鳴瀬川なるせがわ橋梁きょうりょう

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鳴瀬川なるせがわ橋梁きょうりょう
基本きほん情報じょうほう
くに 日本の旗 日本にっぽん
所在地しょざいち 宮城みやぎけん東松島ひがしまつしま
交差こうさ物件ぶっけん 鳴瀬川なるせがわ
座標ざひょう 北緯ほくい3823ふん22.5びょう 東経とうけい1419ふん53.3びょう / 北緯ほくい38.389583 東経とうけい141.164806 / 38.389583; 141.164806座標ざひょう: 北緯ほくい3823ふん22.5びょう 東経とうけい1419ふん53.3びょう / 北緯ほくい38.389583 東経とうけい141.164806 / 38.389583; 141.164806
構造こうぞうしょもと
形式けいしき フィンバックきょう
材料ざいりょう プレストレスト鉄筋てっきんコンクリート
全長ぜんちょう 489 m
最大さいだいささえあいだちょう 85 m
地図ちず
鳴瀬川橋梁の位置(宮城県内)
鳴瀬川橋梁
関連かんれん項目こうもく
はし一覧いちらん - 各国かっこくはし - はし形式けいしき
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鳴瀬川なるせがわ橋梁きょうりょう(なるせがわきょうりょう)は、宮城みやぎけん東松島ひがしまつしま野蒜のびる下山げざんぼう牛網うしあみ下西しもさいむす鉄道てつどうきょう東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん仙石線せんせきせん野蒜のびるえき陸前小野りくぜんおのえきあいだにあり、一級いっきゅう河川かせん 吉田川よしだがわ鳴瀬川なるせがわまた[1]単線たんせん電化でんか橋梁きょうりょうである。2000ねん平成へいせい12ねん)6がつ完成かんせい[2]プレストレスト鉄筋てっきんコンクリート構造こうぞうけたフィンバックきょうというめずらしい構造こうぞうをしている。

鳴瀬川なるせがわ橋梁きょうりょうではこの方式ほうしき鉄道てつどうきょうとしては世界せかいはじめて採用さいようした[1]。 なお、フィンバックが橋梁きょうりょう断面だんめん両側りょうがわについているため、その部分ぶぶん防風ぼうふうようしがらみ代用だいようとなる。鳴瀬川なるせがわ橋梁きょうりょうは、フィンバックがひく箇所かしょにも別途べっと防風ぼうふうしがらみけ、強風きょうふうによる鉄道てつどうみだれを大幅おおはば減少げんしょうさせた。

1999ねん平成へいせい11年度ねんど土木どぼく学会がっかい田中たなかしょう日本にっぽんコンクリート工学こうがく協会きょうかい作品さくひんしょう2001ねん平成へいせい13年度ねんど土木どぼく学会がっかいデザインしょう優秀ゆうしゅうしょう受賞じゅしょうしている。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

仙石線せんせきせんは、1944ねん昭和しょうわ19ねん戦争せんそう遂行すいこうのための戦時せんじ買収ばいしゅう私鉄してつ指定していにより買収ばいしゅうされた宮城みやぎ電気でんき鉄道てつどう敷設ふせつした路線ろせんである。現地げんち西側にしがわ吉田川よしだがわ東側ひがしがわ鳴瀬川なるせがわ平行へいこうしてながれ、その川幅かわはばわせてやく430 m(メートル)あった。宮城みやぎ電鉄でんてつ1928ねん昭和しょうわ3ねん)、ここに3みちあいだ吉田川よしだがわ橋梁きょうりょう、22みちあいだ鳴瀬川なるせがわ橋梁きょうりょう建設けんせつした。どちらもデックガーダー形式けいしきといい、はがねけたうえ列車れっしゃとおるものである。

ときながれ、建設省けんせつしょうげん国土こくど交通省こうつうしょう)による河川かせん改修かいしゅう事業じぎょうにより、吉田川よしだがわおよ鳴瀬川なるせがわ堤防ていぼうひとし着実ちゃくじつ整備せいびされたが、この橋梁きょうりょう周辺しゅうへん着手ちゃくしゅ状態じょうたいつづいた。そのため、河川かせんはば狭隘きょうあいとなっており、洪水こうずい危険きけんせいたかまる地点ちてんとなっていた。そこで河川かせん改修かいしゅう事業じぎょう一環いっかんとして吉田川よしだがわ鳴瀬川なるせがわ橋梁きょうりょうえが決定けっていし、やく200 m下流かりゅうしん橋梁きょうりょう建設けんせつしてルートを変更へんこうすることになった。

また、橋梁きょうりょう付近ふきん強風きょうふうきやすい地点ちてんであり、デックガーダー形式けいしききさらしの構造こうぞうのため、鉄道てつどう運休うんきゅう遅延ちえんもたびたび発生はっせいした。そのため、しん橋梁きょうりょうには、強風きょうふう対策たいさくもとめられた。

しょもと[編集へんしゅう]

東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいによる影響えいきょう[編集へんしゅう]

2011ねん平成へいせい23ねん3月11にち発生はっせいした東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいでは、コンクリート構造こうぞうぶつ直接ちょくせつ被害ひがいかったが、ささえうけたまわ一部いちぶ石巻いしのまきりに変形へんけいした[1]2015ねん平成へいせい27ねん5月30にち仙石線せんせきせん全線ぜんせん復旧ふっきゅうには、陸前大塚りくぜんおおつかえきからとう橋梁きょうりょうまでの区間くかん移設いせつとなった[3]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e だい9しょう 橋梁きょうりょう被害ひがい調査ちょうさ - 委員いいんかいサイト - 土木どぼく学会がっかい (PDF) 34・35ページ
  2. ^ しん鉄道てつどうきょう使用しよう開始かいし”. 交通こうつう新聞しんぶん (交通こうつう新聞しんぶんしゃ): p. 3. (2000ねん6がつ27にち) 
  3. ^ “JR仙石線せんせきせん、15ねん全線ぜんせん復旧ふっきゅう震災しんさい教訓きょうくん踏切ふみきりゼロに”. 河北かわきた新報しんぽう. (2013ねん2がつ14にち). オリジナルの2013ねん2がつ27にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2013-0227-1715-40/www.kahoku.co.jp/news/2013/02/20130214t15004.htm 2013ねん2がつ15にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]