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嘉瀬川かせがわ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
嘉瀬川かせがわ
嘉瀬川 2006年3月撮影
長崎本線ながさきほんせん橋梁きょうりょうより下流かりゅうかた
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 嘉瀬川かせがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 57 km
平均へいきん流量りゅうりょう 9.74 m³/s
川上かわかみ観測かんそくしょ 2000ねん平成へいせい12ねん))
流域りゅういき面積めんせき 368 km²
水源すいげん 金山かなやま佐賀さがけん
水源すいげん標高ひょうこう 912 m
河口かこう合流ごうりゅうさき 有明海ありあけかい佐賀さがけん
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん 佐賀さがけん

地図

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嘉瀬川かせがわ(かせがわ)は、佐賀さがけんちゅう東部とうぶながれる嘉瀬川かせがわ水系すいけい本流ほんりゅうで、一級いっきゅう河川かせんである。

毎年まいとし11がつ河川敷かせんしき佐賀さがインターナショナルバルーンフェスタおこなわれることで有名ゆうめいである。また上流じょうりゅうには北山きたやまダム嘉瀬川かせがわダム川上かわかみかいがあり、周辺しゅうへん観光かんこうになっている。

概要がいよう

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脊振山地せふりさんち佐賀さがけん神埼かんざき脊振せふりまち服巻はらまき付近ふきん脊振山せふりさん西方せいほう源流げんりゅう佐賀さが平野へいやはいるまでは川上川かわかみがわともしょうされる。上流じょうりゅうには北山きたやまダムがある。平野ひらのはいってからは一部いちぶ天井川てんじょうがわとなり、佐賀さが西端せいたんをなしつつ有明海ありあけかい北端ほくたんそそぐ。

嘉瀬川かせがわ流域りゅういき面積めんせき内訳うちわけは、みずあつめる山地さんちみず利用りようする平野へいややく半分はんぶんずつであり、山地さんち割合わりあいひくい。この傾向けいこう筑紫平野つくしへいや河川かせんおおくにみられ、ふるくから広大こうだい穀倉こくそう地帯ちたいである筑紫平野つくしへいや佐賀さが平野へいや)のみず利用りよう難点なんてんとなっていた。江戸えど時代じだいに「治水ちすい神様かみさま」とばれた成富なりとみ兵庫ひょうごしげるやすおこなった水利すいり嘉瀬川かせがわだけではろく角川かどかわ筑後川ちくごがわふくめて平野ひらの全域ぜんいきみず配分はいぶんした。また1960ねん昭和しょうわ35ねん)に大和やまとまちげん佐賀さが大和やまとまち)にもうけられた川上かわかみ頭首とうしゅこう幹線かんせん水路すいろによりさらに改良かいりょうされ、現在げんざいつながる。

山地さんち支流しりゅうには神水かんずいがわ(しおいがわ)、てんかわかわ(あまごがわ)、名尾なおがわがある。平野ひらの支流しりゅうには小城おぎながれる祇園ぎおんがわがあるほか、成富なりとみ兵庫ひょうごしげやす洪水こうずい防止ぼうしのため整備せいびした石井いしいとい(いしいび)[1]多布施たふせがわ分流ぶんりゅう佐賀さが市街しがいながれる。

語源ごげん

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ふるくは「嘉川かがわ」とばれた。『肥前ひぜんこく風土記ふどき』によれば、このかわ上流じょうりゅうすさぶるかみがおり、通行人つうこうにん半分はんぶんころした。当時とうじ土地とち支配しはいしゃけんぬしだい荒田あらたが、まだ朝廷ちょうてい服従ふくじゅうしてなかった土蜘蛛つちぐもの「大山田おおやまだおんな」と「せま山田やまだおんな」の二人ふたり女性じょせいうらなわせた。そこでにんは、下田しもだうまひとつくり、こうぶるかみまつったらしずまった。そこでにん女性じょせいあがめられ感謝かんしゃされて「賢女けんじょ」(さかしめ)とばれ、「佐賀さが」の地名ちめい由来ゆらいとなったとわれる[2]。また、「さか」がおおいので「さか」が「さが」となり「よしみ」となったというせつとなえる歴史れきし学者がくしゃなどもいる。

