坂本さかもと宿やど

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木曽きそ海道かいどうろくじゅうきゅう 坂本さかもとけいときえいいずみ

坂本さかもと宿やど(さかもとじゅく)は、中山道なかせんどうろくじゅうきゅうのうち江戸えどからかぞえて17番目ばんめ宿場しゅくば

国道こくどう18ごう坂本さかもと宿やど」として道路どうろさい整備せいびがなされ、土木どぼく学会がっかいデザインしょう2017奨励しょうれいしょう受賞じゅしょう[1][2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

佐藤さとう本陣ほんじん

現在げんざい群馬ぐんまけん安中あんなか松井田まついだまち坂本さかもと。JR信越本線しんえつほんせん横川よこがわえきから国道こくどう18ごうせん旧道きゅうどう)を軽井沢かるいざわ方向ほうこうに2 kmほどったところにあり、その途中とちゅう碓氷うすいせきがある。中山道なかせんどう有数ゆうすう難所なんしょであった碓氷峠うすいとうげひがし入口いりくちにあたり、本陣ほんじん脇本わきもとじんわせて4けん旅籠はたご最盛さいせいには40けんある、比較的ひかくてきおおきな宿場しゅくばであった。

中山道なかせんどうざか本宿ほんしゅく碓氷峠うすいとうげ西にしくだった軽井沢かるいざわから浅間山あさまやま軽井沢かるいざわ宿やどしょくうりなどで繁盛はんじょうしていたが、天明てんめい3ねん(1783)の浅間山あさまやま爆発ばくはつだい打撃だげきけた。また、明治めいじはい碓氷うすい新道しんどう開通かいつうするとともに、同村どうそん衰退すいたいしていく。 — 長崎大学ながさきだいがく附属ふぞく図書館としょかん、「中山道なかせんどう軽井沢かるいざわからの浅間あさまさん」『幕末ばくまつ明治めいじ日本にっぽん写真しゃしんコレクション』にる。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

天保てんぽう14ねん1843ねん)の『中山道なかせんどう宿やどむら大概たいがいちょう』によれば、坂本さかもと宿やど宿やどない家数やかずは732けん、うち本陣ほんじん2けん脇本わきもとじん2けん旅籠はたご40けん宿やどない人口じんこうは732にんであった。

最寄もよえき[編集へんしゅう]

となり宿やど[編集へんしゅう]

中山道なかせんどう
松井田まついだ宿やど - (碓氷うすい関所せきしょ) - 坂本さかもと宿やど - (碓氷峠うすいとうげ) - 軽井沢かるいざわ宿やど

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

写真しゃしん[編集へんしゅう]

  • 日下部くさかべきむ兵衛ひょうえ中山道なかせんどう軽井沢かるいざわからの浅間あさまさん」、長崎大学ながさきだいがく附属ふぞく図書館としょかん幕末ばくまつ明治めいじ日本にっぽん写真しゃしん』コレクション、2008ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 国道こくどう18ごう坂本さかもと宿やど道路どうろさい整備せいび一覧いちらん”. 土木どぼく学会がっかいデザインしょう. 2020ねん7がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ 安中あんなかざか本宿ほんしゅく景観けいかん整備せいび”. 小野寺おのでらやすし都市とし設計せっけい事務所じむしょ. 2020ねん7がつ25にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]