(Translated by https://www.hiragana.jp/)
中合 - Wikipedia コンテンツにスキップ

中合なかごう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社かぶしきがいしゃ中合なかごう
NAKAGO Co.,Ltd.
かつての本社ほんしゃ所在地しょざいちにあった中合なかごう福島ふくしまてん
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
市場いちば情報じょうほう 上場じょうじょう
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
135-0016[1]
東京とうきょう江東こうとう東陽とうよう丁目ちょうめ2ばん20ごう東陽とうよう駅前えきまえビル[1]
北緯ほくい3745ふん12.7びょう 東経とうけい14027ふん41.7びょう / 北緯ほくい37.753528 東経とうけい140.461583 / 37.753528; 140.461583座標ざひょう: 北緯ほくい3745ふん12.7びょう 東経とうけい14027ふん41.7びょう / 北緯ほくい37.753528 東経とうけい140.461583 / 37.753528; 140.461583
設立せつりつ 1935ねん昭和しょうわ10ねん)10がつ[2]
業種ぎょうしゅ 小売こうりぎょう
法人ほうじん番号ばんごう 1380001001074 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう 百貨店ひゃっかてん事業じぎょう[1]
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 黒崎くろさき浩一こういち[3]
資本しほんきん 5000まんえん[1]
じゅん利益りえき △3おく9,500まんえん
(2024ねん2がつ[4]
そう資産しさん 6,100まんえん
(2024ねん2がつ[4]
従業じゅうぎょう員数いんずう 580めい契約けいやく社員しゃいんふくむ)[1]
主要しゅよう株主かぶぬし ダイエー 100%
外部がいぶリンク nakago.com ウィキデータを編集
テンプレートを表示ひょうじ
すべての座標ざひょうしめした地図ちず - OSM
ぜん座標ざひょう出力しゅつりょく - KML

株式会社かぶしきがいしゃ中合なかごう(なかごう、英語えいご: NAKAGO Co.,Ltd.)は、東京とうきょう江東こうとう本社ほんしゃき、かつて福島ふくしまけん中心ちゅうしん百貨店ひゃっかてん運営うんえいしていた企業きぎょう1830ねん天保てんぽう元年がんねん創業そうぎょう[2]1874ねん明治めいじ7ねん11月創立そうりつ[2]日本にっぽん百貨店ひゃっかてん協会きょうかい加盟かめいしていた[5]

福島ふくしま老舗しにせ百貨店ひゃっかてんであり、1970年代ねんだい以降いこうダイエーグループにぞくしている[2]2020ねんれい2ねん8がつ31にち福島ふくしまてん閉店へいてん[6][7]によりぜん店舗てんぽ閉店へいてん[8]、146ねん歴史れきしまくろした[9][10]

福島ふくしまてん閉店へいてんにより、福島ふくしま県内けんない百貨店ひゃっかてん郡山こおりやまうすい百貨店ひゃっかてんのみとなり、おなじく2020ねん8がつ31にち西武せいぶ大津おおつてん閉店へいてんした滋賀しがけん[11][12]とともに、県内けんない百貨店ひゃっかてんはあるものの、県庁けんちょう所在地しょざいち百貨店ひゃっかてん存在そんざいしないけんとなった[10]

グループスローガンは「このまちひときだから」。本店ほんてんである福島ふくしまてん(1号館ごうかん)の外壁がいへきには樹木じゅもくしろ模様もようがあり、福島ふくしまケヤキかたどっていた。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

創業そうぎょう

[編集へんしゅう]

創業そうぎょうしゃ中村なかむら治朗じろう兵衛ひょうえ本家ほんけは、近江おうみ麻布まふ製織せいしょく行商ぎょうしょうきょまんとみしたとされる近江おうみ商人しょうにん中村なかむらおさむ兵衛ひょうえである[13]。「三方さんぽうよし」の原典げんてんとなる家訓かくんのこした[14]1874ねん明治めいじ7ねん)にさん代目だいめ中村なかむら治郎じろう兵衛ひょうえ安藤あんどうかおる兵衛ひょうえ)が福島ふくしま荒町あらまち開業かいぎょうした中村なかむら呉服ごふくてん源流げんりゅうとする[15]

1884ねん明治めいじ17ねん)には東京とうきょう日本橋にほんばし富沢とみざわまち問屋とんやがい呉服ごふく仕入しいれてんとして東京とうきょうてん開業かいぎょう[16]東京とうきょうてん1923ねん大正たいしょう12ねん9月1にち発生はっせいした関東大震災かんとうだいしんさいにより被災ひさいうしなわれたが、福島ふくしまてん援助えんじょにより再建さいけんした[17]東京とうきょうてんだい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせん開店かいてんから100ねんにあたる1984ねん昭和しょうわ59ねん)に閉店へいてんした[18]

1893ねん明治めいじ26ねん)に中村なかむら合名ごうめい会社かいしゃ設立せつりつ[19]1935ねん昭和しょうわ10ねん)10がつ合名ごうめい会社かいしゃから株式会社かぶしきがいしゃ改組かいそ[1]。そのさいに、中村なかむら合名ごうめい会社かいしゃなかごうって、しん社名しゃめいを「株式会社かぶしきがいしゃ中合なかごう」とした。社名しゃめい専務せんむ取締役とりしまりやくつとめた安藤あんどうじゅんづくり発案はつあんとされる。中合なかごうみは湯桶読ゆとうよの「なかごう」であり、「ちゅうごう」「ちゅうあい」「なかあい」ではない[20]

1913ねん大正たいしょう2ねん)に福島ふくしまてんあらまちから大町おおまち移転いてん[1]1938ねん昭和しょうわ13ねん)に百貨店ひゃっかてんごう開始かいし[21]日本にっぽん百貨店ひゃっかてん組合くみあいげん一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん百貨店ひゃっかてん協会きょうかい)に加盟かめいした[5]

ダイエーグループ

[編集へんしゅう]

