櫻内 義雄
さくらうち よしお | |
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来歴 ・人物
[その
1990
2003
エピソード
[ゴルバチョフの訪日 問題
[信仰
[語録
[- 「もうすぐ
桜 が咲 きます。私 の名前 は櫻 内 、つまりチェリーです。日米 間 でも間 もなく桜 が咲 くようになります」(1982年 3月 23日 、外務 大臣 として訪米 しロナルド・レーガン大統領 との会談 終了 後 、内外 記者 団 に対 して)。※後日 、「アイ・アム・チェリー」発言 として伝播 される(チェリーはスラングで“童貞 ”、また“オカマ”での意 )。 - 「どうして、マスコミは
政 科 研 を“櫻 内 派 ”と呼 ばないんだ?」(櫻 内 は、1982年 から1987年 、1989年 5月 から1990年 2月 まで政策 科学 研究所 (中曽根 派 )会長 を務 めていた。もちろん、櫻 内 一流 のジョークである。) - 「アメリカは
日本 の部品 を買 ってくれと言 う。アメリカが日本 に頭 を下 げ、自動車 の下請 け工場 になるのは情 けない。問題 の根本 はアメリカの労働 者 の質 が劣悪 なことにある。アメリカの労働 者 は働 かなさ過 ぎる。働 かないで高 い給料 を欲 しがる。3割 くらいは文字 も読 めない。幹部 が指令 を出 しても文書 で渡 せない。不 合格 品 もたくさん出 る」 (衆議院 議長 在任 中 の1992年 1月 19日 、島根 県 での後援 会 新年 会 の際 に日米 貿易 摩擦 に言及 し発言 )。- この
発言 に対 し、NBCニュース論説 委員 ジョン・チャンセラーは、問題 はアメリカ側 の管理 経営 の稚拙 さにあり、労働 者 の質 に大差 はない、と語 っている[7]。 - この
発言 に対 し、ダイアン・ラヴィッチ教育 次官補 (当時 )は、識字 率 問題 が誇張 されており読 み書 きできないものは5%にすぎないし、多 くの移民 を受 け入 れている国 を批判 するのは不当 、また40年間 の冷戦 時代 、日本 やドイツを守 るために使 った軍事 費 を教育 に回 していればもっとましだったはずと指摘 する人 は多 いと述 べた[7]。 - この
発言 に対 し、民主党 の下院 議員 (当時 )であり、黒人 指導 者 でもあるチャールズ・ランゲルは、日本 の政治 家 が黒人 やその他 の少数 民族 に対 して侮辱 的 な発言 を繰 り返 してきたため、桜 内 の発言 には特 に驚 かないが、アメリカの労働 力 に存在 する問題 が何 であれ、それと日本 の貿易 障壁 は別 の問題 であるとした[7]。
- この
年譜
[- 1935
年 -慶應義塾大学 経済学部 卒業 - 1935
年 -1938年 -鐘紡 社員 - 1939
年 -1947年 -櫻内 幸雄 秘書 - 1947
年 4月 -衆議院 議員 選挙 に初 当選 - 1950
年 6月 -参議院 議員 選挙 に島根 地方区 より出馬 、当選 - 1951
年 12月 -当選 無効 により議員 を辞職 [8]。 - 1952
年 10月 -衆議院 議員 選挙 で当選 し、議員 に返 り咲 く - 1954
年 12月-1955年 3月 -法務 政務次官 (第 1次 鳩山 一郎 内閣 ) - 1958
年 -1959年 -衆議院 外務 委員 長 - 1961
年 -1962年 -衆議院 文教 委員 長 - 1964
年 7月 -1965年 6月 -通商 産業 大臣 (第 3次 池田 内閣 ・第 1次 佐藤 内閣 ) - 1966
年 1月 26日 - 1964年 1月 、島根 県 社会 事業 共同 募金 へ10万 円 寄付 により紺綬 褒章 受章 [9] - 1972
年 7月 -自民党 政務 調査 会長 (田中 角栄 総裁 ) - 1972
年 12月-1973年 11月 -農林 大臣 (田中 角栄 内閣 ) - 1976
年 9月 -自民党 政務 調査 会長 (三木 武夫 総裁 ) - 1977
年 11月-1978年 12月 -建設 大臣 兼 国土庁 長官 (福田 赳夫 内閣 ) - 1977
年 -2002年 12月 -第 6代 公益 財団 法人 日 印 協会 会長 - 1979
年 11月-1981年 11月 -自民党 幹事 長 (大平 正芳 ・鈴木 善幸 総裁 ) - 1981
年 11月-1982年 11月 -外務 大臣 (鈴木 善幸 内閣 ) - 1982
年 12月 -政策 科学 研究所 (中曽根 派 )会長 - 1983
年 11月 -春 の叙勲 で勲一等 旭日大綬章 受章 (勲 八 等 からの昇叙 )[10] - 1990
年 2月 -1993年 6月 -第 67代 衆議院 議長 - 1993
年 11月 -秋 の叙勲 で勲一等 旭日 桐 花 大 綬章 受章 [11] - 1999
