たちばな百貨店ひゃっかてん

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株式会社かぶしきがいしゃたちばな百貨店ひゃっかてん
Tachibana Departmentstore Co.,Ltd.
ボンベルタたちばな ひがしかん(2008ねん
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
略称りゃくしょう ボンベルタたちばな
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
880-8586
宮崎みやざきけん宮崎みやざき橘通西たちばなどおりにし3丁目ちょうめ10ばん32ごう
設立せつりつ 1976ねん昭和しょうわ51ねん11月
業種ぎょうしゅ 小売こうりぎょう
法人ほうじん番号ばんごう 3350001001026 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう 百貨店ひゃっかてんがたディスカウントてん運営うんえい
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 平田ひらた 一馬かずま
資本しほんきん 5000まんえん
主要しゅよう株主かぶぬし 株式会社かぶしきがいしゃドン・キホーテ100%
外部がいぶリンク MEGAドン・キホーテ宮崎みやざき橘通たちばなどおりてん
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株式会社かぶしきがいしゃたちばな百貨店ひゃっかてん(たちばなひゃっかてん)は、宮崎みやざきけん宮崎みやざき本社ほんしゃき、かつて百貨店ひゃっかてん運営うんえいしていた企業きぎょうである。店名てんめい会社かいしゃめい本社ほんしゃ本店ほんてんのある宮崎みやざき市内しないたちばなどお由来ゆらいする[1]

宮崎みやざきけんうちで「たちばな百貨店ひゃっかてん」、宮崎みやざきにおいて「ボンベルタたちばな」を運営うんえいしていた。「ボンベルタ」は、かつてぞくしていたイオングループ展開てんかいしていた百貨店ひゃっかてん店舗てんぽブランドである[ちゅう 1]現在げんざいドン・キホーテ買収ばいしゅうされ、パン・パシフィック・インターナショナル・ホールディングス(PPIH)グループにぞくする。

日本にっぽんショッピングセンター協会きょうかい加盟かめいし、日本にっぽん百貨店ひゃっかてん協会きょうかいには加盟かめいしていないが1975ねん倒産とうさんしたきゅう法人ほうじん時代じだい加盟かめいしていたとおもわれる[2]宮崎みやざき県内けんないでは、後述こうじゅつする宮崎山形屋みやざきやまかたやのみが日本にっぽん百貨店ひゃっかてん協会きょうかい加盟かめい。ボンベルタたちばなひがしかん7かいには、かつて宮崎交通みやざきこうつう本社ほんしゃいていた[3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

たちばな百貨店ひゃっかてんをはじめとするたちばなグループは、有力ゆうりょく地元じもと資本しほん共同きょうどうにより設立せつりつされ、のちに後藤ごとうによる同族どうぞく経営けいえい、とりわけ後藤ごとう良則よしのり初代しょだい社長しゃちょうのワンマン経営けいえいとなった[4]百貨店ひゃっかてんかくとする企業きぎょうである。1952ねん会社かいしゃ設立せつりつし、同年どうねん10月21にちたちばな百貨店ひゃっかてん本店ほんてん開店かいてんした。

本店ほんてん建物たてものは、当初とうしょたちばなどおりにめんする地上ちじょう4かいてであったが、裏通うらどおがわにも増築ぞうちくし、増築ぞうちく部分ぶぶんには地下ちか食料しょくりょうひん売場うりば設置せっちされた。さらに1967ねんには裏通うらどおりをへだてた場所ばしょにも店舗てんぽ建設けんせつされ、既存きそんかん連結れんけつされた[5]

たちばな百貨店ひゃっかてんグループは、全盛期ぜんせいきには映画えいがかんたちばな会館かいかん」、スーパーマーケットたちばなストアー」(後述こうじゅつ)、ホテル各種かくしゅレジャー施設しせつなどを経営けいえいし、当時とうじ宮崎みやざきけんにおいて宮崎交通みやざきこうつう宮崎銀行みやざきぎんこうなら宮崎みやざきさんだい資本しほんかぞえられた[6]宮崎みやざき市民しみんには、よる9ながされる「家路いえじしん世界せかいより)」のサイレンによってしたしまれていた。

宮崎みやざき資本しほん百貨店ひゃっかてんであったものの主力しゅりょく銀行ぎんこう福岡ふくおか相互そうご銀行ぎんこう西日本にしにほんシティ銀行ぎんこう前身ぜんしん)・安田信託銀行やすだしんたくぎんこうみずほ信託しんたく銀行ぎんこう前身ぜんしん)・三井信託銀行みついしんたくぎんこう中央ちゅうおう三井信託銀行みついしんたくぎんこう三井みつい住友信託銀行すみともしんたくぎんこう)の3ぎょうであり、たちばな百貨店ひゃっかてん建設けんせつ提唱ていしょうした宮崎銀行みやざきぎんこう経営けいえい方針ほうしん相違そういなどを理由りゆうに1964ねんごろ主力しゅりょく銀行ぎんこうから離脱りだつ[7]、1973ねんには完全かんぜんいていた[8]

しかし1975ねんたちばな百貨店ひゃっかてん初代しょだい法人ほうじん)の倒産とうさんにより、グループのちから急速きゅうそく衰退すいたいした。たちばな百貨店ひゃっかてんグループが宮崎みやざき中心ちゅうしん所有しょゆうしていた不動産ふどうさんは、たちばな会館かいかん宮崎放送みやざきほうそうえをて1984ねんに「MRTセンター」として移転いてんMRT miccなど)、ホテルが宮崎みやざきセントラル会館かいかん(2005ねんイオンモール宮崎みやざきに「宮崎みやざきセントラルシネマ」として移転いてんげんセントラルシネマ宮崎みやざき)など、様々さまざま企業きぎょうがれた。

倒産とうさん契機けいき[編集へんしゅう]

