浅野 氏
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出自 ・血統
[『
その
『
宗家
[戦国 から安土 桃山 期
[『
1583
江戸 時代
[しかし
明治 以降
[1876
1884
分家
[三 次 浅野 家 (備後 三 次 藩 ) ※ 1720年 (享 保 5年 )絶家 浅野 長晟 の庶長子 ・浅野 長治 を祖 とする。1632年 (寛永 9年 )、三次 郡 ・恵 蘇 郡 内 5万 石 を分 知 され、三次 郡 に居館 を建 てて支配 した。- 3
代 長 経 は1719年 (享 保 4年 )に死去 し、無 嗣のため所領 は宗家 に返還 されたが、長 経 の弟 ・長 寔 に改 めて5万 石 を分 知 された。しかし、翌年 長 寔 も死去 したため、絶家 となった[12]。 - なお、
赤穂 3代 藩主 浅野内匠頭 の正室 阿久 里 は初代 長治 の娘 である[12]。 青山 浅野 家 (広島 新田 藩 )宗家 5代 浅野 綱 長 の三男 ・長 賢 が、1730年 (享 保 15年 )に兄 で宗家 6代 吉長 から3万 石 を分 知 され分家 した。定府 (江戸 常駐 )の大名 として列 せられ[12]、藩主 家 は江戸 屋敷 の所在地 から青山 浅野 家 (青山 内証 分家 )と呼 ばれた。- 1862
年 (文久 2年 )6代 長 興 (のちの宗家 13代 長 勲 )が宗家 を継 いだため、翌年 1863年 (文久 3年 )に長 厚 が家督 を継 ぎ、翌年 安芸 国 に帰郷 して吉田 郡 の吉田 郡 山城 跡 の山麓 に「御 本館 」(吉田 陣屋 )を建 てて居住 した。1869年 (明治 2年 )に新田 藩 は宗家 と併合 した。[12]なお、その際 に当主 が華族 の地位 を返上 したため1884年 (明治 17年 )に華族 令 が出 た際 には華族 でなくなっていたので旧 広島 新田 藩主 浅野 家 には叙爵 がなかった[24]。
別家
[赤穂 浅野 家 (播磨 国 赤穂 藩 ) ※ 1701年 (元禄 14年 )絶家 関ヶ原 の戦 いで戦功 を挙 げた浅野 長政 は、隠居 料 として常陸 真壁 ・筑波 5万 石 の領地 を得 たが、1611年 (慶長 16年 )9月 7日 に死去 し、三男 の長重 (当時 、真岡 藩 主 )がその隠居 料 を継 いだ。公 収 によって真岡 と真壁 を合 わせて領 したが、1622年 (元和 8年 )に常陸 国 笠間 に移 封 [12]。長 直 の代 に播磨 国 赤穂 、加西 、加東 、作用 の4郡 、53,500石 で移 封 された。しかし3代 長矩 (内匠 頭 )の代 のとき、江戸城 内 での長矩 の吉良 義央 への殿中 刃傷 事件 で改易 となり、『忠臣蔵 』で知 られる赤穂 事件 が起 きるきっかけとなった[12]。
浅野 大学 家 (再興 ・赤穂 浅野 家 ) ※ 1986年 (昭和 61年 )絶家 - その
後 、広島 浅野 宗家 にお預 けとなっていた浅野 長矩 の弟 の浅野 長広 が宝永 6年 (1709年 )8月 20日 に将軍 綱吉 の死去 に伴 う大赦 で許 され、宝永 7年 (1710年 )9月 16日 に改 めて安房 国 朝 夷 郡 ・平 郡 に500石 の所領 を与 えられ、旗本 に復 した。またこれとは別 に、浅野 宗家 からも300石 を支給 され続 けた。これにより、赤穂 浅野 家 は旗本 ながら御家 再興 を果 たした。
以降 、旗本 として存続 し、明治維新 を迎 えた。維新 後 の明治 元年 (1868年 )9月 23日 からは徳川 幕府 の推挙 により、明治天皇 より改 めて禄 高 300俵 を賜 り[25]、浅野 長栄 は弁 官 の支配 とされた。赤穂 浅野 家 は、長栄 の孫 である長楽 の代 まで存続 したが、浅野 長楽 が妻帯 せぬまま、1986年 (昭和 61年 )に病死 したため、赤穂 浅野 家 は断絶 した[26]。
若狭野 浅野 家 (赤穂 郡 相生 村 )赤穂 浅野 家 の分家 旗本 。浅野 長 恒 が1671年 に兄 ・長友 から三 千 石 を分与 されて成立 。
歴代 当主
[浅野 宗家
[( |
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13 | (?-1575 |
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14 | (1547 |
( |
(1910 |
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15 | (1576 |
(1915 |
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16 | (1586 |
( |
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17 | (1617 |
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18 | (1637 |
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19 | (1659 |
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20 | (1681 |
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21 | (1717 |
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22 | (1743 |
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23 | (1773 |
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24 | (1817 |
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25 | (1836 |
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26 | (1812 |
( |
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27 | (1842 |
( |
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28 | (1864 |
( |
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29 | (1895 |
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30 | (1927 |
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31 | (1956 |
赤穂 浅野 家
[( |