年 3月 -名誉 議員 - 2000
年 6月 -政界 引退 - 2003
年 7月 5日 -死去 、91歳 。死没 日 をもって従 二 位 に叙 され、銀杯 一 組 (第 5号 )を賜 った[12]
家族 ・親族
[櫻 内 家
[母 ・貞子 (徳永 純 の長女 [15])兄 ・櫻内 乾 雄 (実業 家 ・元 中国電力 会長 )1905年 5月 8日 - 1977年 4月 3日 、東京 帝国 大学 (現 :東京大学 )工学部 卒業 妻 ・美咲 (実業 家 丸山 英弥 (元 明治生命 社長 )の娘 )長女 ・美貴子 (欽司 の妻 )1944年 9月 20日 生 、慶應義塾大学 文学部 卒業 婿養子 ・桜内 欽司 (旧姓 町田 、町田 計 五郎 (元 日立 セメント副 社長 )の二男 )1942年 1月 1日 生 、慶應義塾大学 経済学部 卒業 孫 ・友子 (欽司 ・美貴子 の長女 、元 財務 官僚 、元 参議院 議員 桜 内 文 城 の妻 )1971年 1月 11日 生 、慶應義塾大学 文学部 卒業 孫 婿 ・桜 内 文 城 (政治 家 、会計 学者 )1965年 10月 21日 生 、東京大学 法学部 卒業 孫 ・晴子 (欽司 ・美貴子 の二女 )1975年 7月 19日 生 、慶應義塾大学 総合 政策 学部 卒業 二女 ・正子 (大野 勝久 の妻 )1949年 1月 4日 生 、慶應義塾大学 文学部 卒業 娘 婿 ・大野 勝久 (明治海運 取締役 、元 三井造船 常務 取締役 )1944年 2月 18日 生 、慶應義塾大学 経済学部 卒業 叔父 ・櫻内 辰郎 (実業 家 、政治 家 )1886年 3月 13日 - 1954年 11月14日 、早稲田大学 政治 経済 科 (現 :早稲田大学 政治 経済学部 )修学 義弟 ・嶺 駒 夫 (実業 家 )1906年 3月 生 、早稲田大学 商学部 卒業 姪 ・貴代子 (嶺 駒 夫 の二女 、元 首相 福田 康夫 の妻 )1944年 1月 13日 生 、慶應義塾大学 文学部 卒業 姪 ・富佐子 (嶺 駒 夫 の長女 、実業 家 斎藤 明 の妻 )1937年 8月 生 、早稲田大学 教育 学部 卒業 甥 ・裕 (嶺 駒 夫 の長男 )日本原子力発電 理事 、1939年 2月 生 、立教大学 理学部 卒業 義弟 ・太田 清之助 (実業 家 )1909年 1月 19日 生 、九州 帝国 大学 (現 :九州大学 )農学部 卒業 甥 ・太田 誠一 (太田 清之助 の長男 、政治 家 )1945年 10月 30日 生 、慶應義塾大学 経済学部 卒業 、同 大学院 博士 課程 修了 甥 ・太田 輝幸 (太田 清之助 の二男 、ホテル日航 福岡 社長 )1948年 10月 1日 生 、慶應義塾大学 商学部 卒業 甥 ・櫻内 朋 雄 (桜内 乾 雄 の養子 、政治 活動 家 )早稲田大学 理工学部 建築 学科 中退 姪 孫 ・福田 達夫 (政治 家 )
選挙 歴
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1947 |
37,296 | 14.1 | 2/25 | - | - | |||||
落 | 1949 |
30,172 | 9.1 | 6/23 | - | - | ||||
1950 |
140,981 | 32.3 | 1/5 | - | - | |||||
1952 |
75,335 | 17.0 | 2/8 | - | - | |||||
1953 |
65,426 | 15.0 | 2/8 | - | - | |||||
1955 |
79,170 | 17.5 | 1/8 | - | - | |||||
1958 |
69,009 | 15.2 | 4/7 | - | - | |||||
1960 |
79,932 | 17.2 | 2/8 | - | - | |||||
1963 |
71,229 | 15.8 | 4/7 | - | - | |||||
1967 |
81,891 | 18.1 | 1/7 | - | - | |||||
1969 |
71,075 | 15.9 | 4/7 | - | - | |||||
1972 |
73,021 | 15.6 | 3/7 | - | - | |||||
1976 |
68,395 | 14.1 | 2/10 | - | - | |||||
1979 |
78,531 | 16.4 | 2/8 | - | - | |||||
1980 |
82,670 | 16.8 | 3/7 | - | - | |||||
1983 |
86,620 | 18.4 | 2/6 | - | - | |||||
1986 |
80,384 | 16.1 | 2/7 | - | - | |||||
1990 |
79,890 | 15.8 | 2/7 | - | - | |||||
