御嶽みたけ宿やど

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歌川うたがわ広重ひろしげ木曽きそ海道かいどうろくじゅうきゅう御嶽おんたけ
御嶽みたけ宿やど本陣ほんじんあと
中山道なかせんどうみたけかん

御嶽みたけ宿やど(みたけじゅく)は、中山道なかせんどう49番目ばんめ宿場しゅくば(→中山道なかせんどうろくじゅうきゅう)。美濃みのこく可児かにぐん御嵩みたけむら[1]げん岐阜ぎふけん可児かにぐん御嵩みたけまち)に存在そんざいした。

願興寺がんごうじ門前もんぜまちとして発達はったつした。中山道なかせんどう制定せいてい当初とうしょからの宿場しゅくば

御嵩みたけ宿やど制札せいさつ御嵩みたけ宿やど問屋とんや千木ちぎばかりは、御嵩みたけまち指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざいとなっている[2]

概略がいりゃく[編集へんしゅう]

最寄もよえき[編集へんしゅう]

史跡しせき・みどころ[編集へんしゅう]

伏見ふしみ宿やどまでの史跡しせき・みどころ
  • おにくびづか
    • 鎌倉かまくら時代ときよ初期しょき鬼岩おにいわ岩窟がんくついき乱暴らんぼう狼藉ろうぜききわめた「おに太郎たろう」を、この地頭じとう交告げんわれもりやすし家臣かしん4めいが、かに薬師くすしによって退治たいじした。しかし、くびきょうはこ途中とちゅうきゅう首桶くびおけおもくなってはこべなくなり、やむなくこのめたという。
  • 顔戸ごうと城址じょうし
  • 比衣ひえ一里塚いちりづかあと

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

となり宿やど[編集へんしゅう]

中山道なかせんどう
ほそ久手くて宿やど - 御嶽みたけ宿やど - 伏見ふしみ宿やど

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 御嵩みたけまち」による
  2. ^ 御嵩みたけまち文化財ぶんかざい” (PDF). 御嵩みたけまち. 2013ねん5がつ19にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい3525ふん47.6びょう 東経とうけい13707ふん49.5びょう / 北緯ほくい35.429889 東経とうけい137.130417 / 35.429889; 137.130417