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駿河屋するがや

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

駿河屋するがや(するがや)は、ねり羊羹ようかん(ねりようかん)発祥はっしょうみせとされる老舗しにせ和菓子わがしみせである[1][2][3]

そう本家ほんけ駿河屋するがや」からの分家ぶんけ暖簾のれんによるみせ多数たすう存在そんざいする[4]

家紋かもんは「づる」と「寿ことぶき」のわせて図案ずあんした「つる寿ひさし」(つることぶき)[5]

概要がいよう

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室町むろまち時代ときよ中期ちゅうき1461ねんひろしただし2ねん)6がつ[6][7]山城やましろこく伏見ふしみきゅうさとさと[7]舟戸ふなとしょう現在げんざい京都きょうと伏見ふしみ)に[8]、「初代しょだい岡本おかもとよしみぎ衛門えもん」が「鶴屋つるや」の屋号やごう[7]饅頭まんじゅうしょひらいたのがはじまりである[8]

この「初代しょだい岡本おかもとよしみぎ衛門えもん」は木曽きそはじめながれをむとされている[8]

「5代目だいめ岡本おかもとよしみぎ衛門えもん」のとき[5]1589ねん天正てんしょう17ねん)に京町きょうまちうつ[9]伏見ふしみ桃山ももやまじょう正門せいもんまえみせかまえた[5]

ねり羊羹ようかん元祖がんそ

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「5代目だいめ岡本おかもとよしみぎ衛門えもん」が[1]1589ねん天正てんしょう17ねん)に「ねり羊羹ようかん」をつく[6][2]豊臣とよとみ秀吉ひでよし献上けんじょう[1]聚楽第じゅらくだい[2]秀吉ひでよしひらいただい茶会ちゃかい当店とうてんのようかんが出物でものとしてくばられてしょ大名だいみょう賞賛しょうさんけたとわれている[10]

これが「ねり羊羹ようかん」のはじまりとされている[1][2][3][10]

それまでの羊羹ようかんは「羊羹ようかん」で[2][11]小麦こむぎもちいてげてしたものであったため[11]保存ほぞんせいわる日持ひもちがしない欠点けってんがあった[11]

現在げんざいの「ねり羊羹ようかん」は小麦こむぎわりに寒天かんてんもちいてげてにかけてかためているが[11]、この最初さいしょの「ねり羊羹ようかん」は「しこり(こもるは)」をもちいてげたとわれている[2]

しこり(こもるは)」は現在げんざい寒天かんてんげん一種いっしゅとされているもので[12]当時とうじみつものひとつであったものにけて「ねり羊羹ようかん」に利用りようしたとかんがえられている[2]

そのも「ねり羊羹ようかん」の改良かいりょう[13]1658ねんあかりれき4ねん)に製法せいほう確立かくりつしたとされている[14]

江戸えど時代じだいなかごろに「ねり羊羹ようかん」は寒天かんてん材料ざいりょうとして使用しようするようになり[15]小豆あずきあん砂糖さとう寒天かんてんげるものに発展はってんさせた[13]

寒天かんてん原材料げんざいりょう使用しようするようになったことで、容器ようきながんでかためる「ながみ」の技法ぎほうもちいられるようになったとかんがえられている[16]

こうした「ねり羊羹ようかん」の開発かいはつは、和菓子わがし可能かのうせいひろげた革命かくめい評価ひょうかもされている[10]

こうして出来上できあがった「駿河屋するがや」の「ねり羊羹ようかん」はほどよい甘味あまみ寒天かんてんこしつよさが際立きわだ風味ふうみ淡紅あわべにしょくばれるうつくしい色合いろあいをつものとなった[13]

このように元祖がんそであることも関連かんれんして、「そう本家ほんけ駿河屋するがや」は「ねり羊羹ようかん」で大変たいへん有名ゆうめい和菓子わがしとなり[1][2][3][13]全国ぜんこくにそのられるようになった[17]

なお、「虎屋とらや黒川くろかわ」が「きょうふうひつじ獎」で当店とうてんならしょうされるようになったのは、明治維新めいじいしん東京とうきょう奠都てんとともなって東京とうきょう進出しんしゅつしたのちのことであった[2]

紀州きしゅうはん御用達ごようたし

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5代目だいめ岡本おかもとよしみぎ衛門えもんとき[5]1589ねん天正てんしょう17ねん)に京町きょうまちうつ[9]伏見ふしみ桃山ももやまじょう正門せいもんまえみせかまえており[5]紀州きしゅう徳川とくがわ徳川とくがわ頼宣よりのぶがまだ幼年ようねん山城やましろこく伏見ふしみいま京都きょうと伏見ふしみ)にいたころにその菓子かしべて大変たいへんこのむようになったとわれる[17]

そのため、駿河するが現在げんざい静岡しずおかけん)にてんふうになったさいにも徳川とくがわ頼宣よりのぶ随伴ずいはんした[17]

さらに、紀伊きい現在げんざい和歌山わかやまけん)にてんふうされるとまた随伴ずいはん[17][18]1619ねん元和がんわ5ねん)に[2][19]和歌山わかやま駿河するがまち屋敷やしきたまわって[7]同地どうち店舗てんぽひらいた[17][19]

そして、江戸えど時代じだいにはとしじゅうせき扶持ふちって菓子かしおさめる御用ごよう菓子かしつとめた[18]

このように、紀州きしゅうはんとなるまえ旧藩きゅうはん時代じだいからつづいた御用ごよう菓子かしであり[18]、このような駿河するがから紀伊きいへの徳川とくがわ頼宣よりのぶてんふう随伴ずいはんした「駿河するがえつ町人ちょうにん」とばれる紀州きしゅう徳川とくがわはん有力ゆうりょく御用ごよう商人しょうにん一人ひとりであった[20]

鶴屋つるやから駿河屋するがや

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紀州きしゅう徳川とくがわ徳川とくがわ綱吉つなよしむすめである[21]つるひめ」が輿入こしいれ(結婚けっこん)したことから[18]その御名ぎょめいはばかかるとのはんいのちくだ[18]1685ねん貞享ていきょう2ねん)4がつに「駿河屋するがや」に屋号やごう変更へんこうした[18]

この「駿河屋するがや」の屋号やごうは、3代目だいめ徳川とくがわ綱教つなのりからたまわった[18]紀州きしゅう徳川とくがわ由来ゆらいのものとするせつおお[14][22][23]

しかし、居住きょじゅうの「駿河するがまち」からけたのか[7][5]、「駿河するが」から移転いてんしてきたことからけたのかは不明ふめいである[5]

みせ暖簾のれん

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和歌山わかやま出店しゅってんしたのち伏見ふしみ京町きょうまち店舗てんぽのこされてそう本家ほんけばれており、京都きょうとがわかられば和歌山わかやまにも出店しゅってんしたかたちとなっていた[9]

