由布院 温泉
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38,600L( | |
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概説
[1925
泉 質
[単純 温泉 湧出 量 :毎 分 38,600L
温泉 街
[このような
共同 湯
[特徴
[由布岳 駅前 から温泉 街 への方向 の正面 には由布岳 が見 え、町 のランドマークとなっている。霧 山間 の盆地 特有 の朝霧 が、独特 の雰囲気 をかもし出 す。朝霧 は、冬季 で気温 が低 く、放射 冷却 の起 こりやすい晴天 の日 の朝 によく見 られる。盆地 のすぐ東 には標高 1160mの倉木山 があるため、盆地 に朝日 が届 いて霧 が晴 れるのは下 の写真 のように周辺 が明 るくなってからである。
-
左 の写真 から30分 経 って、盆地 に朝日 が差 し込 むと霧 が徐々 に晴 れてくる
歴史
[朝鮮 戦争 が終 わって由布院 には米 軍 基地 (現在 は自衛隊 )があり、朝鮮 戦争 の頃 は半島 帰 りの米兵 がたくさん居 り、また米兵 相手 の娼婦 もたくさん居 たという。それが戦争 が終 わり、あっという間 に姿 を消 した。- その
反面 、国民 的 観光 レジャーブームとなり、別府 、熱海 などの温泉 地 はお金 を数 える時間 もないほど大 繁盛 したという。 - ダム
反対 運動 - この
湯布院 町 誕生 の 3年 前 の 1952年 (昭和 27年 )に、大分 ・別府 方面 に電力 供給 するため、由布院 盆地 の单西側 を堰 き止 めてダム湖 にする計画 が持 ち上 がった。当時 旧 由布院 町 の上層 部 や町議会 ではダム建設 やむなしという状況 であったが、地元 で旅館 ゆふいん山水館 を経営 する小野 順吉 を筆頭 に病院 経営 する岩男 頴一ら青年 団 が中心 となってダム計画 反対 運動 が展開 され、翌年 その計画 を中止 に追 い込 むことができた。 湯布院 町 へ昭和 20年代 後半 、由布院 町 は深刻 な財政 危機 にあった。そこで当時 、多 くの湯治 客 で賑 わい、財政 の豊 かであった湯平 村 と、1955年 (昭和 30年 )に昭和 の大 合併 の一 つとして合併 し、湯布院 町 が誕生 した。その後 の湯布院 町長 選挙 でも小野 順吉 が後援 し岩男 が広 く支持 を集 め、1955年 (昭和 30年 )に初代 町長 に選 ばれた。このダム反対 運動 の後 に小野 順吉 案 の自衛隊 駐屯 地 誘致 運動 が展開 され、1956年 (昭和 31年 )に由布院 盆地 向 きの農地 を提供 して自衛隊 駐屯 地 の誘致 を実現 し、自衛隊 駐屯 地 や旧 湯布院 町 の北側 に広 がる陸上 自衛隊 の日出生台 演習 場 との共存 共栄 路線 が打 ち出 された。先 の反対 運動 のリーダーで青年 団長 であった医師 ・岩男 頴一が初代 町長 に当選 する。岩男 町長 は「産業 ・温泉 ・自然 の山野 の三 つの融合 」を掲 げ、健全 な保養 温泉 地 づくりへと邁進 した。戦後 の高度 成長 が始 まろうとして、「観光 開発 」により将来 の明 るい夢 がひらけると地方 の多 くの人 が信 じていたこの時期 、温泉 地 の歓楽街 化 に反対 し、由布院 の自然 や環境 を守 ろうと町 をあげて取 り組 んだのである。岩男 は20年 近 く町長 を務 めた。人材 を得 る岩男 と小野 順吉 が用意 した舞台 で育 った若者 が居 た。中谷 健太郎 と溝口 薫 平 である。中谷 は東宝 撮影 所 で映画 監督 となるべく研鑽 を積 んでいたが、昭和 37年 、父親 の急逝 により帰郷 、亀 の井別荘 を継 ぐ。当時 28歳 。また、溝口 は博物館 に勤 めていたことがあり、自然 に詳 しく、旅館 ・玉 の湯 の経営 に当 たっていた。こうした個性 豊 かなリーダーを得 たことが、由布院 の現在 の姿 を築 く上 で大 いなるプラスとなった。時期 も恵 まれていた。中谷 帰郷 の2年 後 の1964年 (昭和 39年 )には東京 オリンピックの開催 、新幹線 の開通 、長崎 までの九州 横断 道路 (国際 観光 道路 )ができた。- ゴルフ