宮崎みやざきには1972ねん以降いこうイズミヤ(1972ねん10がつ開店かいてん・2020ねん2がつ閉店へいてん、レマンショッピングセンター)、寿屋ことぶきや(1973ねん開店かいてん、2002ねん一時いちじ閉鎖へいさげんカリーノ宮崎みやざき)、ユニード(1974ねん4がつ開店かいてん・アピロスに改称かいしょう閉店へいてん[ちゅう 2]げん・アゲインビル)、ダイエー宮崎みやざきショッパーズプラザ(みや交シティかくテナント。1973ねん開店かいてんげんイオン南宮崎みなみみやざきてん)とけんがい資本しほん大型おおがたてん相次あいついで開業かいぎょうし、全国ぜんこくてきにも有数ゆうすう商業しょうぎょう激戦げきせんとなった。

そのため、たちばな百貨店ひゃっかてん1973ねん10がつ10日とおか都城みやこのじょう都城みやこのじょうえきまえ新規しんき出店しゅってんして拡大かくだい路線ろせんかじった[10]。しかし当時とうじ都城みやこのじょうは「全国ぜんこくいち大型おおがたてん激戦げきせん地区ちく」であり[11]NHKげられたほどオーバーストア状態じょうたいだった。

さらに、都城みやこのじょう駅前えきまえ土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう完成かんせいまえであった[ちゅう 3]ため人通ひとどおりはまばらでありかつ十分じゅうぶん駐車ちゅうしゃじょう確保かくほしなかったこと、そして、都城みやこのじょう大丸だいまる、ナカムラデパート、寿屋ことぶきや都城みやこのじょうてんダイエー都城みやこのじょうてんとの店舗てんぽ規模きぼ拡大かくだいともな過度かど競争きょうそうやぶれ、年間ねんかんげ35おくえん目標もくひょうとしていたげは14おく8300まんえん(1974年度ねんど、1974ねん2がつ - 1975ねん1がつ)にとどまり、わずか1ねん4かげつの1975ねん2がつ28にちには撤退てったいへとまれた[13]たちばな百貨店ひゃっかてん都城みやこのじょうてん土地とち建物たてものは1975ねん5がつ29にち旭化成あさひかせいサービス(本社ほんしゃ延岡のべおか本店ほんてんイオン延岡のべおかショッピングセンター前身ぜんしん)が12おく1800まんえん買収ばいしゅう[14]、1975ねん10がつ17にちに「旭化成あさひかせいサービス都城みやこのじょうてん」として開店かいてん都城みやこのじょうではそのやく20年間ねんかんにわたりこの5店舗てんぽきそ状況じょうきょうつづいた。

主戦しゅせんじょうとなる宮崎みやざきでも、たちばなどおにある百貨店ひゃっかてん宮崎山形屋みやざきやまかたやどう時期じき高級こうきゅう路線ろせんへと転換てんかん増収ぞうしゅう成功せいこうした[ちゅう 4][15]のとは対照たいしょうてきに、たちばな百貨店ひゃっかてんのフロアや接客せっきゃく態度たいど旧態きゅうたい依然いぜんとしたままでげは低迷ていめい[ちゅう 5]、ある大手おおてスーパー幹部かんぶからは進出しんしゅつ計画けいかく策定さくていたちばな百貨店ひゃっかてんを「"てき"に勘定かんじょうしなかった」とわれる状況じょうきょうであった[16]

拡大かくだい路線ろせんの1973ねんにはだい1オイルショック発生はっせいして景気けいき後退こうたいした。よく1974ねん9月には従業じゅうぎょういん給与きゅうよ一部いちぶ商品しょうひんけんとしたことにたいし、労働ろうどう基準きじゅんほう違反いはんとして労働ろうどう基準きじゅん監督かんとくしょから厳重げんじゅう勧告かんこくけ、社会しゃかいてき信用しんよううしないつつあった[17]倒産とうさん直前ちょくぜん大手おおて資本しほんニチイ(2011ねんイオンリテール吸収きゅうしゅう合併がっぺい)と全面ぜんめん提携ていけいった[ちゅう 6]ものの、おそきにしっした状態じょうたいであった[19]

そして1975ねん手形てがた詐欺さぎったことがとどめをし、たちばな百貨店ひゃっかてん倒産とうさんした[19]。この事件じけん資金繰しきんぐりにきゅうしたたちばな百貨店ひゃっかてんに、全国ぜんこくてき暗躍あんやくしていた手形てがたパクリ一味いちみもと代議士だいぎし手引てびきによりみ、1975ねん4がつ15にちから同月どうげつ24にちまでのあいだたちばな百貨店ひゃっかてんから手形てがた割引わりびき斡旋あっせんしょうして、たちばな百貨店ひゃっかてん為替かわせ手形てがた47つう額面がくめん3おく3500まんえん)などを詐取さしゅしたものである[20]。それ以外いがいにも同年どうねん12がつまつまでに、被害ひがい総額そうがく7おく9604まんえんえる詐欺さぎ横領おうりょう恐喝きょうかつなどの事件じけんが「たちばな百貨店被害手形詐欺事件等捜査本部」により検挙けんきょされた[20]。この事件じけん犯行はんこう地域ちいきは12都府県とふけん被疑ひぎしゃは17にん、うち9にん逮捕たいほおよだい規模きぼなもので、宮崎みやざき県内けんないでも県民けんみんしたしまれた地元じもと資本しほん百貨店ひゃっかてん倒産とうさんまねいたことでおおきな反響はんきょうんだ[20]

ボンベルタたちばなとしてリニューアル[編集へんしゅう]

たちばな百貨店ひゃっかてん1976ねんジャスコ現在げんざいイオン株式会社かぶしきがいしゃ)が支援しえんし、たちばなジャスコ株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつたちばな百貨店ひゃっかてん本店ほんてんは1977ねん1がつにいったん閉店へいてんし、同年どうねん4がつ27にち量販りょうはんてん業態ぎょうたいの「たちばなジャスコ」としてさいオープンした[21]

1982ねんには会社かいしゃ更生こうせい計画けいかく終結しゅうけつし、たちばなジャスコ株式会社かぶしきがいしゃ合併がっぺいした。存続そんぞく会社かいしゃたちばなジャスコであるが、商号しょうごう(2代目だいめ株式会社かぶしきがいしゃたちばな百貨店ひゃっかてんとした。