そのため、法人ほうじんさい和歌山わかやま本店ほんてんとはべつに「京都きょうと伏見ふしみそう本家ほんけ駿河屋するがや」として設立せつりつされ、1946ねん昭和しょうわ21ねん)に「駿河屋するがや食品しょくひん工業こうぎょう」と合併がっぺいして経営けいえい統合とうごうしている[24]

1781ねん天明てんめい元年がんねん)に「伏見ふしみ京橋きょうばし駿河屋するがや」がしょ大名だいみょう休息きゅうそくしょとして分家ぶんけして伏見ふしみあぶらかけまち開業かいぎょう[9]1811ねん文化ぶんか8ねん)に「大阪おおさか駿河屋するがや」が[25]伏見ふしみあぶらかけまちから次男じなん[26]岡本おかもとよし三郎さぶろう分家ぶんけして大阪おおさか淡路あわじまちいち丁目ちょうめ現在げんざい大阪おおさか中央ちゅうおう東南とうなんかく開業かいぎょう[25]1818ねん文政ぶんせい元年がんねん)に京都きょうとの「するがや祇園ぎおん下里しもさと」が「そう本家ほんけ駿河屋するがや」の別家べっけとして[4]暖簾のれんして開業かいぎょうする[27]など江戸えど時代じだいには一族いちぞく分家ぶんけによる暖簾のれんけがおこなわれた。

そのほか、「大阪おおさか駿河屋するがや」につとめた初代しょだいおおとりそうすけ主人しゅじんみとめられて暖簾のれんけをされて大阪おおさか心斎橋しんさいばし開業かいぎょうしたのちさかい甲斐かいまち現在げんざいさかい)にうつった「さかい駿河屋するがや」や[26]祇園ぎおん末吉すえよしまち[28]「するがや祇園ぎおん下里しもさと[27]より分家ぶんけして暖簾のれんけされて明治めいじ中期ちゅうき開業かいぎょうした京都きょうとの「先斗ぽんとまち駿河屋するがや[28]など、分家ぶんけからさらにかれて「駿河屋するがや」を暖簾のれん継承けいしょうしているところもある。

それ以外いがいにも、1868ねん明治めいじ元年がんねん)にそう本家ほんけから暖簾のれんけした京都きょうとの「きょう三条さんじょう駿河屋するがや[29]1934ねん昭和しょうわ9ねん)に暖簾のれんけされた京都きょうとの「じょう駿河屋するがや[28]のように明治めいじ以降いこうにも暖簾のれんけがおこなわれている。

このように、「駿河屋するがや」はおおくの分家ぶんけ別家べっけつようになった[4]

また、1886ねん明治めいじ19ねん)には京都きょうと駅前えきまえ出店しゅってんするなど本店ほんてん以外いがいにも店舗てんぽ展開てんかいした[9]

そう本家ほんけ駿河屋するがや

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株式会社かぶしきがいしゃそう本家ほんけ駿河屋するがや
Surugaya Co, Ltd[30]
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
市場いちば情報じょうほう
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
640-8034
和歌山わかやまけん和歌山わかやま駿河するがまち12番地ばんち[30]
設立せつりつ 1944ねん昭和しょうわ19ねん3月27にち[30]
鶴屋つるや創業そうぎょう
*1461ねんひろしただし2ねん)6がつ[7][6]
業種ぎょうしゅ 食料しょくりょうひん
法人ほうじん番号ばんごう 8170001013571 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう 和菓子わがし製造せいぞう販売はんばいなど[19]
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 岡本おかもと良太りょうた
資本しほんきん 11おく340まんえん[24]
(2013ねん3がつ
売上うりあげだか 16おく4,600まんえん[19]
(2013ねん3がつ
じゅん利益りえき ▲6,212まんえん[19]
(2013ねん3がつ
従業じゅうぎょう員数いんずう 77めい
(2021ねん7がつ現在げんざい
決算けっさん 3がつ
主要しゅよう株主かぶぬし ライオンケミカル株式会社かぶしきがいしゃ 100%
外部がいぶリンク https://www.souhonke-surugaya.co.jp/
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かつては、代々だいだい岡本おかもとよしみぎ衛門えもん襲名しゅうめいしていた文字通もじどおり「駿河屋するがや」の本家ほんけである[7][9]

紀州きしゅうはんとなるまえ旧藩きゅうはん時代じだいからつづいた御用ごよう菓子かし[18]江戸えど時代じだいにはとしじゅうせき扶持ふち御用ごよう菓子かしおさめていた[18]

先述せんじゅつしたとおり「ねり羊羹ようかん」の元祖がんそとしてたか知名度ちめいどほこっていたほか[1][2][3][13]紀州きしゅう徳川とくがわこう上洛じょうらくさい道中どうちゅうしょくとしてきょうされたこともある「ほん饅頭まんじゅう[6][32]など有力ゆうりょく和菓子わがし製造せいぞう販売はんばいしていた[19]

1876ねん明治めいじ9ねん)に開催かいさいされただいいちかいパリ万国博覧会ばんこくはくらんかい伏見ふしみてんから「ねり羊羹ようかん」を出品しゅっぴんして金賞きんしょう受賞じゅしょう[5]のちに「ねり羊羹ようかん」などの輸出ゆしゅつ手掛てがけるなどはやくから海外かいがいへの展開てんかいはかった[17]

1944ねん昭和しょうわ19ねん3月27にち資本しほんきん19.5まんえんで「駿河屋するがや食品しょくひん工業こうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ」を設立せつりつして法人ほうじんした[30]

その1946ねん昭和しょうわ21ねん)に「京都きょうと伏見ふしみそう本家ほんけ駿河屋するがや」と合併がっぺいして経営けいえい統合とうごう[24]1950ねん昭和しょうわ25ねん)7がつに「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」に社名しゃめい変更へんこうした[30]

そして、1953ねん昭和しょうわ28ねん)5がつ株式かぶしき店頭てんとう公開こうかい[24]1961ねん昭和しょうわ36ねん)10がつ東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょおよび大阪おおさか証券しょうけん取引とりひきしょだい上場じょうじょうした[19][6]

伝統でんとうある「羊羹ようかん」や「饅頭まんじゅう」、煎餅せんべいなどの和菓子わがしのみならず、プリンカステラなどの洋菓子ようがし製造せいぞう販売はんばいにもおこなうようになった[19]

地元じもと和歌山わかやまけんのみならず大阪おおさか京都きょうとなどにも店舗てんぽ展開てんかいしたほか[19][22]最盛さいせいには東京とうきょう都内とないにも営業えいぎょう拠点きょてん[30]輸出ゆしゅつ手掛てがけた[17]

最盛さいせい1992ねん平成へいせい4ねん)3がつには年間ねんかん売上うりあげだかやく60.25おくえん[33]借金しゃっきん堅実けんじつ経営けいえいおこなっていた[34][6]

