与謝野よさの晶子あきこ

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与謝野よさの 晶子あきこよさの あきこ
与謝野よさの晶子あきこ
誕生たんじょう おおとり やう(ほう しょう)
1878ねん12月7にち
日本の旗 日本にっぽん さかいけん和泉いずみこくだい一大いちだいげん:大阪おおさかさかいさかい甲斐町東かいのちょうひがし1ちょう甲斐町西かいのちょうにし1ちょう
死没しぼつ (1942-05-29) 1942ねん5月29にち(63さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう東京とうきょう杉並すぎなみ荻窪おぎくぼ
墓地ぼち 多磨たま霊園れいえん
職業しょくぎょう 歌人かじん作家さっか
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき さかい市立しりつさかい女学校じょがっこう技芸ぎげい
ジャンル 短歌たんか
主題しゅだい 恋愛れんあい感情かんじょう反戦はんせん思想しそう
文学ぶんがく活動かつどう ロマン主義しゅぎ
代表だいひょうさくみだれかみ』(1901ねん
きみにたまふことなかれ』(1904ねん
配偶はいぐうしゃ 与謝野よさの鉄幹てっかん1901ねん - 1935ねん
子供こども 12にん
与謝野よさのしげる次男じなん
親族しんぞく おおとり秀太郎ひでたろうあに
おおとり壽三郎じゅさぶろうおとうと
与謝野よさのかおるまご
与謝野よさのいたるまご
与謝野よさの文子ふみこまご
与謝野よさのひさまご
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与謝野よさの 晶子あきこ(よさの あきこ、正字せいじ:與謝野よさの 晶子あきこ1878ねん明治めいじ11ねん12月7にち - 1942ねん昭和しょうわ17ねん5月29にち)は、日本にっぽん歌人かじん作家さっか思想家しそうか本名ほんみょう与謝野よさの やう(よさの しょう)。旧姓きゅうせいおおとり(ほう)[1]。ペンネームの「晶子あきこ」の「あきら」は、本名ほんみょうからったもの。おっとは、おなじく歌人かじん与謝野よさの鉄幹てっかん

雑誌ざっし明星みょうじょう』に短歌たんか発表はっぴょうロマン主義しゅぎ文学ぶんがく中心ちゅうしんてき人物じんぶつとなった。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

生家せいかあと大阪おおさかさかいさかい甲斐町西かいのちょうにし1ちょう[注釈ちゅうしゃく 1]
与謝野よさの鉄幹てっかん晶子あきこ居住きょじゅうあと東京とうきょう逓信ていしん病院びょういん敷地しきちない
おっと鉄幹てっかん

おおとりやうは、さかいけん和泉いずみこくだい一大いちだい甲斐かいまち現在げんざい大阪おおさかさかいさかい甲斐町東かいのちょうひがし1ちょう甲斐町西かいのちょうにし1ちょう[注釈ちゅうしゃく 1])で老舗しにせ和菓子わがし駿河屋するがや」をいとなむ、ちちおおとりはじめななはは祢のさんじょとしてまれた。家業かぎょう没落ぼつらくしかけており、3にんおんなであったため両親りょうしんからうとまれてそだ[2]あににはのちに電気でんき工学こうがくしゃとなるおおとり秀太郎ひでたろうがいた。9さい漢学かんがくじゅくはいり、きん三味線しゃみせんならった。さかい市立しりつさかい女学校じょがっこうげん大阪おおさか府立ふりついずみ高等こうとう学校がっこう)に入学にゅうがくすると『源氏物語げんじものがたり』などをはじ古典こてんしたしんだ。またあに影響えいきょうけ、「じゅうさんのころから、『しがらみ草紙ぞうし』(には『めざましそう』)[注釈ちゅうしゃく 2]文学ぶんがくかい』や紅葉こうよう露伴ろはん一葉いちようなどの小説しょうせつむのが一番いちばんたのしみ」(『明星みょうじょう1906ねん5がつ)であった。16さいときには、『文芸ぶんげい倶楽部くらぶ』におおとり晶子あきこ名前なまえ投稿とうこうした短歌たんかった[3]

20さいごろより店番みせばんをしつつ和歌わか投稿とうこうするようになる。なみはな青年せいねん文学ぶんがくかい参加さんかのち1900ねん明治めいじ33ねん)、浜寺公園はまでらこうえん旅館りょかんおこなわれた歌会うたかい歌人かじん与謝野よさの鉄幹てっかん不倫ふりん関係かんけいになり、鉄幹てっかん創立そうりつしたしんしゃ機関きかん明星みょうじょう』に短歌たんか発表はっぴょう翌年よくねん東京とうきょううつり、女性じょせい官能かんのうをおおらかにうた処女しょじょ歌集かしゅうみだれかみ』(おおとり晶子あきこ)を刊行かんこうし、浪漫ろうまん歌人かじんとしてのスタイルを確立かくりつした。のちに鉄幹てっかん結婚けっこん子供こどもを12にん出産しゅっさんしている[注釈ちゅうしゃく 3]

1904ねん明治めいじ37ねん)9がつ、『きみにたまふことなかれ』を『明星みょうじょう』に発表はっぴょう大町おおまち桂月けいげつとのあいだにこのをめぐって論議ろんぎがおこった。1911ねん明治めいじ44ねん)には史上しじょうはつ女性じょせい文芸ぶんげい青鞜せいとう創刊そうかんごうに「やまうごきたる」ではじまる寄稿きこうした。1912ねん明治めいじ45ねん)、晶子あきこ鉄幹てっかんのちってフランスのパリくことになった。洋行ようこう工面くめんは、もり鴎外おうがい手助てだすけをし[注釈ちゅうしゃく 4]、また『新訳しんやく源氏物語げんじものがたり』の序文じょぶんいた鴎外おうがいがその校正こうせいわった。同年どうねん5がつ5にち読売新聞よみうりしんぶんが「あたらしいおんな」の連載れんさい開始かいしし、だいいちかい晶子あきこのパリきをげ、よく6にちには晶子あきこ出発しゅっぱつ様子ようすほうじた[注釈ちゅうしゃく 5]よく6がつの『中央公論ちゅうおうこうろん』では、晶子あきこ特集とくしゅうまれた[注釈ちゅうしゃく 6]敦賀港つるがみなとからふねロシアウラジオストクこうわたウラジオストクえきからシベリア鉄道てつどうモスクワ経由けいゆでパリへ旅立たびだった。そのさいんだ 「いざ、てんがためにかねくるまをきしらせよ、 颶風ぐふうはねひがしより いざ、こころよくおいへ。黄泉よみそこまで、なきながら、 たのおとこたずねたる、そのむかしにもえやおとる。 おんなこいのせつなさよ。晶子あきこものきょうふらん、 もえゆるいだきながら、 てんがけりゆく、西にしく、 巴里ぱりきみへ逢ひにく。与謝野よさの晶子あきこ」とかれた石碑せきひがウラジオストクの極東きょくとう連邦れんぽう大学だいがく東洋とうよう学院がくいん敷地しきちにある。