本店ほんてんである福島ふくしまてんは、創業そうぎょうである福島ふくしまあらまちから移転いてんながらく福島ふくしま大町おおまちにあったが、1973ねん昭和しょうわ48ねん10月1にち福島ふくしまえきまえ移転いてんし、きゅう店舗てんぽの2ばい以上いじょうふえゆかした[21]大町おおまち店舗てんぽ移転いてん閉鎖へいさしていたが、地元じもと商店しょうてんがいからの要望ようぼうもあり、よく1974ねん昭和しょうわ49ねん)6がつ総合そうごうスーパー業態ぎょうたいの「中合なかごう大町おおまち支店してん」として営業えいぎょう再開さいかいし、愛称あいしょうを「大町おおまちパルク」とした[22][23]

しかし、1973ねんから1974ねんにかけて発生はっせいしただい1オイルショック影響えいきょうくわえ、駅前えきまえ進出しんしゅつによる建設けんせつとう設備せつび投資とうし返済へんさい大町おおまちパルクの業績ぎょうせき不振ふしんなどで業績ぎょうせき不振ふしんおちいったため、1978ねん昭和しょうわ53ねん)に大手おおてスーパーのダイエー提携ていけいし、ダイエーグループりした。一説いっせつには、山一證券やまいちしょうけんとの仲介ちゅうかい関係かんけいしていたとされる[24]

1984ねん昭和しょうわ59ねん)8がつ28にち、「大町おおまちパルク」は赤字あかじ増大ぞうだい店舗てんぽ老朽ろうきゅう周辺しゅうへんでのさい開発かいはつ事業じぎょう計画けいかくなどにより閉店へいてん[25]店舗てんぽ建物たてもの閉店へいてん解体かいたいされた。

1998ねん平成へいせい10ねん3がつ福島ふくしまてん隣接りんせつする平和へいわビル(きゅう山田やまだ百貨店ひゃっかてん」と「福島ふくしまビブレ[注釈ちゅうしゃく 1]跡地あとち)に出店しゅってんし「中合なかごう福島ふくしまてん二番館にばんかん」としてぞうゆかした[26]

中合なかごう2005ねん12月1にち北海道ほっかいどう函館はこだてぼう森屋もりや青森あおもりけん八戸はちのへ三春屋みはるや運営うんえいするアドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンを吸収きゅうしゅう合併がっぺいした[27]。また同時どうじに、ダイエーをさきとして増資ぞうしおこな[28]十字屋じゅうじやから山形やまがたてん経営けいえいけんゆずけた[27]

しかし2009ねんに、中合なかごう会社かいしゃ全体ぜんたい構造こうぞう改革かいかく一環いっかんとして1店舗てんぽ閉店へいてんする方針ほうしん決定けっていし、店舗てんぽ老朽ろうきゅうによる維持いじ費用ひよう増大ぞうだい理由りゆう会津あいづてん閉店へいてん発表はっぴょう[29][30]よく2010ねん平成へいせい22ねん2がつ28にち閉店へいてんした[31]詳細しょうさい中合なかごう会津あいづてん参照さんしょう)。

2010ねん7がつ1にちには、ダイエー以外いがい株主かぶぬし保有ほゆうしていたぜん株式かぶしき無償むしょう取得しゅとくしたうえで、取得しゅとく株式かぶしき一部いちぶをダイエーに50おくえん売却ばいきゃくして債務さいむ超過ちょうか解消かいしょうし、ダイエーの完全かんぜん子会社こがいしゃとなった[28]

東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい影響えいきょう

[編集へんしゅう]

2011ねん平成へいせい23ねん3月11にち1446ふん東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい発生はっせい福島ふくしま震度しんど5きょうれにおそわれたが、中合なかごう福島ふくしまてんでは毎月まいつき1かい避難ひなん訓練くんれんおこなっており、避難ひなん訓練くんれん毎月まいつき11にち開店かいてんまえとしていた。ちょうど3がつ11にち開店かいてんまえにも避難ひなん訓練くんれん実施じっししていたため、従業じゅうぎょういん冷静れいせい避難ひなん誘導ゆうどうおこなうことができ、天井てんじょう落下らっかするなどの被害ひがいがあったが怪我人けがにんなかった。地下ちか食品しょくひんフロアでは従業じゅうぎょういん判断はんだんで、店内てんないものかごをヘルメットわりにきゃくくばった。また自家用車じかようしゃ以外いがい来客らいきゃく鉄道てつどう運休うんきゅうして帰宅きたく困難こんなんとなったきゃくにはタクシーだい負担ふたんするなどした。

震災しんさいからわずか3にち3月14にちには、店頭てんとう食料しょくりょうひん生活せいかつ雑貨ざっか販売はんばい再開さいかい県内けんない流通りゅうつうとどこおり、コンビニエンスストアにも商品しょうひん不足ふそくしていたため、市民しみんあいだくちコミ情報じょうほうひろがり、店頭てんとうには商品しょうひんもとめる行列ぎょうれつができた。5にち3月16にちには、福島ふくしま市内しないではスーパーマーケットなどでさえも休業きゅうぎょうしているみせおおなか地下ちか食品しょくひんフロアと学生がくせいふく売場うりば営業えいぎょう再開さいかい。4月の新入学しんにゅうがく時期じきひかえておおくのきゃく制服せいふくもとめた。3月24にちには福島ふくしまてん1号館ごうかん営業えいぎょう再開さいかい、そのつづいて2号館ごうかん営業えいぎょう再開さいかいし、ほぼ通常つうじょう営業えいぎょうとなった。

しかしその、1998ねんふえゆか出店しゅってんした「中合なかごう福島ふくしまてん二番館にばんかん」は、福島ふくしま実施じっしした耐震たいしん診断しんだん震度しんど6つよ以上いじょう地震じしんで「倒壊とうかい崩壊ほうかい危険きけんせいたかい」と判定はんていされ、耐震たいしん基準きじゅんたせなかったことから[26][26][32]2017ねん平成へいせい29ねん8がつ31にち閉店へいてんした。

