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ドラえもん (1979ねんのテレビアニメ)

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ドラえもん(1979ねん – 2005ねん3がつ

ジャンル
アニメ
原作げんさく 藤子とうこ・F・不二雄ふじお[ちゅう 1]
監督かんとく 不在ふざい[ちゅう 2]もとひらりょう芝山しばやまつとむ
脚本きゃくほん 水出みずいで弘一こういち
丸尾まるおみほ
松岡まつおか清治きよじ
深見ふかみひろし
滝原たきはら弥生やよい
藤子とうこ不二雄ふじお
もとひらりょう
久保田くぼた美智代みちよ
きしあいだ信明のぶあき
城山しろやまのぼる
西村にしむら孝史たかし
小松崎こまつざき康弘やすひろ
藤本ふじもと信行のぶゆき
キャラクターデザイン 中村なかむら英一ひでかず
音楽おんがく 菊池きくち俊輔しゅんすけ
アニメーション制作せいさく シンエイ動画どうが
製作せいさく テレビ朝日てれびあさひ・シンエイ動画どうがADK
放送ほうそうきょく テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
放送ほうそう期間きかん 1979ねん4がつ2にち - 2005ねん3月18にち
はなしすう ぜん1787 + 特番とくばん作品さくひんぜん30
ドラえもん
野比のびのび
みなもと静香しずか (しずか)
つよしたけ (ジャイアン)
ほねかわスネおっと
野比のびのびすけ (のびのパパ)
野比のび玉子たまご (のびのママ)
すぎ英才えいさい
ドラミ
セワシ
大山おおやまのぶ
小原おはら乃梨子のりこ
野村のむら道子みちこ
たてかべ和也かずや
肝付きもつき兼太かねた
加藤かとう正之まさゆき中庸ちゅうようすけ
千々松ちぢまつ幸子さちこ
白川しらかわ澄子すみこ
よこざわけい
太田おおた淑子としこ
テンプレート - ノート

ドラえもん』は、藤子とうこ・F・不二雄ふじお[ちゅう 1]による日本にっぽん漫画まんがほんこうでは同名どうめい漫画まんが原作げんさくとしたテレビアニメなかの、1979ねんからテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつにて放送ほうそうちゅうの2さくのアニメシリーズのうち、2005ねん3がつ放送ほうそうぶんまでについてべる。

ほんこうべる期間きかんは1979ねん4がつから2005ねん3がつまで。テレビ朝日てれびあさひシンエイ動画どうが旭通信社あさひつうしんしゃげんADK制作せいさくぜん1787

概要がいよう

漫画まんがドラえもん』は、1979ねんに2さくテレビアニメシリーズが放送ほうそう開始かいしされ、現在げんざい放送ほうそうちゅうである。

シリーズのテレビアニメ放送ほうそう映画えいが公開こうかいが25周年しゅうねんむかえることをに、2005ねん4がつ大幅おおはばなリニューアルがおこなわれた(以下いか、リニューアルまえだい2さくだい1だい1呼称こしょうする根拠こんきょ[2])、リニューアルだい2さくだい2だい2呼称こしょうする根拠こんきょ[2])とぶ)。

だい2さくだい1は、1979ねん昭和しょうわ54ねん4がつ2にち[ちゅう 3]から2005ねん平成へいせい17ねん3月18にち[ちゅう 4]まで26年間ねんかん放送ほうそうされた。テレビようには通常つうじょう放送ほうそうぜん1787特番とくばん放送ほうそうされた特別とくべつばなしとなる30制作せいさくされ、総計そうけいぜん1817たっする。リニューアル放送ほうそうはなしすう期間きかんふくめると、テレビ朝日てれびあさひのアニメ作品さくひんなかではさい長寿ちょうじゅ作品さくひんとなっており、日本にっぽんのアニメ作品さくひん放送ほうそう期間きかんでは、さい長寿ちょうじゅの『サザエさん』(フジテレビけい1969ねん - )につづ記録きろくほこる。

1965ねんの『オバケのQ太郎たろう』からほぼ途切とぎれることなく制作せいさくされてきた藤子とうこ不二雄ふじお原作げんさくのアニメ作品さくひん1973ねん9月30にち放送ほうそうされた日本にほんテレビばんドラえもん』(日本にほんテレビ系列けいれつ/日本にほんテレビ動画どうが以下いかだい1さく)の最終さいしゅうかいをもって途切とぎれており、それ以来いらいやく5ねんぶりに制作せいさくされた藤子とうこアニメ作品さくひんとなる。またほんシリーズ(以下いかほんさく)は1976ねん東京とうきょうムービーから独立どくりつしたシンエイ動画どうがきゅう社名しゃめい:Aプロダクション)はつ制作せいさく元請もとうけさくとなり、ほんさくのヒットを皮切かわきりに藤子とうこ不二雄ふじお原作げんさく漫画まんが同社どうしゃにより数多かずおお映像えいぞうされどう系列けいれつにより放送ほうそうされた。

雑誌ざっし媒体ばいたいとの連携れんけい

1978ねんまつ、テレビ放映ほうえい決定けっていともに、以降いこうとう漫画まんが掲載けいさいちゅう小学館しょうがくかん学年がくねんべつ学習がくしゅう雑誌ざっしや『コロコロコミック放送ほうそう開始かいし告知こくちプロモーション展開てんかい

なかでも『コロコロコミック』は、1979ねん3がつ15にちごう表紙ひょうしおおきく「テレビ記念きねんおいわい特別とくべつごう」と印刷いんさつ発刊はっかん巻頭かんとうカラーページで製作せいさく過程かてい特集とくしゅうし、そのおな企画きかく連載れんさい、また毎号まいごうにテレビ放映ほうえいきょく放送ほうそう時間じかんしるしたぺーじかなられるなどしていた。

また、1979ねんにコロコロコミックデラックス「テレビばんドラえもん」だい1ごう、1980ねん7がつ25にちだい2ごう発行はっこう(ともに380えん)。カラーページを多用たようし、テレビ内容ないようをよりふかくなぞったり、製作せいさく過程かてい紹介しょうかいするしょとなっている。

放送ほうそうわく番組ばんぐみフォーマット

現在げんざいつづく30ふんわくでの放送ほうそう開始かいししたのは1981ねん10月2にちからであり、おびわく放送ほうそうからの移行いこう制作せいさく体制たいせい刷新さっしんされそれらの美術びじゅつ設定せっていなどは声優せいゆうじんのリニューアルにともなう2005ねん放送ほうそう終了しゅうりょうまで、金曜きんよう19一時期いちじきは1850ふん)からの放送ほうそう2019ねん9月6にちまでそれぞれつづくこととなる。どうわくは1975ねん4がつ4にちの『勇者ゆうしゃライディーン』よりNET→テレビ朝日てれびあさひ制作せいさく[ちゅう 5]旭通信社あさひつうしんしゃのアサツー ディ・ケイ、げんADKエモーションズ)が広告こうこく代理だいりてんつとめており、1976ねん4がつ2にちの『マシンハヤブサ』からいまさくわく移動いどうおこなわれるまで東映動画とうえいどうが放映ほうえいけん保持ほじしていた。1976ねん10がつから1981ねん9がつまでは「東映とうえい魔女まじょシリーズ」をふくめた少女しょうじょけアニメを放送ほうそうするわくとして展開てんかいされていたが、いまさくわく移動いどうにより東映動画とうえいどうがは6年間ねんかん保持ほじしていたとうわく手放てばなすこととなり、放送ほうそうされていた『ハロー!サンディベル』は30ふんがって金曜きんよう19:30へ移動いどうとなっている[ちゅう 6]。なお最初さいしょは「金曜きんようよる730ふん調整ちょうせいちゅう」とわく移動いどうほうじられたが[3]しょ事情じじょうにより先述せんじゅつとお金曜きんよう19移動いどうとなっている。

1かい放送ほうそうするはなしすうは、1981ねん9月まで10ふんばん放送ほうそうは1、30ふんばんは3だったが、金曜きんようよる移動いどうした翌月よくげつ以降いこうは2(これにともなう1あたりの放送ほうそう時間じかん後述こうじゅつ)になった。1979ねんから1981ねんまではぜんはなし新作しんさく前後ぜんごへんとして2にちまたいで放送ほうそうすることもある)、1982ねん1がつから1984ねん5月までは3になり、A、Bパートがさい放送ほうそう、Cパートが新作しんさく、1984ねん5がつ再度さいど2になり、2005ねん3がつまではAパートが新作しんさくでBパートがさい放送ほうそう(ただし、1987ねん後半こうはん1993ねん前半ぜんはんは、りょうパートとも新作しんさく放送ほうそうしていた時期じきがあったほか、1あいだ拡大かくだいされる特番とくばんではB、Cパートをまた中編ちゅうへんのみが新作しんさくだった)。

その原作げんさくとも人気にんき急上昇きゅうじょうしょうさせ、まだテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつきょくすくないなかでもぜん都道府県とどうふけん放送ほうそうされるだいヒットさくとなった。テレビ朝日てれびあさひ藤子とうこ漫画まんがだけでなく、日本にっぽん代表だいひょうする国民こくみんてきアニメ番組ばんぐみとしての『ドラえもん』ブランドを成長せいちょうさせたのは、ほんさく影響えいきょう非常ひじょうおおきい。その一方いっぽうで、テレビ朝日てれびあさひ視聴しちょうりつ不振ふしんにあえいでいた1980年代ねんだい後半こうはん(『アフタヌーンショーやらせリンチ事件じけん以降いこう)から1990年代ねんだいにかけては「テレビ朝日てれびあさひには『ドラえもん』と『徹子てつこ部屋へや』、『ニュースステーション』(げん報道ほうどうSTATION)、『日曜にちよう洋画ようが劇場げきじょう』しかほこれる番組ばんぐみがない」と揶揄やゆされたこともけっしてすくなくなかった。

原作げんさく不足ふそくへの対応たいおう

おびわくでの放送ほうそうということもあって原作げんさく不足ふそくはや段階だんかい発生はっせいしており[3]当時とうじ時点じてん単行たんこうほんなどに収録しゅうろくだった作品さくひんもいちはや映像えいぞうしていた。1980ねん1がつ1にち特番とくばんはつのアニメオリジナルの作品さくひん放送ほうそうされ、放送ほうそう開始かいし以来いらい脚本きゃくほんかずアニメーターが原作げんさくから直接ちょくせつコンテをこす制作せいさく形態けいたいっていたが、この時期じき以降いこう脚本きゃくほんかれての制作せいさく形態けいたい徐々じょじょ移行いこうとなり、30ふんわく移動いどうには完全かんぜん移行いこうした。

作品さくひん流用りゅうよう

原作げんさくしゃおなじとする漫画まんが作品さくひんを、ほんさくのキャラクターにえたかたちでアニメするなどの手法しゅほうり、おびわくでは『ポコニャン』から数多かずおお映像えいぞうされ、1990年代ねんだい後半こうはんには『チンプイ』、2000年代ねんだいには『キテレツだい百科ひゃっか』のエピソードを原案げんあんにした作品さくひんすう作品さくひん制作せいさくされた。

リメイク

放送ほうそう長期ちょうきわたったこともあり、同一どういつ原作げんさくふたたびアニメするリメイクばん制作せいさく数多かずおおおこなわれた。はつのリメイクは単行本たんこうぼん2かん収録しゅうろくほんさくでは1979ねんにアニメされた『オオカミ一家いっか』で、1985ねんに『オオカミ一家いっかすくえ!!』として放送ほうそうされた。30ふんわく移行いこうでは、1990ねんころからアニメオリジナル作品さくひん制作せいさく割合わりあいおおくなり、末期まっきにはほぼすべての作品さくひんがアニメオリジナルとなった。その時期じきではおも特番とくばんなどにおいてリメイクばん放送ほうそうおこなった。リメイク作品さくひんおび放送ほうそうわく時代じだい放送ほうそうされた作品さくひん中心ちゅうしんだが、30ふん時代じだい放送ほうそうされた作品さくひんをリメイクする場合ばあいもある[ちゅう 7]

映画えいが

放送ほうそう開始かいしからやく1ねん1980ねんからは東宝とうほう配給はいきゅうにより毎年まいとし3がつ映画えいが公開こうかいされており、リニューアルにより2005ねんのみ途切とぎれるも、2006ねんからは再開さいかいされ現在げんざい毎年まいとし新作しんさく映画えいが公開こうかいされている。1980ねん公開こうかいされただい1さくドラえもん のび恐竜きょうりゅう』から、ほんさく放送ほうそう期間きかんちゅう劇場げきじょう公開こうかいされた最終さいしゅうさくは2004ねん公開こうかいの『ドラえもん のびのワンニャン時空じくうでん』である。

特別とくべつ番組ばんぐみ

毎年まいとしはる改編かいへんなつぼん前後ぜんごあき改編かいへんには『○だ一番いちばん! ドラえもんまつり』(「○」にはぶしはいる)などとだいして1あいだから2あいだ拡大かくだいされる特番とくばんがあり[ちゅう 8]、ややなが中編ちゅうへんのアニメなどもおこなわれた[ちゅう 9]。また、あき特番とくばんでは1996ねんまでは、はる公開こうかいされた映画えいが放送ほうそうされていた[ちゅう 10]。なお、放送ほうそうかならずしも金曜日きんようびではなくレギュラー放送ほうそう通常つうじょうどお放送ほうそうした翌日よくじつ土曜日どようびなどべつだったかいもある。1990年代ねんだい後半こうはんになると、新作しんさく映画えいが公開こうかい前日ぜんじつに「前夜祭ぜんやさい」を放送ほうそうしたこともあった(時間じかんはレギュラー放送ほうそうおなじ30ふん。「前夜祭ぜんやさい」は全面ぜんめんリニューアルもしばらくおこなわれていた)。

とく大晦日おおみそか曜日ようび関係かんけいなく『大晦日おおみそかだよ!ドラえもん』とだいして3あいだ特番とくばん放送ほうそうされ、中編ちゅうへん短編たんぺんふく過去かこ傑作けっさくなかから10ほん程度ていどさい放送ほうそう(1987ねんまでは藤子とうこオールスター特番とくばんのため、『ドラえもん』のほか、『パーマン』、『忍者にんじゃハットリくん』などの傑作けっさく放送ほうそう[ちゅう 11] )、翌年よくねんはる公開こうかい予定よてい映画えいがのおらせ、ドラえもん関連かんれんイベントの紹介しょうかいなどが放送ほうそうされた。ただし、1995ねん大晦日おおみそかに『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の特別とくべつ番組ばんぐみ編成へんせいしたため、1にち前倒まえだおしをして30にち放送ほうそう、タイトルも『冬休ふゆやすみだよ!ドラえもん』に変更へんこうされた。

視聴しちょうりつ

2005ねん3がつ25にち放送ほうそう終了しゅうりょうまでの日本にっぽんでの歴代れきだい平均へいきん最高さいこう視聴しちょうりつ1983ねん2がつ11にち放送ほうそう記録きろくされた31.2%である(ビデオリサーチ調しらべ、関東かんとう地区ちく)。放送ほうそう開始かいしの1979ねんからの半年はんとしちかくは13~15%程度ていど前後ぜんごしていたが、9月にはいると20%を突破とっぱするようになり[4]、1980年代ねんだい視聴しちょうりつ20%えをほぼ毎週まいしゅう記録きろくし、どう時間じかんたいトップにつこともおおかったが、1990ねん以降いこう少子化しょうしかならいごとをするどもの割合わりあい増加ぞうかなど時代じだい背景はいけい変化へんかもあり、年間ねんかん平均へいきん1990年代ねんだい後半こうはんは15%前後ぜんご2000年代ねんだい前半ぜんはんには12%前後ぜんごまで低下ていかした。なお、木村きむら純一じゅんいちによると、東南とうなんアジアでは視聴しちょうりつが70%をえることもざらにあるという[5]

声優せいゆうじん交代こうたい

2004ねん7がつコロコロコミック次回じかいさく映画えいがを2006ねんはる公開こうかいすることが発表はっぴょうされたが、この時点じてんではまだ声優せいゆう交代こうたい一報いっぽうはなかった。2004ねん11月22にちとう日付ひづけ朝日新聞あさひしんぶんにて声優せいゆうじん一新いっしん決定けっていはじめて世間せけん公表こうひょうされ、リニューアルにともない2005ねん3がつ18にち放送ほうそう特番とくばん『ドラえもん オールキャラゆめだい集合しゅうごうスペシャル』をもって、同年どうねん4がつ15にちからのだい2さくだい2にバトンをわたかたち放送ほうそう終了しゅうりょうむかえた。当日とうじつ直前ちょくぜん放送ほうそうされた『スーパーJチャンネル』では関東かんとうローカルわくのコーナーで特集とくしゅうまれ、最後さいごのエピソード『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』の収録しゅうろく密着みっちゃくした(収録しゅうろくは、同年どうねん3がつ4にち)。レギュラー5にんくわえ、じゅんレギュラーから田中たなか亮一りょういち先生せんせいやく)、渡部わたなべたけし神成かみなりやく)、佐久間さくまレイ(ミニドラやく)、よこざわけい(ドラミやく)、松原まつばら雅子まさこ(しずかのママやく)、横尾よこおまり(スネおっとのママやく)、青木あおき和代かずよ(ジャイアンのママ・ジャイ子役こやく)、千々松ちぢまつ幸子さちこ玉子たまごやく)、中庸ちゅうようすけ(のび助役じょやくけい14にん視聴しちょうしゃにメッセージをべた。ナレーションは玉子たまごやく千々松ちぢまつ担当たんとう後日ごじつには、だい2さくだい2声優せいゆうのオーディションに密着みっちゃくした特集とくしゅうまれた。

楽曲がっきょく

げきとも菊池きくち俊輔しゅんすけ担当たんとう、その同社どうしゃ制作せいさくによる藤子とうこアニメや『キテレツだい百科ひゃっか』などにも参加さんかする。菊池きくち放送ほうそう開始かいしから20ねん以上いじょうにわたってテレビシリーズと映画えいが[ちゅう 12]のBGMをがけた。うち一部いちぶ楽曲がっきょくはサントラCDとして商品しょうひんされた。主題歌しゅだいかドラえもんのうた』のシングルレコードは1987ねん時点じてん日本にっぽんで150まんまいげている[6]

アニメ独自どくじ演出えんしゅつ

「こんにちは、ぼくドラえもんです」(ドラえもん)、「ドラえもん、大変たいへんだよ」(のび)、「のびさんのエッチ!!」(しずか)、「のびのくせに生意気なまいきだぞ!」(スネおっと)、「ひはははははは、ジャイアンことつよしたけ小学しょうがく年生ねんせい」(ジャイアン)などの台詞せりふすべ原作げんさくには存在そんざいせず、それぞれの声優せいゆうじんたちがみずか考案こうあんしたアドリブである。ほかにもドラえもんがのびを「のびくん」、しずかがドラえもんを「ドラちゃん」、のびらを「〇〇〇くん」「〇〇〇さん」と設定せっていと、「しずかちゃん」という愛称あいしょう大山おおやまのぶ野村のむら道子みちこ考案こうあんした。これらはだい2さくだい2にもほぼそのままの状態じょうたいのこされ、またさらなる発展はってんおこなわれて現在げんざいいたっている。

前史ぜんし

シンエイ動画どうがきゅう社屋しゃおく2006ねん)。あおかべしょくから「ドラえもんビル」の通称つうしょうばれていた。

1973ねんだい1さく放送ほうそう終了しゅうりょう漫画まんがドラえもん』の映像えいぞうけんは、かつての制作せいさく会社かいしゃ日本にほんテレビ動画どうが消滅しょうめつしていたこともあってちゅういていたが、当時とうじ東京とうきょうムービー営業えいぎょう担当たんとうしていた楠部くすべさん吉郎よしろう原作げんさくしゃからの信頼しんらい獲得かくとくし、同社どうしゃへとゆだねられていたとされる。1976ねんあき東京とうきょうムービー専属せんぞく下請したうけ会社かいしゃであったAプロダクションが、シンエイ動画どうがへと社名しゃめい変更へんこうして独立どくりつし、『ドラえもん』のさいアニメけてセールスを開始かいしする。このさい東京とうきょうムービーがシンエイ動画どうが映像えいぞうけん譲渡ゆずりわたしているが、経緯けいいかんしては諸説しょせつあり、大塚おおつか康生やすおは「藤岡ふじおかゆたか当時とうじ東京とうきょうムービー社長しゃちょう)が独立どくりつさいして餞別せんべつとしてこころよ譲渡じょうとした[7]」と著書ちょしょいているのにたいし、別紙べっし壮一そういちは「『ドラえもん』の企画きかく楠部くすべけて東京とうきょうムービーの所有しょゆうぶつになっていたが、独立どくりつさい藤岡ふじおか了承りょうしょうった[8]」とインタビューで証言しょうげんしている。

一方いっぽう楠部くすべ回想かいそうでは、1977ねんあき原作げんさくしゃである藤本ふじもとひろし(のちの藤子とうこ・F・不二雄ふじお)にアニメ製作せいさく許諾きょだくもとめると、藤本ふじもとはしばらく沈黙ちんもくしてから「いったいどうやって『ドラえもん』をせるのか、おしえてもらえませんか。原稿げんこう用紙ようし3、4まいでいいから、あなたの気持きもちをいてきてください」とこたえた[9]楠部くすべはAプロダクション時代じだい面識めんしきのあった高畑たかはたいさお依頼いらいして企画きかくしょいてもらい[ちゅう 13]高畑たかはたとともに再度さいど藤本とうほんおとずれて企画きかくしょせると、藤本ふじもとは「わかりました。あなたにあずけます」と即答そくとうしたという[9][ちゅう 14]楠部くすべ後日ごじつ藤本ふじもとが「『オバQ』にしても、『パーマン』にしても、みなしあわせな家庭かていよめすことができました。でも、『ドラえもん』だけは出戻でもどりなんです。(中略ちゅうりゃく)だからもし、もう一度いちどよめすことがあったら、せめて婿むこ自分じぶんえらぼうと、そうめていました」と、企画きかくしょもとめた理由りゆうはなしたことをしるしている[9]