5月19にちシベリア鉄道てつどう経由けいゆでパリに到着とうちゃくした晶子あきこは、9月21にちにフランスのマルセイユみなとから貨客船かきゃくせん平野ひらのまる」で帰国きこくにつくまでの4かげつあいだ、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、オランダなどをおとずれた。また帰国きこくしてから2ねん鉄幹てっかんとの共著きょうちょ巴里ぱりより』で、「上略じょうりゃく要求ようきゅうすべき正当せいとうだいいち権利けんり教育きょういく自由じゆうである。」と、女性じょせい教育きょういく必要ひつようせいなどをいた。

1921ねん大正たいしょう10ねん)に建築けんちく西村にしむら伊作いさくと、画家がか石井いしい柏亭はくていそしておっと鉄幹てっかんらとともにちゃみず駿河台するがだい文化ぶんか学院がくいん創設そうせつする[3]男女だんじょ平等びょうどう教育きょういくとなえ、日本にっぽん最初さいしょ男女だんじょ共学きょうがく成立せいりつさせる。晶子あきこまなべかんとして女子じょし教育きょういく実践じっせんした[注釈ちゅうしゃく 7][1]

だくさんだったが、鉄幹てっかんきはわるくなる一方いっぽうで、かれ大学だいがく教授きょうじゅしょくにつくまでおっと収入しゅうにゅうがまったくあてにならず孤軍こぐん奮闘ふんとうした[7]きた仕事しごとはすべてけなければ家計かけいりたず、歌集かしゅう原稿げんこうりょう前払まえばらいしてもらっていたという。多忙たぼうなやりくりのあいだも、即興そっきょう短歌たんかかいおんなたちとともにひらいたりし、のこしたうたは5まんしゅにもおよぶ。『源氏物語げんじものがたり』の現代げんだいやくしんしん源氏げんじ』、詩作しさく評論ひょうろん活動かつどうとエネルギッシュな人生じんせいおくり、女性じょせい解放かいほう思想家しそうかとしても巨大きょだい足跡あしあとのこした。

1940ねん4がつ京都きょうと鞍馬山くらまやまおこなわれる鉄幹てっかん法要ほうよう出席しゅっせきのため関西かんさいき、たびからかえってきたのち5がつ脳出血のうしゅっけつみぎ半身不随はんしんふずいになり、1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ4にち意識いしき不明ふめいになる[8]同年どうねん5がつ29にち狭心症きょうしんしょう尿毒症にょうどくしょう併発へいはつし、荻窪おぎくぼ自宅じたく死去しきょ[9][10]享年きょうねん65(まん63さいぼつ)。同年どうねん6がつ1にち青山あおやま斎場さいじょう彼女かのじょ葬儀そうぎ告別こくべつしきいとなまれ、高村たかむら光太郎こうたろう弔辞ちょうじげ、堀口ほりぐち大學だいがく挽歌ばんかささげた。戒名かいみょうしろさくらいんおおとりしょうあきら燿大あね[10]はか多磨たま霊園れいえんにある[11]毎年まいとしさかいにある覚王寺かくおうじでは命日めいにちに、「しろさくら(はくおうき)」という法要ほうようがいとなまれている[12]

業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

作家さっか歌人かじん[編集へんしゅう]

窓際まどぎわでポーズをとる

情熱じょうねつてき作品さくひんおおいとひょうされる歌集かしゅうみだれかみ』(1901ねん)や、にち戦争せんそうときうたった『きみにたまふことなかれ』が有名ゆうめいである。『源氏物語げんじものがたり』の現代げんだいやくでもられる。

歌集かしゅう『みだれかみ』では、女性じょせい自我じが性愛せいあい表現ひょうげんするなどかんがえられなかった時代じだい女性じょせい官能かんのうをおおらかにうたい、浪漫ろうまん歌人かじんとしてのスタイルを確立かくりつした[13]伝統でんとうてき歌壇かだんから反発はんぱつけたが、世間せけん耳目じもくあつめて熱狂ねっきょうてき支持しじけ、歌壇かだん多大ただい影響えいきょうおよぼすこととなった。所収しょしゅう短歌たんかにちなみ「やははだ晶子あきこ」とばれた。

1904ねん明治めいじ37ねん)9がつ半年はんとしまえ召集しょうしゅうされにち戦争せんそう旅順りょじゅん攻囲こういせん予備よび陸軍りくぐん歩兵ほへい少尉しょういとして従軍じゅうぐんしていたおとうとなげいて『きみにたまふことなかれ』を『明星みょうじょう』に発表はっぴょうした。なお、晶子あきこおとうとおおとりさんろうにち戦争せんそうから帰還きかんし、1944ねん昭和しょうわ19ねん)まできているが、かれ所属しょぞくした歩兵ほへいだい8連隊れんたいはこのまれたころりょう会戦かいせんたたかっており、旅順りょじゅん攻囲こういせんには参戦さんせんしていない可能かのうせいたかい。

その3れんで「すめらみことはたたかいに おおみずからはだしでまさね(天皇てんのう戦争せんそうみずかかけられない)」とうたい、晶子あきこ親交しんこうふか歌人かじんであった文芸ぶんげい批評ひひょう大町おおまち桂月けいげつはこれにたいして「大事だいじ也、つま大事だいじ也、くにほろびてもよし、商人しょうにんたたかふべき義務ぎむなしといふは、あまりに大胆だいたんすぐる言葉ことば」と批判ひはんした[14]晶子あきこは『明星みょうじょう』11がつごうに『ひらきぶみ』を発表はっぴょう、「桂月けいげつさまたいさう危険きけんなる思想しそうおおせられこうへど、当節とうせつのやうにねよねよともうこうこと、またなにごとにも忠君ちゅうくん愛国あいこく文字もじや、かしこおほき教育きょういく勅語ちょくごなどをきてろんずることの流行りゅうこうは、このほうかへつて危険きけんもうすものにこうはずや」と非難ひなんし、「うたはまことのしんうたうもの」と桂月けいげつ反論はんろんした[注釈ちゅうしゃく 8]

大町おおまち桂月けいげつは『太陽たいよう誌上しじょう論文ろんぶん詩歌しか骨髄こつづい』を掲載けいさいし「皇室こうしつ中心ちゅうしん主義しゅぎもって、晶子あきこけんすれば、乱臣らんしんなり賊子ぞくしなり、国家こっか刑罰けいばつふべき罪人ざいにんなりと絶叫ぜっきょうせざるをざるものなり」とはげしく非難ひなんしたが、おっと与謝野よさの鉄幹てっかん平出ひらでおさむ直談判じかだんぱんにより、桂月けいげつは「詩歌しか状況じょうきょうによっては国家こっか社会しゃかいふくすべし」とする立場たちばえなかったものの、晶子あきこたいする「乱臣賊子らんしんぞくし云々うんぬん」のかたりげ、論争ろんそう収束しゅうそくする。こののち1925ねん大正たいしょう14ねん)6がつ11にち桂月けいげつは57さい病没びょうぼつするが、『横浜よこはま貿易ぼうえき新報しんぽう』に晶子あきこ追憶ついおくをよせた。

