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中村太郎 (政治家) - Wikipedia コンテンツにスキップ

中村なかむら太郎たろう (政治せいじ)

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中村なかむら 太郎たろう(なかむら たろう、1918ねん1がつ2にち - 2011ねん4がつ22にち[1])は、日本にっぽん政治せいじ参議院さんぎいん議員ぎいん(3)、労働ろうどう大臣だいじんだい50だい)。

来歴らいれき人物じんぶつ

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山梨やまなしけん東山梨ひがしやまなしぐん勝沼かつぬままちげん甲州こうしゅう出身しゅっしん1941ねん早稲田大学わせだだいがく法学部ほうがくぶ卒業そつぎょうだい世界せかい大戦たいせん陸軍りくぐん主計しゅけい大尉たいいとしてまんしゅう出征しゅっせい

1950ねんかいひがし貨物かもつ株式会社かぶしきがいしゃ社長しゃちょう就任しゅうにんし、山梨やまなし教育きょういく委員いいんかい委員いいんちょうなどを歴任れきにん1959ねん山梨やまなし県議会けんぎかい議員ぎいん当選とうせんし4つとめた。そのあいだ自由民主党じゆうみんしゅとう山梨やまなしけん支部しぶ連合れんごう政調せいちょう会長かいちょうどう議員ぎいんだん会長かいちょう県議会けんぎかい議長ぎちょうなどを歴任れきにん

1974ねん7がつだい10かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょ山梨やまなしけん選挙せんきょから自由民主党じゆうみんしゅとう公認こうにん立候補りっこうほ当選とうせん以後いごだい12かいだい14かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょ再選さいせんされ3つとめ、1992ねん7がつだい16かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょには出馬しゅつばせず引退いんたいした。同年どうねんあき叙勲じょくん勲一等くんいっとう瑞宝章ずいほうしょう受章じゅしょう[2]

参議院さんぎいん議員ぎいんとしては、参議院さんぎいん大蔵おおくら委員いいんちょうどう税制ぜいせい問題もんだいとうかんする特別とくべつ委員いいんちょう自民党じみんとう参院さんいん国会こっかい対策たいさくふく委員いいんちょう自民党じみんとう内閣ないかくふく部会ぶかいちょう自民党じみんとうふく幹事かんじちょう参院さんいん自民党じみんとう政策せいさく審議しんぎ会長かいちょう自民党じみんとう参院さんいん国会こっかい対策たいさく委員いいんちょう自民党じみんとう参議院さんぎいん議員ぎいんふく会長かいちょうなどをつとめた。また、だい1大平おおひら内閣ないかく大蔵おおくら政務次官せいむじかん竹下たけした内閣ないかく労働ろうどう大臣だいじん歴任れきにん

その山梨やまなしけん交通こうつう安全あんぜん協会きょうかい会長かいちょうどうけん労働ろうどう基準きじゅん協会きょうかい会長かいちょうなどをつとめた。

2011ねん4がつ22にち老衰ろうすいのため山梨やまなしけん甲府こうふ病院びょういん死去しきょ。93さいぼつ[1]死没しぼつをもってせいななからしたがえさんじょされる[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 時事じじドットコム:中村なかむら太郎たろう死去しきょもと労相ろうしょうもと自民党じみんとう参院さんいん議員ぎいん
  2. ^ 「92ねんあき叙勲じょくんくんさんとう以上いじょうおよび在外ざいがい邦人ほうじん帰化きか邦人ほうじん外国がいこくじん受章じゅしょうしゃ」『読売新聞よみうりしんぶん』1992ねん11月3にち朝刊ちょうかん
  3. ^ 官報かんぽうだい5564ごう9ぺーじ 平成へいせい23ねん5がつ30にちごう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 貴族きぞくいん参議院さんぎいん議員ぎいん名鑑めいかん衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん、1990ねん
  • しんてい 政治せいじ家人かじんめい事典じてん 明治めいじ昭和しょうわ日外にちがいアソシエーツ、2003ねん
公職こうしょく
先代せんだい
平井ひらい卓志たかし
日本の旗 労働ろうどう大臣だいじん
だい50だい:1987ねん - 1988ねん
次代じだい
丹羽にわ兵助へいすけ
議会ぎかい
先代せんだい
平井ひらい卓志たかし
日本の旗 参議院さんぎいん予算よさん委員いいんちょう
1991ねん - 1992ねん
次代じだい
遠藤えんどうかなめ
先代せんだい
こう政隆まさたか
日本の旗 参議院さんぎいん大蔵おおくら委員いいんちょう
1980ねん - 1981ねん
次代じだい
河本かわもと嘉久よしひさぞう