寛永かんえい年間ねんかん成富なりとみ兵庫ひょうごしげやす石井いしいとい造成ぞうせいにより、石井いしいといより上流じょうりゅう川上川かわかみがわ下流かりゅう嘉瀬川かせがわとよび、はじめて嘉川かがわ嘉瀬川かせがわとなり現在げんざいりゅう定着ていちゃくしたとわれている[2]。「川上川かわかみがわ」の名前なまえ扇状地せんじょうちいただき位置いちする、『肥前ひぜんこく風土記ふどき』に記載きさいされる川上かわかみ石神いしがみひめ海神わたつみ」をまつあずかとめ女神めがみしゃ河上かわかみ神社じんじゃ名前なまえ関連かんれんがあるとおもわれる[3][4]。「嘉瀬川かせがわ」は過去かこ下流かりゅう左岸さがんにあった佐賀さがぐん嘉瀬かせきょうげん佐賀さが嘉瀬かせまちなど)のさとめい関連かんれんがあるとおもわれる[5]

流域りゅういき詳細しょうさい

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上流じょうりゅうゆうふちめすふち渓流けいりゅう
あゆ発電はつでんしょ
川上かわかみかい
中流ちゅうりゅう嘉瀬川かせがわ河川敷かせんしきのゴルフじょう
川上かわかみ頭首とうしゅこう
嘉瀬川かせがわ堤防ていぼう競技きょうぎ飛行ひこうちゅうねつ気球ききゅう
バルーンフェスタのイベント会場かいじょうとなる河川敷かせんしき
嘉瀬川かせがわ大堰おおせぎ
しも流域りゅういきでは浮泥が堆積たいせきし、川岸かわぎし干潟ひがたとヨシばらひろがる。国道こくどう444ごう嘉瀬かせ大橋おおはし下流かりゅう

源流げんりゅうから平野ひらのながかん人橋ひとばし(かんじんばし)までを上流じょうりゅうかん人橋ひとばしから嘉瀬川かせがわ大堰おおせぎまでを中流ちゅうりゅうかんしおいきである嘉瀬かせがわ大堰おおせぎから河口かこうまでを下流かりゅうとして解説かいせつする。

上流じょうりゅう山地さんち

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山地さんちには、脊振せふり北山きたやま県立けんりつ自然しぜん公園こうえん川上かわかみ金立きんりゅう県立けんりつ自然しぜん公園こうえん天山あまやま県立けんりつ自然しぜん公園こうえんの3つの県立けんりつ自然しぜん公園こうえんがある。とくに、北山きたやまダムの周辺しゅうへん古湯ふるゆ温泉おんせんからくまかわ温泉おんせんにかけての渓流けいりゅう地域ちいき川上かわかみかいの3地区ちく開発かいはつ許可きょかようする特別とくべつ地域ちいき指定していされ、自然しぜん保護ほご重点じゅうてん地域ちいきとなっている。山地さんち川床かわどこ勾配こうばいは50ぶんの1から100ぶんの1とけわしく、まただい部分ぶぶん中生代ちゅうせいだい風化ふうか花崗岩かこうがんおおわれており浸食しんしょくはげしい。かわどうがりくねったところがおおく、川辺かわべ砂利じゃりおお河原かわらふち奇岩きがんなどとなっている。

北山きたやまダムは1956ねん竣工しゅんこうしたそう貯水ちょすいりょう2,225まんm3大型おおがたダムで、湖畔こはんには樹木じゅもくしげちいさなたきおおい。キャンプじょう国民こくみん宿舎しゅくしゃがあるほか、ハイキング、サイクリング、とうおこなわれるアウトドアスポットであり、佐賀さがからも福岡ふくおかからもくるまで30ふん程度ていどちかいことから、佐賀さがけんでは「21世紀せいき県民けんみんもり」として整備せいびおこなっている。

嘉瀬川かせがわダムは2012ねん竣工しゅんこうしたそう貯水ちょすいりょう7,100まんm3佐賀さがけん最大さいだいのダムで、あらたな観光かんこうスポットとしての開発かいはつはじまっている。