この騒動そうどうのため晶子あきこは「いやせん歌人かじん」という印象いんしょうつよいが、1910ねん明治めいじ43ねん)に発生はっせいしただいろく潜水せんすいてい沈没ちんぼつ事故じこさいには、「海底かいていの みずあかりにしたためし ながわかれの ますらおとこぶんひとしやくじゅうへんうたみ、だいいち世界せかい大戦たいせんおりは『戦争せんそう』というのなかで、「いまはたたかときである せんいやひのわたしさへ 今日きょう此頃はたかぶる」ときわめて励戦てき戦争せんそう賛美さんびうたつくっている。満州まんしゅう事変じへん勃発ぼっぱつ以降いこうは、戦時せんじ体制たいせい翼賛よくさん体制たいせい強化きょうかされたことを勘案かんあんしても、満州まんしゅうこく成立せいりつ容認ようにん擁護ようごし、1942ねん昭和しょうわ17ねん)に発表はっぴょうした『しろさくらしゅう』で、以前いぜんうたきみにたまうことなかれ」とはせい反対はんたいに、戦争せんそう美化びかし、鼓舞こぶするうたつくった。たとえば、「つよきかな てんおそれず ぢぬ せんをすなる ますらたけをは」や、海軍かいぐん大尉たいいとして出征しゅっせいするよんなんたいしてんだ『きみにたまうことなかれ』とはせい反対はんたい意味いみとなる「水軍すいぐんの 大尉たいいとなりて わが四郎しろう みぐんにゆく たけくせんへ」など。このようなことから、反戦はんせんとしては一貫いっかんせいがなかった。

にち戦争せんそう当時とうじに「幸徳こうとく秋水しゅうすい反戦はんせんろん大嫌だいきらいだ」と公言こうげんしているが、大逆だいぎゃく事件じけんでは秋水しゅうすい死刑しけいになったじゅうにんに「産屋うぶやなる わが枕辺まくらべに しろつ 大逆だいぎゃくしゅうの じゅうかん」といううた1911ねん明治めいじ44ねん3月7にちに『東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』に発表はっぴょうしている。刑死けいししゃ一人ひとり大石おおいし誠之助せいのすけは『明星みょうじょう』の同人どうじんかかわりもふかく、また女性じょせいでただ一人ひとり死刑しけいとなった管野かんのスガ未決みけつざいかんちゅう弁護士べんごし平出ひらでおさむ晶子あきこ歌集かしゅうれをたのんでいるが、晶子あきこ直接ちょくせつれなかったことの悔恨かいこん小林こばやしたかしねむりへの手紙てがみのこしている。

1911ねん明治めいじ44ねん)に『青鞜せいとう発刊はっかん参加さんか[15]。『そぞろごと』で賛辞さんじおくって巻頭かんとうかざり、「あたらしいおんな一人ひとり」としてせた。同年どうねん文部省もんぶしょう内務省ないむしょう文芸ぶんげい作品さくひん顕彰けんしょうしょうし、諮問しもん機関きかん文芸ぶんげい委員いいんかいつくったことにたいし、晶子あきこは「栄太郎えいたろう ひがしすけといふ 大臣だいじんは 文学ぶんがくをしらず あはれなるかな」と皮肉ひにくちて批判ひはんてきうたつくっている。文芸ぶんげい委員いいんかいたいしては、夏目なつめ漱石そうせきも「もっと不愉快ふゆかい方法ほうほう行政ぎょうせいじょう都合つごうのいい作品さくひんのみを奨励しょうれいするのがえすいている」とっている。

1915ねん大正たいしょう4ねん)12月12にち読売新聞よみうりしんぶん[16]に『ししぐん』という国会こっかい議員ぎいんたいする不信ふしんうたちょう発表はっぴょうした[17]。また、晶子あきこ婦人ふじん参政さんせいけんとなえ、『せんうた』をつくっている。このうた山田やまだ耕筰こうさく作曲さっきょくだいいちかい全日本ぜんにほんせん大会たいかいにおいて披露ひろうされた。

1924ねん大正たいしょう13ねん文化ぶんか学院がくいん専門せんもん学校がっこうおよび高等こうとう専修せんしゅう学校がっこうしき(校歌こうか)「頌」作詞さくし作曲さっきょく山田やまだ耕筰こうさく

2014ねん平成へいせい25ねん)に発見はっけんされた発表はっぴょううたでは、にちちゅう戦争せんそう拡大かくだいうれいて「秋風あきかぜやいくさはつ(はじ)まりみなとなるたゞのふねさへかなしけれ」とんでいる。「たゞのふね」とは民間みんかん商船しょうせんのこと。1937ねん昭和しょうわ12ねん8がつ13にち横浜よこはまこう扇子せんすにしたためたという[注釈ちゅうしゃく 9]

晶子あきこが34さいのとき『新訳しんやく源氏物語げんじものがたり』をよんさつほんとしてしたが、どころとした北村きたむら季吟きぎんの『みずうみがつしょう』にはあやまりがおおく、外遊がいゆう資金しきん調達ちょうたつのためにいそぎ、また、校訂こうていたったもり鷗外は『源氏物語げんじものがたり』の専門せんもんでないなど欠陥けっかんおおいものだった。そのため、いちからやりなおし、源氏げんじ54じょうのうち最後さいごの『宇治うじじゅうじょう』をのこすまでげたが、関東大震災かんとうだいしんさいのために文化ぶんか学院がくいんにあった原稿げんこうはいになってしまう。またもいちからやりなおし、さらに17ねんかけて6かんほんしん新訳しんやく源氏物語げんじものがたり』を完成かんせいさせる。1938ねん昭和しょうわ13ねん)10がつより刊行かんこうし、翌年よくねん9がつ完結かんけつした。

晶子あきこ短歌たんか評論ひょうろん以外いがいに「童話どうわ美文びぶん」も手掛てがけている。『たまきいち年間ねんかん』『やっつのよる』『うねうねかわ』『ってまいります』などのおとぎばなし童話どうわしゅうのほかに、すうおおくの童話どうわ少女しょうじょ小説しょうせつふう物語ものがたりなどを雑誌ざっし発表はっぴょうしている。こうした作品さくひん執筆しっぴつ期間きかんは、現在げんざいわかっているだけで、1907ねん明治めいじ40ねん)から1925ねん大正たいしょう14ねん)まで、じつに20ねんちか[19]

評論ひょうろん[編集へんしゅう]

