(Translated by https://www.hiragana.jp/)
小倉新田藩 - Wikipedia コンテンツにスキップ

小倉おぐら新田しんでんはん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

小倉おぐら新田しんでんはん(こくらしんでんはん)は、小倉こくらはんささえはんである。末期まっき千束ちづかはん(ちづかはん)としょうした。

概略がいりゃく

[編集へんしゅう]

寛文ひろふみ7ねん(1667ねん)、小倉こくらはん2だい藩主はんしゅ小笠原おがさわら忠雄ただお藩主はんしゅ就任しゅうにんおとうと真方まがたが1まんせき内分ないぶんぶんされたてはんした。藩主はんしゅ参勤交代さんきんこうたいおこなわない江戸えど定府じょうふ大名だいみょうであった。明治めいじ2ねん1869ねん)、千束ちづか豊前ぶぜん)に陣屋じんやかま千束ちづかはん改称かいしょうした。明治めいじ4ねん(1871ねん)、廃藩置県はいはんちけんにより千束せんそくけんとなる。のち、小倉こくらけん福岡ふくおかけん編入へんにゅうされた。明治めいじ17ねん(1884ねん)、千束せんそくはん小笠原おがさわら子爵ししゃくとなり華族かぞくれつした。

歴代れきだい小倉こくら新田にった藩主はんしゅ

[編集へんしゅう]
小笠原おがさわら

譜代ふだい 1まんせき (1667ねん - 1871ねん

  1. 真方まがた
  2. 貞通さだみち
  3. さだあきら
  4. 貞温さだよし
  5. さだあきら
  6. さだけん
  7. さだよしみ 小倉こくらはん8だい藩主はんしゅ小笠原おがさわら忠嘉ただよしとなる
  8. さだやすし
  9. さだただし

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]
先代せんだい
小倉こくらはん一部いちぶ
行政ぎょうせい変遷へんせん
1667ねん - 1871ねん 千束せんそくはん千束せんそくけん
次代じだい
小倉こくらけん