1993 |
63,905 | 13.2 | 4/9 | - | - | |||||
1996 |
- | |||||||||
脚注
[- ^ a b c d e f g h i j k
櫻内 義雄 日蓮宗 新聞 社 [リンク切 れ] - ^ 「
桜内 義雄 氏 に当選 無効 判決 」『朝日新聞 』昭和 26年 5月 10日 - ^ 1986
年 の総 選挙 後 も党内 で議長 候補 となるが、中曽根 派 をまとめる人物 が桜 内 以外 いないという理由 から見送 られていた。 - ^
平林 博 「2013年 の年頭 所感 ―日 印 協会 110周年 の回顧 と展望 」(PDF)『月刊 インド』第 110巻 第 1号 、公益 財団 法人 日 印 協会 、2013年 1月 、4-6頁 、2014年 4月 4日 閲覧 。 - ^
当時 、池田 名誉 会長 は第 5次 訪 ソ中 - ^
創価学会 公式 サイト「SOKAnet:ソ連 初代 大統領 ミハイル・ゴルバチョフ氏 」 - ^ a b c “
桜 内 発言 に私 はこう反論 する”. ニューズウィーク日本 版 (1992年 2月 6日 号 ). TBSブリタニカ. (1992-2-6). p. 38. - ^
選挙 時 、「桜内 幸雄 」と書 かれた票 が有効 とみなされ、当選 したが、次点 だった小瀧 彬 に「幸雄 」票 は無効 ではないかと訴 えられ、裁判 の結果 、「幸雄 」票 は無効 となり、小瀧 が当選 者 となった“[=https://web.archive.org/web/20140302212207/http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000114519990316015.htm第 145回 国会 本 会議 第 15号 (平成 11年 3月 16日 (火曜日 ))]”. 2014年 3月 2日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2017年 5月 16日 閲覧 。 - ^ 『
官報 』第 11740号 10頁 昭和 41年 2月 2日 号 - ^ 『
官報 』号外 第 29号 15頁 昭和 58年 4月 30日 号 - ^ 「93
年 秋 の叙勲 勲 三 等 以上 および在外 邦人 、帰化 邦人 、外国 人 の受章 者 」『読売新聞 』1993年 11月3日 朝刊 - ^ 『
官報 』第 3651号 14-15頁 平成 15年 7月 17日 号 - ^ a b c d
河野 幸之助 著 『櫻 内 家 の人々 』29頁 - ^ a b
河野 幸之助 著 『櫻 内 家 の人々 』68頁 - ^ a b c d
河野 幸之助 著 『櫻 内 家 の人々 』75頁
参考 文献
[河野 幸之助 『櫻 内 家 の人々 』 1965年 興信 データ株式會社 『人事 興信録 第 41版 上 』興信 データ、2001年 佐藤 朝 泰 『豪 閥 地方 豪族 のネットワーク』立 風 書房 2001年 434-441頁 神 一 行 『閨 閥 改定 新版 特権 階級 の盛衰 の系譜 』角川書店 2002年 110、120-121頁
関連 項目
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1971 1958 |
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1961 |
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その | ||
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衆議院 議長 日本 の外務 大臣 日本 の建設 大臣 国土庁 長官 日本 の農林 大臣 日本 の通商 産業 大臣 昭和 時代 戦後 の閣僚 自由民主党 幹事 長 比例 中国 ブロック選出 の衆議院 議員 島根 県 選出 の衆議院 議員 東京 都 選出 の衆議院 議員 昭和 時代 戦後 の衆議院 議員 平成 時代 の衆議院 議員 改 進 党 の衆議院 議員 日本 民主党 の衆議院 議員 自由民主党 の衆議院 議員 島根 県 選出 の参議院 議員 昭和 時代 の参議院 議員 世襲 政治 家 日 印 協会 の人物 協和 協会 の人物 - クラシエグループの
人物 法華 系 仏教 の人物 大阪 万博 に関係 した人物 日本 のスポーツ関係 者 従 二 位 受位者 勲 一等旭日桐花大綬章受章者勲一等 旭日大綬章 受章 者 紺綬 褒章 受章 者 - ブロンズ・ウルフ
章 受章 者 櫻 内 家 私 の履歴 書 の登場 人物 慶應義塾 高等 学校 出身 の人物 慶應義塾大学 出身 の人物 慶應義塾 幼稚 舎 出身 の人物 東京 都 出身 の人物 - 1912
年生 - 2003
年 没