル埠頭 ふとう への操車 そうしゃ 場 じょう が設 もう けられたホルムスク=ソルチローヴォチヌイ駅 えき (旧 きゅう ポリャーコヴォ)がバイカル・アムール鉄道 てつどう (バム鉄道 てつどう )のワニノ駅 えき と接続 せつぞく され、かつてのコルサコフ中心 ちゅうしん だった貨物 かもつ 輸送 ゆそう 体系 たいけい から、サハリン島 とう 最 さい 狭 せま 部 ぶ 、アルセンチェフカ─イリインスク間 あいだ を結 むす ぶ新 しん 線 せん (1971年 ねん 開通 かいつう )を経由 けいゆ してホルムスクに集約 しゅうやく する輸送 ゆそう 体系 たいけい へと移行 いこう を果 は たした。
ソビエト連邦 れんぽう の崩壊 ほうかい に伴 ともな い発生 はっせい した1990年代 ねんだい の経済 けいざい 混乱 こんらん 期 き には、保守 ほしゅ 修繕 しゅうぜん 予算 よさん 不足 ふそく から、かつて幹線 かんせん だった旧 きゅう 豊 ゆたか 真 しん 線 せん など輸送 ゆそう 需要 じゅよう が小 ちい さい閑散 かんさん 区間 くかん の廃止 はいし が行 おこな われ、部品 ぶひん 不足 ふそく で休 きゅう 車 しゃ が相次 あいつ ぐなどした。この間 あいだ 、JR東日本 ひがしにっぽん で廃車 はいしゃ になったキハ58系 けい 気動車 きどうしゃ を無償 むしょう 譲受 じょうじゅ して車両 しゃりょう 不足 ふそく を凌 しの いだ時期 じき があった。
しかし予算 よさん 不足 ふそく の状況 じょうきょう が解消 かいしょう した2000年 ねん 以降 いこう は車両 しゃりょう や路線 ろせん の再 さい 整備 せいび が始 はじ まり、2003年 ねん からは施設 しせつ ・路盤 ろばん 改良 かいりょう 工事 こうじ に合 あ わせ、ソ連 それん 国鉄 こくてつ 編入 へんにゅう 時 じ から課題 かだい であった本土 ほんど 規格 きかく の広軌 こうき (1520mm)軌間 きかん の変更 へんこう 工事 こうじ も始 はじ まった。2012年 ねん 夏 なつ には改 あらため 軌区間 あいだ が400kmを超 こ え、2019年 ねん に本線 ほんせん 区間 くかん 広軌 こうき 化 か が終了 しゅうりょう 。同年 どうねん 、本土 ほんど と同 おな じ広軌 こうき 車両 しゃりょう による運行 うんこう を開始 かいし した。
2006年 ねん には、全線 ぜんせん を通 つう じて沿線 えんせん における光 ひかり ファイバー通信 つうしん 網 もう 整備 せいび が完了 かんりょう しており、2012年 ねん には東海岸 ひがしかいがん のユジノサハリンスク─ソコル間 あいだ とユジノサハリンスク─ノヴォデレヴェンスカヤ間 あいだ 、ソコル─ブイコフ間 あいだ で運行 うんこう されるディーゼル旅客 りょかく 列車 れっしゃ 内 ない の公衆 こうしゅう 無線 むせん LANWi-Fi サービスも始 はじ まった。
列車 れっしゃ はロシア国内 こくない や欧米 おうべい と同 おな じく貨物 かもつ が主体 しゅたい で、ユジノサハリンスク─ノグリキ間 あいだ では日本 にっぽん の東海道本線 とうかいどうほんせん と比較 ひかく して約 やく 2倍 ばい にあたる1列車 れっしゃ 3000トンまでの重量 じゅうりょう 貨物 かもつ 列車 れっしゃ の運行 うんこう が可能 かのう である。旅客 りょかく 列車 れっしゃ 運行 うんこう 本数 ほんすう は日本 にっぽん 統治 とうち 時代 じだい から通 とお して少 ずく なく、支線 しせん や閑散 かんさん 線区 せんく では季 き 節 ぶし 運行 うんこう とされている区間 くかん もある。日本 にっぽん 時代 じだい と異 こと なって東海岸 ひがしかいがん の南端 なんたん のコルサコフ─フリストフォロフカ間 あいだ は末端 まったん 閑散 かんさん 線区 せんく と化 か して、途中 とちゅう 駅 えき ・乗降 じょうこう 場 じょう はすべて廃止 はいし されており、西海岸 にしかいがん の南端 なんたん のシャフタ=サハリンスカヤ─ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ間 あいだ も1997年 ねん 以降 いこう 、旅客 りょかく 運行 うんこう が休止 きゅうし されている。
サハリン島内 とうない にはこのほか、1934年 ねん に運行 うんこう を開始 かいし したオハ ─モスカルヴォ鉄道 てつどう 線 せん および1925年 ねん 運行 うんこう を開始 かいし し、1953年 ねん に全通 ぜんつう したオハ─ノグリキ狭軌 きょうき 鉄道 てつどう 線 せん が存在 そんざい したが、自動車 じどうしゃ 交通 こうつう 転移 てんい 、増加 ぞうか の影響 えいきょう でオハ─モスカルヴォ鉄道 てつどう 線 せん は1980年代 ねんだい に、オハ─ノグリキ狭軌 きょうき 鉄道 てつどう 線 せん は2007年 ねん にそれぞれ廃止 はいし されている。
