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小瀬川おぜがわ

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出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
小瀬川おぜがわ
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 小瀬川おぜがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 59 km
流域りゅういき面積めんせき 340 km²
水源すいげん 飯山いいやま広島ひろしまけん廿日市はつかいち
河口かこう合流ごうりゅうさき 広島ひろしまわん広島ひろしまけん山口やまぐちけん
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん 広島ひろしまけん山口やまぐちけん

地図

地図
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小瀬川おぜがわ(おぜがわ)は、広島ひろしまけん山口やまぐちけん県境けんきょう付近ふきんながれる一級いっきゅう河川かせん本流ほんりゅう

多様たよう呼称こしょう

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小瀬川こせがわ 2007ねん12月2にち撮影さつえい

小瀬川おぜがわ古代こだいから安芸あきこく広島ひろしまけん)と周防すおうこく山口やまぐちけん)のさかいになっており、広島ひろしまけんがわでは「木野川きのかわ」、山口やまぐちけんがわでは「小瀬川おぜがわ」という呼称こしょうられていた。河口かこう大竹おおたけでは、「ひとつのかわふたつの名前なまえ存在そんざいしたれいは、全国ぜんこくでもめずらしい[1]」としている。

小瀬川こせがわ木野川きのかわ

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このかわきゅう安芸あきこく広島ひろしまけん)と周防すおうこく山口やまぐちけん)の国境こっきょうになっていて、河川かせんほううえ公称こうしょうは「小瀬川おぜがわ」であるが、広島ひろしまけんがわでは「木野川きのかわ」(このがわ[2])、山口やまぐちけんがわでは「小瀬川おぜがわ」(おぜがわ)とばれてきた[2]

山陽さんようどう西国さいごく街道かいどう)がこのかわわた地点ちてんでは、広島ひろしまがわ木野このむら大竹おおたけ木野この)と山口やまぐちがわ小瀬こせむら山口やまぐちけん岩国いわくに小瀬こせ)とのあいだげいぼうわたぶねつうじていた[2][3]。これを安芸あきこく広島ひろしまはんがわでは「木野川きのかわわた[4]」、周防すおうこく長州ちょうしゅうはん岩国いわくにはんがわでは「小瀬川こせがわわた[5]」とんでいた[6][1]

安政あんせい6ねん1859ねん)の安政あんせい大獄たいごく江戸えど護送ごそうされることになった吉田よしだ松陰しょういんは、そこでいちのこしている[5]

夢路ゆめじにも かへらぬせきえて いまをかぎりと わた小瀬川こせがわ — 吉田よしだ松陰しょういん[5]

1893ねん明治めいじ26ねん)『地学ちがく雑誌ざっしだい5かんだい3ごう東京とうきょう地学ちがく協会きょうかいかん)には、「小瀬川おぜがわは其上りゅう木野川きのかわう」とある[7]

1968ねん昭和しょうわ43ねん)、(げん河川かせんほう制定せいていともないちきゅう河川かせん指定していくに管理かんり)のさいに「小瀬川おぜがわ」にさだめられた。「大竹おおたけ歴史れきし研究けんきゅうかい」によれば、このときおそらく「かわ名称めいしょう河口かこうかって右岸うがん地名ちめいてるという、くに行政ぎょうせいじょう原則げんそく」にしたがって「小瀬川おぜがわ」の名称めいしょう採用さいようされたという。かつてくに木野きの地区ちくないに「いちきゅう河川かせん小瀬川こせがわ」の看板かんばん設置せっちこころみたが、木野きの地区ちく住民じゅうみんが「木野川きのかわなら土地とち提供ていきょうする」と拒否きょひしたとの逸話いつわがあるという[よう出典しゅってん]

1982ねん昭和しょうわ57ねん)に中国新聞社ちゅうごくしんぶんしゃ刊行かんこうした『広島ひろしまけんだい百科ひゃっか事典じてん』では、広島ひろしま県内けんないでも「小瀬川おぜがわ」の呼称こしょう定着ていちゃくし、「木野川きのかわ」「あまり使つかわれなくなった」としている[8]

国境こっきょうかわ

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後述こうじゅつのように、このかわ古代こだいから安芸あきこく周防すおうこく国境こっきょうとされており、天平てんぺい6ねん(734ねん)にも国境こっきょうさだめられたという記録きろくがある[9]。これは、当時とうじ洪水こうずいかわどう移動いどうしてしまったために、このときあらためて国境こっきょうさだなおしたのだろう、と推測すいそくされている[10][11]

慶長けいちょう5ねん(1600ねん)の関ヶ原せきがはらたたか結果けっか安芸あき周防すおうふく中国ちゅうごく地方ちほう支配しはいしていた毛利もうり所領しょりょう分割ぶんかつされ、かわ安芸あきこく広島ひろしまはん福島ふくしま)と周防すおうこく長州ちょうしゅうはん毛利もうり)のりょう地境じざかいとなり、「国分こくぶけのかわ」となった。かわはしばしば氾濫はんらんによってかわどうえ、慶長けいちょう16ねん(1611ねん以降いこうりょうはんあいだ境界きょうかいをめぐる紛争ふんそう頻発ひんぱつした[9][6]

文政ぶんせい2ねんから3ねんごろ(1819ねん-1820ねん)の調査ちょうさもと編纂へんさんされた「くにぐん志下しげ調ちょうぐんつじしょちょう」では[12]、「大川おおかわ」(おお-)や「境川さかいがわ」(おさかい-)との呼称こしょう記録きろくしている[9]

おおたき・おおたけ

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古代こだいには「大竹おおたけがわ」とばれていた[2]

のべれき16ねん(797ねん成立せいりつの『ぞく日本にっぽん』には、天平てんぺい6ねん734ねん)9がつ16にちじょうに、「大竹おおたけかわ」をもって安芸あきこく広島ひろしまけん西部せいぶ)と周防すおうこく山口やまぐちけん東部とうぶ)の国境こっきょうとした、とある[13][1][9]

九月くがつ中略ちゅうりゃくきのえいぬせい安藝あき周防すおうこく大竹おおたけかわオホタカヾハいちためセヨくにさかいいち也。 — 『ぞく日本にっぽんまき十一といち[14]

慶長けいちょう年間ねんかん(1596ねん-1615ねん)の『げんこく沿革えんかくこころざし』は、河口かこう川筋かわすじ現代げんだいとはことなって山裾やますそながれていたことを示唆しさしており、現代げんだい小瀬川こせがわによってへだてられている広島ひろしまけん大竹おおたけ山口やまぐちけん玖珂くがぐん和木わきまちが、かつては地続じつづきだったことがしるされている[13]広島ひろしまけんがわ大竹おおたけむらは、鎌倉かまくら時代じだい建治けんじ3ねん(1277)ねんの「佐伯さえき助広すけひろ処分しょぶんじょう」には「おうたき」としるされている[15]。「大滝おおたき」とかれることもあった[15]一方いっぽう山口やまぐちけんがわ和木わきは、天正てんしょう16ねん(1588ねん)の検地けんちちょうには「周防すおうだいたけ」「周防すおう大滝おおたき」としるされ[16]とおる年間ねんかん(1716ねん-1736ねん)の史料しりょうとおる増補ぞうほむら」にも「旧名きゅうめい大滝おおたきむら」とある[16]

