みごろ!たべごろ!笑 いごろ!
みごろ!たべごろ! ↓ みごろ!ゴロゴロ! | |
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ジャンル |
バラエティ |
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キャンディーズ ばってん ほか | |
プロデューサー |
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NET→ | |
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みごろ!たべごろ! | |
オープニング | 「みごろ!たべごろ! |
1976 | |
54 | |
72 | |
みごろ!ゴロゴロ! | |
オープニング | |
1978 | |
54 |
『みごろ!たべごろ!
ここでは、1978
概要
[1978
出演 者
[加山 雄三 伊東 四朗 小松 政夫 - キャンディーズ
秋野 暢子 - ばってん
荒川 東 八郎 西田 敏行 武田 鉄矢 (海 援隊)千葉 和臣 (海 援隊)中 牟田 俊男 (海 援隊)木 の実 ナナ- ザ・ハンダース
荒井注 - ピーター
長内 美那子 石井 愃一三木 まうす(のちの佐渡 稔 )長谷川 憬(のちの長谷川 初範 、「めざめれば秋 」に出演 [2])- いそがしバンド(のちのビジーフォー)
- ムキムキマン(
対 馬 誠二 ) - フィーバー(
渡井 なおみ、岡広 いづみ、北川 まゆみ。本番 組 中 で行 われた「二 代目 キャンディーズ」のオーディションにて、1978年 6月 の最終 選考 で選 ばれた三 人 [3]) 石川 ひとみ(みごろ!ゴロゴロ!大 放送 !!の紙芝居 コーナーに出演 )- ほか
登場 キャラクター
[主 なコーナー
[悪 ガキ一家 の鬼 かあちゃん伊東 四朗 が母親 、小松 政夫 とキャンディーズが息子 (ラン・スー)「役名 はラン助 とスー吉 」と娘 (ミキ)「役名 はミキ子 」役 の設定 であるコント。小松 は、母親 やキャンディーズ扮 する兄弟 達 からいじめられるが、母親 と二 人 きりになると「実 はお前 が一番 可愛 い」と慰 められ、そこから2人 のやり取 りが始 まる。しかし、キャンディーズ達 が戻 ると途端 に態度 が一変 し、小松 を再度 しゃもじで頭 を叩 いたうえに、「この大 バカ!」とどなる。締 めは全員 が去 って暗転 した中 、小松 にピンスポットが当 たり、「酷 うございますぅー」と泣 き崩 れて終 わる。- キャンディーズ
解散 が公表 された後 は、ミキ、スー、ランの順 にオチとなるネタを出 し、ランだけがこけて場 を白 けさせ、その空気 に耐 えかねたランが柱 に寄 りかかって泣 き出 すと、ミキとスー「ラーン、私 たちには時間 が無 いのよ!」と駆 け寄 って励 まし、「さぁ、笑 って」と元気 づけるとランが「うん」と顔 を上 げて笑顔 でうなずくといったミニコントを行 うことが定番 となった。この際 に蘭 が述 べた「私 、のー(どう)したらいいの。」という件 が当時 流行 語 になった。 - キャンディーズ
解散 後 は後継 者 として6人 の候補者 から3人 が選 ばれ、「フィーバー」とグループ名 が付 けられた。 - しらけ
鳥 音頭 上記 「悪 ガキ一家 の鬼 かあちゃん」コーナー内 で母親 (伊東 四朗 )と政太郎 (小松 政夫 )が会話 中 に場 が白 けると政太郎 が突然 右手 にしらけ鳥 のパペットを持 って「しらけ鳥 音頭 」を歌 いだす。後 に小松 の歌 にのせてしらけ鳥 の着 ぐるみが踊 ったり、挙句 の果 てには巨大 化 したしらけ鳥 が街 を破壊 しながら踊 る「怪 鳥 !しらけ鳥 」という特撮 コーナーまで出来 た。
- デンセンマンだよ!