サハリンでは長年 ながねん 鉄道 てつどう が主 おも な交通 こうつう 手段 しゅだん となって道路 どうろ の舗装 ほそう 率 りつ は低 ひく かったが、自家用車 じかようしゃ の普及 ふきゅう も相 あい まって2000年代 ねんだい 後半 こうはん から整備 せいび が急 きゅう ピッチで進 すす められ、2012年 ねん にはサハリン島 とう を南北 なんぼく に縦貫 じゅうかん する幹線 かんせん 道 どう の連邦 れんぽう 政府 せいふ 道路 どうろ Р487 号 ごう 線 せん (ユジノサハリンスク─アレクサンドロフ=サハリンスキー、総 そう 延長 えんちょう 約 やく 800km)のうち、ユジノサハリンスクからポロナイスクまでの約 やく 300kmで舗装 ほそう が完了 かんりょう した。Р487 号 ごう 線 せん について州 しゅう 政府 せいふ は2014年 ねん までにスミルヌィフまでの舗装 ほそう 工事 こうじ を完了 かんりょう させる方針 ほうしん である[ 11] 。
一方 いっぽう サハリン島 とう 西岸 せいがん では舗装 ほそう 道路 どうろ は少 すく なく、北方 ほっぽう 四 よん 島 とう を含 ふく む千島 ちしま 列島 れっとう には舗装 ほそう 道路 どうろ がまだないのが実情 じつじょう で、州 しゅう 政府 せいふ では州 しゅう 内 ない の舗装 ほそう 工事 こうじ 事業 じぎょう 者 しゃ を総動員 そうどういん して幹線 かんせん 道路 どうろ を中心 ちゅうしん に舗装 ほそう 化 か を促進 そくしん することにしている[ 11] 。
サハリン州 しゅう 最大 さいだい の国際 こくさい 貿易 ぼうえき 港 みなと であるホルムスク海洋 かいよう 貿易 ぼうえき 港 こう
近代 きんだい 的 てき 荷役 にやく 設備 せつび が整備 せいび されているホルムスクのサハリン西 にし 海洋 かいよう 港 こう
サハリン島 とう では、日本 にっぽん 統治 とうち 時代 じだい の大 だい 泊 はく (コルサコフ)に代 か わり、戦前 せんぜん は漁港 ぎょこう だった西岸 せいがん のホルムスク(真岡 もおか )が本土 ほんど 連絡 れんらく の基地 きち となっており、大 だい 規模 きぼ な港湾 こうわん 設備 せつび が整備 せいび されている。
旧 きゅう 真岡 しんおか 港 こう 域 いき に設 もう けられたホルムスク海洋 かいよう 貿易 ぼうえき 港 こう (Холмский морской торговый порт )はサハリン州 しゅう 最大 さいだい の港 みなと で、ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ駅 えき (旧 きゅう 手 て 井 い 駅 えき )のヤードに直結 ちょっけつ した鉄道 てつどう 桟橋 さんばし がある埠頭 ふとう は大型 おおがた 貨物 かもつ ガントリークレーン14基 き を備 そな え、2011年 ねん の取扱 とりあつかい 貨物 かもつ 量 りょう は210万 まん 5100トン。サハリン島内 とうない の鉄道 てつどう とバイカル・アムール鉄道 てつどう を連絡 れんらく するワニノ・ホルムスク鉄道 てつどう 連絡 れんらく 船 せん のほか、小樽 おたる ─ホルムスク─ワニノ間 あいだ の日 ひ ロ定期 ていき フェリー航路 こうろ が就航 しゅうこう している。
またホルムスク=セヴェルヌイ駅 えき (旧 きゅう 北真岡 きたもうか 駅 えき )に隣接 りんせつ して設 もう けられたサハリン西 にし 海洋 かいよう 港 こう (Сахалинский Западный морской порт )はソ連 それん 時代 じだい に漁業 ぎょぎょう 船団 せんだん 基地 きち だった港 みなと で、一時 いちじ 廃 はい 港 こう 状態 じょうたい だったものの、2002年 ねん 以降 いこう サハリン2 プロジェクトのサハリン側 がわ の荷役 にやく 基地 きち として大 だい 規模 きぼ な整備 せいび が進 すす められ、現在 げんざい は最新 さいしん の荷役 にやく 設備 せつび を備 そな えた大型 おおがた 貨物 かもつ 港 みなと としてサハリンプロジェクト を支 ささ えている。
1995年 ねん 5月から、北海道 ほっかいどう ・稚内 わっかない 港 こう とサハリン・コルサコフ 港 みなと との間 あいだ に、「平成 へいせい 版 ばん 稚 やや 泊 はく 航路 こうろ 」が運航 うんこう されるようになった。当初 とうしょ はロシア船 せん を利用 りよう して定期 ていき フェリーが就航 しゅうこう したが、1997年 ねん 、1998年 ねん は、旅行 りょこう 会社 かいしゃ のチャーター船 せん による運航 うんこう となった。1999年 ねん から日本 にっぽん 船籍 せんせき (ハートランドフェリー )のアインス宗谷 そうや が就航 しゅうこう した(冬季 とうき を除 のぞ き週 しゅう 2便 びん の運航 うんこう )。2015年 ねん にハートランドフェリーは撤退 てったい 。2016年 ねん は8月 がつ 1日 にち より9月 がつ 16日 にち までサハリン海洋 かいよう 汽船 きせん (SASCO)により双 そう 胴 どう 船 せん 「ペンギン33」が運航 うんこう され[ 12] 、511名 めい の利用 りよう 客 きゃく があった[ 13] 。2019年 ねん は運航 うんこう されない。
北海道 ほっかいどう 本島 ほんとう から択捉島 えとろふとう [ 編集 へんしゅう ]