嘉瀬川かせがわダムの下流かりゅうには渓流けいりゅうのそばに古湯ふるゆ温泉おんせん、またさらに下流かりゅうにはくまかわ温泉おんせんがあり、ふるくからの温泉おんせんとしてられている。富士ふじまちながれる川上かわかみがわとその景観けいかんは、みずさとひゃくせんえらばれている。

佐賀さが平野へいやなが手前てまえ地域ちいき川上かわかみかいばれ、「九州きゅうしゅう嵐山あらしやま」にもたとえられる景観けいかんすぐれた峡谷きょうこく太古たいこより観光かんこうとなっていた歴史れきしがある。かん人橋ひとばし付近ふきんでは毎年まいとし4がつから5がつにかけてこいのぼりながしがおこなわれる。また、8がつには花火はなび大会たいかい灯篭流とうろうながおこなわれる。

上流じょうりゅうにはアユヤマメタカハヤカジカガエルカワガラスヤマセミなどの渓流けいりゅう生物せいぶつ生息せいそくしている。

中流ちゅうりゅう平野ひらの

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中流ちゅうりゅう地質ちしつ堆積たいせき土砂どしゃからなるおき積層せきそうであり、平野ひらのてからしばらくの区間くかん周囲しゅういよりも川床かわどこほう標高ひょうこうたか天井川てんじょうがわとなっている。そのためふるくは洪水こうずい頻繁ひんぱんこっており、洪水こうずいさい成富なりとみ兵庫ひょうごしげやすもうけた日本にっぽん最古さいこ取水しゅすい施設しせつとされる石井いしいといぞうはな天狗てんぐはななどのあらかご(あらこ)でみずながれをゆるやかにし土砂どしゃしずませきれいなみずだけを多布施たふせがわれ、尼寺あまでらりん水害すいがい防備ぼうびりん)によって土砂どしゃるいとされながら徐々じょじょあふれてゆく仕組しくみとなっている。これによって洪水こうずい被害ひがいおさまり、田畑たはた必要ひつよう水量すいりょう確保かくほでき、農作物のうさくもつ収穫しゅうかく安定あんていした。周辺しゅうへん田畑たはた洪水こうずいでもれることなくむしろ客土かくどえてゆたかになることから、村人むらびとは「洪水こうずいよろこんだ」とされるほどであった。

ちゅう流域りゅういきゆうすい機能きのう期待きたいしたひろ高水たかみずじきなどがきずかれた。モウソウチクメダケヤナギからなる河畔かはんりん豊富ほうふで、動植物どうしょくぶつ生息せいそくいきにもなっている。また、ゴルフじょうがあるほか、佐賀さが市街しがいちか河畔かはんとして市民しみんいこいのとなっている。

長崎本線ながさきほんせんはしから国道こくどう207ごう嘉瀬かせきょうまでのやく8kmの区間くかん河川敷かせんしきでは、毎年まいとし11がつねつ気球ききゅう競技きょうぎ飛行ひこう大会たいかい併設へいせつイベントからなる佐賀さがインターナショナルバルーンフェスタ開催かいさいされ、100まんにんちか人出ひとでにぎわう。

バルーン会場かいじょうとなる嘉瀬川かせがわ荻野おぎの地区ちく海岸かいがんだったころ千本松せんぼんまつばれ、有明海ありあけかい潮風しおかぜによる塩害えんがい防止ぼうしのためまつえられ松林まつばやし川上かわかみまでつらなっていた。のちに、成富なりとみ兵庫ひょうごしげやす指示しじ松林まつばやし伐採ばっさいされ、わりに竹林ちくりん堤防ていぼう造成ぞうせいされた。いまは、堤防ていぼう竹林ちくりん嘉瀬川かせがわ改修かいしゅう工事こうじのため消滅しょうめつした。現在げんざい竹林ちくりん川上かわかみ方面ほうめんのこるのみ。

