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バンダイ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社かぶしきがいしゃバンダイ
BANDAI CO., LTD.
バンダイ本社ほんしゃ
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
111-8081
東京とうきょう台東たいとう駒形こまがたいち丁目ちょうめ4ばん8ごう
北緯ほくい3542ふん26.2びょう 東経とうけい13947ふん41.2びょう / 北緯ほくい35.707278 東経とうけい139.794778 / 35.707278; 139.794778座標ざひょう: 北緯ほくい3542ふん26.2びょう 東経とうけい13947ふん41.2びょう / 北緯ほくい35.707278 東経とうけい139.794778 / 35.707278; 139.794778
設立せつりつ 1950ねん昭和しょうわ25ねん7がつ5にち
株式会社かぶしきがいしゃまんだい
業種ぎょうしゅ その製品せいひん
法人ほうじん番号ばんごう 5010501016209 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう キャラクター事業じぎょう根幹こんかんとした玩具おもちゃ模型もけい玩具おもちゃ菓子かし自動じどう販売はんばいよう商品しょうひん、カード、アパレル生活せいかつ用品ようひん文具ぶんぐとう製造せいぞう販売はんばい
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 竹中たけなか一博かずひろ
資本しほんきん 100おくえん
売上うりあげだか
  • 1491おく5500まんえん
(2023ねん3がつ[1]
営業えいぎょう利益りえき
  • 122おく4100まんえん
(2023ねん3がつ[1]
経常けいじょう利益りえき
  • 134おく4600まんえん
(2023ねん3がつ[1]
じゅん利益りえき
  • 99おく4700まんえん
(2023ねん3がつ[1]
純資産じゅんしさん
  • 511おく0000まんえん
(2023ねん3がつ31にち現在げんざい[1]
そう資産しさん
  • 932おく3000まんえん
(2023ねん3がつ31にち現在げんざい[1]
従業じゅうぎょう員数いんずう
  • 904にん
(2024ねん3がつ1にち時点じてん[2]
決算けっさん 3月31にち
主要しゅよう株主かぶぬし 株式会社かぶしきがいしゃバンダイナムコホールディングス 100%
主要しゅよう子会社こがいしゃ メガハウス 100%
プレックス 100%
関係かんけいする人物じんぶつ 山科やましな直治なおじ
山科やましなまこと
外部がいぶリンク www.bandai.com ウィキデータを編集
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株式会社かぶしきがいしゃバンダイえい: BANDAI CO., LTD.)は、子供こども玩具おもちゃ模型もけい既製きせいふく(アパレル)、生活せいかつ用品ようひんとう企画きかく開発かいはつ製造せいぞう販売はんばいおこな日本にっぽん企業きぎょう株式会社かぶしきがいしゃバンダイナムコホールディングス完全かんぜん子会社こがいしゃ。コーポレート・メッセージは「ゆめ・クリエイション~たのしいときをつく企業きぎょう[3]。「変身へんしん」や「妖怪ようかい」を商標しょうひょう登録とうろくしている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

企業きぎょう系列けいれつ[編集へんしゅう]

かつては三和さんわグループのメンバーであり三和さんわけい企業きぎょう設立せつりつされたみどりかいのメンバーだったが[4]、2005ねんナムコげんバンダイナムコエンターテインメント)との経営けいえい統合とうごうにみどりかい退会たいかいした。

日本にっぽん国外こくがいでの展開てんかい[編集へんしゅう]

バンダイグループは、日本にっぽん国外こくがいにおいて、現地げんち人気にんきキャラクターをさかんに玩具おもちゃし、「しん キャプテン・スカーレット」や「バットマン」、「ベン10」などの玩具おもちゃ現地げんち子会社こがいしゃつうじて発売はつばいされている。

1990年代ねんだいにスーパー戦隊せんたいシリーズを日本にっぽん国外こくがいけにした作品さくひんである「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」の玩具おもちゃをアメリカをはじめとする日本にっぽん国外こくがい発売はつばいし、だい成功せいこうおさめた。以後いご、『ニンジャスティール』までのパワーレンジャーシリーズの玩具おもちゃ毎年まいとし発売はつばいしていたが、2019ねん4がつ1にちをもってサバン・ブランドとの契約けいやく終了しゅうりょうにより『ビーストモーファーズ以降いこうどうシリーズの玩具おもちゃ販売はんばいハズブロ移行いこうした[5]

2000年代ねんだい以後いごはそれらにくわえて、現地げんちのキャラクターをアニメして展開てんかいしている。アメリカではアメリカングリーティングしゃ開発かいはつしたグリーティングカードのキャラクターである「ストロベリーショートケーキ」を、ヨーロッパではフランスの絵本えほん題材だいざいとした「ベルフラワーバニーズ」などをアニメしている。

2010年代ねんだいはアジアでのメディアミックス戦略せんりゃくにもちかられ、インドネシアけに石森いしもりプロ共同きょうどう開発かいはつした等身とうしんだい特撮とくさつヒーロー「ガルーダの戦士せんしビマ」を展開てんかいしている。これをけ2014ねんには現地げんち法人ほうじんBANDAI NAMCO INDONESIAを設立せつりつした。このほかアイカツ!」も韓国かんこく台湾たいわん香港ほんこん、インドネシアでアニメと関連かんれん玩具おもちゃ展開てんかいしている。

「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」の成功せいこうわせて、ガンダムシリーズなどの日本にっぽんのキャラクターの玩具おもちゃ日本にっぽん国外こくがい発売はつばいおこなっている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1950年代ねんだい[編集へんしゅう]

創業そうぎょうしゃ山科やましな直治なおじ義兄ぎけい久々津くぐついちおっと経営けいえいする繊維せんい会社かいしゃまんだい産業さんぎょう」の玩具おもちゃ部門ぶもんゆず玩具おもちゃ問屋とんや萬代よろずよ」として浅草あさくさにて創業そうぎょう[6]。「まんだい」(まんだい)とはたけけいななしょひとつにかぞえられる兵法ひょうほうしょろく」に登場とうじょうするかたりの「まんだい不易ふえき」(永久えいきゅう不変ふへん)に由来ゆらいし、創業そうぎょうしゃ山科やましな直治なおじが「いつのひとしんたすものつくり、えない企業きぎょう発展はってんねがう」という意味いみだとしている。

当初とうしょまんだい産業さんぎょうあまりのぬのれでつくった人形にんぎょう販売はんばい。その、1950ねんはつ自社じしゃ製品せいひんのゴムまり「リズムボール」発売はつばい、「B26ナイトプレイン」が50まん以上いじょうのヒットになり、これ以降いこう金属きんぞく玩具おもちゃ主力しゅりょくとするようになる。輸出ゆしゅつ中心ちゅうしん国内こくないには輸出ゆしゅつあまりを販売はんばいしており、玩具おもちゃ業界ぎょうかいでは評判ひょうばんわるかったが、国内こくないけの玩具おもちゃ開発かいはつがけるようになる。創業そうぎょうから1960年代ねんだい当時とうじは「教育きょういくのバンダイ」とばれた。

1960年代ねんだい[編集へんしゅう]