しかし、バブル崩壊ほうかい影響えいきょう消費しょうひ低迷ていめいしたことなどから[19]1994ねん平成へいせい6ねん以降いこうは8ねん連続れんぞく売上うりあげ減少げんしょうして赤字あかじおちいることになった[35]

そのため、経営けいえい再建さいけんんだものの[19]業績ぎょうせき低迷ていめいから株価かぶか下落げらくすすんで2003ねん平成へいせい15ねん)5がつには東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょから時価じか総額そうがくが10おくえん未満みまん上場じょうじょう廃止はいしする基準きじゅん抵触ていしょくするおそれがある銘柄めいがらとして公表こうひょうされた[36]だけでなく、同年どうねんには担保たんぽわくいちはいになっているとして主力しゅりょく銀行ぎんこうUFJ銀行ぎんこうからぶし資金しきん以外いがい追加ついか融資ゆうしおうじないとの通告つうこくける状況じょうきょうとなった[37]

架空かくう増資ぞうし事件じけん上場じょうじょう廃止はいし

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先述せんじゅつとおり、主力しゅりょく銀行ぎんこうからの金融きんゆう支援しえん見込みこめない状況じょうきょうであったことから、増資ぞうしによる財務ざいむ内容ないよう改善かいぜんはかって上場じょうじょう維持いじしようとした[37]

しかし、2003ねん平成へいせい15ねんあき増資ぞうし決議けつぎ中止ちゅうしかえすなど増資ぞうし上手うまくいかなかったため[31]さらなる増資ぞうし失敗しっぱいかえせない状況じょうきょうまれた[37]

そこで、「飯倉いいくらホールディングス」グループ傘下さんかでその時点じてん民事みんじ再生さいせい手続てつづちゅうだった中華ちゅうか料理りょうりてん経営けいえい会社かいしゃ[38]うみすめらぎ」が「あおぞら銀行ぎんこう」から2003ねん平成へいせい15ねん12月12にちやく12おくえん融資ゆうし[39]、「飯倉いいくらホールディングス」が第三者だいさんしゃ割当わりあて増資ぞうし引受ひきうけきんとしてやく11おく4680まんえん当社とうしゃ口座こうざはらんだかたちをとって「株式かぶしき払込はらいこみきん保管ほかん証明しょうめいしょ」を発行はっこうさせた[40][6]

これをもと新株しんかぶ購入こうにゅう払込はらいこみきん入金にゅうきんけたとして、同月どうげつ18にちに「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が和歌山わかやま地方ちほう法務局ほうむきょく資本しほんきんを5おく3000まんえんから11おく340まんえん増額ぞうがくしたと申請しんせいして法人ほうじん登記とうき変更へんこうした[35][6]

このさいに、第三者だいさんしゃ割当わりあて増資ぞうし資金しきんのうちやく半分はんぶん資本しほんきん増額ぞうがくてるとともに、残額ざんがく運転うんてん資金しきんとして活用かつようすると発表はっぴょうした[35]

ところが、実際じっさいにははらみからわずか3にち同月どうげつ15にちに「うみすめらぎ」の営業えいぎょうけん代金だいきん名目めいもくとしてやく5おくえんを「飯倉いいくらホールディングス」に支払しはらうととも[39]、それ以外いがいやく6おく5000まんえん同社どうしゃけるなどのかたち払込はらいこみきん全額ぜんがく還流かんりゅうさせた[40][41]。 そして、この還流かんりゅうけた資金しきん即日そくじつ「あおぞら銀行ぎんこう」への返済へんさいまわしており、融資ゆうし期間きかんはわずか3日間にちかんとなったが、同行どうこうは280まんえん手数料てすうりょうることになったとされている[41][6]

この結果けっか当社とうしゃ資金しきんまったのこらず[39][40][41]当社とうしゃ発行はっこう株式かぶしきやく47%にたる新株しんかぶ940まんかぶが「飯倉いいくらホールディングス」にわたることなった[38]

こうした一連いちれん資金しきんながれや登記とうきなどが架空かくう増資ぞうしで「電磁でんじてき公正こうせい証書しょうしょ原本げんぽん不実ふじつ記録きろくどう供用きょうよう」などにたるとして[35]2004ねん平成へいせい16ねん11月13にち大阪おおさか府警ふけい捜査そうさ当社とうしゃ当時とうじ社長しゃちょう岡本おかもと良晴よしはる投資とうし会社かいしゃ飯倉いいくらホールディングス」の上田うえだだか嗣前社長しゃちょうら5にん調しらべを開始かいし[35]、この5にん逮捕たいほされることになった[40][36][6]

この逮捕たいほけて東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょ大阪おおさか証券しょうけん取引とりひきしょ(りょう市場いちばとも現在げんざい東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょスタンダード市場いちば)は即日そくじつ会社かいしゃ基本きほんとなる資本しほんにかかわる事件じけん」として監理かんりポストあて[36]2005ねん平成へいせい17ねん1がつ6にち取引とりひき最後さいご上場じょうじょう廃止はいしとなった[31]

民事みんじ再生さいせいほう申請しんせいから事業じぎょう停止ていし

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架空かくう増資ぞうし事件じけん当社とうしゃ信用しんよういちじるしく悪化あっかしたが[14]、その処理しょりすすめながら事業じぎょう継続けいぞくした[19]

しかし、2011ねん平成へいせい23ねん)3がつやく18.34おくえん2012ねん平成へいせい24ねん)3がつやく17.31おくえん2013ねん平成へいせい25ねん)3がつやく16.46おくえん売上うりあげだか年々ねんねん減少げんしょうして3連続れんぞく赤字あかじとなり、2013ねん平成へいせい25ねん)3がつやく6212まんえん当期とうきじゅん損失そんしつとなるなど業績ぎょうせき低迷ていめい一段いちだん深刻しんこくした[19]

そのため、2014ねん平成へいせい26ねん1がつ17にち和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ民事みんじ再生さいせいほう適用てきよう申請しんせいし、営業えいぎょうつづけながら再建さいけん模索もさくすることになった[6][19][22][33]

この民事みんじ再生さいせいほう適用てきよう申請しんせい時点じてんでは、本社ほんしゃのある和歌山わかやまけんほか大阪おおさか京都きょうと[14]直営店ちょくえいてん19店舗てんぽ展開てんかいしていたほか[19]百貨店ひゃっかてんスーパーうちでも販売はんばいをしており[19]全体ぜんたいではやく50てん展開てんかいしていた[22]

そして、自社じしゃ生産せいさんする商品しょうひん選別せんべつして工場こうじょう縮小しゅくしょう仕入しいれ商品しょうひん活用かつようしながら営業えいぎょうつづ[23]再建さいけんのスポンサーとして2014ねん平成へいせい26ねん)4がつ28にち西宮にしのみや本社ほんしゃ[42]和菓子わがし製造せいぞう販売はんばいおこなう「千鳥ちどり宗家そうけ」と事業じぎょう譲渡じょうと契約けいやく締結ていけつ[43]同年どうねん5がつ30にち事業じぎょう譲渡じょうと目指めざした[42]