室町むろまち時代ときよ初期しょきおうやす4ねん(1371ねん)、今川いまがわ貞世さだよ九州きゅうしゅう探題たんだいとして下向げこうする途上とじょう当地とうちとおった。貞世さだよ複数ふくすう紀行きこうぶんに、このかわ安芸あきこく周防すおうこく国境こっきょうかわとして言及げんきゅうされ、「大谷おおや」「おほたきかわ」などとしるしている[9]

大谷おおやとてきしたかき山河さんがながれゆ。これより周防すおうのさかひとさる[9]

— 今川いまがわ了俊りょうしゅんみちゆきぶり』

おほたきかわとて、安芸あき周防すおうのさかひのかわ[9]

— 今川いまがわ了俊りょうしゅん鹿しかえんいん殿どの厳島いつくしままいかんおう元年がんねん(1389ねん)3がつ11にちじょう

流域りゅういき

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地図
ながれ(0:源流げんりゅう、0-1:うえ流域りゅういき、1-2:ちゅう流域りゅういき、2-3:しも流域りゅういき

鬼ヶ城山おにがじょうざん標高ひょうこう1,031m)や羅漢山らかんざん(1,109m)などが連山れんざんする広島ひろしまけん廿日市はつかいち飯山いいやまみなもとはっし、広島ひろしま山口やまぐち県境けんきょうみなみりゅうする。弥栄やさかダムひがしりゅう転進てんしんし、広島ひろしまわん瀬戸内海せとないかい)にそそ[6]

流域りゅういき面積めんせき340km2みきかわりゅう延長えんちょう59km[6]本流ほんりゅう小瀬川こせがわいち支流しりゅう玖島くしまがわとが形成けいせいするYがたみきえだじょう支流しりゅうがつく流域りゅういき形態けいたいになる[17]以下いか本流ほんりゅうおよび主要しゅよう支流しりゅうにある市町村しちょうそん[18]上流じょうりゅうがわから列挙れっきょする。

河川かせんめい よみ 河川かせん
コード※
延長えんちょう 流域りゅういき面積めんせき 備考びこう 出典しゅってん 流域りゅういきない市町村しちょうそん
小瀬川こせがわ水系すいけい河川かせんコードは「87-0708」。主流しゅりゅうである小瀬川こせがわは「87-0708-0001」となる。ほんひょうでは「87-0708」は割愛かつあいした。
小瀬川おぜがわ おぜがわ 0001 59.000km 340.0km2 [19] 広島ひろしまけん廿日市はつかいち山口やまぐちけん岩国いわくに広島ひろしまけん大竹おおたけ山口やまぐちけん玖珂くがぐん和木わきまち
中道なかどうがわ [18] 廿日市はつかいち
七瀬ななせがわ ななせがわ 0025 6.500km 33.0km2 [20][19] 廿日市はつかいち
大虫おおむしがわ おおむしがわ 0026 6.300km 10.8km2 [21][19] 廿日市はつかいち
はやしがわ はやしがわ 0022 1.500km 12.0km2 [22][19] 廿日市はつかいち
ひゃくごう野川のがわ ゆりのがわ 0023 1.650km 準用じゅんよう河川かせん [23][19] 廿日市はつかいち
小原おはらがわ おはらがわ 0024 0.110km 6.2km2 [24][19] 廿日市はつかいち
市野川いちのかわ いちのがわ 0021 2.600km 9.7km2 [25][19] 廿日市はつかいち岩国いわくに
玖島くしまがわ くじまがわ 0018 24.700km 111.2km2 [26][19] 大竹おおたけ廿日市はつかいち
中山川なかやまがわ なかやまがわ 0019 2.500km 3.8km2 [27][19] 廿日市はつかいち
森川もりかわ うじもりがわ 0020 0.800km 6.2km2 [28][19] 廿日市はつかいち
前飯谷まえいいたにがわ まえいいだにがわ 0017 1.200km 5.5km2 [29][19] 大竹おおたけ
長谷川はせがわ ながたにがわ 0011 8.000km [30][19] 大竹おおたけ
日宛ひなたがわ ひなたがわ[19] 0016 0.720km [31][19] 岩国いわくに
佐坂さざかがわ さざかがわ[19]
ささかがわ[32]
0014 2.120km [32][19] 岩国いわくに
瀬戸ノ内せとのうちがわ せとのうちがわ 0015 0.645km [33][19] 岩国いわくに
岸根がんねがわ がんねがわ 0013 1.370km [34][19] 岩国いわくに
ひゃくごう谷川たにがわ ゆりたにがわ 0012 1.150km [35][19] 岩国いわくに
ささ谷川たにがわ ささがたにがわ 0010 2.050km [36][19] 岩国いわくに
谷川たにがわ たにがわ 0009 3.100km [37][19] 岩国いわくに
あらいがわ めあらいがわ 0008 準用じゅんよう河川かせん [19] 和木わきまち
関ヶ浜せきがはまがわ せきがはまがわ 0006 2.200km [38][19] 和木わきまち
萩原川はぎわらがわ はぎはらがわ 0007 1.150km 準用じゅんよう河川かせん [35][19] 和木わきまち
瀬田川せたがわ せたがわ 0002 3.340km [39][19] 和木わきまち
西にし谷川たにがわ にしたにがわ 0005 0.350km [40][19] 和木わきまち
坂根さかねがわ さかねがわ 0004 0.500km [41][19] 和木わきまち
こま迫川はざかわ こまがさこがわ 0003 0.450km [42][19] 和木わきまち


うえ流域りゅういき風景ふうけい
左岸さがん広島ひろしまけん廿日市はつかいち浅原あさはら右岸うがん山口やまぐちけん岩国いわくに美和みわまちかまばら真珠しんじゅ小瀬川こせがわダム)。
うえ流域りゅういき

源流げんりゅう鬼ヶ城山おにがじょうざん標高ひょうこう1031メートル)付近ふきん[43][43]めしやまダム(飯山貯水池いいやまちょすいち[2]

そこから南西なんせいながし、広島ひろしまけん廿日市はつかいち飯山いいのやま国道こくどう186ごう合流ごうりゅうするとみち沿ってみなみりゅう転進てんしんする。廿日市はつかいち飯山いいのやま右岸うがんがわから中道なかどうがわ合流ごうりゅう、そこから南東なんとうてんりゅうする。羅漢らかんかいなかすすみ、左岸さがん廿日市はつかいち栗栖くるす大虫おおむしがわ合流ごうりゅう合流ごうりゅうみなみうたてながし、廿日市はつかいち浅原あさはら西にしてんりゅうする。そこから左岸さがん廿日市はつかいち浅原あさはら布野ふのがわ合流ごうりゅう左岸さがん廿日市はつかいち浅原あさはら右岸うがん山口やまぐちけん岩国いわくに美和みわまちかわ県境けんきょうとなり、小瀬川こせがわダム真珠しんじゅ)にはいる。

