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タミヤ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
田宮たみや模型もけいから転送てんそう
株式会社かぶしきがいしゃタミヤ
TAMIYA, INC.
本社ほんしゃ全景ぜんけい(2007ねん
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
422-8610
静岡しずおかけん静岡しずおか駿河するが恩田原おんだばら3-7
北緯ほくい3458ふん8.4びょう 東経とうけい13825ふん9.0びょう / 北緯ほくい34.969000 東経とうけい138.419167 / 34.969000; 138.419167座標ざひょう: 北緯ほくい3458ふん8.4びょう 東経とうけい13825ふん9.0びょう / 北緯ほくい34.969000 東経とうけい138.419167 / 34.969000; 138.419167
設立せつりつ 1984ねん3がつ24にち
業種ぎょうしゅ その製品せいひん
法人ほうじん番号ばんごう 4080001003296 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう プラスチックモデル、ラジオコントロールモデル、工作こうさくキットおよ関連かんれん製品せいひん製造せいぞう販売はんばい
代表だいひょうしゃ
資本しほんきん 5000まんえん
従業じゅうぎょう員数いんずう 362めい(2023ねん1がつ
主要しゅよう子会社こがいしゃ
  • 株式会社かぶしきがいしゃ田宮たみや模型もけい[1]
  • タミヤプラスチック株式会社かぶしきがいしゃ[1]
外部がいぶリンク www.tamiya.com
特記とっき事項じこう前身ぜんしん田宮たみや商事しょうじ合資ごうし会社かいしゃ設立せつりつ1946ねん5月。
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株式会社かぶしきがいしゃタミヤえい: TAMIYA, INC.)は、静岡しずおかけん静岡しずおか本社ほんしゃ模型もけいプラモデルメーカー。世界せかい有数ゆうすう[2]総合そうごう模型もけいメーカーである。1946ねん設立せつりつの「田宮たみや商事しょうじ合資ごうし会社かいしゃ」を前身ぜんしんとする(タミヤのきゅう商号しょうごうを「株式会社かぶしきがいしゃ田宮たみや模型もけい」とする資料しりょうなどもあるが[3]、これはあやまりであり、株式会社かぶしきがいしゃ田宮たみや模型もけい法人ほうじんかくはタミヤとはことなる)[ちゅう 1][1]

艦艇かんてい飛行機ひこうきAFVくるまなどのプラモデル、ラジコンカーミニよんダンガンレーサーといった可動かどう模型もけい、「たのしい工作こうさくシリーズ」といった工作こうさくようパーツるい・キット[5][ちゅう 2]プラバンなどの素材そざい塗料とりょうエアブラシコンプレッサーなどの塗装とそう道具どうぐ模型もけい関連かんれんする広範囲こうはんい商品しょうひんあつかっている。

初心者しょしんしゃにもかりやすくつくりやすい」をコンセプトに企画きかくからかねがた製作せいさく[6][7]ボックスアートまで自社じしゃ一貫いっかん体制たいせい対応たいおうしており、日本にっぽん国内こくないでは随一ずいいち開発かいはつりょくつ。

会社かいしゃ概要がいよう[編集へんしゅう]

創業そうぎょう[編集へんしゅう]

静岡しずおか駿河するが小鹿おしかにあるタミヤ発祥はっしょう石碑せきひ。(2018ねん4がつ撮影さつえい

創業そうぎょうしゃである田宮たみや義雄よしおは、だい世界せかい大戦たいせん以前いぜん運送うんそうぎょういとなんでいたが[8]1945ねん6月の静岡大しずおかだい空襲くうしゅう事業じぎょう基盤きばん大半たいはん焼失しょうしつしてしまったため、戦後せんご製材せいざいぎょうてんじ、1946ねんに「田宮たみや商事しょうじ合資ごうし会社かいしゃ」を設立せつりつ[8]1948ねんには木製もくせい木工もっこう部門ぶもん設立せつりつし、おも船舶せんぱく飛行機ひこうき木製もくせい模型もけい製作せいさくしていた[1]。しかし、1951ねん漏電ろうでん原因げんいん火災かさい発生はっせい会社かいしゃ社屋しゃおく在庫ざいこ木材もくざいとう焼失しょうしつしたためおおきな借金しゃっきんかかえ、材木ざいもく仕入しいれにも支障ししょうをきたすようになったため、1953ねんには一般いっぱん建築けんちくざい製材せいざい販売はんばいはいし、模型もけい専業せんぎょうメーカーとなる[1]

プラスチックモデルへの参入さんにゅう[編集へんしゅう]

1950年代ねんだいなかばから日本にっぽん国外こくがいせいプラスチックモデルが輸入ゆにゅうされはじめ、木製もくせい模型もけい売上うりあげ減少げんしょうしていったことから、プラスチックモデルを製造せいぞうすることが1959ねん決定けっていされ、よく1960ねんにタミヤのプラモデルだい1さくとして1/800スケール戦艦せんかん大和やまと発売はつばいした[1]。しかし、どう時期じき栃木とちぎ模型もけいメーカー・日本にっぽん模型もけい略称りゃくしょうニチモ)が同型どうけいかん武蔵むさしの1/750スケールキットを350えん発売はつばいしたため、タミヤも赤字あかじ覚悟かくごどう価格かかく設定せっていしたが、売上うりあげとどかず惨敗ざんぱいとなった。かねがた製作せいさく回収かいしゅうができなかったため、ふたた木製もくせい模型もけい商品しょうひんおこなったが、そのあいだにも当時とうじ模型もけい業界ぎょうかいながれはプラモデルへと主軸しゅじくうつはじめていた。なお、創業そうぎょうしゃ田宮たみや義雄よしお自伝じでんにはタミヤだいいちだんプラモデルは武蔵むさしだったとしるされているが、「田宮たみや模型もけいぜん仕事しごと」の編集へんしゅうちゅう大和やまと同社どうしゃだいいちだんだったこと確認かくにんされた。