しかし、「千鳥ちどり宗家そうけ」と人員じんいん物流ぶつりゅうなどの運営うんえい形態けいたいめぐって協議きょうぎがまとまらなかったため[43][42]、2014ねん平成へいせい26ねん)5がつ29にちづけぜん19店舗てんぽ閉鎖へいさするととも[14]ぜん従業じゅうぎょういん解雇かいこして事業じぎょう停止ていしした[42]。 なお、この解雇かいこされた正社員せいしゃいんすうについて、2014ねん5がつ30にちけのわかやま新報しんぽうやく110にん[42]、2014ねん6がつ18にちけの毎日新聞まいにちしんぶんやく80にんとしている[44]

ぜん店舗てんぽ閉鎖へいさされて事業じぎょう停止ていししたのち商品しょうひん購入こうにゅうわせがていたほか[44]関西国際空港かんさいこくさいくうこうなどではつづ商品しょうひん販売はんばいされていた[45]

事業じぎょう再開さいかい模索もさく破産はさん手続てつづ

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2014ねん平成へいせい26ねん)6がつ16にち当社とうしゃ労働ろうどう組合くみあいが「この企業きぎょうとともに、和歌山わかやまでの再生さいせい目指めざしたい」とする申入もうしいれしょ和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ保全ほぜん管理人かんりにん提出ていしゅつ[44]よく17にちから「連合れんごう和歌山わかやま」の支援しえんけながら資産しさんりして工場こうじょう閉鎖へいさするような資産しさん処分しょぶんけるようにもとめる署名しょめい活動かつどう開始かいしした[45]。そして、この署名しょめい運動うんどうあつまった1まん2,294にんぶん署名しょめいを6がつ26にち和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ提出ていしゅつした[6][46]。また、この労働ろうどう組合くみあい運動うんどうについては「工場こうじょう維持いじし、できるだけ雇用こようまもるとする」[44]和歌山わかやま市内しない企業きぎょう賛同さんどうしていた[46]

当社とうしゃ事業じぎょう停止ていしけて、6月22にち和歌山わかやま和歌山わかやまビッグあいもと和歌山大学わかやまだいがく教授きょうじゅ鈴木すずきひろしはんらが中心ちゅうしんとなってげた「和菓子わがし文化ぶんか和歌山わかやま 大好だいす市民しみんれん」が主催しゅさいし、緊急きんきゅうシンポジウム「老舗しにせブランドってなに駿河屋するがや問題もんだいをみんなでかんがえよう」が開催かいさいされた[10]。このシンポジウムにはやく200にん参加さんかして、当社とうしゃ和菓子わがし歴史れきしじょうでの重要じゅうようせいうったえる講演こうえん金沢かなざわ老舗しにせ和菓子わがしてん行政ぎょうせい市民しみん協力きょうりょく倒産とうさん危機ききから再建さいけんしたれいなどをもと再建さいけんさく議論ぎろんし、地元じもと政財界せいざいかい地元じもと老舗しにせブランドの危機ききすくうために支援しえんするようにもとめる声明せいめい発表はっぴょうした[10]

しかし、署名しょめい提出ていしゅつする前日ぜんじつの6がつ25にち和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ破産はさん手続てつづき開始かいし決定けっていをし、破産はさん管財かんざいじん選任せんにんされた阪本さかもと康文やすふみ弁護士べんごしは「金額きんがくてきもっともよい条件じょうけん会社かいしゃることになる」との判断はんだんしめした[47]。そのため、7がつ3にち当社とうしゃ所有しょゆうする不動産ふどうさん機械きかいなどを一括いっかつして購入こうにゅうする相手あいてめる入札にゅうさつおこなわれ[48]有田ありた医薬いやく部外ぶがいひん製造せいぞう販売はんばい会社かいしゃ三和さんわインセクティサイド」の会長かいちょうの「田中たなか源一郎げんいちろう」がやく3.17おくえん落札らくさつ[49]労働ろうどう組合くみあい存続そんぞく運動うんどう協力きょうりょくするかたち参加さんかした和歌山わかやま企業きぎょうおよばない結果けっかわった[48][49]。その結果けっか、2014ねん8がつ6にちづけ本社ほんしゃ土地とち建物たてもの不動産ふどうさんなどの所有しょゆうけん田中たなか移転いてんされた[49]

だが、そのも「駿河屋するがや」の屋号やごう継承けいしょうして和菓子わがし職人しょくにんもと従業じゅうぎょういんさい雇用こようおこなってきゅう本店ほんてんでの営業えいぎょう再開さいかい目指めざうごきはつづいた[50]

また、同年どうねん9がつ8にち和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ開催かいさいされただい1かい債権さいけんしゃ集会しゅうかいで、当社とうしゃ負債ふさい総額そうがくやく9.4おくえんあり、納税のうぜい労働ろうどう債権さいけんなどの優先ゆうせんてき破産はさん債権さいけん考慮こうりょすると担保たんぽなどの一般いっぱん債権さいけんへの配当はいとうが0になる見込みこみがあきらかにされた[51]

営業えいぎょう再開さいかい

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土地とち建物たてもの不動産ふどうさんなどの所有しょゆうけん取得しゅとくした「三和さんわインセクティサイド」の会長かいちょうの「田中たなか源一郎げんいちろう」は[52]創業そうぎょう親交しんこうがあった[53]

そこで、創業そうぎょうしゃ・「岡本おかもとよしみぎ衛門えもん」の子孫しそん[53]きゅう駿河屋するがや営業えいぎょう主任しゅにんだった岡本おかもと良太りょうた社長しゃちょう社長しゃちょうとし[52]、「田中たなか源一郎げんいちろう」が100%出資しゅっしするしん会社かいしゃ[52]株式会社かぶしきがいしゃそう本家ほんけ駿河屋するがや」を2014ねん平成へいせい26ねん)11月7にち会社かいしゃ設立せつりつした[54]

しん会社かいしゃきゅう駿河屋するがや菓子かし職人しょくにん7にんふく従業じゅうぎょういん15にんさい雇用こよう[52]きゅう駿河屋するがや同様どうよう和歌山わかやま小倉こくら京都きょうと伏見ふしみの2かしょ生産せいさん拠点きょてんとすることになった[54]

再開さいかいたっては、破綻はたんまえやく500品目ひんもくなかからねり羊羹ようかんほん饅頭まんじゅうなどの代表だいひょうてき銘菓めいかやく30品目ひんもくしぼみ、伝統でんとうあじ再現さいげん継承けいしょうむことになった[55]。 そうした伝統でんとう継承けいしょう一方いっぽうで、羊羹ようかんをもっちりとしたさくら生地きじつつんだ「はなつむじ さくら」という名称めいしょうしん商品しょうひんを「駿河するがまち本舗ほんぽ」の営業えいぎょう再開さいかいわせて発売はつばいしている[56]