下流かりゅう平野ひらの

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下流かりゅう地質ちしつ有明海ありあけかい特徴とくちょうてき粘土ねんどしつおき積層せきそう有明ありあけ粘土ねんどそう)であり、かんしおいきであるこの区間くかんでは満潮まんちょう同時どうじどろかえせ、かわどうにはガタばれるどろ堆積たいせきしている。河畔かはん広大こうだいヨシはらとなっており、干潟ひがたあわせて動植物どうしょくぶつ生息せいそくいきとなっている。

佐賀さが久保田くぼたまち嘉瀬川かせがわ左岸さがんには、嘉瀬川かせがわかわどう改修かいしゅうあわせて整備せいびされた佐賀さが県立けんりつ森林公園しんりんこうえんがあり、なかには佐賀さがけん最大さいだい野球やきゅうじょうである佐賀さが県立けんりつ森林公園しんりんこうえん野球やきゅうじょう(みどりのもり県営けんえい球場きゅうじょう)がある。

下流かりゅうでは、8がつ精霊流しょうりょうなが花火はなび大会たいかいおこなわれる。また、嘉瀬かせ鑑真がんじん上陸じょうりくしたという伝承でんしょうにちなむ「鑑真がんじん和上わじょう遣唐使けんとうしふねレース」がなつ開催かいさいされる。

支流しりゅう分流ぶんりゅう

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祇園ぎおんがわ

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小城おぎ小城おぎまち城下町じょうかまちながれる祇園ぎおんがわまち景観けいかん形作かたちづく要素ようそとなっており、小城おぎは「みずまち」ともばれる。なお、祇園ぎおんがわ支流しりゅうである清水しみずがわ名水めいすいひゃくせんえらばれており、清水しみずたき観光かんこう名所めいしょとなっている。

ながれ変遷へんせん

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いま嘉瀬川かせがわ平野へいやではやや西にしりのみなみ方向ほうこうながれをとるが、ふるくはひがしりで次第しだい西にしうつってきたとかんがえられる。古代こだい律令制りつりょうせいころいま巨勢川こせがわから佐賀さがのあたりをながれていたと推定すいていされる。鎌倉かまくら時代じだいころいま多布施たふせがわから八田江はったえ推定すいていされ、これは八田江はったえちかだいおうてら北条ほうじょうよりゆき廻国かいこく伝説でんせつつたわっていることや八田江はったえひがしにある米納津よのうづかわふくそうしゅみなとであったことから示唆しさされる。いで戦国せんごく時代じだいころ多布施たふせがわから本庄江ほんじょうえ推定すいていされ、付近ふきんにはしょうせい居館きょかん与賀よかじょうやその鬼門きもん鎮守ちんじゅとして保護ほごされた与賀よか神社じんじゃがあり、また小津おつ佐賀さが本庄ほんじょうまち)のにぎわっていたと記録きろくされている(『水江みずえごとりゃく』)。近世きんせい初期しょきには佐賀さが城下町じょうかまち建設けんせつともなって、成富なりとみ兵庫ひょうごにより石井いしいとい分水ぶんすいせき建設けんせつ多布施たふせがわ整備せいび嘉瀬川かせがわ西にしへのえがおこなわれ、現在げんざいりゅうとなった。りゅう西にしうつってきたのは、この地域ちいき最大さいだい河川かせんである筑後川ちくごがわ堆積たいせき作用さようひがしくほどおおきかったからとかんがえられる[6]

流域りゅういき

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流域りゅういき自治体じちたい佐賀さがけん神埼かんざき佐賀さが小城おぎの3流域りゅういき面積めんせきは368km2で、山地さんちが46%、宅地たくちが16%、水田すいでんが38%。流域りゅういき人口じんこうやく13まんにん

