松井田まついだ宿やど

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木曽きそ海道かいどうろくじゅうきゅう 松井田まついだ歌川うたがわ広重ひろしげ

松井田まついだ宿やど(まついだじゅく)は、中山道なかせんどうろくじゅうきゅうのうち江戸えどからかぞえて16番目ばんめ宿場しゅくば

現在げんざい群馬ぐんまけん安中あんなか松井田まついだまちにあたる。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

五料ごりょう茶屋ちゃや本陣ほんじん

天保てんぽう14ねん1843ねん)の『中山道なかせんどう宿やどむら大概たいがいちょう』によれば、松井田まついだ宿やど宿やどない家数やかずは252けん、うち本陣ほんじん2けん脇本わきもとじん2けん旅籠はたご14けん宿やどない人口じんこうは1,009にんであった。

作家さっか浅田あさだ次郎じろうは、中山道なかせんどう舞台ぶたいとする時代じだい小説しょうせつ一路いちろ』において、「うえしゅう松井田まついだはとりたてておおきな宿場しゅくばではないが、人別にんべついちせんあまりさんえるゆたかなまちである。いつのころからか信州しんしゅうしょはん年貢ねんぐまいがこの宿場しゅくば集積しゅうせきされるようになり、一部いちぶ売却ばいきゃくされたので、べい相場そうばつようになった。その利鞘りざやによって、ちいさな宿場しゅくばゆたかにうるおったのである」とかたっている[1]

最寄もよえき[編集へんしゅう]

史跡しせき・みどころ[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 小林こばやし二三雄ふみお松井田まついだ八幡宮はちまんぐう祭禮さいれい つけ 松井田まついだ宿やどよもやまばなし前橋まえばし・みやま文庫ぶんこ 平成へいせい27ねん10がつ21にち(みやま文庫ぶんこ218)、123-160ぺーじには、松井田まついだ宿やどにまつわる興味深きょうみぶかはなし数多かずおおしるされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 浅田あさだ次郎じろう一路いちろした)』中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ 2015ねん中公ちゅうこう文庫ぶんこ あ-59-5)(ISBN 978-4-12-206101-9)145ぺーじ。- なお、松井田まついだ宿やどべい相場そうばつようになった事情じじょうについて、つづ文章ぶんしょう著者ちょしゃは、「そもそも領分りょうぶんから江戸えどかう年貢ねんぐまいは、江戸詰えどづ家臣かしん扶持ふちのぞいて換金かんきんされる。ならば江戸えどまではこばずに、道中どうちゅう売却ばいきゃくできれば都合つごうがよい。そこで中山道なかせんどうではこの松井田まついだと、すこさき倉賀野くらがの宿やどべい出現しゅつげんしたのであった。」と説明せつめいをしている。

となり宿やど[編集へんしゅう]

中山道なかせんどう
安中あんなか宿やど - 松井田まついだ宿やど - 坂本さかもと宿やど

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]