出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
短刀(たんとう)は、長さ一尺(約30.3cm)以下の刀の総称。刀身の長さが一尺を超えるが短刀の様式を持つものは、特に「寸延短刀(すんのびたんとう)」とも呼ばれる。
短刀には用途や差し方、拵えから様々な種類が含まれ、用途から刺刀(さすが)、差し方から懐刀・腰刀(こしがたな)、拵えの形状から鞘巻(さやまき)・合口または匕首(共にあいくちと読む。後者は中国語に由来)ともいう。
合口と呼ばれるように、鍔をつけない。この点が、後世の脇差(打刀の大小拵えの小刀)と異なる。
英語でいう所のショートソードからナイフに相当する概念の武器で、携帯の便に即したものから、素手での格闘戦に準ずる至近距離での攻撃(余りに近いと本差などの大振りの武具の死角になってしまう)などに適したものなどである。その一方で小柄・刀子のように日常具・文具として併用された物、子供や女性の懐剣なども含まれる。これらは「守り刀」と呼ばれ、一種のお守り(護符)として邪気や災厄を払うものとして扱われた。今日でも皇室の儀式中に「賜剣の儀」という、天皇家および宮家で子が生まれた際に守り刀を天皇から贈る儀式がある。この賜剣の儀で贈られる守り刀は、製作した刀匠による写しが存在しており、刃渡:20-28cm・平造り・筍刀反り・筍反りという内反りの短刀である。この造りは筍造り・筍刀造り(たけのこづくり・じゅんとうづくり)とも呼ばれ、筍刀(じゅんとう・たこうながたな・たかんながたな)はその形から蕨手刀の一つの流れを汲む名残だという見解がある。また、元は平安時代ごろまで火で炙り加熱消毒して臍の緒を切った短刀だったが[1]、後に元服の際に元結や髪先を切ることに用いられた。また普段使いの刀子(小刀)の類であるという見方もある。刃先の形状としては現代の鎌型包丁(薄刃包丁)の身幅を狭めたものやパン切包丁、冷凍包丁が近い。
また、昭和前期まで博徒やヤクザの伝統的な喧嘩道具に使用された粗製の短刀を隠語で「ドス」と称し、金に困った一部の包丁鍛冶などが作ったと言われている。ドスの中でも長い物(1尺8寸超)は特に“長ドス”と呼ばれる。
江戸時代の社家・国学者のなかには惟神(かんながら)の心を顕すため、自身の佩刀として短刀身ではなく、より古代的な「両刃の剣身」[2][3]をもちいる事もあった。
戦前の日本における大日本帝国海軍士官および兵学校生徒の海軍短剣と文官や警察官等の短剣は、日本の短刀を西洋風の拵えに仕込んだものであり、和魂洋才を象徴している。
現代においては、警視総監特別賞を受賞した警察官に全日本刀匠会から短刀が贈られている[4]。
「タントー(Tantō)」と呼ばれる直線的な切先のナイフが存在するが、短刀との直接の関係はなく、シルエットはむしろ直刀に似る。
ウィキメディア・コモンズには、
短刀に
関連するカテゴリがあります。