山口やまぐち好一よしかず

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山口やまぐち好一よしかず
やまぐち こういち
生年月日せいねんがっぴ 1903ねん11月8にち
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 栃木とちぎけん下都賀しもつがぐん栃木とちぎまち
(げん栃木とちぎけん栃木とちぎ)
ぼつ年月日ねんがっぴ (1969-03-19) 1969ねん3月19にち(65さいぼつ
出身しゅっしんこう 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法学部ほうがくぶ法律ほうりつ学科がっか(えいほう)(げん東京大学とうきょうだいがく法学部ほうがくぶ)卒業そつぎょう
ぜんしょく 大学だいがく講師こうし
現職げんしょく 弁護士べんごし
税理士ぜいりし
所属しょぞく政党せいとう (日本にっぽん自由党じゆうとう→)
(民主みんしゅ自由党じゆうとう→)
(自由党じゆうとう→)
(ぶん党派とうは自由党じゆうとう→)
(日本にっぽん民主党みんしゅとう→)
自由民主党じゆうみんしゅとう

選挙せんきょ (栃木とちぎけん全県ぜんけん選挙せんきょ→)
きゅう栃木とちぎ2
当選とうせん回数かいすう 7かい
在任ざいにん期間きかん 1946ねん4がつ10日とおか - 1952ねん8がつ28にち
1953ねん4がつ19にち - 1963ねん10月23にち
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山口やまぐち 好一よしかず(やまぐち こういち、1903ねん11月8にち[1] - 1969ねん3月19にち[2])は、日本にっぽん政治せいじ自由民主党じゆうみんしゅとう衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(7)。弁護士べんごし

経歴けいれき[編集へんしゅう]

栃木とちぎけん栃木とちぎまちげん:栃木とちぎ)にまれる[3]きゅう栃木とちぎちゅう旧制きゅうせいいちだかて、1927ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法学部ほうがくぶ法律ほうりつ学科がっかえいほうそつ[2][3]卒業そつぎょう栃木とちぎ商業しょうぎょう学校がっこう教諭きょうゆとなり[2][3]1935ねん高等こうとう試験しけん司法しほう試験しけん合格ごうかく[3]弁護士べんごしとなった。このほか明治大学めいじだいがく日本にっぽん大学だいがくかく講師こうしつとめた[2]

戦後せんご1946ねんだい22かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょにおいて栃木とちぎけんぜんけん1)から日本にっぽん自由党じゆうとう公認こうにん出馬しゅつばしてはつ当選とうせん[4]以来いらい当選とうせん7かい在職ざいしょくちゅう衆議院しゅうぎいん地方ちほう行政ぎょうせい委員いいんちょうどう懲罰ちょうばつ委員いいんちょうどう科学かがく技術ぎじゅつ振興しんこう対策たいさく特別とくべつ委員いいんちょうだい3吉田よしだ内閣ないかく法務ほうむ政務次官せいむじかんなどを歴任れきにんした。1963ねんだい30かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ落選らくせん、その弁護士べんごし税理士ぜいりし業務ぎょうむいた[5]。1969ねん死去しきょ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 衆議院しゅうぎいんだい九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院しゅうぎいん公報こうほう附録ふろく〉、1946ねん、12ぺーじ
  2. ^ a b c d 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』675ぺーじ
  3. ^ a b c d 栃木とちぎけん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん』611ぺーじ
  4. ^ 衆議院しゅうぎいん名鑑めいかん だい1かい・1890ねんだい34かい・1976ねんそう選挙せんきょ』138~139ぺーじ
  5. ^ 栃木とちぎけん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん』612ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん
  • 栃木とちぎけん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん下野新聞社しもつけしんぶんしゃ 、1995ねん
議会ぎかい
先代せんだい
稲葉いなばおさむ
日本の旗 衆議院しゅうぎいん科学かがく技術ぎじゅつ振興しんこう対策たいさく特別とくべつ委員いいんちょう
1960ねん - 1961ねん
次代じだい
前田まえだ正男まさお
先代せんだい
宇都宮うつのみや徳馬とくま
日本の旗 衆議院しゅうぎいん懲罰ちょうばつ委員いいんちょう
1958ねん - 1959ねん
次代じだい
高瀬たかせつたえ
先代せんだい
新設しんせつ
日本の旗 衆議院しゅうぎいん地方ちほう行政ぎょうせい委員いいんちょう
1948ねん - 1949ねん
次代じだい
中島なかじま守利もりとし