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大戸川おおどかわ

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大戸川おおどかわ
大津おおつ中野なかのさん丁目ちょうめ荒戸あらときょうからのぞむ大戸川おおとがわ
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 淀川よどがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 38 km
平均へいきん流量りゅうりょう -- m³/s
流域りゅういき面積めんせき 190 km²
水源すいげん 信楽しがらき山地さんち滋賀しがけん
水源すいげん標高ひょうこう -- m
河口かこう合流ごうりゅうさき 瀬田川せたがわ滋賀しがけん
流域りゅういき 滋賀しがけん

地図

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大戸川おおどかわ(だいどがわ)は、滋賀しがけん南部なんぶながれる淀川よどがわ水系すいけい一級いっきゅう河川かせん

地理ちり

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滋賀しがけん甲賀こうが信楽しがらきまち多羅尾たらお瀑谷にみなもとはっ[1]多羅尾たらおからはなれるところから 滋賀しがけんどう334ごう多羅尾たらお神山かみやませんとお渓谷けいこくつくり、信楽しがらきまち神山かみやま神有かみありがわ合流ごうりゅうしてからは江田えだ長野ながの勅使ちょくしき・黄瀬きのせ一部いちぶ国道こくどう307ごう沿いながらきゅう信楽しがらきまちきたりゅうする[2]むらさきかおりらくみやあとがある黄瀬きのせぎると西進せいしんし、竜王山りゅうおうさん太神山たいしんやま形成けいせいされる渓谷けいこく流下りゅうかする[3]。この付近ふきん滋賀しがけんどう16ごう大津おおつ信楽線しがらきせんおよび、しん名神めいしん高速こうそく道路どうろ信楽しがらきインターチェンジから大津おおつジャンクションあいだ並行へいこうする。大津おおつ上田上大鳥居かみたなかみおおとりいまち田代川たしろかわとの合流ごうりゅう付近ふきんには1914ねん大正たいしょう3ねん竣工しゅんこう関西電力かんさいでんりょく大鳥居おおとりい発電はつでんしょがあり、その下流かりゅう上田上牧かみたなかみまきまちには1911ねん明治めいじ44ねん竣工しゅんこう滋賀しがけん最初さいしょ発電はつでんしょである関西電力かんさいでんりょく大戸川おおとがわ発電はつでんしょがある[3]上田上牧かみたなかみまきまち山間さんかんからけると大戸川おおとがわ土砂どしゃによるおき積層せきそうでできた田上たうえ平野へいや展開てんかいする[4]。この田上たうえ平野へいや生産せいさんされるこめ田上たうえべいとして出荷しゅっかされている[4]

大戸川おおとがわにはやく50のささえかわ合流ごうりゅうする[5]全長ぜんちょうやく38 km[1]別名べつめいとして「田上たのえがわ」や「信楽しがらきがわ」ともばれる[6]滋賀しがけんながれる河川かせんおおくは琵琶湖びわこ流入りゅうにゅうするが、大戸川おおどかわ直接ちょくせつ瀬田川せたがわ合流ごうりゅうする[7]

大戸川おおどかわ大津おおつ信楽しがらきけんいきぞくしており、森林しんりんけんいき土地とちやく8わりめる[5]京都きょうと奈良ならちかいため、大戸川おおとがわ上流じょうりゅうでは藤原ふじわらきょう平城京へいじょうきょうなどの建設けんせつのためにおおくの木材もくざい伐採ばっさいされていった[8]

支流しりゅう

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  • 神有かみありがわ - 信楽しがらきまち神山かみやま合流ごうりゅう中流ちゅうりゅうに“鶏鳴けいめいたき”がある[9]
  • 田代川たしろかわ - 上田上大鳥居かみたなかみおおとりいまち合流ごうりゅう[3]
  • 天神川てんじんかわ - 中流ちゅうりゅう日本にっぽん最古さいこのオランダ堰堤えんてい現存げんそんする

水勢すいせい

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大戸川おおとがわながれは「みずななごうすなさんごう」とわれてきた[1]流域りゅういき人々ひとびとは、大戸川おおとがわによって田畑たはためぐみをもたらされた一方いっぽうで、度々たびたび氾濫はんらんなやまされていた[1]。そのため、かわどう変更へんこう[10]集落しゅうらく移転いてん[11]もみられた。