1988ねん5月25にちには本店ほんてん全面ぜんめんてき改築かいちくした(えた)じょうで、イオングループの百貨店ひゃっかてんボンベルタたちばな」としてオープンした[22]若者わかもの中年ちゅうねん以下いか年齢ねんれいそうおもなターゲットとしたしなそろえで競合きょうごう宮崎山形屋みやざきやまかたやけをはかったが、そのため2005ねんイオンモール宮崎みやざき開業かいぎょうによる打撃だげき宮崎山形屋みやざきやまかたやよりおおきかった。

1996ねん4がつ24にちには、宮崎みやざきけん延岡のべおか開業かいぎょうした延岡のべおかニューシティショッピングセンター(きゅうあさひジャスコ、げん・イオン延岡のべおかショッピングセンター)じゅんかく店舗てんぽとして「ボンベルタ延岡のべおかニューシティー」を出店しゅってんしたが、わずか2ねんの1998ねん8がつ20日はつか閉店へいてんしている。

2006ねん宮崎山形屋みやざきやまかたや新館しんかんオープンをまえに、ボンベルタたちばなでは顧客こきゃくそうとするキャリアウーマンけのブランドをさらに充実じゅうじつさせるリニューアルをおこない、宮崎山形屋みやざきやまかたややイオンとの差別さべつはかったが苦戦くせんし、その事実じじつじょう百貨店ひゃっかてんから専門せんもんてんビル業態ぎょうたい転換てんかんした。またイオングループのなかでも、百貨店ひゃっかてんという業態ぎょうたい今後こんご存続そんぞくするのか非常ひじょう不透明ふとうめい状況じょうきょうであった。

イオングループはイオンモール宮崎みやざき出店しゅってんに「ボンベルタたちばな存続そんぞくさせる」としていたが[23]結局けっきょく2007ねん9がつ28にちにイオンは百貨店ひゃっかてん事業じぎょう縮小しゅくしょうすることを決定けってい[24][25]。2007ねん11月1にちづけでクアトロエクゼキューションズ(本社ほんしゃ東京とうきょう中央ちゅうおう)がイオンの所有しょゆうするぜん株式かぶしき(600まんかぶのうち99.97%)を取得しゅとくしたことにより、イオングループから離脱りだつした[24][26]

地元じもと回帰かいきたちばなホールディングス」の設立せつりつ[編集へんしゅう]

しかし、たちばな百貨店ひゃっかてん地元じもと回帰かいきさせようといううごきがこり、宮崎みやざき出身しゅっしんきの会社かいしゃ役員やくいんMBO目的もくてきとして県内けんない財界ざいかい出資しゅっしびかけをおこなった結果けっか宮崎みやざき有力ゆうりょく企業きぎょうであるよねりょう電機でんき産業さんぎょう坂下さかしたぐみ出資しゅっしし、株式会社かぶしきがいしゃたちばなホールディングス設立せつりつされた。そしてたちばなホールディングスは2008ねん7がつ9にちにクアトロエクゼキューションズの所有しょゆうするぜん株式かぶしき取得しゅとくし、たちばな百貨店ひゃっかてんたちばなホールディングスの完全かんぜん子会社こがいしゃとなった[27]

そのは「県民けんみん百貨店ひゃっかてん」としてのリニューアル計画けいかくすすめていたが、リーマンショックによるきょうや、宮崎みやざきけん猛威もういをふるい県内けんない経済けいざいおおきな打撃だげきあたえた口蹄疫こうていえき発生はっせいにより、その時期じきがずれんでいた。

ようやくこれらの影響えいきょう目処めどち、2011ねんはるに5ねんぶりとなるリニューアルが実施じっしされた。このリニューアルでは、100えんショップ大創産業だいそうさんぎょうしん業態ぎょうたい「ダイソージャパン」、東急とうきゅうハンズ(げんハンズ)「トラックマーケット」[ちゅう 7]出店しゅってんするなど、従来じゅうらい百貨店ひゃっかてん業態ぎょうたいかかわらない大胆だいたん売場うりばづくりをおこな注目ちゅうもくあつめた。このリニューアルが宮崎みやざき中心ちゅうしん市街地しがいち全体ぜんたい集客しゅうきゃくにも波及はきゅう効果こうかおよぼしたため、同社どうしゃ役割やくわりには期待きたいおおきく、全国ぜんこくてき不振ふしんつづ地方ちほう百貨店ひゃっかてんなかでも健闘けんとうしている部類ぶるいはいるとみられていた。

2011ねん1がつ県内けんない資本しほんであった都城みやこのじょう大丸だいまる経営けいえい破綻はたんしたことにより、たちばな百貨店ひゃっかてん宮崎みやざき県内けんない唯一ゆいいつ地元じもと資本しほん百貨店ひゃっかてんとなった。そのたちばなホールディングスが2013ねん2がつ、ボンベルタたちばな隣接りんせつするエアラインホテルを買収ばいしゅう子会社こがいしゃするなど[28]経営けいえい多角たかくしていた。

2015ねん7がつからは、都城みやこのじょう本社ほんしゃ地元じもとスーパーマーケットハーティながやま地下ちか食品しょくひん売場うりば出店しゅってんしたが、わずか2ねんはんの2018ねん2がつ20にちをもって閉店へいてんした[29]。これにより地下ちかだい部分ぶぶん閉鎖へいさ状態じょうたいすなど、集客しゅうきゃくりょくたか専門せんもんてん撤退てったい相次あいついだこともあり業績ぎょうせき悪化あっかした[28]

2019ねん5がつたちばなホールディングスはたちばな百貨店ひゃっかてん営業えいぎょう時間じかんを24あいだ拡大かくだいすることをあきらかにし、宮崎みやざきけんたいだい規模きぼ小売こうり店舗てんぽ立地りっちほうもとづく届出とどけでおこなった。住民じゅうみんへの説明せつめいだい規模きぼ小売こうり店舗てんぽ立地りっち審議しんぎかい審査しんさうえで、2020ねん1がつ14にちからの実施じっし目指めざすとの届出とどけでであったが、たちばなホールディングスは「いま(2019ねん12がつ)の時点じてんで24あいだ営業えいぎょうのテナントがまっているわけではない」とコメントしていた[30][31]

