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岩倉いわくら具定ぐじょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩倉いわくら 具定ぐじょう
いわくら ともさだ
だい礼服れいふく着用ちゃくようした岩倉いわくら具定ぐじょう
生年月日せいねんがっぴ 1852ねん1がつ18にち
旧暦きゅうれきよしみひさし4ねん12月27にち
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 山城やましろこく
げん京都きょうと京都きょうと
ぼつ年月日ねんがっぴ (1910-04-01) 1910ねん4がつ1にち(58さいぼつ
死没しぼつ 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう
称号しょうごう だいくんみずぼしだい綬章じゅしょう
勲一等くんいっとう旭日きょくじつきりはなだい綬章じゅしょう
したがえいち
皇太子こうたいしわたしかん記念きねんあきら
はなだい勲章くんしょう
明治めいじさんじゅうななはちねん従軍じゅうぐん記章きしょう
勲一等くんいっとうだい極大きょくだい綬章じゅしょう
旭日大綬章あさひだいじゅしょう
せい
勲一等くんいっとう瑞宝章ずいほうしょう
したがえ
くんとう瑞宝章ずいほうしょう
大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷ記念きねんあきら
銀製ぎんせい黄綬おうじゅ褒章ほうしょう
あかわしだいとう勲章くんしょう
せいよん
くんよんとう旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう
配偶はいぐうしゃ 岩倉いわくら久子ひさこ
子女しじょ 長男ちょうなん岩倉いわくらちょう
長女ちょうじょじん親王しんのう周子かねこ
じょ島津しまつ季子としこ
親族しんぞく ちち岩倉いわくら具視ともみ(外務がいむきょう)
むすめ婿むこ西郷さいごうしたがえとく(貴族きぞくいん議員ぎいん)

在任ざいにん期間きかん 1909ねん6月16にち - 1910ねん4がつ1にち
天皇てんのう 明治天皇めいじてんのう

在任ざいにん期間きかん 1890ねん2がつ - 1910ねん4がつ1にち
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岩倉いわくら 具定ぐじょう(いわくら ともさだ、1852ねん1がつ18にちよしみひさし4ねん12月27にち〉 - 1910ねん明治めいじ43ねん4がつ1にち[1])は、日本にっぽん政治せいじだい4だい宮内みやうち大臣だいじん貴族きぞくいん議員ぎいん岩倉いわくらだい16だい当主とうしゅ

経歴けいれき

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岩倉いわくら具視ともみだい3次男じなん)として山城やましろこく現在げんざい京都きょうと京都きょうと)にまれる。慶応けいおう4ねん1868ねん)の戊辰戦争ぼしんせんそう勃発ぼっぱつは、東山ひがしやまみち鎮撫ちんぶ総督そうとく任命にんめいされ東山ひがしやまどう先鋒せんぽうぐん参謀さんぼう板垣いたがき退助たいすけなど)を指揮しき各地かくち転戦てんせんする。1869ねん明治めいじ2ねん)6がつおとうと岩倉いわくらけいとともに長崎ながさきにあった佐賀さがはんえい学校がっこう致遠かん派遣はけんされ、フルベッキまな[2]1870ねん明治めいじ3ねん)、米国べいこくラトガース大学だいがく留学りゅうがく[3]帰国きこく政府せいふ出仕しゅっし1882ねん明治めいじ15ねん)、伊藤いとう博文ひろぶみ憲法けんぽう調査ちょうさ随行ずいこうして欧州おうしゅうわたる。1884ねん明治めいじ17ねん)に義兄ぎけいである岩倉いわくらつな家督かとくぎ、公爵こうしゃく帝国ていこく議会ぎかい開設かいせつともない1890ねん明治めいじ23ねん)2がつ貴族きぞくいん公爵こうしゃく議員ぎいん就任しゅうにん[1]帝室ていしつ制度せいど取調とりしらべ委員いいん爵位しゃくいきょくちょう学習がくしゅういん院長いんちょう歴任れきにん1900ねん明治めいじ33ねん)に枢密すうみつ顧問こもんかん1909ねん明治めいじ42ねん)に宮内みやうち大臣だいじんとなる。1910ねん明治めいじ43ねん4がつ1にち死去しきょ

人物じんぶつ

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明治めいじ後半こうはん家計かけいかたむいた三条さんじょうことなり、はや時期じきから確実かくじつ資産しさん経営けいえいおこなった。明治めいじ30ねんごろ岩倉いわくら資産しさんは100まんえんたっしたとつたえられる。「三条さんじょうちがって岩倉いわくら維新いしんのどさくさまぎれにかねをためんだ」と吹聴ふいちょうされたが、具定ぐじょう勤勉きんべん人物じんぶつであり、浪費ろうひすることはなかった(一方いっぽう三条さんじょうには、遊興ゆうきょう浪費ろうひかえした人物じんぶつた)[4]

栄典えいてん

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位階いかい
勲章くんしょうひとし
外国がいこく勲章くんしょう佩用はいよう允許いんきょ

著作ちょさく

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  • 岩倉いわくら具視ともみ しる岩倉いわくら具定ぐじょう へん岩倉いわくらおく太政大臣だじょうだいじんしゅう上下じょうげまき岩倉いわくら具定ぐじょう、1886ねん7がつNCID BA32194807全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:41000952 
    • 岩倉いわくら具視ともみ ちょ岩倉いわくら具定ぐじょう へん岩倉いわくらおく太政大臣だじょうだいじんしゅう』(合冊がっさつ復刻ふっこくばん明治めいじひゃくねんさい準備じゅんび委員いいんかい、1968ねん4がつNCID BN09011624 
  • 岩倉いわくら具定ぐじょう ちょ岩倉いわくらさかえ へん岩倉いわくらみや内大臣ないだいじんしゅうあきらげん書房しょぼう、1960ねん12月。 NCID BA32909327全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:61007474 