1960年代ねんだいはいると、ひょんなことからプラスチック玩具おもちゃ不要ふようになったかねがたけることができ、それを利用りようして発売はつばいしたレーシングカーのミニ・キットが幸運こううんにもヒットし、資金しきんてきつぎのプラモデル製作せいさく目処めどった。だい2さくのプラモデルは形状けいじょう直線ちょくせんてきかねがたつくりやすいパンサー戦車せんしゃ決定けっていし、はこはイラストレーター小松崎こまつざきしげる依頼いらいされた。1962ねん正月しょうがつ発売はつばいされたどうキットは、モーター搭載とうさいし、よくはしること、てやすく説明せつめいぶん丁寧ていねいであることから好評こうひょうとなった。

のミリタリー分野ぶんやスケールモデル定番ていばんとなる135という縮尺しゅくしゃくは、このときまれた。このサイズは、戦車せんしゃ内部ないぶたん二形ふたなり乾電池かんでんちが2ほんおさまることをかんがえた設計せっけいのためであり、当時とうじ正確せいかくなスケールをもとめる模型もけいファンはすくなく、このスケールは偶然ぐうぜん産物さんぶつである(後述こうじゅつ[9]

かねがた[編集へんしゅう]

現在げんざいかねがた自社じしゃ製作せいさくしている[10]以前いぜん外注がいちゅうしており、外注がいちゅうさき納期のうきおくれや不透明ふとうめい価格かかく設定せってい苦労くろうしていた。そこでかねがた職人しょくにんをスカウトし1964ねんかねがた発足ほっそくした。1966ねんから社員しゃいんすうにんかねがた製造せいぞう工場こうじょう出向しゅっこうさせ、徐々じょじょにノウハウを蓄積ちくせき自社じしゃかねがた製造せいぞうおこなうようになった。現在げんざいではCADきゃど/CAMシステムも導入どうにゅうされている。

同社どうしゃかねがたきわめて精度せいどたかいことでられ[10]、その精度せいどてたさい仕上しあがり具合ぐあいにも影響えいきょうする。かつての設計せっけいかねがた職人しょくにん職人しょくにんげいによってプラモデルが製造せいぞうされていた時代じだいには、他社たしゃ製品せいひん細部さいぶボルトリベット同様どうようたんなる半球はんきゅう突起とっき表現ひょうげんしていたころに、きちんとちいさなろく角柱かくちゅう表現ひょうげんしていた。

ほしのマーク[編集へんしゅう]

タミヤがプラモデルをはじめて発売はつばいするにあたって、田宮たみや俊作しゅんさく義雄よしおのち社長しゃちょうげん会長かいちょう)は、あたらしいマークを当時とうじ東京芸術大学とうきょうげいじゅつだいがくデザイン学生がくせいだったおとうと田宮たみやただしおっと(まさお)に依頼いらいし、誕生たんじょうしたのが「ほしのマーク(通称つうしょうツインスター[11])」である。当初とうしょはマークのまわりに英文えいぶんがあしらわれていたが、1966ねんにデザインが変更へんこうされて「」となり、現在げんざいのものになった。左側ひだりがわあかほしは「情熱じょうねつ右側みぎがわあおほしは「精密せいみつ」をあらわしている。

リチャード・クーが「世界中せかいじゅうどこにっても、このマークが店頭てんとうかざってあれば、そのみせ模型もけいてん以外いがい何者なにものでもない」「いち企業きぎょうのマークが業界ぎょうかい全体ぜんたいあらわすシンボルマークとなっており、このようなれいにない」と指摘してきしているように[12]現在げんざいでは日本にっぽんまらず世界せかいてきたか認知にんちほこっている。

ホワイトパッケージの登場とうじょう[編集へんしゅう]

初期しょきのタミヤ製品せいひん(1961ねん - 1967ねん)は、まだボックスアートを外注がいちゅう対応たいおうしており、おも小松崎こまつざきしげるこう義之よしゆき上田うえだしん平野ひらの光一こういちなどが担当たんとうした。商品しょうひんイメージ・世界せかいかんひろげる「うごきのある構図こうず物語ものがたりふう」な迫力はくりょくのあるボックスアートが主流しゅりゅうめ、タミヤの商品しょうひんイメージ向上こうじょうおおいに貢献こうけんしたが、1968ねん発売はつばいスロットレーシングカーから背景はいけいかず商品しょうひんだけをえがいたしろバック「ホワイトパッケージ[13]」が登場とうじょうして、より精密せいみつまれたボックスアートへの路線ろせん変更へんこうおこなわれた。このこころみは評判ひょうばんがよく、その発売はつばいされるタミヤ製品せいひん航空機こうくうき艦船かんせん模型もけいなど一部いちぶ模型もけいのぞきホワイトパッケージにわっていく。初期しょきのタミヤブランドイメージづくりに寄与きよした小松崎こまつざきしげるのボックスアートは、上記じょうきのボックスアート戦略せんりゃく変更へんこう商品しょうひん絶版ぜっぱんともな現在げんざいのタミヤ製品せいひんからはほとん姿すがたしている。

1970年代ねんだい以降いこう欧米おうべいにおいてボックスアートの背景はいけいえがかれた「はこはいっていないアイテム」が、「誇大こだい広告こうこく」に該当がいとうする可能かのうせいがあると問題もんだいになりはじめ、タミヤ製品せいひん輸出ゆしゅつさいして指摘してきけ、一部いちぶ戦車せんしゃ模型もけい背景はいけいのアイテムを加筆かひつ修正しゅうせい処理しょりおこなわれた。はこ写真しゃしん撮影さつえいしたものを使用しようしない理由りゆうは、写真しゃしんであるとかげになりこまかなところつぶれてしまうため、精密せいみつさを表現ひょうげんするためにも手書てがきのにしている。