ソ連 それん 軍 ぐん 侵攻 しんこう 後 ご は、北海道 ほっかいどう 本島 ほんとう から択捉島 えとろふとう への定期 ていき 公共 こうきょう 交通 こうつう は、船便 せんびん ・航空 こうくう 便 びん ともに存在 そんざい しない。北海道 ほっかいどう 本島 ほんとう から島 しま に直接 ちょくせつ 渡 わた る場合 ばあい は「ビザなし交流 こうりゅう 」に参加 さんか し、チャーター船 せん で根室 ねむろ 港 こう から出発 しゅっぱつ 、クリリスク(紗 しゃ 那 な )に入港 にゅうこう する。「ビザなし交流 こうりゅう 」の場合 ばあい であっても、チャーター船 せん がロシアが主張 しゅちょう する領海 りょうかい に入 はい ると、国際 こくさい 航路 こうろ を通航 つうこう する船舶 せんぱく の慣例 かんれい によってロシア国旗 こっき をマストに掲 かか げ、また、クリリスクに到着 とうちゃく 後 ご は、ロシアの税関 ぜいかん 当局 とうきょく による入 にゅう 域 いき 審査 しんさ を受 う ける。
なお、このチャーター船 せん の利用 りよう は、日 にち ロ両 りょう 政府 せいふ の合意 ごうい により、旧 きゅう 島民 とうみん 、その子孫 しそん 、ならびに返還 へんかん 団体 だんたい から推薦 すいせん された者 もの 等 とう に限定 げんてい されている。これは日本 にっぽん 側 がわ がロシア領 りょう であることを認 みと めたくないため、ロシア側 がわ の正式 せいしき な手続 てつづ きを取 と らないことを提案 ていあん し、ロシア側 がわ がそれを受 う け入 い れているからである。実際 じっさい には日本 にっぽん 政府 せいふ に申 もう し出 で れば、研修 けんしゅう を受 う けた後 のち 、返還 へんかん 団体 だんたい の推薦 すいせん を得 え ることが出来 でき る。つまり希望 きぼう すれば誰 だれ でも「ビザなし交流 こうりゅう 」に参加 さんか できる。
コルサコフ (大 だい 泊 はく )港 みなと からは、サハリンクリル海運 かいうん の貨客船 かきゃくせん 「イゴール・ファルハトディノフ」号 ごう が週 しゅう 2便 びん 出発 しゅっぱつ している。この船 ふね は、月曜日 げつようび にコルサコフを出帆 しゅっぱん 、火曜日 かようび に択捉 えとろふ 島 とう 、水曜日 すいようび に色丹島 しこたんとう ならびに国後 くなしり 島 とう に寄港 きこう 、木曜日 もくようび にコルサコフ帰着 きちゃく 、金曜日 きんようび にコルサコフ発 はつ 、土曜日 どようび に国後 くなしり 島 とう と色丹島 しこたんとう 、日曜日 にちようび に択捉島 えとろふとう に寄港 きこう 、月曜日 げつようび にコルサコフに戻 もど るというスケジュールで、3月〜12月まで運航 うんこう される。
北海道 ほっかいどう 本島 ほんとう から国後島 くなしりとう [ 編集 へんしゅう ]
ソ連 それん 軍 ぐん 侵攻 しんこう 後 ご は、北海道 ほっかいどう 本島 ほんとう から国後 くなしり 島 とう への定期 ていき 公共 こうきょう 交通 こうつう は、船便 せんびん ・航空 こうくう 便 びん ともに存在 そんざい しない。北海道 ほっかいどう 本島 ほんとう から島 しま に直接 ちょくせつ 渡 わた る場合 ばあい は、「ビザなし交流 こうりゅう 」に参加 さんか し、チャーター船 せん で根室 ねむろ 港 こう から出発 しゅっぱつ 、古 こ 釜 がま 布 ぬの (ユジノクリリスク)に入港 にゅうこう する。「ビザなし交流 こうりゅう 」の場合 ばあい であっても、チャーター船 せん がロシアが主張 しゅちょう する領海 りょうかい に入 はい ると、国際 こくさい 航路 こうろ を通航 つうこう する船舶 せんぱく の慣例 かんれい によってロシア国旗 こっき をマストに掲 かか げ、また、古 こ 釜 がま 布 ぬの に到着 とうちゃく 後 ご は、ロシアの税関 ぜいかん 当局 とうきょく による入 にゅう 域 いき 審査 しんさ を受 う ける。なお、このチャーター船 せん の利用 りよう には、前述 ぜんじゅつ の制限 せいげん があり、自由 じゆう に利用 りよう することができないため、南 みなみ サハリン経由 けいゆ で渡 わた ることとなる。
北 きた 千 せん 島 とう のセベロクリリスク までは、ペトロパブロフスク・カムチャツキー よりヘリコプターか「ギパニス」という船舶 せんぱく で向 む かうことになる。
ユジノサハリンスク空港 くうこう はモスクワ のシェレメチェヴォ空港 くうこう など複数 ふくすう の空港 くうこう と結 むす ばれているほか、オハ空港 くうこう とノグリキ空港 くうこう 、シャフチョルスク空港 くうこう はハバロフスク空港 くうこう と結 むす ばれている。
オーロラ航空 こうくう が、札幌 さっぽろ ・新 しん 千歳 ちとせ ~ユジノサハリンスクを週 しゅう 5便 びん (月 つき ・水 みず ・木 き ・土 ど ・日 にち )、成田空港 なりたくうこう との間 あいだ に週 しゅう 2便 びん (火 ひ ・金 きむ )就航 しゅうこう させている。このほか、西日本 にしにほん からはソウルからのオーロラ航空 こうくう などが便利 べんり である。