場 計画 に反対 二 つ目 の反対 運動 は1970年 (昭和 45年 )に提示 された大手 の開発 業者 によるゴルフ場 建設 計画 への反対 運動 である。当時 、ゴルフ場 建設 が計画 されていたのは猪 の瀬戸 湿原 という、別府 から由布院 への入 り口 に当 たり、貫 重 な自然 の動植物 の宝庫 と言 われていた場所 である。当初 、ゴルフ場 建設 反対 運動 は自然 保護 運動 として始 められた。「由布院 の自然 を守 る会 」は 1971年 (昭和 46年 )3月 に発展 的 に解散 し「明日 の由布院 を考 える会 」へと改組 される。この改組 の理由 を、「明日 の由布院 を考 える会 」の主要 メンバーの一人 であった小野 順吉 は、「私 たちはいまや、大 きな社会 の流 れの中 にあって自 づから律 するに『守 る』姿勢 から『創 る』姿勢 へ、消極 的 な保護 策 から積極 的 な企画 へと体質 を変 えてゆくべきときだと思 い到 りました。」と述 べている。観光 まちづくりの志向 が明白 になろうとしていた。小野 は、「山水館 」の経営 者 で由布院 温泉 観光 協会 長 であり、旅館 「いよとみ」の富永 佐 喜義 、「亀 の井別荘 」の中谷 宇兵衛 、「玉 の湯 」国府 新一 たちと共 に、由布院 温泉 観光 を率 いていた重鎮 の一人 である。最終 的 には、県 ・町 を巻 き込 むことに成功 した。環境 を切 り開 いて施設 を作 り、拡張 していくのが普通 の観光 業者 が環境 を守 る運動 とは…と、マスコミにずいぶんと取 り上 げられたという。なお、猪 の瀬戸 は行政 区域 としては別府 市 に属 し、当時 、溝口 が環境庁 の自然 公園 指導 員 をしていた。1973年 (昭和 48年 )にはサファリパーク進出 計画 があり、これも阻止 。欧州 でつかんだもの重鎮 たちが創 る姿勢 で築 いた観光 路線 で作 られた、1971年 (昭和 46年 )6月 、「明日 の由布院 を考 える会 」の中心 メンバーだった志手 、溝口 、中谷 の三 人 の青年 は、欧州 へ50日間 に及 ぶ町 づくり視察 研修 旅行 に旅立 たせる。そして、西 ドイツ(当時 )の保養 温泉 地 構想 を学 んだ。先 に西 ドイツを視察 し、理想 の保養 温泉 地 を頭 に描 いていた岩男 町長 はじめ関係 者 の大 きな期待 がかかっていた。欧州 でつかんだもの、それはその後 の由布院 のありかたを決定 付 けた。地震 の危機 をばねに〜アイデアの勝利 - 1975
年 (昭和 50年 )4月 に試練 が訪 れた。 地震 が由布院 を急襲 、被害 は大 きく、由布院 内 のみならず九州 横断 道 をはじめとした主要 道路 も壊滅 的 な打撃 を受 けた。「由布院 は壊滅 した」とのうわさが駆 け巡 った。- ここで「
湯布院 (本来 は由布院 と表記 すべき[誰 ?])は健在 だ」と全国 にPRするため、観光 協会 では辻 馬車 の運行 を決 める。震災 の翌月 には対馬 に辻 馬車 の馬 を買 い付 けに行 き、7月 には運行 開始 。田園 風景 ともマッチし、辻 馬車 は大 評判 をとった。 手作 りイベントの時代 〜知識 人 ・文化 人 を引 き付 ける- さらに、「
手 づくり」を合 い言葉 に「ゆふいん音楽 祭 」同年 8月 開始 、「午 喰 い絶叫 大会 」10月 開始 、「湯布院 映画 祭 」翌年 8月 開始 と、イベントを立 ち上 げた。芸能人 、知識 人 等 都会 の人間 も巻 き込 みながら、「芸術 の町 」由布院 の存在 を全国 的 に知 らしめることに役立 った。今 では由布院 名物 として全国 に知 られている主 な催 しの多 くは、この時期 に始 まったものである。 - メディア・