取材しゅざい[編集へんしゅう]

リアルな表現ひょうげんのための日本にっぽん国外こくがいでの実車じっしゃ取材しゅざいは、1966ねんアメリカメリーランドしゅうアバディーン戦車せんしゃ博物館はくぶつかんからスタート。軍事ぐんじ機密きみつとうのため撮影さつえいもスケッチも許可きょかるだけとなった取材しゅざい場合ばあいは、現場げんばてすぐにスケッチをえが資料しりょうとしている。この取材しゅざいは、博物館はくぶつかん展示てんじひん復元ふくげんしたもの、ゲートガードに使用しようされている機材きざい中心ちゅうしんとなるため、微妙びみょう個体こたいによりパッケージのものとキットがことなる(パッケージはXX戦線せんせんのAという車両しゃりょうだが、取材しゅざいした車両しゃりょうもとにしたキットは○○戦線せんせんにしかいなかったA'という車両しゃりょう場合ばあいがある。

ちなみに冷戦れいせん時代じだいにはきゅうソ連それん戦車せんしゃ取材しゅざい困難こんなんきわめたという。過去かこにはきゅうソ連それんせいAFVの製品せいひんさい当時とうじのソビエト大使館たいしかんおとずれて取材しゅざいもうんだところ、取材しゅざいことわられたうえ大使館たいしかんたところで(日本にっぽんの)警察けいさつ職務しょくむ質問しつもんけ、そのしばらく公安こうあん警察けいさつによる監視かんし尾行びこういたこともある[14]。そのため当時とうじソ連それん戦車せんしゃ取材しゅざいできるとくと世界中せかいじゅうまわることがめずらしくなく、第三次中東戦争だいさんじちゅうとうせんそう直後ちょくごイスラエルぐん鹵獲ろかくしたきゅうソ連それんT-34-85がた戦車せんしゃ街頭がいとう展示てんじしていることをきつけてテルアビブんだりしたこともあるという[15]

博物館はくぶつかんでの実車じっしゃ取材しゅざいさいには同時どうじ寄付きふおこなうことがおおく、とく1990ねんにはイギリスボービントン戦車せんしゃ博物館はくぶつかん新館しんかん建設けんせつたり2000まんえん拠出きょしゅつしたことから、新館しんかんには「タミヤホール」のけられた[16]。またアメリカ・スミソニアン博物館はくぶつかんうち国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかんにておこなわれていた、日本にっぽん水上すいじょう攻撃こうげき晴嵐せいらん復元ふくげん作業さぎょうにも資金しきん提供ていきょうしている。

1/16RC戦車せんしゃレオパルト2A6は、実車じっしゃ製造元せいぞうもとであるクラウス・マッファイ・ヴェグマンしゃからのオファーで開発かいはつされ、同社どうしゃ協力きょうりょくにより詳細しょうさい取材しゅざいおこなわれた。各種かくしゅサウンドにかんしてはエンジンおんのみならず、砲塔ほうとう旋回せんかいおん砲身ほうしん俯仰ふぎょう作動さどうおん、さらには主砲しゅほう発射はっしゃおん主砲しゅほう同軸どうじく機銃きじゅう発射はっしゃおんまで実車じっしゃからのサンプリングがおこなわれている。

また、スポーツカーの模型もけいにおいてもちからはいった調査ちょうさられており、ポルシェ・934模型もけいにおいて、ポルシェのツッフェンハウゼン工場こうじょう幾度いくど設計せっけい担当たんとうしゃ派遣はけんし、それでも不明ふめいだったてんポルシェ・911実車じっしゃ購入こうにゅうして完全かんぜん分解ぶんかいもともどせるわけもなくポルシェのディーラーの整備せいびなおしてもらったというエピソードがある。このポルシェはその1976ねんのF1日本にっぽんGPさい田宮たみや俊作しゅんさくげん会長かいちょうジョディ・シェクター夫妻ふさい送迎そうげいするために使つかわれたり、同社どうしゃたき文人もんとがRCカーのイベントに参加さんかするさい社用しゃようしゃわりに使つかわれたりもした。現在げんざいはタミヤ本社ほんしゃロビーに展示てんじされている。

1991ねんのロータス102B。この1だいはタミヤが所有しょゆうしている

1960年代ねんだいホンダF1RA273)を皮切かわきりにすうおおくのF1マシンのプラモデルがけてきた関係かんけいから、1991ねんには当時とうじ経営けいえいなんおちいっていたチーム・ロータスのスポンサーになったこともある[17]。また1976ねんティレル・P34からは、F1マシンのモデルたりロイヤルティーをチームがわ支払しはらうようになっている[18]完成かんせいしたモデルのクオリティのたかさなどもあってF1チームとはおおむ良好りょうこう関係かんけいきずいており、F1チームが機密きみつ保持ほじきびしくなったのちも「模型もけいメーカーで唯一ゆいいつタミヤだけはF1マシンの設計せっけい図面ずめんCADきゃどデータ)をせてもらえる」とひょうされるほどだったが、近年きんねんではタミヤといえどチームからの設計せっけい図面ずめん提供ていきょうけられなくなり、報道ほうどう写真しゃしんとうもとにしたモデルおこなわざるをなくなっている。

長期間ちょうきかんF1マシンのしん製品せいひん発売はつばいされなかったことについて、チームがわからのロイヤルティー条件じょうけんきびしくなったためビジネスとして成立せいりつさせることができなくなったからとしている[19]実際じっさい2003ねん5月にウィリアムズ・FW24の1/20モデルを発売はつばいして以降いこう過去かこ発売はつばいしたキットのさい発売はつばいながらくつづき、F1マシンのしん製品せいひん2009ねん12月発売はつばいフェラーリ・F60までやく6ねんはんものあいだいている。