独自どくじ映像えいぞうけん取得しゅとくしたシンエイ動画どうが手始てはじめによみうりテレビ(YTV・日本にほんテレビ系列けいれつ[ちゅう 15]新作しんさくのセールスをおこなっており、同局どうきょくプロデューサーだった佐野さの寿ひさしなな本格ほんかくてき企画きかくしょつくったものの、上層じょうそう理解りかいられずに企画きかく頓挫とんざする。佐野さのは『ドラえもん』の企画きかくしょ広告こうこく代理だいりてん旭通信社あさひつうしんしゃ譲渡じょうとすることで、シンエイ動画どうが旭通信社あさひつうしんしゃによるかくテレビ局てれびきょくへのセールスがあらたに開始かいしされた[10][11]楠部くすべ三吉みつよしろうは、東京とうきょうムービーと関係かんけいふかかったよみうりテレビ東京とうきょう支社ししゃちょうが「また一緒いっしょにやろう」とさそってくれたが、シンエイ動画どうが東京とうきょうムービーと「めて」独立どくりつした経緯けいいがあり、東京とうきょうムービー時代じだいの「コネ」にたよるのは「仁義じんぎはんする」とかんがえてきょくんだとしるしている[12]

1978ねんになると、テレビ朝日てれびあさひ株主かぶぬしだった小学館しょうがくかんさいアニメへの根回ねまわしを開始かいしテレビ朝日てれびあさひ編成へんせいで19から23までのプライムタイム担当たんとうしゃだった高橋たかはしひろしに「藤本ふじもと先生せんせいが『わたし作品さくひんはどこがれられなかったのでしょうか?』とわれている。『ドラえもん』が日本テレビ放送網にほんてれびほうそうもう失敗しっぱいした理由りゆうおしえてほしい」という要望ようぼうで、1973ねんばんぜん26ぶん台本だいほん漫画まんが単行本たんこうぼんすうさつれた風呂敷ふろしきつつみをおくっている。それを自宅じたくかえった高橋たかはしは、小学校しょうがっこうてい学年がくねん幼稚園ようちえんだったむすめたちが単行本たんこうぼんたのしそうに姿すがたて『ドラえもん』はてい年齢ねんれいそうけの作品さくひんだと確信かくしんするが、1973年版ねんばん台本だいほんむと対象たいしょう年齢ねんれいのターゲットがすこたかいようにかんじた。書店しょてんでも、当時とうじどもたちが面白おもしろそうに単行本たんこうぼん光景こうけい観察かんさつした高橋たかはしは、『ドラえもん』のさいアニメテレビ朝日てれびあさひ上司じょうし提案ていあんするが「日本にほんテレビで失敗しっぱいしたものがテレビ朝日てれびあさひ成功せいこうするわけがないだろう」という一言ひとこと却下きゃっか高橋たかはしは、ひく視聴しちょうりつわくがあったらふたたび『ドラえもん』の企画きかく作戦さくせんえる[13]

その、プライムタイムのてい視聴しちょうりつ問題もんだいしたテレビ朝日てれびあさひ編成へんせい局長きょくちょう編成へんせい部長ぶちょうが、担当たんとうしゃ高橋たかはしして責任せきにん機会きかいがあった。「19直前ちょくぜんの10ふん番組ばんぐみがローカル放送ほうそうの『ANN首都しゅとけんニュース』のベルト編成へんせいで、なおかつ毎日まいにち2%の視聴しちょうりつでは、プライムタイムへのフロー(ながれ)ができていません。1850ふんから19までのわく視聴しちょうりつれ、ベルト編成へんせいができる番組ばんぐみえれば、プライムタイムの数字すうじおのずとがるのではないでしょうか」という高橋たかはしかんがえにたいし、「現在げんざいの1830ふんから20分間ふんかん全国ぜんこくネットニュース、1850ふんから10分間ふんかんのローカルニュースという編成へんせいを、18から30分間ふんかん全国ぜんこくネットニュース、1830ふんから20分間ふんかんのローカルニュース[ちゅう 16]拡大かくだいすれば、報道局ほうどうきょく納得なっとくするだろう。そうすれば、1850ふんからの10分間ふんかんをあけることができる」という編成へんせい部長ぶちょう妙案みょうあんで、高橋たかはし月曜げつようから土曜どようまで10分間ふんかんのベルト企画きかく社内外しゃないがいから募集ぼしゅうすることになった[14]

高橋たかはしが、アニメ、人形にんぎょうげき特撮とくさつもの、うたものなどをふくめて88ほんあつまった企画きかくに『ドラえもん』もれて選定せんていちゅうころ小学館しょうがくかんやシンエイ動画どうがんで『ドラえもん』のさいアニメかくテレビ局てれびきょくにセールスちゅうだった旭通信社あさひつうしんしゃが、テレビ朝日てれびあさひにおけるベルト企画きかく状況じょうきょういてきた。高橋たかはしが『ドラえもん』をすすめると、旭通信社あさひつうしんしゃ同意どういして『勉強べんきょう部屋へやのつりぼり』とだいしたパイロットばん持参じさん。このパイロットばん高橋たかはし上司じょうし編成へんせい部長ぶちょうにも好評こうひょうであり、「かならめるからきょくっていかないでしい」とわれたという。そして様々さまざま紆余曲折うよきょくせつた『ドラえもん』のさいアニメは10分間ふんかんのベルトしん番組ばんぐみとして、1979ねん4がつ改編かいへん決定けっていする。なお、テレビ朝日てれびあさひにおける月曜げつようから土曜どようまでの時間じかんたい(1850ふん~19)は関東かんとう限定げんていのローカルスポンサーしか存在そんざいせず、やす広告こうこくりょうしかられない広告こうこく代理だいりてん製作せいさくリスクがたかいことから、月曜げつようから土曜どようまで放送ほうそうした『ドラえもん』を日曜にちようあさ(830ふん~9[ちゅう 17]全国ぜんこく同時どうじネットようさい編集へんしゅうして放送ほうそうするめずらしい編成へんせいになった[15]楠部くすべ三吉みつよしろうによると、きょくへのセールスにいろよい反応はんのうがなかったため、最後さいご手段しゅだんとしてパイロットばんつくることにしたという[16]。なお、楠部くすべはパイロットばん完成かんせい時期じきを「1978ねんあき」としるしている[17]

パイロットばん時点じてんほん放送ほうそうキャストの大山おおやまのぶ小原おはら乃梨子のりこ野村のむら道子みちこ肝付きもつき兼太かねたたてかべ和也かずや千々松ちぢまつ幸子さちこの6にんすで同役どうやく参加さんかしているが、パイロットばん起用きようされていたキャストは、放送ほうそう決定けっていあらためてプロデューサーなどの意向いこうふく変更へんこうされることがおおいため、これはかなり特異とくいなことである。楠部くすべ三吉みつよしろうは、このキャストは音響おんきょう監督かんとくだった浦上うらかみ靖夫やすおえらんでれてきたとしるしている[17]

ほんさくだい1「ゆめのまちノビタランド」はプロローグてき意味合いみあいなどはまったたない平常へいじょうてき作品さくひんであり、普通ふつう本編ほんぺんからはじまっていることから、だい1さく続編ぞくへん意識いしきしたかのようなかたちがとられている[ちゅう 18][18]ほかにも、しずかのかみいろ栗色くりいろだったり、美術びじゅつ設定せってい川本かわもとただしたいら起用きようされているなど、だい1さく同一どういつ設定せってい散見さんけんされる。なお、ドラえもんがはじめてのびまえあらわれる原作げんさくだい1にあたる「未来みらいくにからはるばると」は、翌年よくねん正月しょうがつ特番とくばんとして放送ほうそうされた。

企画きかくしょ作成さくせいした高畑たかはたいさお通常つうじょうのエピソードをだい1用意よういした意図いとについてつぎのようにしるしている。

ドラエモン〔ママ〕は何者なにものか、どこからたか、のびとどういう関係かんけいなのか、をはじめからわからせるために、特別とくべつだい1指定していすることはしない。

ドラエモンの出現しゅつげんとのびのおどろきをみせないほういということを積極せっきょくてき主張しゅちょうする根拠こんきょはないが、ドラエモンとのび友情ゆうじょう発展はってんしていく過程かていとか、パパやママのそれをれていく過程かていなどをえがくことが予定よていされていない以上いじょうだい1それ自体じたいとしての問題もんだいでしかなく、よう如何いか面白おもしろはなしだい1にち提出ていしゅつするかというてんかんがえたい。

「ドラエモン」の魅力みりょくはドラエモンという不可思議ふかしぎ存在そんざいが、その存在そんざいのリアリティを子供こどもえつけることで増加ぞうかするわけでなく、ドラエモンがポケットからすものによって、平凡へいぼん日常にちじょう生活せいかつきゅう活気かっきび、たのしくゆめのあるものになったり、なりかけて駄目だめになったり、イタズラしん子供こどもっぽい復讐ふくしゅうしん刺激しげきあたえられて、わらいをはなたれるところに、その魅力みりょくがあるのだから、短刀たんとう直入なおいりママ〕に個々ここのエピソードを展開てんかいしはじめたほうがいだろう。

おなじような意味いみで、のび、パパ、ママ、しずか、スネおっと、ジャイアンなども、もっと一般いっぱんてきなタイプを代表だいひょうしていて、ドラエモンの道具どうぐによって異変いへんちこまれるべき「日常にちじょう生活せいかつ世界せかい」をもっともシンプルなかたち構成こうせいしているのだから、この藤子とうこ不二雄ふじおてき人物じんぶつたちとその関係かんけい子供こどもたち一目瞭然いちもくりょうぜんであり、余計よけい説明せつめいにくづけも不要ふようである。

以上いじょうてんから、このシリーズの場合ばあい、シリーズの構成こうせいといったものは不要ふようであり、いかにバラエティをかんがえるかだけが重要じゅうようである — 高畑たかはたいさお「ドラエモン"覚書おぼえがき"」1977ねん

放送ほうそう時間じかん

1979ねん昭和しょうわ54ねん)4がつ2にち - 1981ねん昭和しょうわ56ねん)9がつ23にち
つき - 土曜どよう 18:50 - 19:00(おび番組ばんぐみ・10ふん
テレビ朝日てれびあさひなど、一部いちぶきょくでのローカルわくとしての放送ほうそう関東かんとうではダイエー第一家庭電器だいいちかていでんきいちしゃ提供ていきょう
このほか、テレビ朝日てれびあさひけい全国ぜんこくネットで下記かき放送ほうそう時間じかんにて30分間ふんかんさい放送ほうそう大半たいはん地域ちいきでは初回しょかい放送ほうそう)がされた。なお、おび番組ばんぐみのものとは放送ほうそうじゅんことなるほか、オープニング・エンディング・次回じかい予告よこく別途べっと製作せいさくされた。
1979ねん昭和しょうわ54ねん)4がつ8にち - 1980ねん昭和しょうわ55ねん)3がつ30にち
日曜にちよう 8:30 - 9:00 (30ふん)[ちゅう 17]
1980ねん昭和しょうわ55ねん)4がつ6にち - 1981ねん昭和しょうわ56ねん)9がつ27にち
日曜にちよう 9:30 - 10:00 (30ふん)
金曜日きんようび移行いこうしたのち放送ほうそうわくは『藤子とうこ不二雄ふじお劇場げきじょう』として『忍者にんじゃハットリくん』、『パーマン』(だい2さく)、『オバケのQ太郎たろう』(だい3さく)にがれた。
1981ねん昭和しょうわ56ねん)10がつ2にち - 1987ねん昭和しょうわ62ねん)10がつ9にち
1989ねん平成へいせい元年がんねん)4がつ14にち - 2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ18にち
金曜きんよう 19:00 - 19:30 (30ふん)
日曜日にちようびさい放送ほうそう同様どうようテレビ朝日てれびあさひけい全国ぜんこくネットでの放送ほうそう前者ぜんしゃでは、金曜日きんようびどうわく藤子とうこアニメの放映ほうえいは『ジャングルくろべえ』(NETテレビ時代じだい当時とうじ系列けいれつきょくだったMBS制作せいさく以来いらいだった。なお、後者こうしゃは『ニュースシャトル』の放送ほうそう時間じかん変更へんこうともなうもの。
1987ねん昭和しょうわ62ねん)10がつ23にち - 1989ねん平成へいせい元年がんねん)3がつ31にち
金曜きんよう 18:50 - 19:20(後続こうぞくの『ニュースシャトル』の影響えいきょう

放送ほうそうきょく

略称りゃくしょう表記ひょうき放送ほうそう当時とうじのもの。系列けいれつは2005ねん3がつ終了しゅうりょう時点じてんでのもの。◎は現在げんざい系列けいれつきょくだが、放送ほうそう当時とうじテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ系列けいれつとのクロスネットだったきょく

放送ほうそう地域ちいき 放送ほうそうきょく 系列けいれつ ネット状況じょうきょう 備考びこう
関東かんとう広域こういきけん テレビ朝日てれびあさひ (ANB→EX) テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 制作せいさくきょく [ちゅう 19]
[ちゅう 20]
北海道ほっかいどう 北海道ほっかいどうテレビ (HTB) 同時どうじネット [ちゅう 20]
[ちゅう 21]
青森あおもりけん 青森朝日放送あおもりあさひほうそう (ABA) [ちゅう 22]
岩手いわてけん 岩手いわて朝日あさひテレビ (IAT) [ちゅう 23]
宮城みやぎけん 東日本放送ひがしにっぽんほうそう (KHB) [ちゅう 20]
秋田あきたけん 秋田あきた朝日放送あさひほうそう (AAB) [ちゅう 24]
山形やまがたけん 山形やまがたテレビ (YTS) [ちゅう 25]
福島ふくしまけん 福島放送ふくしまほうそう (KFB) [ちゅう 26]
山梨やまなしけん 山梨放送やまなしほうそう (YBS) 日本にほんテレビ系列けいれつ おくれネット [ちゅう 27]
新潟にいがたけん 新潟にいがたテレビ21 (NT21) テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット [ちゅう 28]
長野ながのけん 長野朝日放送ながのあさひほうそう (ABN) [ちゅう 29]
静岡しずおかけん 静岡朝日しずおかあさひテレビ (SATV) [ちゅう 20]
[ちゅう 30]
[ちゅう 31]
富山とやまけん 北日本放送きたにほんほうそう (KNB) 日本にほんテレビ系列けいれつ おくれネット [ちゅう 32]
[ちゅう 33]
石川いしかわけん 北陸朝日放送ほくりくあさひほうそう (HAB) テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット [ちゅう 34]
福井ふくいけん 福井放送ふくいほうそう (FBC) 日本にほんテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
おくれネット [ちゅう 35]
[ちゅう 36]
中京ちゅうきょう広域こういきけん 名古屋なごやテレビ (NBN) テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット [ちゅう 20]
近畿きんき広域こういきけん 朝日放送あさひほうそう (ABC) [ちゅう 20]
鳥取とっとりけん島根しまねけん 山陰放送さんいんほうそう (BSS) TBS系列けいれつ おくれネット [ちゅう 37]
広島ひろしまけん 広島ひろしまホームテレビ (UHT→HOME) テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット [ちゅう 20]
山口やまぐちけん 山口朝日放送やまぐちあさひほうそう (YAB) [ちゅう 38]
香川かがわけん岡山おかやまけん 瀬戸内海放送せとないかいほうそう (KSB) [ちゅう 20]
愛媛えひめけん 愛媛朝日えひめあさひテレビ (EAT) [ちゅう 39]
高知こうちけん 高知放送こうちほうそう (RKC) 日本にほんテレビ系列けいれつ おくれネット [ちゅう 40]
福岡ふくおかけん 九州朝日放送きゅうしゅうあさひほうそう (KBC) テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット [ちゅう 20]
長崎ながさきけん 長崎文化放送ながさきぶんかほうそう (NCC) [ちゅう 41]
熊本くまもとけん 熊本朝日放送くまもとあさひほうそう (KAB) [ちゅう 42]
大分おおいたけん 大分朝日放送おおいたあさひほうそう (OAB) [ちゅう 43]
宮崎みやざきけん テレビ宮崎てれびみやざき (UMK) フジテレビ系列けいれつ
日本にほんテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
おくれネット [ちゅう 44]
鹿児島かごしまけん 鹿児島放送かごしまほうそう (KKB) テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 同時どうじネット [ちゅう 45]
沖縄おきなわけん 琉球朝日放送りゅうきゅうあさひほうそう (QAB) [ちゅう 46]

過去かこのネットきょく

られたじゅん掲載けいさい

放送ほうそう地域ちいき 放送ほうそうきょく 系列けいれつ 備考びこう
岩手いわてけん テレビ岩手てれびいわて (TVI) 日本にほんテレビ系列けいれつ
[ちゅう 47]
長野ながのけん 信越放送しんえつほうそう (SBC) TBS系列けいれつ [ちゅう 48]
福島ふくしまけん 福島中央ふくしまちゅうおうテレビ (FCT) 日本にほんテレビ系列けいれつ
[ちゅう 49]
鹿児島かごしまけん 鹿児島かごしまテレビ (KTS) フジテレビ系列けいれつ
[ちゅう 50]
新潟にいがたけん 新潟総合にいがたそうごうテレビ (NST)
[ちゅう 51]
[ちゅう 52]
[ちゅう 53]
石川いしかわけん 北陸放送ほくりくほうそう (MRO) TBS系列けいれつ [ちゅう 54]
熊本くまもとけん 熊本放送くまもとほうそう (RKK) [ちゅう 55]
鳥取とっとりけん島根しまねけん 日本海にほんかいテレビ (NKT) 日本にほんテレビ系列けいれつ [ちゅう 56]
長崎ながさきけん 長崎放送ながさきほうそう (NBC) TBS系列けいれつ [ちゅう 57]
長野ながのけん テレビ信州てれびしんしゅう (TSB) 日本にほんテレビ系列けいれつ
[ちゅう 58]
青森あおもりけん 青森放送あおもりほうそう (RAB)
[ちゅう 59]
石川いしかわけん 石川いしかわテレビ (ITC) フジテレビ系列けいれつ [ちゅう 60]
秋田あきたけん 秋田放送あきたほうそう (ABS) 日本にほんテレビ系列けいれつ [ちゅう 61]
山形やまがたけん 山形放送やまがたほうそう (YBC)
[ちゅう 62]
[ちゅう 63]
山口やまぐちけん テレビ山口てれびやまぐち (TYS) TBS系列けいれつ [ちゅう 64]
[ちゅう 65]
大分おおいたけん 大分放送おおいたほうそう (OBS) [ちゅう 66]
愛媛えひめけん テレビ愛媛えひめ (EBC) フジテレビ系列けいれつ [ちゅう 67]
沖縄おきなわけん 琉球放送りゅうきゅうほうそう (RBC) TBS系列けいれつ [ちゅう 68]
岩手いわてけん IBC岩手いわて放送ほうそう (IBC) [ちゅう 69]
[ちゅう 70]
徳島とくしまけん 四国放送しこくほうそう (JRT[ちゅう 71]) 日本にほんテレビ系列けいれつ [ちゅう 72] 

