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小田部おたべ雄次ゆうじ

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小田部おたべ 雄次ゆうじ(おたべ ゆうじ、1952ねん6月25にち[1]- )は、日本にっぽん歴史れきし学者がくしゃ静岡しずおか福祉ふくし大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅ[2][3]せんもん日本にっぽんきん現代げんだい[4]皇室こうしつ制度せいど[5]華族かぞく制度せいど)。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

東京とうきょうまれ、茨城いばらきけん水戸みとそだつ。茨城いばらき県立けんりつ水戸みと第一高等学校だいちこうとうがっこうて、茨城大学いばらきだいがく人文学部じんぶんがくぶ卒業そつぎょう。1985ねん立教大学りっきょうだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう博士はかせ課程かてい単位たんい取得しゅとく退学たいがく静岡精華短期大学しずおかせいかたんきだいがく国際こくさい文化ぶんか学科がっか助教授じょきょうじゅ[6]、2002ねんビジネス情報じょうほう学科がっか教授きょうじゅ、2004ねん静岡しずおか福祉ふくし大学だいがく 社会福祉学部しゃかいふくしがくぶ教授きょうじゅ [4]、2018ねん静岡しずおか福祉ふくし大学だいがく 名誉めいよ教授きょうじゅ

専攻せんこう日本にっぽんきん現代げんだい[7]立教大学りっきょうだいがくでは粟屋あわや憲太郎けんたろう師事しじ日本にっぽんファシズム研究けんきゅう[8]、その過程かてい内務ないむ官僚かんりょう松本まつもとまなぶ日記にっき安岡やすおか正篤まさあつ書簡しょかんつうじて学習がくしゅういん赤化せっか事件じけん革新かくしん華族かぞく存在そんざい注目ちゅうもくする[9]。 その、『徳川とくがわ義親よしちか日記にっき』をつうじて[10][11][12]華族かぞく制度せいどへの研究けんきゅううつり、華族かぞく財産ざいさん家宝かほう売却ばいきゃく過程かていかんする研究けんきゅうおこな[7][13][14][15]。さらに共同通信きょうどうつうしん社会しゃかい部長ぶちょう宮内庁くないちょう記者きしゃ高橋たかはしひろし紹介しょうかいきゅう皇族こうぞく梨本なしもと伊都子いつこ日記にっき[16]宮中きゅうちゅう女性じょせいなどをテーマに皇族こうぞく研究けんきゅうおこな[4][17]

エピソード[編集へんしゅう]

"竹田たけだひさしやすし"にたいして、つねたいちちである恆和つねかずは、ちちつね徳王とくおうすめらぎせき離脱りだつしたのちまれているため、生涯しょうがいいち皇族こうぞくであったことはない。また、1920ねん5がつ19にち内規ないきとして裁定さいていされた「皇族こうぞく降下こうかかんする施行しこう準則じゅんそく」では「長子ちょうしまご系統けいとうよんせいのぞすべてのおう華族かぞく降下こうかする」ことにさだめられている。竹田たけだみや場合ばあい北白川宮能久親王きたしらかわのみやよしひさしんのうが1せい竹田たけだみや恒久こうきゅうおうが2せい離脱りだつした竹田たけだみやつね徳王とくおうが3せいおなじく離脱りだつした竹田たけだみや恒正つねまさおうが4せいであり、この世代せだい以降いこうすべ皇族こうぞくではなく華族かぞくとなる[18]主張しゅちょうしている。

ゆうひとし親王しんのうぬすめつまみ被害ひがいかんするコメントのなかで、「一概いちがいめることはできない」とぬすめつまみはん擁護ようごした[19]

著作ちょさく[編集へんしゅう]

たんちょ[編集へんしゅう]

きょう編著へんちょほか[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 伊香いか俊哉としや「「徳川とくがわ義親よしちかの15ねん戦争せんそう小田部おたべ雄次ゆうじ」『ふみえんだい49かんだい2ごう立教大学りっきょうだいがく、1989ねん9がつ、100-103ぺーじdoi:10.14992/00001260ISSN 0386-9318 
  • 松村まつむら啓一けいいちちょ)、らくきた学会がっかいへん)「新刊しんかん紹介しょうかい 小田部おたべ雄次ゆうじちょ大元帥だいげんすい皇族こうぞく軍人ぐんじん 明治めいじへん』『どう 大正たいしょう昭和しょうわへん』」『らくきた史学しがくだい19ごうらくきた学会がっかい京都きょうと、2017ねん、138-141ぺーじ 