1961ねん社名しゃめいまんだいからバンダイに変更へんこうする。玩具おもちゃメーカーとしては後発こうはつであり旧来きゅうらい玩具おもちゃ業界ぎょうかいから反発はんぱつつよかったため、おなじく後発こうはつタカラげんタカラトミー)とエポック社えぽっくしゃんで1961ねんに「玩具おもちゃさん社会しゃかい」を設立せつりつさんしゃ共同きょうどう玩具おもちゃ見本市みほんいち開催かいさいしたり、新入しんにゅう社員しゃいん研修けんしゅう合同ごうどうおこなうようになる。のちトミーげん・タカラトミー)とニチガンと学習がくしゅう研究けんきゅうしゃげん学研がっけんホールディングス)がくわわり「玩具おもちゃろく社会しゃかい」になる。

1960年代ねんだいなかばより「クレイジーフォーム」「わんぱくフリッパー」「サンダーバード」などのヒットにより大手おおて成長せいちょうする。しかし1968ねん提唱ていしょうした「返品へんぴん取引とりひき」が「バンダイは返品へんぴん負担ふたん問屋とんやしつける」と玩具おもちゃ流通りゅうつう業界ぎょうかいからの反発はんぱつう。さらに「キャプテンスカーレット」の失敗しっぱいにより「バンダイ倒産とうさんちかし」という「くろうわさ」がまれる。それとともにバンダイ不買ふばい運動うんどうこる。こうした騒動そうどうは「返品へんぴん取引とりひき」を撤回てっかいし、さらに「キャプテンスカーレット」の売上うりあげ不振ふしん倒産とうさんした今井いまい科学かがく(イマイ)の業務ぎょうむをバンダイがぐことで終息しゅうそくした。

1970年代ねんだい[編集へんしゅう]

1960年代ねんだい版権はんけん違反いはん問題もんだい[よう説明せつめい]だい失敗しっぱい版権はんけん協会きょうかいから追放ついほうされ、業績ぎょうせきんでいたところ、東映とうえい渡邊わたなべあきらとくが『仮面かめんライダー』をつくさいにバンダイの救済きゅうさいねるかたちで、バンダイに子会社こがいしゃ設立せつりつさせた。それが1971ねん発足ほっそくポピーである。以後いごポピーがキャラクター玩具おもちゃになかたちとなり、東映とうえい関係かんけいふかめてきキャラクタービジネスを主軸しゅじくとしたマーチャンダイジングを推進すいしんしていった。1970年代ねんだいにポピーはきゅう成長せいちょうし、売上うりあげでバンダイ本社ほんしゃくようになり、ポピー社員しゃいんはバンダイ社員しゃいん羨望せんぼうをうけることになる。ポピーがバンダイ本社ほんしゃ合併がっぺいされるまではバンダイ本社ほんしゃはほとんどキャラクター玩具おもちゃあつかっていなかったため、現在げんざいのバンダイのキャラクター玩具おもちゃはポピーが基盤きばんとなっている。

1967ねん経営けいえい破綻はたんした模型もけいメーカーのコグレのプラモデルかねがたったことから本社ほんしゃない模型もけい発足ほっそく前述ぜんじゅつ今井いまい科学かがく静岡しずおか工場こうじょうかねがた社員しゃいん買収ばいしゅうして、1971ねん子会社こがいしゃのバンダイ模型もけい設立せつりつ[7]静岡しずおかけん清水しみず工場こうじょう拠点きょてんにバンダイ模型もけい企画きかく開発かいはつ生産せいさんおこない、本社ほんしゃ模型もけい営業えいぎょう販売はんばいおこな体制たいせいとなる。

きゅう今井いまい製品せいひん再版さいはん土台どだいにスタートしたため「バンダイは倒産とうさんした会社かいしゃかねがた使つかっている」と業界ぎょうかいないでの評価ひょうかわるく、しん製品せいひん開発かいはついそがれミリタリーや自動車じどうしゃ模型もけいなどを開発かいはつする。とく1/48機甲きこう師団しだんシリーズ手頃てごろ価格かかく内部ないぶ構造こうぞう再現さいげんで、1970年代ねんだい前半ぜんはん田宮たみや模型もけいの1/35ミリタリーミニチュアシリーズなら人気にんき商品しょうひんとなる。また1970年代ねんだい中頃なかごろ一時期いちじき米国べいこくモノグラムしゃ販売はんばい代理だいりてんとなり、同社どうしゃすぐれた1/48航空機こうくうきキットを全国ぜんこくてい価格かかく供給きょうきゅうした。おなごろ東映とうえいだいヒット映画えいがトラック野郎やろう」の版権はんけん取得しゅとくし、主人公しゅじんこうった11tトラック「一番いちばんほし」をモデル当初とうしょ得意とくいの1/48スケールの販売はんばいだけだったが、のち全長ぜんちょう55センチのちょう大型おおがた1/20スケールのものを発売はつばい、25ねん以上いじょうった現在げんざい販売はんばい継続けいぞくしている。

1977ねんふゆ発売はつばいした宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマトでは1/500、1/700とうキャラクターけいキットにたいするはつのスケール表示ひょうじ導入どうにゅうや、かんくびひろげたディフォルメモデル、主役しゅやくメカだけでなく脇役わきやくメカや悪役あくやくがわメカもシリーズにくわえるなどの商品しょうひん展開てんかいのディスプレイキットがだいヒットした。それまではゼンマイモーター駆動くどうによる「玩具おもちゃいろつよかったキャラクターけいキットがディスプレイキット主体しゅたい転換てんかんされる結果けっかとなった[ちゅう 1]。その商品しょうひん展開てんかい機動きどう戦士せんしガンダム関連かんれんキット(通称つうしょうガンプラ」)に継承けいしょうされて1980年代ねんだい以降いこう爆発ばくはつてきヒットにつながり、プラモデルの取扱とりあつかいはキャラクターけいキットにとくされ、すうおおくのヒット商品しょうひんした。

1978ねんには、宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマトちょう合金ごうきんブームの人気にんきけ、ブルマァク倒産とうさんにより商品しょうひんライセンスをうしなった円谷つぶらやプロダクションウルトラシリーズ商品しょうひんライセンスを獲得かくとくする。以後いご、バンダイのウルトラシリーズはだいヒットしていった。

ポピーは東宝とうほうゴジラシリーズとう特撮とくさつ怪獣かいじゅう映画えいがウルトラシリーズひとし円谷つぶらやプロ特撮とくさつ、そして仮面かめんライダーシリーズスーパー戦隊せんたいシリーズ・80年代ねんだいはじまるメタルヒーローシリーズひとし東映とうえい特撮とくさつ・アニメをはじめとした、作品さくひん世界せかいかんやキャラクターを使用しようした玩具おもちゃ雑貨ざっか既製きせいふくなどを商品しょうひんする「キャラクターマーチャンダイジング」ビジネスを得意とくいとしていた。仮面かめんライダーとスーパー戦隊せんたいとメタルヒーローでは当初とうしょから玩具おもちゃがけていた。

番組ばんぐみ企画きかく当初とうしょより登場とうじょうキャラクターのデザインとうへの参加さんかおよび介入かいにゅうすることでおよそ1年間ねんかん商品しょうひん販売はんばい計画けいかく策定さくていしており、現在げんざいのキャラクター玩具おもちゃビジネスの基本きほんラインは、同社どうしゃのスタイルを踏襲とうしゅうしたものがおおい。

1980年代ねんだい[編集へんしゅう]

1980ねん山科やましな直治なおじは35さい長男ちょうなん山科やましなまこと社長しゃちょうしょくゆず会長かいちょうしょく退しりぞいた。この時期じき、バンダイグループは玩具おもちゃ業界ぎょうかいいちにまで成長せいちょうしており、山科やましな直治なおじは「勝負しょうぶはついた」という趣旨しゅし発言はつげんをしている。