年表ねんぴょう

とし 月日つきひ 備考びこう
1973ねん 9月30にち 日本にほんテレビ動画どうがによってはじめてアニメされた『ドラえもん(だい1さく)』が会社かいしゃ解散かいさんともな放送ほうそう終了しゅうりょう
シンエイ動画どうがによるいまさく制作せいさく決定けっていするのは、1976ねんから1977ねんころこととなる[46]
1976ねん 9月9にち のちほんさく制作せいさくおこなうシンエイ動画どうがが、Aプロダクションから社名しゃめい変更へんこう改組かいそ
1978ねん 8がつ ほんさくのパイロットフィルム『勉強べんきょう部屋へやのつりぼり』が完成かんせい[4]
この時点じてんドラえもん野比のびのびみなもと静香しずかつよしたけし(ジャイアン)、ほねかわスネおっと野比のび玉子たまこ(のびのママ)が登場とうじょう、その声優せいゆう代役だいやくのぞいちりつ
12月 テレビ朝日てれびあさひでの放送ほうそう決定けっていする。
1979ねん 4がつ1にち ほん放送ほうそう開始かいし前日ぜんじつであるこのほんさく紹介しょうかい予告よこくする特別とくべつ番組ばんぐみ放送ほうそうされた。
この放送ほうそうで、のびいえにドラえもんがやってきて2人ふたりがはじめて出会であ内容ないよう番組ばんぐみ『ぼくらのともだちドラえもん』
司会しかい桂菊丸かつらきくまる大杉おおすぎ久美子くみこ、ゲスト:大山おおやまのぶ)が放送ほうそうされた。
4がつ2にち 関東かんとうローカルでのほん放送ほうそう開始かいしだい1は『ゆめのまちノビタランド』。
ドラえもんとのび出会であいをえがいた物語ものがたり後述こうじゅつ
翌年よくねん正月しょうがつ特別とくべつ番組ばんぐみ『ドラえもんのびっくりぜん百科ひゃっか(オールひゃっか)』にて「未来みらいくにからはるばると」として放送ほうそうされた。あらたに番組ばんぐみレギュラーとして横沢よこざわ啓子けいこよこざわけい井上いのうえ和彦かずひこくわわり、2人ふたりでゲストキャラを折半せっぱんすることになった。
4がつ3にち 4がつ3にち放送ほうそう作品さくひん変身へんしんビスケット』にて、のびのパパこと野比のびのびすけはつ登場とうじょう声優せいゆう加藤かとう正之まさゆき声優せいゆう交代こうたいかんしては後述こうじゅつ
6月15にち 6月15にち放送ほうそう作品さくひん『ラジコンだい海戦かいせん』にて、スネきちはつ登場とうじょう声優せいゆう井上いのうえ和彦かずひこ
その4ねん放送ほうそうされた『ちょうリアル・ジオラマ作戦さくせん以降いこう二又ふたまた一成いっせい交代こうたいし、そこからは一律いちりつ
10月3にち はつゴールデン特番とくばんあきだ! 一番いちばんドラえもんまつり』を19:00 - 20:00で放送ほうそう[ちゅう 73]
過去かこ放送ほうそうされた4ほんほか、パイロットさく勉強べんきょう部屋へやのつりぼり』をはつ放送ほうそうした。
12月20にち 12月20日はつか放送ほうそう作品さくひんひゃくねんのフロク』にて、セワシはつ登場とうじょう声優せいゆう太田おおた淑子としこ。その25年間ねんかんいちりつ
1980ねん 1がつ3にち はつのテレビアニメオリジナル作品さくひん『タイムマシンでお正月しょうがつ映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』が放映ほうえいされた。
以後いごすう年間ねんかん正月しょうがつさんにちにスペシャル番組ばんぐみ放送ほうそうされるパターンがつづいた(前述ぜんじゅつの『ドラえもんびっくりぜん百科ひゃっか』もうち1にち)。
3月12にち 前年ぜんねんより同局どうきょくの『水曜すいようスペシャル』ではじまったアニメ特番とくばん春休はるやすみ・夏休なつやすみマンガまつ』の進行しんこうやくとして、ドラえもんがはつ登場とうじょう[ちゅう 74]
これ以後いご1987ねん3がつ11にち放送ほうそうの『はるだ! 今夜こんやはアニメまつりだ!! とびだせ! ドラえもん』まで、ドラえもんが藤子とうこアニメキャラととも進行しんこうやく担当たんとうする。
3月15にち はつドラえもん映画えいが作品さくひんドラえもん のび恐竜きょうりゅう』が公開こうかいされる。配給はいきゅう収入しゅうにゅう15おく6000まんえん観客かんきゃく動員どういんすう320まんにん
4がつ4にち 4がつ4にち放送ほうそう作品さくひん税金ぜいきんとり』にて、すぎ英才えいさいはつ登場とうじょう声優せいゆう白川しらかわ澄子すみこ。その25年間ねんかんいちりつ
4がつ8にち はるだ!一番いちばんドラえもんまつり』ない放送ほうそうされた『おまたせドラミちゃんはつ登場とうじょう!のび海底かいていハイキング』にてドラミはつ登場とうじょう。ドラミのこえ担当たんとうしたのは番組ばんぐみないおおくの脇役わきやくをこなしてきた横沢よこざわ啓子けいこげん:よこざわけい)。そのやく25年間ねんかんドラミのこえ担当たんとうした。同日どうじつ、『ドラ・Q・パーマン映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』が放送ほうそう
5月5にち モスクワオリンピック関連かんれん大型おおがた特番とくばんオリンパソン'80』の一環いっかんとしてほんさくのスペシャルばんとして『のびゆめきんメダル』が放送ほうそうされる。全編ぜんぺん42ぶん長編ちょうへんであった。翌年よくねんソウルオリンピックひかえた1987ねんまつにもさい放送ほうそうされている。なお直前ちょくぜんの18:30に放送ほうそうされたバラエティ「ドリフと秀樹ひできとドラえもん」にもドラえもんが出演しゅつえんし、ザ・ドリフターズ西城さいじょう秀樹ひでき共演きょうえんした(このため通常つうじょうの18:50はん休止きゅうし)。
7がつ11にち
8がつ29にち
金曜きんよう1930ふんわく放送ほうそうされていた『えろアタック』が7がつ11にち終了しゅうりょうし、
どうわくに8がつ29にちから放送ほうそう開始かいしする『それゆけ!レッドビッキーズ』までのつなぎ番組ばんぐみ一環いっかんとして、1かげつあいだほんさく特集とくしゅう開始かいし
7がつ18にちから8がつ1にちまでは金曜きんよう19:30わくに『ドラえもん・夏休なつやすみアンコール劇場げきじょう』を放送ほうそう
8がつ8にちにははつなつ特番とくばんなつだ!一番いちばん・ドラえもんまつり』を、金曜きんよう19:00 - 20:00[ちゅう 75] わく放送ほうそうした[ちゅう 76]
12月31にち はつ大晦日おおみそか特別とくべつ番組ばんぐみ大晦日おおみそかだよ!ドラえもん』を6時半じはんから放送ほうそう以後いご毎年まいとし大晦日おおみそか特別とくべつ番組ばんぐみ放送ほうそう。ただし1995ねん大晦日おおみそかにビートルズ特別とくべつ番組ばんぐみ編成へんせいされたため1にち前倒まえだおして12月30にち放送ほうそうした。
1981ねん 1がつ1にち '81お正月しょうがつだよ!ドラえもんとしょうして3にち連続れんぞく(大晦日おおみそかふくめると4にち)で6時半じはんより放送ほうそう
9月23にち やく2ねんと5ヶ月かげつつづいたおび放送ほうそうわくでの最後さいご放送ほうそう
おびわく最後さいご作品さくひんは『やどり』。このわくでは617作品さくひん放送ほうそうした。こうわくおなじくシンエイ動画どうが制作せいさくによる『忍者にんじゃハットリくん』。
10月2にち 放送ほうそうわくゴールデンタイム進出しんしゅつともない、金曜きんよう19:00 - 19:30わく移行いこう同時どうじ多方面たほうめんにおけるおおきな変革へんかくおこなわれる。
まずアイキャッチアニメーション[ちゅう 77]廃止はいしし、サブタイトル画面がめん新作しんさくものにした。
1作品さくひんしゃくも6ふん30びょうから10ふん50びょう拡大かくだい。10ふん50びょう作品さくひんを2本立ほんだてで放送ほうそう
菊池きくち俊輔しゅんすけ作曲さっきょくによるげきちゅうのBGMを原則げんそく、ほぼすべ新規しんきBGMに変更へんこう[ちゅう 78]
またキャラクターデザインや色彩しきさい設定せってい、その作画さくが設定せっていなども変更へんこうされた。
12月31にち 大晦日おおみそか特別とくべつ番組ばんぐみ大晦日おおみそかだよ! ドラえもんと忍者にんじゃハットリくん』を放送ほうそう。このとしから1987ねんまでは藤子とうこアニメとの共同きょうどう特番とくばんになる。
1982ねん 1がつ1にち
1がつ3にち
ほんさくと『怪物かいぶつくん』に、前年ぜんねん開始かいしした『忍者にんじゃハットリくん』をくわえた新春しんしゅん特番とくばん『'82お正月しょうがつ!! ドラえもん・怪物かいぶつくん・忍者にんじゃハットリくんスペシャル』を放送ほうそう
4にち連続れんぞくして『ドラえもん』と『怪物かいぶつくん』がられることとなった。
1がつ8にち 1かいあたりの構成こうせい変更へんこう新作しんさく1ほん8ふん57びょうさい放送ほうそう作品さくひん2ほん6ふん30びょうの3本立ほんだてに。
3月24にち テレビ朝日てれびあさひ期首きしゅ特番とくばんオールスター番組ばんぐみ対抗たいこうボウリング大会たいかい』に、
怪物かいぶつくん』・『忍者にんじゃハットリくん』とともぜん声優せいゆうじんはつ参加さんか(アニメチームの参加さんかはこれがはつ)。
さらにこのときのみ、藤子とうこ不二雄ふじお当時とうじ)も参加さんかした。以後いご当番とうばんぐみには、最後さいごまでアニメチーム[ちゅう 79]参加さんかした。
はつ参加さんかときは、番組ばんぐみ冒頭ぼうとうにドラえもん、怪物かいぶつくん、ハットリカンゾウがボウリングをするアニメ(シンエイ動画どうが制作せいさく)が挿入そうにゅうされた。
10月22にち 本日ほんじつ放送ほうそう作品さくひん『ぼく失恋しつれんしちゃった』より、静香しずかやジャイをはじめとする小学生しょうがくせい女子じょしキャラクターたち男子だんしキャラクターたちたいする脚本きゃくほんが「きみけから「さん」変更へんこうされた。
1983ねん 2がつ11にち 本日ほんじつ放送ほうそうかいにて、番組ばんぐみ最高さいこう視聴しちょうりつ31.2%を記録きろく
放送ほうそう作品さくひんは『かがみなか世界せかい』『テストロボット(映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』『オンボロ旅館りょかんをたてなおせ』の3ほん。ただし後記こうき2ほんさい放送ほうそう作品さくひん
テレビ朝日てれびあさひけい放送ほうそうされたアニメのなかではだい1視聴しちょうりつである。
10月13にち テレビ朝日てれびあさひ開局かいきょく25周年しゅうねん特別とくべつ番組ばんぐみ藤子とうこ不二雄ふじおスペシャル ドラえもん・ヨーロッパ鉄道てつどうたび映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』が放送ほうそう
アニメと実写じっしゃ合成ごうせいもちい、ドラえもんらと藤子とうこ両人りょうにん旅行りょこうするという内容ないよう番組ばんぐみだった。
この番組ばんぐみはテレビかいはつ立体りったいてきなアニメ(アニメ部分ぶぶん当時とうじとしてはめずらしいCGでの制作せいさく)と
実写じっしゃしん方式ほうしき合成ごうせい利用りようされていて「ドラビジョン」と名付なづけられていた。
その1985ねん新春しんしゅんスペシャルとしてさい放送ほうそうされている。
12月31にち ほんさくと『ハットリくん』に、このとし開始かいしの『パーマン』をくわえた大晦日おおみそか特番とくばんおおみそかだよ! ドラえもん・パーマン・忍者にんじゃハットリくん "シシまるのゆくとしくるとし"』を放送ほうそう。「ドラ・ハッ・パー」が誕生たんじょうする。よく1984ねんも『スーパービッグヒーロー 大晦日おおみそかだよ! ドラ・ハッパー』のタイトルで放送ほうそう
1984ねん 5月18にち 放送ほうそう形態けいたい変更へんこう新作しんさく10ふん50びょうさい放送ほうそう10ふん50びょうの2本立ほんだて。
そのすうかい1たりの放送ほうそう時間じかんが8ふん57びょう、10ふん50びょう、12ふん43びょうのいずれかにたびたび変更へんこうされていた。
11月30にち 放送ほうそう形態けいたい新作しんさく12ふん43びょうさい放送ほうそう8ふん57びょうの2本立ほんだてに変更へんこう
1985ねん 4がつ5にち はつのリメイク作品さくひん放送ほうそう。ドラえもんはつのリメイク作品さくひん単行本たんこうぼん2かん収録しゅうろく『オオカミ一家いっか』だった。
12月31にち 「ドラ・ハッ・パー」に、このとし開始かいしの『オバケのQ太郎たろう』と『プロゴルファーざる』、そして3ねんりの『怪物かいぶつくん』をくわえ、『藤子とうこ不二雄ふじおスペシャル オールスターだい集合しゅうごう』を放送ほうそう、1987ねんまでつづける[ちゅう 80]
1986ねん 11月14にち 11月14にち放送ほうそうぶん三原山みはらやま噴火ふんか報道ほうどう特番とくばんえられ休止きゅうしとなった。
1987ねん 7がつちゅう 『ドラえもん21世紀せいきまつり タイムカプセルドラまるくんフェスティバル』で1つタイムカプセル・ドラまるくんが封印ふういんされる。
2001ねん1がつ1にち午前ごぜん00ふん開封かいふう予定よていであったが作者さくしゃくなったこともあり恒久こうきゅう保存ほぞんとなった。
10月23にち 女優じょゆう星野ほしの知子ともこ起用きようした夕方ゆうがたのニュース番組ばんぐみニュースシャトル』が1920ふん - 2000ぶんわく放送ほうそう開始かいしされたため、このかいより放映ほうえいわくが1850ふん-1920ふん移動いどう
Bパートの後半こうはんに「このあと720ふんからはニュースシャトルです」のおらせテロップを挿入そうにゅう
そのほんさくが19:00スタートにもどったさいはその藤子とうこ・F・不二雄ふじお作品さくひんを10分間ふんかん短編たんぺん仕立したてて18:50から放送ほうそうし、19:00からドラえもんを放送ほうそうした。
次回じかい予告よこくはドラえもんがふだ次回じかいのタイトルをハケのようなものでいていくという簡略かんりゃくされた20びょうのものになっていた。
音楽おんがくも「ドラドラどこかにドラえもん」の前奏ぜんそう利用りようしたきょく変更へんこうされた。また、本編ほんぺんも10ふん50びょう新作しんさく2本立ほんだてとなった。
この時期じきパオパオチャンネル月曜日げつようびに、おび番組ばんぐみ時代じだいさい放送ほうそう初期しょき放送ほうそうぶん)があった。
1988ねん 1がつ8にち 新作しんさく10ふん50びょうさい放送ほうそう10ふん50びょうの2本立ほんだてになる。
3月25にち 18:20-18:50の時間じかんたい放送ほうそうされた。これは前日ぜんじつ中国ちゅうごくきた上海しゃんはい列車れっしゃ事故じこ関連かんれん情報じょうほうでニュースシャトルが拡大かくだいしたためである。
4がつ1にち 本日ほんじつ放送ほうそう作品さくひん『ワラシベにおねがい(映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』にて、だい1「ゆめのまちノビタランド」からかぞえて特番とくばんふく通算つうさん1000達成たっせい
11月11にち 1988ねん11月11にち放送ほうそう特番とくばん編成へんせいともない19:30 - 20:00での放送ほうそうとなる(『ニュースシャトル』が前倒まえだおしで拡大かくだいばん放送ほうそうしたため)。
これ以外いがいにも昭和しょうわ天皇てんのう病状びょうじょうかんばしくないときは30ふん前倒まえだおして放送ほうそうしたこともあったほか、
ニュース速報そくほうによるテロップなどで昭和しょうわ天皇てんのう体調たいちょう情報じょうほうがたびたびながされていた(どう時期じきほかのテレビ番組ばんぐみ同様どうよう)。
12月31にち 8ねんぶりに大晦日おおみそか特番とくばんがドラえもん単独たんどくのものになり「大晦日おおみそかだよドラえもん」が復活ふっかつする。
1989ねん 1がつ6にち 正月しょうがつSP『ドラえもんゆめ気球ききゅうSP』を19:00 - 20:00で放送ほうそう
ねつ気球ききゅうゆめ気球ききゅう・ドラバルくん」の紹介しょうかいねた新春しんしゅん特番とくばんで、1983ねん特番とくばんおなじくアニメと実写じっしゃ合成ごうせいもちいた形式けいしきで、小学館しょうがくかんから野比のび風船ふうせんとどいた手紙てがみにドラえもんとのびがイギリスの製造せいぞう工場こうじょうって「ドラバルくん」と対面たいめんするという内容ないようだった。工場こうじょうまえにはどこでもドアの到達とうたつてんであるロンドン市内しない観光かんこう。タケコプターでそらからビッグベン・ロンドンきょう高層こうそうビルぐんるという場面ばめんもあった。
しかしよく7にち昭和しょうわ天皇てんのう崩御ほうぎょ、8にちには「平成へいせい」への改元かいげんがあったため「昭和しょうわ64ねん」の放送ほうそうはこれが唯一ゆいいつになった。
2がつ24にち 昭和しょうわ天皇てんのう大喪たいそうれい特番とくばん放送ほうそうのため19:30 - 20:00での放送ほうそうとなる。
3月11にち 通算つうさん10さくにあたる劇場げきじょうばんドラえもん のび日本にっぽん誕生たんじょう』が封切ふうきり。現在げんざいやぶられていない歴代れきだい最高さいこう観客かんきゃく動員どういんすう420まんにん記録きろくした。
10月27にち 本日ほんじつ放送ほうそう作品さくひん『そのときどこにいた』をもって、長年ながねんにわたり使用しようされていた野比のび玄関げんかんくろ電話でんわ使用しよう描写びょうしゃ終了しゅうりょう
11月24にち 本日ほんじつ放送ほうそう作品さくひん高層こうそうマンションエレベーター(映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』より、野比のび玄関げんかん電話でんわくろ電話でんわからプッシュホン電話でんわ変更へんこうされた。
1990ねん 3月7にち 同局どうきょくの『水曜すいようスーパーテレビ』(『みずSP』の後身こうしん)で、3ねんりのアニメ特番とくばんとして、劇場げきじょうばんドラえもん10周年しゅうねん記念きねんした『はるだ! 映画えいがだ! ドラえもんまつり』を放送ほうそう
1991ねん 2がつ24にち ほんさくかみしげるさんやくつとめたけんもと新吾しんご逝去せいきょ。アニメばん開始かいしから連続れんぞく出演しゅつえんする声優せいゆう死去しきょはこれが最初さいしょとなった。
3月6にち 同局どうきょくの『水曜すいようスーパーキャスト』(『みずスーパーTV』の後身こうしん)で、ドラえもんたちテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつアニメと共演きょうえんするクロスオーバー特番とくばんはる一番いちばん!日本一にっぽんいちのアニメまつ』を放送ほうそう
以後いご1992・1993ねんにも放送ほうそうされる[ちゅう 81]
3月22にち 3月22にち放送ほうそうされた『チリつもらせ映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』から、かみしげるさんやくえんじてきたけん本新ほんしんわれ死去しきょしたため、渡部わたなべたけし後任こうにんとなってかみしげるさんをえんじる。
6月21にち 中村なかむら英一ひでかずそう作画さくが監督かんとく就任しゅうにんかくはなし作画さくが監督かんとくはローテーションせいとなった。
10月11にち 放送ほうそうが30ふんわくになってはじめて、原作げんさく存在そんざいしないアニメオリジナル作品さくひん放送ほうそう
作品さくひんめいは『ラッキー砂時計すなどけい映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』。
1992ねん 10月9にち サブタイトル場面ばめん長年ながねん使用しようされたオレンジタイトルからグリーンタイトルへ移行いこう
またこの放映ほうえいよりオープニング、エンディングテーマともに変更へんこうされ、オープニングの『ドラえもんのうた』は歌手かしゅ大杉おおすぎ久美子くみこから山野やまのさと交代こうたい
10月23にち 本日ほんじつ放送ほうそうの『シャワーでかくれんぼ(映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』から
放映ほうえい開始かいしから野比のびのび助役じょやくえんじてきた加藤かとう正之まさゆき咽喉いんこうがんのため途中とちゅう降板こうばん中庸ちゅうようすけ後任こうにんとなった。
1993ねん 3月18にち ほんさく野比のびのび助役じょやくつとめた加藤かとう正之まさゆき逝去せいきょ
4がつ9にち このかいより新作しんさくながさが10ふん50びょうと8ふん57びょうの1ほんずつになり、1まえに1ふん50びょうの『ドラえもん めいさく劇場げきじょう』がくようになった。
また、オープニングまえに3秒間びょうかんブルーバックにしろで「テレビ15周年しゅうねん」の表示ひょうじるようになった。『ドラえもん めいさく劇場げきじょう』は10月1にちまでつづいた。
9月8にち 15周年しゅうねん特別とくべつ番組ばんぐみ水曜すいようとくバン! ドラえもんボクの感謝かんしゃの90ふん! ゆめよん次元じげんバラエティー』が放送ほうそうされる。
藤子とうこ・F・不二雄ふじおのアニメキャラクターが出演しゅつえん競演きょうえんした。
放送ほうそう全編ぜんぺん実写じっしゃとアニメの合成ごうせいで、[ちゅう 82]再現さいげんしたメインセットやロケでドラえもん・のび・しずか・ジャイアン・スネおっと・ドラミのメインキャラクター6にん(アニメ)が進行しんこうやくとして出演しゅつえん藤子とうこ・F・不二雄ふじお柳沢やなぎさわ慎吾しんご生稲いくいな晃子あきこ、6にんこえてていた声優せいゆうじん(すべて実写じっしゃ)がキャラクターと競演きょうえんした。実写じっしゃ出演しゅつえんしゃ登場とうじょう退出たいしゅつは「どこでもドア」を使つか設定せっていだった。