外部 の力 の活用 由布院 の「まちづくり」運動 が実 を結 んだ要因 として、「まちづくり」の過程 そのものがメディアによく取 り上 げられたことも挙 げられる。観光 協会 ・旅館 組合 が合同 で作 っている湯布院 (本来 は由布院 と表記 すべき)観光 総合 事務所 の事務 局長 を公募 したときも、その伝説 的 な選抜 はマスコミで紹介 された。もちろん観光 地 情報 のみならず、「まちづくり活動 」そのものも映像 つきでよく紹介 されている。例 えば、NHKの『プロジェクトX』などがそれである。- 1981
年 (昭和 56年 )11月、由布院 温泉 観光 協会 に平松 大分 県知事 から「一村 一品 運動 奨励 賞 」が贈 られた。同年 、湯布院 町 は環境庁 の国民 保健 温泉 地 指定 。 - 「リゾート」「
開発 」に抗 して〜成長 管理 - 1987
年 (昭和 62年 )、総合 保養 地域 整備 法 (いわゆる「リゾート法 」)が公布 された。リゾート開発 の波 は由布院 にも押 し寄 せた。農村 景観 を残 しながら温泉 保養 地 としての決 して無理 をしない由布院 にとって、外部 資本 による用地 の物色 は地価 の高騰 を招 くやっかいな問題 であった。 - これに
対抗 し、湯布院 町 は1990年 (平成 2年 )9月 に「潤 いのあるまちづくり条例 」を制定 。「成長 の管理 」や「地域 ごとの展開 の重視 」が明記 されている。 成長 管理 を模索 する- しかしながら、
福岡 ・北九州 都市 圏 からを初 めとして九州 一 円 からの日帰 り客 も多 く、加 えて九州 を代表 する観光 地 の一 つとして観光 ツアーの立 ち寄 りも非常 に多 い。それを見込 んだ土産物 店 ・キャラクターグッズ店 をはじめとした地元 外 資本 も多数 入 り込 んでいる。2004年 に発生 した温泉 偽装 問題 では、源泉 利用 許可 を取 っていない旅館 および源泉 の無断 開発 を行 った旅館 があったと報 じられた。マイカーや観光 バスが押 し寄 せ、メインストリートの「湯 の坪 街道 」は賑 わい以上 のものがある。もはや、かつての田園 的 な由布院 の姿 はないとの厳 しい見方 もある。真 にやすらぐ温泉郷 とは何 か、模索 は続 いている。 熊本 地震 の余波 、そしてその後 - 2016
年 4月 16日 、熊本 地震 が発生 。それに伴 い、一部 で温泉 が出 なくなる、浴場 が被災 するなど被害 が発生 した。地震 への恐怖 などの風評 被害 もあり、旅館 ならびにホテルにキャンセルが殺到 [9]。大 きな打撃 を受 ける。環境庁 はこの状況 に対 し、助成 金 を創設 し「九州 ふっこう割 」による支援 を敢行 。これにより現在 は外国 人 観光 客 を中心 に、客足 が戻 りつつある。現在 では恒例 である湯布院 映画 祭 が行 われるまで復興 している。 - しかし、
支援 がなくなったときの客足 については現在 も大 きな課題 として残 っている。
湯布院 町 「湯布院 温泉 」から由布 市 「湯布院 温泉郷 」へ- 「
国民 保養 温泉 地 」による「湯布院 温泉 」は湯布院 町 の由布院 ・湯平 の各 温泉 で構成 されてきた。また、旧 湯布院 町 には、湯布院 温泉 とともに旧 別府 十 湯 を構成 していた塚原 温泉 があり、国内 有数 の酸性 泉 として、皮膚 病 に効 く「薬湯 」として有名 である[3]。 - また、2005
年 に湯布院 町 は庄内 町 ・挾間 町 とともに対等 合併 し、由布 市 となった。その庄内 町 や挾間 町 においても温泉 が湧出 し、それぞれ庄内 温泉 ・挾間 温泉 として知 られている[3]。庄内 温泉 は湯 あたりのよい単純 泉 や、飲用 の炭酸泉 である白水 鉱泉 、阿蘇野 地区 の飲 泉 文化 が知 られている[3]。挾間 温泉 は大分 市 の大 深度 地熱 温泉 や別府 市 の北浜 温泉 などと同 系統 の、別府 湾 ・大分平野 周辺 でみられるモール泉 であり、アルカリ性 で茶褐色 の泉 質 は美人 湯 として知 られている[3]。 - 2012
