八幡宿はちまんしゅく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
木曽きそ海道かいどうろくじゅうきゅう 八幡はちまん歌川うたがわ広重ひろしげ

八幡宿はちまんしゅく(やわたしゅく)は、中山道なかせんどうろくじゅうきゅうのうち江戸えどからかぞえてじゅうよん番目ばんめ宿場しゅくばである。

現在げんざい長野ながのけん佐久さく八幡やはた千曲川ちくまがわ西岸せいがんにあたり、対岸たいがん塩名田しおなだ宿やどとの距離きょりは1さともないが、川止かわどめになったときの待機たいきとして、また千曲川ちくまがわ沿いのべい集散しゅうさんとして江戸えど時代じだい初期しょき慶長けいちょう年間ねんかん整備せいびされた宿場しゅくばである。

八幡宿はちまんしゅく本陣ほんじんあと

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

天保てんぽう14ねん1843ねん)の『中山道なかせんどう宿やどむら大概たいがいちょう』によれば、八幡宿はちまんしゅく宿やどない家数やかずは719けん、うち本陣ほんじん1けん脇本わきもとじん4けん旅籠はたご3けん宿やどない人口じんこうは719にんであった。

最寄もよえき[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

となり宿やど[編集へんしゅう]

中山道なかせんどう
塩名田しおなだ宿やど - 八幡宿はちまんしゅく - 望月もちづき宿やど

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]