番組ばんぐみ藤子とうこ・F・不二雄ふじおつくえからドラえもんが夜明よあけのまちへタケコプターですところからはじまり、『パーマン』・『オバケのQ太郎たろう』・『エスパー』・『チンプイ』・『21エモン』といったFアニメキャラと共演きょうえんして人気にんきのないシンエイ動画どうがのスタジオをおとずれた。その藤子とうこ・F・不二雄ふじおとドラえもんたちによる対談たいだんやドラえもんやメインキャラクターのそっくりさん(一般人いっぱんじん)を募集ぼしゅうして紹介しょうかいする「ドラがおコンテスト」(そのている一般人いっぱんじんもとへリポーターが突撃とつげきするVTR。リポーターは島崎しまざき俊郎としお広崎ひろさきうらん麻井あさいかおり)、まちひとにドラえもん・ドラミのえがかせるVTR(リポーターはピンクの電話でんわ[ちゅう 83])、1979ねんからの歴史れきしをのびとしずかが「ドラバルくん」を使つかってそらから東京とうきょう名所めいしょ比較ひかくしたり、ジャイアンとドラミが「ソラえもんごう」で横浜よこはまベイブリッジかけたのちほねかわっていたスネおっと合流ごうりゅうしてファッションや玩具おもちゃ・ゲーム・音楽おんがく機器ききなどをそのとき話題わだいきょくをBGMにかえ[47]企画きかく後半こうはんには6にんとその声優せいゆうじん対談たいだん、エンディングは帆船はんせん海星かいせいごう」の手伝てつだいを6にんがするといった内容ないようだった。
CMの前後ぜんごには芸能人げいのうじんからのメッセージVTRが放送ほうそうされた。
12月31にち 大晦日おおみそかだよ! ドラえもん』を放送ほうそう
よく1994ねん公開こうかいされる『ウメぼしデンカ 宇宙うちゅうてからパンパロパン』の宣伝せんでんねて、デンカがゲスト出演しゅつえんこえ山田やまだ栄子えいこ)。
1994ねん 4がつ1にち こん放送ほうそうぶんから文字もじ多重たじゅう放送ほうそう字幕じまく放送ほうそう)を開始かいし
テレビ朝日てれびあさひでのアニメ15周年しゅうねん記念きねんし、先述せんじゅつとおり、菊池きくち俊輔しゅんすけ作曲さっきょくによるげきちゅうのBGMのうち、だい1かい放送ほうそう「ゆめのまちノビタランド」から1981ねんごろまで使用しようされていたすうじゅう種類しゅるいおよぶうちの1つだけがこの放送ほうそう新作しんさく「ハリせんほんノマス」で久々ひさびさ復活ふっかつ使用しようされた。このBGMはサウンドトラックしゅうとうのCDには収録しゅうろくされていないBGMで、久々ひさびさ採用さいようとなったが、翌週よくしゅう以降いこう使用しようせずこのはなし最後さいごとなった。
またキャラクターデザインや色彩しきさい設定せってい、その作画さくが設定せっていなども変更へんこうされた。
1995ねん 10月6にち オウム真理教おうむしんりきょう特捜とくそう関連かんれん臨時りんじニュース配慮はいりょし、
Aパート、Bパート冒頭ぼうとうで「番組ばんぐみ中断ちゅうだんしてニュースをおつたえする場合ばあいがありますのでご了承りょうしょうください」とかれたテロップがながされたが、
ニュースが挿入そうにゅうされることなく放送ほうそうされた。
12月30にち 1980ねん以来いらい毎年まいとしつづいてきた大晦日おおみそかの3あいだ特番とくばんが30にち移動いどう番組ばんぐみタイトルも『冬休ふゆやすみだよ!ドラえもんスペシャル』に変更へんこうされた。31にちにはビートルズ特番とくばん放映ほうえいされた。
1996ねん 9月23にち 藤子とうこ・F・不二雄ふじお本名ほんみょう藤本ふじもとひろし逝去せいきょ享年きょうねん62。
9月29にち 藤子とうこ・F・不二雄ふじお逝去せいきょにより、『ザ・スーパーサンデーわく追悼ついとう特番とくばんとして『ドラえもん のび日本にっぽん誕生たんじょう』がさい放送ほうそうされた。
放送ほうそう終了しゅうりょう直後ちょくごには、生前せいぜん藤子とうこ写真しゃしんがエンドロールとしてながれた。
12月31にち 1996ねん平成へいせい8ねん)のNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせんにドラえもんが登場とうじょうどう時刻じこくテレビ朝日てれびあさひではドラえもんの大晦日おおみそかスペシャルを放送ほうそうしていた。
1997ねん 8がつ8にち サブタイトル場面ばめん次回じかい予告よこく本編ほんぺんBGMとうがリニューアルされた。しかし、菊池きくち俊輔しゅんすけ作曲さっきょくによるげきちゅうのBGMのうち1981ねんから本年ほんねん7がつまで使用しようされていたきゅう本編ほんぺんBGMはそのでもかく新作しんさくふうのウワサとり」および「わるバンド!?」(かく1999ねん放送ほうそう)でふたた使用しようされている。リニューアルまえのBGMがさい使用しようされた意図いと不明ふめい
1998ねん 1がつ 前年ぜんねん12月16にちテレビ東京てれびとうきょう系列けいれつ放送ほうそうされた『ポケットモンスター』における「ポケモンショック」の事件じけんけて、としけたこのつきからひみつ道具どうぐすシーンなどにおいてもちいられていたパカパカなどはげしい点滅てんめつ演出えんしゅつ一切いっさい使つかわなくなる。同時どうじ同年どうねん2がつ13にち以降いこうのBパートや特番とくばんでの前年ぜんねんぶんまでのさい放送ほうそうもひみつ道具どうぐすシーンではVTRを一時いちじ停止ていし、それ以外いがい点滅てんめつカットもコマとしの編集へんしゅうをするなど修正しゅうせい編集へんしゅうくわえられた。なお、現在げんざい流通りゅうつうしている映像えいぞうソフトなどでは点滅てんめつ修正しゅうせいはされずそのままであるが、衛星えいせい放送ほうそうほんさく劇場げきじょうばんさい放送ほうそうするさい再生さいせい速度そくどとしたり、残像ざんぞう処理しょりくわえて放送ほうそうしている(ガイドラインに接触せっしょくするため)。
10月11にち TV放送ほうそう&映画えいが20周年しゅうねん記念きねんした『あき一番いちばん! ドラえもん TV&映画えいが20周年しゅうねん!! スーパースペシャル』を放送ほうそう
番組ばんぐみでは『パーマン』・『オバケのQ太郎たろう』・『エスパー』・『チンプイ』・『21エモン』といった、歴代れきだい藤子とうこ・F・不二雄ふじおアニメキャラが祝福しゅくふくけ、また『ウメぼしデンカ』のデンカも5ねんりにゲスト出演しゅつえんした。
1999ねん 10月 ドラえもんが「青少年せいしょうねん番組ばんぐみ」に指定していされる。ただし、『ちびまるちゃん』にあるような表記ひょうき一切いっさいなし。
12月31にち 年末ねんまつ長時間ちょうじかん特別とくべつ番組ばんぐみ24あいだ地球ちきゅう大騒おおさわぎ!!カウントダウン2000』が放送ほうそうされる。番組ばんぐみないで『2000ねんだよ! ドラえもん』が放送ほうそうされた。
この番組ばんぐみでは、各国かっこくの2000ねんになるカウントダウンの時間じかんをドラえもんがナビゲートした。
また、21世紀せいき保存ほぞんしたいめい場面ばめんおさめるアルミ合金ごうきんせいのドラえもんタイムカプセルつくられた。これは2112ねん9月3にちける予定よていになっている。タイムカプセルはテレビ朝日てれびあさひ保管ほかんしており、2003ねん9がつ六本木ろっぽんぎヒルズへの移転いてんまでテレビ朝日てれびあさひアーク放送ほうそうセンターの玄関げんかん展示てんじされたのち六本木ろっぽんぎヒルズ社屋しゃおくのアトリウムをて、現在げんざいテレビ朝日てれびあさひ若葉台わかばだいメディアセンター展示てんじされている。
同局どうきょく長寿ちょうじゅ番組ばんぐみ徹子てつこ部屋へや』にゲストとしてドラえもんがCGではつ出演しゅつえんどう番組ばんぐみ架空かくうのキャラクターがゲスト出演しゅつえんしたのはこれがはじめて。
2000ねん 2がつ11にち ドラえもんが2度目どめの『徹子てつこ部屋へや出演しゅつえん
3月3にち このかいからモノラル放送ほうそうからステレオ放送ほうそう移行いこう[48]
6月9にち サブタイトルが変更へんこう。グリーンタイトルからピンクタイトルになる。
2001ねん 7〜8がつ 世界せかい水泳すいえい選手権せんしゅけん中継ちゅうけいによりやく1かげつあいだ放送ほうそう休止きゅうしとなる。
2002ねん 3がつ テレビ朝日てれびあさひホームページないにアニメドラえもんの公式こうしきホームページが開設かいせつされる。
7がつ13にち 「THEドラえもんてん」が大阪おおさかサントリーミュージアム天保山てんぽうざん」で開催かいさいされた。
だい好評こうひょうで、日本にっぽん各地かくちでも開催かいさいされたが2005ねん12月22にち - 2006ねんの1がつ17にち長崎ながさきけん美術館びじゅつかん県民けんみんギャラリーの展示てんじ最後さいごとなった。
10月4にち 本編ほんぺんがセル制作せいさくからデジタル制作せいさく移行いこうされフルデジタルアニメーションとなる。それにともないオープニングやエンディングもあたらしくなり、近代きんだいてき作風さくふう大幅おおはばにリニューアルがおこなわれた。
2002ねん当時とうじでは、すでにおおくの作品さくひんがデジタル制作せいさく移行いこうされており、ドラえもんのデジタル制作せいさくへの移行いこう非常ひじょうおそく、本番ほんばんぐみのデジタル制作せいさくともないセル制作せいさくのアニメは『いぬ夜叉やしゃ』(2003ねん移行いこう)と『サザエさん』(2013ねん移行いこう)をのこすのみとなるほどおそかった[ちゅう 84]
『ドラえもん』はつ完全かんぜんデジタル作品さくひんは『ミニドラレンタルちゅう映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』。
2003ねん 7がつ18にち この放送ほうそう作品さくひんよん次元じげんエレベーター(映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』に当時とうじ主題歌しゅだいかうたっていた渡辺わたなべ美里みさと出演しゅつえん
8がつ9にち 渡辺わたなべ美里みさと西武せいぶドームライブにアニメ出演しゅつえんのおれいとしてドラえもんがゲスト出演しゅつえんする。
11月21にち この放送ほうそう放映ほうえいわく現在げんざい金曜きんようよる7になってからレギュラー放送ほうそう通算つうさん1000かいむかえた
2004ねん 3月6にち 『ドラえもん』だい2さくだい1映画えいがシリーズ最終さいしゅうさくドラえもん のびのワンニャン時空じくうでん』が公開こうかい興行こうぎょう収入しゅうにゅう30.5おくえん
7がつ9にち 放送ほうそうまえ曽我そがひとみ、ジェンキンス夫妻ふさいがジャカルタで再会さいかいするニュースがはいったため、
直前ちょくぜん報道ほうどう特別とくべつ番組ばんぐみえられ、その放送ほうそう予定よていぶん翌週よくしゅう延期えんきされた。
7がつ15にち コロコロコミックにて次回じかいさく映画えいがを2006ねんはる公開こうかいすることを発表はっぴょう
10月1にち 渡辺わたなべあゆみがコンテ・演出えんしゅつ作画さくが監督かんとくさんてん同時どうじ担当たんとうした最後さいご作品さくひん『ためしにさようなら』がオンエア。
渡辺わたなべつぎさくにおいてキャラクターデザインを担当たんとうする。
10月22にち 番組ばんぐみ史上しじょうはじめてドラえもん映画えいが作品さくひんドラえもん のび銀河ぎんがちょう特急とっきゅう』を4しゅうけて放送ほうそう
11月12にち日米にちべい野球やきゅう中継ちゅうけい放送ほうそうするため、最終さいしゅうあきらは1しゅう延期えんきして11月19にち放送ほうそうされた。
10月23にち 特別とくべつ番組ばんぐみ今夜こんや公開こうかい!! だれらない ドラえもんの秘密ひみつスペシャル!』が新潟にいがたテレビ21をはじめほとんどの地域ちいき放送ほうそう開始かいしから5ふんほどで新潟にいがたけん中越なかこし地震じしん関連かんれん報道ほうどう特番とくばんえられるかたち放送ほうそう中止ちゅうしとなった。これにしたがい、この特番とくばんは2ヶ月かげつの12月18にち放送ほうそう延期えんきされた。一部いちぶ地域ちいきではこの特番とくばんさい放送ほうそうおこなわれた。
なお、この特番とくばんなか翌年よくねんおこなわれる『ドラえもんどんどんプロジェクト』の開催かいさい発表はっぴょうされた。当初とうしょ放送ほうそう後述こうじゅつする声優せいゆうじん交代こうたい発表はっぴょうよりまえだったため告知こくちではかされなかったが翌年よくねんはるのリニューアルにともなうPRをねたプロジェクトである。
11月22にち 朝日新聞あさひしんぶんいちめんにて声優せいゆうじん交代こうたい公表こうひょうされる。
このけん朝日新聞あさひしんぶん独占どくせん唐突とうとつ公表こうひょうしたため、NHKをはじめとしたほか報道ほうどう機関きかん予定よてい変更へんこうし、時間じかんいてこの話題わだい報道ほうどうした。
12月17にち 芝山しばやまつとむチーフディレクターのコンテ担当たんとう最終さいしゅうさく『のびとのびおっと映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』放送ほうそう
2005ねん 3月18にち 『ドラえもん オールキャラゆめだい集合しゅうごうスペシャル!!』をもって大山おおやまのぶ主要しゅようキャスト5にん(+12にん)とスタッフじん降板こうばん
1984ねん12月21にち放送ほうそうさい放送ほうそう作品さくひん『ハリーのしっぽ(映像えいぞうソフト収録しゅうろく)』ときゅう声優せいゆうじんによるさいアフレコけんリメイク作品さくひん『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』をもって、ほんさくのレギュラー放送ほうそう終了しゅうりょう平均へいきん視聴しちょうりつは14.0%(関東かんとう地区ちく、ビデオリサーチ調しらべ)。なお、同日どうじつ直前ちょくぜん番組ばんぐみの『スーパーJチャンネル』の特集とくしゅうコーナー(関東かんとうローカル)でもこのかいのアフレコ(同年どうねん3がつ4にち収録しゅうろく)の模様もよう密着みっちゃくした映像えいぞう大山おおやまらレギュラー5にんへのインタビュー、だい2さく2[ちゅう 85]しんキャストの紹介しょうかいとう放送ほうそうされた。
3月25にち ほんさく最終さいしゅうかいとなる『ドラえもん のびのワンニャン時空じくうでん』を放送ほうそう
大山おおやまのぶ小原おはら乃梨子のりこ映画えいがナレーターとして登場とうじょうしシリーズの最後さいご放送ほうそうえる。これをもち『ドラえもん』だい2さくだい1は26ねん歴史れきし終止符しゅうしふった。CMの前後ぜんごにはこれまでの映画えいが作品さくひんをバックに大山おおやまらレギュラー5にんから視聴しちょうしゃ最後さいご挨拶あいさつ・メッセージ(上記じょうき3がつ18にち放送ほうそうぶん収録しゅうろく撮影さつえい)がおくられ、終了しゅうりょうにはだい2さくだい2予告よこく映像えいぞう放送ほうそうされた。
3がつ下旬げじゅん だい14かい日本にっぽん映画えいが批評ひひょう大賞たいしょう田山たやまつとむしょう受賞じゅしょう
8がつ27にち シンエイ動画どうが創業そうぎょうしゃにしてほんさく監修かんしゅうがけた楠部くすべ大吉郎だいきちろう逝去せいきょ
8がつ28にち ほんさくのレギュラーキャラクター5にん声優せいゆうつとめた大山おおやまのぶ小原おはら乃梨子のりこ野村のむら道子みちこ肝付きもつき兼太かねたたてかべ和也かずやの5にん日本にほんテレビけい放送ほうそうされた24あいだテレビ 「あい地球ちきゅうすくう」出演しゅつえん
2006ねん 11月19にち 2006ねん開催かいさいされただい11かいアニメーション神戸こうべにて
大山おおやまのぶ小原おはら乃梨子のりこ野村のむら道子みちこ肝付きもつき兼太かねた、たてかべ和也かずや特別とくべつしょう受賞じゅしょう
2007ねん 3がつ 東京とうきょう国際こくさいアニメフェア2007にて
ほんさくのレギュラーキャラクター5にんこえつとめた大山おおやまのぶ小原おはら乃梨子のりこ野村のむら道子みちこ肝付きもつき兼太かねた、たてかべ和也かずやだい3かい功労賞こうろうしょう受賞じゅしょう
2009ねん 11月18にち テレビアニメ『ドラえもん』の放送ほうそう開始かいし30周年しゅうねん記念きねんして、1979ねん4がつ2にちから1980ねん3がつ31にちまでに放送ほうそうされたぜん309作品さくひん収録しゅうろくした
テレビ朝日てれびあさひ限定げんてい生産せいさんDVDBOX『DORAEMON TIME MACHINE BOX 1979』が発売はつばい
このDVDBOXにはパイロットフィルムの『勉強べんきょうべやのつりぼり』と1980ねん正月しょうがつスペシャルに放送ほうそうされた『未来みらいくにからはるばると』も特典とくてん映像えいぞうとして収録しゅうろくされている。
ぼう げきとも担当たんとうした菊池きくち俊輔しゅんすけが『ドラえもんBGM』でJASRACしょう日本にっぽん国外こくがいからの著作ちょさくぶつ利用りようりょう収入しゅうにゅうもっとおお作品さくひんあたえられる国際こくさいしょう受賞じゅしょう。2012ねんにも再度さいど受賞じゅしょう
2010ねん 3月19にち 『ありがとう!30周年しゅうねん 今夜こんやかぎりのはるのドラえもんさいない地域ちいき限定げんていだった10ふんたい番組ばんぐみ時代じだいのシリーズだい1「ゆめのまちノビタランド」をはつ全国ぜんこく放送ほうそう
新作しんさくではないが5ねんぶりにほんさく作品さくひん放送ほうそうされた。
12月13にち けん本新ほんしんわれわり1991ねんからかみしげるさんやくつとめた渡部わたなべたけし逝去せいきょ
2012ねん 6月27にち みねあつわり1986ねんからおばあちゃんやくつとめた高村たかむら章子あきこ逝去せいきょ
2014ねん 5月 CSテレ朝てれあさチャンネル1現在げんざいテレ朝てれあさチャンネル2)にて『TVアニメ35周年しゅうねん記念きねん・ドラえもん名作めいさくコレクション』とだいしただい1からはなしすうじゅんでの一挙いっきょ放送ほうそう実施じっし。30ふんわくで、オープニングは1981ねん9がつ27にちまで放送ほうそうしていた日曜にちようわくと、1981ねん10がつ2にちからの金曜きんようわくかれ、クレジットもさいちされている。
8がつ8にち 映画えいがSTAND BY ME ドラえもん公開こうかい記念きねんとしてCSテレ朝てれあさチャンネルにておこなわれた傑作けっさくせん放送ほうそうで、地上波ちじょうは放送ほうそう終了しゅうりょう以来いらいはじめてピンクタイトル作品さくひんさい放送ほうそうおこなわれる。
11月5にち 岡安おかやすプロモーション2代目だいめ編集へんしゅう技師ぎし岡安おかやすはじめ逝去せいきょ
12月18にち AUDIO PLANNING U創業そうぎょうしゃにしてほんさく音響おんきょう監督かんとく浦上うらかみ靖夫やすお逝去せいきょ
2015ねん 2がつ14にち 「ドラえもん映画えいがさい2015」に小原おはら乃梨子のりこ野村のむら道子みちこがサプライズゲストとして出演しゅつえんだい2さくだい2のキャスト(水田すいでんわさび大原おおはらめぐみ)と共演きょうえんたした。大山おおやま欠席けっせきしたが手紙てがみせており小原おはら代読だいどくした。
6月18にち ジャイアンやくつとめたたてかべ和也かずや逝去せいきょ作品さくひん終了しゅうりょうから11ねんにしてほんさくのメインキャストで一人ひとり逝去せいきょしゃとなった。翌日よくじつ放送ほうそうされた『ドラえもん』では追悼ついとうテロップがながれた[49]
11月25にち すぎ英才えいさいやくつとめた白川しらかわ澄子すみこ逝去せいきょ。2にち放送ほうそうされた『ドラえもん』ではたてかべのとき同様どうよう追悼ついとうテロップがながれた。
12月13にち NHK・BSプレミアムにて、大山おおやまのぶほんさくあゆんだ26年間ねんかんえがいたドラマ『ドラえもん、ははになる〜大山おおやまのぶ物語ものがたり』をオンエア。主演しゅえん大山おおやまのぶ)は鈴木すずき砂羽さわつとめ、ナレーターには小原おはら乃梨子のりこ起用きようされた。あわせて新規しんきのインタビュー映像えいぞう放送ほうそうされ、小原おはらほか野村のむら道子みちこ肝付きもつき兼太かねた、そしてほんさくのプロデューサーをつとめた別紙べっし壮一そういち出演しゅつえんした。
2016ねん 10がつ20日はつか スネ夫役ぶやくつとめた肝付きもつき兼太かねた逝去せいきょ[50]。8にち放送ほうそうされた『ドラえもん』ではたてかべ、白川しらかわとき同様どうよう追悼ついとうテロップがながれた[51]
2019ねん 4がつ CSテレ朝てれあさチャンネル2にて、『ドラえもん名作めいさくコレクション』としてCSはつ放送ほうそうエピソードを放送ほうそうしていたわくり。
2020ねん 6月24にち CSテレ朝てれあさチャンネル2にて、『ドラえもん名作めいさくコレクション』としてCSはつ放送ほうそうエピソードを放送ほうそう再開さいかい現在げんざい毎週まいしゅう水曜すいようよる930ふんから2連続れんぞく放送ほうそうちゅう
2021ねん 4がつ24にち げきとも担当たんとうした菊池きくち俊輔しゅんすけ逝去せいきょ[52][53][54]。5月1にち放送ほうそうされた『ドラえもん』では追悼ついとうテロップがながれた。
10月29にち セワシやくつとめた太田おおた淑子としこ逝去せいきょ
2022ねん 11月5にち このかい放送ほうそうされた「ななころびてんとうちゅう」より、だい2さく2のスタッフ・キャストじんによるほんさくのアニメオリジナルエピソードのリメイク作品さくひん不定期ふていき放送ほうそうされるようになった。該当がいとうはなし脚本きゃくほんコンテは当時とうじおなじスタッフが表記ひょうきされている。
2023ねん 10がつ20日はつか 加藤かとう正之まさゆきわり1992ねん10がつからのび助役じょやくつとめた中庸ちゅうようすけ逝去せいきょ
2024ねん 7がつ12にち のびやくつとめた小原おはら乃梨子のりこ逝去せいきょ。7月27にち放送ほうそうされた『ドラえもん』では、番組ばんぐみ最後さいご小原おはらえんじるのび映像えいぞうとも追悼ついとうテロップをえて放送ほうそうした[55]
9月29にち ドラえもんやくつとめた大山おおやまのぶ逝去せいきょ。10月12にち放送ほうそうされた『ドラえもん』ではミニコーナー放送ほうそう大山おおやまえんじるドラえもんの映像えいぞうをバックに追悼ついとうメッセージがげられたのちめい場面ばめんしゅう放送ほうそうされた[56]。これにともな急遽きゅうきょBパートでさい放送ほうそうされるはなし内容ないよう変更へんこうされた。