同様どうよう問題もんだい一部いちぶ航空機こうくうき軍用ぐんよう車両しゃりょう模型もけいでも発生はっせいしており、1/48のB-17決定けっていばんべるほどのキットをせるだけの資料しりょうあつまっているが、ボーイングからのロイヤルティーの要求ようきゅうきびしいため商品しょうひんできない、と、同社どうしゃ社長しゃちょうがイベントで吐露とろしたり、1/48のジープ小型こがたよんりん駆動くどうくるま名称めいしょうでフィギュアセットのおまけとして出荷しゅっかするなど、金銭きんせんから問題もんだいでの商品しょうひん見送みおくりや、単品たんぴん販売はんばい断念だんねんせざるをないれいえている。

製品せいひん[編集へんしゅう]

プラスチックモデル[編集へんしゅう]

ミリタリーミニチュアシリーズ[編集へんしゅう]

ミリタリーミニチュアシリーズ(MM)で採用さいようされている1/35というスケールは、もともと「パンサータンク」を開発かいはつしたさい、モーターライズよう電池でんちボックスやギヤボックスむために偶然ぐうぜん発生はっせいしたもので、のちにこれにわせて1/35戦車せんしゃシリーズが展開てんかいされ、MMシリーズにがれ一般いっぱんしたものである。

タミヤが1/35戦車せんしゃシリーズを展開てんかいはじめた当初とうしょは、このクラスの戦車せんしゃ模型もけいには標準ひょうじゅんてきなスケールは存在そんざいせず、日本にっぽん国外こくがいのメーカーがそれぞれ1/32 - 1/40スケールでシリーズを展開てんかいしていた。その、タミヤが製品せいひんぐんやし、たててやすさと完成かんせい姿すがたさ、そして部品ぶひん精度せいどさといった理由りゆう好評こうひょうるにしたがい、このスケールが世界せかいでもれられていった。

ディスプレイ専用せんようのMMシリーズは、当初とうしょは1/35戦車せんしゃシリーズにえるアクセサリーとして兵士へいしほう小型こがた車両しゃりょうのキットをすだけのものだったが、モーターライズせずにディスプレイ専用せんようてるほう戦車せんしゃ模型もけい趣味しゅみ主流しゅりゅうとなるにつれ、通常つうじょう戦車せんしゃもこちらのシリーズで発売はつばいされることになった。しかしそのもしばらくは、MMシリーズで戦車せんしゃと1/35戦車せんしゃシリーズで戦車せんしゃ基本きほんてきどういちキットで、たんにギアボックスとうのパーツがどうこりされているかかのであることがおおかった。ただし、モーターライズを前提ぜんてい設計せっけいされていながら、MMシリーズで発売はつばいされたのみで戦車せんしゃシリーズではされなかったキットもある。

戦車せんしゃキットにかぎらず、製品せいひんによっては完成かんせい見栄みばえをくするためのデフォルメくわえられている。2004ねんからはあらたに1/48スケールのシリーズを開始かいし大戦たいせんぶつアイテムをリリースしている。

2000年代ねんだいはいってタイガーI初期しょきがたからはじまる1/16フルオペレーションRC戦車せんしゃシリーズをラインナップ。1/16ビッグタンクシリーズとかねがた共有きょうゆうしてはいるがキットサイズがおおきいこともあって、プロポーションをくずすことなくRCメカをむことに成功せいこうしている。またどうシリーズは同時どうじおとうごき、発光はっこうにもリアルさをもとめており、エンジンおんとう現存げんそんする実車じっしゃからサンプリングされている。大戦たいせんちゅうのドイツ戦車せんしゃはすべてフランスのソミュール戦車せんしゃ博物館はくぶつかん現存げんそんするキングタイガーからサンプリングされたエンジンおん共用きょうようしている。

ウォーターラインシリーズ[編集へんしゅう]

ウォーターラインシリーズは1/700というちいさな製品せいひんであるが、同社どうしゃ技術ぎじゅつりょく遺憾いかんなく発揮はっきされていた。ウオーターラインシリーズのほとんどのボックスアートを艦船かんせん造詣ぞうけいふか上田うえだあつし八郎はちろうがけている。

代表だいひょうてきなプラスチックモデル[編集へんしゅう]

かつて存在そんざいしたプラスチックモデル[編集へんしゅう]

  • 歴史れきし人物じんぶつシリーズ赤穂あこう浪士ろうしなかから、大石おおいし内蔵助くらのすけをはじめとした4たいセットと、大石おおいし主税ちからをはじめとした8たいセットが発売はつばいされていた)