ドン・キホーテによる買収ばいしゅう[編集へんしゅう]

「ボンベルタたちばな」の看板かんばん撤去てっきょ直前ちょくぜんひがしかん。2020ねん7がつ31にち撮影さつえい
宮崎みやざきナナイロひがしかん。2024ねん4がつ撮影さつえい

2020ねん2がつ3にち、PPIH傘下さんかドン・キホーテたちばなホールディングスを同年どうねん2がつ1にちづけ買収ばいしゅうし、グループ会社かいしゃしたと発表はっぴょうした[32][33][34]。これにともな同日どうじつづけ経営けいえいじん退任たいにんするとともに、県内けんない地元じもと資本しほんによる百貨店ひゃっかてん消滅しょうめつした[35]

同年どうねん4がつ中旬ちゅうじゅん以降いこうはボンベルタたちばな営業えいぎょうつづけながら改修かいしゅうおこない、11月中旬ちゅうじゅんごろディスカウントストアのドン・キホーテをかく店舗てんぽとするふくあい商業しょうぎょうビルとしてリニューアルオープンする予定よてい公表こうひょうされた[34][36][37]宮崎みやざきにちにち新聞しんぶんなど一部いちぶ報道ほうどう機関きかんでは「同年どうねん3がつまつでボンベルタたちばな閉店へいてんする」とほうじられていたが[35]、その報道ほうどうについて当初とうしょPPIHとたちばな百貨店ひゃっかてん否定ひていしていた[34]。しかし「ボンベルタ」はイオン株式会社かぶしきがいしゃ管理かんりする商標しょうひょうであるため、ドン・キホーテの買収ばいしゅうにより店舗てんぽめい変更へんこうけられない状況じょうきょうとなった[28]

その、5がつまつには地下ちか1かい地上ちじょう3かい部分ぶぶん直営ちょくえい売場うりば大塚家具おおつかかぐなどの商業しょうぎょうテナントが退去たいきょして閉鎖へいさされ、そのかいにおいても一部いちぶのこ売場うりば順次じゅんじ退去たいきょすすんだため、百貨店ひゃっかてんとしてのボンベルタたちばな閉店へいてんするとみられていた。さらに7がつまつには地元じもとマスコミにより屋上おくじょう看板かんばん撤去てっきょ店舗てんぽめい変更へんこうほうじられた。よく8がつには一部いちぶ営業えいぎょうしていた百貨店ひゃっかてん売場うりば閉鎖へいさ屋上おくじょう看板かんばん撤去てっきょされ、結果けっかてきにボンベルタたちばな閉店へいてんした。

同年どうねん8がつには、ショッピングセンターしん名称めいしょうが「宮崎みやざきナナイロ」に決定けってい[38]、11月中旬ちゅうじゅんに「MEGAドン・キホーテ宮崎みやざき橘通たちばなどおりてん」をかく店舗てんぽとしてリニューアルオープンすることが発表はっぴょうされた[28][39]。ドン・キホーテのふくあい商業しょうぎょう施設しせつブランド「ナナイロ」としては九州きゅうしゅうはつ出店しゅってん、ドン・キホーテは宮崎みやざき県内けんないで4てんとなる[28]隣接りんせつするエアラインホテルもパン・パシフィック・インターナショナルホールディングスに買収ばいしゅうされてグループ企業きぎょうとなる。

備考びこう[編集へんしゅう]

なおドン・キホーテは、2005ねん地元じもとディスカウントストアのビッグバン倒産とうさんするにたり、商品しょうひんぜん在庫ざいこり、くしセールをおこなったことがある。それから4ねんの2009ねん宮崎みやざき神宮東じんぐうひがし国道こくどう10号線ごうせん沿いにドン・キホーテ宮崎みやざきてん出店しゅってんし、宮崎みやざきけん進出しんしゅつした。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