またどう2017ねん8がつ30にちには、十字屋じゅうじや山形やまがたてん営業えいぎょう不振ふしんくわえ、ビル所有しょゆうしゃとの耐震たいしん改修かいしゅうなどをめぐ条件じょうけん交渉こうしょうわなかったため、よく2018ねん1がつまつをもって閉店へいてんすると発表はっぴょう[33]。2018ねん平成へいせい30ねん)1がつ31にちをもって発表はっぴょうどおり閉店へいてんした。

福島ふくしまてん閉店へいてん会社かいしゃ清算せいさん

[編集へんしゅう]

2019ねん平成へいせい31ねん)1がつ31にちには函館はこだてぼう森屋もりや閉店へいてんした。どう2019ねんれい元年がんねん)11月6にちには、青森あおもりけん八戸はちのへにある中合なかごう三春屋みはるや事業じぎょうを「やまき」へ事業じぎょう譲渡じょうとしたため、ふたた福島ふくしまけん店舗てんぽのみの運営うんえいとなった。

しかし福島ふくしま宮城みやぎけん仙台せんだい商圏しょうけんにあり、仙台せんだい百貨店ひゃっかてんへの流出りゅうしゅつ仙台せんだい都市としけんへのストロー効果こうか)により福島ふくしまてんへの来客らいきゃく年々ねんねん減少げんしょう赤字あかじ深刻しんこくしたうえ福島ふくしまえき東口ひがしぐちさい開発かいはつ事業じぎょう計画けいかくともな建物たてものこわしの影響えいきょうもあり、2020ねんれい2ねん8がつ31にちをもって福島ふくしまてん営業えいぎょう終了しゅうりょうし、これにより中合なかごう店舗てんぽ全店ぜんてん閉店へいてんとなった[6][7][8]

福島ふくしまてん閉店へいてんさい開発かいはつ地区ちくへのさい出店しゅってんおこなわず、株式会社かぶしきがいしゃ中合なかごう清算せいさんされる予定よていとなっている[8]

辰巳たつみビルの解体かいたい

[編集へんしゅう]

中合なかごう福島ふくしまてん閉店へいてんした2020ねん福島ふくしま12月15にち中合なかごう福島ふくしまてん入居にゅうきょしていた「辰巳たつみビル」の1かいと2かい活用かつようして「福島ふくしままちなか交流こうりゅうかん」をオープンした[34]

辰巳たつみビルは10かいてで[35]、1かいから7かい中合なかごう福島ふくしまてん[35]、8かいから10かいに「ホテル辰巳たつみ」が入居にゅうきょしていたが[35]、ホテルは2019ねん8がつ営業えいぎょう終了しゅうりょうした[35]さい開発かいはつビルの建設けんせつともない、2022ねんれい4年度ねんど)に辰巳たつみビルの解体かいたい開始かいしされるため[35]まちなか交流こうりゅうかん」は同年どうねん2がつ28にちまでの期間きかん限定げんていでの開館かいかんとなった[34][35]

まちなか交流こうりゅうかん」の1かいには、福島ふくしま本社ほんしゃスーパーマーケットいちいが「いちいまちなかてん」を出店しゅってん[36]福島ふくしまがいちいに賃料ちんりょう一部いちぶ補助ほじょして支援しえんする[35]。1かい食品しょくひんスーパー、地元じもと農産物のうさんぶつ特産とくさんひん販売はんばいする「福島ふくしま名産めいさんひん」、定期ていき開催かいさいする「物産ぶっさんてん」のエリアにかれており[34]中合なかごうおこなわれていた物産ぶっさんてん開催かいさいされた[35]よく2021ねんれい3ねん)1がつにはモスバーガーまちなかてん[注釈ちゅうしゃく 2]がオープンした[34]。2かいは「まちなか交流こうりゅうスペース」として、福島ふくしま震災しんさい復興ふっこう記録きろくした「震災しんさい復興ふっこうパネルてん」、福島ふくしま出身しゅっしん作曲さっきょく古関こせきひろしかんする常設じょうせつ展示てんじ多目的たもくてきスペースの一般いっぱん貸出かしだしおこな[34][38]。「まちなか交流こうりゅうスペース」の運営うんえいは、福島ふくしまだいさんセクターである株式会社かぶしきがいしゃ福島ふくしままちづくりセンター[38]委託いたくし、業務ぎょうむ委託料いたくりょう支払しはら[35]

震災しんさい復興ふっこうパネルてん」は東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい発生はっせいから10ねん節目ふしめに、福島ふくしまが「被災ひさいけんけんとして、支援しえんたいする感謝かんしゃひょうするとともに、復興ふっこう軌跡きせきあらたなまちづくりの方向ほうこうせいなどを発信はっしんし、記憶きおく教訓きょうくん次世代じせだい継承けいしょうする」ことを目的もくてき開催かいさいしている[39]。「震災しんさい復興ふっこうパネルてん」は、開館かいかんから2022ねん2がつまつまで常設じょうせつ展示てんじされた[34][38]

2022ねんれい4ねん)2がつ28にちきゅう中合なかごう福島ふくしまてんきビルないにあった福島ふくしままちなか交流こうりゅうかん閉館へいかんし、スーパーいちいまちなかてん閉店へいてんとなった[40]辰巳たつみビルの解体かいたいともない「福島ふくしままちなか交流こうりゅうかん」は2022ねんはる駅前通えきまえどおりのかいにある商業しょうぎょうビル「メディア・シティ・エスタ」の地下ちか1かい移転いてんすることがまった[41]

2022ねん4がつ30にち、JR福島ふくしまえき東口ひがしぐちまえのエスタビル地下ちか1かい市民しみん交流こうりゅうスペース「まちなか交流こうりゅうかん」は移転いてんオープンした[42]