年度ねんどべつ歴代れきだい代表だいひょうさくモデル年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

  • 1960ねん - 1/800 戦艦せんかん大和やまと - タミヤプラモデル進出しんしゅつだいいちだん[1]半年はんとしどうかねがた戦艦せんかん武蔵むさし発売はつばい
  • 1961ねん - 1/35 パンサータンク - 戦車せんしゃ模型もけいだいいちだん人気にんきイラストレーター小松崎こまつざきしげるによるはこ迫力はくりょくもありだいヒット。
  • 1963ねん - 1/50 れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう52がた - 傑作けっさくシリーズだいいちだん
  • 1967ねん - 1/12 ホンダF-1 - 実車じっしゃ取材しゅざいもと精密せいみつ再現さいげんで「技術ぎじゅつのタミヤ」を印象いんしょうける成功せいこうさく[20]
  • 1968ねん - 1/35 ドイツ戦車せんしゃへいセット - MMシリーズだいいちだん
  • 1972ねん - 1/35 88ミリほうFlak36/37 - ジオラマ情景じょうけい模型もけいけにタミヤが発売はつばいおおきな反響はんきょうがあった意欲いよくさく
  • 1976ねん - 1/12 ポルシェ934[1] - 実車じっしゃポルシェ911をタミヤ自身じしん購入こうにゅう分解ぶんかい参考さんこうにしてまでつくげた。そのボディとう一部いちぶかねがた流用りゅうようしたRCカーがだいヒットした。
  • 1986ねん - ホットショットJr. - レーサーミニよんだいいちごう。ミニよんブームへつながるヒットさく
  • 1989ねん - 1/35 タイガーI後期こうき生産せいさんがた - 完全かんぜんしんかねがた発売はつばい過去かこにMMシリーズをつくった購買こうばいそうもど起爆きばくざいに。
  • 2006ねん - ポルシェ934ターボRSR 30周年しゅうねん記念きねんモデル - タミヤRCカーシリーズ発売はつばい30周年しゅうねん記念きねんした特別とくべつ仕様しようモデル。

RCモデル(ラジオコントロールモデル)[編集へんしゅう]

タミヤせいRCカーのいちれい
タミヤサーキットオンロードコース(静岡しずおか駿河するが
タミヤサーキットオフロードコース

タミヤは1974ねん電動でんどうRCモデルのだいいちだんとしてM4シャーマン戦車せんしゃ発売はつばいラジコンカー市場いちば参入さんにゅう当初とうしょはドイツのマンモス戦車せんしゃマウスをRCする予定よていだったが、「マウスよりもシャーマンのほうがRCにいている」という同社どうしゃたき文人もんと進言しんげんによりシャーマンに変更へんこうされたという[21]

1976ねん電動でんどうRCカーのだいいちだんとして「ポルシェ934ターボRSR」を発売はつばいしたところ、これが初年度しょねんどやく10まんだいげるだいヒットとなる。以後いごタミヤでは継続けいぞくしてRCカーをリリースし、登場とうじょうしてから40ねん以上いじょう現在げんざいでは日本にっぽん国内こくない国外こくがいRC市場いちば販売はんばいされ、現在げんざいのタミヤの成長せいちょうささえるおおきな収益しゅうえきげんひとつにまで成長せいちょうした。国内外こくないがいたかいシェアをため、RCカー競技きょうぎのレギュレーションはタミヤの製品せいひん基準きじゅんとなることが多々たたあり、RS540サイズモーター、1/12オンロードカー、1/10ツーリングカーとうがそれに該当がいとうする。日本にっぽん国内こくないのストックモーターのレギュレーションにおけるすう23T・メタル軸受じくうけという基準きじゅんも、タミヤスポーツチューンモーターのスペックを基準きじゅんにしている。

これまで発売はつばいされてきたRCカーでつちかった技術ぎじゅつ経験けいけんかした「RCカー30周年しゅうねん」を記念きねんしたモデルを2006ねん12月に限定げんてい発売はつばいした。タミヤラジコン開発かいはつの1ページをかざった「ポルシェターボRSR934レーシング」を現在げんざいのタミヤ技術ぎじゅつあつめたフラッグシップモデルとして新規しんき開発かいはつ

かつてRCヨットやRCモーターグライダーをリリースしていた時期じきがあったが、基本きほんてきには地上ちじょうRCのみラインナップをそろえており、航空機こうくうき船舶せんぱくのRCモデルは現時点げんじてんでは存在そんざいしない。一方いっぽう、1/16フルオペレーションRC戦車せんしゃ、1/35RC戦車せんしゃのラインナップが充実じゅうじつしている。

タミヤせいRCカーは電動でんどうしき圧倒的あっとうてきおおく、エンジンカーは1/10ナイトロフォースやXB-Gシリーズがあり、かつては1/8スケールもあった。1990年代ねんだいにはイタリアBMTしゃのGPレーシングカーの輸入ゆにゅう代理だいりてん業務ぎょうむおこなっていたが、BMTしゃ業績ぎょうせき悪化あっかなどから現在げんざいでは輸入ゆにゅうされていない。

なお、RCカーの世界せかいではきょうしょうとはつねにライバル関係かんけいにあり、きょうしょうミニッツシリーズにたいしてはタムテックギア対抗たいこうしている。こちらは田宮たみや模型もけい時代じだい過去かこモデルを小型こがたしたボディが採用さいようされることがおおく、過去かここれらであそんでいたファンが所有しょゆうすることがおおい。近年きんねんでは1980年代ねんだい一世いっせい風靡ふうびしたホーネット (タミヤ)グラスホッパー (タミヤ)マイティフロッグホットショットさい発売はつばいされた。

ミニよん[編集へんしゅう]

おも歴代れきだいミニよん[編集へんしゅう]