源流げんりゅうから小瀬川こせがわダム、およびいち支流しりゅう玖島くしまがわ古称こしょうとうげがわ[9]」)渡ノ瀬わたのせダムより上流じょうりゅうがわにあたる[44]中国山地ちゅうごくさんち脊梁せきりょう高位こういめん)から佐伯さえき山地さんち中位ちゅういめん)にながくだ地点ちてん位置いちする[17]源流げんりゅう付近ふきん比較的ひかくてきゆるやかにながれるが、そこからきゅうとなりやまあい・渓谷けいこくなかながれていく[17][44][45]

ちゅう流域りゅういき風景ふうけい
左岸さがん広島ひろしまけん大竹おおたけ栗谷町大栗林くりたにちょうおおくりばやし右岸うがん山口やまぐちけん岩国いわくに美和みわまちかまばら弥栄やさかかい
左岸さがん広島ひろしまけん大竹おおたけ後飯谷うしろいいたに右岸うがん山口やまぐちけん岩国いわくに美和みわまち岸根がんね弥栄やさか弥栄やさかダム)。
ちゅう流域りゅういき

小瀬川こせがわダムから国道こくどう186ごう沿ってみなみりゅう左岸さがん広島ひろしまけん大竹おおたけ栗谷くりたにまちはいる。そのままみなみなが左岸さがん大竹おおたけ栗谷くりたにまち横尾よこお玖島くしまがわ合流ごうりゅう蛇喰じゃばみいわはいり、さらにみなみなが弥栄やさかかいはいる。みなみりゅう弥栄やさかダム(弥栄やさか)にはいる。弥栄やさかないひがしてんりゅうする。

小瀬川こせがわダムおよび渡ノ瀬わたのせダムから弥栄やさかダムまでにあたり[46]佐伯さえき山地さんちない中位ちゅういめん)に位置いちする[17]河床かしょう勾配こうばい部分ぶぶんてき上流じょうりゅうよりきゅうとなり[17]小瀬川こせがわ玖島くしまがわがほぼ平行へいこうながれ2つが合流ごうりゅうするとかわすい河床かしょうふか侵食しんしょくしたことで特異とくい景観けいかん形成けいせいされた[46]

しも流域りゅういき風景ふうけい
左岸さがん広島ひろしまけん大竹おおたけ木野この1丁目ちょうめ右岸うがん山口やまぐちけん岩国いわくに小瀬こせがえまえ両国橋りょうごくばし
左岸さがん広島ひろしまけん大竹おおたけ東栄とうえい2丁目ちょうめ右岸うがん山口やまぐちけん玖珂くがぐん和木わきまち和木わき6丁目ちょうめ
しも流域りゅういき

穿ほじにゅう蛇行だこうしながらひがしりゅう左岸さがん大竹おおたけ防鹿ぼうろく右岸うがん岩国いわくに小瀬こせ南西なんせいおおきくてんりゅうする。右岸うがんがわ山口やまぐちけん玖珂くがぐん和木わきまち関ヶ浜せきがはまはいるとひがしうたてながし、ひがしりゅうから河口かこうとなり広島ひろしまわんながむ。

弥栄やさかダムから下流かりゅうにあたる[47]中位ちゅういめんから河口かこう平野へいや低位ていいめん)にながくだ地点ちてん位置いちする[17]河床かしょう勾配こうばいゆるやかになるとともにおおきく蛇行だこうしていく[47]河川かせん形成けいせいした三角州さんかくすとしてはちいさく、江戸えど以降いこう干拓かんたく埋立うめたてにより河口かこうびた[17]

自然しぜん

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気候きこうみずぶん

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気候きこう区分くぶんとしては瀬戸内海せとないかいしき気候きこうにあたる。ただこの南側みなみがわ豊後水道ぶんごすいどうからのだん湿しめりゅうによる降雨こううと、北西ほくせいがわ日本海にほんかいからの季節風きせつふうによる降雪こうせつにより、中国ちゅうごく地方ちほうなかでも多雨たういきひとつにげられている[48]。これに梅雨つゆ台風たいふうによる降雨こううくわわる[48]年間ねんかん降水こうすいりょうは、うえ流域りゅういき廿日市はつかいち津田つだ気象きしょう観測かんそくしょ)でやく1,900mm、しも流域りゅういき大竹おおたけ気象きしょう観測かんそくしょ)でやく1,600mm[48]

水域すいいき類型るいけいは、河川かせん源流げんりゅうから下流かりゅうぜんふちきょうまでがAAがたぜんふちきょうから中市なかいちせきまでがAがた、そこから河口かこうまでがBがた指定していされており、河川かせんについては環境かんきょう基準きじゅん満足まんぞくしている[49]湖沼こしょうは、小瀬川こせがわダム貯水池ちょすいち全域ぜんいきA類型るいけい窒素ちっそリンⅡ類型るいけい弥栄やさかダム貯水池ちょすいち全域ぜんいきAA類型るいけい窒素ちっそリンⅡ類型るいけいてはめており、双方そうほうともCOD75%およぜん窒素ちっそちょんリンいずれもたかく、環境かんきょう基準きじゅん達成たっせいできない年度ねんどおお[49]

地形ちけい地質ちしつ

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地図
あお小瀬川こせがわ水系すいけいあかにしきがわ水系すいけいあおしるし大竹おおたけ断層だんそう位置いち以前いぜん佐坂さざかがわ(ささかがわ)をいまぎゃく方向ほうこう西にしなが錦川にしきがわ水系すいけい渋前しぶくまがわ(しぶくまがわ)に合流ごうりゅうしていた。
流域地形図
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流域りゅういき地形ちけい

地質ちしつ弥栄やさかかいでほぼ二分にぶんされ、北側きたがわ上流じょうりゅうがわ)が中生代ちゅうせいだいはく亜紀あき広島ひろしま花崗岩かこうがんるい南側みなみがわ下流かりゅうがわ)が古生代こせいだいから中生代ちゅうせいだいジュラ紀じゅらき粘板岩ねんばんがんおもとする玖珂くがそうぐん構成こうせいされている[50]流域りゅういきやく6わり花崗岩かこうがんになる[51]河口かこう平野へいやおき積層せきそう[50]

流域りゅういき地形ちけい冠山かんざん山地さんち中国山地ちゅうごくさんち脊梁せきりょう)の高位こういめん佐伯さえき山地さんち吉備高原きびこうげんめん)の中位ちゅういめん瀬戸内海せとないかい沿岸えんがん低位ていいめんの3だんからなる[17]。それぞれのめんからながくだ地点ちてん渓谷けいこく形成けいせいされ穿ほじにゅう蛇行だこうりゅうとなっている[17]。また地形ちけいてき特徴とくちょうとして、元々もともと小瀬こせ川上かわかみ中流ちゅうりゅう錦川にしきがわながれ、小瀬川こせがわ下流かりゅう河川かせん争奪そうだつしたことによって現在げんざいりゅう形成けいせいしたことがげられる。