電線 音頭 - まず
前 振 りとしてキャンディーズが、その師匠 役 の設定 である東 八郎 に礼儀 作法 や日本 舞踊 を教 わるコーナーがあり、そこへ伊東 四朗 扮 するベンジャミン伊東 (初回 はジャック伊東 と自 ら名乗 る)と電線 軍団 が乱入 して電線 音頭 を踊 るコーナーに早変 わりする。司会 者 の小松 政夫 がベンジャミン伊東 を紹介 すると伊東 が「人 の迷惑 かえりみず、やって来 ました電線 軍団 !」と口上 を述 べる。そしてお立 ち台 としてセットされた炬燵 の上 で1人 ずつ踊 っていく。数 人 が踊 った後 にデンセンマンが稲光 とともに華々 しく登場 し、電線 音頭 を踊 って何処 ともなく去 ってしまう。 後 にこのコーナーは出張 版 (ロケ構成 )や、デンセンマンが悪玉 と戦 うもの、ベンジャミン伊東 が途中 夢想 状態 に陥 り、その中 で現 れたジルディと「恋 のフーガ」(ザ・ピーナッツ)のメロディーに合 わせダンスを踊 るものなど、デンセンマンシリーズ数 編 が制作 された。- キャンディーズ
主演 ドラマ第 1作 「美 しき伝説 」→第 2作 「目覚 めれば秋 」 - キャンディーズ
主演 の連続 スポ根 ドラマ(短編 )。第 1作 目 「美 しき伝説 」はバレーボールを、第 2作 目 「めざめれば秋 」は柔道 を題材 としている。ともに昭和 9年 会 のメンバーである森岡 賢一郎 と森山 周一郎 が、それぞれ劇 伴 音楽 、ナレーションを担当 。主題歌 は第 1作 は「卒業 」、第 2作 は「悲 しきためいき」(歌 はともにキャンディーズ)。超 がつくシリアスドラマで、特 に第 1作 は余命 いくばくもない選手 の物語 である。 童謡 大 全集 - タキシードを
着 たキャンディーズが童謡 を歌 うコーナー。ミキとスーは真面目 に歌 うがランだけ異様 に絶叫 して歌 い、二人 から冷 たい視線 を浴 びる。冠 タイトルが付 けられており、キャンディーズ主演 の時期 には「キャンディーズ・童謡 大 全集 」と、フィーバー主演 の時期 には「トン・チン・カン・童謡 大 全集 」となる。 暢子 ・四朗 のピンピンピン- フジテレビ『ママとあそぼう!ピンポンパン』のパロディコント。
秋野 暢子 がお姉 さん、伊東 四朗 がお兄 さん役 で出演 した。コーナーオープニングは「集 まりましたまんねん、集 まりましたまんねん、集 まりましたまーんねん!」と3回 唱 える。本家 のオープニングテーマソングの一節 「集 まりましたー、集 まりましたー、集 まりまーしたーよっ!」をアレンジしたコールになっている。これは、酒井 ゆきえがお姉 さん時代 のオープニングテーマであった。タイトルは『ピンポンパン』の立派 なパロディだが、内容 的 に見 れば、同 番組 の大人 向 けトークに仕上 がっている。出演 者 も秋野 暢子 と伊東 四朗 のみで、本家 のような大 人数 の出演 者 は起用 しなかった。セットも本家 とそっくりであり、同 番組 からの一部 流用 もある。「ピンピンピン体操 」も存在 したが「げんこつ山 のたぬきさん」のラストを「ピン、ピン、ピン」と歌 うだけだった。後 にお姉 さん役 が秋野 暢子 から二木 てるみに交代 し「ピンピンピン体操 」の歌 も何故 か森 進一 が持 ち込 んだ設定 での「ヒッテさんとハッテさん」に変更 された。オリジナルな歌詞 と曲調 だったが、最後 のピンピンピンだけ一緒 だった。なおデンセンマンが人気 になってくると、当 コーナーで「山寺 の和尚 さん」をアレンジした替 え歌 「ピッカリピンピン」も披露 されている。 若 大将 コーナー加山 雄三 の歌 とテレビエッセイ。加山 雄三 所有 の光進 丸 船上 で収録 されたロケ構成 。若 大将 とハゲ大将 加山 雄三 と荒井注 が船上 で釣 りをしながら掛 け合 いのトークをする内容 。若 大将 とカバ大将 上記 の加山 によるコーナーには笑 いの要素 がいっさい無 いため、テコ入 れの意味 も兼 ねて内容 を一新 。コメディリリーフに、西田 敏行 が敵役 「カバ大将 」として登場 。加山 と何 かと張 り合 った。のちに加山 ・西田 共通 の敵役 として武田 鉄矢 が「イモ大将 」として登場 。三 つ巴 の音楽 バラエティとなった。加山 の主演 映画 「若 大将 シリーズ」を使 ったもの。三文 オペラ上記 の加山 によるコーナーを一新 させ、加山 は降板 。西田 と武田 が主役 となり、マドンナ役 に木 の実 ナナが登場 。脇 を、武田 と同 じ海 援隊メンバーである千葉 と中牟田 、それに大阪 から応援 出演 のセントバーナード犬 のぬいぐるみ「伝次郎 」(中 の人 は関西 テレビ『さんまのまんま』の「まんまちゃん」と同 じ)が固 めた。エンディングは木 の実 のヒット曲 「うぬぼれワルツ」で、ゲタ投 げによるデタラメな天気 予報 がテロップに乗 った。- パンダ
奥様 愛 の劇場 - フジテレビ『ライオン