年表ねんぴょう

[編集へんしゅう]
  • 1830ねん天保てんぽう元年がんねん) - 創業そうぎょう[1]近江おうみこく神崎かんざきぐんみなみ五個荘ごかしょうむら大字だいじ石馬寺いしばじ代目だいめ中村なかむら治郎じろう兵衛ひょうえ太物ふともの行商ぎょうしょうはじめる[43]
  • 1874ねん明治めいじ7ねん) - さん代目だいめ中村なかむら治郎じろう兵衛ひょうえ安藤あんどうかおる兵衛ひょうえ)が舟問屋ふなどんや上総かずさ幸右衛門こうえもん支援しえん福島ふくしまあらまち中村なかむら呉服ごふくてん開業かいぎょう[44]正札しょうふだ販売はんばい実施じっし[45]
  • 1884ねん明治めいじ17ねん) - 東京とうきょう日本橋にほんばし富沢とみざわまち問屋とんやがいに、呉服ごふく仕入しいれてんとして東京とうきょうてんひら[16]
  • 1893ねん明治めいじ26ねん) - 中村なかむら合名ごうめい会社かいしゃ設立せつりつ[19]代表だいひょう取締役とりしまりやく中村なかむら鹿しか太郎たろう治郎じろう兵衛ひょうえ長男ちょうなん就任しゅうにん東京とうきょうてん仕入しいれてん支配人しはいにん安藤あんどう與惣次よそうじろう治郎じろう兵衛ひょうえ次男じなん就任しゅうにん[46]
  • 1913ねん大正たいしょう2ねん) - 福島ふくしまてんあらまちから大町おおまち移転いてんする[1]初代しょだい社長しゃちょう中村なかむら英太郎えいたろう専務せんむ取締役とりしまりやく安藤あんどうじゅんづくり取締役とりしまりやく中村なかむら堅一けんいちろう中村なかむらがい三郎さぶろう監査かんさやく中村なかむら吉治よしはる安藤あんどう賢吾けんごかく就任しゅうにん[47]あらまち店舗てんぽ跡地あとちは、日産にっさんプリンス福島ふくしま販売はんばいとなっている。
  • 1923ねん大正たいしょう12ねん9月1にち - 関東大震災かんとうだいしんさいにより東京とうきょうてん被災ひさい消失しょうしつするが、福島ふくしまてん援助えんじょにより再建さいけん[17]
  • 1935ねん昭和しょうわ10ねん)10がつ - 株式会社かぶしきがいしゃ改組かいそ[1]初代しょだい社長しゃちょう中村なかむら英太郎えいたろう就任しゅうにん専務せんむ取締役とりしまりやく安藤あんどうじゅんづくり取締役とりしまりやく中村なかむら堅一けんいちろう中村なかむらがい三郎さぶろう監査かんさやく中村なかむら吉治よしはる安藤あんどう賢吾けんごかく就任しゅうにん[48]
  • 1938ねん昭和しょうわ13ねん) - 百貨店ひゃっかてんごう発足ほっそく[21]日本にっぽん百貨店ひゃっかてん組合くみあい現在げんざい日本にっぽん百貨店ひゃっかてん協会きょうかい)に加盟かめい[5]
  • 1951ねん昭和しょうわ26ねん) - 安藤あんどうじゅんづくりが2代目だいめ社長しゃちょう就任しゅうにん専務せんむ取締役とりしまりやく安藤あんどう賢吾けんご常務じょうむ中村なかむら堅一けんいちろう就任しゅうにん[49]
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん) - 「とびきり」「はんぱ」がはじまる[50]
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん) - 東北とうほく地方ちほうはつ百貨店ひゃっかてんともかい中合なかごうともかい」が発足ほっそく[50]
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん) - 大町おおまちきゅう店舗てんぽだいいち増築ぞうちく完成かんせい地下ちか1かい地上ちじょう4かいて)[51]
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん) - 大町おおまちきゅう店舗てんぽだい増築ぞうちく完成かんせい地上ちじょう5かいてに増築ぞうちく)。エスカレーター屋上おくじょうゆう園地えんち設置せっち[52]
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん)1がつ - 「中合なかごうミサイルタワー」完成かんせい[23]
  • 1966ねん昭和しょうわ41ねん) - 「京都きょうと老舗しにせめぐり」(現在げんざいの「きょう老舗しにせめぐり」)はつ開催かいさい[53]
  • 1973ねん昭和しょうわ48ねん10月1にち - 福島ふくしま大町おおまちから福島ふくしまえきまえ現在地げんざいち)に移転いてんし、きゅう店舗てんぽの2ばい以上いじょうふえゆか[21]大町おおまち店舗てんぽは、「大町おおまちパルク」となる。
  • 1976ねん昭和しょうわ51ねん2がつ5にち - 福島ふくしまえき構内こうない発生はっせいした火災かさい消火しょうか活動かつどうちゅう貨車かしゃから大量たいりょう亜硫酸ありゅうさんガス発生はっせいし、中合なかごう福島ふくしまてん店内てんないにも流入りゅうにゅうして店員てんいんらがのどのいたみをうったえるなどの被害ひがい[54]
  • 1978ねん昭和しょうわ53ねん) - 福島ふくしま駅前えきまえ進出しんしゅつともな建設けんせつとう設備せつび投資とうし返済へんさい大町おおまちパルクの業績ぎょうせき不振ふしんだい1オイルショック影響えいきょうけ、業績ぎょうせき不振ふしんおちいり、大手おおてスーパー・ダイエー提携ていけい、ダイエーグループり。一説いっせつには、山一證券やまいちしょうけんとの仲介ちゅうかい関係かんけいしていたとされる[24]
