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鹿島藩(かしまはん)は、佐賀藩の支藩。藩主家は鹿島鍋島家。鹿島(佐賀県鹿島市)周辺を領有した。
佐賀藩の初代藩主・鍋島勝茂の弟・忠茂が慶長16年(1610年)、佐賀藩より2万石分与され、忠茂が元々領していた下総国香取郡内の5000石を加え、2万5000石で立藩し、常広城を拠点とした。寛永19年(1642年)、第2代藩主・正茂の時、佐賀藩主・勝茂は自身の九男・直朝[注 1]を嗣子のない正茂の養子に据えようとしたが拒まれたため、鹿島の領地2万石を返還させた。以後、正茂は下総香取5000石の旗本に帰した。同年に結局、勝茂は直朝にその領地2万石(佐賀藩の内高となる)を与えた。9代藩主の直彜は文化4年(1821年)に鹿島城を築き、居城としている。
明治4年(1871年)、廃藩置県により鹿島県となる。その後、伊万里県・佐賀県・三潴県・長崎県を経て佐賀県に編入された。
藩主の鍋島家は明治2年(1869年)に華族に列し、明治17年(1884年)の華族令で子爵に叙せられた。
陣屋は、赤門(正門)と大手門と土塀が現存する。また常広城城門が個人宅に移築されている。
- 忠茂
- 正茂
- 直朝
- 直條
- 直堅
- 直郷
- 直熙
- 直宜
- 直彜
- 直永
- 直晴
- 直賢
- 直彬
田中家、納富家、愛野家、原家
- ^ 直朝については「九男」とする文献資料[1]と「五男」とする文献資料[2][3]がある。徴古館の資料では鍋島勝茂の「成人した子女のみ」を数えると「七男六女」となり直朝を五男と記載している[3]。
先代 佐賀藩の一部
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行政区の変遷 1642年以降 - 1871年 (鹿島藩→鹿島県)
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次代 伊万里県
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藩庁の置かれた地域を基準に分類しているが、他の地方に移転している藩もある。順番は『三百藩戊辰戦争事典』による。 明治期の変更: ★=新設、●=廃止、○=移転・改称、▲=任知藩事前に本藩に併合。()内は移転・改称・併合後の藩名。()のないものは県に編入。 |