山科やましなまこと出版しゅっぱんしゃ編集へんしゅうしゃ志望しぼうしていたが、その志望しぼうかなえられなかったことと前述ぜんじゅつの「くろうわさ」の払拭ふっしょくつとめていた時期じき山科やましな直治なおじの「長男ちょうなん入社にゅうしゃさせるくらいだからバンダイは大丈夫だいじょうぶなんだ」というアピールとしてバンダイに入社にゅうしゃした。このため玩具おもちゃ事業じぎょうには興味きょうみたず、文房具ぶんぼうぐ、アパレル、菓子かし映像えいぞう音楽おんがく、パソコン、アミューズメントなど事業じぎょう多角たかくすすむことになる。これは表面ひょうめんじょう少子化しょうしか玩具おもちゃ事業じぎょう成長せいちょう見込みこめないためとされたが、山科やましなまこと玩具おもちゃ事業じぎょうにいる古参こさん社員しゃいんけむたがったためともされている。

一方いっぽう、1980年代ねんだい玩具おもちゃ業界ぎょうかい成長せいちょう頭打あたまうちになり、かぎられたパイをめぐって競争きょうそう激化げきか玩具おもちゃメーカーの倒産とうさん相次あいつぎ、前述ぜんじゅつの「玩具おもちゃろく社会しゃかい」は1984ねん解散かいさんした。そのなかでゲーム会社かいしゃきゅう成長せいちょう任天堂にんてんどうセガはバンダイの売上うりあげいた。

このながれに対応たいおうし1980年代ねんだい中盤ちゅうばんには独自どくじテレビゲーム販売はんばいおこなうもファミリーコンピュータ(ファミコン)をはじめとする他社たしゃハードのサードパーティーとしてソフトの製造せいぞう販売はんばいがけるようになる。「なぜ、ファミコンをするのか?」とわれたものの、ファミコン参入さんにゅうだい1だんキン肉マンきんにくまん マッスルタッグマッチ」のヒットで軌道きどうった。

1982ねんにガンプラの販売はんばいにおいて「ヤミ再販さいはん」(メーカーが価格かかくめ、流通りゅうつう業者ぎょうしゃにそれをまもらせること)と「わせ販売はんばい」(ガンダム以外いがい商品しょうひんわないとガンダムをらない)をおこなまもらなかった場合ばあいには出荷しゅっか停止ていしおこなったことが独占どくせん禁止きんしほう違反いはんにあたるとしてバンダイとポピーは公正こうせい取引とりひき委員いいんかい立入検査たちいりけんさけた。1983ねん公正こうせい取引とりひき委員いいんかいのヤミ再販さいはん排除はいじょ勧告かんこく受諾じゅだくする。しかしもうひとつの問題もんだいである「わせ販売はんばい」については不問ふもんとなった。

1983ねん株式かぶしき上場じょうじょうけバンダイ本社ほんしゃ存続そんぞく会社かいしゃとしてグループ8しゃ合併がっぺいおこなった。

1986ねん玩具おもちゃメーカーとしてはじめて東証とうしょう2上場じょうじょうたした。これにより社員しゃいんたちのなかにあった「所詮しょせんおれたちは下町したまちのおもちゃメーカーじゃないか」という卑下ひげする気持きもちが払拭ふっしょくできたとある。

なお山科やましな直治なおじだい世界せかい大戦たいせん中国ちゅうごく出征しゅっせいしており、「戦時せんじちゅう贖罪しょくざい」として1985ねん中国ちゅうごく福建ふっけんしょうにちちゅう合弁ごうべん会社かいしゃ中国ちゅうごく福萬ふくまん福建ふっけん玩具おもちゃ有限ゆうげん公司こうし設立せつりつ。ビジネスじょうねらいとしては、えんだか日本にっぽん国内こくないでの玩具おもちゃ製造せいぞうのコストががったため、えんだか影響えいきょうがない中国ちゅうごく製造せいぞうしようということである。これ以降いこう、バンダイは海外かいがい生産せいさん比率ひりつげていくことになり、現在げんざいでは9わり海外かいがい生産せいさんである。

1989ねんだい39かい創立そうりつ記念きねん式典しきてん山科やましなまことは「バンダイランド」の構想こうそうかたった。これは、ディズニー手本てほんとしたレジャー施設しせつ構想こうそうである。また多角たかく一層いっそうすすめ、玩具おもちゃ会社かいしゃから脱皮だっぴし、ディズニーのような総合そうごうエンタテインメント企業きぎょう目指めざすこともかたられた。この「日本にっぽんのディズニー」という目標もくひょう現在げんざいのバンダイでも継承けいしょうされている。同年どうねん提携ていけいしていたコアランドテクノロジー株式会社かぶしきがいしゃ子会社こがいしゃし、商号しょうごう株式会社かぶしきがいしゃバンプレスト」に変更へんこう杉浦すぎうらさいわいあきら初代しょだい社長しゃちょうになった。ただしこのさいに、人的じんてき相当そうとう流出りゅうしゅついれ変化へんかがあったため、バンプレストとコアランドテクノロジーの関係かんけい法人ほうじんかくいだだけの関係かんけいにすぎないととらえるきもある。

1990年代ねんだい[編集へんしゅう]

海外かいがいでは1993ねんにアメリカばんスーパー戦隊せんたいパワーレンジャーだいヒットをとばす。しかし前述ぜんじゅつのようにゲーム任天堂にんてんどうやセガにおくれをとったとかんがえたバンダイは1994ねんに「プレイディア」、1996ねんに「ピピンアットマーク」を販売はんばいするも失敗しっぱい。これにくわえ、どう時期じき玩具おもちゃ事業じぎょう不振ふしんスーパーファミコンようソフトの不振ふしんにより1997ねん3がつ連結れんけつ決算けっさん上場じょうじょう以来いらいはつ赤字あかじとなる見通みとおしになった。

こうした経営けいえい不振ふしんから1997ねん、セガとのあいだで「セガバンダイ」として合併がっぺいおこなうと発表はっぴょうされた[8]。これにかんしてセガの中山なかやま社長しゃちょうは「ピピンが成功せいこうしていたら合併がっぺいはなかったろう」としている。ぎゃくにセガがよわてい年齢ねんれいけのキャラクターでつよみがあるバンダイとの合併がっぺいはセガにとってはメリットがあった。また当時とうじ、セガはライバルのSCEにゲーム戦争せんそうけつつあり、この合併がっぺいは「敗者はいしゃ連合れんごう」とされた。

しかしバンダイのたまごっちだいヒットや、バンダイ社内しゃないからの反発はんぱつつよ構想こうそう破談はだんになった。ただこの2要素ようそ破談はだんの「決定的けっていてき要因よういんではない」としている。

セガのほう企業きぎょう規模きぼおおきいうえに「社風しゃふう米国べいこくりゅうでドライ」であったため、合理ごうりしたにリストラ(解雇かいこ)の懸念けねんがあったのである。またバンダイ系列けいれつ問屋とんや統合とうごうして誕生たんじょうしたハピネットでは存続そんぞく会社かいしゃのトウショウ社員しゃいんばかりが優遇ゆうぐうされていた「ハピネット悪夢あくむ」もつよ想起そうきされ、合併がっぺい存続そんぞく会社かいしゃがセガである以上いじょう、リストラされなかったとしてもバンダイ社員しゃいん不遇ふぐうになるものとおもわれた。さらに、かつてのバンダイではかんがえられなかったが、一流いちりゅう上場じょうじょう企業きぎょう社員しゃいんとしてのほこりが「セガバンダイ」の名前なまえつよ反発はんぱつした。また合併がっぺい反対はんたい山科やましな直治なおじんだことも影響えいきょうした。