晶子あきこにち戦争せんそうから新聞しんぶん雑誌ざっし警世けいせいぶんくようになり、社会しゃかい問題もんだい婦人ふじん問題もんだいかんした評論ひょうろん活動かつどうをはじめる。評論ひょうろんは「女性じょせい自立じりつろん」と「政治せいじ評論ひょうろん」に分類ぶんるいできる。教育きょういく問題もんだいなども評論ひょうろんしている。わたりおうから帰国きこくし、さかい時代じだい蓄積ちくせきしてきた東洋とうよう思想しそうに、西洋せいよう近代きんだい哲学てつがく移入いにゅう晶子あきこ思想しそうてき基盤きばん構築こうちくされていった。東洋とうよう思想しそうについては「そう」「れつ」など、西洋せいよう思想しそうについてはアリストテレス、R・デカルト、F・W・ニーチェなどの思想しそうによる人間にんげんがくてき考察こうさつおこない、晶子あきこ特有とくゆうのユニークな人間にんげんかん形成けいせいした[20]。そしてこうした思想しそう評論ひょうろん活動かつどうにつながっていく。1915ねん大正たいしょう4ねん)1がつから総合そうごう太陽たいよう誌上しじょうの「婦人ふじんかい評論ひょうろん」に長文ちょうぶん連載れんさいを、1916ねん大正たいしょう5ねん)9がつからは「横浜よこはま貿易ぼうえき新報しんぽう」に特別とくべつ寄稿きこうとして連載れんさい開始かいしする[21]

女性じょせい自立じりつろん[編集へんしゅう]

1912ねん明治めいじ45ねん)5かげつあいだわたりおう体験たいけんで、自立じりつした女性じょせいたちを間近まぢか体験たいけんはそのの「母性ぼせい保護ほごろんそう」の下地したじとなった[15]

晶子あきこは「女性じょせい自分じぶん自己じこ鍛錬たんれん自己じこ修養しゅうようし、人格じんかく陶冶とうやすること」をいた。これはえいべい思想しそうてき個人こじん主義しゅぎである。また、数学すうがく大変たいへん得意とくいであり、「女性じょせい自然しぜん科学かがくまなぶべき」と主張しゅちょうした[22]

はん良妻賢母りょうさいけんぼ主義しゅぎ危険きけん思想しそうだとていた文部省もんぶしょうまり強化きょうかたいし、妊娠にんしん出産しゅっさん国庫こっこ補助ほじょさせようとする平塚ひらつからいてうとなえる母性ぼせい中心ちゅうしん主義しゅぎは、かたちえたあらたな良妻賢母りょうさいけんぼにすぎないと論評ろんぴょうし、平塚ひらつからいてう、山田やまだわからを相手あいて母性ぼせい保護ほご論争ろんそういどんで「婦人ふじん男子だんしにも国家こっかにもりかかるべきではない」と主張しゅちょうした。ここで論壇ろんだん登場とうじょうした女性じょせい解放かいほう思想家しそうか山川やまかわ菊栄きくえは、保護ほご平塚ひらつか)か経済けいざいてき自立じりつ与謝野よさの)かの対立たいりつに、婦人ふじん運動うんどう歴史れきしてき文脈ぶんみゃくあきらかにし、差別さべつのない社会しゃかいでしか婦人ふじん解放かいほうはありえないと社会しゃかい主義しゅぎ立場たちば整理せいりした。文部省もんぶしょう意向いこうとはまったちが次元じげん論争ろんそう終始しゅうしした。

政治せいじ評論ひょうろん[編集へんしゅう]

晶子あきこはん共産きょうさん主義しゅぎはんソ連それん立場たちばから論陣ろんじんった。その論文ろんぶんかずは、じつに20ほんえる。『きみにたまふことなかれ』を前面ぜんめんしてはいたが、前述ぜんじゅつのように一貫いっかんせいがなく、当時とうじ労農ろうのう主義しゅぎ』として紹介しょうかいされていたマルクス・レーニン主義しゅぎ批判ひはんしていた[よう出典しゅってん]

シベリア出兵しゅっぺいを「日本にっぽん領土りょうどてき野心やしん猜疑さいぎされ、にち戦争せんそう外債がいさいによる国民こくみん生活せいかつ疲弊ひへいふたたこす」と反対はんたいしている。また、べい騒動そうどうかんして『太陽たいよう誌上しじょうに「食料しょくりょう騒動そうどうについて」というぶんき、そのなか当時とうじ寺内てらうち内閣ないかく退陣たいじん要求ようきゅうしている。

教育きょういく評論ひょうろん学校がっこう創立そうりつ[編集へんしゅう]

晶子あきこは『中央公論ちゅうおうこうろん1919ねん大正たいしょう8ねん)5がつごうに「教育きょういく国民こくみんのぞむ」(単行本たんこうぼん激動げきどうなかく』にしたとき教育きょういく民主みんしゅ主義しゅぎ要求ようきゅうす』と改題かいだい)というぶんいている。かく府県ふけん市町村しちょうそん民選みんせん教育きょういく委員いいんもうけることを提案ていあんしている。いま教育きょういくは「文部省もんぶしょう専制せんせいてき裁断さいだん屈従くつじゅうした教育きょういく」であるから、それを「かく自治体じちたいにおけるそれらの教育きょういく委員いいん自由じゆう裁量さいりょう一任いちにん」し、それによって「教育きょういく国民こくみん自身じしんのものとなる」と主張しゅちょうしている。ほかにも、ヨーロッパのろう婦人ふじんわか婦人ふじんとさまざまの社会しゃかい奉仕ほうし努力どりょくする姿すがたて、日本にっぽんにも成人せいじん教育きょういく社会しゃかい教育きょういくつくるよう提言ていげんしている。

1921ねん大正たいしょう10ねん晶子あきこ鉄幹てっかん文化ぶんか学院がくいん創立そうりつする。晶子あきこはそこで教師きょうしとなる。文化ぶんか学院がくいんでは、自由じゆう個性こせい尊重そんちょうする人間にんげん教育きょういくをめざし、自由じゆう服装ふくそうなど校則こうそくにしばることなく、文化ぶんか芸術げいじゅつ感性かんせいそだてる教育きょういくをおこなった。カリキュラムは広範囲こうはんいにわたり、とく芸術げいじゅつ関連かんれん科目かもくおおく、教員きょういんには作曲さっきょく画家がかなど専門せんもんくわわった[23]最初さいしょ中等ちゅうとう教育きょういくける機会きかいすくない女子じょしのための中学ちゅうがくから出発しゅっぱつし、40めいおんな生徒せいと入学にゅうがくした。1923ねん大正たいしょう12ねん)から男女だんじょ共学きょうがくになる[24]

家族かぞく親族しんぞく[編集へんしゅう]