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1 | (1588 |
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2 | (1610 |
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3 | (1643 |
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4 | (1667 |
「 |
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5 | (1670 |
( |
「 |
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6 | (1707 |
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7 | (1736 |
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8 | (1747 |
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9 | (1776 |
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10 | (?-1863 |
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11 | (1839 |
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12 | ||||||
13 | ||||||
14 | ||||||
15 |
三 次 浅野 家
[( |
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1 | (1614 |
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(1644 |
( |
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2 | (1652 |
( |
2 |
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3 | (1671 |
( |
3 |
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4 | (1709 |
4 |
系譜
[実線 は実子 、点線 (縦 )は養子 、当主 は太字 、点線 (横 )は婚姻 関係 。「長 勝 」までの系図 は伝説 に近 く極 めて信用 ならない。
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( | [ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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懋昭 | 懋績 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[- ^ 1986
年 (昭和 61年 )絶家 ) - ^ 1720
年 (享 保 5年 )絶家 - ^
本家 が知行 を分与 したわけでないため別家 に当 たる。宇和島 伊 達 や鳥取 池田 と同 じ扱 い。 - ^
小田部 雄次 2006, p. 322. - ^ a b c d e
日本 大 百科全書 (ニッポニカ)『浅野 氏 』 - コトバンク - ^ a b c d
久下 実 2021, p. 38. - ^
現在 の愛知 県 北 名古屋 市 。 - ^ a b
世界 大 百科 事典 第 2版 『浅野 氏 』 - コトバンク - ^ a b
新田 完 三 1984, p. 703. - ^
日本 大 百科全書 (ニッポニカ)『広島 藩 』 - コトバンク - ^
新田 完 三 1984, p. 704-707. - ^ a b c d e f g
二木 謙一 監修 、工藤 寛 正 編 『国 別 藩 と城下町 の辞典 』東京 堂 出版 、2004年 、ISBN 4-490-10651-3 - ^
藩 名 ・旧 国名 がわかる事典 『広島 藩 』 - コトバンク - ^ a b
久下 実 2021, p. 196. - ^
新田 完 三 1984, p. 707. - ^
久下 実 2021, p. 197. - ^
小田部 雄次 2006, p. 62. - ^
浅見 雅男 1994, p. 110. - ^
小田部 雄次 2006, p. 344/351. - ^
小田部 雄次 2006, p. 97. - ^
小田部 雄次 2006, p. 64. - ^
松田 敬之 2015, p. 52. - ^ a b
華族 大鑑 刊行 会 1990, p. 36. - ^
浅見 雅男 1994, p. 66. - ^ 『
冷 光 君 御 伝記 播磨 赤穂 浅野 家 譜 』 - ^
泉岳寺 浅野 家 墓碑 - ^
古代 の賀茂 郡 (加茂 郡 )が加東 郡 ・加西 郡 に分割 して発足 。 - ^ a b c d e f g h i j
斎藤 茂 1975, pp. 110. - ^
樋口 美濃 守 の娘 。 - ^
交代 寄合 ・竹谷 松平 家 当主 松平 清 昌 の末子 。 - ^
赤穂 藩 重臣 大石 良重 の長男 。 - ^
赤穂 藩 重臣 ・大石 良重 の次男 、浅野 長 恒 の実弟 。 - ^
藪 忠 通 の三男 - ^
堀 直 堯の三男 - ^
水野 忠邦 の祖父 - ^
広島 新田 藩 家督 相続 後 、宗家 相続 。
参考 文献
[浅野 史蹟 顕彰 会 編 『国立 国会図書館 デジタルコレクション浅野 荘 と浅野 氏 』浅野 史蹟 顕彰 会 、1917年 。堀田 正 敦 編 「国立 国会図書館 デジタルコレクション浅野 氏 」『寛政 重 修 諸家 譜 』 。小田部 雄次 『華族 近代 日本 貴族 の虚像 と実像 』中央公論 新 社 〈中公新書 1836〉、2006年 (平成 18年 )。ISBN 978-4121018366。浅見 雅男 『華族 誕生 名誉 と体面 の明治 』リブロポート、1994年 (平成 6年 )。久下 実 『広島 藩 』現代書館 〈藩 物語 〉、2021年 (令 和 3年 )。ISBN 978-4768471579。華族 大鑑 刊行 会 『華族 大鑑 』日本 図書 センター〈日本人 物 誌 叢書 7〉、1990年 (平成 2年 )。ISBN 978-4820540342。新田 完 三 『内閣 文庫 蔵 諸侯 年表 』東京 堂 出版 、1984年 (昭和 59年 )。斎藤 茂 『赤穂 義士 実 纂』赤穂 義士 実 纂頒布 会 、1975年 (昭和 50年 )。松田 敬之 『〈華族 爵位 〉請願 人名 辞典 』吉川弘文館 、2015年 (平成 27年 )。ISBN 978-4642014724。