このとき責任せきにんり、山科やましなまこと社長しゃちょうしょく辞任じにんして会長かいちょう退しりぞくも後任こうにん茂木もきたかし山科やましなまことで、「山科やましな体制たいせい」は維持いじされた。

セガとは合併がっぺい破談はだん業務ぎょうむ提携ていけいつづけられ、バンダイはしばらくのあいだ、セガのゲームけのソフトを優先ゆうせんてき開発かいはつすることとなる。

ピピンの事業じぎょうはそのつづけられたが1998ねん撤退てったいどう事業じぎょうをてがけていたBDE(バンダイ・デジタル・エンタテインメント)は解散かいさんする[9]。これにともなって特別とくべつ損失そんしつ270おくえん計上けいじょう。このためたまごっちのヒットにより1998ねん3がつ連結れんけつ決算けっさんは2882おくえん過去かこ最高さいこうであったにもかかわらず、単独たんどく決算けっさんでは赤字あかじ転落てんらくした。

さらにたまごっちのだいブームの終息しゅうそく見極みきわめられず、大量たいりょう在庫ざいこかかえてしまい、1999ねん3がつでは単独たんどく決算けっさん連結れんけつ決算けっさんともに赤字あかじになる。単独たんどく決算けっさんは2連続れんぞく赤字あかじである。この責任せきにんり、茂木もきたかし退職たいしょく山科やましなまこと名誉めいよ会長かいちょうしょく退しりぞき、「山科やましな体制たいせい」は崩壊ほうかいした。

1999ねん山科やましなまこと推進すいしんした多角たかく放棄ほうきし、赤字あかじ事業じぎょう清算せいさんするためにバンダイ入社にゅうしゃさんねん高須たかす武男たけお社長しゃちょう就任しゅうにん高須たかすが「どろをかぶった」かたち事業じぎょう整理せいりはじまる。かれ就任しゅうにんちゅう音楽おんがく映像えいぞう海外かいがい販社はんしゃなどの事業じぎょう撤退てったいないし縮小しゅくしょうすることになる。玩具おもちゃ事業じぎょう不慣ふなれな高須たかす武男たけお山科やましな直治なおじ時代じだいからの「だい番頭ばんがしら」である杉浦すぎうらさいわいあきら会長かいちょうしょくから支援しえんした。

同年どうねんには携帯けいたいゲーム市場いちばにおける任天堂にんてんどういちきょう体制たいせい打破だはすべく、携帯けいたいゲームワンダースワン」を投入とうにゅうして、一定いってい成功せいこうおさめる。

2000年代ねんだい以降いこう[編集へんしゅう]

おもちゃのまちバンダイミュージアム(壬生みぶまち
バンダイホビーセンター(静岡しずおか

2002ねんなが方向ほうこう寸法すんぽう短縮たんしゅくした鉄道てつどう車両しゃりょうショーティーモデルの塗装とそうみキットである「Bトレインショーティー」を発売はつばい同様どうよう鉄道てつどう模型もけいちか商品しょうひんとしてNゲージとおな縮尺しゅくしゃく先頭せんとう車両しゃりょうをリアルに模型もけいした食玩しょくがん「スタートレイン」やレールはばZゲージよりちいさい電池でんち駆動くどうスケールモデルZZ TRAIN」も「Bトレインショーティー」と前後ぜんごして発売はつばいされている。

2003ねん3がつ連結れんけつ決算けっさん営業えいぎょう利益りえき経常けいじょう利益りえき過去かこ最高さいこう達成たっせい本物ほんものドラえもんつくる「リアル・ドリーム・ドラえもん・プロジェクト」を開始かいし一方いっぽう、2000ねんに「ワンダースワン」の後継こうけいとして登場とうじょうした「ワンダースワンカラー」は「ファイナルファンタジーシリーズ」が携帯けいたいゲームはじめての投入とうにゅうもあってそこそこの人気にんきるも、人気にんきソフトの不足ふそくや、任天堂にんてんどうの「ゲームボーイアドバンス」による攻勢こうせいによってジリ貧じりひんおちいり、2003ねん携帯けいたいゲームのハード開発かいはつから事実じじつじょう撤退てったい表明ひょうめいしている。

杉浦すぎうらさいわいあきら定年ていねん65さい内規ないきしたが会長かいちょうしょくした。かれ引退いんたい記念きねんして以前いぜん社長しゃちょうつとめたバンプレスト本社ほんしゃがあった千葉ちばけん松戸まつどにあるビルを改装かいそうし、バンダイミュージアムとして開館かいかん前述ぜんじゅつの「バンダイランド」の構想こうそうっていた同社どうしゃとしては不満ふまんのこるものだったものの、特撮とくさつヒーロー関連かんれん展示てんじやガンダムの世界せかいかんもとづいた博物館はくぶつかんとバーを運営うんえいするなどした。2006ねん8がつ31にち閉館へいかん2007ねん4がつ28にち栃木とちぎけん壬生みぶまちおもちゃのまちバンダイミュージアムとしてよそおいもあらたに開館かいかん

また文化ぶんか事業じぎょうにも熱心ねっしんところせ、バブル崩壊ほうかいこう各社かくしゃ活動かつどう縮小しゅくしょうするなかで、世界せかい有数ゆうすうのトイ・コレクションを藤田ふじた文化ぶんか財団ざいだんからゆずけ、軽井沢かるいざわワールドトイミュージアム現在げんざい閉館へいかん)と栃木とちぎけん壬生みぶまちしんバンダイミュージアム公開こうかいしている。どうミュージアムでは19世紀せいき蒸気じょうき機関きかん模型もけいや20世紀せいき初頭しょとう炭鉱たんこう模型もけい展示てんじされている。また、バンダイミュージアムでは玩具おもちゃだけでなく、エジソン発明はつめいひん一堂いちどう展示てんじされている。

2004ねん4がつ本社ほんしゃビルを現在げんざい場所ばしょ移転いてんする。この新社屋しんしゃおくのエレベーターは4あり、それぞれバンダイが商品しょうひんしているキャラクターのこえまめっち仮面かめんライダー1ごうアンパンマンアムロ・レイ)がアナウンスするというユニークなつくりになっている。

2005ねん9がつ、それまで業務ぎょうむ提携ていけいなどをおこなってきたナムコ共同きょうどう持株もちかぶ会社かいしゃ設立せつりつ経営けいえい統合とうごう前述ぜんじゅつ高須たかす武男たけお手腕しゅわんにより「経営けいえい万全ばんぜん」としたうえでの統合とうごうである。持株もちかぶ会社かいしゃバンダイナムコホールディングス子会社こがいしゃとなった。この経営けいえい統合とうごう誕生たんじょうした総合そうごうアミューズメント(AM)事業じぎょうグループのバンダイナムコグループは、現在げんざいゲーム業界ぎょうかいではソニー、任天堂にんてんどうだい3事業じぎょう規模きぼほこ日本にっぽんのゲームソフトメーカーでは国内こくない最大手さいおおてとなるまでに成長せいちょうしている。このときは「セガバンダイ」のときちがい、「バンダイナムコ」の名前なまえたいする反発はんぱつはほとんどなかった。