おおとり

与謝野よさの

しゅう外交がいこうかんとしてイタリアエジプト大使たいしなどを歴任れきにんし、1964ねん東京とうきょうオリンピック事務じむちょうつとめた。

晶子あきこどもたち

晶子あきこ生涯しょうがい出産しゅっさんを11かい経験けいけんしている。双子ふたごは2かいで、いちくみそだちもういちくみ1人ひとり死産しざんだった[31]。1911ねん明治めいじ44ねん)にほんになっただいいち評論ひょうろんしゅう一隅いちぐうより」の「産屋うぶや物語ものがたり」のなかでは、おさんくるしみを「盲腸もうちょうろくばいですからね」「死刑しけいまえ分間ふんかん」といながらも、だからこそどもが可愛かわいいと晶子あきこうったえている。1912ねん明治めいじ45ねん)5がつ晶子あきこひろしってパリにかう。わたりおうさきからにんどもたちにて、電車でんしゃのきっぷや飛行機ひこうきをお土産みやげってかえることなどをいたはがきをたくさんおくっている[32]。パリに滞在たいざいしながらドイツ、オーストリアなどにたびていたが、日本にっぽんのこしてきたどもたちへのおもいがこうじ、さらに妊娠にんしんしてからだ変調へんちょうもあったため9がつ帰国きこくにつく[33]。『明星みょうじょう』が廃刊はいかんになるなど、経済けいざいてききびしいときでも、裁縫さいほうでも料理りょうりでも一流いちりゅう腕前うでまえだった晶子あきこは、おかねをかけない料理りょうり工夫くふうをした。また彼岸ひがんおはぎ月見つきみ団子だんごなどを手作てづくりするなど、ぶしあじ行事ぎょうじ大切たいせつらした[34]あかぼうをおんぶしながら、台所だいどころ煮物にものをしながら、なんでもそばにある鉛筆えんぴつやペンなどで心覚こころおぼえをきとめておいた。そのノートにむすめたちはいたずらきをし、おとこ汽車きしゃ電車でんしゃいてしまうが、それでもめげすにうたものをして一家いっかささえた[35]長男ちょうなんひかり回顧かいころく晶子あきこひろしおも』で「ぼく学校がっこうがるまでっていうのはほんとうに貧乏びんぼうでしたから、玩具おもちゃってもらえなかったけど、よるしなに、はは枕元まくらもとでおはなしをしてくれましてね。」とかたっている。晶子あきこ教育きょういくかんは、どちらかというと放任ほうにん主義しゅぎだったが、どもたちを私立しりつかよわせるなど、教育きょういくけられるようにしんくだいた。たくさんのどもたちとの生活せいかつ様子ようすは、次男じなんよめ道子みちこしるした『どっきり花嫁はなよめ』や、長男ちょうなんよめになった廸子の『おも』につづられている[36]

与謝野よさのどもたちの名前なまえ

まれたどもたちの名付なづおやには著名ちょめいじんつらねている[37]長男ちょうなんひかり詩人しじん翻訳ほんやく上田うえださとし二男じなんしゅう詩人しじん薄田うすだ泣菫きゅうきん双子ふたご長女ちょうじょはちほう二女じじょなな作家さっかもり鴎外おうがい鴎外おうがい双子ふたごみこんだしゅくつくっている。

よんなんのアウギュストはパリをおとずれたとき、彫刻ちょうこくのアウギュスト・ロダンにえたことを記念きねんにつけられたがのちに昱と改名かいめいじょのエレンヌは改名かいめいむずかしかったのでを「幸子さちこ」とえている[38]

著作ちょさく文献ぶんけん[編集へんしゅう]

自著じちょ[編集へんしゅう]