  • 1952ねん - 宮崎みやざき県内けんない財界ざいかいじん出資しゅっし初代しょだい株式会社かぶしきがいしゃたちばな百貨店ひゃっかてん設立せつりつ当時とうじ髙島業務ぎょうむ提携ていけいむすんでいた[40]
  • 1952ねん10月21にち - たちばな百貨店ひゃっかてん本店ほんてん宮崎みやざきにオープン[40]
  • 1973ねん10がつ10日とおか - 都城みやこのじょうてん初代しょだい)がオープン[10]
  • 1974ねん
    • 9がつ下旬げじゅん - 9がつ給与きゅうよ一部いちぶ商品しょうひんけんとしたことにより、労働ろうどう基準きじゅんほうだい24じょう賃金ちんぎん支払しはらい違反いはんとして労働ろうどう基準きじゅん監督かんとくしょから厳重げんじゅう勧告かんこくける[17]
    • 10月2にち - 臨時りんじ役員やくいんかいにて後藤ごとう良則よしのり社長しゃちょう引退いんたい、および、後藤ごとう友幸ともゆき養子ようし[ちゅう 8])が代表だいひょうけん専務せんむ取締役とりしまりやく就任しゅうにんすることが決定けっていされる(この時点じてん社長しゃちょうしょく空白くうはくとなる)[42]
    • 11月7にち - 初代しょだい社長しゃちょう後藤ごとう良則よしのり死去しきょ[43]。こののち空白くうはくとなっていた社長しゃちょうしょく後藤ごとう友幸ともゆき就任しゅうにん[44]
  • 1975ねん
    • 2がつ28にち - 都城みやこのじょうてん閉店へいてん[13]
    • このころ手形てがた詐欺さぎう。
    • 5月29にち - きゅう都城みやこのじょうてん土地とち建物たてもの旭化成あさひかせいサービスが買収ばいしゅう[14]
    • 6月26にち - 提携ていけい交渉こうしょうさきのニチイ(2011ねんにイオンリテールへ吸収きゅうしゅう合併がっぺい)とのあいだ覚書おぼえがき交換こうかん実施じっし[45]
    • 7がつ30にち - たちばな百貨店ひゃっかてんとニチイとの提携ていけい交渉こうしょう決裂けつれつ主力しゅりょく銀行ぎんこうによる救済きゅうさい融資ゆうしことわられ、この時点じてん事実じじつじょう倒産とうさん決定けっていする[46]
    • 8がつ1にち - 宮崎みやざき地方裁判所ちほうさいばんしょたいして会社かいしゃ整理せいり申立もうしたて倒産とうさん#法的ほうてき倒産とうさん処理しょり手続てつづき参照さんしょう[47][48]
    • 8がつ2にち - 宮崎みやざき地裁ちさいから財産ざいさん保全ほぜん命令めいれいされ倒産とうさん[49]
    • 10月3にち - 宮崎みやざき地裁ちさいたいして会社かいしゃ更生こうせいほう適用てきよう申請しんせいよく4にち受理じゅり[50]
  • 1976ねん
    • 10月 - ジャスコ株式会社かぶしきがいしゃげん・イオン株式会社かぶしきがいしゃ)がたちばな百貨店ひゃっかてん支援しえん合意ごうい[51]
    • 11月 - たちばなジャスコ株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ[52]
  • 1977ねん
    • 1がつ10日とおか - たちばな百貨店ひゃっかてんとしての営業えいぎょう終了しゅうりょう従業じゅうぎょういんは1がつ15にちづけ一旦いったん解雇かいこし、たちばなジャスコとしてのオープン1かげつまえさい雇用こようされる[53]
    • 4がつ27にち - 本店ほんてん量販りょうはんてん業態ぎょうたい変更へんこうし「たちばなジャスコ」としてさいオープン[21][51]
  • 1982ねん12月 - 会社かいしゃ更生こうせい計画けいかく終結しゅうけつたちばなジャスコ株式会社かぶしきがいしゃ合併がっぺい[51][52]
  • 1988ねん5月25にち - 本店ほんてん全面ぜんめん改築かいちくし、都市としがた百貨店ひゃっかてん「ボンベルタたちばな」としてさいオープン[22][51]
  • 1996ねん4がつ24にち - ボンベルタ延岡のべおかニューシティーが、延岡のべおかニューシティショッピングセンター(げんイオン延岡のべおかショッピングセンター)のじゅんかく店舗てんぽとしてオープン。
  • 1998ねん8がつ20日はつか - ボンベルタ延岡のべおかニューシティーが閉店へいてん
  • 2007ねん11月1にち - クアトロエクゼキューションズがイオンの所有しょゆうするぜん株式かぶしき取得しゅとく。これによりイオングループを離脱りだつ
  • 2008ねん
    • 7がつ1にち - 役員やくいん坂下さかしたぐみ米良めら電機でんき産業さんぎょうなどにより、たちばなホールディングスを設立せつりつ資本しほんきんは1,000まんえん[54]
    • 7がつ9にち - たちばなホールディングスが、クアトロエクゼキューションズの所有しょゆうするぜん株式かぶしき取得しゅとく
  • 2020ねん
    • 1がつ14にち - だい規模きぼ小売こうり店舗てんぽ立地りっちほう届出とどけでじょうでは、該当がいとうから営業えいぎょう時間じかんを24あいだ拡大かくだい[30]
    • 2がつ1にち - ドン・キホーテがたちばなホールディングスを買収ばいしゅう経営けいえいじん交代こうたい[32][33][35]
    • 8がつ21にち - 株式会社かぶしきがいしゃたちばな百貨店ひゃっかてん株式会社かぶしきがいしゃたちばなホールディングスを吸収きゅうしゅう合併がっぺい
    • 11月13にち - ドン・キホーテをかく店舗てんぽとするふくあい商業しょうぎょうビル「宮崎みやざきナナイロ」[55]としてオープン[34][36][56]

店舗てんぽ[編集へんしゅう]

ギフトサロン(都城みやこのじょう、2016ねん

現在げんざい店舗てんぽ[編集へんしゅう]

本店ほんてん宮崎みやざきてん
宮崎みやざきけん宮崎みやざき。1952ねん10がつ21にち開店かいてん
  • 東館ひがしだて
  • 西館にしだて

過去かこ存在そんざいした店舗てんぽ[編集へんしゅう]

都城みやこのじょうてん初代しょだい
宮崎みやざきけん都城みやこのじょう都城みやこのじょうえきまえ所在しょざい。1973ねん10がつ10日とおか開店かいてん、1975ねん2がつ28にち閉店へいてん
閉店へいてん旭化成あさひかせいサービスがぎ「あさひサービス」として開店かいてんしたが、のちに閉店へいてん
都城みやこのじょうてん(2代目だいめ小型こがたてん
宮崎みやざきけん都城みやこのじょう都城みやこのじょう中央ちゅうおうどお商店しょうてんがい都城みやこのじょう寿屋ことぶきや百貨店ひゃっかてんちかくに所在しょざい
ワンフロアの小型こがたショップ。2000ねんごろ閉店へいてん
都城みやこのじょうてん(3代目だいめ小型こがたてん
宮崎みやざきけん都城みやこのじょう都城みやこのじょう中央ちゅうおうどお商店しょうてんがい都城みやこのじょう大丸だいまる南側みなみがわ附近ふきん所在しょざい
2011ねん開店かいてん、2017ねん閉店へいてん。ワンフロアの外商がいしょう出張所しゅっちょうしょ近隣きんりん小型こがたショップをゆうする。
都城みやこのじょう大丸だいまる閉店へいてん地盤じばん沈下ちんか危惧きぐされるなかで、都城みやこのじょう大丸だいまる一部いちぶ従業じゅうぎょういんやブランドショップなどをいで出店しゅってんした。
延岡のべおかてん
宮崎みやざきけん延岡のべおか延岡のべおかニューシティーショッピングセンターきゅうあさひジャスコ)のじゅんかく店舗てんぽ「ボンベルタ延岡のべおかニューシティー」として出店しゅってん
1996ねん4がつ24にち開店かいてん。1998ねん8がつ20日はつか閉店へいてん

たちばなストアー[編集へんしゅう]