奥様 劇場 』およびTBS『花王 愛 の劇場 』をパロディ化 したドラマ。『みごろ!ゴロゴロ!大 放送 !!』移行 後 に放送 された。実際 に昼 メロでヒロインを務 めたことのある女優 (例 として稲垣 美穂子 、長内 美那子 など)が主演 し、相手 役 は毎回 伊東 四朗 が務 めた。コーナー冒頭 では、ジャイアントパンダの映像 に「パンダ、パンダ、パ・ン・ダー♪」という男声 コーラスが合 わさる、本来 の意味 を成 さないオープニングキャッチが流 れていた(これはライオン油脂 ・ライオン歯磨 =当時 =のそれのパロディである)。延々 とあらすじがなぞられ、肝心 の本編 は極 めて短時間 であり、アクセントを高 めて「つづく!!」と言 ってオチをつける。オープニングとあらすじだけで「つづく!!」になった時期 もある。 - 12
時 のあなた 同局 『アフタヌーンショー』、フジテレビ『3時 のあなた』といった、いわゆる「昼 のワイドショー」のパロディコント。『みごろ!ゴロゴロ!大 放送 !!』移行 後 に放送 された。武田 鉄矢 と小林 一枝 (当時 テレビ朝日 アナウンサー)が司会 役 となり、事件 レポートや、話題 の人 のインタビュー、さらには生 CM(「透明 食品 」の「透明 焼 きそば」、「北極 製氷 」の「ホット氷 」、「日本 千 倍 公社 」の「すいがら」など)をコント仕立 てに行 った。話題 の人物 インタビューは長内 美那子 が、長島 茂雄 や江川 卓 などの著名 人 を模 した衣装 で登場 して、それらの人物 になりきってインタビューに応 じる形式 であった。[4]。- また、テーマ
曲 を流 しているときにワイドショーに付 きものの生放送 ならではのハプニングとして、テーマ音楽 が突然 おかしくなったと思 いきや、テープが変 になっていた(もちろん、コントであるため、面白 おかしくするために、意図 的 にやっていた)、最後 に武田 が「それでは、チャオ」と言 ってしめる。 - 3
児 のわたし 一般 視 聴者 参加 のミニコーナー。『みごろ!ゴロゴロ!大 放送 !!』移行 後 に放送 された。内容 は街頭 インタビュー風 のつくりで、母親 がタイトルコーナー名 の鼻歌 (この曲 はリズムは『3時 のあなた』のテーマ曲 に酷似 していたがメロディは別 )を歌 った後 、出演 している3人 の子 どもの名前 を順 にカメラに紹介 して4人 で手 を振 る、というものであった。コーナータイトルは、『3時 のあなた』に、「3人 の児童 =3児 、抱 える母親 =わたし」を掛 けあわせた。水戸 拷問 - いそがしバンド(のちのビジーフォー)による、TBS『
水戸黄門 』をパロディ化 したショートコント。『みごろ!ゴロゴロ!大 放送 !!』移行 後 に放送 された。冒頭 で「再 放送 劇場 水戸黄門 」・「徳川 葵 」のテロップが表示 された後 、助 さん(スリム冬樹 (のちのモト冬樹 ))・格 さん(高田 裕三 (のちのグッチ裕三 ))が道中 で悪 代官 (島田 与作 )に絡 まれて、黄門 様 (ウガンダ・トラ)に助 けを求 めるというもの。ところが黄門 様 は、助 けるどころか一発 ギャグやリアクションを披露 しては場 の空気 を悪 くするため、他 の3人 に袋叩 きや水 をかけられたりして「水戸 黄門 拷問 つづく -いそがしバンド-」というテロップ表示 でオチを付 ける。
その他
[この
デンセンマンのスーツアクターとして、
2005
スタッフ
[作 ・構成 :田村 隆 、松原 敏春 音楽 :森岡 賢一郎 、渡辺 茂樹 振付 :西条 満 技術 :柳原 成 - カメラ:
近藤 弘志 音声 :長谷川 茂 照明 :五十嵐 和昭 - VTR:
田中 秀明 - カラー
調整 :柳田 正憲 - VTR
編集 :一 戸 鮎美 音響 効果 :佐藤 僖純美術 制作 :佐藤 隆男 - セットデザイン:
梢 健児 - ディレクター:
上村 達也 制作 担当 :中村 延 義 演出 :小杉 潤 - プロデューサー:
前原 雅勝 (渡辺 プロ)、皇 達也 (NET→テレビ朝日 ) 制作 協力 :東通 、日活 スタジオ企画 制作 :渡辺 プロダクション
ネット局
[日本 教育 テレビ(NETテレビ)→テレビ朝日 :月曜 20:00 - 20:54北海道テレビ放送 :月曜 20:00 - 20:54[5]青森放送 :土曜 15:00 - 15:55[6]秋田放送 :火曜 16:00 - 17:00山形 テレビ:土曜 12:00 - 12:55[7]東日本放送 :月曜 20:00 - 20:55[8]福島中央 テレビ:土曜 16:00 - 16:55(1977年 7月 - 9月 )[9]→日曜 16:00 - 16:55(1978年 4月 - 9月 )→日曜 15:45 - 16:40(1978年 10月 - 1979年 4月 )[10] [注釈 1]新潟総合 テレビ:水曜 15:55 - 16:50[11]長野放送 :土曜 12:00 - 12:55(1977年 1月 時点 )[12] →日曜 12:00 - 12:55(1977年 9月 時点 、1978年 時点 )[13][14]山梨放送 :土曜 16:25 - 17:20[15]テレビ静岡 :土曜 13:00 - 14:00(1978年 6月 まで)静岡 けんみんテレビ:土曜 14:30 - 15:30