下流部。穿入蛇行が発達、大竹断層に沿って南西側に流れる。河口部の沖積平野は小さい。川の名前の由来である岩国市小瀬地区は写真左端付近にあたる。
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下流かりゅう穿ほじにゅう蛇行だこう発達はったつ大竹おおたけ断層だんそう沿って南西なんせいがわながれる。河口かこう沖積ちゅうせき平野へいやちいさい。かわ名前なまえ由来ゆらいである岩国いわくに小瀬こせ地区ちく写真しゃしん左端ひだりはし付近ふきんにあたる。

かつて小瀬こせ川上かわかみ中流ちゅうりゅうげん弥栄やさかダム西側にしがわ支流しりゅう佐坂さざかがわ河谷こうだにとおって西にしながし、錦川にしきがわ水系すいけい渋前しぶくまがわ河谷こうだにはいどう水系すいけい小郷おごうがわ河谷こうだにからにしきがわ合流ごうりゅうするりゅうであった[52]。のち小瀬川こせがわ下流かりゅうがわから谷頭たにがしら侵食しんしょくげん弥栄やさかダム付近ふきんまで到達とうたつして小瀬こせ川上かわかみ中流ちゅうりゅう河川かせん争奪そうだつした[52]さら谷頭たにがしら侵食しんしょくすすみ、佐坂さざかがわながれがひがしりゅうとなり、現在げんざい小瀬川こせがわ流入りゅうにゅうするかたちとなった[52]争奪そうだつ面積めんせきやく300km2 [52]山口やまぐちけん岩国いわくに美和みわまち渋前しぶくまがその名残なごりとなるふうすきであり、谷中たになか分水ぶんすいかい存在そんざいする[52]

小瀬川こせがわ下流かりゅう右岸うがん岩国いわくに小瀬こせから右岸うがん和木わきまちにかけて、東進とうしんしていたながれがきゅうみなみ西進せいしんとなりしばらくすすんでふたた東進とうしんするが、この南西なんせいすすりゅう大竹おおたけ断層だんそう小方おがた小瀬こせ断層だんそう/岩国いわくに-五日市いつかいち断層だんそうたい)と一致いっちする[53]。なお、錦川にしきがわ本流ほんりゅうきゅう山陽さんようどう西国さいごく街道かいどう)・山陽新幹線さんようしんかんせん山陽自動車道さんようじどうしゃどう部分ぶぶんてきにこの断層だんそう沿っている[53]

両国橋りょうごくばし付近ふきんみぎ写真しゃしん左下ひだりした付近ふきん)をさかいに、上流じょうりゅうがわがすべて山地さんち河川かせん下流かりゅうがわ都市とし河川かせんになる[54]河床かしょう材料ざいりょう全域ぜんいきおおむいしつぶてすな主体しゅたいであり[49]経年けいねん変化へんかると変化へんか見受みうけられない[55]河床かしょうたて横断おうだん経年けいねん変化へんかでみると、1990年代ねんだい以降いこう安定あんていしている[56][57]流出りゅうしゅつ土砂どしゃによる河口かこう閉鎖へいさ発生はっせいしていない[58]

小瀬川こせがわ本流ほんりゅう支流しりゅう玖島くしまがわ合流ごうりゅうする地点ちてんにある蛇喰じゃばみいわでは甌穴多数たすうられる[59]

動植物どうしょくぶつ

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全域ぜんいきでアユが確認かくにんされており、産卵さんらんじょう点在てんざいする[44][49]。ただし弥栄やさかダム・わたりダムには魚道ぎょどうがないため[49]、それより上流じょうりゅうにいるアユは陸封りくふうである。上流じょうりゅうにはアマゴ(陸封りくふうサツキマス)も生息せいそくする[44][49]河口かこうにはシロウオ産卵さんらんじょうがあり、周辺しゅうへんではシロウオりょうおこなわれている[45]。なお一般いっぱんてきにはシロウオ呼称こしょうであるが、流域りゅういきでの方言ほうげんでは「シラウオ」とばれる(シラウオシラウオとはべつ[60]

流域りゅういきの96%が山地さんち区分くぶんされる[50]流域りゅういき植生しょくせいはほぼりん[61]自然しぜん植生しょくせい標高ひょうこう800mから1,100m付近ふきんイヌブナはやしが、羅漢らかんかい付近ふきん急斜面きゅうしゃめんコウヤマキはやしられる[61]下流かりゅう干潟ひがたにはまとまった植生しょくせい存在そんざいしない[44]

鳥類ちょうるいは、ヤマセミカワセミなど[46]山間さんかん渓流けいりゅう環境かんきょうこのカワガラスしも流域りゅういきでも確認かくにんされている[47]河口かこう干潟ひがたをサギるい・シギるい・チドリるいなどがえさじょう休憩きゅうけいじょうして利用りようしている[62]

河川かせん水辺みずべ国勢調査こくせいちょうさにおいて確認かくにんされた、しゅ保存法ほぞんほう希少きしょう野生やせい動植物どうしょくぶつしゅ)・文化財ぶんかざい保護ほごほう環境省かんきょうしょう山口やまぐちけん広島ひろしまけんかくレッドリスト登録とうろくされている特定とくていしゅかず以下いかとお[63][64][65]

うち希少きしょう野生やせい動植物どうしょくぶつしゅとしては、オオサンショウウオマルバノキ確認かくにんされている[63][64][65]上流じょうりゅうではツキノワグマクマタカゆたかな山地さんち象徴しょうちょうする生物せいぶつ確認かくにんされており、また「羅漢らかん渓谷けいこく渓谷けいこく植生しょくせい」、支流しりゅうなな瀬川せかわの「まん古渓こけい渓谷けいこく植生しょくせい」といった貴重きちょう植生しょくせい存在そんざいする[44]

一方いっぽう外来がいらい生物せいぶつほう特定とくてい外来がいらい生物せいぶつ指定していされているオオキンケイギクオオフサモ弥栄やさかダムや中市なかいちせきブルーギルオオクチバス確認かくにんされている[66]

かつて弥栄やさかかい上流じょうりゅうがわにあるがまふちカワシンジュガイかわ真珠貝しんじゅがい)が生息せいそくしていた[59]当時とうじ世界せかいもっとみなみへんした生息せいそくであり、1942ねん昭和しょうわ17ねん)に広島ひろしまけん天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされていた[67][59]。ただ1951ねん昭和しょうわ26ねん)のルース台風たいふうによってこった土石流どせきりゅう堆積たいせきによって壊滅かいめつ状態じょうたいとなり、のち小瀬川こせがわダムやわたりダムの建設けんせつによる流域りゅういき環境かんきょう変化へんかによって絶滅ぜつめつしたとみられている[67]

景観けいかん親水しんすい

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自然しぜん公園こうえんとう指定していじょうきょうでは、三倉岳みくらだけ県立けんりつ自然しぜん公園こうえん広島ひろしま)、万古渓県立自然環境保全地域(広島ひろしま)、ばん古渓こけい鳥獣ちょうじゅう保護ほご広島ひろしま)、大峯山おおみねさん鳥獣ちょうじゅう保護ほご広島ひろしま)、三倉岳みくらだけ鳥獣ちょうじゅう保護ほご広島ひろしま)、羅漢山らかんざん鳥獣ちょうじゅう保護ほご山口やまぐち)、弥栄やさか鳥獣ちょうじゅう保護ほご山口やまぐち)などに指定していされている[68]

