アルハンゲリスク州 しゅう
ロシア語 ご : Архангельская область
アルハンゲリスク州 しゅう 旗 はた アルハンゲリスク州 しゅう 紋章 もんしょう
アルハンゲリスク州 しゅう (アルハンゲリスクしゅう、Архангельская область )はロシア連邦 れんぽう 北西 ほくせい 部 ぶ の北西 ほくせい 連邦 れんぽう 管区 かんく に属 ぞく する州 しゅう (オーブラスチ )。州都 しゅうと はアルハンゲリスク 。ネネツ自治 じち 管区 かんく 、ならびにノヴァヤゼムリャ とゼムリャフランツァヨシファ を含 ふく む。
東 ひがし ヨーロッパ平原 へいげん の北部 ほくぶ に位置 いち する。白 しろ 海 うみ 、バレンツ海 うみ 、カラ海 うみ に面 めん する。東 ひがし にコミ共和 きょうわ 国 こく 、西 にし にカレリア共和 きょうわ 国 こく と隣 とな り合 あ う。主要 しゅよう な河川 かせん は北 きた ドヴィナ川 がわ 。
ノヴァヤゼムリャとゼムリャ・フランツァヨシファを除 のぞ く、アルハンゲリスク州 しゅう の大 だい 部分 ぶぶん はタイガ で覆 おお われている。もっとも広 ひろ く分布 ぶんぷ しているのはトウヒ やマツ で、東部 とうぶ にのみモミ 、カラマツ が見 み られる。気候 きこう は大陸 たいりく 性 せい で、北東 ほくとう 部 ぶ には亜寒帯 あかんたい 気候 きこう が見 み られる。
フィン・ウゴル 系 けい の民族 みんぞく が暮 く らしていたこの地域 ちいき にロシア人 じん (ポモール )が定住 ていじゅう を始 はじ めたのは11世紀 せいき 、12世紀 せいき ごろ。ポモールたちはホルモゴルイ から東 ひがし へ探索 たんさく を始 はじ め、シベリア北部 ほくぶ へ向 む かう北極 ほっきょく 海 かい 航路 こうろ を発見 はっけん 。16世紀 せいき 初頭 しょとう 、マンガゼヤ に港 みなと を開 ひら いた。
1584年 ねん 、イヴァン4世 せい (雷 かみなり 帝 みかど )によって、ロシアで最初 さいしょ の海港 かいこう 都市 とし アルハンゲリスク が建設 けんせつ されると、ここを拠点 きょてん としてシベリアのマンガゼヤからの北極 ほっきょく 海 かい 航路 こうろ とスカンジナビア半島 はんとう 北岸 ほくがん を経由 けいゆ した北東 ほくとう 航路 こうろ を繋 つな いでイギリス (モスクワ会社 かいしゃ )やオランダ との貿易 ぼうえき で大 おお いに栄 さか えた。アルハンゲリスク州 しゅう は発展 はってん した。この時期 じき の主要 しゅよう 産品 さんぴん は毛皮 けがわ である。
1703年 ねん 、サンクトペテルブルク が開 ひら かれると、イギリスやオランダにとってのアルハンゲリスクの重要 じゅうよう 性 せい は低下 ていか 。特 とく に1750年 ねん 頃 ごろ から第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん とロシア革命 かくめい が起 お こった1920年 ねん まではノルウェー北部 ほくぶ とのポモール貿易 ぼうえき (英語 えいご 版 ばん ) と呼 よ ばれる海上 かいじょう 貿易 ぼうえき が盛 さか んに行 おこな われるようになった。ノルウェーで捕 と れる魚 さかな とロシアの穀物 こくもつ を取引 とりひき し、どちらの社会 しゃかい においても重要 じゅうよう 度 ど が高 たか かった。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の「北 きた ロシア出兵 しゅっぺい (North Russia Campaign, en )」では、ウィンストン・チャーチル 率 ひき いるイギリス軍 ぐん とアメリカの北 きた ロシア遠征 えんせい 軍 ぐん (en , en )に一時 いちじ 占領 せんりょう されたことをきっかけに、ポモール貿易 ぼうえき は終焉 しゅうえん を迎 むか えた。