瀬田川せたがわとの合流ごうりゅう

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瀬田川せたがわ大戸川おおとがわ合流ごうりゅう

南郷なんごうあらいせき建設けんせつされるまで、大戸川おおとがわ瀬田川せたがわ合流ごうりゅう付近ふきんでは中州なかす形成けいせいされ、瀬田川せたがわ流水りゅうすいさまた琵琶湖びわこ水位すいい上昇じょうしょう原因げんいんとなった[1]。かつては大戸川おおとがわ瀬田川せたがわ直角ちょっかく合流ごうりゅうするかたちり、形成けいせいされた中州なかすぐんは「黒津くろづはちとう(くろづのやしま)」とばれ、瀬田川せたがわ唯一ゆいいつあるいてわたれる地点ちてんとしてられていた[4]平安へいあん時代じだい天皇てんのう皇族こうぞく食膳しょくぜんきょうするための氷魚ひうおるための網代あじろもうけられていたので、「供御くご(くごのせ)」ともばれていた[4]洪水こうずいふせぐための浚渫しゅんせつ工事こうじによって黒津くろづ八島やしまえていき、さらには瀬田川せたがわ直角ちょっかくからゆるやかな角度かくど合流ごうりゅうさせるため終戦しゅうせん直後ちょくごから水路すいろ新設しんせつおこなわれ、かつてより400 m下流かりゅう瀬田川せたがわ合流ごうりゅうするようになった[12]

流域りゅういき自治体じちたい

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滋賀しがけん
甲賀こうが大津おおつ

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e 建設省けんせつしょう近畿きんき地方ちほう建設けんせつきょく大戸川おおとがわダム工事こうじ事務所じむしょへん) 2000, p. 1.
  2. ^ 木村きむらいたるひろし近江おうみ地方ちほう研究けんきゅうかい 1993, p. 207.
  3. ^ a b c 木村きむらいたるひろし近江おうみ地方ちほう研究けんきゅうかい 1993, p. 210.
  4. ^ a b c d 木村きむらいたるひろし近江おうみ地方ちほう研究けんきゅうかい 1993, p. 211.
  5. ^ a b 国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく 2016, p. 2-1.
  6. ^ 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい 197, p. 435.
  7. ^ 建設省けんせつしょう近畿きんき地方ちほう建設けんせつきょく大戸川おおとがわダム工事こうじ事務所じむしょへん) 2000, p. 2.
  8. ^ 大戸川おおとがわ概要がいよう”. 国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく大戸川おおとがわダム工事こうじ事務所じむしょ. 2018ねん9がつ4にち閲覧えつらん
  9. ^ 木村きむらいたるひろし近江おうみ地方ちほう研究けんきゅうかい 1993, p. 206.
  10. ^ 建設省けんせつしょう近畿きんき地方ちほう建設けんせつきょく大戸川おおとがわダム工事こうじ事務所じむしょへん) 2000, pp. 5–9.
  11. ^ 建設省けんせつしょう近畿きんき地方ちほう建設けんせつきょく大戸川おおとがわダム工事こうじ事務所じむしょへん) 2000, p. 14.
  12. ^ 木村きむらいたるひろし近江おうみ地方ちほう研究けんきゅうかい 1993, p. 212.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい角川かどかわ地名ちめいだい辞典じてん 25滋賀しがけん角川書店かどかわしょてん、1979ねん4がつ8にち 
  • 木村きむらいたるひろし近江おうみ地方ちほう研究けんきゅうかいきんごうかわ東方とうほう出版しゅっぱん、1993ねん11月15にち 
  • 建設省けんせつしょう近畿きんき地方ちほう建設けんせつきょく大戸川おおとがわダム工事こうじ事務所じむしょへん)『大戸川おおとがわ 水害すいがい歴史れきし建設省けんせつしょう近畿きんき地方ちほう建設けんせつきょく大戸川おおとがわダム工事こうじ事務所じむしょ、2000ねん3がつ31にち 
  • 国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく (2016ねん7がつ). “大戸川おおとがわダム建設けんせつ事業じぎょう検証けんしょうかか検討けんとう報告ほうこくしょ” (PDF). 国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく. 2018ねん9がつ4にち閲覧えつらん

関連かんれん文献ぶんけん

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  • 季刊きかんみずうみこく文化ぶんかだい39ごう~』より、特集とくしゅう滋賀しが治水ちすい利水りすい

関連かんれん項目こうもく

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