  • 1984ねん昭和しょうわ59ねん) - きゅう店舗てんぽ大町おおまちパルク」と東京とうきょうてん閉鎖へいさ[18]
  • 1993ねん平成へいせい5ねん)9がつ - 株式会社かぶしきがいしゃ会津あいづ中合なかごう合併がっぺい[1]
  • 1994ねん平成へいせい6ねん)9がつ - 株式会社かぶしきがいしゃ清水屋しみずや合併がっぺい[1]
  • 1998ねん平成へいせい10ねん3がつ - となりにあった「福島ふくしまビブレ」(もと山田やまだ百貨店ひゃっかてんダックシティのちさくら百貨店ひゃっかてん改称かいしょう閉店へいてん)の移転いてんにより、どうビルを「中合なかごう福島ふくしまてん・2ばんかん」としてオープン[26]
  • 2005ねん平成へいせい17ねん12月1にち - ぼう森屋もりや三春屋みはるや運営うんえいするアドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパン吸収きゅうしゅう合併がっぺいするとともに、十字屋じゅうじやから山形やまがたてん営業えいぎょうけんゆずける。6てん体制たいせい[27]。また、これと同時どうじにダイエーをさきとして増資ぞうし[28]
  • 2008ねん平成へいせい20ねん) - 中合なかごう福島ふくしまてんビル外壁がいへきえき改札かいさつがわかく大型おおがたビジョンが設置せっちされる[よう出典しゅってん]
  • 2010ねん平成へいせい22ねん
    • 2がつ28にち - 会津あいづてん閉店へいてん[31]
    • 3月3にち - きゅう会津あいづてんちかくに、歳暮せいぼとうのカタログ販売はんばいあつか中合なかごう福島ふくしまてん会津あいづ営業えいぎょうしょ開設かいせつ[31]
    • 7がつ1にち - ダイエー以外いがい株主かぶぬし保有ほゆうしていた株式かぶしきすべ無償むしょう取得しゅとくしたうえで、取得しゅとくした株式かぶしき一部いちぶをダイエーに50おくえん売却ばいきゃくして債務さいむ超過ちょうか解消かいしょうし、ダイエーの完全かんぜん子会社こがいしゃとなる[28]
  • 2011ねん平成へいせい23ねん3月11にち - 東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい発生はっせい福島ふくしま市内しない店舗てんぽおおきな被害ひがいける。
  • 2012ねん平成へいせい24ねん
    • 2がつ29にち - 清水屋しみずやてんがこのをもって営業えいぎょう終了しゅうりょう[55][56]
    • 3月1にち - 清水屋しみずやてんは3がつ4にちまで営業えいぎょう休止きゅうし、ほとんどの既存きそんテナントと契約けいやくなおし、ビル管理かんり会社かいしゃ営業えいぎょう[57]
    • 3月5にち - 中合なかごうとの合併がっぺいまえ店名てんめいの「マリーン5清水屋しみずや」として営業えいぎょう再開さいかい[57]
    • 3月23にち - マリーン5清水屋しみずやがリニューアルしてプレオープン[57]
    • 10月3にち - 若者わかものブランドや書店しょてん出店しゅってんなど、順次じゅんじ改装かいそうおこなったうえで「マリーン5清水屋しみずや」がグランドオープン。
  • 2013ねん平成へいせい25ねん10月 - 中合なかごう福島ふくしまてん会津あいづ営業えいぎょうしょ中合なかごうサテライトショップ会津あいづとして新装しんそう開店かいてん[1]
  • 2017ねん平成へいせい29ねん
  • 2018ねん平成へいせい30ねん1がつ31にち - 十字屋じゅうじや山形やまがたてん閉店へいてん
  • 2019ねん平成へいせい31ねんれい元年がんねん
    • 1がつ31にち - 棒二森屋店ぼうにもりやてん閉店へいてん
    • 11月6にち - 三春屋みはるやてんふくあい商業しょうぎょう施設しせつコンサルタントの「やまき」へ事業じぎょう譲渡じょうと
  • 2020ねんれい2ねん
    • 6月30にち - 棒二森屋店ぼうにもりやてん閉店へいてん営業えいぎょう継続けいぞくしていたぼう二森屋函館空港売店の営業えいぎょう終了しゅうりょうぼう森屋もりや看板かんばんかかげる店舗てんぽすべ消滅しょうめつ
    • 7がつ31にち - 中合なかごうサテライトショップ会津あいづ閉店へいてん[60]
    • 8がつ31にち - 福島ふくしまてん閉店へいてん[6][7]
    • 12月15にち - 福島ふくしまてん入居にゅうきょしていた「辰巳たつみビル」の1かい・2かいで、福島ふくしまが「福島ふくしままちなか交流こうりゅうかん」をオープン[34]震災しんさい復興ふっこうパネルてん常設じょうせつ展示てんじなどをおこな[34][38][39]
  • 2021ねん (れい3ねん)
    • 6月28にち - 本社ほんしゃ東京とうきょう江東こうとう東陽とうよう駅前えきまえビル (ダイエー本社ほんしゃおな建物たてもの) へ移転いてん
  • 2022ねんれい4ねん
    • 1がつ31にち - きゅう棒二森屋店ぼうにもりやてんアネックスかん建物たてもの期間きかん限定げんてい運営うんえいしていた「函館駅前はこだてえきまえビル」を営業えいぎょう終了しゅうりょう。これにより店舗てんぽ運営うんえいからは完全かんぜん撤退てったいした。
    • 2がつ28にち - 福島ふくしまえき東口ひがしぐちさい開発かいはつにより辰巳たつみビルは解体かいたいされることになり市民しみん交流こうりゅうスペース「まちなか交流こうりゅうかん」が移転いてんのため閉館へいかん[42]、スーパーいちいまちなかてん閉店へいてん[40]