革命 かくめい 以後 いご 、ソ連 それん は民間 みんかん 貿易 ぼうえき を禁止 きんし 。アルハンゲリスクは閉鎖 へいさ 都市 とし となった。
ロシア革命 かくめい 以前 いぜん はアルハンゲリスク県 けん であった。1937年 ねん 9月23日 にち よりアルハンゲリスク州 しゅう 。
1930年代 ねんだい 、スターリン によって、200万 まん 人 にん におよぶウクライナ の自営 じえい 農家 のうか が反 はん 革命 かくめい 的 てき であるとして、この地域 ちいき に強制 きょうせい 的 てき に移住 いじゅう させられた。
ソロヴェツキー諸島 しょとう のソロヴェツキー修道院 しゅうどういん は、スターリン時代 じだい に強制 きょうせい 収容 しゅうよう 所 しょ とされ、後 ご のグラグ のモデルとなったことがある。収容 しゅうよう 所 しょ での労働 ろうどう や拷問 ごうもん を、アレクサンドル・ソルジェニーツィン が小説 しょうせつ 『収容 しゅうよう 所 しょ 群島 ぐんとう 』に描 えが き、1970年 ねん にノーベル文学 ぶんがく 賞 しょう を受賞 じゅしょう した。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、ソ連 それん はこの広大 こうだい な森林 しんりん とツンドラ の地域 ちいき を核 かく 実験 じっけん の場所 ばしょ として使用 しよう した。アルハンゲリスクの外港 がいこう であるセヴェロドヴィンスク は原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん 製造 せいぞう 計画 けいかく の中心 ちゅうしん 地 ち である。
また、セヴェロドヴィンスクから西 にし へ30kmほどにある閉鎖 へいさ 都市 とし ニョノクサには、ロシア海軍 かいぐん のミサイル 実験 じっけん 施設 しせつ である海軍 かいぐん 第 だい 45国立 こくりつ 中央 ちゅうおう 海洋 かいよう 試験場 しけんじょう が存在 そんざい する。この施設 しせつ では2019年 ねん 8月 がつ 8日 にち に爆発 ばくはつ 事故 じこ が発生 はっせい し、多数 たすう の死者 ししゃ が出 で たほか、市内 しない で一時 いちじ 的 てき に放射線 ほうしゃせん 量 りょう の増加 ぞうか が観測 かんそく された[ 1] 。
漁業 ぎょぎょう 、林業 りんぎょう 、木材 もくざい 加工 かこう 、製紙 せいし 業 ぎょう 、自動車 じどうしゃ 製造 せいぞう などが盛 さか ん。兵器 へいき 工場 こうじょう もある。
原油 げんゆ 、天然 てんねん ガス 、ダイヤモンド 、泥炭 でいたん を産 さん する。南部 なんぶ には大 だい 規模 きぼ な岩塩 がんえん 層 そう が見 み られる。
州都 しゅうと アルハンゲリスクの南 みなみ にプレセツク宇宙 うちゅう 基地 きち (Plesetsk Cosmodrome) がある。
アルハンゲリスク州 しゅう は、モスクワ時間 じかん 帯 たい の標準時 ひょうじゅんじ を使用 しよう している。時差 じさ はUTC+3 時間 じかん で、夏時間 なつじかん はない。(2011年 ねん 3月 がつ までは標準時 ひょうじゅんじ がUTC+3、夏時間 なつじかん がUTC+4 、同年 どうねん 3月 がつ から2014年 ねん 10月 がつ までは通年 つうねん UTC+4であった)
全般 ぜんぱん 国立 こくりつ 図書館 としょかん 地理 ちり その他 た