小瀬川こせがわ木野この水辺みずべらくこう」。きゅう西国さいこく街道かいどうわた付近ふきんにあたる。ながひな会場かいじょうでもある。ここの情景じょうけい松陰まつかげもとに、大竹おおたけ出身しゅっしん石本いしもと美由起みゆきが『きりわた』を作詞さくしした[69]

小瀬川こせがわ流域りゅういき渓谷けいこくは、交通こうつう便びんいためはるからあきにかけての行楽こうらくシーズンではにぎわう[59]流域りゅういき公園こうえん親水しんすい施設しせつ整備せいびされており、それを利用りようするものもえている[70]大竹おおたけがわではひななが習慣しゅうかんがある[71]

2014ねん平成へいせい26ねん国交こっこうしょう直轄ちょっかつ区間くかんでの河川かせん空間くうかん利用りよう実態じったい調査ちょうさによると、利用りよう形態けいたいは「散策さんさくとう」が、利用りよう場所ばしょべつでは「堤防ていぼう」がおお[70]水面すいめん水際みずぎわでの水遊みずあそびは減少げんしょうしている[70]

以下いか、2019ねんれい元年がんねんあたらしい水質すいしつ指標しひょう(河川かせん)による年間ねんかん総合そうごう評価ひょうか[72]しめす。

本流ほんりゅう いち支流しりゅう 支流しりゅう 地点ちてんめい しん水質すいしつ指標しひょう
ひと河川かせん
ゆたかなふれあい
ゆたかな生態せいたいけい 利用りようしやすい
水質すいしつ
小瀬川おぜがわ 乙瀬おとぜきょう B A -
小瀬川おぜがわ 両国橋りょうごくばし - - A

沿革えんかく

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流域りゅういき産業さんぎょう

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流域りゅういき主要しゅよう産業さんぎょう近代きんだいまでは農業のうぎょうであり、小瀬川こせがわかわすい重要じゅうよう資源しげんとなった[73][51]

また小瀬川こせがわ流域りゅういき山地さんちおお耕地こうち狭小きょうしょうであること、流量りゅうりょう豊富ほうふゆるやかにながれること、中流ちゅうりゅう山代やましろ山口やまぐちけん岩国いわくに美和みわまち)がコウゾミツマタ産地さんちであったことから、和紙わし生産せいさんさかんになった[74]。そのはじまりは中世ちゅうせい末期まっきから近世きんせい初期しょきのことで、広島ひろしまはん長州ちょうしゅうはん岩国いわくにはん)は奨励しょうれいするとともに専売せんばいせいして管理かんりし、「小方おがた」の大阪おおさか出荷しゅっかしていた[74][51][75]廃藩置県はいはんちけん専売せんばいせいがなくなったことで生産せいさんしゃ一気いっきえ、最盛さいせい(1921ねん大正たいしょう10ねん前後ぜんこう)は大竹おおたけがわで1000けんえていた[76][51][75]問屋とんやせい家内かない工業こうぎょうでの生産せいさんすすんだのち有志ゆうしにより株式会社かぶしきがいしゃ創設そうせつされマニュファクチュアすすみ、これが現代げんだいはい下流かりゅうでのかみ・パルプ製造せいぞう会社かいしゃへとつづいている[51]ぎゃくきょう機械きかい安価あんか外国がいこくさん原料げんりょう導入どうにゅうにより、手漉てす和紙わし衰退すいたいした[76]

また近世きんせい干拓かんたく近代きんだい以降いこう埋立うめたてによって造成ぞうせいされた下流かりゅう平野へいやには、近代きんだい山口やまぐちけんがわきゅう陸軍りくぐん石油せきゆ精製せいせいとその研究けんきゅう施設しせつが、広島ひろしまけんがわには海兵かいへいだん海軍かいぐん潜水せんすい学校がっこうなどきゅう海軍かいぐん施設しせつもうけられ、かわすいがそれらをささえた[51][77]小瀬川こせがわ流域りゅういきでの現代げんだいてき上水道じょうすいどう施設しせつも、最初さいしょきゅう海軍かいぐんよう大竹おおたけ海兵かいへいだん水道すいどう)として整備せいびされたものである[78]戦後せんご、それらは民間みんかん転用てんよう、そしてかく自治体じちたいによる積極せっきょくてき工場こうじょう誘致ゆうちによって、日本にっぽんはつ総合そうごう石油せきゆコンビナートである岩国いわくに大竹おおたけ地区ちく石油せきゆコンビナート形成けいせいされた[13][77]

くに

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小瀬川おぜがわ国境こっきょうとなったのは天平てんぴょう6ねん(734ねん)のことである[1]

1939ねん昭和しょうわ14ねん)にかれた『げんこく沿革えんかくこころざし』によると、近世きんせい以前いぜん小瀬川おぜがわ現在げんざい大竹おおたけ北山きたやまふもと沿ってながれ、河口かこう現在げんざいよりも北側きたがわにあり、現在げんざい河口かこうである大竹おおたけ和木わきいちつづきであったという[13]。そこは大滝おおたきむら(あるいは大竹おおたけむら)とばれるひとつのむらであった[13]。そのかえ洪水こうずいによって現在げんざい川筋かわすじ移行いこう現在げんざい河口かこう形成けいせいされ、大滝おおたきむらかわによって安芸あきこく大竹おおたけむら周防すおうこく和気わきむらけられたという[13]。こうしたことから大竹おおたけ和木わきともにみつ関係かんけいにあり、近世きんせいまで小瀬川こせがわ国境こっきょうとして意識いしきされていなかったという[13]安土あづち桃山ももやま時代じだい双方そうほうともに毛利もうり支配しはいにあった。

関ヶ原せきがはらたたかいでやぶれた毛利もうりぼうちょうしゅうげんふうされ、毛利もうりおさめていた安芸あきには福島ふくしまいで浅野あさのふうぜられ、周防すおう安芸あき明確めいかくけられた[13]。ここから小瀬川おぜがわが「国分こくぶけのかわ」となり、両国りょうこく利害りがいめぐって度々たびたび紛争ふんそうこった[13]もっと頻繁ひんぱんかつおおきくあらそわれたのが境界きょうかい確定かくてい紛争ふんそうであり、その原因げんいん

  1. 河口かこう小瀬川こせがわ流域りゅういきなかもっと耕地こうちおおく、広大こうだい干潟ひがたいそがあった[13]
  2. 大竹おおたけ和木わきりょうむらはそれまで密接みっせつ関係かんけいにあったため、土地とちおおくはりょうむら共有きょうゆう関係かんけいにあった[13]
  3. 小瀬川こせがわ河口かこう三角州さんかくす当時とうじいくつかの川筋かわすじがあり、洪水こうずいのたびに地形ちけいえていた[13]