作品さくひんリスト

こえ出演しゅつえん

メインレギュラーキャラクター

メインキャラクターの声優せいゆう5めいは、いずれも1979ねん4がつ2にち『ゆめのまちノビタランド』[ちゅう 86]から2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』まで、一貫いっかんして担当たんとう個々ここ体調たいちょう不良ふりょうなどによる、休演きゅうえんのぞく)。

じゅんレギュラーキャラクター

  • ドラミ - よこざわけい[ちゅう 87](1980ねん4がつ8にち『おまたせドラミちゃんはつ登場とうじょう! のび海底かいていハイキング』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • 野比のび玉子たまこ(のびのママ) - 千々松ちぢまつ幸子さちこ(1979ねん4がつ2にち『ゆめのまちノビタランド』[ちゅう 88] - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • 野比のびのびすけ(のびのパパ) - 加藤かとう正之まさゆき(1979ねん4がつ3にち変身へんしんビスケット』 - 1992ねん10がつ2にち『あべこべのほし』)→中庸ちゅうようすけ(1992ねん10がつ23にち『シャワーでかくれんぼ』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • おばあちゃん - みねあつ(1979ねん5がつ21にち『おばあちゃんのおもいで(まえ)』 - 1979ねん10がつ23にちゆめまくらのおじいさん』)→高村たかむら章子あきこ(1986ねん1がつ3にち『おばあちゃんだいすき』 - 2004ねん8がつ13にち『のび家出いえで』)
  • ノビスケ - 小原おはら乃梨子のりこ(1979ねん4がつ7にち『のびのおよめさん』 - 1987ねん12月25にち『タイムワープリール』)
  • セワシ - 太田おおた淑子としこ(1979ねん12がつ20日はつかひゃくねんのフロク』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • ミニドラ - 北川きたがわ智絵ともえ(1990ねん4がつ6にち『ドラえもんの健康けんこう診断しんだん』)→佐久間さくまレイ(1994ねん3がつ11にち『ミニドラ救助きゅうじょたい』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • しずかのママ - 横沢よこざわ啓子けいこ(1979ねん4がつ4にち『テストにアンキパン』 - 1981ねん4がつ27にち『バランスちゅうしゃ』)→松原まつばら雅子まさこ(1981ねん6がつ22にち『しずかちゃんさようなら』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • ジャイ - 太田おおた淑子としこ(1979ねん4がつ13にち『のろいのカメラ』)→青木あおき和代かずよ(1980ねん1がつ2にち『ドラえもんのびっくりぜん百科ひゃっか』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • ジャイアンのかあちゃん - 青木あおき和代かずよ(1979ねん4がつ17にち正義せいぎのみかたセルフ仮面かめん』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • スネおっとのママ - おおとり芳野よしの[ちゅう 89](1979ねん4がつ19にち『ママをとりかえっこ』 - 1991ねん3がつ8にち船舶せんぱくびんづめざい』)→横尾よこおまり[ちゅう 90](1991ねん4がつ19にち『ハマグリパック』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • スネきち - 井上いのうえ和彦かずひこ(1979ねん6がつ15にち『ラジコンだい海戦かいせん』)→二又ふたまた一成いっせい(1984ねん6がつ8にちちょうリアル・ジオラマ作戦さくせん』 – 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』[ちゅう 91]
  • すぎ英才えいさい - 白川しらかわ澄子すみこ(1980ねん4がつ4にち税金ぜいきんとり』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • 先生せんせい - さわりつお(1979ねん4がつ4にち『テストにアンキパン』 - )→加藤かとうおさむ井上いのうえ和彦かずひこ( - 1981ねん9がつ9にち本人ほんにんビデオ』)→田中たなか亮一りょういち(1981ねん10がつ2にち『ドラえもんだいきらい!?』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • かみしげるさん - 田中たなかたかし野本のもと礼三れいぞうけんもと新吾しんご(1982ねん4がつ2にち怪物かいぶつくんぼうし』 - 1990ねん9がつ14にち町内ちょうない突破とっぱだい作戦さくせん』)→渡部わたなべたけし(1991ねん3がつ22にち『チリつもらせ』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)
  • ミイちゃん - 真柴ましば摩利まり(1993ねん2がつ)→あさ順子じゅんこ(1993ねん4がつ)→渡辺わたなべ久美子くみこ(1994ねん5がつ - 1995ねん8がつ)→中沢なかざわみどり(1995ねん11月 - 1996ねん10がつ18にち『ミイちゃんが行方ゆくえ不明ふめい』)→くまいもとこ(1997ねん12月5にちよん次元じげんキャッチャー』)→松本まつもとさち(1998ねん5がつ15にち自分じぶんだけまわ時計とけい』 - 2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』)、瀧本たきもと富士子ふじこ(1998ねん12月18にち『サンタバッグでクリスマス』)

スタッフ

メインスタッフ

かくはなしスタッフ(五十音ごじゅうおんじゅん)

音楽おんがく

オープニングテーマ

特記とっきなきものは1ばん使用しよう

曲名きょくめい 歌手かしゅ 使用しよう開始かいしばなし 使用しよう開始かいし 最終さいしゅう使用しようばなし 最終さいしゅう使用しよう 備考びこう
1 ドラえもんのうた 大杉おおすぎ久美子くみこ 0001 1979ねん4がつ2にち 0156 1979ねん9がつ29にち 10ふんわくおび番組ばんぐみばんでは日曜にちようばんより前後ぜんごすうびょうずつがカットされている。
スタッフクレジットはとはことなりひらがな表記ひょうき
- 1979ねん4がつ8にち - 1981ねん9がつ27にち 日曜にちようわく
2 ぼくドラえもん 大山おおやまのぶこおろぎ'73 0157 1979ねん10がつ1にち 0617 1981ねん9がつ23にち 10ふんわく正月しょうがつ特番とくばんのオープニングに使つかわれたためこの3日間にちかんのみは放映ほうえいエリア全域ぜんいきけた。1987ねんの『パオパオチャンネル』ないでのさい放送ほうそう、ならびにスペシャルでの「のびゆめきんメダル」のさい放送ほうそうでは冒頭ぼうとうの「藤子とうこ不二雄ふじお劇場げきじょう」の表示ひょうじとイントロを一部いちぶカットし、テロップをなおしたものが放送ほうそうされた。
(1) ドラえもんのうた 大杉おおすぎ久美子くみこ 0618 1981ねん10がつ2にち 1199 1992ねん10がつ2にち 映像えいぞうとスタッフロールの書体しょたい変更へんこう映像えいぞうは1984ねん4がつ6にちにも変更へんこう
3 山野やまのさと 1200 1992ねん10がつ9にち 1681 2002ねん9がつ20日はつか 1995ねん4がつ14にち映像えいぞうとスタッフロールの書体しょたい変更へんこう
4 東京とうきょうプリン 1682 2002ねん10がつ4にち 1705 2003ねん4がつ11にち 2002ねん12がつまでは3ばん
翌年よくねん1がつからは1ばん使つかい、スタッフロールの書体しょたい変更へんこう
オープニングをうたっているのはだれだというクイズを実施じっししていたため、
正体しょうたい発表はっぴょうされるまでは「○○プ○○」と表示ひょうじされていた。
2020ねん現在げんざい、オープニングのしゃくが50びょうとなっており、比較的ひかくてきみじかいオープニングである。
5 渡辺わたなべ美里みさと 1706 2003ねん4がつ18にち 1752 2004ねん4がつ23にち
6 AJI 1753 2004ねん4がつ30にち 1787 2005ねん3がつ11にち[ちゅう 95]

「ぼくドラえもん」は10ふんわくでのみ使つかわれており、全国ぜんこく放送ほうそうの30ふんわく着目ちゃくもくした場合ばあい一貫いっかんして「ドラえもんのうた」が使つかわれていた。

エンディングテーマ

初期しょきの10ふんたいわくにはエンディングがなく、最初さいしょのエンディングは日曜にちようわくのものである。

また、エンディングテーマの情報じょうほうは2002ねん9がつまではオープニングテーマないにてオープニングの情報じょうほうとまとめてクレジットされていたが、同年どうねん10がつ以降いこうはエンディングテーマにクレジットされるようになった。

曲名きょくめい 歌手かしゅ 使用しよう開始かいしばなし 使用しよう開始かいし 最終さいしゅう使用しようばなし 最終さいしゅう使用しよう 備考びこう
あおそらはポケットさ 大杉おおすぎ久美子くみこ 01 1979ねん4がつ8にち 0617 1981ねん9がつ27にち 日曜にちようわく映像えいぞうは2種類しゅるいある。
映画えいがドラえもん ぼく、桃太郎ももたろうのなんなのさ』でも使用しようされた。
1 まるかおのうた 大山おおやまのぶ 0618 1981ねん10がつ2にち 0737 1983ねん11月11にち レンタル映像えいぞうソフトに収録しゅうろくされているため、比較的ひかくてき容易ようい視聴しちょうできる。
2 サンタクロースはどこのひと 0738 1983ねん11月18にち 0743 1983ねん12月23にち 正式せいしきなEDとしてはもっと使用しよう期間きかんみじかい。
(1) まるかおのうた 0744 1983ねん12月30にち 0757 1984ねん3がつ30にち
3 ぼくたち地球人ちきゅうじん 堀江ほりえ美都子みつこ 0758 1984ねん4がつ6にち 0971 1988ねん4がつ8にち 途中とちゅうから映像えいぞう追加ついかされている[ちゅう 96]
1986ねん作画さくが変更へんこうやく2ねんほどきゅう作画さくがのまま使つかわれた。
4 青空あおぞらっていいな 0972 1988ねん4がつ15にち 1199 1992ねん10がつ2にち レコードばんよりもおとのピッチがたかくなっている。
制作せいさくクレジットが旭通信社あさひつうしんしゃからASATSUに変更へんこうされた。
5 あしたも♥ともだち にしわきゆい 1200 1992ねん10がつ9にち 1346 1995ねん4がつ7にち スタッフロールの書体しょたい変更へんこうされた。
6 ぼくドラえもん2112 大山おおやまのぶ、こおろぎ'73 1347 1995ねん4がつ14にち 1681 2002ねん9がつ20日はつか 10ふんわくオープニング「ぼくドラえもん」のべつアレンジ。
リニューアルまえではもっとなが使つかわれたEDである。

1996ねん11月1にち以降いこうからはテレビ朝日てれびあさひのシンボルマーク(ネットワークシンボル)がつけられた。

7 またあえるまで ゆず 1682 2002ねん10がつ4にち 1705 2003ねん4がつ11にち 2002ねん11月15にち映像えいぞう変更へんこう
映画えいがドラえもん のびとふしぎふう使つか』でも使用しようされた。
8 タンポポの THE ALFEE 1706 2003ねん4がつ18にち 1729 2003ねん10がつ3にち
9 YUME日和びより 島谷しまたにひとみ 1730 2003ねん10がつ10日とおか 1757 2004ねん5がつ28にち 映画えいがドラえもん のびのワンニャン時空じくうでん』でも使用しようされた。
10 あぁ いいな! ωおめが(ダブルユー) 1758 2004ねん6がつ4にち 1787 2005ねん3がつ18にち

「あしたも♥ともだち」までは基本きほんてきに3、4ねん周期しゅうき(1983ねんクリスマスぜん限定げんていの「サンタクロースはどこのひと」をのぞく)で、「ぼくドラえもん2112」は7ねんはん使用しようと、20世紀せいきはエンディングテーマをかなり長期ちょうきサイクルで使つかってきたが、「またあえるまで」以降いこうタイアップいろつよきょく半年はんとしごとにわっていた。このほか、映画えいが宣伝せんでんのため一時いちじてきにエンディングが変更へんこうされた時期じきがある。

曲名きょくめい 歌手かしゅ 使用しよう 使用しよう映画えいが
あおそらはポケットさ 山野やまのさと - かえってきたドラえもん
どき旅人たびびと 西田にしだ敏行としゆき 1989ねん2がつ3にち – 1989ねん2がつ17にち 日本にっぽん誕生たんじょう
ぶしがいくとき SPEED 1999ねん3がつ26にち 宇宙うちゅう漂流ひょうりゅう
このほしのどこかで 由紀ゆきさおり 安田やすだ祥子さちこ 2000ねん3がつ10日とおか、2000ねん3がつ24にち、2000ねん4がつ7にち 太陽たいようおう伝説でんせつ
Love you close 知念ちねん里奈りな 2001ねん3がつ16にち – 2001ねん4がつ13にち つばさ勇者ゆうしゃたち
いっしょにあるこう 〜Walking into sunshine〜 KONISHIKI 2002ねん2がつ22にち ロボット王国おうこく
ひとりじゃない 〜I'll Be There〜 KONISHIKI with 新山にいやま千春ちはる 2002ねん3がつ1にち

1996ねんごろまでは毎年まいとし2がつ - 3がつにかけてエンディングテーマ新作しんさく映画えいが公開こうかいのおらせがはいるため、エンディングテーマもショートバージョンでの放送ほうそうとなっていた。

日曜にちようわく挿入歌そうにゅうか

日曜にちようわくで、本編ほんぺん終了しゅうりょう直後ちょくごながれていたうた。そのあとCMはさんでエンディング「あおそらはポケットさ」がながれていた。 テレビ朝日てれびあさひでは「推理すいりクイズ・マゴベエ探偵たんていだん」(名古屋なごやテレビ制作せいさく)の途中とちゅう日曜日にちようびあさ655ふんからもながれていた。[よう出典しゅってん] VHS・DVDの「TVばんドラえもん」ではエンディングまえのおまけ映像えいぞうとして収録しゅうろく。 CSのテレ朝てれあさチャンネル1(現在げんざいテレ朝てれあさチャンネル2)の『ドラえもん名作めいさくコレクション』ないでもながれている。

  1. ドラえもん・えかきうた うた - 大山おおやまのぶ
  2. ドラえもん音頭おんど - 大山おおやまのぶ、こおろぎ'73(映像えいぞうはドラえもんが一人ひとりおど初期しょきばんと、のびとしずかがおどしん振付ふりつけ後期こうきばんがある)
  3. ドラミちゃんのえかきうた - 横沢よこざわ啓子けいこ

ドラえもん、ドラミちゃんのえかきうたはのち水田すいでんわさび千秋せんしゅうがカバーしている。

挿入歌そうにゅうか・キャラクターソング

曲名きょくめい 作詞さくし 作曲さっきょく編曲へんきょく うた 備考びこう
ワンパクさん人組にんぐみ ばばすすむ 菊池きくち俊輔しゅんすけ 小原おはら乃梨子のりこ/肝付きもつき兼太かねた/たてかべ和也かずや BGMよう編曲へんきょくされ本編ほんぺんにて多用たよう
ドラドラどこかにドラえもん 喜多きたじょうただし 大杉おおすぎ久美子くみこ
ドラえもんのゆめ ばばすすむ
ドラえもんマーチ 若林わかばやし一郎いちろう こおろぎ'73/コロムビアゆりかごかい
ドラえもんかぞえうた ばばすすむ 大山おおやまのぶ/こおろぎ'73 1980ねん1がつ2にち放送ほうそう『ドラえもんのびっくりぜん百科ひゃっかない原曲げんきょく使用しよう
おれはジャイアンさまだ! たてかべ和也かずや たてかべ和也かずや 原曲げんきょくでの使用しようはもとより、たてかべがアカペラでうたうことがおおい。
のんきなのびくん ばばすすむ 小原おはら乃梨子のりこ BGMよう編曲へんきょくされ本編ほんぺんにて多用たよう
しずかちゃんのうた ばばすすむ かおりくみこ
スネおっとのうた 肝付きもつき兼太かねた 肝付きもつき兼太かねた 1997ねん9がつ26にち放送ほうそうなんでもなるセット』ないでスネおっとがアカペラで歌唱かしょう
ぽかぽかふわふわ 高田たかだひろお 大杉おおすぎ久美子くみこ
ドラえもんしりとりうた ばばすすむ こおろぎ'73
いいやつなんだよドラえもん 楠部くすべこう 大杉おおすぎ久美子くみこ
ドラえもんじゃあニィ 喜多きたじょうただし 大山おおやまのぶ
すてきないち週間しゅうかん 楠部くすべこう こおろぎ'73
あした・あさって・しあさって 高田たかだひろお 小原おはら乃梨子のりこ/もり児童じどう合唱がっしょうだん BGMよう編曲へんきょくされ本編ほんぺんにて使用しよう
ドラえもんにゅうイヤー 喜多きたじょうただし 大山おおやまのぶ
ドラえもん子守こもりうた 藤子とうこ不二雄ふじお 大杉おおすぎ久美子くみこ
浪曲ろうきょくドラえもん 小谷おたになつ 大山おおやまのぶ
ゾウさんのひとみはなぜあお 喜多きたじょうただし 大杉おおすぎ久美子くみこ 1980ねん1がつ3にち放送ほうそう『ゾウとおじさん』ない原曲げんきょく使用しよう
ドラえもんのクリスマス ばばすすむ 菊池きくち俊輔しゅんすけ青木あおきのぞむ 大山おおやまのぶ
ぽけっとポッポッポー 山本やまもと正之まさゆき 山本やまもと正之まさゆき こおろぎ'73
うきうきタイムトラベル 山本やまもと正之まさゆき 山本やまもと正之まさゆき神保じんぼ正明まさあき
ゆめ 山崎やまざきハコ 1981ねん1がつ2にち放送ほうそう精霊せいれいよびだしうでわ』ない原曲げんきょく使用しよう
ふうのマジカル 湯川ゆかわれい NOBODY 小泉こいずみ今日子きょうこ 劇場げきじょうばんだい5さく主題歌しゅだいか
1984ねん4がつ6にち放送ほうそう『さらばキーぼうない原曲げんきょく使用しよう
どき旅人たびびと 武田たけだ鉄矢てつや 堀内ほりうち孝雄たかお若草わかくさめぐみ 西田にしだ敏行としゆき 劇場げきじょうばんだい10さく主題歌しゅだいか
1994ねん9がつ30にち放送ほうそうぎゃく成長せいちょうグラス』ない原曲げんきょく使用しよう
少年しょうねん こう康夫やすお 武田たけだ鉄矢てつや 劇場げきじょうばんだい6さく主題歌しゅだいか
2004ねん10がつ1にち放送ほうそう『ためしにさようなら』ない原曲げんきょく使用しよう

その

  • もり小人こども - 1984ねん8がつ10日とおか放送ほうそう『ドンジャラむらのホイ』にて。ドンジャラむらのテーマソングに使つかわれた。
  • 北国きたぐにはる - 1987ねん3がつ27にち放送ほうそう真夜中まよなかのお花見はなみ』にて。のびのパパ→ママ→ジャイアン→スネおっとじゅんうたった。

キャラクターデザイン

キャラクターデザインの変遷へんせん

いち.だいいち作画さくが

ほんさく放送ほうそうやく26年間ねんかんつづいたので調ちょう時間じかんともすこしずつわってきた。しかしなかにはスタッフたちが意図いとてきにキャラクターデザインを変更へんこうしたことがなんかいかある。おおきくけてけい3かいおこなわれている。

キャラクターデザインは中村なかむら英一ひでかずによりおこなわれた。本人ほんにん自覚じかくしているがあまり原作げんさくていない[58]本人ほんにんいわく「アニメようのキャラデザインをするにあたって大変たいへんなやんだ。なにとか原作げんさくせようと努力どりょくしたがやはり自分じぶんになってしまい力不足ちからぶそく痛感つうかんした」とのことである[59] が、キャラクターデザインはもとよりへの影響えいきょう作画さくが監督かんとくしゃによる影響えいきょうほうおおきい。作画さくが監督かんとくしゃによりおおきくことなる。だが基本きほんはキャラクターデザインしゃおよびそう作画さくが監督かんとくつとめる中村なかむら英一ひでかず指導しどうのもとに確立かくりつされるためおおきくことなるといってもそのキャラクターがだれだかからなくなるということはまずいが作画さくが品質ひんしついちじるしくひくもの作画さくが崩壊ほうかいこしている作品さくひんおび番組ばんぐみ時代じだいにはすうほんあった。