2006ねん3がつ1にちきゅうイマイ時代じだいからプラモデルを生産せいさんしていた静岡しずおか清水しみず静岡しずおかワークスから静岡しずおかあおいしん工場こうじょう移転いてんし、「バンダイホビーセンター」として稼動かどう開始かいし開発かいはつ設計せっけいかねがた生産せいさんという、ガンプラにかかわる営業えいぎょうとプロモーション以外いがい分野ぶんやをまとめて担当たんとうし、開発かいはつから生産せいさんまでを施設しせつない一括いっかつすることで生産せいさん効率こうりつ品質ひんしつ向上こうじょうはかられている。3月31にち、バンダイナムコグループの事業じぎょう再編さいへん一環いっかんとして、家庭かていようビデオゲーム事業じぎょう部門ぶもんをナムコを母体ぼたいとしたゲーム事業じぎょう部門ぶもんバンダイナムコゲームス」へ統合とうごうきゅう・バンダイゲーム事業じぎょう部門ぶもんがけるゲームは、2014ねんまで「バンダイ」レーベルで発売はつばいしていた)。ちなみに、「アドバンスピコ・ビーナ」(セガトイズ)のサードパーティかんしては、電子でんし玩具おもちゃとしているため、つづ当社とうしゃ担当たんとうしている。それ以降いこう、バンダイはおもにトイホビー事業じぎょうせんもん会社かいしゃ組織そしきとなった。6月、ウィルコムW-SIM使つかい、子供こどもPHS、「キッズケータイpapipo!」を発売はつばいした。1997ねん発売はつばいの「たまぴっち」以来いらいのPHS端末たんまつ発売はつばいであり、これまで発売はつばいしてきた「メルプチ」の発展はってんばんになる。

2008ねん4がつ1にち、バンダイナムコゲームスがバンプレストを吸収きゅうしゅう合併がっぺいしゲームソフト事業じぎょうとアミューズメント機器きき事業じぎょう継承けいしょう、プライズ事業じぎょう(UFOキャッチャーなどの景品けいひん開発かいはつ販売はんばい)はしん会社かいしゃバンプレストを設立せつりつ継承けいしょう

2009ねん4がつ1にち当社とうしゃ運営うんえいのバンダイレーベル専用せんようサイトは、バンダイナムコゲームス公式こうしきサイトに統合とうごうされ、統合とうごうまえ発売はつばいされたゲームタイトルだけは知的ちてき財産ざいさんけん自社じしゃ管理かんりしていたが、それと同時どうじにバンダイナムコゲームスにがれた。また、バンダイレーベルのゲームタイトルのCMは企業きぎょうとしてのバンダイのCMで製作せいさくされていたが、それ以降いこうからバンダイレーベルもバンダイナムコゲームスの自社じしゃCMに移行いこうしたため、ゲーム事業じぎょう完全かんぜんにバンダイナムコに統合とうごうした。4がつ20日はつか公式こうしきショッピングサイト「プレミアムバンダイ」を開設かいせつ一般いっぱん流通りゅうつうでは販売はんばいしづらい商品しょうひん大人おとなようアパレル商品しょうひんなどを中心ちゅうしんにさまざまな商品しょうひん展開てんかい実施じっししている。

2018ねん2がつ9にち、バンダイナムコグループの再編さいへん発表はっぴょうされ、ホビー事業じぎょうならびにコレクターズ事業じぎょうがけているハイターゲットけの玩具おもちゃ、プラモデルの企画きかく開発かいはつ製造せいぞう販売はんばいなどの事業じぎょう同年どうねん4がつ1にちづけしん会社かいしゃBANDAI SPIRITS移管いかんしたため、バンダイはトイ事業じぎょうカンパニー(トイ戦略せんりゃくしつ、ボーイズ事業じぎょう、ガールズ事業じぎょう、プリスクール事業じぎょう)、ベンディング事業じぎょうカンパニー(ベンダー事業じぎょう、カード事業じぎょう)、ライフ事業じぎょうカンパニー(キャンディ事業じぎょう、アパレル事業じぎょう、ライフ事業じぎょう)の社内しゃないカンパニーせい導入どうにゅうした。これにより、コーポレートロゴにかんしても差別さべつはかられ、BANDAI SPIRITSは青色あおいろったバンダイロゴ(通称つうしょうあおバンダイ)を採用さいようした。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