境界きょうかい確定かくてい紛争ふんそうは、安芸あきがわ資料しりょうによると江戸えどに21かい[13]、『図説ずせつ 岩国いわくに柳井やない歴史れきし』によると記録きろくのこるだけで30かい以上いじょうおこなわれたとされる。あかりれき元年がんねん(1655ねん)とたかられき2ねん(1752ねん)にきた与三よぞう野地やち騒動そうどうはじめ、川除かわよけろん流木りゅうぼくろん貝取かいどりろんなど、紛争ふんそう原因げんいん多岐たきわたった[79]紛争ふんそうとき乱闘らんとうともない、たかられき2ねん(1752ねん)の与三よそう野地やち騒動そうどうでは和木わきむら死者ししゃるほどであった[79] [80]。これらの紛争ふんそうちゅうりょうはん政治せいじてき配慮はいりょから小瀬川こせがわ本流ほんりゅうから農業のうぎょう用水ようすい取水しゅすいせず、支流しりゅうからの取水しゅすいとどまった[81]

とおる元年がんねん(1801ねん)、安芸あき長州ちょうしゅうりょうはんによって和解わかい成立せいりつし、とおる2ねん(1802ねん境界きょうかい水路すいろ現在げんざい川筋かわすじ)を掘削くっさくする工事こうじおこなわれ、水路すいろ中央ちゅうおう境界きょうかいとなった[13]。これ以降いこう小瀬川こせがわ本流ほんりゅうからの農業のうぎょう用水ようすい取水しゅすいおこなわれるようになった[81]。またここからりょうはんによる干拓かんたく工事こうじすすみ、河口かこうおきがわうつっていった[13]。これで河口かこう堤防ていぼう法線ほうせん現状げんじょうのようにかたまった[82]

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かわらばん
小瀬川こせがわ合戦かっせん
出陣しゅつじん

幕末ばくまつだい長州ちょうしゅう征伐せいばつとき、このでの戦闘せんとうげいしゅうこうたたかいの発端ほったんとなった[83]

近代きんだいはいり、りょうきし広島ひろしまけん山口やまぐちけんそれぞれが管理かんりした。現代げんだいはい枕崎まくらざき台風たいふうキジア台風たいふうルース台風たいふうによって甚大じんだい被害ひがい発生はっせいしていた[75]。また河口かこうにコンビナートが整備せいびされおおくの工場こうじょう誘致ゆうちされた。ただ小瀬川こせがわかわすい必要ひつようとする企業きぎょう水利すいり希望きぼうりょう小瀬川こせがわ渇水かっすい流量りゅうりょう大幅おおはば上回うわまわることになり、分配ぶんぱいりょうめぐって工場こうじょう誘致ゆうちした広島ひろしま山口やまぐちりょうけん意見いけん対立たいりつした[84][75]。そこで建設けんせつ大臣だいじん裁定さいていまれ、昭和しょうわ33ねん(1958ねんりょうけん使用しよう水量すいりょう分配ぶんぱい決定けっていされた[84]。またりょうけんから建設省けんせつしょう工事こうじ委任いにんというかたちで、治水ちすい利水りすい目的もくてき多目的たもくてきダム小瀬川こせがわダム」が昭和しょうわ39ねん(1964ねん)に竣工しゅんこうした[75]。このダムはりょうけん管理かんりしており、複数ふくすう都府県とふけん共同きょうどう管理かんりする日本にっぽん唯一ゆいいつのダムである[75]昭和しょうわ43ねん(1968ねんいちきゅう河川かせん指定してい河口かこうから10.7kmはくに建設省けんせつしょう)の直轄ちょっかつ管理かんりとなった[82]

河口かこう山口やまぐちけん和木わきまち岩国いわくに市町村しちょうそん合併がっぺいはなしがあった。それをれなかったのは、和木わき安定あんていした法人ほうじん税収ぜいしゅうはい工場こうじょうまちであるためであり、また広域こういき生活せいかつけんとしては岩国いわくに包括ほうかつされるが買物かいもの交通こうつうなど日常にちじょう生活せいかつけん小瀬川こせがわ対岸たいがんにあたる大竹おおたけ密接みっせつ関係かんけいにあるためとされる[85]

開発かいはつ

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洪水こうずい治水ちすい

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最古さいこ洪水こうずい記録きろくとしては文明ぶんめい14ねん(1482ねん)6がつだい洪水こうずいがあったと『日本にっぽん文化ぶんか年表ねんぴょう』にある[86]。『げんこく沿革えんかくこころざし』によると、中世ちゅうせいまでの小瀬川おぜがわ現在げんざい大竹おおたけ北山きたやまふもと沿ってながれ、河口かこう現在げんざいよりも北側きたがわにあり、現在げんざい河口かこうである大竹おおたけ和木わきいちつづきであったという[13]。そのかえ洪水こうずいによって現在げんざい川筋かわすじ移行いこう現在げんざい河口かこう形成けいせいされたという[13]

左岸さがん大竹おおたけ木野このには西国さいこく街道かいどうわた付近ふきん広島ひろしまはん初代しょだい藩主はんしゅ福島ふくしま正則まさのりにより護岸ごがん整備せいび福島ふくしま堤防ていぼう)されたとする伝説でんせつのこっている。『大竹おおたけ』に「元和がんわじゅうねん(1624ねん軍夫ぐんぷニテ調ちょう寛永かんえいとおるはちねん(1723ねんつくろえり」とあり、大竹おおたけ木野このいち丁目ちょうめ石組いしぐみできずかれた堤防ていぼうのこっている[よう出典しゅってん]

藩政はんせい時代じだい河口かこう長州ちょうしゅうはん岩国いわくにはん)・広島ひろしまはん別々べつべつ干拓かんたく工事こうじすすめ、そこで(治水ちすいではなく土地とち造成ぞうせいのために)堤防ていぼうきずかれた[13]。この堤防ていぼうとくに17世紀せいき暴風雨ぼうふうう決壊けっかいした記録きろくのこ[13]。これは当時とうじ土木どぼく技術ぎじゅつ稚拙ちせつであったため、決壊けっかい復旧ふっきゅうしようとするものの日数にっすうがかかったため出来上できあがらないまま風雨ふううにより決壊けっかいする、ということがかえされたためとかんがえられている[87]

廃藩置県はいはんちけん両国りょうこく山口やまぐちけん広島ひろしまけんとなり、りょうけんかわりょうきしをほほ二分にぶんして別々べつべつ近代きんだいてき治水ちすい事業じぎょうおこなった[82]。ただし(きゅう河川かせんほう制定せいていまえでありけん予算よさんすくなかったため部分ぶぶんてきにしかおこなわれておらず、民間みんかん個人こじんによる護岸ごがん整備せいびおおおこなわれていた[82]洪水こうずい災害さいがいはそれ以前いぜんくらべて抑止よくしできたものの、大型おおがた台風たいふうには無意味むいみであった[87]明治めいじ元年がんねん(1868ねん)から昭和しょうわ20ねん(1945ねん)までに発生はっせいした風水害ふうすいがいおおきなものだけでも20かいえ、対策たいさくはその復旧ふっきゅう工事こうじにのみかれ、抜本ばっぽんてき解決かいけつにはいたらなかった[87]。また流域りゅういき山林さんりん乱伐らんばつなまま荒廃こうはいしていたため[75]災害さいがい発生はっせいしやすい環境かんきょうにあった。