家族かぞく親族しんぞく

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正妻せいさい子爵ししゃくさわためりょうの4じょ久子ひさこ具定ぐじょうには6なん5じょがいる(生母せいぼ不明ふめい)。岩倉いわくらちょう長男ちょうなん長女ちょうじょ周子かねこ東伏見ひがしふしみみやじん親王しんのう次女じじょ豊子とよこ侯爵こうしゃく西郷さいごうしたがえとく、4じょ花子はなこ武井たけい守成しゅせい、5じょ季子としこ島津しまつ忠弘ただひろとついだ。具定ぐじょうの5なん岩倉いわくらあらわ子息しそく岩倉いわくらけんパシフィックホテル社長しゃちょうけんあねしょうさくら葉子ようこ本名ほんみょう岩倉いわくら 具子ともこ)は女優じょゆうで、俳優はいゆう上原うえはらけん結婚けっこん。その長男ちょうなん具定ぐじょうまご)は歌手かしゅ俳優はいゆう加山かやま雄三ゆうぞう加山かやま次男じなん俳優はいゆう加山かやまとおる玄孫げんそんけんむすめ岩倉いわくら瑞江みずえ婦人ふじんふくブランド「スポーティフ」を経営けいえいしている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 貴族きぞくいん参議院さんぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』7ぺーじ
  2. ^ WEB歴史れきし街道かいどう「致遠かん弘道こうどうかん岩倉いわくら具視ともみ息子むすこたくした佐賀さが藩校はんこう
  3. ^ 髙橋 秀悦しゅうえつ幕末ばくまつ明治めいじ初期しょきのアメリカ留学りゅうがく経済けいざいがく : 「海舟かいしゅう日記にっき」にる「わすれられたもと日銀にちぎん總裁そうさい富田とみた鐵之助てつのすけ(2)」『東北学院大学とうほくがくいんだいがく経済けいざいがく論集ろんしゅうだい183かん、2014ねん12月、1-39ぺーじNAID 40020329074 
  4. ^ 千田せんだみのる華族かぞく総覧そうらん講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ、2009ねん7がつ、240ぺーじISBN 978-4-06-288001-5 
  5. ^ 官報かんぽうだい1351ごう叙任じょにん及辞れい」1887ねん明治めいじ20ねん)12月28にち
  6. ^ 官報かんぽうだい1611ごう叙任じょにん及辞れい」1888ねん11がつ10日とおか
  7. ^ 官報かんぽうだい2707ごう叙任じょにん及辞れい」1892ねん7がつ7にち
  8. ^ 官報かんぽうだい3893ごう叙任じょにん及辞れい」1896ねん明治めいじ29ねん)6がつ22にち
  9. ^ 官報かんぽうだい5089ごう叙任じょにん及辞れい」1900ねん明治めいじ33ねん)6がつ21にち
  10. ^ a b 官報かんぽうだい8030ごう叙任じょにん及辞れい」 1910ねん明治めいじ43ねん)4がつ2にち
  11. ^ 参事さんじ院議いんぎかん西園寺さいおんじ公望きんもちがいはちめい叙勲じょくん」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.A15110025800 
  12. ^ 官報かんぽうだい308ごう、1884ねん明治めいじ17ねん)7がつ9にち
  13. ^ 官報かんぽうだい1430ごう彙報いほう」1888ねん明治めいじ21ねん)4がつ10日とおか
  14. ^ 官報かんぽうだい1928ごう叙任じょにん及辞れい」1889ねん明治めいじ22ねん)11月30にち
  15. ^ 官報かんぽうだい3000ごう叙任じょにん及辞れい」1893ねん明治めいじ26ねん)6がつ30にち
  16. ^ 官報かんぽうだい4198ごう叙任じょにん及辞れい」1897ねん明治めいじ30ねん)7がつ1にち
  17. ^ 官報かんぽうだい6450ごう叙任じょにん及辞れい」1904ねん明治めいじ37ねん)12月28にち
  18. ^ 官報かんぽうだい7578ごう付録ふろく辞令じれい」1908ねん明治めいじ39ねん)9がつ28にち
  19. ^ 官報かんぽうだい7771ごう叙任じょにん及辞れい」1909ねん明治めいじ42ねん)5がつ24にち
  20. ^ 官報かんぽうだい1284ごう1887ねん明治めいじ20ねん)10がつ7にち
  21. ^ 官報かんぽうだい6433ごう叙任じょにん及辞れい」1904ねん明治めいじ37ねん)12月8にち
  22. ^ 官報かんぽうだい7333ごう叙任じょにん及辞れい」1907ねん明治めいじ40ねん)12月6にち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 貴族きぞくいん参議院さんぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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公職こうしょく
先代せんだい
徳大寺とくだいじ実則さねつね
爵位しゃくいきょく長官ちょうかん
日本の旗 爵位しゃくいあたま
1908ねん - 1909ねん
爵位しゃくい局長きょくちょう
1889ねん - 1908ねん
爵位しゃくいきょく長官ちょうかん
1888ねん - 1889ねん
次代じだい
久我くがとおるひさ
先代せんだい
新設しんせつ
日本の旗 大膳だいぜん大夫たいふ
1886ねん - 1888ねん
次代じだい
児玉こだまあい二郎じろう
日本にっぽん爵位しゃくい
先代せんだい
叙爵じょしゃく
公爵こうしゃく
岩倉いわくら初代しょだい
1884ねん - 1910ねん
次代じだい
岩倉いわくらちょう
当主とうしゅ
先代せんだい
岩倉いわくらつな
岩倉いわくら
だい16だい
次代じだい
岩倉いわくらちょう