現在 げんざい の択捉島 えとろふとう にアクセスする定期 ていき 公共 こうきょう 交通 こうつう は、南 みなみ サハリン(南 みなみ 樺太 からふと )を拠点 きょてん に運航 うんこう されている。ユジノサハリンスク空港 くうこう (豊原 とよはら 大沢 おおさわ 飛行場 ひこうじょう )からはオーロラ航空 こうくう が毎日 まいにち 、択捉島 えとろふとう 紗 しゃ 那 な 村 むら のヤースヌイ空港 くうこう まで就航 しゅうこう している。有 ゆう 視界 しかい 飛行 ひこう であるため、霧 きり がかかりやすい夏季 かき には欠航 けっこう となる確 かく 率 りつ が相当 そうとう に高 たか いが、新 しん 空港 くうこう になってからは欠航 けっこう 率 りつ は低 ひく くなった。
現在 げんざい の国後 くなしり 島 とう にアクセスする定期 ていき 公共 こうきょう 交通 こうつう は、南 みなみ サハリン(南 みなみ 樺太 からふと )を拠点 きょてん に運航 うんこう されている。ユジノサハリンスク空港 くうこう (豊原 とよはら 大沢 おおさわ 飛行場 ひこうじょう )からはオーロラ航空 こうくう が毎日 まいにち 、国後島 くなしりとう メンデレーエフ空港 くうこう まで就航 しゅうこう している。しかし、有 ゆう 視界 しかい 飛行 ひこう であるため、霧 きり がかかりやすい夏季 かき は欠航 けっこう になりやすい。
セベロクリリスク 飛行場 ひこうじょう が建設 けんせつ 中 ちゅう で、完成 かんせい 時 じ にはユジノサハリンスクとペトロパブロフスク・カムチャツキー便 びん が運航 うんこう 予定 よてい 。
2022年 ねん 1月 がつ 現在 げんざい 、ユジノサハリンスク空港 くうこう とティモフスク(ゾナリノエ空港 くうこう )、シャフチョルスク 、ポロナイスク、スミルヌイフ、ノグリキ 、オハ 、アレクサンドロフスク・サハリンスキー を結 むす ぶロ ろ ーカル線 かるせん が運航 うんこう されている。
択捉島 えとろふとう ・国後島 くなしりとう ・色丹島 しこたんとう 間 あいだ にはヘリ コミューター 路線 ろせん が存在 そんざい する。
一般 いっぱん の日本人 にっぽんじん ・外国 がいこく 人 じん が北方 ほっぽう 四 よん 島 とう を訪問 ほうもん するには、ロシア連邦 れんぽう の査証 さしょう (ビザ)を取得 しゅとく の上 うえ でまずサハリンに渡 わた り、ユジノサハリンスクにて北方 ほっぽう 四 よん 島 とう への入 にゅう 境 さかい 許可 きょか 証 しょう を取得 しゅとく 後 ご 、サハリンから空路 くうろ または海路 かいろ でアクセスすることになる。この方法 ほうほう は、北方領土 ほっぽうりょうど のソビエト社会 しゃかい 主義 しゅぎ 共和 きょうわ 国 こく 連邦 れんぽう およびロシア連邦 れんぽう の領有 りょうゆう 権 けん を認 みと める行為 こうい である、として竹下 たけした 改造 かいぞう 内 ない 閣 かく 当時 とうじ の1989年 ねん (平成 へいせい 元年 がんねん )以来 いらい 、自粛 じしゅく が求 もと められているが、法的 ほうてき 強制 きょうせい 力 りょく は無 な い。なお、それ以前 いぜん は個人 こじん 旅行 りょこう 者 しゃ が北方領土 ほっぽうりょうど を含 ふく むサハリン州 しゅう に旅行 りょこう することは困難 こんなん であった。
近年 きんねん 、樺太 からふと に住 す んでいた元 もと 住民 じゅうみん およびその親類 しんるい や政府 せいふ 関係 かんけい 者 しゃ 、一般 いっぱん 関係 かんけい 者 しゃ などの日本人 にっぽんじん によるサハリンへのビザなし訪問 ほうもん を実現 じつげん する運動 うんどう があり、認 みと められるようになった。
ロシアがサハリン州 しゅう に定 さだ めている地域 ちいき の内 うち 、クリル列島 れっとう (千島 ちしま 列島 れっとう )及 およ び南 みなみ サハリンは、サハリン州 しゅう 成立 せいりつ 後 ご は全域 ぜんいき にロシア人 じん の入植 にゅうしょく が進 すす み完全 かんぜん にロシア化 か されている。一方 いっぽう 日本 にっぽん 政府 せいふ は、これらの地域 ちいき は帰属 きぞく 未定 みてい 地 ち 、すなわちどの国 くに の領土 りょうど にも属 ぞく していないという見解 けんかい を取 と っている。
1875年 ねん に樺太 からふと ・千島 ちしま 交換 こうかん 条約 じょうやく 締結 ていけつ により樺太 からふと 島 とう 全島 ぜんとう がロシア領 りょう となるが、1905年 ねん 9月5日 にち には南 みなみ 樺太 からふと が日本 にっぽん に分割 ぶんかつ され、ロシア領 りょう は北 きた 半分 はんぶん のみとなる。北 きた 半分 はんぶん へはソビエト連邦 れんぽう が1932年 ねん 10月 がつ 20日 はつか に旧 きゅう サハリン州 しゅう を設置 せっち した。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう は日 にち ソ中立 ちゅうりつ 条約 じょうやく により戦闘 せんとう 地域 ちいき にはならなかったが、大戦 たいせん 終結 しゅうけつ 直前 ちょくぜん の1945年 ねん 8月 がつ 9日 にち にソ連 それん が条約 じょうやく を破棄 はき して日本 にっぽん に宣戦 せんせん 布告 ふこく 、侵攻 しんこう し、南 みなみ 樺太 からふと と千島 ちしま 列島 れっとう の全域 ぜんいき を占領 せんりょう した。ソ連 それん は翌 よく 1946年 ねん に併合 へいごう を一方 いっぽう 的 てき に宣言 せんげん し南 みなみ サハリン州 しゅう を設置 せっち 、1947年 ねん これらの地域 ちいき を新 しん サハリン州 しゅう として統合 とうごう した。