また、本店ほんてん再開さいかい先行せんこうするかたち京都きょうと伏見ふしみてん[55]2015ねん平成へいせい27ねん)2がつ18にち営業えいぎょう再開さいかい[52]和歌山わかやま駿河するがまちきゅう本店ほんてんを「駿河するがまち本舗ほんぽ」として同年どうねん3がつ24にち営業えいぎょう再開さいかいさせた[56][57][58][59]

そのしん会社かいしゃそう本家ほんけ駿河屋するがや」は高松たかまつてんが2015ねん平成へいせい27ねん)4がつ29にち営業えいぎょう再開さいかい[60]同年どうねん10がつには和歌山わかやまけん海南かいなん海南かいなんてん営業えいぎょう再開さいかいした[61]

そして、しん商品しょうひん開発かいはつにもみ、2015ねん平成へいせい27ねん)12月には商品しょうひんすうやく50までやした[61]

なお、和歌山わかやま小倉こくら工場こうじょう跡地あとちには[62]、「田中たなか源一郎げんいちろう」の関連かんれん会社かいしゃである「ライオンケミカル」が[63]しん工場こうじょう建設けんせつすることになった[62]

年表ねんぴょう

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  • 1461ねんひろしただし2ねん)6がつ - 山城やましろこく伏見ふしみきゅうさとさと[7]舟戸ふなとしょう現在げんざい京都きょうと伏見ふしみ)に[8]鶴屋つるや」の屋号やごう[7]饅頭まんじゅうしょ創業そうぎょう[8]
  • 1589ねん天正てんしょう17ねん
    • 「5代目だいめ岡本おかもとよしみぎ衛門えもん」が[5]京町きょうまちうつ[9]伏見ふしみ桃山ももやまじょう正門せいもんまえみせかまえる[5]
    • 「5代目だいめ岡本おかもとよしみぎ衛門えもん」が[1]ねり羊羹ようかん」をつく[2]豊臣とよとみ秀吉ひでよし献上けんじょう[1]聚楽第じゅらくだい[2]秀吉ひでよしひらいただい茶会ちゃかい当店とうてんのようかんが出物でものとしてくばられる[10]
  • 1619ねん元和がんわ5ねん) - 5代目だいめ岡本おかもとよしみぎ衛門えもん紀州きしゅうはんはん徳川とくがわ頼宣よりのぶしたがって紀伊きいこく和歌山わかやまうつる。
  • 1658ねんあかりれき4ねん) - 「ねり羊羹ようかん」の製法せいほう確立かくりつ[14]
  • 1685ねん貞享ていきょう2ねん)4がつ - 徳川とくがわ綱吉つなよし息女そくじょつるひめ紀州きしゅう徳川とくがわ降嫁こうかにより、同名どうめいはばかって屋号やごう鶴屋つるや」を返上へんじょうし、「駿河屋するがや」を屋号やごう変更へんこう[18][6]
  • 天明てんめい年間ねんかん - 「伏見ふしみ京橋きょうばし駿河屋するがや」がしょ大名だいみょう休息きゅうそくしょとして分家ぶんけして開業かいぎょう[9]
  • 1811ねん文化ぶんか8ねん) - 「大阪おおさか駿河屋するがや」が伏見ふしみあぶらかけまちから次男じなん[26]岡本おかもとよし三郎さぶろう分家ぶんけして大阪おおさか淡路あわじまちいち丁目ちょうめ東南とうなんかく開業かいぎょう[25]
  • 1818ねん文政ぶんせい元年がんねん) - 現在げんざいの「するがや祇園ぎおん下里しもさと」が「そう本家ほんけ駿河屋するがや」の別家べっけとして[4]暖簾のれんけして京都きょうと東山ひがしやま祇園ぎおん末吉すえよしまち開業かいぎょう[27]
  • 1868ねん明治めいじ元年がんねん) - 「きょう三条さんじょう駿河屋するがや」が「そう本家ほんけ駿河屋するがや」から暖簾のれんけして開業かいぎょう[29]
  • 1876ねん明治めいじ9ねん) - だいいちかいパリ万国博覧会ばんこくはくらんかい伏見ふしみてんから「ねり羊羹ようかん」を出品しゅっぴんして金賞きんしょう受賞じゅしょう[5]
  • 1886ねん明治めいじ19ねん) - 京都きょうとえきまえ出店しゅってん[9]
  • 1898ねん明治めいじ31ねん) - 「先斗ぽんとまち駿河屋するがや」が現在げんざいの「するがや祇園ぎおん下里しもさと[27]より分家ぶんけ暖簾のれんけされて[28]開業かいぎょう[64]
  • 1934ねん昭和しょうわ9ねん) - 「じょう駿河屋するがや」が暖簾のれんけされて開業かいぎょう[28]
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん3月27にち - 「駿河屋するがや食品しょくひん工業こうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ」を設立せつりつして和歌山わかやま本店ほんてん法人ほうじん[30]
  • 1946ねん昭和しょうわ21ねん) - 「駿河屋するがや食品しょくひん工業こうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ」が「京都きょうと伏見ふしみそう本家ほんけ駿河屋するがや」と合併がっぺい[24]
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん)7がつ - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」に商号しょうごう変更へんこう[30]
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん)5がつ - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が株式かぶしき店頭てんとう公開こうかい[24]
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん)10がつ - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょ大阪おおさか証券しょうけん取引とりひきしょだい株式かぶしき上場じょうじょう[19]
  • 1985ねん昭和しょうわ60ねん3月6にち - グリコ・森永もりなが事件じけん犯人はんにんによる駿河屋するがや脅迫きょうはく事件じけん発生はっせい
  • 1992ねん平成へいせい4ねん)3がつ - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」の年間ねんかん売上うりあげだかやく60.25おくえんとなる[33]
  • 2003ねん平成へいせい15ねん
    • 5月 - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が株式かぶしき東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょ上場じょうじょう廃止はいしする基準きじゅん抵触ていしょくするおそれがある銘柄めいがらとして公表こうひょう[36]
    • 株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」に主力しゅりょく銀行ぎんこうUFJ銀行ぎんこう担保たんぽわく理由りゆうぶし資金しきん以外いがい追加ついか融資ゆうしおうじないと通告つうこく[37]
    • あき - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が増資ぞうし決議けつぎ中止ちゅうしかえすなど増資ぞうし失敗しっぱい[31]
    • 12月12にち - やく12おくえん融資ゆうし[39]、「飯倉いいくらホールディングス」が第三者だいさんしゃ割当わりあて増資ぞうし引受ひきうけきんとしてやく11おく4680まんえんを「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」の口座こうざはら[40]
    • 12月15にち - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が「うみすめらぎ」の営業えいぎょうけん代金だいきん名目めいもくとしてやく5おくえんを「飯倉いいくらホールディングス」に支払しはらうととも[39]、それ以外いがいやく6おく5000まんえん同社どうしゃけるなどのかたち払込はらいこみきん全額ぜんがく還流かんりゅう[40][41]