たちばなストアーはかつて宮崎みやざき県内けんないスーパーマーケットコンビニエンスストアディスカウントストア展開てんかいしていた企業きぎょう

株式会社かぶしきがいしゃたちばなストアー
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
市場いちば情報じょうほう 上場じょうじょう
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
880-0842
宮崎みやざきけん宮崎みやざき青葉あおばまち30
設立せつりつ 1972ねん5月25にち
業種ぎょうしゅ 小売こうりぎょう
法人ほうじん番号ばんごう 3350001001026 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう スーパーマーケットの経営けいえい
代表だいひょうしゃ 藤岡ふじおかしげる
資本しほんきん 6,000まんえん
支店してん舗数 14てん
決算けっさん 2がつ
主要しゅよう株主かぶぬし ジャスコ株式会社かぶしきがいしゃ
特記とっき事項じこう:1998ねん11月時点じてんのデータ[57]
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概要がいよう[編集へんしゅう]

スーパーマーケット「たちばなストアー」、コンビニエンスストア「ハピーマート[ちゅう 9][ちゅう 10] 」、ディスカウント・フードストア「サンスポット」を展開てんかいしていた[ちゅう 11][58]

ハピーマートはすべて直営ちょくえいだが店長てんちょうはおらず、本部ほんぶ統括とうかつが1にち1かい全店ぜんてんまわって管理かんりしていた。あらとしやく24%で、競合きょうごうゆるやかな地域ちいき出店しゅってんしていた[58]

サンスポットもすべて直営店ちょくえいてんで、面積めんせき平均へいきんやく230㎡、生鮮せいせん食品しょくひん強化きょうかしており夜間やかん10まで営業えいぎょうしていた。夜間やかん勤務きんむのパートをのぞけば店長てんちょう以下いか全員ぜんいん女性じょせいであった。あらとしやく14%で、競合きょうごうはげしい地域ちいき出店しゅってんしていた[58]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

過去かこ存在そんざいした店舗てんぽ[編集へんしゅう]

地名ちめい当時とうじのもので、下記かき店舗てんぽ以外いがいにも存在そんざいしていた。

  • 青葉あおばてん - 宮崎みやざき青葉あおばまち30[65]、1973ねん7がつ開店かいてん[65]
  • 国富こくふてん - 東諸県ひがしもろかたぐん国富くにとみまち大字だいじ本庄ほんじょうばらぼう1964[65]、1992ねん1がつ21にち開店かいてん[65]
  • 小林こばやしてん - 小林こばやし大字だいじ真方まがた南小みなみこ林原はやしばら454-1[65]、1994ねん12月9にち開店かいてん[65]
  • 西都さいとてん - 西都さいと大字だいじ右松みぎまつ三反田さんたんだ2222-1[65]、1993ねん10がつ6にち開店かいてん[65]
  • 西都さいときたてん - 西都さいとあさひ1-23[65]、1997ねん12月3にち開店かいてん[65]
  • 佐土原さどわらてん - 宮崎みやざきぐん佐土原さどわらまち梅野うめの9636-1[65]、1981ねん1がつ17にち開店かいてん[65]
  • 高城たかぎてん - 北諸県きたもろかたぐん高城たかぎまち大字だいじ穂満坊ほまんぼう鳥居前とりいまえ422-1[65]、1989ねん11月28にち開店かいてん[65]
  • 高鍋たかなべてん - 児湯こゆぐん高鍋たかなべまち大字だいじ北高鍋きたたかなべけん現前げんぜん2100-24[65]、1993ねん7がつ16にち開店かいてん[65]
  • 恒久こうきゅうてん - 宮崎みやざき大字だいじ恒久こうきゅう2-13-13[65]、1972ねん11月2にち開店かいてん[65]
  • 都農つのてん - 児湯こゆぐん都農つのまち大字だいじ川北かわきた5430-3[65]、1992ねん1がつ21にち開店かいてん[65]
  • 西池にしいけてん - 宮崎みやざき西池にしいけまち47[65]、1988ねん4がつ7にち開店かいてん[65]
  • 谷頭たにがしらてん - 北諸県きたもろかたぐん山田やまだまち大字だいじ中霧島なかぎりしま内堀うちぼり3267-3[65]、1992ねん1がつ21にち開店かいてん[65]
  • 日向ひなたてん - 日向ひなた大字だいじ財光寺ざいこうじおきげん953-1[65]、1995ねん6がつ25にち開店かいてん[65]
  • 和知川原わちがわらてん - 宮崎みやざき大橋おおはし2-213[65]、1973ねん3がつ開店かいてん[65]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ボンベルタたちばな宮崎みやざきナナイロに改称かいしょうした時点じてんでは、千葉ちばけん成田なりたボンベルタ成田なりたのみがイオングループのボンベルタ店舗てんぽとして営業えいぎょう継続けいぞくしていたが、2024ねん2がつ29にち閉店へいてんし、「ボンベルタ」ブランドは名実めいじつともに消滅しょうめつする。
  2. ^ たちばなジャスコは、ボンベルタたちばなへのちゅうにユニード宮崎みやざきてん跡地あとちかり店舗てんぽとして活用かつようしていた[9]
  3. ^ 都城みやこのじょう駅前えきまえ土地とち区画くかく整理せいり事業じぎょう完成かんせいは1975ねん3がつまつのことである。1973ねん10がつ当時とうじ都城みやこのじょうてんまりの舗装ほそう道路どうろめんし、周囲しゅういには雑草ざっそうしげっていた状況じょうきょうであった[12]
  4. ^ 宮崎山形屋みやざきやまかたや売上うりあげだかは1972ねんが38おくえん、1973ねんが49おくえん、1974ねんが57おくえん順調じゅんちょうび、1975ねんさらに18.5 - 19パーセントぞう見込みこまれていた。
  5. ^ たちばな百貨店ひゃっかてん宮崎みやざき本店ほんてん売上うりあげだかは1973年度ねんどが53おく3900まんえん、1974年度ねんどは47おく800まんえん[13]で、1974年度ねんどには売上うりあげだか宮崎山形屋みやざきやまかたや逆転ぎゃくてんされている。
  6. ^ ニチイとたちばな百貨店ひゃっかてんとの提携ていけい見越みこして『株式会社かぶしきがいしゃしんたちばな百貨店ひゃっかてん』(本社ほんしゃ宮崎みやざきぐん清武きよたけまち船引ふねひき1401番地ばんち)が1975ねん7がつ28にち設立せつりつされていた[18]
  7. ^ 東急とうきゅうハンズ(げん・ハンズ)は「トラックマーケット」終了しゅうりょうから9ねんの2020ねん11月20にちアミュプラザみやざきうみかん3かい出店しゅってんし、宮崎みやざき進出しんしゅつたす。
  8. ^ 初代しょだい社長しゃちょう後藤ごとう良則よしのり実妹じつまいスイ夫妻ふさい長男ちょうなんとして1936ねん誕生たんじょう両親りょうしん死去しきょにより、1954ねん5がつ泰典やすのり富士男ふじおとともに養子ようしりした[41]
  9. ^ 天満屋てんまんやストア経営けいえいしている同名どうめいのスーパーマーケットとは無関係むかんけい
  10. ^ 店舗てんぽブランドを「ハッピーマート」と記載きさいしている文献ぶんけんもある。
  11. ^ 1985ねん6がつ時点じてん店舗てんぽすうは「たちばなストアー」10てん、「ハピーマート」5てん、「サンスポット」5てん