展開てんかいしていた店舗てんぽ

[編集へんしゅう]
中合なかごう福島ふくしまてん一番いちばんかん
  • 中合なかごう福島ふくしまてん福島ふくしまけん福島ふくしま[1]
  • きゅう福島ふくしまてん中合なかごう大町おおまち支店してん大町おおまちパルク)(福島ふくしまけん福島ふくしま大町おおまち、1913ねん大正たいしょう2ねん開店かいてん - 1984ねん昭和しょうわ59ねん)8がつ28にち閉店へいてん[25]きゅう店舗てんぽ
    • 地上ちじょう5かいて、地下ちか1かい[22]
    • 1913ねん大正たいしょう2ねん)に、呉服ごふくてんとしてあらまちから移転いてん開業かいぎょう[47]。1938ねん昭和しょうわ13ねん)に百貨店ひゃっかてんとしてぞう改築かいちく[61]。1956ねん昭和しょうわ31ねん)から1963ねん昭和しょうわ38ねん)にかけて増築ぞうちくかえ[52]、1961ねん昭和しょうわ36ねん)1がつには「中合なかごうミサイルタワー」が設置せっちされた[23]
    • 福島ふくしま駅前えきまえ店舗てんぽ移転いてん閉鎖へいさしていたものの、地元じもと商店しょうてんがいからの要望ようぼうもあり、1974ねん昭和しょうわ49ねん6がつには、総合そうごうスーパー業態ぎょうたいとして「中合なかごう大町おおまち支店してん」(愛称あいしょう大町おおまちパルク」)が開店かいてん[22][23]。そのさいに3かいから5かい一時いちじ閉鎖へいさされた[62]が、のちに3かいと4かいとして再開さいかいした[22]
    • 1984ねん昭和しょうわ59ねん当時とうじ年商ねんしょう15おくえんだったものの、累計るいけい赤字あかじがかさみ、採算さいさんわなくなったこと。また、店内てんない老朽ろうきゅうともな改修かいしゅう見積みつもったところ高額こうがくになったことや、周囲しゅういさい開発かいはつ浮上ふじょうしたため、「大町おおまちパルク」を閉鎖へいさすることを決定けってい[22]。1984ねん昭和しょうわ59ねん)8がつ28にち閉店へいてんし、あらまちから移転いてん以来いらい53ねん歴史れきしまくろした[25]
    • 閉鎖へいさ解体かいたい、1995ねん3がつに「三共さんきょう福島ふくしまビル」が竣工しゅんこう。「ホテルサンルートプラザ福島ふくしま」をて、2017ねん12月1にちから「HOTEL SANKYO FUKUSHIMA」として営業えいぎょうしている。
  • 東京とうきょうてん日本橋にほんばし富沢とみざわまち1884ねん明治めいじ17ねん開店かいてん[16] - 1984ねん昭和しょうわ59ねん閉店へいてん[18]おろし仕入しいれ店舗てんぽ
    • 当時とうじあらまち店舗てんぽ火災かさい消失しょうしつした影響えいきょう[63]東京とうきょう方面ほうめん呉服ごふく仕入しいれの活路かつろ見出みいだ一環いっかんで、繊維せんい問屋とんやがいしていた日本橋にほんばし富沢とみざわまち呉服ごふくとうおろし仕入しいれてんとして開店かいてん[16]じつ店舗てんぽではなかった。
    • 東京とうきょうてんは、関東大震災かんとうだいしんさい[17]太平洋戦争たいへいようせんそう[64]で2ほど焼失しょうしつした。
    • 開店かいてんから100ねんにあたる1984ねん閉鎖へいさされた[18]
  • 中合なかごう会津あいづてん福島ふくしまけん会津若松あいづわかまつ、2010ねん平成へいせい22ねん)2がつ28にち閉店へいてん、2013ねん平成へいせい25ねん)に解体かいたい。(きゅう若松わかまつデパート→会津あいづ中合なかごう)。
    • 閉店へいてん小規模しょうきぼ店舗てんぽ・「サテライトショップ会津あいづ」として福島ふくしまてんぶんみせあつかいで営業えいぎょうしていたが、2020ねん7がつまつ閉店へいてん
  • 清水屋しみずやみせ山形やまがたけん酒田さかた - 2012ねん平成へいせい24ねん)2がつ29にち閉店へいてん
  • 福島ふくしまてん番館ばんだて(1998ねん平成へいせい10ねん)3がつ1にち開店かいてん - 2017ねん平成へいせい29ねん)8がつ31にち閉店へいてん
    • 隣接りんせつしていた平和へいわビルのファッションビルの「福島ふくしまビブレ」(きゅう山田やまだ百貨店ひゃっかてん)の移転いてんあと1998ねん平成へいせい10ねん3がつ出店しゅってんし、「福島ふくしまてん・2ばんかん」として紳士しんしふく食品しょくひんなどの開設かいせつした[26]
    • しかし福島ふくしま実施じっしした耐震たいしん診断しんだんで、震度しんど6つよ以上いじょう地震じしんで「倒壊とうかい崩壊ほうかい危険きけんせいたかい」と判定はんていされ[26]2015ねん平成へいせい27ねん)ごろから耐震たいしん補強ほきょう交渉こうしょうおこなったが[26]耐震たいしん工事こうじともな休業きゅうぎょうでの売上うりあげげん影響えいきょうを「中合なかごう」が懸念けねん[58]、ビル所有しょゆうしゃの「平和へいわビル」がわ中合なかごうから長期ちょうき賃貸借ちんたいしゃく契約けいやくられなかったことで改修かいしゅう費用ひよう借入かりいれ困難こんなん判断はんだんしたため[58]2017ねん平成へいせい29ねん2がつ28にちに「福島ふくしまてん番館ばんだて」を閉店へいてんすることが発表はっぴょうされ[26][58]同年どうねん8がつ31にち閉店へいてんした[66]
  • 十字屋じゅうじや山形やまがたてん山形やまがたけん山形やまがた、2018ねん平成へいせい30ねん)1がつ31にち閉店へいてん
  • ぼう森屋もりやみせ北海道ほっかいどう函館はこだて、2019ねん平成へいせい31ねん)1がつ31にち閉店へいてん[1]
  • 三春屋みはるやみせ青森あおもりけん八戸はちのへ、2019ねんれい元年がんねん)11月6にちに「やまき」に営業えいぎょう譲渡じょうとし、2022ねんれい4ねん)4がつ10日とおか閉店へいてん[1][67]
  • 函館駅前はこだてえきまえビル (北海道ほっかいどう函館はこだて、2019ねん (平成へいせい31ねん) 2がつ8にち開店かいてん、2022ねん (れい4ねん) 1がつ31にち閉店へいてん)
    • 耐震たいしんせいなどに問題もんだいのなかったきゅう棒二森屋店ぼうにもりやてんアネックスかん建物たてもの活用かつようし、さい開発かいはつまでの3年間ねんかん期間きかん限定げんていという条件じょうけん開店かいてんしたテナントビル。きゅう棒二森屋店ぼうにもりやてん時代じだいから継続けいぞくして出店しゅってんするテナントにくわえ、新規しんき出店しゅってんのテナントも入居にゅうきょしていた。なお中合なかごう直営ちょくえいもうけられておらず、中合なかごう施設しせつ管理かんり運営うんえいのみをおこなっていた。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ ダックシティ山田やまだ百貨店ひゃっかてん福島ふくしまビブレさくら百貨店ひゃっかてん福島ふくしまてん曽根田そねだショッピングセンター
  2. ^ 株式会社かぶしきがいしゃいちいによるフランチャイズ店舗てんぽ[37]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 中合なかごうわせさき”. 中合なかごう. 2022ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d 中合なかごう 会社かいしゃ概要がいよう”. 中合なかごう. 2022ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  3. ^ けん衝撃しょうげき...「さみしくなる」 福島ふくしま駅前えきまえかお中合なかごう2ばんかん終了しゅうりょうへ”. 福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶん (福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶんしゃ). (2017ねん3がつ1にち) 
  4. ^ a b 株式会社かぶしきがいしゃ中合なかごう だい90決算けっさん公告こうこく
  5. ^ a b c ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、172ぺーじ
  6. ^ a b c 中合なかごう福島ふくしまてん」の営業えいぎょう終了しゅうりょうのおらせ』(PDF)(プレスリリース)中合なかごう管理かんり、2020ねん5がつ26にちオリジナルの2020ねん9がつ17にち時点じてんにおけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20200917103607/https://nakago.co.jp/news/pdf/200526.pdf2020ねん11月14にち閲覧えつらん 