  • 1950ねん - 山科やましな直治なおじ株式会社かぶしきがいしゃまんだい設立せつりつし、社長しゃちょうく。
  • 1961ねん - 商号しょうごう株式会社かぶしきがいしゃバンダイに変更へんこう。バンダイ、タカラエポック社えぽっくしゃで「玩具おもちゃさん社会しゃかい設立せつりつ。1965ねんまで「さん社会しゃかい見本みほん展示てんじかい」を東京とうきょう都内とない開催かいさい
  • 1963ねん - バンダイ運輸うんゆ設立せつりつ玩具おもちゃさん社会しゃかいトミー工業こうぎょう日本にっぽん玩具おもちゃ株式会社かぶしきがいしゃ(ニチガン)がくわわり、「玩具おもちゃ社会しゃかい」になる。運輸うんゆがバンダイ運輸うんゆバンダイロジパル)として分社ぶんしゃ。バンダイはつのテレビキャラクター商品しょうひん鉄腕てつわんアトム発売はつばい
  • 1965ねん - バンダイ創立そうりつ15周年しゅうねん会社かいしゃ創立そうりつの「B」ロゴから祝意しゅくいをモチーフにした『バンザイ』ロゴを導入どうにゅう[10]
  • 1967ねん - 経営けいえい破綻はたんした模型もけいメーカーのコグレの製品せいひんきんがたって模型もけい市場いちば参入さんにゅう玩具おもちゃ社会しゃかい学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃくわわり「玩具おもちゃろく社会しゃかい」になる。
  • 1969ねん - 経営けいえい不振ふしんおちいった模型もけいメーカーの今井いまい科学かがく工場こうじょうかねがたゆずける。
  • 1970ねん - バンダイ創立そうりつ20周年しゅうねん。ジャパン・トンカ設立せつりつ
  • 1971ねん - ポピー(ボーイズトイ事業じぎょうおよびコレクターズ事業じぎょう源流げんりゅう)、バンダイ模型もけい(ホビー事業じぎょう源流げんりゅう)を設立せつりつ仮面かめんライダー変身へんしんベルト発売はつばい。この変身へんしんベルトは、現在げんざい以降いこう継続けいぞくされている。
  • 1972ねん - 『ちょう合金ごうきんマジンガーZ発売はつばい
  • 1975ねん - バンダイ創立そうりつ25周年しゅうねん
  • 1976ねん - 「うごく絵本えほん」で出版しゅっぱん事業じぎょう進出しんしゅつ
  • 1977ねん - 『ガシャポン発売はつばい(カプセル玩具おもちゃ自販機じはんき参入さんにゅう
  • 1978ねん - バンダイ出版しゅっぱん設立せつりつ。『ウルトラシリーズ』の商品しょうひんライセンスを獲得かくとく玩具おもちゃ自動じどう販売はんばい事業じぎょう進出しんしゅつ
  • 1980ねん - バンダイ創立そうりつ30周年しゅうねん山科やましな直治なおじ会長かいちょう退しりぞき、長男ちょうなん山科やましなまことげん日本にっぽんBS放送ほうそう社長しゃちょう)が社長しゃちょう就任しゅうにん。プラスチックせいのガンダムプラモデル(ガンプラ)を発売はつばいだいブームになる。ジャパン・トンカをマミートに名称めいしょう変更へんこう
  • 1981ねん - 玩具おもちゃ菓子かし事業じぎょう進出しんしゅつ
  • 1981ねん1982ねん - 世界せかい各国かっこく相次あいついで支社ししゃ設立せつりつする。
  • 1982ねん - もの変形へんけいロボット玩具おもちゃシリーズ『マシンロボ発売はつばい。エモーション ビデオ設立せつりつバンダイビジュアル)。
  • 1983ねん - バンダイを存続そんぞく会社かいしゃとして、ポピー、バンダイ模型もけい、バンダイ工業こうぎょう、バンダイオーバーシーズ、マミート、セレンテ、バンダイ出版しゅっぱんの7しゃ吸収きゅうしゅう合併がっぺいした新生しんせいバンダイがスタートする。これをきっかけにしてCIと、キャッチコピー「ゆめ・クリエイション たのしいときをつく企業きぎょう(2018ねん3がつまつまでメインスポンサーにおける提供ていきょうみ)」[11]かかげる。映像えいぞうソフト販売はんばい子会社こがいしゃとしてAE企画きかく(Account Executive Planning、のバンダイビジュアル)設立せつりつ。アパレル事業じぎょう設立せつりつ
  • 1984ねん - 『タマゴラス』が発売はつばい。ビデオがネットワーク フロンティア事業じぎょうとして分社ぶんしゃ玩具おもちゃろく社会しゃかい解散かいさん
  • 1985ねん - バンダイ創立そうりつ35周年しゅうねん。ファミコンソフト『キン肉マンきんにくまん マッスルタッグマッチ』がミリオンセラーを記録きろく中国ちゅうごく福建ふっけんしょうにちちゅう合弁ごうべん会社かいしゃ中国ちゅうごく福萬ふくまん福建ふっけん玩具おもちゃ有限ゆうげん公司こうし設立せつりつ中国ちゅうごく市場いちば進出しんしゅつ
  • 1986ねん - 東証とうしょう2上場じょうじょう資本しほんきん107おく9600まんえんファミリートレーナー発売はつばい。『ぞう物語ものがたり 地上ちじょうりた天使てんし』で映画えいが分野ぶんや進出しんしゅつべい玩具おもちゃ大手おおてマテルしゃとの共同きょうどう出資しゅっしでマーバ・コーポレーションを設立せつりつ。バービーを販売はんばい
  • 1987ねん - ウォルト・ディズニー・カンパニー映像えいぞうソフト販売はんばい契約けいやくむすぶ(1989ねん契約けいやく終了しゅうりょう)。『せい闘士とうしぼしせい闘士とうしせいころも大系たいけい(セイントクロスシリーズ)がヒットする。タイに合併がっぺい会社かいしゃ BANDAI AND K.C. CO., LTD.を設立せつりつミサワホーム日本にっぽん公文こうぶん教育きょういく研究けんきゅうかい共同きょうどう小型こがたコンピューターの開発かいはつ会社かいしゃ「コンピュータープレゼンス」を設立せつりつ
  • 1988ねん - 東証とうしょう1上場じょうじょう。ネットワーク フロンティア事業じぎょう吸収きゅうしゅうし、メディア事業じぎょう発足ほっそく。「もりきている/12カ月かげつのニーナ」でミュージカル事業じぎょう進出しんしゅつ
  • 1989ねん - AE企画きかくがバンダイビジュアル販売はんばい社名しゃめい変更へんこう北野きたのたけし監督かんとくのデビューさくそのおとこ凶暴きょうぼうにつき』を制作せいさく
  • 1990ねん - バンダイ創立そうりつ40周年しゅうねん文化放送ぶんかほうそうからレコード会社かいしゃ、アポロン音楽おんがく工業こうぎょう譲受ゆずりうけし『株式会社かぶしきがいしゃアポロン』に社名しゃめい変更へんこう
  • 1991ねん - バンダイビジュアル販売はんばいがバンダイビジュアルと社名しゃめい変更へんこう。バンダイ系列けいれつ玩具おもちゃおろし3しゃ(トウショウ、セイコー、ダイリン)が合併がっぺい、トウショウを存続そんぞく会社かいしゃにしハピネット社名しゃめい変更へんこう
  • 1992ねん - メディア事業じぎょう映像えいぞうソフト事業じぎょうをバンダイビジュアルに統合とうごう。バンダイ運輸うんゆをバンダイロジパルに社名しゃめい変更へんこうクリスマスおもちゃプレゼント大賞たいしょうが12月24にち毎年まいとし開催かいさいされる。
  • 1993ねん - アメリカで『パワーレンジャー』関連かんれん商品しょうひんだいヒット。
  • 1994ねん - サンライズがグループ企業きぎょうとなる。プレイディアを発売はつばいバンダイキャラネットTV配信はいしん
  • 1995ねん - バンダイ創立そうりつ45周年しゅうねん。アメリカに慈善じぜん事業じぎょうであるThe Bandai Foundationを設立せつりつ
  • 1996ねん - 公式こうしきサイトを開設かいせつ。ピピンアットマーク、『たまごっち発売はつばい。バンダイ・シンガポール設立せつりつ株式会社かぶしきがいしゃアポロンをバンダイ・ミュージックエンタテインメント社名しゃめい変更へんこう(その2000ねん解散かいさん音源おんげんはエモーションミュージックに承継しょうけいし、現在げんざいバンダイナムコミュージックライブ管理かんり
  • 1997ねん - ハイパーヨーヨーデジタルモンスター発売はつばいたまごっち爆発ばくはつてきヒットによりおおくの人々ひとびと労働ろうどう時間じかん空費くうひさせることができたことにたいして、企画きかく開発元かいはつもとウィズ共同きょうどうイグノーベルしょう経済けいざいがくしょう受賞じゅしょう
  • 1998ねん - たまごっちが社会しゃかい現象げんしょうにまでなり売上うりあげだか大幅おおはばばしたが、いっしただい増産ぞうさん供給きょうきゅう過多かたおちいり、ピピンアットマークの販売はんばい不振ふしんかさなったことで126おくえんのぼ損失そんしつ計上けいじょう上場じょうじょう以来いらいはつ赤字あかじとなる。大人おとなけフィギュアS.I.C.発売はつばい
  • 1999ねん - 高須たかす武男たけお三和銀行さんわぎんこうげん三菱みつびしUFJ銀行ぎんこう出身しゅっしん)が社長しゃちょう就任しゅうにん携帯けいたいゲームワンダースワン発売はつばい
  • 2000ねん - バンダイ創立そうりつ50周年しゅうねんワンダースワンカラー発売はつばい。キャラクター研究所けんきゅうじょ設立せつりつセイカノートげんサンスタさんすた文具ぶんぐ)がグループ会社かいしゃになる。
  • 2001ねん - あしプロダクションがグループ企業きぎょうとなる。※現在げんざい資本しほん関係かんけい解消かいしょう
  • 2002ねん - ツクダオリジナルパルボックス現在げんざいメガハウス統合とうごう)がグループ企業きぎょうに、『出撃しゅつげき!マシンロボレスキュー』としてマシンロボ復活ふっかつ。ガンダムコレクション(1/400スケール完成かんせいひんフィギュア)発売はつばい。キャラクター研究所けんきゅうじょ開発かいはつしただい1ごうキャラクター『くまのがっこう』の絵本えほんがブロンズしんしゃから出版しゅっぱんされる。同年どうねん6がつには、iモード開発かいはつしゃ松永まつなが真理まり社外しゃがい取締役とりしまりやくむかえる。
  • 2003ねん - バンダイはつ企業きぎょう博物館はくぶつかん『バンダイミュージアム』を千葉ちばけん松戸まつど開業かいぎょう(2007ねん栃木とちぎけん下都賀しもつがぐん壬生みぶまち移転いてん
  • 2004ねん - しん本社ほんしゃビルに移転いてんする。きゅう本社ほんしゃはバンダイだい2ビルに改称かいしょう。「ドラえもん・ザ・ロボット」を発売はつばい子会社こがいしゃのバンプレストがゆう園地えんち浅草あさくさはなやしき」を当時とうじ運営うんえい会社かいしゃトーゴから譲受じょうじゅ
  • 2005ねん - バンダイ創立そうりつ55周年しゅうねん社長しゃちょう上野うえの和典かずのり就任しゅうにんピープル株式かぶしき公開こうかいJASDAQ証券しょうけん取引とりひきしょ株式かぶしき上場じょうじょう)を契機けいきに、資本しほん提携ていけいおこないグループ会社かいしゃりへ。ナムコと共同きょうどう持株もちかぶ会社かいしゃバンダイナムコホールディングスを設立せつりつ経営けいえい統合とうごうデータカードダスだい1ごうデータカードダス ドラゴンボールZ稼働かどう。『かみ万象ばんしょうチョコ発売はつばい
  • 2006ねん - ビデオゲーム事業じぎょうをバンダイナムコゲームスへ移管いかん。ウルトラシリーズ40周年しゅうねん、たまごっち10周年しゅうねん
  • 2007ねん - データカードダス『だい怪獣かいじゅうバトル ULTRA MONSTERS稼働かどう
  • 2008ねん - TYOから円谷つぶらやプロダクションの株式かぶしき33.4%を取得しゅとくよく2009ねんには同社どうしゃから株式かぶしき15.6%を追加ついか取得しゅとくかぶ比率ひりつ49.0%になる。大人おとなけアクションフィギュア『S.H.Figuarts発売はつばい
  • 2010ねん - バンダイ創立そうりつ60周年しゅうねん変身へんしんするミニカー『ブーブ発売はつばい。ネットカードダスだい1ごうプロ野球やきゅうオーナーズリーグ発売はつばい子供こどもけキャラクターTてぃーシャツ『TPETS!』発売はつばい
  • 2011ねん - 東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいにより、仙台せんだい工場こうじょう一時いちじ閉鎖へいさ
  • 2012ねん - しん筐体きょうたい「データカードダスNEO」をリリースし、同年どうねんにこの筐体きょうたい使用しようした『百獣ひゃくじゅう大戦たいせんグレートアニマルカイザー』『アイカツ!』が稼働かどう。『アイカツ!』はメディアミックスを展開てんかいし、人気にんきコンテンツとなる。
  • 2013ねん - カード事業じぎょう、ベンダー事業じぎょう、ライフ事業じぎょうの3部門ぶもん東京とうきょうスカイツリーイーストタワー移転いてん
  • 2014ねん - レベルファイブ開発かいはつのゲーム『妖怪ようかいウォッチ関連かんれん商品しょうひん発売はつばいし、だいヒットする。
  • 2015ねん - バンダイ創立そうりつ65周年しゅうねん社長しゃちょう川口かわぐちまさる就任しゅうにん
  • 2018ねん - 社内しゃないカンパニーせい導入どうにゅう同時どうじにフィギュア・プラモデルとうのハイターゲット事業じぎょう分割ぶんかつし、BANDAI SPIRITS事業じぎょう譲渡じょうと[12][13][14]
  • 2020ねん - バンダイ創立そうりつ70周年しゅうねん
  • 2021ねん - 社長しゃちょう竹中たけなか一博かずひろ就任しゅうにん。カンパニーせい廃止はいししディビジョンせい移行いこう[15]
  • 2025ねん - バンダイ創立そうりつ75周年しゅうねん予定よてい)。