    • 12月18にち - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が和歌山わかやま地方ちほう法務局ほうむきょく資本しほんきんを5おく3000まんえんから11おく340まんえん増額ぞうがくしたと虚偽きょぎ申請しんせいをして法人ほうじん登記とうき変更へんこう[35]
  • 2004ねん平成へいせい16ねん11月13にち - 架空かくう増資ぞうしで「電磁でんじてき公正こうせい証書しょうしょ原本げんぽん不実ふじつ記録きろくどう供用きょうよう」などにたるとして[35]大阪おおさか警察けいさつ刑事けいじ捜査そうさだいが「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや社長しゃちょう岡本おかもと良晴よしはる投資とうし会社かいしゃ飯倉いいくらホールディングス」の上田うえだだか嗣前社長しゃちょうら5にん調しらべを開始かいし[35]逮捕たいほされる[40][36]
    • この逮捕たいほけて東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょ大阪おおさか証券しょうけん取引とりひきしょ即日そくじつ会社かいしゃ基本きほんとなる資本しほんにかかわる事件じけん」として監理かんりポストにあて[36]
  • 2005ねん平成へいせい17ねん1がつ7にち - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が東京とうきょう証券しょうけん取引とりひきしょ大阪おおさか証券しょうけん取引とりひきしょ上場じょうじょう廃止はいし[31]
  • 2007ねん平成へいせい19ねん) - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が和歌山わかやまけん100ねん企業きぎょう表彰ひょうしょう受賞じゅしょう
  • 2014ねん平成へいせい26ねん
    • 1がつ17にち - 民事みんじ再生さいせいほう適用てきよう申請しんせい[19][22][33]
    • 4がつ28にち - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」が西宮にしのみや本社ほんしゃ[42]和菓子わがし製造せいぞう販売はんばいおこなう「千鳥ちどり宗家そうけ」と事業じぎょう譲渡じょうと契約けいやく締結ていけつ[43]
    • 5月29にち - ぜん19店舗てんぽ閉鎖へいさするととも[14]ぜん従業じゅうぎょういん解雇かいこして事業じぎょう停止ていし[42]
    • 5月30にち - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」から「千鳥ちどり宗家そうけ[43]への事業じぎょう譲渡じょうと予定よてい[42]
    • 6月16にち - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや労働ろうどう組合くみあい申入もうしいれしょ和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ保全ほぜん管理人かんりにん提出ていしゅつ[44]
    • 6月17にち - 資産しさんりして工場こうじょう閉鎖へいさするような資産しさん処分しょぶんけるようにもとめる署名しょめい活動かつどう開始かいし[45]
    • 6月22にち - 「和菓子わがし文化ぶんか和歌山わかやま 大好だいす市民しみんれん」が緊急きんきゅうシンポジウム「老舗しにせブランドってなに駿河屋するがや問題もんだいをみんなでかんがえよう」を開催かいさい[10]
    • 6月25にち - 和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ破産はさん手続てつづき開始かいし決定けってい[47]
    • 6月26にち - 1まん2,294にんぶん署名しょめい和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ提出ていしゅつ[46]
    • 7がつ3にち - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」の所有しょゆうする不動産ふどうさん機械きかいなどの一括いっかつ購入こうにゅうさきめる入札にゅうさつ実施じっし[48]
      • 有田ありた医薬いやく部外ぶがいひん製造せいぞう販売はんばい会社かいしゃ三和さんわインセクティサイド」の田中たなか源一郎げんいちろう会長かいちょうやく3.17おくえん落札らくさつ[49]
    • 8がつ6にち - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」の本社ほんしゃ土地とち建物たてもの不動産ふどうさんなどの所有しょゆうけんが「三和さんわインセクティサイド」の田中たなか源一郎げんいちろう会長かいちょう移転いてん[49]
    • 9月8にち - 「株式会社かぶしきがいしゃ駿河屋するがや」のだい1かい債権さいけんしゃ集会しゅうかい和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ開催かいさい[51]負債ふさい総額そうがくやく9.4おくえんで、一般いっぱん債権さいけんへの配当はいとうが0になる見込みこみと発表はっぴょう[51]
    • 11月7にち - 「田中たなか源一郎げんいちろう」が100%出資しゅっし[52]しん会社かいしゃ株式会社かぶしきがいしゃそう本家ほんけ駿河屋するがや」を設立せつりつ[54]
  • 2015ねん平成へいせい27ねん
    • 2がつ18にち - しん会社かいしゃ株式会社かぶしきがいしゃそう本家ほんけ駿河屋するがや」が[54]京都きょうと伏見ふしみてん営業えいぎょう再開さいかい[52]
    • 3月24にち -しん会社かいしゃ株式会社かぶしきがいしゃそう本家ほんけ駿河屋するがや」が「駿河するがまち本舗ほんぽ」を本店ほんてんとして営業えいぎょう再開さいかい[56]
    • 4がつ29にち -しん会社かいしゃ株式会社かぶしきがいしゃそう本家ほんけ駿河屋するがや」が高松たかまつてん営業えいぎょう再開さいかい[60]
    • 10月 -しん会社かいしゃ株式会社かぶしきがいしゃそう本家ほんけ駿河屋するがや」が海南かいなんてん営業えいぎょう再開さいかい[61]

おも商品しょうひん

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そう本家ほんけから分家ぶんけ暖簾のれんけした駿河屋するがや

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伏見ふしみ京橋きょうばし駿河屋するがや

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京都きょうと伏見ふしみ下油掛しもあぶらかけまち[9]

1781ねん天明てんめい元年がんねん)に伏見ふしみこうちかくのしょ大名だいみょう乗船じょうせん待合まちあいしょとして京町きょうまちそう本家ほんけから分家ぶんけ開業かいぎょうした[9]

大阪おおさか駿河屋するがや

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大阪おおさか中央ちゅうおう[25]

1811ねん文化ぶんか8ねん)に[25]伏見ふしみあぶらかけまちから次男じなん[26]岡本おかもとよし三郎さぶろう分家ぶんけして大阪おおさか淡路あわじまちいち丁目ちょうめ現在げんざい大阪おおさか中央ちゅうおう東南とうなんかく開業かいぎょうした[25]

するがや祇園ぎおん下里しもさと

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京都きょうと東山ひがしやま祇園ぎおん末吉すえよしまち[28][27]

1818ねん文政ぶんせい元年がんねん)に「そう本家ほんけ駿河屋するがや」の別家べっけとして[4]暖簾のれんけして開業かいぎょうした[27]