  7. ^ a b c 中合なかごう福島ふくしまてんが8がつまつ営業えいぎょう終了しゅうりょう. 福島ふくしまみんほう. (2020ねん5がつ26にち). オリジナルの2020ねん5がつ26にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200526133051/https://www.minpo.jp/news/detail/2020052675817 2020ねん5がつ26にち閲覧えつらん 
  8. ^ a b c 中合なかごう福島ふくしまてんが8がつまつ閉店へいてん老舗しにせ百貨店ひゃっかてん会社かいしゃ清算せいさん. 河北かわきた新報しんぽう. (2020ねん5がつ27にち). https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202005/20200527_62010.html 2020ねん10がつ17にち閲覧えつらん 
  9. ^ 百貨店ひゃっかてん中合なかごう閉店へいてん 146ねん歴史れきしまく 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん、2020ねん8がつ31にち、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  10. ^ a b 福島ふくしま唯一ゆいいつ百貨店ひゃっかてん中合なかごう閉店へいてん 昨年さくねんまで八戸はちのへ三春屋みはるや営業えいぎょう デーリー東北とうほく東北新聞社とうほくしんぶんしゃ、2020ねん8がつ31にち、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  11. ^ 滋賀しがけんはつのデパート、しまれながら「西武せいぶ大津おおつてん閉店へいてん エルマガ.jp、京阪神けいはんしんエルマガジンしゃ、2020ねん8がつ31にち、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  12. ^ 西武せいぶ月末げつまつ閉店へいてん 県庁けんちょう所在地しょざいち百貨店ひゃっかてんゼロのけん西武せいぶグループ創業そうぎょうしゃ 京都きょうと新聞しんぶん京都新聞社きょうとしんぶんしゃ、2020ねん8がつ22にち、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  13. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしん』10-11ぺーじ、13-15ぺーじみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ
  14. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしん』12-13ぺーじみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ
  15. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、24-25・28ぺーじ
  16. ^ a b c d ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、34-37ぺーじ
  17. ^ a b c ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、77-104ぺーじ
  18. ^ a b c d ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、224ぺーじ
  19. ^ a b ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、39-45ぺーじ
  20. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしん』162-163ぺーじみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ
  21. ^ a b c d 新家にいのみけんせい. “福島ふくしましょう調ちょうきょう軌跡きせき 大店法だいてんほう地域ちいき商業しょうぎょうなにをもたらしたか”. 福島大学ふくしまだいがく地域ちいき研究けんきゅう だい4かんだい3ごう (福島大学ふくしまだいがく地域ちいき研究けんきゅうセンター) (1993-1). 
  22. ^ a b c d e 大町おおまちパルク、来月らいげつ閉店へいてん」『福島ふくしまみんほう縮刷しゅくさつばん1984ねん7がつごう』(福島民報社ふくしまみんぽうしゃ)、83ぺーじ(1984ねん昭和しょうわ59ねん)7がつ5にち朝刊ちょうかん3めん)。
  23. ^ a b c d ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、220ぺーじ
  24. ^ a b ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、221-223ぺーじ
  25. ^ a b c 大町おおまちパルクついに閉店へいてん」『福島ふくしまみんほう福島民報社ふくしまみんぽうしゃ)、1984ねん昭和しょうわ59ねん)8がつ29にち朝刊ちょうかん18めん
  26. ^ a b c d e f g h i “「中合なかごう福島ふくしまてん・2ばんかん」8がつまつ営業えいぎょう終了しゅうりょう を1ばんかん集約しゅうやく”. 福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶん (福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶんしゃ). (2017ねん3がつ1にち) 
  27. ^ a b c “ダイエー、ぼう二森ふたもり当面とうめん存続そんぞくへ”. 函館はこだて新聞しんぶん (函館新聞社はこだてしんぶんしゃ). (2005ねん9がつ2にち) 
  28. ^ a b c d 三春屋みはるやなどダイエー完全かんぜん子会社こがいしゃに”. 東奥ひがしおく日報にっぽう (東奥日報社とうおうにっぽうしゃ). (2010ねん5がつ31にち) 
  29. ^ “「中合なかごう会津あいづてん閉店へいてん建物たてもの老朽ろうきゅう主因しゅいん. 福島ふくしまみんとも. (2009ねん5がつ22にち). http://www.minyu-net.com/news/news/0522/news1.html 2009ねん5がつ25にち閲覧えつらん 
  30. ^ 若松わかまつ駅前えきまえさい開発かいはつきょう解散かいさん協議きょうぎ今後こんご継続けいぞく”. 福島ふくしまみんほう (福島ふくしまみんほう). (2009ねん5がつ23にち) 
  31. ^ a b c 中合なかごう会津あいづてんやく50ねん歴史れきしまく 店長てんちょう地域ちいき感謝かんしゃ」”. 河北かわきた新報しんぽう (河北新報社かほくしんぽうしゃ). (2010ねん3がつ1にち) 
  32. ^ 中合なかごう福島ふくしまてん 2号館ごうかん閉店へいてん 耐震たいしん基準きじゅんたさず”. 河北かわきた新報しんぽう (河北新報社かほくしんぽうしゃ). (2017ねん3がつ1にち) 
  33. ^ 中合なかごう 十字屋じゅうじや山形やまがたてん閉鎖へいさ 来年らいねん1がつまつ. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2017ねん8がつ31にち). https://www.nikkei.com/article/DGXLASFB30H8L_Q7A830C1L01000/ 2017ねん9がつ1にち閲覧えつらん 