昭和しょうわ20ねん(1945ねん枕崎まくらざき台風たいふうによって甚大じんだい被害ひがいけたものの太平洋戦争たいへいようせんそう混乱こんらんのため復旧ふっきゅうすすまず、そこへ昭和しょうわ26ねん(1951ねんルース台風たいふうによりまた甚大じんだい被害ひがいけた[87]。これをけて山口やまぐち広島ひろしまりょうけんによる本格ほんかくてき改修かいしゅう工事こうじはじまった[87]。またりょうけん小瀬川こせがわダム工事こうじ建設省けんせつしょう委託いたくし、昭和しょうわ39ねん(1964ねん)6がつ竣工しゅんこうした[82]小瀬川こせがわダムは現在げんざいでもりょうけんによる共同きょうどう管理かんりとなっている[82]

昭和しょうわ39ねん現行げんこう河川かせんほう制定せいてい昭和しょうわ43ねん(1968ねんいちきゅう河川かせん指定してい河口かこうから10.7kmはくに建設省けんせつしょう)の直轄ちょっかつ管理かんりとなった[82]昭和しょうわ44ねん(1969ねん建設省けんせつしょうにより小瀬川こせがわ水系すいけい工事こうじ実施じっし基本きほん計画けいかく策定さくていされ、それをもと弥栄やさかダム整備せいびすすめられた[82]

平成へいせい17ねん(2005ねん平成へいせい17ねん台風たいふうだい14ごうにおいて、流域りゅういき羅漢山らかんざん雨量うりょう観測かんそくしょ観測かんそく史上しじょう最大さいだい雨量うりょう記録きろくし、うえ流域りゅういきにおいてはおおきな被害ひがい発生はっせいした[87]。ただ弥栄やさかダム下流かりゅうにおいては洪水こうずい調整ちょうせい機能きのう被害ひがいはほとんどなかった[87]

利水りすい

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利水りすい状況じょうきょう[88]
項目こうもく 区分くぶん 件数けんすう 最大さいだい取水しゅすいりょう
(m3/s)
備考びこう
農業のうぎょう用水ようすい ほう 11 0.728
  • 灌漑かんがい用水ようすい やく500 ha
    • 広島ひろしまけん やく430 ha
    • 山口やまぐちけん やく070 ha
86 -
工業こうぎょう用水ようすい ほう 9 5.923 -
上水道じょうすいどう用水ようすい ほう 4 1.245 -
発電はつでん用水ようすい ほう 7 最大さいだい 30.550 -

近代きんだいまでのおもみず利用りようは、農業のうぎょう用水ようすい紙漉かみすようであった[51]。ただ近世きんせいにおいては広島ひろしま長州ちょうしゅうりょうはん境界きょうかい確定かくてい紛争ふんそうのため、本流ほんりゅうからの本格ほんかくてき取水しゅすいはなかった[81]和解わかいから取水しゅすいはじまり[81]天保てんぽう年間ねんかん下流かりゅう農業のうぎょう用水ようすい取水しゅすいするために中市なかいちせき整備せいびされた[66]。これは改築かいちくしながら現在げんざいもちいられている[66]

近代きんだいから現代げんだいにかけて急速きゅうそく工業こうぎょうすすんだことで工業こうぎょう用水ようすい、そしてそれにともな人口じんこう増加ぞうかしたことで上水道じょうすいどう用水ようすいなどの都市とし用水ようすい利用りよう増大ぞうだいした[51]。かつてはやく5ねんに1渇水かっすい取水しゅすい制限せいげん実施じっししていたが、弥栄やさかダム完成かんせい平成へいせい6ねん(1994ねん以外いがい実施じっしされていない[89]

現在げんざいもっと取水しゅすいりょうおおいのが発電はつでんようで、流域りゅういきない6発電はつでんしょ流域りゅういきがい1発電はつでんしょにより最大さいだい3まんkwを電力でんりょく供給きょうきゅうしている[51]工業こうぎょう用水ようすいとしては大竹おおたけ和木わき臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい供給きょうきゅうされている[51]水道すいどう用水ようすいは、広域こういき水道すいどうとして、広島ひろしまけんがわ大竹おおたけ廿日市はつかいち佐伯さいき山口やまぐちけんがわ岩国いわくに由宇ゆうまち柳井やない周防すおう大島おおしままち上関うわせきまち田布施たぶせまち平生ひらおまち供給きょうきゅうされている[51]


施設しせつ

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おもなダム・せき[90][91]たかさはメートル、そう貯水ちょすい容量ようりょうは1,000立方りっぽうメートル。着色ちゃくしょくらん施工しこうちゅう
本流ほんりゅう いち支流しりゅう 支流しりゅう さん支流しりゅう 河川かせん施設しせつ 型式けいしき たか そう貯水ちょすい容量ようりょう 事業じぎょうしゃ 完成かんせいねん 備考びこう
小瀬川おぜがわ めしやまダム アース 18.5 1,790 中国電力ちゅうごくでんりょく 1932
小瀬川おぜがわ 小瀬川こせがわダム 重力じゅうりょく 49 11,400 広島ひろしまけん/山口やまぐちけん 1964
小瀬川おぜがわ 弥栄やさかダム 重力じゅうりょく 120 112,000 中国ちゅうごく地方ちほう整備せいびきょく 1990 ダムみずうみひゃくせん
小瀬川おぜがわ 中市なかいちせき せき - - 1995
小瀬川おぜがわ 玖島くしまがわ わたりダム 重力じゅうりょく 34.5 10,424 中国電力ちゅうごくでんりょく 1956
主要しゅよう水力すいりょく発電はつでんしょ[92][93]出力しゅつりょく単位たんいはkW。
河川かせん 発電はつでんしょ 認可にんか出力しゅつりょく 常時じょうじ出力しゅつりょく 発電はつでん形式けいしき 発電はつでん方式ほうしき 取水しゅすいもと 事業じぎょうしゃ 運転うんてん開始かいしねん 備考びこう
小瀬川おぜがわ 栗栖川くりすがわ 2,500 670 水路すいろしき 調整ちょうせいしき めしやまダム 中国電力ちゅうごくでんりょく 1940
小瀬川おぜがわ 玖波くば 20,700 5,500 ダム水路すいろしき 調整ちょうせいしき わたりダム 中国電力ちゅうごくでんりょく 1956
小瀬川おぜがわ 弥栄やさか 7,000 0 ダム水路すいろしき 調整ちょうせいしき 弥栄やさかダム 中国電力ちゅうごくでんりょく 1989
小瀬川おぜがわ 小瀬川おぜがわ 630 84 ダムしき 貯水池ちょすいちしき 小瀬川こせがわダム 山口やまぐちけん企業きぎょうきょく 1989
小瀬川おぜがわ よん 180 - JA 1961
大曲おおまがりがわ ところさん 205 77 JA

交通こうつう

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かつては河口かこうから牧尾まきおはまげん弥栄やさかダム地点ちてん)まで河川かせん舟運しゅううん発達はったつし、木材もくざいたきぎ木炭もくたん、そしてかみなどの産物さんぶつ沿岸えんがんがわはこんでいた[94]大正たいしょうささだにげん弥栄やさかダムみずうみない)まで河床かしょう掘削くっさくし、中流ちゅうりゅうまで舟運しゅううん到達とうたつしていた[94]。そこへ道路どうろもう発達はったつ陸上りくじょう輸送ゆそうへの移行いこうにより舟運しゅううんえた[94]