  • フォード・レインジャー4×4(1982ねん7がつ13にち:ミニよん初代しょだいミニよん、シボレー・ピックアップ4×4と同時どうじ発売はつばい
  • ホンダシティターボ(1984ねん2がつ25にち:コミカルミニよん最初さいしょのコミカルミニよん
  • ホットショットJr.(1986ねん6がつ16にち:レーサーミニよん初代しょだいレーサーミニよん
  • アバンテJr.(1988ねん12月15にち:レーサーミニよん本格ほんかくてきレースようミニよんとしてはつ登場とうじょう名車めいしゃわれている。
  • マグナムセイバー(1994ねん9がつ7にち:フルカウルミニよん初代しょだいフルカウルミニよん、ソニックセイバーと同時どうじ発売はつばい
  • ナイトロサンダー(2005ねん11月18にち:ミニよんPRO)初代しょだいミニよんPRO、ナイトロフォースと同時どうじ発売はつばいてキットのほか、はじめて完成かんせいひん販売はんばいされた。
  • バイソンマグナム(2007ねん11月23にち:ミニよんPRO)こしたてつひろがデザインを手掛てがけたミニよん25周年しゅうねん記念きねんモデル、ロデオソニックと同時どうじ発売はつばい
  • エアロアバンテ(2012ねん7がつ14にち:ミニよんREV)ミニよん30周年しゅうねん記念きねんモデル、アバンテをベースにそらりょく意識いしきしたデザインとなっている。
ケイブとの業務ぎょうむ提携ていけい
2005ねん3月、ゲーム製作せいさく会社かいしゃケイブ業務ぎょうむ提携ていけいし、同年どうねん6がつより携帯けいたい電話でんわけコンテンツを展開てんかい同年どうねん11がつミニよんPRO発売はつばいわせ、10月よりミニよん情報じょうほうサイト「ミニよんオンライン」を開設かいせつするとともにオンラインゲームミニよんオンラインレーサー」を発表はっぴょう当初とうしょ2006ねんはるのサービス開始かいし予定よていだったが、開発かいはつ大幅おおはば遅延ちえんのため2007ねん4がつ20日はつかより体験たいけんばん配信はいしん開始かいし同年どうねん10月31にちよりベータテストを開始かいし2010ねん3月24にち正式せいしきサービスを開始かいしした。2006ねん1がつ31にちにはミニよんかんするビジネスを展開てんかいする子会社こがいしゃミニよんネットワークス株式会社かぶしきがいしゃ」をケイブと共同きょうどう出資しゅっし設立せつりつ同年どうねん7がつにはミニよんとくしたSNS「ミニヨンクラブ」のサービスを開始かいし

ダイキャストせいミニカー[編集へんしゅう]

1996ねん - 1997ねんの2年間ねんかんに、1/43スケールのダイキャストせいミニカーを展開てんかいしていた。これはおも日産にっさんが1990年代ねんだいったル・マン24あいだレースの参戦さんせん沿った企画きかくである。タミヤは日産にっさんチームへのスポンサードをおこなっていた。一部いちぶ商品しょうひんはバリエーションちがいとしてJGTCのかくチームの仕様しよう登場とうじょうした。このときのミニカーの台座だいざMMPしゃ初期しょきのミニカーの台座だいざ一緒いっしょである。

  • スカイラインGT-R(R33)
    • Clarion nismo GT-R LM No.23(1996ねんル・マン参戦さんせんしゃ
    • Calsonic skyline GT-R No.1(1996ねんJGTC仕様しよう
    • UNISIA JECS Skyline GT-R NO.3(1996ねんJGTC仕様しよう
    • KURE SKYLINE GT-R No.556(1996ねんJGTC仕様しよう
  • R390GT-1
    • ロードカー(市販しはん予定よていしゃ仕様しよう
    • No.21 M.ブランドル/W.テイラー/J.ミューラーぐみ
    • No.22 鈴木すずき久里ひさと/R.パトレーゼ/E.ヴェンテポールぐみ
    • No.23 星野ほしの一義かずよし影山かげやま正彦まさひこ/E.コマスぐみ

2004ねんには『コレクターズクラブ』というシリーズで1/64サイズのミニカーがリリースされた。

以下いか商品しょうひんがリリースされた。

  • CALSONIC SKYLINE GT-R(2003)
  • TAKATA DOME NSX-GT(2003)
  • au CERUMO SUPRA-GT(2003)
  • DAISHIN SILVIA S15(2003)
  • RECLESS MR-S(2003)
  • XANAVI NISMO GT-R(2003)
  • ESSO ULTRON SUPRA-GT(2003)
  • RAYBRIG NSX-GT(2003)
  • SIGMATEC CELICA(2003)
  • WEDS SPORTS CELICA(2003)
  • ASUPARA DRINK RE-AMAMIYA RX-7(2003)
  • Mobil1 NSX(2003)

またどうシリーズだい3だんとして国産こくさん市販しはんしゃのミニカーが発売はつばいされた。

ダイキャストせいのコレクターズクラブスペシャルも展開てんかいしている。

  • フェラーリF50
  • ホンダRA272
  • フェラーリ・エンツォ
  • ポルシェ・カレラGT
  • ホンダCB750 レーシング
  • フェラーリ288 GTO

工作こうさくキット[編集へんしゅう]

たのしい工作こうさくシリーズのような、工作こうさく少年しょうねん様々さまざまうご玩具おもちゃ模型もけいつくるための部品ぶひんや、あるいは簡単かんたんロボットつくるためのキットを発売はつばいしている。このなかには往年おうねんマブチモーター人気にんき商品しょうひん水中すいちゅうモーター継続けいぞく商品しょうひんふくまれている。

デコレーションシリーズ[編集へんしゅう]

2011ねん3月から「デコレーションシリーズ」を発売はつばい粘土ねんど細工ざいくのようにスイーツ模型もけいつくるもので、女性じょせいをメインターゲットにしている[22]

模型もけいよう塗料とりょう[編集へんしゅう]

タミヤはアメリカのパクトラしゃ提携ていけいし、同社どうしゃ模型もけいようエナメル塗料とりょうをパクトラタミヤというブランドで1971ねんから国内こくない販売はんばいしていたが、1984ねん提携ていけい解消かいしょうしたのち国産こくさんのエナメル塗料とりょうタミヤカラーとしてつづ販売はんばいしている。また、1981ねんには水溶すいようせいのアクリル塗料とりょう発売はつばいしている。これらはパクトラタミヤのいろ番号ばんごう継承けいしょうしており、航空機こうくうき艦船かんせん軍用ぐんよう車両しゃりょうとう専用せんようしょく充実じゅうじつしている。さらに、ラッカーけいのスプレー塗料とりょうや、ラジコンカーのボディとうポリカーボネートよう塗料とりょう発売はつばいされており、ビンりのラッカーけいのぞき、模型もけいよう塗料とりょうのほぼすべてのタイプがそろえられている。

