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三日月藩(みかづきはん)は、播磨国佐用郡三日月(兵庫県佐用郡佐用町三日月)周辺を領した藩。藩庁は三日月陣屋。別名・乃井野藩(のいのはん)。
元禄10年(1697年)、宗家の美作国津山藩・森家の改易および備中西江原藩での再興(のち播磨国赤穂藩)にともない、分家の津山新田藩主・森長俊が新田石高と同じ1万5千石を与えられ立藩した。佐用郡・揖西郡・宍粟郡内の一部を領有し、9代174年間この地に在封した。
5代藩主・快温は寛政7年(1759年)私財を投じ藩校「廣業館」を開いた。
幕末に領内の三方里山に演武場(軍事教練場)を開いた。現在は三方里山公園となっている。
明治初頭の戊辰戦争では官軍方につき、東北遠征に参戦している。
明治4年(1871年)廃藩置県により三日月県となる。姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入された。
藩主家は明治2年(1869年)華族に列し明治17年(1884年)子爵となった。
- 森家
外様 1万5千石 (1697年 - 1871年)
- 津山藩 - 長俊の実家であり森本家の藩。三日月藩へ転封となる以前は、津山藩内に支藩・津山新田藩主となっていた。継嗣であり5代藩主となるはずだった衆利(長俊の弟)発狂により改易。
- 西江原藩 - 津山藩改易後、津山2代藩主長継が再勤し与えられた藩で、10年間だけ存在した2万石の藩。長俊の弟である長直が継ぐ。森本家扱い。
- 赤穂藩 - 長直が西江原藩後に転封となった2万石の藩。
- 新見藩 - 長俊の弟である関長治が本家の津山藩改易後に転封となって創設した1万8千石の藩。
- 下館藩
- 久留里藩 - 三日月藩主森家の分家。長俊の子森光照が、久留里藩主黒田家に仕えて家老職を世襲した。
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藩庁の置かれた地域を基準に分類しているが、他の地方に移転している藩もある。順番は『三百藩戊辰戦争事典』による。 明治期の変更: ★=新設、●=廃止、○=移転・改称、▲=任知藩事前に本藩に併合。()内は移転・改称・併合後の藩名。()のないものは県に編入。 |