上松あげまつ宿やど

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木曽きそ海道かいどうろくじゅうきゅう  うえ歌川うたがわ広重ひろしげ

上松あげまつ宿やど(あげまつじゅく)は、中山道なかせんどう38番目ばんめ宿場しゅくば(→中山道なかせんどうろくじゅうきゅう)で、現在げんざい長野ながのけん木曽きそぐん上松うえまつまち

十王じゅうおうきょうから上町うえまち本町ほんまち仲町なかまち下町したまちふる町並まちなみがのこるのは上町うえまち

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

天保てんぽう14ねん1843ねん)の『中山道なかせんどう宿やどむら大概たいがいちょう』によれば、上松あげまつ宿やど宿やどない家数やかずは362けん、うち本陣ほんじん1けん脇本わきもとじん1けん旅籠はたご35けん宿やどない人口じんこうは2,482にんであった。

木曽きそヒノキの集積しゅうせきとしてさかえた[1]

最寄もよえき[編集へんしゅう]

史跡しせき・みどころ[編集へんしゅう]

  • 十王じゅうおうきょう宿場しゅくばきた入口いりくち
  • 本町ほんまち一里塚いちりづかあときょうへ65さと江戸えどより72さと

須原すはら宿やどまでの史跡しせき・みどころ

くに名勝めいしょう木曽川きそがわ花崗岩かこうがん岩盤がんばん浸食しんしょくしてできた。浦島うらしま太郎たろう伝説でんせつのこる。
創業そうぎょう300ねん国道こくどう19ごう沿いでは、そば営業えいぎょう。「寿命じゅみょうそば」が名物めいぶつ
小野おの瀑布ばくふ葛飾かつしか北斎ほくさい
さん代目だいめ歌川うたがわ豊国ほうこく木曽きそろくじゅうきゅうえき 上松うえまつ小野おのたきよりゆきふう
  • 荻原おぎわら一里塚いちりづかきょうへ64江戸えどより73さと
  • 倉本くらもと一里塚いちりづかきょうへ63江戸えどより74さと
歌川うたがわ国芳くによし木曽きそ街道かいどうろくじゅうきゅうこれない 上松うえまつ

となり宿やど[編集へんしゅう]

中山道なかせんどう
福島ふくしま宿やど - 上松あげまつ宿やど - 須原すはら宿やど

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 歴史れきし町並まちなみを探訪たんぼうする 長野ながのけん街道かいどう中山道なかせんどう”. 長野ながのけん大阪おおさか観光かんこう情報じょうほうセンター. 2021ねん11月11にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]