刊行かんこうぶつ[編集へんしゅう]

自社じしゃ製品せいひんかんする情報じょうほうとして「タミヤニュース」をつき1かい発行はっこうしている。1967ねん創刊そうかん[1]当初とうしょ隔月かくげつかん[23]臨時りんじ増刊ぞうかんごう発行はっこうされた。ながらく一部いちぶ50えんで、のちに100えん値上ねあげされた。独特どくとく細長ほそながはんがたは、定形ていけい郵便ゆうびんぶつとして発送はっそうするために封筒ふうとうわせたものである。しん製品せいひん模型もけいてん模型もけいクラブの紹介しょうかい記事きじのほか、模型もけい改造かいぞう記事きじ有名ゆうめい無名むめい模型もけい愛好あいこう記事きじなどがある。姉妹しまいとして、ミニよんダンガンレーサー記事きじ中心ちゅうしんあつかフリーペーパーの「タミヤ・ジュニアニュース」がある。かつては模型もけいてんで20えん販売はんばいされていたが、現在げんざいはタミヤのサイトからPDF形式けいしきファイルでダウンロード可能かのうである。

その模型もけい関連かんれんする刊行かんこうぶつとして、自社じしゃおこなった人形にんぎょう改造かいぞうコンテスト、情景じょうけい写真しゃしんコンテストなどの結果けっか発表はっぴょうよう冊子さっし発行はっこうしている。

タミヤプラモデルファクトリー[編集へんしゅう]

タミヤプラモデルファクトリー新橋しんばしてん(2024ねん移転いてん

タミヤでは模型もけい文化ぶんか発信はっしんあらたな客層きゃくそう開拓かいたくのため、自社じしゃブランド製品せいひん専売せんばい店舗てんぽ「タミヤプラモデルファクトリー」の店舗てんぽプロデュースを手掛てがけている。2008ねん神奈川かながわけん横浜よこはまトレッサ横浜よこはまみせ東京とうきょうみなと新橋しんばしてん[24]の2店舗てんぽ開業かいぎょう。トレッサ横浜よこはまてんでは企画きかく協力きょうりょくセガ店舗てんぽ開発かいはつ運営うんえい今関いまぜき商会しょうかいたずさわり、新橋しんばしてんでは店舗てんぽ開発かいはつ運営うんえい子会社こがいしゃの「タミヤプラモデルファクトリー株式会社かぶしきがいしゃ」がたずさわる。

新橋しんばしてん移転いてんのため2024ねん5がつ6にちをもって閉店へいてんし、新橋しんばしてんかいのしんとら安田やすだビル(2024ねん2がつ竣工しゅんこう[25])1かい旗艦きかんてんとなる「TAMIYA PLAMODEL FACTORY TOKYO」として同月どうげつ24にちにリューアルオープンした。店内てんないには2015ねん製作せいさくされた1/1スケールのミニよん「エアロ アバンテ」が常設じょうせつ展示てんじされるほか、カフェも併設へいせつされている[26][27]

国外こくがい子会社こがいしゃ[編集へんしゅう]

  • Tamiya America, Inc.
  • Tamiya Philippines, Inc.
  • Tamiya Hong Kong, LTD
  • Tamiya Europe, GmbH

現在げんざい、タミヤ製品せいひん半数はんすう以上いじょうフィリピン工場こうじょう製造せいぞうされている。近年きんねん食玩しょくがんブームにられる「彩色さいしき完成かんせいひんモデル」需要じゅよう拡大かくだい着目ちゃくもくし、やく1,200にん工場こうじょう人員じんいん駆使くしして1/48ミニタリーAFVモデルにウェザリング塗装とそうまでほどこしたモデルや、ダイキャストせいのミニチュアカーなどの完成かんせいひんモデルを製造せいぞうぜん世界せかいのホビー市場いちば出荷しゅっかしている。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

タミヤブランド製品せいひん製造元せいぞうもと[編集へんしゅう]