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.34-35
  2. ^ 日本にっぽん百貨店ひゃっかてん協会きょうかい通報つうほう(889) - 日本にっぽん百貨店ひゃっかてん協会きょうかい、1973ねん11がつかん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション。18ページに「株式会社かぶしきがいしゃたちばな百貨店ひゃっかてん都城みやこのじょうてん開店かいてん」の記事きじ掲載けいさいされているため、きゅう法人ほうじん加盟かめいしていた可能かのうせいがある。
  3. ^ 会社かいしゃ概要がいよう支店してん情報じょうほう企業きぎょう情報じょうほう”. 宮崎交通みやざきこうつう. 2020ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  4. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.36-39, 44-48
  5. ^ 更生こうせい手続てつづき開始かいし申立もうしたてしょ」『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.301-302
  6. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.27
  7. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.40-42
  8. ^ 解説かいせつ 提携ていけいあっせんにずさんさ」『宮崎みやざきにちにち新聞しんぶん』1975ねん8がつ2にち1めん
  9. ^ 宮崎みやざき秘書ひしょ広報こうほうだい9かい市民しみん生活せいかつてん」『広報こうほうみやざき』516ごう(1986ねん10がつごう)、宮崎みやざき市役所しやくしょ、1986ねん p.11
  10. ^ a b 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.55
  11. ^ 更生こうせい手続てつづき開始かいし申立もうしたてしょ」『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.290
  12. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.57
  13. ^ a b c 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.60
  14. ^ a b 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.74-75
  15. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.23-24
  16. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.21
  17. ^ a b 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.63-65
  18. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.76
  19. ^ a b ジャスコ株式会社かぶしきがいしゃ『ジャスコ30ねん』p.271、2000ねん
  20. ^ a b c 大谷おおやゆうたちばな百貨店ひゃっかてん多額たがく詐欺さぎ事件じけん」『宮崎みやざきけんだい百科ひゃっか事典じてん宮崎日日新聞社みやざきにちにちしんぶんしゃ、1983ねん10がつ1にち 
  21. ^ a b 大型おおがたてん過密かみつ時代じだい たちばなジャスコオープン」『宮崎みやざきにちにち新聞しんぶん』1977ねん4がつ28にち15めん
  22. ^ a b 「ボンベルタたちばなオープン けん商戦しょうせんしん時代じだいへ」『宮崎みやざきにちにち新聞しんぶん』1988ねん5がつ26にち19めん。なお、宮崎みやざきにちにち新聞しんぶんはボンベルタたちばな開業かいぎょう当日とうじつに、別刷べつづりでの開業かいぎょう広告こうこく掲載けいさいしている。
  23. ^ 宮崎みやざきにちにち新聞しんぶん』 2001ねん7がつ11にちなど
  24. ^ a b イオン株式会社かぶしきがいしゃ (2007ねん9がつ28にち). “株式会社かぶしきがいしゃたちばな百貨店ひゃっかてん株式かぶしき譲渡じょうとについて” (PDF). 決算けっさんプロ. ゆうほうデータマイニング株式会社かぶしきがいしゃ. 2020ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  25. ^ “ボンベルタたちばな年内ねんないにもクアトロへ売却ばいきゃく イオン”. 宮崎みやざきにちにち新聞しんぶん. (2007ねん9がつ28にち) 
  26. ^ “クアトロ、たちばな百貨店ひゃっかてんかぶ取得しゅとく しん社長しゃちょうむかい”. 宮崎みやざきにちにち新聞しんぶん. (2007ねん11月2にち) 
  27. ^ 地元じもと企業きぎょう2しゃかぶ会社かいしゃ設立せつりつ株式かぶしき取得しゅとく たちばな百貨店ひゃっかてん」『宮崎みやざきにちにち新聞しんぶん』2008ねん7がつ16にち1めん
  28. ^ a b c d e 宮崎みやざきナナイロ、2020ねん11がつ中旬ちゅうじゅん一部いちぶ開業かいぎょう-ボンベルタたちばな百貨店ひゃっかてん、MEGAドン・キホーテ宮崎みやざき橘通たちばなどおりてんかく”. 都市とし商業しょうぎょう研究所けんきゅうじょ (2020ねん8がつ15にち). 2020ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  29. ^ たちばな百貨店ひゃっかてんで「宮崎みやざき公式こうしきインスタグラム写真しゃしんてん」、2018ねん8がつ15にちまで開催かいさい-「食品しょくひん売場うりば跡地あとち”. 都市とし商業しょうぎょう研究所けんきゅうじょ (2018ねん7がつ23にち). 2020ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  30. ^ a b ボンベルタたちばな24あいだ営業えいぎょうとどねらいは?”. 宮崎放送みやざきほうそう (2019ねん12月20にち). 2019ねん12月21にち閲覧えつらん
  31. ^ ボンベルタたちばなの24あいだ営業えいぎょう意見いけんはなし」 だい規模きぼ小売こうり店舗てんぽ立地りっち審議しんぎかい”. FNNニュース. テレビ宮崎てれびみやざき (2019ねん12月21にち). 2019ねん12月21にち閲覧えつらん
  32. ^ a b ドン・キホーテ運営うんえいのPPIH、宮崎みやざきたちばな百貨店ひゃっかてん買収ばいしゅう”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2020ねん2がつ1にち). 2020ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  33. ^ a b 「ボンベルタたちばな」と「エアラインホテル」が PPIH グループに~地域ちいき活性かっせい寄与きよする店舗てんぽづくりおよびサービス提供ていきょう目指めざします~” (PDF). 株式会社かぶしきがいしゃパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス (2020ねん2がつ3にち). 2020ねん2がつ3にち閲覧えつらん