(1) 1979ねん4がつ2にち『ゆめのまちノビタランド』〜1981ねん9がつ27にち『やどり
  • 放送ほうそう開始かいしからのやく2年間ねんかん月曜げつよう - 土曜どようおび番組ばんぐみとして放送ほうそうされていた期間きかんである。このアニメシリーズでは一番いちばん作画さくが一定いっていしていない時期じき先述せんじゅつのように作画さくが監督かんとくしゃによりキャラクターデザインがおおきくことなる。これはおびわくでの放送ほうそうだったため作画さくが統一とういつ難儀なんぎことであったとプロデューサーの別紙べっし後日ごじつかたっており、作画さくが崩壊ほうかいこしているかいはVHSには収録しゅうろくされず『タイムマシンBOX』まで収録しゅうろく見送みおくられていた[60]
  • この時期じきでの特徴とくちょうは、作画さくが監督かんとくしゃによる作品さくひん影響えいきょうするデザインのばらつきが顕著けんちょられるてんである。そのため、だい2さく1中期ちゅうき以降いこうくらべて作画さくががかなりちがう。たとえば、本多ほんだ敏行としゆき作画さくが監督かんとくだった場合ばあい、スネおっと眉毛まゆげがつながっていたりすることがかりやすいれいである。放送ほうそうだい1『ゆめのまちノビタランド』がおおさい放送ほうそうされたが、この作品さくひん作画さくが監督かんとくしゃ椛島かばしま義夫よしおだったため中村なかむら英一ひでかず設定せっていした原画げんがとはまたおおきくことなっていた。また、一人ひとり原画げんがかいすくなくない[ちゅう 97]
  • 放送ほうそう藤子とうこから『原作げんさくてない』、『キャラクターのかみ均等きんとうじゃない』などの苦情くじょうてしまったため体制たいせい安定あんていしてきた放送ほうそう2ねんからはスタートのキャラクターひょうなおされ、当初とうしょAプロふう作画さくがからシンエイ動画どうが独自どくじづくりにあらためられた[61]
(2) 1981ねん10がつ2にち『ドラえもんだいきらい!?』〜1985ねん8がつ16にち放送ほうそうぶん山寺やまでらのユーレイ騒動そうどう』から1985ねん9がつ20日はつかにかけて[ちゅう 98]
  • テレビアニメばん先駆さきがけ、本格ほんかく採用さいよう半年はんとしまえとなる1981ねん3がつ公開こうかい劇場げきじょうばんドラえもん のび宇宙うちゅう開拓かいたくよりはつ採用さいよう
  • 作画さくがから動画どうがおよぶまで既存きそんデザイン設定せってい忠実ちゅうじつ制作せいさくされるようになる。それにともな作画さくが設定せってい色彩しきさい設定せっていにもくわえられた[ちゅう 99]。またキャラクターデザインの変更へんこうとも脚本きゃくほん設定せっていいえ間取まど設定せっていなども多少たしょう変更へんこうされる。
  • このあいだ作画さくが監督かんとくしゃはほとんど中村なかむら英一ひでかずしぼられ、作画さくががほぼ一定いっていとなりたいわくのアバウトなさく調ちょう大幅おおはば改善かいぜんされる。
(3) 1985ねん8がつ16にち放送ほうそうぶん浦島うらしま事件じけんのなぞに挑戦ちょうせん』から1985ねん9がつ27にち『しゅっちょうこう』にかけての作画さくが変更へんこう〜2005ねん3がつ18にち『ドラえもんに休日きゅうじつを?!』
  • 原作げんさくしゃ藤子とうこ監修かんしゅうわせての大掛おおがかりな作画さくが設定せってい変更へんこうでは最後さいご作画さくが設定せってい変更へんこう。ドラえもんのヒゲがあお部分ぶぶんへはみさずしろ部分ぶぶんでおさまるようになる。またこのころからのびやしずかの身長しんちょうじゃく少々しょうしょうおおきくなる。これにはのびたちの学年がくねんがこのころ小学しょうがく5年生ねんせい確定かくていされたことに起因きいんする。
  • 1988ねんごろから徐々じょじょ作画さくが監督かんとくしゃやしていき、1991ねんからは渡辺わたなべあゆみ作画さくが監督かんとくデビューした。2002ねん後期こうきごろデジタルアニメわってからはだい2さくだい2作画さくがおこなった。当時とうじ視聴しちょうしゃからると渡辺わたなべあゆみ作画さくがはそうとう特徴とくちょうてきにうつり[ちゅう 100] 一部いちぶのファンから反感はんかんをかってしまった[62]。しかし通常つうじょうよりキャラクターのおおきくなりすこ可愛かわいらしくなっている。金子かねこ志津枝しづえはこれに作画さくがおこなう。

.だい作画さくが

おも作画さくが監督かんとくしゃ

中村なかむら英一ひでかず

  • このシリーズのキャラクターデザインおよそう作画さくが監督かんとく担当たんとうしたアニメーター。いまさくのパイロットフィルム『勉強べんきょう部屋へやのつりぼり』の作画さくが監督かんとくつとめた。
  • 『ドラえもん』がなにかしらで商品しょうひんされたときにその商品しょうひんにプリントされるドラえもんのほとんどは中村なかむら英一ひでかずえがいたドラえもんがプリントされている。ほんさくのドラえもんといえばというとき提示ていじされるドラえもんは中村なかむら英一ひでかずえがいたドラえもんであることがおお[63]
  • 本人ほんにん一番いちばん印象いんしょうのこっている作品さくひんは1979ねん4がつ10日とおか放送ほうそうされた『恐竜きょうりゅうハンター』。中村なかむらいわく「自分じぶん一人ひとり原画げんがすべえがいたので、つよ印象いんしょうのこっています。わたし自身じしん恐竜きょうりゅう大好だいすきで、このはなし演出えんしゅつ仕事しごと仲間なかま竹内たけうち啓雄ひろおだったこともあり、わすれられない作品さくひんです」とのこと[64]
  • だい2さくだい2ではかくはなしスタッフとして作画さくが監督かんとく担当たんとう。2007ねん富永とみなが貞義さだよしとも番組ばんぐみ降板こうばんした。

富永とみなが貞義さだよし

  • 映画えいがシリーズのほとんどの作品さくひんそう作画さくが監督かんとく担当たんとうしたアニメーター。映画えいがだい2さくのび宇宙うちゅう開拓かいたく』にて映画えいが作品さくひんはつ作画さくが監督かんとく担当たんとう。そこから22年間ねんかん、『のびとロボット王国おうこく』まで作画さくが監督かんとく後期こうきではそう作画さくが監督かんとく)をまっとうし、映画えいがドラえもんならではの雰囲気ふんいきつくげた。
  • 渡辺わたなべあゆみいで作画さくが監督かんとくをした作品さくひんすうおおい(劇場げきじょうよう作品さくひんふくめて)。
  • 自身じしんにとって藤子とうこ・F・不二雄ふじお先生せんせい存在そんざいとはという質問しつもんたいし「わたしゆめおおくを実現じつげんしてくださったほう人生じんせい目標もくひょうです」とかたっている[64]
  • だい2さくだい2でも渡辺わたなべあゆみともにキャラクターデザインを担当たんとうした。2007ねん中村なかむら英一ひでかずとも番組ばんぐみ降板こうばんした(のちに復帰ふっき)。

渡辺わたなべあゆみ

  • 1991ねんから作画さくが監督かんとくデビュー。渡辺わたなべあゆみ作画さくが監督かんとくした作品さくひんのドラえもんたちはおおきさが比率ひりつてきおおきく非常ひじょうあいらしくえがかれおおくのファンを獲得かくとくだい2さくだい2では富永とみなが貞義さだよしともにキャラクターデザインをがけた。
  • 1990ねん公開こうかいの『のびとアニマル惑星わくせい』にて作画さくが監督かんとく補佐ほさつとめた。
  • いまさくにおいては作画さくが監督かんとくだけではなくコンテ・演出えんしゅつ映画えいがによっては監督かんとくつとめた。コンテデビューは1996ねん5がつ17にち放送ほうそうされた『おしゃべり切手きって』。演出えんしゅつデビューは1997ねん10がつ18にち放送ほうそうの『ミイちゃんが行方ゆくえ不明ふめい』である。
  • 自分じぶんにとって藤子とうこ・F・不二雄ふじお先生せんせい存在そんざいとはという質問しつもんたいし「一番いちばん最初さいしょきになった漫画まんがで、やっぱり一番いちばんきな漫画まんが。「ドラえもん」はわたしすべてのみなもとです」とかたっている[64]
  • 2003ねん公開こうかいの『のびとふしぎふう使つか』ではじめて劇場げきじょうよう作品さくひんそう作画さくが監督かんとく任命にんめいされる。翌年よくねん公開こうかいの『のびのワンニャン時空じくうでん』では演出えんしゅつ担当たんとうした。

本多ほんだ敏行としゆき

椛島かばしま義夫よしお

  • だい1『ゆめのまちノビタランド』の作画さくが監督かんとくおこなう。
  • 短期間たんきかんではあったが放送ほうそう開始かいししてからのやく3ヵ月かげつあいだ作画さくが監督かんとくすう非常ひじょうおおかった。
  • 劇場げきじょうばんだい2さくのび宇宙うちゅう開拓かいたく』とだい3さくのびだい魔境まきょう』のレイアウト(コンテ)を担当たんとうする。

原作げんさく比較ひかくしたほんさく特徴とくちょう

のびいえ原作げんさくもの形状けいじょうおおきくことなる[65]外見がいけんじょう原作げんさくいえよりだい1さくおな木造もくぞうであるてん同一どういつであり、まど、その形状けいじょうなどはいずれのものともことなる。美術びじゅつ設定せっていだい1さくつづ担当たんとうした川本かわもとただしたいらは、戦後せんご区営くえい住宅じゅうたくをイメージして設定せっていしたとかたっており、にわ設置せっちされたバーゴラや、タテはめいた外壁がいへきかわらぼう屋根やねちゅう廊下ろうかしきなどのつくりがそのことを特徴とくちょうづけるデザインとなっている[66]

当時とうじ原作げんさくで「タケコプター」と「ヘリトンボ」の名称めいしょうはいじっていた。番組ばんぐみスタッフの別紙べっし壮一そういちがそれらをタケコプターに統一とういつし、それを原作げんさくがわぎゃく輸入ゆにゅう原作げんさくでも名称めいしょうがタケコプターに統一とういつされた[67]

1980ねん4がつ特番とくばんからドラミは登場とうじょうするが、作者さくしゃ意向いこうガチャ登場とうじょうしない。おびわくにガチャ登場とうじょうする原作げんさくすう作品さくひんアニメされているが、いずれにおいてもおなじである。

しずかのニックネームは原作げんさくでは「しずちゃん」だが、アニメばんではほぼ「しずかちゃん」へ統一とういつしている[ちゅう 101]。また、原作げんさくでしずかは「あなた」を「あんた」などとうことがあったが、担当たんとう声優せいゆうである野村のむら道子みちこ放送ほうそう開始かいしからあいだもなく「あなた」に統一とういつした。また、しずかのははのキャラクターデザインはふくよかにえがかれた原作げんさくのものとはおおきくことなっており、はつ登場とうじょうしただい3以降いこう 映画えいがふく最終さいしゅうばなしまで、しずかによくたオリジナルのデザインがとおされた。このデザイン設定せっていだい2さくだい2にもがれている。

アニメオリジナル作品さくひん増加ぞうかした2000年代ねんだいはいるとジャイはじめとしてミニドラ、スネきち神成かみなり、ミイちゃん、ジャイアンのいぬであるムクなどの脇役わきやくたちの登場とうじょう増加ぞうかする。 また、原作げんさく登場とうじょうしたひみつ道具どうぐ効用こうようはほとんどそのままに外見がいけんとストーリーをすこえただけの作品さくひんおお放送ほうそうされている。

『ドラえもん』は基本きほんてきにはいち完結かんけつなので、単行たんこうほん収録しゅうろくじゅんにアニメをしているというわけでもなく、原作げんさく作品さくひん順不同じゅんふどうにアニメして放送ほうそうしている。そのためほんさくいちもアニメされなかった作品さくひん[ちゅう 102]存在そんざいする。『ドラえもん』はいち完結かんけつであるとはいえ、登場とうじょう人物じんぶつまえにあったことを基本きほんてきおぼえていて、のびが「まえ使つかった道具どうぐだ」などとったりする。そのため、てんとうちゅうコミックスだい11かん収録しゅうろくの「もしもボックス」よりもさきにてんとうちゅうコミックスだい13かん収録しゅうろくの「おかねのいらない世界せかい」が放送ほうそうされたときには矛盾むじゅんしょうじたことがある。原因げんいん制作せいさく開始かいし制作せいさく関与かんよした高畑たかはたいさお原作げんさくをアレンジせずにアニメするよう指南しなんしていたことも関係かんけいしている[68]放送ほうそう開始かいしには、すでにてんとうちゅうコミックスだい15かんまで出版しゅっぱんされていた。

ほんさくのドラえもん

原作げんさく初期しょきドラえもんおよび、前作ぜんさくであるだい1さくのドラえもんには現在げんざいつづ保護ほごしゃてき側面そくめんはほとんどく、かつてのQ太郎たろうのようにナンセンスなギャグさわぎをこすトラブルメーカーとしての側面そくめんつよかった。

しかし、放送ほうそう開始かいし初期しょきおびわくはアバウトないちめんられたものの、いまさくにおいてドラえもんがトラブルメーカーてきなキャラクターにえがかれることはまずかった。 おびわくから金曜きんようわくはいった時点じてん[69] では、すでにドラえもんはのびてにすることはほとんどなくなっている。 それ以降いこう原作げんさく初期しょき作品さくひんがアニメされた場合ばあいも、原作げんさくのドラえもんの比較的ひかくてき過激かげきなセリフは、ほかのキャラクターにえられていたり、改訂かいていされていたりする。

そのなかおおきかったのは、大山おおやまのぶによる「ドラえもんは子守こもりようロボットであるから乱暴らんぼう言葉ことばづかいなどはしない」というかんがえによって彼女かのじょなりに意識いしきして演技えんぎつづけた結果けっかであり、「ぼくドラえもんです」というセリフも元々もともと「です」とはいておらず彼女かのじょ自身じしんしたものである。ほかにも「のびてにしない」などの意向いこうってドラえもんをえんじていた[57]原作げんさくもある程度ていど同一どういつではあるが、のびがひみつ道具どうぐたずさえてまち騒動そうどうこすくだりはいまさくではすこめに強調きょうちょうされており、ドラえもんがのび同行どうこうすることはまれである。その一連いちれん経緯けいいほんさくでの「ドラえもん」というキャラクターはのびたいする保護ほごしゃてき側面そくめんつよえがかれるようになっていった。

映像えいぞうてきめんにおいては、ほんさくのドラえもんの身長しんちょう設定せっていじょう原作げんさくおなじ129.3cmであるものの、実寸じっすん100cmでえがかれている。理由りゆういたって単純たんじゅんであり、ただそのほうがかわいらしくえるため[70]。これによりいまさくでは放送ほうそう開始かいしから、原作げんさくではたいしておおきくないドラえもんとのび身長しんちょう格段かくだんおおきくえがかれており、このてんだい1さくにはられなかった工夫くふうである。また、この作画さくが設定せっていだい2さくだい2にもがれている。

口癖くちぐせやキャラクターの呼称こしょうなど、担当たんとう声優せいゆう独自どくじにつけた設定せってい多々たた存在そんざいしている。これらはのちに原作げんさくぎゃく輸入ゆにゅうされ、リニューアルもほぼそのままのかたちのこった(ジャイアンが自己じこ紹介しょうかいはっする「オッス!」やスネおっとの「ボクちゃん」、さらには音痴おんちのジャイアンがじつは「ラップが得意とくいであること」など、リニューアル追加ついかされた設定せってい存在そんざい[よう出典しゅってん])。

ドラえもんめいさく劇場げきじょう

ドラえもん めいさく劇場げきじょう」(ドラえもん めいさくげきじょう)というコーナーを1993ねん4がつ9にち放送ほうそうぶんから10がつ1にち放送ほうそうぶんまでもうけていたことがあった。

内容ないようとしては、『桃太郎ももたろう』に代表だいひょうされるような日本にっぽん昔話むかしばなしとぎばなしほか外国がいこくの『イソップ物語ものがたり』や『アンデルセン物語ものがたり』など、世界せかいてき名作めいさくをギャグアニメとして面白おもしろおかしく改変かいへんしたもの。たとえば、『マッチりの少女しょうじょ』を題材だいざいにしたかいでは「火遊ひあそびをするとおねしょをする」という迷信めいしんもとに、オチでしずかがおねしょをするというものとなっていた。

のち傑作けっさくせん形式けいしきでVHSおよびDVD後者こうしゃは『おはなし玉手箱たまてばこ』に改題かいだい)されている。

のちに「ドラえもん バラエティショー」と改題かいだいしてさい放送ほうそうされたが、一部いちぶ自主じしゅ規制きせいにより展開てんかいなどが改変かいへんされている(たとえば、前述ぜんじゅつのマッチりの少女しょうじょかんしてはしずかがおねしょをする場面ばめんがアイリスアウトでかくされている)。

さい放送ほうそう映像えいぞうソフトの経緯けいい

2005ねん3がつ放送ほうそう終了しゅうりょう以降いこう放送ほうそう回数かいすう莫大ばくだいゆえ容易よういさい放送ほうそうおこなえないため、ほんさくほん放送ほうそうようマスターを使用しようした純粋じゅんすいさい放送ほうそういちおこなわれていない。これについてはおびわくの617回分かいぶんが10ふん番組ばんぐみゆえ細々こまごまぎてしまうてんや、それ以降いこう新作しんさくさい放送ほうそうさくわせて放送ほうそうした番組ばんぐみ編成へんせい形態けいたいなどにも問題もんだいがある。純粋じゅんすいさい放送ほうそう放送ほうそう30周年しゅうねん記念きねんした2010ねん特番とくばんと2019ねん放送ほうそう40周年しゅうねん記念きねんした特番とくばんのみで、2010ねんには当時とうじの10ふん番組ばんぐみとして開始かいししただい1かい放送ほうそうぶんである「ゆめのまちノビタランド」を、オリジナリティを考慮こうりょしたうえでそのまま放送ほうそうし、2019ねんには「恐竜きょうりゅうハンター」がさい放送ほうそうされた。

このため、後年こうねんさい放送ほうそう映像えいぞうソフトにあたっては、ほん放送ほうそうのフォーマットを使つかわずにさい放送ほうそう映像えいぞうソフトよう編集へんしゅうされているものがおおい。おも変更へんこうてんとしては、OPとEDのきょくじゅんことなったり、次回じかい予告よこく削除さくじょされていたり、スタッフのクレジット表記ひょうき前者ぜんしゃおよび後者こうしゃにそれぞれえられているてんなど[ちゅう 103]

ビデオDVDはすべて小学館しょうがくかんより発売はつばいされている。ほんさくのビデオソフトは、劇場げきじょうばんが85ねんに「のび恐竜きょうりゅう」を筆頭ひっとうVHSソフトでレンタルされていたが、テレビシリーズのほう放送ほうそう開始かいしからながらく発売はつばいされていなかった。1993ねん放送ほうそう15周年しゅうねん記念きねんとしてVHSソフトが順次じゅんじ刊行かんこうされたが、「傑作けっさくせん」として発売はつばいしているため、収録しゅうろくされているものは一部いちぶである。このため、収録しゅうろくばなし多数たすう存在そんざいするほか、収録しゅうろくじゅん放送ほうそうとはことなる。

2000ねんからはDVDが販売はんばい開始かいしされたものの、一部いちぶのTVシリーズ、とく初期しょき劇場げきじょうばんかんしてはDVDようさいテレシネおよびデジタルリマスターは一切いっさいおこなわれておらずVHS時代じだいのマスターを流用りゅうようしているものがおお[ちゅう 104]とく後期こうき劇場げきじょうばんかんしてはレターボックスで収録しゅうろくされているものも存在そんざいする[71] ため、DVDとしては非常ひじょう粗悪そあくなものとなっており、とく初期しょき作品さくひんかんしてはさい放送ほうそう幾度いくどさい発売はつばいおこなわれたこともありマスターの劣化れっかいちじるしいものすくなくない。TVシリーズにかんしてはエピソードによっていちじるしく画質がしつ音質おんしつひくかったりするものも存在そんざい[72]、この問題もんだい放送ほうそうようマスターがD2-VTRになる90年代ねんだい後半こうはん以降いこう作品さくひん改善かいぜんされる。またDVDではすべてモノラル収録しゅうろくとなっているが、ステレオ以降いこう作品さくひんはそのままステレオ音源おんげん収録しゅうろくされている。

2009ねんにTV放送ほうそう30周年しゅうねん記念きねんとして1979年度ねんど放送ほうそうぶん(10ふん番組ばんぐみ)をぜんはなし収録しゅうろくしたDVD-BOX『ドラえもんタイムマシンBOX1979』が発売はつばいされた。ぞくまき発売はつばいされず、これ以降いこう収録しゅうろくはなしすう価格かかく抑制よくせいした『ドラえもんTVシリーズ名作めいさくコレクションDVD』(ISBNにより書店しょてんでも販売はんばい)に転換てんかんしている。ただしコレクションDVDに収録しゅうろくされる作品さくひんはほとんど特番とくばんよう作品さくひんで、いまさくのレンタルようDVDに収録しゅうろくされているものとも収録しゅうろく作品さくひんがかなり重複じゅうふくしている。そのため、日本にっぽん放送ほうそう長期ちょうきしているおも国民こくみんてきアニメとわれている作品さくひんなかでは現在げんざいまで一切いっさい映像えいぞうソフトが発売はつばいされていない『サザエさん[ちゅう 105]のぞいて、映像えいぞうソフト収録しゅうろく作品さくひん割合わりあい極端きょくたんおおい。