商品しょうひん[編集へんしゅう]

おも現行げんこう商品しょうひん[編集へんしゅう]

キャラクター玩具おもちゃ[編集へんしゅう]

オリジナル玩具おもちゃ[編集へんしゅう]

トレーディングカード[編集へんしゅう]

トレーディングカードアーケードゲームふくむ。

その[編集へんしゅう]

BANDAI SPIRITSへ移管いかんされた部門ぶもん[編集へんしゅう]

キャラクター玩具おもちゃ
鉄道てつどう模型もけい

展開てんかい終了しゅうりょうした商品しょうひん[編集へんしゅう]

玩具おもちゃ[編集へんしゅう]

テレビゲーム[編集へんしゅう]

ゲームソフト
ゲーム周辺しゅうへん機器きき
電子でんしゲーム

トレーディングカードゲーム[編集へんしゅう]

輸入ゆにゅう玩具おもちゃ[編集へんしゅう]

おもにバンダイアメリカ製品せいひん

その[編集へんしゅう]

コンピュータゲームソフト[編集へんしゅう]

提供ていきょう番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

90びょう以上いじょう筆頭ひっとう提供ていきょう番組ばんぐみでのスポンサーみは、ポピー時代じだいとしては「おさまにゆめ勇気ゆうきをとねがう ポピー」(男児だんじけ)、または「ちいさなしんゆめとロマンをとねがう ポピー」(女児じょじけ)のいずれかで、バンダイグループが体制たいせい移行いこうしたさいは「あたらしい子供こども文化ぶんか創造そうぞうする バンダイグループ」で、ポピーと合併がっぺいした1983ねんから1988ねんまでは「バンダイ」、1988ねんから2018ねん3がつまでは「たのしいときをつく企業きぎょう バンダイ」、2018年度ねんど以降いこうは「ゆめ・クリエイション バンダイ」、クレジット表示ひょうじは「ゆめクリ BANDAI[ちゅう 2]

ほんこうでは、1983ねんきゅうポピーとの合併がっぺい提供ていきょうした(している)番組ばんぐみ記載きさい。なお便宜上べんぎじょうBANDAI SPIRITS(2018ねん以降いこう)が「BANDAI」名義めいぎでスポンサーについている番組ばんぐみについても記載きさいする。⭐︎があるものはきゅうポピー時代じだいから続行ぞっこう番組ばんぐみ現在げんざい終了しゅうりょうしたものもふくむ)。なお、2023ねん9がつ現在げんざい一部いちぶ製品せいひんのCMの最後さいごには、バンダイナムコグループの「BANDAI NAMCO」きだしロゴが画面がめんみぎじょうもしくは左上ひだりうえ表示ひょうじされている[ちゅう 3]

また、特記とっき事項じこうのない不定期ふていきでの提供ていきょうさい放送ほうそう番組ばんぐみほんこうでは省略しょうりゃくしている。

現在げんざい[編集へんしゅう]

2023ねん4がつ現在げんざい

過去かこ[編集へんしゅう]

多数たすう

VTuber[編集へんしゅう]