  34. ^ a b c d 客様きゃくさまへのご案内あんない”. パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス・ボンベルタたちばな (2020ねん2がつ3にち). 2020ねん2がつ4にち閲覧えつらん
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  36. ^ a b ドンキ、宮崎みやざき百貨店ひゃっかてん買収ばいしゅう イオンの影響えいきょう近年きんねん苦境くきょう”. 朝日新聞あさひしんぶん (2020ねん2がつ2にち). 2020ねん2がつ4にち閲覧えつらん
  37. ^ ボンベルタたちばな、2020ねん11がつ中旬ちゅうじゅんリニューアル開業かいぎょう-24あいだ営業えいぎょうのドンキ進出しんしゅつか?”. 都市とし商業しょうぎょう研究所けんきゅうじょ (2020ねん2がつ4にち). 2020ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  38. ^ ATOMica -BLOGS-ボンベルタたちばなあたらしい名前なまえ決定けってい”. ATOMica (アトミカ) | 宮崎みやざき九州きゅうしゅう最大さいだいきゅうのコワーキングスペース (2020ねん8がつ17にち). 2020ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  39. ^ PPIHnews|11月「宮崎みやざきナナイロ」に「MEGAドン・キホーテ宮崎みやざき橘通たちばなどおりてん改装かいそう開業かいぎょう”. 商人しょうにんしゃ 流通りゅうつうスーパーニュース. 月刊げっかん商人しょうにんしゃ (2020ねん8がつ18にち). 2020ねん10がつ22にち閲覧えつらん
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  41. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.37, 71
  42. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.66
  43. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.67
  44. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.70
  45. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.81
  46. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.81-82
  47. ^ たちばな百貨店ひゃっかてんついに倒産とうさん 会社かいしゃ整理せいり申請しんせい 負債ふさい総額そうがくは70すうおくえん」『宮崎みやざきにちにち新聞しんぶん』1975ねん8がつ2にち1めん
  48. ^ 更生こうせい手続てつづき開始かいし申立もうしたてしょ」『パクリ手形てがた詐欺さぎ』p.296
  49. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.236-238
  50. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.244-245
  51. ^ a b c d 『『ジャスコ30ねん』の要約ようやく』イオン株式会社かぶしきがいしゃ、2020ねん p.56
  52. ^ a b c 「グループの系譜けいふ」『イオンの歴史れきし 2020』イオン株式会社かぶしきがいしゃ、2020ねん p.632
  53. ^ 『パクリ手形てがた詐欺さぎ』pp.271-272
  54. ^ 西日本にしにほん新聞しんぶん西日本新聞社にしにっぽんしんぶんしゃ、2008ねん7がつ16にち宮崎みやざきばん
  55. ^ ボンベルタたちばな しん名称めいしょう宮崎みやざきナナイロ」 ドンキ開店かいてん11がつ中旬ちゅうじゅん”. デジタル夕刊ゆうかん プレみや. 宮崎日日新聞社みやざきにちにちしんぶんしゃ (2020ねん8がつ15にち). 2020ねん8がつ15にち閲覧えつらん
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  61. ^ みなみ九州きゅうしゅうファミリマート、たちばなストアーのコンビニ営業えいぎょうけん、9てんすべて取得しゅとく。”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. 日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ. (1995ねん10がつ31にち) 
  62. ^ 地元じもとコンビニ買収ばいしゅう みなみ九州きゅうしゅうファミリーマートがぜん9店舗てんぽ 順次じゅんじえ”. 日経にっけい流通りゅうつう新聞しんぶん. 日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ. (1995ねん11月2にち) 
  63. ^ 『イオンの歴史れきし 2020』p.700
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  65. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 『1999年版ねんばん 日本にっぽんスーパー名鑑めいかん株式会社かぶしきがいしゃしょう業界ぎょうかい、1998ねん11月20にち 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 『イオンの歴史れきし 2020』イオン株式会社かぶしきがいしゃ、2020ねん
  • 『『ジャスコ30ねん』の要約ようやく』イオン株式会社かぶしきがいしゃ、2020ねん
  • 『ジャスコ30ねんジャスコ株式会社かぶしきがいしゃ、2000ねん
  • 大谷おおやゆうたちばな百貨店ひゃっかてん多額たがく詐欺さぎ事件じけん」『宮崎みやざきけんだい百科ひゃっか事典じてん宮崎日日新聞社みやざきにちにちしんぶんしゃ、1983ねん10がつ1にち
  • 読売新聞よみうりしんぶん西部せいぶ本社ほんしゃ社会しゃかい『パクリ手形てがた詐欺さぎ読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、1977ねん3がつ10日とおか
    • 1975ねん11月17にち-12月31にちにかけて『読売新聞よみうりしんぶん西部せいぶ本社ほんしゃ社会しゃかいめんにて連載れんさいされた「パクリ 百貨店ひゃっかてん倒産とうさんのかげで」の書籍しょせき宮崎みやざき県立けんりつ図書館としょかんどう連載れんさいきが保存ほぞんされている。
    • 同書どうしょ付録ふろくとして、株式会社かぶしきがいしゃたちばな百貨店ひゃっかてんが1975ねん10がつ11にち宮崎みやざき地方裁判所ちほうさいばんしょ提出ていしゅつした「更生こうせい手続てつづき開始かいし申立もうしたてしょ」が収録しゅうろくされている。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]