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坂本さかもとさんじゅう

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坂本さかもと さんじゅう
さかもと みそじ
生年月日せいねんがっぴ 1923ねん1がつ22にち
出生しゅっしょう 日本の旗 石川いしかわけん鳳至ふげしぐん穴水あなみずまち
ぼつ年月日ねんがっぴ (2006-03-19) 2006ねん3月19にち(83さいぼつ
死没しぼつ 日本の旗 石川いしかわけんおおとりたまぐん穴水あなみずまち
出身しゅっしんこう 東北とうほく帝国ていこく大学だいがく法学部ほうがくぶ
所属しょぞく政党せいとう 自由民主党じゆうみんしゅとう河本かわもと
称号しょうごう せいさん
勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう
親族しんぞく 長男ちょうなん坂本さかもとあきらもと穴水あなみず町長ちょうちょう

内閣ないかく だい2海部かいふ内閣ないかく
だい2海部かいふ改造かいぞうないかく
在任ざいにん期間きかん 1990ねん2がつ28にち - 1991ねん11月5にち

内閣ないかく だい2中曽根なかそね内閣ないかく
在任ざいにん期間きかん 1983ねん12月27にち - 1984ねん11月1にち

選挙せんきょきゅう石川いしかわ2→)
比例ひれい北陸ほくりく信越しんえつブロック
当選とうせん回数かいすう 11かい
在任ざいにん期間きかん 1967ねん1がつ29にち - 2000ねん6月2にち
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坂本さかもと さんじゅう(さかもと みそじ、1923ねん大正たいしょう12ねん1がつ22にち - 2006ねん平成へいせい18ねん3月19にち)は、日本にっぽん政治せいじ

衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(11)。内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかんだい53だい)、労働ろうどう大臣だいじんだい46だい)を歴任れきにん位階いかい勲等くんとうせいさん勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

石川いしかわけん鳳至ふげしぐんげんおおとりたまぐん穴水あなみずまち出身しゅっしん金沢かなざわいちなかよんだか1947ねん東北とうほく帝国ていこく大学だいがく法学部ほうがくぶそつ[1]1948ねん石川いしかわけん教育きょういく委員いいんとなる。

1967ねんだい31かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょはつ当選とうせん当選とうせん同期どうき山下やました元利がんり増岡ますおか博之ひろゆき加藤かとう六月むつき塩川正十郎しおかわまさじゅうろう河野こうの洋平ようへい中尾なかお栄一えいいち藤波ふじなみ孝生たかお武藤むとう嘉文よしふみ塩谷しおや一夫かずお山口やまぐち敏夫としお水野みずのきよしなど)。以来いらい連続れんぞく当選とうせん11かい自民党じみんとううちでは傍流ぼうりゅうばれた三木みき河本かわもと所属しょぞく三木みき武夫たけお直系ちょっけい硬骨こうこつかん河本かわもと敏夫としお側近そっきんとしてないおもきをなす。

環境庁かんきょうちょう政務次官せいむじかん自民党じみんとう外交がいこう部会ぶかいちょう[1]衆議院しゅうぎいん文教ぶんきょう委員いいんちょうなどをて、1983ねんだい2中曽根なかそね内閣ないかく労働ろうどう大臣だいじんとしてはつ入閣にゅうかく

1989ねん宇野うの内閣ないかくそう辞職じしょく自民党じみんとう総裁そうさいせんでは竹下たけした主導しゅどうによる海部かいふ俊樹としき擁立ようりつ反対はんたいし、河本かわもとない三木みき直系ちょっけいとしてられる鯨岡くじらおか兵輔ひょうすけとともに最後さいごまで領袖りょうしゅう河本かわもと擁立ようりつ主張しゅちょうした。そのため河本かわもと後押あとおしでだい2海部かいふ内閣ないかく内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん就任しゅうにんしたさいは、「坂本さかもと官房かんぼう長官ちょうかん海部かいふ首相しゅしょうとそりがわないのでは?」というこえもあがったが、「竹下たけしたによる傀儡かいらい政権せいけん」との疑念ぎねんもあった海部かいふ政権せいけんに「三木みき精神せいしん」をむことに尽力じんりょく名声めいせいた。