DJマロンとMCズイミー
2019ねん3がつ12にちよりYouTubeバンダイ公式こうしきチャンネルとワンダースクールで活動かつどう開始かいししたバーチャルYouTuber。おもちゃ紹介しょうかいやミニアニメも配信はいしんしている。2019ねん12月3にちよりしんキャラクターの声優せいゆうオーディション募集ぼしゅう[17]

電話でんわサービス[編集へんしゅう]

1995年度ねんどから「バンダイこども電話でんわサービス」がスタート。2009年度ねんどより「バンダイテレフォンサービス」に改称かいしょう。2024ねん現在げんざい男児だんじ特撮とくさつ作品さくひんスーパー戦隊せんたいシリーズ[ちゅう 8])や女児じょじけアニメ(プリキュアシリーズ作品さくひん中心ちゅうしん主人公しゅじんこう電話でんわ登場とうじょうしている。かつては女児じょじけアニメとして、「美少女びしょうじょ戦士せんしセーラームーンシリーズ[ちゅう 9]」や「ゆめのクレヨン王国おうこく」、「おジャ魔女まじょどれみシリーズ」、「明日あしたのナージャ」の主人公しゅじんこう電話でんわ登場とうじょうしたことがある。

現在げんざいサービスを実施じっしするキャラクター[編集へんしゅう]

過去かこにサービスを実施じっししていたキャラクター[編集へんしゅう]

1995年度ねんど
1996年度ねんど
1997年度ねんど
1998年度ねんど
1999年度ねんど
2000年度ねんど
2001年度ねんど
2002年度ねんど
2003年度ねんど
2004年度ねんど
2005年度ねんど
2006年度ねんど
2007年度ねんど
2008年度ねんど
2009年度ねんど
2010年度ねんど
2011年度ねんど
2012年度ねんど
2013年度ねんど
2014年度ねんど
2015年度ねんど
2016年度ねんど
2017年度ねんど
2018年度ねんど
2019年度ねんど
2020年度ねんど
2021年度ねんど
2022年度ねんど
2023年度ねんど

関連かんれん会社かいしゃとう[編集へんしゅう]

関連かんれん会社かいしゃ[編集へんしゅう]

関連かんれん施設しせつとう[編集へんしゅう]

提携ていけい企業きぎょうとう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマトシリーズも、ほん放送ほうそう当時とうじはゼンマイ走行そうこうするヤマトやコスモゼロといった旧来きゅうらいのキャラクターけいキットのままだったが、そののブームをささえたたか年齢ねんれいそうのファンの要望ようぼうしたがい、ディスプレイモデルが数多かずおお発売はつばいされた。
  2. ^ 大半たいはん作品さくひん無地むじだが、BS11アニメ+』ではキャッチコピーが黒文字くろもじ、ロゴがカラー表記ひょうき、『ウルトラマンティガ』『ウルトラマンダイナ』『ウルトラマンガイア』の地上波ちじょうはほん放送ほうそうではロゴとキャッチコピーがすべてカラー表記ひょうきとなる。ただし「・」についてはティガとダイナ、ガイアで表記ひょうきことなる。
  3. ^ 玩具おもちゃパッケージでは2022年度ねんど以降いこう発売はつばい一部いちぶ製品せいひんより表記ひょうきされている。
  4. ^ 1990ねん初頭しょとうにスポンサーから撤退てったい。ただし、現在げんざい不定期ふていきにスペシャルばん場合ばあいのみ後半こうはんのメインスポンサーとなる場合ばあいがある。
  5. ^ せい闘士とうしぼしΩおめが』もふくめて。
  6. ^ 番組ばんぐみ休止きゅうしは、プロ野球やきゅう中継ちゅうけいや『わらいのじかん2』の2あいだスペシャルの18だい後半こうはんのパートなどに振替ふりかえ提供ていきょうしたケースがあった。
  7. ^ 後半こうはん以降いこう筆頭ひっとう提供ていきょう前半ぜんはん筆頭ひっとう提供ていきょうだったクローバーの倒産とうさんにより、同社どうしゃ筆頭ひっとう提供ていきょうわくかたち緊急きんきゅう参入さんにゅう
  8. ^ ちょう力戦りきせんたいオーレンジャー以降いこう
  9. ^ 「SuperS」より

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f だい75(2023ねん3がつ計算けいさん書類しょるい”. 株式会社かぶしきがいしゃバンダイ. 2023ねん11月22にち閲覧えつらん
  2. ^ 会社かいしゃ概要がいよう”. 株式会社かぶしきがいしゃバンダイ. 2024ねん7がつ1にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん7がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ 会社かいしゃ情報じょうほう”. バンダイナムコグループ. 2024ねん5がつ15にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん6がつ24にち閲覧えつらん
  4. ^ 2000ねん5がつ10にち現在げんざいのみどりかいのメンバー会社かいしゃ一覧いちらん - ウェイバックマシン(2000ねん5がつ10日とおかアーカイブぶん
  5. ^ "Saban Brands picks Hasbro as Power Rangers toy licensee" (英語えいご). デイリーニューズ. 2018ねん2がつ16にち. 2018ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ バンダイ・山科やましな まことでん 前編ぜんぺん キャラクター商品しょうひんという“魔物まもの”へのけ 「ビデオゲームのかたたち」:だい22 4Gamer.net(2021ねん7がつ16にち
  7. ^ バンダイ、なぜ品薄しなうすのガンプラをたくさんつくらないのか ブームにまわされてきたプラモデルビジネスの歴史れきしリアルサウンド、2024ねん5がつ23にち
  8. ^ "セガとバンダイ、10月1にち合併がっぺいすることを発表はっぴょうしん社名しゃめいは「セガバンダイ」". PC Watch. 1997ねん1がつ23にち. 2012ねん8がつ20日はつか閲覧えつらん
  9. ^ "バンダイ、ピピンから撤退てったい。BDE清算せいさん". PC Watch. 1998ねん2がつ27にち. 2012ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  10. ^ 玩具おもちゃしょうほう1966ねん1がつごう
  11. ^ "トップメッセージ". バンダイ. 2012ねん12月2にち閲覧えつらん
  12. ^ バンダイナムコグループ主要しゅよう会社かいしゃ機構きこう改革かいかくおよ執行しっこう役員やくいん部長ぶちょうしょく人事じんじについて バンダイナムコホールディングス 2018ねん2がつ21にち
  13. ^ 子会社こがいしゃ組織そしき再編さいへんについて バンダイナムコホールディングス 2018ねん2がつ9にち
  14. ^ バンダイナムコグループ中期ちゅうき計画けいかく(2018ねん4がつ~2021ねん3がつ) CHANGE for the NEXT 挑戦ちょうせん成長せいちょう進化しんか バンダイナムコホールディングス 2018ねん2がつ9にち
  15. ^ バンダイナムコグループ主要しゅよう会社かいしゃ機構きこう改革かいかくおよび執行しっこう役員やくいん部長ぶちょうしょく人事じんじについて バンダイナムコホールディングス 2021ねん2がつ19にち
  16. ^ もじバケるシリーズ”. バンダイキャンディ事業じぎょう. 2024ねん3がつ24にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん6がつ24にち閲覧えつらん
  17. ^ チャンネル登録とうろく60まんにんの「バンダイ公式こうしきYoutubeチャンネル」で声優せいゆうデビュー!しんキャラクター声優せいゆうオーディションをLINE LIVEで開催かいさい 時事じじドットコム 2019ねん12月3にち[リンク]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]