明治めいじはじごろからつくはじめた「まめたいらとう」は[4]棒状ぼうじょう丹波たんばさん大豆だいずはいったあめ当店とうてん代表だいひょうする銘菓めいかとしてられている[27]

さかい駿河屋するがや

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大阪おおさかさかい[26]和泉いずみこくさかいしゅう甲斐かいまち[68])。

大阪おおさか駿河屋するがや」につとめた初代しょだいおおとりそうすけ主人しゅじんみとめられて暖簾のれんけをされて大阪おおさか心斎橋しんさいばし開業かいぎょうした[65]

のちさかい甲斐かいまち現在げんざいさかい[26]開口かいこう神社じんじゃちか[69]にも出店しゅってんした[65]

そうすけ長男ちょうなんむねなな心斎橋しんさいばし次男じなんぜんろくさかいみせいだが、ぜんろくみせをやめることになったため、むねなな心斎橋しんさいばしてん閉店へいてんしてさかいてん継承けいしょうした[65]

1879ねん明治めいじ11ねん)12月7にち与謝野よさの晶子あきこ当店とうてん主人しゅじんであったおおとりはじめななとつねのさんじょとして誕生たんじょう[68]子供こども時代じだいにはみせ手伝てつだっていたといわれている[65]

てんとの無用むよう競合きょうごうけるため、「よるうめ」などをつくはじめたのは当店とうてんであるとされている[65]

2015ねん平成へいせい27ねん)3がつ24にち開館かいかんしたさかいさかい宿院町西しゅくいんちょうにし2ちょうにある「さかいあきらもり」の2かい開設かいせつされた晶子あきこ記念きねんかん与謝野よさの晶子あきこ生家せいかとしてみせ一部いちぶ復元ふくげん展示てんじされた[70]

現在げんざい廃業はいぎょう跡地あとちだい道筋みちすじになっており、「与謝野よさの晶子あきこ生家せいかあと」のいしぶみっている。

きょう三条さんじょう駿河屋するがや

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京都きょうと中京ちゅうきょう三条さんじょう河原町かわらまち[28]

1868ねん明治めいじ元年がんねん)に「そう本家ほんけ駿河屋するがや」から暖簾のれんけして開業かいぎょうした[29]

先斗ぽんとまち駿河屋するがや

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京都きょうと中京ちゅうきょう先斗ぽんとまち[28]

現在げんざいの「するがや祇園ぎおん下里しもさと[27]より分家ぶんけ暖簾のれんけされて[28]1898ねん明治めいじ31ねん)に開業かいぎょうした[64]

たけ」というほそ青竹あおだけいちせつったなかながんでかためたまる棒状ぼうじょうの「みず羊羹ようかん」で有名ゆうめいである[71]

じょう駿河屋するがや

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京都きょうと中京ちゅうきょう二条通にじょうどおり[28]

1934ねん昭和しょうわ9ねん)に暖簾のれんけされて開業かいぎょうした[28]

伏見ふしみ駿河屋するがや大手おおててん

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京都きょうと伏見ふしみ東大手ひがしおおてまち[28]

伏見ふしみ駿河屋するがや支店してんとして開業かいぎょうした[28]

宇治うじ駿河屋するがや

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京都きょうと宇治うじ宇治うじ平等院びょうどういん表参道おもてさんどう

伏見ふしみ駿河屋するがや宇治うじ支店してんとして宇治うじ平等院びょうどういんどおりに開業かいぎょう、その宇治うじ駿河屋するがや」として独立どくりつした。

ちゃ団子だんごちゃこうもちとしてられている。ちゃ団子だんごられている[64]

その

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そう本家ほんけ拠点きょてん

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  • 本社ほんしゃ工場こうじょう - 和歌山わかやまけん和歌山わかやま小倉おぐら25番地ばんち[30]
  • 駿河するがまち本舗ほんぽ - 和歌山わかやまけん和歌山わかやま駿河するがまち12番地ばんち[30]。2015ねん平成へいせい27ねん)3がつ24にち営業えいぎょう再開さいかい[56][57][58][59]
  • 高松たかまつてん - 和歌山わかやま東高松ひがしたかまつ2[60]ゆう高松たかまつ[72])。2015ねん平成へいせい27ねん)4がつ29にち営業えいぎょう再開さいかい[60]
  • 海南かいなんてん - 和歌山わかやまけん海南かいなん[61]。2015ねん平成へいせい27ねん)10がつ営業えいぎょう再開さいかい[61]
  • 伏見ふしみてん - 京都きょうと伏見ふしみ京町きょうまちさん丁目ちょうめ190番地ばんち。2015ねん平成へいせい27ねん)2がつ18にち営業えいぎょう再開さいかい[52]
  • 京都きょうと工場こうじょう - 京都きょうと伏見ふしみ京町きょうまちさん丁目ちょうめ190番地ばんち[30]

再開さいかい予定よてい

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  • 中之島なかのしまてん - 2015ねん平成へいせい27ねん)5がつまつまでに営業えいぎょう再開さいかい予定よてい[52][55]

かつてのそう本家ほんけ拠点きょてん

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  • 京都きょうと支店してん - 1998ねん平成へいせい10ねん)10がつ時点じてんでは上京かみぎょう西洞院にしのとういんどおり丸太まるたまちあが東川ひがしがわまちにあった[30]
  • 大阪おおさか支社ししゃ - 大阪おおさか天王寺てんのうじ真田山さなだやままち2ばん9ごう
    • 1952ねん昭和しょうわ27ねん)10がつ時点じてんでは大阪おおさかきた堂島どうじまちゅう1丁目ちょうめにあった[72]
    • 大阪おおさか工場こうじょう - 大阪おおさか天王寺てんのうじ国分こくぶまち8-7[30]
  • 東京とうきょう支社ししゃ - 東京とうきょう豊島としま駒込こまごめ3丁目ちょうめ[30]
    • 1952ねん昭和しょうわ27ねん)10がつ時点じてんでは東京とうきょう千代田ちよだ有楽町ゆうらくちょう電気でんき協会きょうかいビルにあった[72]

かつてあった店舗てんぽ

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2014ねん平成へいせい26ねん)1がつ17にち和歌山わかやま地方裁判所ちほうさいばんしょ民事みんじ再生さいせいほう適用てきよう申請しんせいした[19][22][33]時点じてんでは、本社ほんしゃのある和歌山わかやまけんほか大阪おおさか京都きょうと[14]直営店ちょくえいてん19店舗てんぽ展開てんかいしていたほか[19]百貨店ひゃっかてんやスーパーないでも販売はんばいをしており[19]全体ぜんたいではやく50てん展開てんかいしていた[22]