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 1954ねん9がつ晶子あきこ曼陀羅まんだら佐藤さとう春夫はるおしるだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ。(角川かどかわ文庫ぶんこ、1962ねん4がつ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ、1993ねん11月。ISBN 4061962485
  • 1957ねん1がつ与謝野よさの晶子あきこ書誌しょし入江いりえ春行はるゆきしるつくもとしゃ
  • 1967ねん11月 『うたのしんきた人々ひとびと茨木いばらぎのりしる、さ・え・ら書房しょぼうISBN 4378018276ちくま文庫ぶんこISBN 448002879X
  • 1967ねん3がつ 『どっきり花嫁はなよめ:はは与謝野よさの晶子あきこ与謝野よさの道子みちこちょ主婦しゅふ友社ともしゃ角川書店かどかわしょてん
  • 1968ねん3がつ与謝野よさの晶子あきこ福田ふくだ清人きよひと浜名はまな弘子ひろこへん清水しみず書院しょいん『センチュリーブックス じん作品さくひん』21)、清水しみず書院しょいんISBN 4389400215
  • 1972ねんせんすじの黒髪くろかみ:わがあい与謝野よさの晶子あきこ田辺たなべ聖子せいこしる文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうISBN 4163022503文春ぶんしゅん文庫ぶんこ、1975ねんISBN 4167153017
  • 1981ねん1がつ与謝野よさの晶子あきこ秀歌しゅうか馬場ばばあきしる短歌新聞社たんかしんぶんしゃ現代げんだい短歌たんか鑑賞かんしょうシリーズ〉。(『馬場ばばあき全集ぜんしゅうだい9かんさんいち書房しょぼう、1997ねん4がつISBN 4380975428
  • 1981ねん3がつ晶子あきこ周辺しゅうへん入江いりえ春行はるゆきちょ洋々ようようしゃ
  • 1981ねん7がつ 『みだれかみ系譜けいふ比較ひかく文学ぶんがく芳賀はがとおるしる美術びじゅつ公論こうろんしゃ講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1988ねん10がつISBN 406158846X
  • 1981ねん12月 『与謝野よさの晶子あきこしんあいだ進一しんいちしるさくらかえでしゃ短歌たんかシリーズ・にん作品さくひん4〉。ISBN 4273005050
  • 1983ねん5がつ与謝野よさの晶子あきこ文学ぶんがく入江いりえ春行はるゆきちょさくらかえでしゃ近代きんだい文学ぶんがく13〉
  • 1984ねん3がつ与謝野よさの晶子あきこ昭和しょうわじゅうきゅうねん春季しゅんき特別とくべつてんさかい博物館はくぶつかんへんさかい博物館はくぶつかん
  • 1984ねん7がつおも わが青春せいしゅん与謝野よさの晶子あきこ与謝野よさの廸子ちょ三水社さんすいしゃ
  • 1985ねん8がつ与謝野よさの晶子あきこ評論ひょうろんしゅう鹿野かの政直まさなおこうない信子のぶこへん岩波書店いわなみしょてん
  • 1985ねん9がつゆめのかけはし晶子あきこ武郎たけお有情うじょうえいはた道子みちこしるしん評論ひょうろん。(新装しんそうばん、1988ねんISBN 479480010X文春ぶんしゅん文庫ぶんこ、1990ねん10がつISBN 4167524023
  • 1986ねん9がつやまうごきたる:評伝ひょうでん与謝野よさの晶子あきこ山本やまもと千恵ちえちょ大月書店おおつきしょてんISBN 4272540416
  • 1987ねん9がつはならんえいはた道子みちこちょしん評論ひょうろんISBN 4794831145新装しんそうばん、1988ねん7がつISBN 4794800118文春ぶんしゅん文庫ぶんこ、1992ねん6がつISBN 416752404X
  • 1988ねん10がつしゅうとしんよめおもい:義母ぎぼ与謝野よさの晶子あきことの会話かいわ与謝野よさの道子みちこちょPHP研究所けんきゅうじょISBN 4569223478
  • 1989ねん2がつ憂国ゆうこく鉄幹てっかん晶子あきこ・その時代じだいえいはた道子みちこちょしん評論ひょうろんISBN 4794800231(ちくま文庫ぶんこ、1996ねん1がつISBN 4480031472
  • 1989ねん5がつ 『アメリカで与謝野よさの晶子あきこをうたえば』吉岡よしおかしげしる朝日新聞社あさひしんぶんしゃISBN 4022560134
  • 1990ねん8がつ与謝野よさの晶子あきこ研究けんきゅう明治めいじ青春せいしゅん赤塚あかつか行雄ゆきおしる學藝がくげい書林しょりんISBN 4905640741決定けっていばん、1994ねん10がつISBN 4875170076
  • 1990ねん10がつ与謝野よさの晶子あきこ教育きょういく思想しそう研究けんきゅう平子ひらこ恭子きょうこちょさくらかえでしゃISBN 427302392X
  • 1991ねん4がつ与謝野よさの晶子あきこ歌碑かひめぐり:全国ぜんこくばんさかい博物館はくぶつかんへんびんしゃISBN 4931199097しんてい、2007ねん5がつISBN 9784861080388
  • 1991ねん3がつ与謝野よさの晶子あきこ:その生涯しょうがい作品さくひんぼつ50ねん記念きねん特別とくべつてんさかい博物館はくぶつかんへんさかい博物館はくぶつかん
  • 1991ねん6がつ与謝野よさの晶子あきこ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃへん、(『しん文芸ぶんげい読本とくほん』)、河出書房新社かわでしょぼうしんしゃISBN 4309701582
  • 1991ねん9がつ晶子あきこひろしおも与謝野よさのひかりちょ思文閣出版しぶんかくしゅっぱんISBN 478420668X
  • 1992ねん3がつ与謝野よさの晶子あきこ尾崎おざきひだり永子えいこちょ大岡おおおかしんへん(『群像ぐんぞう 日本にっぽん作家さっか』6)小学館しょうがくかんISBN 4095670061
  • 1992ねん7がつこいむらさき:小説しょうせつ与謝野よさの晶子あきこ倉橋くらはし燿子しる、(『mimiヤングガールズ・ブック』)、講談社こうだんしゃISBN 4061708538
  • 1992ねん8がつ日本橋にほんばし魚河岸うおがし文化ぶんか学院がくいんおもきむくぼキミちょ卯辰山文庫うしんざんぶんこ
  • 1992ねん11月 『鷗外と「女性じょせい」:もり鷗外論究ろんきゅう金子かねこ幸代さちよしる大東だいとう出版しゅっぱんしゃISBN 4500005889
  • 1993ねん3がつあいのうた:晶子あきこ啄木たくぼく茂吉しげよし尾崎おざきひだり永子えいこちょそうじゅしゃ
  • 1993ねん9がつ初恋はつこいこいしたおんな与謝野よさの晶子あきこ南条なんじょう範夫のりおしる講談社こうだんしゃISBN 4062066203講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ、1997ねん5がつISBN 4062635186
  • 1993ねん10がつ与謝野よさの晶子あきこ昭和しょうわ中心ちゅうしんに』こうない信子のぶこちょ、ドメス出版しゅっぱんISBN 4810703703
  • 1993ねん11月 『わが晶子あきこわが啄木たくぼく近代きんだい短歌たんか史上しじょうかがや恒星こうせい遊星ゆうせい川内かわうちとおるせいちょ有朋ありともどうISBN 4842201673
  • 1994ねん2がつきみにたまふこと勿れ』中村なかむら文雄ふみおちょ和泉いずみ書院しょいん和泉いずみ選書せんしょ85〉。ISBN 4870886278
  • 1994ねん10がつ晶子あきこ讃歌さんか中山なかやま凡流ちょ沖積舎ちゅうせきしゃISBN 4806045985
  • 1995ねん4がつ与謝野よさの晶子あきこ平子ひらこ恭子きょうこちょ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ年表ねんぴょう作家さっか読本とくほん〉。ISBN 4309700551
  • 1995ねん5がつ与謝野よさの晶子あきこまなひとのために』上田うえだひろし富村とびむらしゅんみやつこへん世界せかい思想しそうしゃISBN 4790705544
  • 1996ねん1がつきみ雛罌粟ひなげしわれも雛罌粟ひなげし与謝野よさの鉄幹てっかん晶子あきこ夫妻ふさい生涯しょうがい渡辺わたなべ淳一じゅんいちしる文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう上巻じょうかん ISBN 9784163160108下巻げかん ISBN 9784163160207文春ぶんしゅん文庫ぶんこうえ ISBN 9784167145224した ISBN 9784167145231
  • 1996ねん7がつ資料しりょう与謝野よさの晶子あきこたびおきりょうちょ武蔵野むさしの書房しょぼう
  • 1996ねん9がつ山川やまかわ登美子とみこ与謝野よさの晶子あきこ直木なおき孝次郎こうじろうしるはなわ書房しょぼうISBN 4827300763
  • 1996ねん11月 『おんなをかし与謝野よさの晶子あきこ横浜よこはま貿易ぼうえき新報しんぽう時代じだい赤塚あかつか行雄ゆきおちょ神奈川新聞社かながわしんぶんしゃISBN 4876452059
  • 1997ねん1がつ絵画かいが色彩しきさい晶子あきこうたわたし与謝野よさの晶子あきこもちたに靖子やすこちょ、にっけん教育きょういく出版しゅっぱんしゃ〈にっけんの文学ぶんがく文芸ぶんげいシリーズ〉。ISBN 4795201943
  • 1997ねん9がついろす:富村とびむらしゅんづくり与謝野よさの晶子あきこアカデミーの軌跡きせき与謝野よさの晶子あきこアカデミーひゃくかい記念きねん編集へんしゅう委員いいんかいへん、『やまうご』のかい
  • 1998ねん3がつ尾崎おざき行雄ゆきお:「議会ぎかいちち」と与謝野よさの晶子あきこ上田うえだひろしちょさんいち書房しょぼうISBN 4380982173
  • 1998ねん7がつ 『チョコレートやく:みだれかみたわら万智まちわけ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃISBN 4309012280河出かわで文庫ぶんこ、2002ねん7がつISBN 4309406556
  • 1998ねん7がつ與謝野よさの晶子あきこ周辺しゅうへんひとびと:ジャーナリズムとのかかわりを中心ちゅうしんに』こうない信子のぶこちょそうじゅしゃISBN 479430529X
  • 1998ねん7がつ与謝野よさの晶子あきこ源氏物語げんじものがたり市川いちかわ千尋ちひろちょくにけん出版しゅっぱんISBN 4795292167
  • 1998ねん10がつ與謝野よさの晶子あきこ渡邊わたなべ澄子すみこちょしんてんしゃ女性じょせい作家さっか評伝ひょうでんシリーズ2〉。ISBN 4787973029
  • 1999ねん2がつ風呂ふろ与謝野よさの晶子あきこ松平まつだいらめいしる世界せかい思想しそうしゃISBN 4790707415
  • 1999ねん7がつ 『おんなあいいのち:与謝野よさの晶子あきこ/森崎もりさき和江かずえ/ヘーゲル』園田そのだ久子ひさこちょそうげんしゃISBN 4881465112
  • 2000ねん4がつぶんきるきる:与謝野よさの晶子あきこ、ビアトリクス・ポター、リリアン・ヘルマン、いわさきちひろ』越水こしみず利江子りえこ落合おちあい恵子けいこ今関いまぜき信子のぶこ松本まつもと由理子ゆりこちょ岩崎いわさき書店しょてんISBN 4265051421
  • 2000ねん6がつ東西とうざい南北なんぼく・みだれかみ永岡ながおかけんみぎ荻野おぎのきょうしげる ちょ久保田くぼたあつし 監修かんしゅう明治めいじ書院しょいん和歌わか文学ぶんがく大系たいけい だい26かん〉。ISBN 462541301X
  • 2000ねん10がつ与謝野よさのひろし晶子あきこしん遠景えんけい上田うえだひろしちょ嵯峨野さがの書院しょいんISBN 4782303122
  • 2002ねん6がつ九州きゅうしゅうにおける与謝野よさのひろし晶子あきこ近藤こんどう晋平しんぺいちょ和泉いずみ書院しょいん和泉いずみ選書せんしょ130〉。ISBN 4757601603
  • 2003ねん4がつ与謝野よさの晶子あきこ童話どうわ世界せかい古沢ふるさわ夕起子ゆきこちょ嵯峨野さがの書院しょいんISBN 4782303734
  • 2003ねん4がつ与謝野よさの晶子あきことその時代じだい女性じょせい解放かいほう歌人かじん人生じんせい入江いりえ春行はるゆきちょしん日本にっぽん出版しゅっぱんしゃISBN 4406029982
  • 2003ねん6がつ与謝野よさの晶子あきこうた鑑賞かんしょう平子ひらこ恭子きょうこちょ短歌新聞社たんかしんぶんしゃISBN 480391124X
  • 2004ねん9がつりくうみよりかなしきものを うた与謝野よさの晶子あきこたけ西にし寛子ひろこしる筑摩書房ちくましょぼうISBN 9784480823557
  • 2007ねん7がつきみにたもうことなかれ 与謝野よさの晶子あきこ真実しんじつ母性ぼせい茨木いばらぎのりしる童話どうわしゃISBN 9784887470699
  • 2009ねん2がつ与謝野よさの晶子あきこ松村まつむら由利子ゆりこしる中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃISBN 9784120040108
  • 2010ねん6がつ与謝野よさの晶子あきこ温泉おんせんうたたび杉山すぎやま由美子ゆみこしる小学しょうがくかんISBN 9784093881265
  • 2011ねん3がつ与謝野よさの晶子あきこの「源氏物語げんじものがたりれい讃歌さんか」』伊井いい春樹はるきしる思文閣出版しぶんかくしゅっぱんISBN 9784784215683
  • 2011ねん9がつひろし晶子あきこ九州きゅうしゅう知友ちゆうたち』近藤こんどう晋平しんぺいちょ和泉いずみ書院しょいん和泉いずみ選書せんしょ169〉。ISBN 9784757605985
  • 2013ねん11月 『与謝野よさの晶子あきこ叙景じょけい歌集かしゅうしん遠景えんけい』をむ』中西なかにしあきらみがくちょ本阿弥書店もくあみしょてんぐんえん叢書そうしょ78〉。ISBN 9784776810360
  • 2020ねん3がつ与謝野よさの晶子あきこをつくったおとこ明治めいじ和歌わか革新かくしん運動うんどう加藤かとう孝男たかおしる本阿弥書店もくあみしょてんISBN 9784776814450
  • 2021ねん11月 『戦争せんそう文学ぶんがくしゃたち:『萬葉集まんようしゅう』ときた歌人かじん詩人しじん小説しょうせつ小松こまつ靖彦やすひこしる花鳥かちょうしゃISBN 9784909832467
  • 2022ねん7がつ 『よみがえる与謝野よさの晶子あきこ源氏物語げんじものがたり神野かみのふじ昭夫あきおしる花鳥かちょうしゃISBN 9784909832580
  • 2022ねん7がつ 『やわはだくらべ』奥山おくやまけい布子ぬのこしる中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃISBN 9784120055454
  • 2022ねん9がつ 『ジャーナリスト与謝野よさの晶子あきこ松村まつむら由利子ゆりこちょ短歌たんか研究けんきゅうしゃISBN 9784862727206