ソ連 それん はサハリン全域 ぜんいき を自国 じこく のものとするにあたり、日本 にっぽん の南 みなみ 樺太 からふと 統治 とうち の中心 ちゅうしん であった豊原 とよはら とその周辺 しゅうへん を併 あわ せユジノサハリンスク 市 し と改称 かいしょう し、これを新 しん 州都 しゅうと として新 あら たなサハリン州 しゅう を成立 せいりつ させた。その後 ご 、全域 ぜんいき にロシア人 じん の入植 にゅうしょく が進 すす み、現在 げんざい ではかつての日本人 にっぽんじん の居住 きょじゅう 地 ち も完全 かんぜん にロシア化 か されている。
ソ連 それん 時代 じだい には、自由 じゆう な上陸 じょうりく が認 みと められない時代 じだい が続 つづ いたが、1957年 ねん (昭和 しょうわ 32年 ねん )には、日本 にっぽん から出発 しゅっぱつ した樺太 からふと 墓参 ぼさん 団 だん の上陸 じょうりく が認 みと められた。以後 いご 、集団 しゅうだん 墓参 ぼさん は1965年 ねん (昭和 しょうわ 40年 ねん )、1966年 ねん (昭和 しょうわ 41年 ねん )、1970年 ねん (昭和 しょうわ 45年 ねん )などに実施 じっし 。樺太 からふと の状況 じょうきょう が伝 つた えられる数少 かずすく ない契機 けいき となった[ 15] [ 16] 。
ソ連 それん 末期 まっき 、ミハイル・ゴルバチョフ 政権 せいけん による緊張 きんちょう 緩和 かんわ により冷戦 れいせん が終結 しゅうけつ すると、1989年 ねん からサハリン州 しゅう への外国 がいこく 人 じん 立 た ち入 い りが許可 きょか されたため、『薬師丸 やくしまる ひろ子 こ が見 み た! サハリン(樺太 からふと )縦断 じゅうだん 1000キロ』などのテレビ番組 ばんぐみ が放送 ほうそう され、それで今 いま まで不明 ふめい であったサハリンの様子 ようす が明 あき らかになった。1991年 ねん のソ連 それん 8月 がつ クーデター では、ソ連 それん の各 かく メディア報道 ほうどう が首都 しゅと モスクワでの事態 じたい について混乱 こんらん する中 なか 、サハリン州 しゅう 政府 せいふ や住民 じゅうみん は日本 にっぽん のNHK の衛星 えいせい 放送 ほうそう を活用 かつよう して情報 じょうほう を得 え た事 こと もあった。
さらに、同年 どうねん 末 まつ のソビエト連邦 れんぽう の崩壊 ほうかい に伴 ともな いロシア連邦 れんぽう がサハリン州 しゅう の支配 しはい 権 けん を継承 けいしょう した後 のち も日本 にっぽん 、特 とく に北海道 ほっかいどう とサハリンの間 あいだ の交流 こうりゅう は活発 かっぱつ 化 か し、稚内 わっかない 港 こう からは国際 こくさい フェリー が、札幌 さっぽろ 及 およ び函館 はこだて 、近年 きんねん は成田 なりた (東京 とうきょう ) からも航空機 こうくうき が運航 うんこう されるようになっている(函館 はこだて 線 せん は近年 きんねん 廃止 はいし された)。多 おお くのロシア漁船 ぎょせん が稚内 わっかない 港 こう や根室 ねむろ 港 みなと をはじめとする北海道 ほっかいどう (一部 いちぶ は東北 とうほく 地方 ちほう や北陸 ほくりく 地方 ちほう ・北 きた 近畿 きんき ・山陰 さんいん 地方 ちほう など、本州 ほんしゅう の日本海 にほんかい 側 がわ にも及 およ ぶ)の漁港 ぎょこう に入港 にゅうこう し、海産物 かいさんぶつ を水揚 みずあ げするようになった(具体 ぐたい 例 れい :日本 にっぽん 国内 こくない のスーパーマーケット などでよく見 み かける「ロシア産 さん 」と産地 さんち 表記 ひょうき のラベルが貼 は ってあるカニ ・ウニ ・サケ ・アマエビ など)のもロシア連邦 れんぽう 成立 せいりつ 以降 いこう に顕著 けんちょ になった結果 けっか である。サハリン州 しゅう との交流 こうりゅう の活発 かっぱつ 化 か により、稚内 わっかない 市内 しない や根室 ねむろ 市内 しない にはロシア語 ご の標識 ひょうしき や表記 ひょうき が増 ふ えている。
また、サハリンにおける油田 ゆでん 、ガス田 た 開発 かいはつ (サハリンプロジェクト )の進展 しんてん により、石油 せきゆ メジャー 、日本 にっぽん の大手 おおて 商社 しょうしゃ が開発 かいはつ に参加 さんか 。2004年 ねん 、採掘 さいくつ された最初 さいしょ の石油 せきゆ が日本 にっぽん に輸出 ゆしゅつ された。2001年 ねん にはユジノサハリンスクに日本 にっぽん の総領事館 そうりょうじかん が設置 せっち され、交流 こうりゅう の促進 そくしん に寄与 きよ している。日本 にっぽん とサハリン州 しゅう の関係 かんけい はさらに緊密 きんみつ になるものと考 かんが えられるが、今 いま なお解決 かいけつ されていない領土 りょうど 問題 もんだい が暗 くら い影 かげ を落 おと しているのも不幸 ふこう な事実 じじつ であり、サハリン州 しゅう の歴代 れきだい 知事 ちじ は「クリル諸島 しょとう 南部 なんぶ の日本 にっぽん 引 ひ き渡 わた し」には絶対 ぜったい 反対 はんたい の立場 たちば を続 つづ けている。