下流かりゅうには西国さいこく街道かいどうがあったが、渡河とかにはふねもちいられた(げいぼうわたあと)。 1880ねん明治めいじ13ねん)に国道こくどう指定していされると、より沿岸えんがんがわとおることになった[94]西国さいこく街道かいどう時代じだいわたぶねは、1921ねん大正たいしょう10ねん)に両国りょうこくきょう架橋かきょうしたことにより閉鎖へいさされたとかんがえられている[94]

また江戸えど末期まっきだい2長州ちょうしゅう征討せいとう時期じき下流かりゅう大和やまときょう付近ふきん土橋どばしがあった[83]

現代げんだいにおいて、国道こくどう2ごう山陽自動車道さんようじどうしゃどう山陽本線さんようほんせん山陽新幹線さんようしんかんせん主要しゅよう交通こうつうもう下流かりゅう集中しゅうちゅうしている[94]

主要しゅようどうにおける橋梁きょうりょう[95][96]緑色みどりいろらん有料ゆうりょう高速こうそく道路どうろ
橋梁きょうりょう 供用きょうよう道路どうろ 供用きょうようねん 左岸さがん所在地しょざいち 右岸うがん所在地しょざいち 備考びこう
めしやまきょう 国道こくどう186ごう 1989 広島ひろしまけん廿日市はつかいち飯山いいのやま 同左どうさ
郷之ごうのさききょう 国道こくどう186ごう 1989 広島ひろしまけん廿日市はつかいち飯山いいのやま 同左どうさ
三滝みたききょう 国道こくどう186ごう 1985 広島ひろしまけん廿日市はつかいち飯山いいのやま 同左どうさ
めしやま2ごうきょう 国道こくどう186ごう 1983 広島ひろしまけん廿日市はつかいち飯山いいのやま 同左どうさ
めしやま1ごうきょう 国道こくどう186ごう 1983 広島ひろしまけん廿日市はつかいち飯山いいのやま 同左どうさ
出合であいきょう 広島ひろしま山口やまぐちけんどう119ごう 1953 広島ひろしまけん廿日市はつかいち栗栖くるす 同左どうさ
大滝おおたききょう 国道こくどう186ごう 1980 広島ひろしまけん廿日市はつかいち栗栖くるす 同左どうさ
中山なかやまきょう 国道こくどう186ごう 1979 広島ひろしまけん廿日市はつかいち栗栖くるす 同左どうさ
あく谷上やがみきょう 国道こくどう186ごう 1974 広島ひろしまけん廿日市はつかいち栗栖くるす 同左どうさ
あく谷下やしたきょう 国道こくどう186ごう 1978 広島ひろしまけん廿日市はつかいち栗栖くるす 同左どうさ
栗栖くりす大橋おおはし 国道こくどう186ごう 1984 広島ひろしまけん廿日市はつかいち栗栖くるす 同左どうさ
栗栖くりすきょう 広島ひろしまけんどう30ごう 1982 広島ひろしまけん廿日市はつかいち栗栖くるす 同左どうさ
掛橋かけはし 広島ひろしまけんどう293ごう 1990 広島ひろしまけん廿日市はつかいち津田つだ 廿日市はつかいち浅原あさはら
しん市井原いちいばらきょう 国道こくどう186ごう 2000 広島ひろしまけん廿日市はつかいち浅原あさはら 同左どうさ
弥栄やさか大橋おおはし 広島ひろしま山口やまぐちけんどう116ごう 1983 広島ひろしまけん大竹おおたけ後飯谷うしろいいたに 山口やまぐちけん岩国いわくに美和みわまち百合谷もまえだに
山陽新幹線さんようしんかんせん 広島ひろしまけん大竹おおたけ比作ひっつくり 山口やまぐちけん岩国いわくに小瀬こせ
乙瀬おとぜきょう 山口やまぐち広島ひろしまけんどう117ごう 1955 広島ひろしまけん大竹おおたけ穂仁原おにはら 山口やまぐちけん岩国いわくに小瀬こせ乙瀬おとぜ
山陽自動車道さんようじどうしゃどう 広島ひろしまけん大竹おおたけ木野この 山口やまぐちけん岩国いわくに小瀬こせ
両国橋りょうごくばし 山口やまぐち広島ひろしまけんどう1ごう 2015 広島ひろしまけん大竹おおたけ木野この 山口やまぐちけん岩国いわくに小瀬こせ
小瀬川こせがわ橋梁きょうりょう 山陽本線さんようほんせん 広島ひろしまけん大竹おおたけ新町しんまち 山口やまぐちけん玖珂くがぐん和木わきまち和木わき
栄橋さかえばし 国道こくどう2ごう 2017 広島ひろしまけん大竹おおたけ南栄なんえい 山口やまぐちけん玖珂くがぐん和木わきまち和木わき

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d ふるさと大竹おおたけ歴史れきし探訪たんぼう - 2” (PDF). 大竹おおたけ. 2021ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 34 広島ひろしまけん』、p.369「木野川きのかわ
  3. ^ 河川かせん概要がいよう 2015, p. 2-12.
  4. ^ 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 34 広島ひろしまけん』、pp.368-369「木野きの
  5. ^ a b c 松陰しょういん小瀬川こせがわでのわか”. 岩国いわくに公式こうしき観光かんこうWebサイト. 2021ねん7がつ4にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d 河川かせん概要がいよう 2015, p. 1-1.
  7. ^ 周防すおうこく小瀬こせかわさかなきり岩竝いわなみ蛇喰じゃばみがん」『地學ちがく雜誌ざっしだい5かんだい3ごう東京とうきょう地学ちがく協会きょうかい、1893ねん、139-140ぺーじdoi:10.5026/jgeography.5.139ISSN 0022-135XNAID 1300009838542021ねん11月14にち閲覧えつらん 
  8. ^ 広島ひろしまけんだい百科ひゃっか事典じてん上巻じょうかん、p.553「木野川きのかわ
  9. ^ a b c d e f g h 平凡社へいぼんしゃ、『日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 35 広島ひろしまけん地名ちめい』、1982ねん。pp.825-826「木野川きのかわ」(JapanKnowledge確認かくにん(2021ねん8がつ26にち閲覧えつらん))
  10. ^ 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 34 広島ひろしまけん』、p.25「安芸あきこく備後びんごこく こく創設そうせつ行政ぎょうせい機構きこう
  11. ^ 平凡社へいぼんしゃ、『日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 35 広島ひろしまけん地名ちめい』、1982ねん。p.444「安芸あきこく上段じょうだん
  12. ^ 平凡社へいぼんしゃ、『日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 35 広島ひろしまけん地名ちめい』、1982ねん。「文献ぶんけん解題かいだい」(JapanKnowledge確認かくにん(2021ねん8がつ26にち閲覧えつらん))
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参考さんこう資料しりょう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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防災ぼうさい関連かんれん