児童じどうども[編集へんしゅう]

  • 『きんぎょのおつかい』(架空かくうしゃ高部たかべはる与謝野よさの晶子あきこ ちょ
  • 与謝野よさの晶子あきこ 女性じょせい自由じゆううたった情熱じょうねつ歌人かじん』(学習がくしゅうまんが人物じんぶつかん小学館しょうがくかん入江いりえ春行はるゆき漫画まんがあべさより しる
  • 与謝野よさの晶子あきこ』(学習がくしゅう漫画まんが 世界せかい伝記でんきNEXT/集英社しゅうえいしゃ漫画まんが神宮寺じんぐうじいち ちょ

代表だいひょう[編集へんしゅう]

  • かみしゃくときなばみずにやはらかき少女しょうじょごころはめてはなたじ(みだれかみ
  • 清水しみず祇園ぎおんをよぎるさくら月夜づきよ今宵こよい逢ふじんみなうつくしき(みだれかみ
  • 柔肌やわはだあつ血潮ちしおれもみでさびしからずやみちくん(みだれかみ
  • だれてもおやはらからのここちすれ地震じしんをさまりてあさいたれば(瑠璃光るりこう今昔こんじゃく秀歌しゅうかひゃくせん:選者せんじゃ土屋つちやひろし(日本にっぽんオートスポーツセンター理事りじちょう)

その[編集へんしゅう]

南海本線なんかいほんせんさかい駅前えきまえ銅像どうぞう

えんじた人物じんぶつ[編集へんしゅう]