直営店ちょくえいてん
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和歌山わかやまけん

  • 和歌山わかやま
    • 駿河するがまち本舗ほんぽ - 和歌山わかやま駿河するがまち6[72]
    • ひがし和歌山わかやまてん - 和歌山わかやま友田ともたまち4丁目ちょうめ[72]
    • 和歌山わかやまミオてん - 2010ねん3がつ31にちにJR和歌山わかやまえきビルに開業かいぎょうした「和歌山わかやまMIO」に出店しゅってんしていた[73]
    • 紀三井寺きみいでらてん小倉こくらてん河西かさいてん小松原こまつばらてん中之島なかのしまてん鳴神なるかみてん神前しんぜんてん
  • 海南かいなん
    • 紀伊きい海南かいなんてん - 日方ひかたさかえどおかく[72]
    • 紀伊きい下津しもつてん - きゅう海草かいそうぐん下津しもつまち[72]現在げんざい海南かいなん)。
    • うみ南東なんとうてん
  • 橋本はしもと - 高野口こうやぐちてん
  • かわ - 貴志川きしがわてん
  • 岩出いわで - いわ出店しゅってん
  • 有田ありた
    • 紀伊きい箕島みしまてん - 箕島みしままち駅前通えきまえどお[72]

京都きょうと

  • 京都きょうと
    • 伏見ふしみ本舗ほんぽ - 京都きょうと伏見ふしみ京町きょうまち3丁目ちょうめ[72]
    • 京都きょうとてん - 京都きょうと下京しもぎょう四条しじょう河原町かわらまち[72]
    • 京都きょうと四條しじょうてん - 京都きょうと下京しもぎょう四条しじょう御旅おたびまち[72]

大阪おおさか

  • 大阪おおさか
    • 大阪おおさかみなみてん - 大阪おおさか心斎橋筋しんさいばしすじ周防すおう町東まちひがしいれ[72]
    • 戎橋えびすばし福助ふくすけてん - 大阪おおさかみなみ戎橋えびすばし電車でんしゃどおかく[72]
    • 真田山さなだやまてん
  • 大東だいとう - 野崎のさきてん
  • 和泉いずみ - 和泉いずみてん納花のうけてん
  • 泉佐野いずみさの - 長滝ながたきてん

兵庫ひょうごけん

三重みえけん

百貨店ひゃっかてん
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和歌山わかやまけん

京都きょうと

大阪おおさか

兵庫ひょうごけん

滋賀しがけん

奈良ならけん

  • 近鉄百貨店きんてつひゃっかてん - 奈良ならてん橿原かしはらてん生駒いこまてん

三重みえけん

  • 近鉄百貨店きんてつひゃっかてん - 桔梗ききょうおかてん
  • 中部ちゅうぶ近鉄百貨店きんてつひゃっかてん - 四日市よっかいち本店ほんてん

愛知あいちけん

  • 中部ちゅうぶ近鉄百貨店きんてつひゃっかてん - 名古屋なごやてん

岡山おかやまけん

鳥取とっとりけん

愛媛えひめけん

高知こうちけん

福岡ふくおかけん

大分おおいたけん

宮崎みやざきけん

熊本くまもとけん

鹿児島かごしまけん

  • 三越みつこし - 鹿児島かごしまてん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j 瀬田せだ勝哉かつや洛中らくちゅう洛外らくがい群像ぐんぞう うしなわれた中世ちゅうせい京都きょうとへ』 平凡社へいぼんしゃ、1994ねん8がつISBN 978-4582475050
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 守安もりやすただし日本にっぽん名菓めいか辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1971ねん
  3. ^ a b c d e 安達あだちいわお 『たべもの伝来でんらい 縄文じょうもんから現代げんだいまで』 柴田しばた書店しょてん、1975ねん4がつ
  4. ^ a b c d e f 堀井ほりいれい以知京都きょうとのことば 上方かみがた文庫ぶんこ8』 和泉いずみ書院しょいん、1988ねん11月1にちISBN 978-4-87088-317-8
  5. ^ a b c d e f g h i j k 鈴木すずきひろしはん地域ちいき研究けんきゅうシリーズ 38 和歌山わかやま県内けんないの3城下町じょうかまちにおける和菓子わがし文化ぶんか研究けんきゅう 地域ちいき文化ぶんかとしての和菓子わがし文化ぶんかさい評価ひょうかとまちづくり』 和歌山大学わかやまだいがく経済けいざい研究所けんきゅうじょ、2010ねん11月。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 藤森ふじもりとおる『あの会社かいしゃはこうしてつぶれた』日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ、2017ねん4がつ10日とおか初版しょはん、54-59ぺーじISBN 9784532263379
  7. ^ a b c d e f g h i 富永とみなが次郎じろう日本にっぽん菓子かし社会しゃかい思想しそう研究けんきゅうかい出版しゅっぱん、1961ねん
  8. ^ a b c d e こま敏郎としお老舗しにせあじ きょう名物めいぶつとのれん』 講談社こうだんしゃ、1984ねん2がつ28にち
  9. ^ a b c d e f g h i j k 京都きょうと姓氏せいし歴史れきし人物じんぶつだい辞典じてん編集へんしゅう委員いいんかい角川かどかわ日本にっぽん姓氏せいし歴史れきし人物じんぶつだい辞典じてん 26 京都きょうと姓氏せいし歴史れきし人物じんぶつだい辞典じてん角川書店かどかわしょてん、1997ねん9がつ20日はつかISBN 978-4040022604
  10. ^ a b c d e f g h 谷田たにだ朋美ともみ(2014ねん6がつ23にち). “シンポジウム:「ようかんで和菓子わがし革命かくめい」 「駿河屋するがや破産はさん手続てつづけ、「伝統でんとう」「ブランド」まも支援しえんを−−和歌山わかやま”. 毎日新聞まいにちしんぶん (毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ)
  11. ^ a b c d 原田はらだとも彥 『きょうのくらし』 柏書房かしわしょぼう、1981ねん9がつISBN 978-4760101436
  12. ^ 瀧川たきがわ政次郎まさじろう日本にっぽん社会しゃかい経済けいざい論考ろんこう名著めいちょ普及ふきゅうかい、1983ねん
  13. ^ a b c d e 日本にっぽん伝統でんとう産業さんぎょう 物産ぶっさんへん通産つうさん企画きかく調査ちょうさかい、1978ねん10がつ20日はつか
  14. ^ a b c d e f g h i 谷田たにだ朋美ともみ(2014ねん5がつ30にち). “駿河屋するがや:和菓子わがし老舗しにせ全店ぜんてん閉鎖へいさ ぜん社員しゃいん解雇かいこ”. 毎日新聞まいにちしんぶん (毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ)
  15. ^ 坂本さかもと太郎たろう 森末もりすえ義彰よしあき 日野西ひのにしこう風俗ふうぞく辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1961ねん
  16. ^ 川上かわかみ行蔵こうぞう 小出こいで昌洋まさひろ日本にっぽん料理りょうり事物じぶつ起源きげん岩波書店いわなみしょてん、2006ねん1がつ27にちISBN 978-4000242400
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外部がいぶリンク

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