1996ねん勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう受章じゅしょう[2]2000ねん政界せいかい引退いんたい趣味しゅみ剣道けんどうななだん腕前うでまえであった。石川いしかわけん剣道けんどう連盟れんめい会長かいちょうつとめた。全日本ぜんにほん剣道けんどう連盟れんめいから剣道けんどう功労賞こうろうしょう受賞じゅしょう

2006ねん3がつ19にち胃癌いがんのため石川いしかわけん穴水あなみずまち病院びょういん死去しきょ。83さい同日どうじつを以ってせいさんじょされる。

親族しんぞく[編集へんしゅう]

  • 坂本さかもとあきら(さかもと・あきら)もと穴水あなみず町長ちょうちょう(2006ねん引退いんたい)は長男ちょうなん
  • 坂本さかもと林太郎りんたろう(さかもと・りんたろう)はまごあかり長男ちょうなん)。

選挙せんきょれき[編集へんしゅう]

当落とうらく 選挙せんきょ 執行しっこう 年齢ねんれい 選挙せんきょ 政党せいとう 得票とくひょうすう 得票とくひょうりつ 定数ていすう 得票とくひょう順位じゅんい
/候補者こうほしゃすう
政党せいとうない比例ひれい順位じゅんい
/政党せいとう当選とうせんしゃすう
だい29かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1960ねん11月20にち 37 きゅう石川いしかわ2 無所属むしょぞく 2まん7061ひょう 13.58% 3 4/8 /
だい30かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1963ねん11月21にち 40 きゅう石川いしかわ2 無所属むしょぞく 3まん2501ひょう 16.40% 3 4/7 /
とう だい31かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1967ねん01がつ29にち 44 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 5まん5680ひょう 30.75% 3 1/6 /
とう だい32かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1969ねん12月27にち 46 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 4まん4679ひょう 23.47% 3 2/7 /
とう だい33かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1972ねん12月10にち 49 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 4まん8869ひょう 22.97% 3 3/5 /
とう だい34かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1976ねん12月05にち 53 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 6まん4506ひょう 29.06% 3 1/6 /
とう だい35かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1979ねん10月07にち 56 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 5まん4780ひょう 25.98% 3 2/5 /
とう だい36かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1980ねん06月22にち 57 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 5まん6191ひょう 25.66% 3 3/7 /
とう だい37かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1983ねん12月18にち 60 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 5まん3536ひょう 26.14% 3 2/6 /
とう だい38かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1986ねん07がつ06にち 63 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 8まん6198ひょう 44.81% 2 2/3 /
とう だい39かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1990ねん02がつ18にち 67 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 6まん6305ひょう 28.95% 2 2/5 /
とう だい40かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1993ねん07がつ18にち 70 きゅう石川いしかわ2 自由民主党じゆうみんしゅとう 7まん609ひょう 36.71% 2 2/4 /
とう だい41かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1996ねん10がつ20日はつか 73 比例ひれい北陸ほくりく信越しんえつ 自由民主党じゆうみんしゅとう 13 / 5/5

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 労働ろうどう基準きじゅん』1984ねん1がつ
  2. ^ 「96あき叙勲じょくん受章じゅしょうしゃ 勳一等くんいっとうくんとう」『読売新聞よみうりしんぶん』1996ねん11月3にち朝刊ちょうかん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

議会ぎかい
先代せんだい
菅波すがなみしげる
日本の旗 衆議院しゅうぎいん文教ぶんきょう委員いいんちょう
1978ねん - 1979ねん
次代じだい
谷川たにがわ和穂かずほ
公職こうしょく
先代せんだい
森山もりやま眞弓まゆみ
日本の旗 内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん
だい53だい:1990ねん - 1991ねん
次代じだい
加藤かとう紘一こういち
先代せんだい
大野おおのあきら
日本の旗 労働ろうどう大臣だいじん
だい46だい:1983ねん - 1984ねん
次代じだい
山口やまぐち敏夫としお