晶子あきこわたしおうのシーンでは実際じっさい晶子あきこ着用ちゃくようした衣装いしょう出演しゅつえんした[39]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 生家せいか駿河屋するがやだい道筋みちすじ - 西にしろくあいだすじあいだまちにあった。このまち西にしろくあいだすじは、戦災せんさい復興ふっこう事業じぎょうによってだい道筋みちすじを50メートル道路どうろ拡幅かくふくするための道路どうろ用地ようちてられ、現在げんざい道路どうろじょうとなっている。
  2. ^ しがらみ草紙ぞうし』とその後継こうけい『めざましそう』は、いずれももり鴎外おうがい中心ちゅうしんにした同人どうじん
  3. ^ うち1にん生後せいご2にちくなる。
  4. ^ 鴎外おうがい紹介しょうかいにより、三越みつこし事実じじつじょうのオーナーである日比ひび翁助おうすけから洋行ようこう補助ほじょとしてせんえん贈与ぞうよされた[4]
  5. ^ 出発しゅっぱつさいして平塚ひらつからいてうなど総勢そうぜい500めい見送みおくったという。
  6. ^ そのなか鴎外おうがいは、「ぼくとくわなくてはならないこといだらう。併し樋口ひぐち一葉かずはさんがくなってから、女流じょりゅうのすぐれたひとすとなると、どうしても此人であらう。晶子あきこさんは何事なにごとにも人真似ひとまねしない。個人こじんせいがいつもたしかにみとめられる。中略ちゅうりゃくじょだが、晶子あきこさんとならしょうすることが出来できるかとおもふのは、平塚ひらつか明子あきこさんだ。下略げりゃく」とひょうした。ちなみに、与謝野よさの鉄幹てっかんとも親交しんこうがあった鴎外おうがいは、晶子あきこんだ双子ふたご七瀬ななせはちみね)のづけおやになっており、当時とうじははくして落胆らくたんしていた晶子あきこに「婿むこきませひとりはやまはちみねえひとりはかわななわたりて」といううたおくった[5]
  7. ^ 1930ねんおんながく部長ぶちょう就任しゅうにん[6]
  8. ^ にち戦争せんそう当時とうじ満州まんしゅう事変じへん昭和しょうわ戦争せんそう時期じきほど言論げんろん弾圧だんあついかめしかったわけではなく、白鳥省吾しらとりしょうご木下きのした尚江なおえ中里なかさと介山かいざん大塚おおつか楠緒子なおこらにも戦争せんそうなげ垣間見かいまみることができる。
  9. ^ 入江いりえ春行はるゆきによれば、「中国ちゅうごくをやっつけろとがる世論せろんなかで、かなしいとうた発表はっぴょうできなかったのだろう」という[18]
  10. ^ 七瀬ななせはのちに有島ありしま武郎たけおおいと、はちほうこうはし謙二けんじ結婚けっこんした。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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  2. ^ 婦人ふじん文学ぶんがく宮本みやもと百合子ゆりこ跡取あととりの男児だんじのぞまれていたため、晶子あきこは12さいまでおとこ格好かっこうごした。
  3. ^ a b きた俊夫としお へん郷土きょうど発展はってんにつくした先人せんじん偕成社かいせいしゃ〈しらべよう!47都道府県とどうふけん〉、2021ねん4がつ、27-29ぺーじ 
  4. ^ 金子かねこ(1992)、295ぺーじ
  5. ^ 金子かねこ(1992)、288-289ぺーじ、299ぺーじ
  6. ^ 沿革えんかく”. ryotokuji.ac.jp. 文化ぶんか学院がくいん. 2022ねん5がつ14にち閲覧えつらん
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  8. ^ 神奈川かながわ近代文学館きんだいぶんがくかん生誕せいたん140ねん与謝野よさの晶子あきこてん こよひ逢ふじんみなうつくしき』神奈川かながわ近代文学館きんだいぶんがくかん、2018ねん3がつ17にち、62ぺーじ 
  9. ^ a b 読売新聞よみうりしんぶん 2015ねん10がつ31にち 38めん掲載けいさい
  10. ^ a b 岩井いわいひろし作家さっか臨終りんじゅう墓碑ぼひ事典じてん』(東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1997ねん)353ぺーじ
  11. ^ 歴史れきしねむ多磨たま霊園れいえん: 与謝野よさの晶子あきこ
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  13. ^ 『みだれかみ』ほるぷ出版しゅっぱん、1984ねん8がつ1にち、258ぺーじ 
  14. ^ 幸津さいつ國生こつしょう『「きみしにたまふことなかれ」と『きけ わだつみのこえ』・「無言むごんかん」』文芸ぶんげいしゃ、2001ねん12月15にち、26,27ぺーじ 
  15. ^ a b ってるつもり?!恋愛れんあい放浪ほうろう日本テレビ放送網にほんてれびほうそうもう、1993ねん10がつ17にち、162-165ぺーじ 
  16. ^ ししぐん 与謝野よさの晶子あきこ」『読売新聞よみうりしんぶん』、1915ねん大正たいしょう4ねん)12月12にち朝刊ちょうかん、7ページ、日曜にちよう付録ふろく
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  18. ^ 東京とうきょう新聞しんぶん2014ねん7がつ12にち
  19. ^ 与謝野よさの晶子あきこ ちょ松平まつだいらめい へんははあい 与謝野よさの晶子あきこ童話どうわ婦人画報社ふじんがほうしゃ、1998ねん12月5にち、11ぺーじ 
  20. ^ 平子ひらこ恭子きょうこ年表ねんぴょう作家さっか読本とくほん 与謝野よさの晶子あきこ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1995ねん4がつ15にち、92ぺーじ 
  21. ^ こうない信子のぶこ與謝野よさの晶子あきこ周辺しゅうへんひとびと』そうじゅしゃ、1998ねん7がつ25にち、148,154ぺーじ 
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  27. ^ a b 日本にっぽん文学ぶんがくアルバム だい16 与謝野よさの晶子あきこ』(筑摩書房ちくましょぼう、1955ねん)p.8
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  30. ^ 与謝野よさの しん公認こうにん候補者こうほしゃ|2017ねん 衆院しゅういんせん特設とくせつサイト|「このくにを、まもく。」自由民主党じゆうみんしゅとう 2020ねん10がつ22にち閲覧えつらん
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  33. ^ 平子ひらこ恭子きょうこ年表ねんぴょう作家さっか読本とくほん 与謝野よさの晶子あきこ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1995ねん4がつ15にち、90ぺーじ 
  34. ^ 越水こしみず利江子りえこぶんきるきる-与謝野よさの晶子あきこ、ビクトリア・ポター、リリアン・ヘルマン、いわさきちひろ』岩崎いわさき書店しょてん、2000ねん4がつ20日はつか、37ぺーじ 
  35. ^ 茨木いばらぎのりきみにたもうことなかれ 与謝野よさの晶子あきこ真実しんじつ母性ぼせい童話どうわしゃ、2007ねん4がつ3にち、127ぺーじ 
  36. ^ 産経新聞さんけいしんぶん取材しゅざいはんおや日本にっぽん 上巻じょうかん扶桑社ふそうしゃ、2004ねん6がつ30にち、271-275ぺーじ 
  37. ^ 産経新聞さんけいしんぶん取材しゅざいはんおや日本にっぽん 上巻じょうかん扶桑社ふそうしゃ、2004ねん6がつ30にち、273ぺーじ 
  38. ^ 茨木いばらぎのりきみにたもうことなかれ 与謝野よさの晶子あきこ真実しんじつ母性ぼせい童話どうわしゃ、2007ねん4がつ3にち、79ぺーじ 
  39. ^ 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい総合そうごう放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ放送ほうそう編修へんしゅうしつ『NHK年鑑ねんかん'68』日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、1968ねん、142-143ぺーじ 

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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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