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- ハンティ・マンシ自治管区・ユグラ
- ロシア語: Ханты-Мансийский
автономный округ — Югра -
![ハンティ・マンシ自治管区・ユグラの旗](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/70/Flag_of_Yugra.svg/125px-Flag_of_Yugra.svg.png) | ![ハンティ・マンシ自治管区・ユグラの紋章](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/eb/Coat_of_arms_of_Yugra_%28Khanty-Mansia%29.svg/125px-Coat_of_arms_of_Yugra_%28Khanty-Mansia%29.svg.png) |
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ハンティ・マンシ自治管区旗 | ハンティ・マンシ自治管区紋章 |
![ハンティ・マンシ自治管区・ユグラの位置](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Map_of_Russia_-_Khanty-Mansi_Autonomous_Okrug.svg/250px-Map_of_Russia_-_Khanty-Mansi_Autonomous_Okrug.svg.png)
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ハンティ・マンシ自治管区・ユグラ(ハンティ・マンシじちかんく・ユグラ、Ха́нты-Манси́йский автоно́мный о́круг — Югра́, Khantia-Mansia)はロシア連邦中部のチュメニ州に属する自治管区。
ウラル山脈の東側、西シベリア平原の西部に位置する。中央をオビ川、エルティシ川、ヴァフ川が流れる。
この地域は、もともとユグラと呼ばれていた。12世紀から13世紀にノヴゴロドの商人たちが交易のために訪れるようになる。1582年、イェルマークにより征服され、ロシアの支配下に入った。1930年12月10日にオスチャク・ヴォグル自治管区として設置され、1940年にハンティ・マンシ民族管区と改称された。1977年に民族管区の自治管区への変更に伴いハンティ・マンシ自治管区となり、2003年に公式名称は「ハンティ・マンシ自治管区・ユグラ」に変更された。
原油と天然ガスを産し、その採掘・精製が主要な産業となっている。ロシア連邦でも有数の石油工業の拠点である。
ハンティ人とマンシ人は言語系統の上では、ハンガリーのマジャル人に近く、フィン・ウゴル系のうちウゴル諸語の民族である。しかしながら、人口の大部分はロシア人であり、ハンティ人とマンシ人の占める割合は小さい。これは、油田が発見された後に、多くのロシア人が流入した結果である。
この地域は、エカテリンブルク時間帯の標準時を使用している。時差はUTC+5時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+5で夏時間がUTC+6、同年3月から2014年10月までは通年UTC+6であった)