麻生 あそう 太郎 たろう がサハリンを訪問 ほうもん したときの様子 ようす 。奥 おく にはLNGタンカー も見 み える。人物 じんぶつ は左 ひだり から、ファン・デル・フーフェーン (蘭 らん )、ドミートリー・メドヴェージェフ、アンドルー王子 おうじ (英 えい )、麻生 あそう 太郎 たろう
2009年 ねん 2月 がつ 、州 しゅう 内 ない のコルサコフ近郊 きんこう で行 おこな われたサハリンプロジェクトの一 ひと つ、サハリン2 のLNG工場 こうじょう 稼働 かどう 式典 しきてん に合 あ わせ、日本 にっぽん の首相 しゅしょう としてはかつての領有 りょうゆう 時代 じだい を含 ふく めて初 はじ めて麻生 あそう 太郎 たろう がサハリン州 しゅう を訪問 ほうもん し、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ 大統領 だいとうりょう と会談 かいだん した。
一方 いっぽう 、千島 ちしま 列島 れっとう の択捉島 えとろふとう では、ソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご に続 つづ いたロシアの経済 けいざい 不振 ふしん と1994年 ねん に発生 はっせい した北海道 ほっかいどう 東方 とうほう 沖 おき 地震 じしん の影響 えいきょう から、人口 じんこう は減少 げんしょう 傾向 けいこう にあった。
だが、ソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご 、ユダヤ系 けい ロシア人 じん のアレクサンドル・ヴェルホフスキー が創業 そうぎょう した水産 すいさん 加工 かこう のギドロストロイ (Гидрострой ) 社 しゃ (本社 ほんしゃ はユジノサハリンスク)が、周辺 しゅうへん の豊富 ほうふ な水産 すいさん 資源 しげん と北米 ほくべい の冷凍 れいとう 食品 しょくひん 市場 いちば とを結 むす びつけて、めざましい成長 せいちょう を示 しめ し、択捉島 えとろふとう の経済 けいざい 基盤 きばん は強固 きょうこ なものとなった。同社 どうしゃ は現在 げんざい 、別 べつ 飛 ひ (ロシア名 めい レイドヴォ Рейдово )に日産 にっさん 400tの加工 かこう が可能 かのう な大 だい 工場 こうじょう を持 も つほか、蓄積 ちくせき した豊富 ほうふ な資本 しほん を元 もと に択捉 えとろふ 銀行 ぎんこう (БАНК “ИТУРУП” ) を設立 せつりつ 、金融 きんゆう 業 ぎょう にも乗 の り出 だ した。しかし、日本 にっぽん 政府 せいふ が領土 りょうど 問題 もんだい がらみで規制 きせい を行 おこな っているため、日本 にっぽん 企業 きぎょう はこのビジネスチャンスに公式 こうしき には協力 きょうりょく できていない。
また、北部 ほくぶ の茂 しげ 世路 せろ 岳 だけ (クドリャブイ火山 かざん )は、その火山 かざん ガス に、レアメタル であるレニウム を大量 たいりょう に含有 がんゆう している。このため、ロシア科学 かがく アカデミー の科学 かがく 者 しゃ たちは、レニウムの世界 せかい 有数 ゆうすう の産出 さんしゅつ 源 げん になり得 え る火山 かざん として茂 しげる 世路 せろ 岳 だけ を見 み なしている。
インフラ整備 せいび では、2015年 ねん を目標 もくひょう 年次 ねんじ とするロシア政府 せいふ のクリル開発 かいはつ 計画 けいかく によって、中心 ちゅうしん 都市 とし のクリリスク(紗 しゃ 那 な )の近 ちか くに新 しん 空港 くうこう が建設 けんせつ 中 ちゅう である。
国後 くなしり 島 とう ではソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご に続 つづ いた経済 けいざい 不振 ふしん と1994年 ねん に発生 はっせい した北海道 ほっかいどう 東方 とうほう 沖 おき 地震 じしん の影響 えいきょう から、人口 じんこう は減少 げんしょう 傾向 けいこう にあったが、近年 きんねん のめざましいロシアの経済 けいざい 成長 せいちょう に伴 ともな い、この島 しま にも人口 じんこう 増 ぞう に向 む けたテコ入 てこい れが始 はじ まっている。2015年 ねん を目標 もくひょう 年次 ねんじ とするロシア政府 せいふ のクリル開発 かいはつ 計画 けいかく では、立 た ち遅 おく れているインフラ整備 せいび などに重点的 じゅうてんてき な投資 とうし がなされる予定 よてい である。
ユジノ・クリリスク(古 こ 釜 がま 布 ぬの )に、日本 にっぽん 政府 せいふ のロシアへの援助 えんじょ として建設 けんせつ された日本人 にっぽんじん とロシア人 じん の友好 ゆうこう の家 いえ (通称 つうしょう ムネオハウス)がある。
2015年 ねん 8月 がつ 22日 にち 、ロシアのメドベージェフ首相 しゅしょう が択捉島 えとろふとう を訪問 ほうもん している。