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 著作ちょさくけん台帳だいちょう
  2. ^ ホーム > 大学だいがく紹介しょうかい > 教員きょういん紹介しょうかい > 福祉ふくし心理しんり学科がっか”. 静岡しずおか福祉ふくし大学だいがく. 2014ねん3がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  3. ^ 小田部おたべ 雄次ゆうじ | 研究けんきゅうしゃ情報じょうほう | OTABE Yuji”. JGLOBAL (2013ねん4がつ17にち). 2019ねん10がつ20日はつか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  4. ^ a b c 小田部おたべ 雄次ゆうじ”. KAKEN. 2019ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  5. ^ 戦後せんご日本にっぽんにおける「いえ意識いしき崩壊ほうかいと、こん少子化しょうしかとの連関れんかんせい、および天皇てんのうせい変質へんしつ”. KAKEN. 2019ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  6. ^ 加藤かとう 一夫かずお (静岡精華短期大学しずおかせいかたんきだいがく, 国際こくさい文化ぶんか学科がっか, 教授きょうじゅ (90249251)); 渡部わたなべ茂己しげみ (静岡精華短期大学しずおかせいかたんきだいがく, 国際こくさい文化ぶんか学科がっか, 助教授じょきょうじゅ (10249253)); 小田部おたべ雄次ゆうじ (静岡精華短期大学しずおかせいかたんきだいがく, 国際こくさい文化ぶんか学科がっか, 助教授じょきょうじゅ (30249255)) (1993年度ねんど–1994年度ねんど). “「カンボジア暫定ざんてい統治とうち機構きこう」の事例じれい中心ちゅうしんとする国連こくれん平和へいわ維持いじ活動かつどう多角たかくてき研究けんきゅう”. KAKEN. 2019ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  7. ^ a b 小田部おたべ雄次ゆうじ皇族こうぞく華族かぞくについてくわしくおしえてください。 (新年しんねん特集とくしゅう まななお日本にっぽん常識じょうしき)」『日本にっぽん歴史れきしだい764ごう吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2012ねん1がつ、58-61ぺーじISSN 0386-9164NAID 40019126671 
  8. ^ 藤原ふじわらあきら岡部おかべ牧夫まきお へん二・二六事件ににろくじけん首謀しゅぼうしゃだれ」『満州まんしゅう事変じへん敗戦はいせん大月書店おおつきしょてん、1989ねんhttps://ci.nii.ac.jp/ncid/BN04054608 
  9. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ華族かぞく赤化せっか事件じけん (2011ねん10がつごう特集とくしゅう えた名家めいか名門めいもんなぞ) -- (特集とくしゅう事件じけん)」『歴史れきし読本とくほんだい56かんだい10ごう新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2011ねん10がつ、216-221ぺーじNAID 40018978120 
  10. ^ 粟屋あわや憲太郎けんたろう小田部おたべ雄次ゆうじ title=「徳川とくがわ義親よしちか日記にっき」とさんがつ事件じけん中央公論ちゅうおうこうろんだい99かんだい7ごう中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、1984ねん7がつ、300-308ぺーじISSN 0529-6838NAID 40002395998 
  11. ^ 粟屋あわや憲太郎けんたろう小田部おたべ雄次ゆうじ「「だい東亜とうあ戦争せんそう」と徳川とくがわ義親よしちか」『中央公論ちゅうおうこうろんだい99かんだい8ごう中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、1984ねん8がつ、284-303ぺーじISSN 0529-6838NAID 40002396091 
  12. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ敗戦はいせん徳川とくがわ義親よしちか--「徳川とくがわ義親よしちか日記にっき」を中心ちゅうしんに」『ふみえんだい45かんだい1ごう立教大学りっきょうだいがく、1986ねん3がつ、1-25ぺーじdoi:10.14992/00001212ISSN 0386-9318 
  13. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ「1920年代ねんだいにおける華族かぞく世襲せしゅう財産ざいさんへんさま--華族かぞく世襲せしゅう財産ざいさんかんするしん資料しりょう中心ちゅうしんに」『日本にっぽん研究けんきゅうだい288ごう日本にっぽん研究けんきゅうかい、1986ねん8がつ、58-72ぺーじISSN 0386-8850NAID 40002929913 
  14. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじにちしんにち戦争せんそう華族かぞく (特集とくしゅう 華族かぞく皇族こうぞく真実しんじつ) -- (追跡ついせき 華族かぞく80ねん 激動げきどう軌跡きせき)」『歴史れきし読本とくほんだい47かんだい5ごう新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2002ねん5がつ、114-117ぺーじNAID 40003828647 
  15. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ華族かぞく肖像しょうぞう (特集とくしゅう 写真しゃしん集成しゅうせい 明治めいじじん肖像しょうぞう) -- (特集とくしゅうワイド 明治めいじ肖像しょうぞう大全たいぜん--写真しゃしん肖像しょうぞうのすべて)」『歴史れきし読本とくほんだい54かんだい3ごう新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2009ねん3がつ、78-88ぺーじNAID 40016450802 
  16. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ特集とくしゅうもの なし本宮ほんぐう伊都子いつこしるした「心得こころえぐさ」を華族かぞく令嬢れいじょうこころがまえ (特集とくしゅう 華族かぞく : 近代きんだい日本にっぽんいろどった名家めいか実像じつぞう)」『歴史れきし読本とくほんだい58かんだい10ごうちゅうけい出版しゅっぱん、2013ねん10がつ、178-183ぺーじNAID 40019791838 
  17. ^ 近代きんだい天皇てんのうせいにおける女性じょせい社会しゃかいてき位置いちについて”. KAKEN. 2019ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  18. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ皇族こうぞく 天皇てんのうきん現代げんだい』〈中公新書ちゅうこうしんしょ〉2011ねん、96-98ぺーじISBN 978-4121020116 
  19. ^ ゆうひとしさまがトンボの学術がくじゅつ論文ろんぶん話題わだい一方いっぽうで、修学旅行しゅうがくりょこうの“かく写真しゃしん”が同級生どうきゅうせいによって流出りゅうしゅつ、YouTube公開こうかい宮内庁くないちょうは「事実じじつ関係かんけいについてはおこたえをひかえる」(4ページ”. 週刊しゅうかん女性じょせいPRIME (2017ねん10がつ17にち). 2023ねん12月14にち閲覧えつらん
  20. ^ 伊香いか 1989, pp. 100–103.
  21. ^ ISBN 9784642058292