『ドラえもんタイムマシンBOX1979』収録しゅうろく作品さくひんには、放送ほうそう当時とうじ問題もんだいとされていなかったが現在げんざいになって差別さべつ描写びょうしゃとしてあつかわれるようになった演出えんしゅつ[ちゅう 106]ふくまれる作品さくひんがあるが、本編ほんぺんまえ注意ちゅういきとことわりのテロップを挿入そうにゅう問題もんだいをクリアしている[ちゅう 107]

また2010ねん発売はつばいされたDVD『藤子とうこ・F・不二雄ふじおTVアニメアーカイブス』シリーズ(TCエンタテインメント)ないほんさくうちけい8ほんおよびVHSのみの収録しゅうろくだった『ドラえもんめいさく劇場げきじょう』が収録しゅうろくされている[73]

2012ねん4がつ23にち小学館しょうがくかん2011ねん発売はつばいの『ドラえもんTVシリーズ名作めいさくコレクションDVD』ゆめのまちノビタランドへんと『ドラえもんタイムマシンBOX1979』に収録しゅうろくされている「一生いっしょういちひゃくてんを」で、制作せいさく当時とうじのいたずらきに性的せいてき表現ひょうげん[ちゅう 108] があったとして該当がいとう部分ぶぶんやく2びょう削除さくじょしたDVDに交換こうかんすることを発表はっぴょうしている[74][75][76]

2014ねんからは前述ぜんじゅつのとおり、CSのテレ朝てれあさチャンネルにて「ドラえもん名作めいさくコレクション」として放送ほうそうちゅう。ここではEDこそカットされたものの、1から順番じゅんばんほん放送ほうそう踏襲とうしゅうしたものを放送ほうそうしている[ちゅう 109]。2015ねん大晦日おおみそかには地上波ちじょうは新作しんさく大晦日おおみそか特番とくばん番組ばんぐみ宣伝せんでんねて、タイトル放送ほうそうことなる1995ねんふくめた歴代れきだいの「大晦日おおみそかだよ!ドラえもん」1980ねん~2004ねんぶんげん声優せいゆうじんの「大晦日おおみそかだよ!ドラえもん」2005ねん~2013ねんぶん一斉いっせいさい放送ほうそうおこなわれた(ただし、提供ていきょうクレジット部分ぶぶん一部いちぶカットと1996ねん以降いこうほん放送ほうそうにあったCMテロップ「CMのあとは○○だよ!!」などの表記ひょうき削除さくじょさらに1995ねんかんしてはほん放送ほうそうのためだけに制作せいさくされていたザ・ドラえもんズメンバー紹介しょうかいアイキャッチのぜんカットがおこなわれている。それ以外いがい本編ほんぺんはオリジナル)。大晦日おおみそか特番とくばんかんしてはCSではあるが2014ねん以外いがいとしはつのノーカットであり、権利けんり関係かんけいきびしいなかでクリアしテーマきょくをすべてカットせずに放送ほうそうされた。2018ねんまつには2→1のリレー放送ほうそうで、2017ねんまでのさい放送ほうそうおこなわれた[77]。2019ねん3がつをもって通常つうじょう放送ほうそうわくでの新作しんさく放送ほうそうはストップしていたが、2020ねん6がつ24にちよりやく1ねん2ヶ月かげつ放送ほうそう休止きゅうし期間きかんて、ふたた新作しんさく放送ほうそう開始かいしされた[ちゅう 110]。2002ねん〜2004ねんまでのオープニングはしょ事情じじょうにより3代目だいめのものにえられている。その2021年度ねんど以降いこうは1〜2ヶ月かげつに11週間しゅうかん程度ていど連続れんぞく放送ほうそうとしてほん放送ほうそう当時とうじ放映ほうえいねんじゅん順次じゅんじ不定期ふていきにまとめて放送ほうそうおこなわれているが、「メロディおたま」(1996ねん放送ほうそう)など放送ほうそう作品さくひん存在そんざいしている。

映像えいぞうソフト

セルばん

TVばんドラえもんコレクション (ぜん12かん)
レンタルビデオ(のちにDVDでさい発売はつばい)の内容ないようを1まいに2かんぶん収録しゅうろくし12かんで24かんぶん収録しゅうろくしたもの。
季刊きかんテレビばん・ドラえもんスペシャル (はるなつあきふゆ ぜん20かん)
TVスペシャルとう放送ほうそうされしゃく都合つごうから通常つうじょうのソフトに収録しゅうろくされなかったものをまとめたもの。はなしによって画質がしつがあるのが特徴とくちょう
ドラえもん・タイムマシンBOX
TV放送ほうそう開始かいし30周年しゅうねん記念きねんたい番組ばんぐみ時代じだいの1ねん作品さくひんまとめたもの。
ドラえもん名作めいさくコレクション
2011ねんから2014ねんにかけて展開てんかいされた廉価れんかばんDVD。上記じょうきのDVDに収録しゅうろくだった作品さくひんもいくつかおさめられている。

レンタルばん

TVばんドラえもん (ぜん60かん)
1993ねんから2000ねんにかけて展開てんかいされた同名どうめいのVHSソフトをDVDしたもの。基本きほんてきに1979〜1984年度ねんどまでの通常つうじょう放送ほうそう作品さくひん一部いちぶ収録しゅうろく担任たんにん先生せんせいこえおび番組ばんぐみ時代じだい複数ふくすう声優せいゆう担当たんとうしていたが、パッケージのキャストらんではゴールデンタイム進出しんしゅつ以降いこうから担当たんとうしている田中たなか亮一りょういち表記ひょうきされている。
21世紀せいきテレビ文庫ぶんこ・TVばんドラえもん(ぜん34かん)
上記じょうきのTVばんドラえもんのつながりで、1982〜1990年度ねんどまでの通常つうじょう放送ほうそう作品さくひん一部いちぶ収録しゅうろく。31-34かんは1999ねん以降いこう作品さくひん収録しゅうろく。DVDは発売はつばい
ドラえもん テレビばんスペシャル特大とくだいごう (はるなつあきふゆ ぜん24かん)
同名どうめいのVHSばんをDVDしたもの。上記じょうき季刊きかんテレビばん巻数かんすうことなるのはセルDVD発売はつばいあらたにだい6かん発売はつばいされたためである。1980〜2004年度ねんどまでの作品さくひん一部いちぶ収録しゅうろくしており、特番とくばんようつくられた新作しんさくほかにも、特番とくばんわくさい放送ほうそうされた通常つうじょう放送ほうそうはなし一部いちぶ収録しゅうろくされている。

キャッチフレーズ

  • 1995ねんぼくドラえもん」
  • 1999ねん映画えいが 20th Anniversary TV 地球ちきゅうだいすき!」

しょうれき

劇場げきじょうアニメ

放送ほうそう開始かいしからおよそ1ねんおびわくだった1980ねん劇場げきじょうよう作品さくひんだい1さく公開こうかいされた。それ以降いこう毎年まいとし3がつ新作しんさく公開こうかいされ2004ねんまでにぜん26作品さくひん公開こうかいされた[ちゅう 111]。また、だい4さく以降いこう作品さくひんすべ芝山しばやまつとむ監督かんとく担当たんとうしている。1988ねん公開こうかいぶんのみ原作げんさくしゃ体調たいちょう不良ふりょうにより原作げんさくとなるだい長編ちょうへん存在そんざいせず、1997ねん以降いこう原作げんさくしゃ死去しきょは、藤子とうこプロ原作げんさく漫画まんが執筆しっぴつ担当たんとうした。原作げんさく漫画まんがだい長編ちょうへんシリーズとしても2004ねんもの最終さいしゅうさくとなっている。毎年まいとし1ほん新作しんさく公開こうかいする製作せいさく体制たいせい小学館しょうがくかんのノウハウとなり、のちめい探偵たんていコナンポケットモンスターの劇場げきじょうばんシリーズなどにもかされている。

作品さくひん一覧いちらん

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ a b c 放送ほうそう開始かいしから1987ねんまでは「藤子とうこ不二雄ふじお名義めいぎ1988ねんから1989ねん1がつまでは「藤子とうこ不二雄ふじお名義めいぎ1989ねん2がつから「藤子とうこ・F・不二雄ふじお名義めいぎ
  2. ^ a b 作画さくが監督かんとくつとめた中村なかむら英一ひでかずによると、チーフディレクターには高畑たかはたいさお吉田よしだ茂承もちつぐ候補こうほがっていたが、いずれもテレビシリーズ制作せいさく開始かいし時点じてん離脱りだつしている(吉田よしだ後年こうねんかくはなし演出えんしゅつとして参加さんか)。そのため、1981ねんもとひらりょう就任しゅうにんするまではチーフディレクターはてられず、ぶくとみはく演出えんしゅつのまとめやくとなっていた(「まんだらけZENBU No.62」中村なかむら英一ひでかずインタビュー、p224、2014ねん3がつ)。また、かくはなし演出えんしゅつ森脇もりわき真琴まこと同様どうよう証言しょうげんをしている[1]
  3. ^ 日曜にちよう放送ほうそう4がつ8にちから
  4. ^ 劇場げきじょうばんのテレビ放送ほうそう最終さいしゅう放送ほうそうとした場合ばあいは3がつ25にち
  5. ^ これよりまえの『ジャングルくろべえ』(おな藤子とうこアニメ) - 『ジムボタン』は、当時とうじNETとネットしていた毎日放送まいにちほうそう制作せいさくのアニメが放送ほうそうされていた。
  6. ^ よく1982ねん3がつからは、東映とうえい旭通信社あさひつうしんしゃによる特撮とくさつドラマ『宇宙うちゅう刑事けいじギャバン』(『メタルヒーローシリーズ』)に変更へんこう以後いごこの特撮とくさつわく月曜げつよう19:00→日曜にちよう9:30(ほんさく放送ほうそうされたわく)→日曜にちよう8:00と変遷へんせんし、現在げんざい日曜にちよう9:00で『仮面かめんライダーシリーズ』を継続けいぞくちゅう
  7. ^ 1988ねん5がつ27にち放送ほうそう「パパのおみやげ」、2004ねん10がつ1にち放送ほうそう「ためしにさようなら」、2005ねん3がつ4にち放送ほうそう魔法使まほうつかいしずかちゃん」、2005ねん3がつ18にち放送ほうそう「ドラえもんに休日きゅうじつを?!」(ほんさく最後さいご作品さくひん)。映画えいがでも「のび結婚けっこん前夜ぜんや以降いこう作品さくひんは30ふん時代じだい放送ほうそうされた作品さくひんをリメイクしたものである(おび放送ほうそうわく時代じだいにも放送ほうそうされた「おばあちゃんのおも」、「ぼくのまれた」をふくむ)。
  8. ^ かつては、お正月しょうがつにも『お正月しょうがつだよ!ドラえもん』とだいして1あいだ特番とくばん放送ほうそうされていた。
  9. ^ 広島ひろしまホームテレビでは、1986 - 87ねんに、なつの1あいだ特番とくばん番組ばんぐみ返上へんじょうとして、自社じしゃ送出そうしゅつうえネットスポンサーづけ過去かこ通常つうじょう30ふんばんさい放送ほうそうおこない、19:30からプロ野球やきゅう広島東洋ひろしまとうようカープ主催しゅさい試合しあい中継ちゅうけい放送ほうそうしたことがあった(19:30 - 20:00はローカルセールスあつかい。20だいの『ワールドプロレスリング』→『ミュージックステーション』は深夜しんやわく放送ほうそう)。また、1995ねんはるの1あいだ特番とくばん翌週よくしゅう月曜げつようの17:00からおくれネットとして広島ひろしません中継ちゅうけい放送ほうそうした。
  10. ^ 1997ねん以降いこう映画えいが当初とうしょ、お正月しょうがつ特番とくばん代替だいたい翌年よくねん正月しょうがつに、ほんさくさい末期まっきからは現在げんざい同様どうよう新作しんさく映画えいが公開こうかい直前ちょくぜんでの放送ほうそうとなった。
  11. ^ なお、『パーマン』はその新作しんさく映画えいが公開こうかい記念きねんとして2002年度ねんどと2003年度ねんどにも傑作けっさくを2ほん程度ていど放送ほうそうされた
  12. ^ 映画えいがシリーズはだい17さくまで担当たんとう後任こうにん大江おおえ千里せんりおよ堀井ほりい勝美かつみ
  13. ^ そのおなじく高畑たかはた関与かんよしたアニメ『じゃりンチエ』(毎日放送まいにちほうそう制作せいさくTBSけい)が金曜きんよう19わく移動いどうして表裏ひょうりとなった期間きかんがあった。
  14. ^ もとシンエイ動画どうがプロデューサーの別紙べっし壮一そういちは、『藤子とうこ・F・雄大ゆうだい全集ぜんしゅう パーマン 7』(2010ねん)に寄稿きこうした文章ぶんしょうでほぼ同様どうよう経緯けいいしるしているが、楠部くすべがアニメ承諾しょうだくのエピソードとしている「権利けんりりょうさきはらはなし」(藤本ふじもとことわる)を、許諾きょだくもとめるさいして藤本ふじもとがおかねはいらないが、そのわりレポートをもとめたとしている。
  15. ^ よみうりテレビ日本にほんテレビからだい1さくをネットけしていた。
  16. ^ ほん番組ばんぐみ開始かいしされるさい、この編成へんせい結果けっかてきに18から18時半じはんがローカルニュース(テレビ朝日てれびあさひでは『6のサテライト』)となり、全国ぜんこくニュースは1830ふん開始かいし維持いじすることとなった。
  17. ^ a b 1980ねん4がつ以降いこう朝日放送あさひほうそうテレビ制作せいさくわくとなり、しばらくは情報じょうほう番組ばんぐみやトーク番組ばんぐみ放送ほうそうされていたが、1984ねん10がつ改編かいへんで『とんがり帽子ぼうしのメモル』が土曜どよう19わくから移動いどうしてABC・東映動画とうえいどうがのアニメわくとなり2022ねん現在げんざいまでつづいている。
  18. ^ ただし、だい1さく最終さいしゅうばなしでドラえもんは一度いちど未来みらいもどっているため、どのような経緯けいい現代げんだい帰還きかんしたかは不明ふめいとなっている。
  19. ^ 前述ぜんじゅつとおり1979ねん4がつ2にちから月曜げつよう - 土曜どよう18:50 – 19:00に10ぶんたい番組ばんぐみとして開始かいしし、1981ねん9がつ26にちに30ふんばん統合とうごう移動いどうするかたち終了しゅうりょう
  20. ^ a b c d e f g h i 30ふんばんは1979ねん4がつ8にちから1980ねん3がつ30にちまで日曜にちよう 8:30 - 9:00、1980ねん4がつ6にちから1981ねん9がつ27にちまで日曜にちよう 9:30 - 10:00、1981ねん10がつ2にちから1987ねん10がつ9にちまで金曜きんよう 19:00 - 19:30、1987ねん10がつ23にちから1989ねん3がつ31にちまで金曜きんよう 18:50 - 19:20、1989ねん4がつ14にちから2005ねん3がつ25にち終了しゅうりょうまで金曜きんよう 19:00 - 19:30に放送ほうそう
  21. ^ おび番組ばんぐみばんは1979ねん10がつから放送ほうそう開始かいしし、月曜げつよう - 金曜きんよう 16:50 - 17:00に放送ほうそうされていた。
  22. ^ 開局かいきょく直後ちょくごの1991ねん10がつ4にち放送ほうそう開始かいし
  23. ^ 1996ねん10がつ開局かいきょく放送ほうそう開始かいし
  24. ^ 1992ねん10がつ開局かいきょく秋田放送あきたほうそうから移行いこう
  25. ^ 1993ねん4がつ放送ほうそうネットワークをフジテレビ系列けいれつからテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつネットチェンジしたさい山形放送やまがたほうそうから移行いこう
  26. ^ サービス放送ほうそう期間きかんちゅうの1981ねん9がつ27にち日曜日にちようびあさ放送ほうそうわく最終さいしゅう)に放送ほうそう開始かいし。1981ねん10がつ1にちと2にちには、1848ふんから、「ゆめのまちノビタランド」(1にち)、「変身へんしんビスケット」(2にち)が放送ほうそうされた。金曜日きんようび放送ほうそう時間じかん移動いどう初回しょかいにあたる1981ねん10がつ2にち放送ほうそうから正式せいしき同時どうじネットを開始かいし以降いこう放送ほうそう時間じかん変動へんどうテレビ朝日てれびあさひおなじ。
  27. ^ 1979ねん8がつ25にち放送ほうそう開始かいし[19]土曜どよう 6:15 - 6:45に放送ほうそう
  28. ^ 1983ねん10がつ開局かいきょく新潟総合にいがたそうごうテレビから移行いこう
  29. ^ 1991ねん4がつ開局かいきょくテレビ信州てれびしんしゅうから移行いこう
  30. ^ 開始かいし当初とうしょから1993ねん9がつまでのきょくめい静岡しずおかけんみんテレビ (SKT)
  31. ^ おび番組ばんぐみばんは1979ねん10がつから月曜げつよう - 土曜どよう18:50 – 19:00にて放送ほうそう
  32. ^ 作者さくしゃ出身しゅっしん
  33. ^ 1980ねん4がつ5にちよりネット開始かいし[20]し、1985ねん9がつ28にちまで土曜どよう 17:00 - 17:30に、1985ねん10がつ4にちから1996ねん9がつ27にちまでは金曜きんよう 17:00 - 17:30、1996ねん10がつ4にちから1999ねん3がつ26にちまでは金曜きんよう 16:55 - 17:25、1999ねん4がつ9にちから2002ねん9がつ27にちまでは金曜きんよう 16:27 - 16:55、2002ねん10がつ1にちから2005ねん3がつ22にちまでは火曜かよう 16:27 - 16:55にて放送ほうそう[21]
  34. ^ 1991ねん10がつ開局かいきょく石川いしかわテレビから移行いこう
  35. ^ 1979ねん10がつ4にち木曜もくよう 18:00 - 18:30にて放送ほうそう開始かいし[22]。1987ねん9がつまで木曜もくよう 17:30 - 18:00、1987ねん10がつから1988ねん3がつまでは火曜かよう 19:00 - 19:30。1988ねん4がつから1989ねん3がつまでは日曜にちよう 10:30 - 11:00[23]1989ねん4がつから1990年代ねんだい後半こうはんまで木曜もくよう 17:30 - 18:00。以後いご、ローカル情報じょうほう番組ばんぐみ開始かいし時間じかん変動へんどうあり。1987ねん10がつからテレビ朝日てれびあさひのスポンサーきネット。[よう出典しゅってん]
  36. ^ 開始かいし当初とうしょから1989ねん3がつまでは日本にほんテレビ系列けいれつ単独たんどくネット。
  37. ^ 1989ねん10がつ日本海にほんかいテレビから移行いこう
  38. ^ 1993ねん10がつ開局かいきょくテレビ山口てれびやまぐちから移行いこう
  39. ^ 1995ねん4がつ開局かいきょくにテレビ愛媛えひめから移行いこう
  40. ^ 1990ねん7がつ時点じてんでは、月曜げつよう 16:30 - 17:00に放送ほうそう[24]ただし、放送ほうそう時間じかんが1あいだえる場合ばあい(『大晦日おおみそかだよ!ドラえもん』など)、RKCサタデースペシャルわくにて放送ほうそう
  41. ^ 1990ねん4がつ開局かいきょく長崎放送ながさきほうそうより移行いこう
  42. ^ 1989ねん10がつ開局かいきょく放送ほうそう開始かいし
  43. ^ 1993ねん10がつ開局かいきょく大分放送おおいたほうそうから移行いこう
  44. ^ 1979ねん放送ほうそう開始かいしから1999ねんまでは宮崎みやざき東芝とうしばかいいちしゃ提供ていきょうで、「東芝とうしばこどもマンガ劇場げきじょうわくでの放送ほうそうただし、スポンサードネットあつかいの時期じきもあり、放送ほうそうわく名称めいしょうはそのまま複数ふくすうしゃ提供ていきょうとして前述ぜんじゅつのローカルスポンサーとともに提供ていきょうしていたことがあった。金曜きんよう 16:55 - 17:25に放送ほうそう
  45. ^ 1982ねん10がつ開局かいきょく鹿児島かごしまテレビから移行いこう
  46. ^ 1995ねん10がつ開局かいきょく琉球放送りゅうきゅうほうそうから移行いこう
  47. ^ 1979ねん8がつ25にち土曜どよう 7:45 - 8:15にて放送ほうそう開始かいしする[25][26]も、テレビ岩手てれびいわてのANN脱退だったい・NNSフルネットきょくともない、同年どうねん9がつ29にちにわずか1ヶ月かげつ[27]ちなみに、『コロコロコミック』1979ねん7がつごう(6がつ15にち発売はつばい)93ぺーじや8がつごう(7がつ15にち発売はつばい)では金曜きんよう 17:30 - 18:00に放送ほうそうとの表記ひょうきがあるが、かく新聞しんぶんテレビらんには掲載けいさいのため誤記ごき
  48. ^ 1979ねん6がつ8にち金曜きんよう 17:00 - 17:30にて放送ほうそう開始かいし[28]テレビ信州てれびしんしゅう開局かいきょくともない、1980ねん9がつ26にち[29]
  49. ^ 1979ねん4がつ10日とおか火曜かよう 18:00 - 18:30にて放送ほうそう開始かいし[30]、1981ねん6がつ30にち福島中央ふくしまちゅうおうテレビのANN脱退だったい・NNSフルネットきょくともな[31]
  50. ^ 1979ねん4がつ20日はつか日曜にちよう 18:00 - 18:30にて放送ほうそう開始かいし鹿児島放送かごしまほうそう開局かいきょくにより1982ねん9がつり。
  51. ^ げんNST新潟総合にいがたそうごうテレビ
  52. ^ 1981ねん3がつまでは日本にほんテレビ系列けいれつテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつとのトリプルネットきょく。1981ねん4がつ - 1983ねん9がつテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつとのクロスネットきょく
  53. ^ 1979ねん金曜きんよう17:00 - 17:30にて放送ほうそう開始かいし。その月曜げつよう、16:50-17:20、月曜げつよう 19:00 - 19:30に移動いどうしたのち、1983ねん9がつ新潟にいがたテレビ21の開局かいきょくにより[32]
  54. ^ 1979ねん6がつ19にち火曜かよう 17:00 - 17:30にて放送ほうそう開始かいし[33]北陸放送ほくりくほうそう方針ほうしんにより、1985ねん9がつ23にち[34]石川いしかわテレビに移行いこうされた。
  55. ^ 1979ねん9がつ5にち水曜すいよう 17:00 - 17:30にて放送ほうそう開始かいし。その金曜きんよう16:00-16:30に移動いどう熊本朝日放送くまもとあさひほうそう開局かいきょく準備じゅんびともない、1989ねん8がつ以前いぜん[35]
  56. ^ 1979ねん4がつ土曜どよう 17:30 - 18:00にて放送ほうそう開始かいし。1989ねん9がつり。
  57. ^ 1990ねん3がつまで月曜げつよう 16:50 - 17:20にて放送ほうそう長崎文化放送ながさきぶんかほうそう開局かいきょくともない、り。
  58. ^ 1980ねん10がつ開局かいきょく信越放送しんえつほうそうより移行いこう長野朝日放送ながのあさひほうそう開局かいきょくともない、1991ねん3がつり。 開局かいきょくからりまで同時どうじネットだった。
  59. ^ 1979ねん4がつ5にち木曜もくよう 17:30 - 18:00にて放送ほうそう開始かいし[36]当初とうしょ先行せんこうネット(30ふんばん内容ないよう自体じたいおび番組ばんぐみさい編成へんせいなのでおくれネットでもある)だった。その日曜にちよう9:30-10:00→日曜にちよう10:30-11:00に移動いどうし、1991ねん9がつ24にち[37]
  60. ^ 1985ねん11月1にち金曜きんよう 17:32 - 18:00にて放送ほうそう開始かいしし、同年どうねん12がつ20日はつかまでどう時間じかんたいにて放送ほうそう[38]同年どうねん12がつ24にちのみ火曜かよう 16:30 - 17:00にて放送ほうそう[39]、1986ねん1がつ5にち日曜にちよう 9:00 - 9:30に移動いどうした[40]北陸朝日放送ほくりくあさひほうそう開局かいきょくともない1991ねん9がつ22にち[41]
  61. ^ 1979ねん7がつ17にち火曜かよう 17:00 - 17:30にて放送ほうそう開始かいし[42]土曜どよう 17:00 - 17:30、火曜かよう 17:00 - 17:30をて、末期まっき木曜もくよう 17:30 - 18:00に放送ほうそう。1992ねん9がつ24にち秋田あきた朝日放送あさひほうそう開局かいきょくともな[43]
  62. ^ 1979ねん4がつ火曜かよう 17:00 - 17:30にて放送ほうそう開始かいし。その月曜げつよう19:00-19:30、火曜かよう 19:00 - 19:30、日曜にちよう8:00-8:30、日曜にちよう 8:30 - 9:00、日曜にちよう 9:30 - 10:00[44]放送ほうそうされ、1993ねん3がつ山形やまがたテレビがANNにネットチェンジしたためり。
  63. ^ 1980ねん3がつまでは日本にほんテレビ単独たんどく加盟かめいきょく。1980ねん4がつから1993ねん3がつまではテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつとのクロスネットきょく
  64. ^ 1979ねん放送ほうそう開始かいし山口朝日放送やまぐちあさひほうそう開局かいきょくともない1993ねん9がつり。金曜きんよう 17:30 - 18:00に放送ほうそう
  65. ^ 1987ねん9がつまではフジテレビ系列けいれつとのクロスネットきょく
  66. ^ 1979ねん放送ほうそう開始かいし大分朝日放送おおいたあさひほうそう開局かいきょくともない、1993ねん9がつり。火曜かよう 17:20 - 17:50、火曜かよう16:50-17:20に放送ほうそう
  67. ^ 1979ねん10がつ放送ほうそう開始かいし、1995ねん3がつ愛媛朝日えひめあさひテレビの開局かいきょくともなり。月曜げつよう17:00-17:30、月曜げつよう 19:00 - 19:30[24]水曜すいよう 17:25 - 17:55[24]放送ほうそう
  68. ^ 1979ねん放送ほうそう開始かいし琉球朝日放送りゅうきゅうあさひほうそう開局かいきょくともない、1995ねん9がつり。金曜きんよう 17:30 - 18:00→木曜もくよう 16:30 - 17:00
  69. ^ 1979ねん10がつ2にち放送ほうそう開始かいし[45]。1996ねん3がつ岩手いわて朝日あさひテレビの開局かいきょく準備じゅんびともない、り。開始かいし火曜かよう 17:30 - 18:00に放送ほうそう
  70. ^ 1995ねん6がつまでは岩手いわて放送ほうそう
  71. ^ ただし正式せいしき略称りゃくしょうが「JRT」とさだめられたのは1982ねん4がつからである。
  72. ^ 1979ねん放送ほうそう開始かいしし、1990年代ねんだい後半こうはんり。金曜きんよう18:00-18:30→ 金曜きんよう 17:30 - 18:00に放送ほうそう
  73. ^ 放送ほうそうされたのは水曜日すいようびであり、当時とうじテレビ朝日てれびあさひ水曜すいよう19だい前半ぜんはんわくはローカルセールスわく(および朝日放送あさひほうそう制作せいさくわく)であるため、一部いちぶ地域ちいきでは19:30から同時どうじネットされた。
  74. ^ このときのみドラえもんの相手あいてやくは、『キャンディ・キャンディ』のキャンディだった。
  75. ^ 金曜きんよう19:00の『魔法まほう少女しょうじょララベル』は休止きゅうし
  76. ^ なお8がつ15にちにはドキュメンタリー特番とくばんちちよ、ははよ、祖国そこくよ…孤児こじたちの望都もと』(19:00 - 20:54)、8がつ22にちは『ワールドプロレスリングスペシャル』(19:30 - 20:54)を、それぞれ放送ほうそうした。
  77. ^ おび番組ばんぐみばんでは翌日よくじつぶん予告よこくテロップを表示ひょうじするスペースだった。そのため、1終了しゅうりょうまでっていた次回じかい予告よこくはこのわく移動いどうまで日曜にちようばんのみの放送ほうそうだった。
  78. ^ ただし、後述こうじゅつのように(1992ねん9がつ25にち放送ほうそう「ボディガードにご用心ようじん」、1994ねん4がつ1にち放送ほうそう「ハリせんほんノマス」)その度々たびたび開始かいし当初とうしょの1979ねん~1981ねんまでの最初さいしょBGMが復活ふっかつ採用さいようされるはなしあらわれる。
  79. ^ パーマン』『フクちゃん』『あいしてナイト』など。なお朝日放送あさひほうそう制作せいさくアニメは『レディジョージィ!』と『とんがり帽子ぼうしのメモル』が参加さんか名古屋なごやテレビ制作せいさくアニメは1ほん参加さんかしなかった。
  80. ^ ただし1987ねんでは『さる』は放送ほうそうせず、わりに『エスパー』と『ウルトラB』をくわえた。
  81. ^ 92・93ねんでは『春一番はるいちばん!日本一にっぽんいちのアニメまつ』と改題かいだいし、放送ほうそうわくも『水曜すいようとくバン!』に変更へんこうした。
  82. ^ 理由りゆう不明ふめいだが、番組ばんぐみないで「」という名称めいしょう使つかわれず「広場ひろば」にいいかえられている。
  83. ^ 竹内たけうち郁子いくこは、のちだい2さく2でジャイアンのかあちゃんのこえつとめている。
  84. ^ ほんさくおなテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつシンエイ動画どうが製作せいさくの『クレヨンしんちゃん』は同年どうねん5がつ25にち放送ほうそうぶんより、きょくでは、『それいけ!アンパンマン』(にっテレ系列けいれつ)は2000ねん11がつ10日とおか関東かんとう地区ちく放送ほうそうぶんより、『めい探偵たんていコナン』(どう)では2002ねん7がつ29にち放送ほうそうぶんより、『ちびまるちゃん』(フジテレビ系列けいれつ)は1999ねん9月26にち放送ほうそうぶんより、『こちら葛飾かつしか亀有かめあり公園前こうえんまえ派出所はしゅつじょ』(どう)は2000ねん1がつ2にち放送ほうそうぶんより、『しましまとらのしまじろう』(テレビ東京てれびとうきょう系列けいれつ)は1998ねんより、『ポケットモンスター』は2002ねん8がつ15にち放送ほうそうぶんより、それぞれ移行いこう
  85. ^ つづ金曜きんよう19放送ほうそうされたが、2019ねん10がつ5にち以降いこう土曜どよう17わく移動いどう
  86. ^ 5めいとも、パイロットフィルム『勉強べんきょう部屋へやのつりぼり』にてはつ収録しゅうろく
  87. ^ 旧名きゅうめい横沢よこざわ啓子けいこ現在げんざい芸名げいめい変更へんこう
  88. ^ パイロットフィルム『勉強べんきょう部屋へやのつりぼり』にてはつ収録しゅうろく
  89. ^ 当初とうしょ加川かがわさんおこり名義めいぎ
  90. ^ 当初とうしょ横尾よこおマリ名義めいぎ
  91. ^ 2000ねん6がつ16にち放送ほうそうされた『ハッピー』では緑川みどりかわひかりがスネおっと従弟じゅうていこえ担当たんとうしていたが、それがスネきちであるかは明確めいかくでない。
  92. ^ 一時期いちじきノンクレジットの時期じきあり。
  93. ^ ノンクレジット。
  94. ^ テレビスペシャル(ザ・ドラえもんズなど)のみ。
  95. ^ 3月18にちのスペシャルはオープニングはく、提供ていきょうクレジット画面がめんのBGMのみで使用しようされている。
  96. ^ 当初とうしょはドラえもんたち地球ちきゅううえをつないであるいている映像えいぞう延々えんえんながされていた。映像えいぞう追加ついかはそれがラストシーンになった。
  97. ^ たとえば、1979ねん4がつ10日とおか放送ほうそうぶんの『恐竜きょうりゅうハンター』は中村なかむら英一ひでかずすべ一人ひとり原画げんが担当たんとう
  98. ^ きゅう作画さくがしん作画さくが交錯こうさくしていた
  99. ^ 玉子たまご腰掛こしかけあおからしろになったり、スネおっとくびえりがオレンジからしろになったり、静香しずかくついろあかにされたてん、など。
  100. ^ ドラえもんにかぎればヒゲの位置いちなどで (2) をおもこさせるデザインだがおおきくことなるてんおおい。
  101. ^ しずかのニックネームは原作げんさくとアニメで各々おのおのことなって統一とういつされた。ただし統一とういつまでにはある程度ていど期間きかんようしており、放送ほうそう初期しょきでは「しずちゃん」とばれていることがあるほか、サブタイトルを「しずちゃんのはごろも」としてそのまま使用しようすることもあった。
  102. ^ 藤子とうこ・F・雄大ゆうだい全集ぜんしゅうだい1かん『ドラえもんのうた』、てんとうちゅうコミックスだい11かん『からだの部品ぶひんとりかえっこ』など。
  103. ^ うち、映像えいぞうソフトにおけるスタッフのクレジット表記ひょうき放送ほうそうのものとビデオ刊行かんこうのものが混在こんざいして表記ひょうきされている。
  104. ^ これはVHS時代じだい権利けんり関係かんけい問題もんだい本編ほんぺんくわえたり、主題歌しゅだいか挿入歌そうにゅうか音源おんげんをステレオ音源おんげんえたりなど劇場げきじょう公開こうかい状態じょうたい販売はんばいできないことが原因げんいんひとつである。
  105. ^ 2018ねんにネット配信はいしん解禁かいきんされている。
  106. ^ おも黒人こくじん差別さべつかかわる演出えんしゅつ
  107. ^ くろはだ人食ひとく人種じんしゅとなってジャイアンがいかけて描写びょうしゃがある「オーバーオーバー」なども映像えいぞうソフトに収録しゅうろくされている。
  108. ^ ドラえもんがした「コンピュータペンシル」でのびにノートにかせるシーン。「交流こうりゅう回路かいろ消費しょうひされる○○」「負荷ふかが××のとき」といった表現ひょうげん記号きごうたる箇所かしょ性的せいてき表現ひょうげん箇所かしょ)があった。
  109. ^ 金曜きんようばん以前いぜんおび番組ばんぐみ時代じだい作品さくひん放送ほうそう形態けいたい日曜にちようばん採用さいよう
  110. ^ 新作しんさく放送ほうそう休止きゅうしまえ最後さいご放送ほうそうされた新作しんさくは「リクエスト小切手こぎって」(1994ねん10がつ28にち放送ほうそう)。
  111. ^ 1981ねんのみ、劇場げきじょうよう作品さくひんが2さく公開こうかいされているが、3月の公開こうかいでないじょう同時どうじ上映じょうえいでカップリングされていた経緯けいいじょう桃太郎ももたろうのなんなのさ』は劇場げきじょうよう作品さくひんからのぞかれるケースが多々たたある。