国後 くなしり 島 とう では、日本 にっぽん のテレビ 放送 ほうそう [ 注釈 ちゅうしゃく 3] (カラー方式 ほうしき はNTSC )が映 うつ り、一部 いちぶ の住民 じゅうみん が日本 にっぽん のテレビを情報 じょうほう 源 げん にしている。大 だい 部分 ぶぶん の住民 じゅうみん は、ロシアのテレビ(カラー方式 ほうしき はSECAM )を視聴 しちょう している。北海道放送 ほっかいどうほうそう (HBC)では、一時 いちじ 、北方領土 ほっぽうりょうど の住民 じゅうみん 向 む けに天気 てんき 予報 よほう の画面 がめん にロシア語 ご のテロップを入 い れていた。
2006年 ねん 8月 がつ 16日 にち 、水晶島 すいしょうじま 付近 ふきん の海域 かいいき で操業 そうぎょう 中 ちゅう の、北海道 ほっかいどう 根室 ねむろ 市 し 花咲港 はなさきみなと 所属 しょぞく のカニかご漁船 ぎょせん がロシア国境 こっきょう 警備 けいび 局 きょく の警備 けいび 艇 てい により追跡 ついせき され、貝殻 かいがら 島 とう 付近 ふきん で銃撃 じゅうげき ・拿捕 だほ され、乗組 のりくみ 員 いん 1人 にん が死亡 しぼう する第 だい 31吉 よし 進 すすむ 丸 まる 事件 じけん が発生 はっせい した。日本 にっぽん 政府 せいふ はロシア当局 とうきょく に対 たい し、北方領土 ほっぽうりょうど は日本 にっぽん 固有 こゆう の領土 りょうど であるとの前提 ぜんてい に立 た って「日本 にっぽん 領海 りょうかい 内 ない で起 お こった銃撃 じゅうげき ・拿捕 だほ 事件 じけん であり、到底 とうてい 容認 ようにん できない」と抗議 こうぎ した。しかし、この海域 かいいき はロシア側 がわ の実効 じっこう 支配 しはい 海域 かいいき であるため、ロシア側 がわ にとっては国境 こっきょう 侵犯 しんぱん 密漁 みつりょう 事件 じけん であり、日本 にっぽん 側 がわ の「この海域 かいいき は日本 にっぽん 領海 りょうかい 」とする抗議 こうぎ とは根本 こんぽん 的 てき な点 てん で相容 あいい れないために、今回 こんかい の問題 もんだい をさらに複雑 ふくざつ にした。
この付近 ふきん のロシア実効 じっこう 支配 しはい 海域 かいいき では、コンブや許可 きょか された魚 さかな については、許可 きょか を得 え て入漁 にゅうぎょ 料 りょう を支払 しはら った漁船 ぎょせん についてのみ認 みと められていたが、無 む 許可 きょか 操業 そうぎょう は日本 にっぽん の農林水産省 のうりんすいさんしょう や北海道 ほっかいどう 当局 とうきょく も禁止 きんし しており、またカニ漁 りょう に関 かん しては日本 にっぽん 側 がわ には一切 いっさい 認 みと められていなかった。北海道庁 ほっかいどうちょう は近 ちか く付近 ふきん の漁協 ぎょきょう に対 たい して、周辺 しゅうへん 海域 かいいき でのカニ漁 りょう を行 おこな わないよう指導 しどう しようとしていた矢先 やさき の事件 じけん であった。今回 こんかい の漁船 ぎょせん はロシア側 がわ 海域 かいいき での一切 いっさい の漁 りょう を認 みと められていなかったうえに、カニ漁 りょう を行 おこな っていた可能 かのう 性 せい が高 たか く、実際 じっさい に船内 せんない からは1.1トンのカニ が残留 ざんりゅう していたとロシア側 がわ は発表 はっぴょう した。
乗組 のりくみ 員 いん は国後 くなしり 島 とう の古 こ 釜 がま 布 ぬの (ユージノクリリスク)に連行 れんこう され、日本人 にっぽんじん とロシア人 じん の友好 ゆうこう の家 いえ (いわゆるムネオハウス)に拘束 こうそく された。また、死亡 しぼう した乗組 のりくみ 員 いん の遺体 いたい は8月 がつ 19日 にち に海上保安庁 かいじょうほあんちょう の船 ふね によって日本 にっぽん に引 ひ き取 と られた。8月 がつ 30日 にち には船長 せんちょう 以外 いがい の2乗 じょう 組員 くみいん が解放 かいほう され、海上 かいじょう で北海道庁 ほっかいどうちょう の船 ふね に引 ひ き渡 わた されたが、船長 せんちょう は9月4日 にち にロシア側 がわ の検察 けんさつ により国境 こっきょう 侵犯 しんぱん と密漁 みつりょう の罪 つみ で起訴 きそ され罰金 ばっきん 刑 けい が確定 かくてい し、約 やく 50万 まん ルーブル の罰金 ばっきん ・賠償金 ばいしょうきん を支払 しはら ったうえ、10月3日 にち に釈放 しゃくほう されビザなし交流 こうりゅう の船 ふね で根室 ねむろ に帰還 きかん した。
帰国 きこく 後 ご 、船長 せんちょう は密漁 みつりょう について責任 せきにん 逃 のが れの発言 はつげん をしていたが、その後 ご 、根室 ねむろ 海上 かいじょう 保安 ほあん 部 ぶ の捜査 そうさ に対 たい して、違反 いはん 操業 そうぎょう を認 みと め、2007年 ねん 3月 がつ 、道 みち 海面 かいめん 漁業 ぎょぎょう 調整 ちょうせい 規則 きそく 違反 いはん の疑 うたが いで書類 しょるい 送検 そうけん された。
ユジノサハリンスク・ラジオ放送 ほうそう 局 きょく (旧 きゅう 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 豊原 とよはら 放送 ほうそう 局 きょく )