石川 テレビ:日曜 9:30 - 10:30[16]福井 テレビ:土曜 14:30 - 15:25[17]名古屋 テレビ:月曜 20:00 - 20:54[18]朝日放送 :月曜 20:00 - 20:54[19]山陰 中央 テレビ:日曜 12:30 - 13:30[20]山口放送 :土曜 13:30 - 14:30岡山放送 :月曜 20:00 - 20:54[21]広島 ホームテレビ:月曜 20:00 - 20:54[21]瀬戸内海放送 :月曜 20:00 - 20:54[21]- テレビ
愛媛 :日曜 12:00 - 12:55[22] 九州朝日放送 :月曜 20:00 - 20:54[23]テレビ熊本 :火曜 (月曜 深夜 )0:30 - 1:25(1976年 12月時点 )[24] →日曜 16:00 - 16:55(1977年 から)[23]テレビ宮崎 :水曜 16:00 - 16:55[25](1976年 12月8日 放送 開始 [26])鹿児島 テレビ:日曜 10:00 - 10:55[25]琉球放送 :土曜 16:00 - 16:55[27]
脚注
[注釈
[- ^ 1977
年 9月 に一時 終了 。1978年 4月 から放送 再開 。
出典
[- ^ TVワースト7
放映 の中止 を要求 日本 PTA全国 協議 会 『朝日新聞 』1978年 (昭和 53年 )8月 9日 朝刊 、13版 、22面 - ^ 『
福島 民 友 』1977年 5月 12日 付 朝刊 、9面 。 - ^
週刊 テレビ番組 (東京 ポスト)1978年 7月 14日 号 p.32「北川 まゆみプロフィール」、1978年 7月 21日 号 p.32「岡広 いづみプロフィール」、1978年 8月 4日 号 p.32「渡井 なおみプロフィール」 - ^ 『
日刊 スポーツ』1978年 10月 23日 付 テレビ欄 、番組 紹介 より。 - ^ 『
北海道新聞 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
東奥 日報 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
日刊 スポーツ』1978年 2月 4日 - 3月25日 付 、テレビ欄 。 - ^ 『
河北 新報 』1976年 10月 11日 - 1979年 3月 26日 付 朝刊 、テレビ欄 。 - ^ 『
福島 民 報 』1977年 7月 2日 - 9月23日 付 朝刊 、テレビ欄 。 - ^ 『
福島 民 報 』1978年 4月 16日 - 1979年 4月 1日 付 朝刊 、テレビ欄 。 - ^ 『
日刊 スポーツ』1978年 2月 1日 - 3月22日 付 、テレビ欄 。 - ^ 『
日刊 スポーツ』1977年 1月 8日 - 1月 31日 付 、テレビ欄 。 - ^ 『
信濃毎日新聞 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
日刊 スポーツ』1978年 2月 5日 - 3月26日 付 、テレビ欄 。 - ^ 『
山梨 日 日 新聞 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
北日本 新聞 』1978年 11月5日 付 朝刊 、テレビ欄 。 - ^ 『
北國 新聞 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
中日新聞 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
京都 新聞 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
山陰 中央 新報 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ a b c 『
山陽 新聞 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
愛媛 新聞 』1978年 3月 5日 付 朝刊 、テレビ欄 。 - ^ a b 『
熊本 日 日 新聞 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
熊本 日 日 新聞 』1976年 12月各日 朝刊 テレビ欄 - ^ a b 『
宮崎 日 日 新聞 』1977年 9月 各日 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
宮崎 日 日 新聞 』1976年 12月8日 付 朝刊 テレビ欄 - ^ 『
沖縄 タイムス』1978年 8月 26日 付 朝刊 、テレビ欄 。
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