過去かこのものもふくむ。カッコない一般いっぱんけブランドめい

  • 工具こうぐ
    • アネックスツール(Anex) - タミヤブランド工具こうぐおもにドライバーるい)の製造元せいぞうもととしてパッケージに明記めいきされたことがある。
    • オルファ - タミヤブランド工具こうぐ製造元せいぞうもとおもにナイフ・のこるい)としてパッケージまたは製品せいひん明記めいきされたことがある。
    • 京都機械工具きょうときかいこうぐ(KTC) - タミヤとKTCのダブルネーム商品しょうひん(RCようツールキット)が発売はつばいされた。
    • マルト長谷川はせがわ工作こうさくしょ(KEIBA) - ニッパー[29]
    • タニタ - ミニよんスケール
    • マキタ - 電動でんどうドライバー一式いっしき
  • パワーソース
    • マブチモーター - ミニよんようモーターなど。パッケージにマブチのエンブレムがしるされている。
    • FDK富士通ふじつうおよeneloop) - ミニよんようニッケル水素すいそ蓄電池ちくでんち「ネオチャンプ」、アルカリ乾電池かんでんち「パワーチャンプFD」。
      この関係かんけいからか公認こうにんレース(おもにジャパンカップ)では度々たびたびスポンサーになっており、他社たしゃ製品せいひんとして唯一ゆいいつ富士通ふじつう乾電池かんでんち使用しよう解禁かいきんされる大会たいかい間々ままある。
      そのいちれいとして「ミニよんちょうそくガイド2015」の雑誌ざっし広告こうこくには「ミニよんとのなみはしも、すでに26ねんとなります。」「今年ことしも「ミニよんジャパンカップ2015」の大会たいかい公式こうしき乾電池かんでんち採用さいようされました」とのフレーズがある(※公式こうしきルールじょう、2015ねん7がつ現在げんざい原則げんそくとしてタミヤブランドの電池でんちしか使用しようできない)。
    • ゴールドピーク - RCカーようバッテリーの内部ないぶセル。
    • 三洋電機さんようでんき - RCカーようバッテリーの内部ないぶセル。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ げん法人ほうじん株式会社かぶしきがいしゃタミヤは合資ごうし会社かいしゃである田宮たみや商事しょうじ事業じぎょう継承けいしょうするために1984ねん設立せつりつされたものである(当時とうじ会社かいしゃほう施行しこうまえであり合資ごうし会社かいしゃから株式会社かぶしきがいしゃへの組織そしき変更へんこう不可能ふかのうであった)。株式会社かぶしきがいしゃ田宮たみや模型もけい田宮たみや商事しょうじのプラスチック成形せいけい部門ぶもん分社ぶんしゃするかたちで1962ねんにタミヤプラスチック工業こうぎょう株式会社かぶしきがいしゃとして設立せつりつ。1969ねんげん商号しょうごう変更へんこう)については1990ねん企画きかく開発かいはつなどの事業じぎょうをタミヤに統合とうごうしたうえで2024ねん現在げんざい存続そんぞくしている[4]
  2. ^ 製品せいひんはパーツの精度せいどく、コンセプトどおだれにでもてられ、かつ完成かんせいたか作品さくひんつくることができる[よう出典しゅってん]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i 沿革えんかく歴史れきし”. 株式会社かぶしきがいしゃタミヤ. 2024ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ 大塚おおつかみのる 2005, p. 1.
  3. ^ メカライフ学生がくせい委員いいん 2001, p. 392.
  4. ^ 株式会社かぶしきがいしゃ田宮たみや模型もけい情報じょうほう”. 法人ほうじん番号ばんごう公表こうひょうサイト. 国税庁こくぜいちょう. 2024ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  5. ^ 大塚おおつかみのる 2005, p. 1-2.
  6. ^ メカライフ学生がくせい委員いいん 2001, p. 393.
  7. ^ 植田うえだひろし揮 2007.
  8. ^ a b Racing on 2008, p. 12.
  9. ^ 西にし花池はないけ 湖南こなん日本にっぽんプラモデル 世界せかいとの激闘げきとう河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2019ねん12月6にち、72ぺーじISBN 978-4-309-25645-0 
  10. ^ a b Racing on 2008, p. 28.
  11. ^ あかあおのツインスター”. 2018ねん4がつ29にち閲覧えつらん
  12. ^ 田宮たみや俊作しゅんさく 2000, 巻末かんまつ解説かいせつ.
  13. ^ Racing on 2008, p. 26.
  14. ^ 田宮たみや俊作しゅんさく 2000, p. 139-140.
  15. ^ 田宮たみや俊作しゅんさく 2000, p. 140-142.
  16. ^ 社会しゃかい活動かつどう”. 株式会社かぶしきがいしゃタミヤ. 2020ねん4がつ13にち閲覧えつらん
  17. ^ Racing on 2008, ロータスをすくったタミヤ.
  18. ^ Racing on 2008, Tyrrell P34 はじめてのロイヤリティ.
  19. ^ Racing on 2008, p. 15.
  20. ^ Racing on 2008, スピリットは、1/12に凝縮ぎょうしゅくされた.
  21. ^ 田宮たみや俊作しゅんさく 2000, p. 225.
  22. ^ 小柳津おやいづしんかい 2013.
  23. ^ Racing on 2008, タミヤニュースをかざった17にん.
  24. ^ 田島たじま里奈りな、ノオト (2013ねん9がつ13にち). “ミニよんブームは本当ほんとうなのか? タミヤプラモデルファクトリーにってみた”. 編集へんしゅう特選とくせん記事きじ. GAZOO.com. 2016ねん4がつ4にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん3がつ5にち閲覧えつらん
  25. ^ しんとら安田やすだビル」竣工しゅんこうビジネス支援しえん施設しせつ「NIKAI」が2024ねん5がつ7にちオープン』(プレスリリース)安田やすだ不動産ふどうさん株式会社かぶしきがいしゃ、2024ねん4がつ26にちhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000046.000069362.html2024ねん6がつ29にち閲覧えつらん 
  26. ^ “ミニよん、プラモ…タミヤのぜん製品せいひんずらり 東京とうきょう新橋しんばしに24にち開業かいぎょうへ”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル (株式会社かぶしきがいしゃ朝日新聞社あさひしんぶんしゃ). (2024ねん5がつ23にち). https://www.asahi.com/articles/ASS5R31VMS5RUTIL00YM.html 2024ねん6がつ29にち閲覧えつらん 
  27. ^ 模型もけい文化ぶんか発信はっしんする、タミヤのしんフラッグシップ「TAMIYA PLAMODEL FACTORY TOKYO」2024ねん5がつ24にち(金)きん 新橋しんばし虎ノ門とらのもんエリアに新装しんそうグランドオープン』(プレスリリース)株式会社かぶしきがいしゃタミヤ、2024ねん4がつ23にちhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000012.000016584.html2024ねん6がつ29にち閲覧えつらん 
  28. ^ [OPTIONムービーチャンネル | HKS RACING SUCTION Reloaded ] J.D.M. OPTION INTERNATIONAL”. 2010ねん1がつ25にち閲覧えつらん
  29. ^ 『タミヤ公式こうしきガイドブック ミニよんちょうそくカスタム入門にゅうもんTMFL Ver.』学研がっけんプラス〈Gakken Mook〉、2016ねん、71,76ぺーじISBN 978-4056111774 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]