この地域 ちいき は、マガダン時間 じかん 帯 たい を使用 しよう している。時差 じさ はUTC+11 時間 じかん で、夏時間 なつじかん はない。2016年 ねん 3月 がつ まではサハリン(樺太 からふと )及 およ びクリル(千島 ちしま )列島 れっとう 南部 なんぶ と同 どう 列島 れっとう 北部 ほくぶ で異 こと なる標準時 ひょうじゅんじ を使用 しよう していた。
2011年 ねん 3月 がつ 以前 いぜん の標準時 ひょうじゅんじ [ 編集 へんしゅう ]
サハリン(樺太 からふと )及 およ びクリル(千島 ちしま )列島 れっとう 南部 なんぶ ではウラジオストク時間 じかん を使用 しよう していて標準時 ひょうじゅんじ がUTC+10 、夏時間 なつじかん がUTC+11、クリル(千島 ちしま )列島 れっとう 北部 ほくぶ ではマガダン時間 じかん を使用 しよう していて標準時 ひょうじゅんじ がUTC+11、夏時間 なつじかん がUTC+12 であった。
2011年 ねん 3月 がつ から2014年 ねん 10月 がつ までの標準時 ひょうじゅんじ [ 編集 へんしゅう ]
サハリン(樺太 からふと )及 およ びクリル(千島 ちしま )列島 れっとう 南部 なんぶ ではウラジオストク時間 じかん を使用 しよう していて、通年 つうねん UTC+11、クリル(千島 ちしま )列島 れっとう 北部 ほくぶ ではマガダン時間 じかん を使用 しよう していて、通年 つうねん UTC+12であった。
2014年 ねん 10月 がつ から2016年 ねん 3月 がつ までの標準時 ひょうじゅんじ [ 編集 へんしゅう ]
サハリン(樺太 からふと )及 およ びクリル(千島 ちしま )列島 れっとう 南部 なんぶ ではウラジオストク時間 じかん を使用 しよう していて、通年 つうねん UTC+10、クリル(千島 ちしま )列島 れっとう 北部 ほくぶ ではスレドネコリムスク時間 じかん を使用 しよう していて、通年 つうねん UTC+11であった。
^ ただし、現在 げんざい のユジノサハリンスクは日本 にっぽん 統治 とうち 時代 じだい の豊北 とよきた 村 むら と川上 かわかみ 村 むら の一部 いちぶ を含 ふく んでいる。
^ 2006年 ねん に新 しん バージョンとなり、写真 しゃしん の半分 はんぶん 以上 いじょう が高 こう 解像度 かいぞうど 画像 がぞう となっている。
^ テレビ北海道 てれびほっかいどう (TVh)は映 うつ らない。対岸 たいがん の根室 ねむろ 地域 ちいき では2011年 ねん の地上 ちじょう デジタル化 か 以降 いこう に同局 どうきょく の中継 ちゅうけい 局 きょく が設置 せっち される。
^ 加賀 かが 美 よし 雅 まさ 弘 ひろし 『世界 せかい 地誌 ちし シリーズ 9 ロシア』朝倉書店 あさくらしょてん 、2017年 ねん 、149頁 ぺーじ 。ISBN 978-4-254-16929-4 。
^ “サハリン州 しゅう 内 ない 各 かく 自治体 じちたい (市 し ・地区 ちく )の予算 よさん (歳出 さいしゅつ )総額 そうがく (2010年 ねん ) ”. 稚内 わっかない 市 し . 2018年 ねん 5月 がつ 25日 にち 閲覧 えつらん 。
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^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_79.php?reg=86
^ http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_89.php?reg=73
^ http://www.perepis2002.ru/index.html?id=17
^ Информационные материалы об окончательных итогах Всероссийской переписи населения 2010 года
^ a b "На Сахалине в 2012 году строится рекордное количество асфальтобетонных дорог - около 60 км " イタル・タス通信 つうしん 、2012年 ねん 9月 がつ 24日 にち 。
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^ “<ペンギン33>―2016年 ねん の運航 うんこう 計画 けいかく を終了 しゅうりょう (2016年 ねん 9月 がつ 16日 にち ) ”. 稚内 わっかない 市 し . 2016年 ねん 11月17日 にち 閲覧 えつらん 。
^ https://sakhalin.info/news/209491
^ 「20年 ねん ぶりの樺太 からふと 消 き え去 さ った日本 にっぽん 色 しょく 」『日本経済新聞 にほんけいざいしんぶん 』昭和 しょうわ 40年 ねん 8月 がつ 1日 にち .14面 めん
^ 四 よん 年 ねん ぶりにサハリンへ『朝日新聞 あさひしんぶん 』1970年 ねん (昭和 しょうわ 45年 ねん )11月7日 にち 夕刊 ゆうかん 3版 はん 10面 めん
ウィキメディア・コモンズには、
サハリン州 しゅう に
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