支流しりゅう

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  • 高瀬川たかせがわ - 佐賀さが三瀬さんぜむら
  • 山中さんちゅうがわ - 佐賀さが三瀬さんぜむら佐賀さが富士ふじまち
  • 古場こばがわ - 佐賀さが富士ふじまち
  • 神水かんずいがわ(しおいがわ) - 佐賀さが富士ふじまち
    • 上無津呂かみむつろがわ
      • 川頭かわがしらがわ
    • 麻那古まなごがわ
    • 浦川うらかわ
    • 大串おおくしがわ
    • 栗並くりなみがわ
  • 貝野かいのがわ - 佐賀さが富士ふじまち
  • てん河川かせん(あまごがわ) - 佐賀さが富士ふじまち
  • 小副川おそえがわがわ - 佐賀さが富士ふじまち
  • 名尾なおがわ - 神埼かんざき脊振せふり佐賀さが大和やまとまち
    • 田中たなかかわ
    • 柚ノ木ゆのきがわ
  • 山留やまどめがわ - 佐賀さが富士ふじまち
  • 川上かわかみ頭首とうしゅこう
    • 佐賀さが導水どうすい 西にし佐賀さが導水どうすい
    • こう幹線かんせん水路すいろ多布施たふせ幹線かんせん水路すいろ
    • 西にし芦刈あしかり水路すいろ
  • 西平にしだいらがわ - 小城おぎ三日月みかづきまち
  • 祇園ぎおんがわ - 小城おぎ小城おぎまち小城おぎ三日月みかづきまち

分流ぶんりゅう

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  • 多布施たふせがわ - 佐賀さが
  • 八田江はったえ - 多布施たふせがわからつぎりゅう佐賀さが
  • 本庄江ほんじょうえ - 佐賀さが

生息せいそくするおも生物せいぶつ

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  • 環境省かんきょうしょうレッドデータブック掲載けいさいされている生物せいぶつのうち、植物しょくぶつ9しゅ鳥類ちょうるい15しゅ両生類りょうせいるい1しゅ哺乳類ほにゅうるい1しゅ陸上りくじょう昆虫こんちゅう1しゅ魚類ぎょるい7しゅそこせい生物せいぶつ6しゅ生息せいそく確認かくにんされている。おもたね以下いかとおり。また、流域りゅういきだい部分ぶぶんが「カササギ生息せいそく」としてくに天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされている。

交通こうつう

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カモのれと有明海ありあけかい沿岸えんがん道路どうろ有明ありあけ嘉瀬川かせがわ大橋おおはし

横断おうだんする交通こうつう

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道路どうろ

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鉄道てつどう

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並行へいこうする交通こうつう

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道路どうろ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 田中たなか稿こう 2001
  2. ^ a b 嘉瀬川かせがわ水路すいろ変遷へんせん | さがの歴史れきし文化ぶんかたからちょう”. www.saga-otakara.jp. 2019ねん9がつ8にち閲覧えつらん
  3. ^ 嘉瀬川かせがわ | さがの歴史れきし文化ぶんかたからちょう”. www.saga-otakara.jp. 2019ねん9がつ8にち閲覧えつらん
  4. ^ 河上かわかみ神社じんじゃ | さがの歴史れきし文化ぶんかたからちょう”. www.saga-otakara.jp. 2019ねん9がつ8にち閲覧えつらん
  5. ^ さん 佐賀さがはん久保田くぼたりょう”. 佐賀さが. pp. 322-323. 2019ねん9がつ8にち閲覧えつらん
  6. ^ 佐賀さがけん』<うえ>、pp.35-37.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 国土こくど交通省こうつうしょう河川かせんきょく 河川かせん整備せいび基本きほん方針ほうしん 嘉瀬川かせがわ水系すいけい 嘉瀬川かせがわ水系すいけい流域りゅういきおよ河川かせん概要がいよう (PDF)
  • 田中たなか稿こう佐賀さがけん嘉瀬川かせがわ石井いしいとい調査ちょうさ近世きんせい初期しょき河川かせん取水しゅすい施設しせつ」『日本にっぽん歴史れきしだい636ごう吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2001ねん、100-107ぺーじNAID 40003069720 
  • 佐賀さがけんへんさん委員いいんかいへん)、『佐賀さがけん』<うえ>、佐賀さがけん史料しりょう刊行かんこうかい、1967ねん
  • 水利すいり科学かがく 藩政はんせい時代じだいにおけ る佐賀さが平野へいや治水ちすいについて(PDF)

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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