年 に「国民 保養 温泉 地 」の定義 が改 められ、単 に温泉 そのものの評価 だけでなく、自然 環境 、まちなみ、歴史 、風土 、文化 など将来 的 な地域 づくりにつながる観点 からも保養 地 として適正 かどうか求 めらるようになった[2]。そこで、2017年 に由布 市 は国民 保養 温泉 地 の見直 しをはじめ、塚原 温泉 ・庄内 温泉 ・挾間 温泉 を追加 して市内 の大 部分 を指定 地 とする国民 保養 温泉 地 「湯布院 温泉郷 」の計画 を環境省 に提出 。2019年 9月 に「湯布院 温泉郷 」として拡充 指定 (再 指定 )を受 けることとなった[2]。計画 等 では3地域 5つの温泉 が連携 し、温泉 地 間 の周遊 と宿泊 及 び滞在 を目指 す「滞在 型 ・循環 型 保養 温泉 地 」の実現 を目標 としている[2][3]。由布 市 では拡充 認定 を受 けて「観光 基盤 の整備 や情報 発信 、人材 育成 を進 め、質 の高 い保養 温泉 地 を目指 す」としている[3]。
アクセス
[鉄道 利用
[バス利用
[路線 バス
[高速 バス
[- サンライト
号 (長崎 -大分 )ノンストップ・各 停 。湯布院 インターで下車 。そこから約 100m先 の「道 の駅 ゆふいん」停留所 より路線 バス(ただし本数 はかなり少 ない)、またはタクシー、約 3km。
- ゆふいん
号 (福岡 -湯布院 ・別府 )全便 。 空港 リムジン(大分 空港 -湯布院 )全便 。以上 の便 は由布院 駅前 バスセンター(由布院 駅 より約 100mの位置 )で下車 、すぐ。
九州 横断 バスくじゅう号 (熊本 -別府 )全便 。以上 の便 は湯布院 (由布院 駅 より約 700mの位置 ・亀 の井 バス「湯布院 営業 所 」隣接 )で下車 、すぐ。
高速 道路 利用
[大分 自動車 道 湯布院 インターチェンジから、大分 県 道 216号 別府 湯布院 線 を経由 し約 3km。
脚注
[- ^ “
温泉 百科 温泉 データ”.別府 市 . 2019年 10月 10日 閲覧 。 - ^ a b c d “
湯布院 温泉郷 (由布院 温泉 、湯平 温泉 、塚原 温泉 、庄内 温泉 、挾間 温泉 )国民 保養 温泉 地 計画 の概要 ” (PDF).大分 県 由布 市 . 2019年 9月 7日 閲覧 。 - ^ a b c d e f g “
由布 市 一体 で「湯布院 温泉郷 」-「由布院 」「湯平 」「塚原 」「庄内 」「挾間 」国民 保養 温泉 地 に指定 ”.大分 合同 新聞 . (2019年 9月 7日 ) - ^ “
国民 保養 温泉 地 に湯布院 を拡大 指定 環境省 /大分 ”.毎日新聞 . (2019年 9月 12日 ) - ^ 「
大分 東 線 、湯 東 -北 由布 間 が開業 」『大阪毎日新聞 』1925年 7月 30日 万 国旗 (大正 ニュース事典 編纂 委員 会 『大正 ニュース事典 第 7巻 大正 14年 -大正 15年 』本編 p.475毎日 コミュニケーションズ刊 1994年 ) - ^ この
夏 行 きたい温泉 地 、1位 「湯布院 」・2位 「黒川 」・3位 「登別 」 - ライフスタイル - nikkei BPnet - ^ JAL
国内線 -九州 温泉 ランキング(JAL九州 キャンペーン2007) - ^
温泉 特集 九州 の人気 温泉 ランキング Best3 - goo冬 特集 2006-2007 - ^ “
大分 罹災 証明 の申請 急増 /別府 ・由布 観光 客 半減 行政 支援 を”. www.jcp.or.jp. 2018年 9月 16日 閲覧 。