出典しゅってん

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  11. ^ 『アニみん249にんもと読売よみうりテレビアニメプロデューサーの佐野さの寿ひさししちさん - スワッチのアニメ日記にっき
  12. ^ 『「ドラえもん」への感謝かんしゃじょう』pp.26 - 27。ここには上記じょうき佐野さの寿ひさしななはなししるされていない。
  13. ^ 高橋たかはし 2014, pp. 120–122, だい4しょう 異例いれいずくめのアニメ「ドラえもん」の船出ふなで.
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  51. ^ “スネ夫役ぶやく肝付きもつき兼太かねたさんへ「ドラえもん」番組ばんぐみない追悼ついとうテロップ「おおくのどもたちにゆめ希望きぼう」”. SANSPO.COM. (2016ねん10がつ28にち). https://www.sanspo.com/article/20161028-WPNWBP3K6VNZZPD2EJ4O767FAQ/ 2016ねん10がつ29にち閲覧えつらん 
  52. ^ 作曲さっきょく菊池きくち俊輔しゅんすけさん、あやまえんせい肺炎はいえん死去しきょ 89さい 『ドラえもんのうた』『仮面かめんライダー』など手掛てがける”. ORICON NEWS (2021ねん4がつ28にち). 2021ねん4がつ28にち閲覧えつらん
  53. ^ 作曲さっきょく菊池きくち俊輔しゅんすけ死去しきょ 89さい ドラえもんのうた、タイガーマスクなど”. 週刊しゅうかんデイリー (2021ねん4がつ28にち). 2021ねん4がつ28にち閲覧えつらん
  54. ^ 菊池きくち俊輔しゅんすけさん死去しきょ「ドラえもん」や「あばれんぼう将軍しょうぐん作曲さっきょく”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル (2021ねん4がつ28にち). 2021ねん4がつ28にち閲覧えつらん
  55. ^ 『ドラえもん』番組ばんぐみ最後さいご、のびやくつとめた小原おはら乃梨子のりこさん追悼ついとう小原おはらさん、ながあいだ本当ほんとうにありがとうございました」”. ORICON NEWS. oricon ME (2024ねん7がつ27にち). 2024ねん7がつ27にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん7がつ27にち閲覧えつらん
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  58. ^ 藤子とうこ不二雄ふじおFCネオ・ユートピア会報かいほう50ごう, p.69
  59. ^ DVDBOX『ドラえもんタイムマシンBOX1979』付録ふろくパンフレット
  60. ^ タイムマシンBOX 付属ふぞくパンフレット
  61. ^ 藤子とうこ不二雄ふじおFCネオ・ユートピア会報かいほう50ごう, p.39
  62. ^ 渡辺わたなべあゆみインタビュー
  63. ^ ドラえもん商品しょうひんカタログ
  64. ^ a b c ドラえもん タイムマシンBOX1979 パンフレット
  65. ^ 詳細しょうさいとうページ、9こう.のびいえ参照さんしょう
  66. ^ 藤子とうこ・F・不二雄ふじお★ワンダーランド ぼくドラえもん02
  67. ^ 『ドラえもんタイムマシンBOX1979』付録ふろくパンフレット
  68. ^ 鈴木すずき敏夫としおのジブリあせまみれ - TOKYO FM 80.0 - 鈴木すずき敏夫としお 高畑たかはた仕事しごとをしていた鈴木すずき敏夫としお証言しょうげん高畑たかはた先述せんじゅつ企画きかくしょ執筆しっぴつするさいだい1さく視聴しちょうし、しゃくあまることからシナリオライターを起用きようして間延まのびさせているところがダメだという感想かんそうをスタッフにべていたことほんさく制作せいさくスタイルに反映はんえいされたという。
  69. ^ 1981ねん10がつ2にち放送ほうそう『ドラえもんだいきらい!?』
  70. ^ 藤子とうこ・F・不二雄ふじお★ワンダーランド『ぼくドラえもん02』より
  71. ^ DVDようにマスターがつくなおされ16:9スクイーズされた劇場げきじょうばんは『南海なんかいだい冒険ぼうけん』、『宇宙うちゅう漂流ひょうりゅう』、『太陽たいようおう伝説でんせつ』、『ワンニャン時空じくうでん』のみ。
  72. ^ 「マッチりのドラえもん」(1993ねん12月24にち放送ほうそう)などが該当がいとうする。
  73. ^ Wayback Machine
  74. ^ ドラえもん不適切ふてきせつ表現ひょうげん謝罪しゃざい作品さくひん収録しゅうろくDVDを修正しゅうせいみのものと交換こうかんへ。 ナリナリドットコム 2012ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  75. ^ 読者どくしゃ・ご購入こうにゅうしゃ皆様みなさまへ 〜『ドラえもんDVD』にかんするおらせ〜 小学館しょうがくかん ニュース 2012ねん4がつ24にち閲覧えつらん(2012ねん4がつ24にち時点じてんアーカイブ
  76. ^ ドラえもんDVDに「○○」「××」 小学館しょうがくかんが「性的せいてき文言もんごん謝罪しゃざい製品せいひん交換こうかん(2012ねん4がつ24にち J-CASTニュース 2014ねん8がつ17にち閲覧えつらん)・問題もんだい箇所かしょ画像がぞう拡大かくだい記事きじめい一部いちぶ伏字ふせじにしている)
  77. ^ おおみそかだよ!ドラえもん 歴代れきだいおおみそかドカンと36あいだ一挙いっきょ放送ほうそうSP!!

参考さんこう文献ぶんけん

  • 大山おおやまのぶ、2006、『ぼく、ドラえもんでした。 なみだわらいの26ねんうちあけはなし』、小学館しょうがくかん ISBN 4093876541
  • 高橋たかはしひろし、2014、『視聴しちょうりつ15%を保証ほしょうします! あのヒット番組ばんぐみんだ「発想はっそうほう」と「仕事しごとじゅつ」』、小学館しょうがくかん ISBN 4098252171

関連かんれん項目こうもく

外部がいぶリンク

試聴しちょう
テレビ朝日てれびあさひ つき - 土曜どよう 18:50 – 19:00
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
ドラえもん
(1979ねん4がつ2にち - 1981ねん9がつ26にち
ほんさく以後いご藤子とうこ不二雄ふじお劇場げきじょうわく
忍者にんじゃハットリくん
(1981ねん9がつ28にち - 1983ねん4がつ2にち
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 日曜にちよう 8:30 - 9:00
明日あした経営けいえい戦略せんりゃく
【60ふんげて継続けいぞく
ドラえもん
(1979ねん4がつ8にち - 1980ねん3がつ30にち
ほんさくのみ藤子とうこ不二雄ふじお劇場げきじょうわく
ワールド・ナウ
【30ふんげて継続けいぞく
どう番組ばんぐみより朝日放送あさひほうそう制作せいさく
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 日曜にちよう 9:30 - 10:00
ドラえもん
(1980ねん4がつ6にち - 1981ねん9がつ27にち
ほんさく以後いご藤子とうこ不二雄ふじお劇場げきじょうわく
忍者にんじゃハットリくん
(1981ねん10がつ4にち - 1983ねん4がつ3にち
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 金曜きんよう 19:00 - 19:30
ハロー!サンディベル
(1981ねん3がつ6にち - 9月18にち
【【30ふんげて継続けいぞく
ドラえもん
(1981ねん10がつ2にち - 1987ねん10がつ9にち
ニュースシャトル
平日へいじつ19:20 - 20:00
ドラえもん
※18:50 - 19:20

ニュースシャトル
平日へいじつ19:20 - 20:00
【80ふんげて継続けいぞく
ドラえもん
(1989ねん4がつ14にち - 2005ねん3がつ18にち
ドラえもん
だい2さくだい2

(2005ねん4がつ15にち - 2019ねん9がつ6にち
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 金曜きんよう 18:50 - 19:20
藤子とうこ不二雄ふじお劇場げきじょう
直前ちょくぜんは『忍者にんじゃハットリくん』)
つき - 土曜どよう18:45 - 19:00
ドラえもん
※19:00 - 19:30
【10ふんげて継続けいぞく
ドラえもん
(1987ねん10がつ23にち - 1989ねん3がつ31にち
ピッカピカ音楽おんがくかん
平日へいじつ
パオパオチャンネル』より独立どくりつ
ドラえもん
【10ふんげて継続けいぞく