  34. ^ a b c d e f g h 福島ふくしままちなか交流こうりゅうかん 2020ねん12月15にち開館かいかん 貸出かしだし最終さいしゅうれい4ねん2がつ28にち予定よてい 福島ふくしま観光かんこうノート、一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん福島ふくしま観光かんこうコンベンション協会きょうかい、2020ねん12月14にち掲載けいさい(2021ねん3がつ16にち更新こうしん)、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  35. ^ a b c d e f g h i きゅう中合なかごうに「まちなか交流こうりゅうかん」JR福島ふくしまえき東口ひがしぐちのにぎわい創出そうしゅつ 河北かわきた新報しんぽう、2020ねん12月15にち、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  36. ^ いちいまちなかてんまちなか交流こうりゅうかん1F) 株式会社かぶしきがいしゃいちい、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  37. ^ モスバーガー 株式会社かぶしきがいしゃいちい、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  38. ^ a b c d 福島ふくしままちなか交流こうりゅうかん 株式会社かぶしきがいしゃ福島ふくしままちづくりセンター、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  39. ^ a b 震災しんさい復興ふっこうパネルてん」を開催かいさいしました - 東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい記憶きおく記録きろく継承けいしょう 福島ふくしま、2020ねん12月16にち、2021ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  40. ^ a b 「いちいまちなかてん閉店へいてん 福島ふくしま交流こうりゅうかん最終さいしゅうにはおおくの市民しみん 福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶん(2022ねん3がつ1にち)2022ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  41. ^ 福島ふくしままちなか交流こうりゅうかん移転いてん今春こんしゅんにも、近隣きんりん商業しょうぎょうビル地下ちか”. 福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶん. 2022ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  42. ^ a b 福島ふくしままちなか交流こうりゅうかん改装かいそうオープン 大波おおなみ3兄弟きょうだい写真しゃしんパネル展示てんじ 福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶん(2022ねん5がつ1にち)2022ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  43. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、13-15ぺーじ
  44. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、24-25・28ぺーじ
  45. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、29-32ぺーじ
  46. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、35-37ぺーじ
  47. ^ a b ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、54-55ぺーじ
  48. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、162ぺーじ
  49. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、212-213ぺーじ
  50. ^ a b ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、213ぺーじ
  51. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、215ぺーじ
  52. ^ a b ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、215-216ぺーじ
  53. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、217ぺーじ
  54. ^ 貨車かしゃから突然とつぜん有毒ゆうどくガス 危険きけんぶつ指定していがい漂白ひょうはくざい発熱はつねつ 繁華はんかがいなみだやセキ『朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ51ねん2がつ6にち朝刊ちょうかん、13はん、23めん
  55. ^ 2011ねん1がつ6にち
  56. ^ 酒田さかた清水屋しみずやてん撤退てったい正式せいしき表明ひょうめい 正社員せいしゃいん異動いどう契約けいやく社員しゃいん山形やまがた新聞しんぶん(2011ねん1がつ6にち) 2011ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  57. ^ a b c d “マリーン5清水屋しみずや営業えいぎょうスタート 23にちにプレオープン”. 山形やまがた新聞しんぶん (山形新聞社やまがたしんぶんしゃ). (2012ねん3がつ5にち) 
  58. ^ a b c d 中合なかごう福島ふくしまてん 2号館ごうかん閉店へいてん 耐震たいしん基準きじゅんたさず”. 河北かわきた新報しんぽう (河北新報社かほくしんぽうしゃ). (2017ねん3がつ1にち) 
  59. ^ 福島ふくしまてん2ばんかん閉店へいてん 百貨店ひゃっかてん中合なかごう. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2017ねん9がつ1にち). https://www.nikkei.com/article/DGXLASFB31H5L_R30C17A8L01000/ 2017ねん9がつ1にち閲覧えつらん 
  60. ^ 中合なかごうサテライト会津あいづてん」7がつ営業えいぎょう終了しゅうりょう 感染かんせん拡大かくだい減少げんしょう福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶん 2020ねん05がつ08にち
  61. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、172・216ぺーじ
  62. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、222ぺーじ
  63. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、32-34ぺーじ
  64. ^ ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ、197-198ぺーじ
  65. ^ https://archive.ph/KRBwh
  66. ^ 福島ふくしまてん2ばんかん閉店へいてん 百貨店ひゃっかてん中合なかごう. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2017ねん9がつ1にち). https://www.nikkei.com/article/DGXLASFB31H5L_R30C17A8L01000/ 2017ねん9がつ1にち閲覧えつらん 
  67. ^ 青森あおもり八戸はちのへ 三春屋みはるや52ねん歴史れきしまく. 読売新聞よみうりしんぶん. (2022ねん4がつ12にち). https://www.yomiuri.co.jp/local/aomori/news/20220411-OYTNT50042/ 2022ねん4がつ15にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • ややまひろし『ひゃくねん商魂しょうこん 中合なかごうつたわるあきないのしんみんほう印刷いんさつ、2002ねん7がつ

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]