分子ぶんしモデル

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
分子ぶんし模型もけいから転送てんそう
1おくばい分子ぶんし模型もけいあらわした液体えきたいみず

分子ぶんしモデル(ぶんしモデル、えい: molecular model)とは、原子げんし幾何きかがくてき配列はいれつから推定すいていされる分子ぶんし構造こうぞうのこと。近年きんねんでは分子ぶんし構造こうぞうくわしくかるようになったため、3次元じげんてき造形ぞうけいしたものを視覚しかくして立体りったい化学かがく理解りかいするたすけのためにもちいられるモデル、模型もけい意味いみするようになった[1]分子ぶんし立体りったいてき構造こうぞうたまぼうもちいてあらわしたものはとく分子ぶんし模型もけい(ぶんしもけい、えい: molecular graphics)、原子げんし模型もけい(げんしもけい)とばれる[1]分子ぶんし模型もけい高等こうとう中等ちゅうとう教育きょういく科学かがく入門にゅうもん教育きょういくにおいて活用かつようされ、おおきな教育きょういく効果こうかがあることがわかっている[2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

もっとはや原子げんし分子ぶんし模型もけいジョン・ドルトンが1810ねんごろに使つかった、原子げんししたたまであるとされている[3]。その有機ゆうき立体りったい化学かがく研究けんきゅう分子ぶんし模型もけい重要じゅうよう役割やくわりえんずるようになった[4]分子ぶんし模型もけいなかには結晶けっしょう構造こうぞう模型もけいとして、結晶けっしょうがく理解りかい使つかわれるものもある[4]分子ぶんし模型もけいにはおおきく2種類しゅるいがあり、原子げんし位置いち結合けつごう状態じょうたい正確せいかくあらわすだけものと、電子でんしくもおおきさまであらわすようにしたものがある[5]

作成さくせいするためには樹脂じゅしなどでできた部品ぶひんわせたり、コンピューターじょう描画びょうがしたり、計算けいさん化学かがくXせん結晶けっしょう構造こうぞう解析かいせきなどの手法しゅほうられた構造こうぞうをもとに視覚しかくしたりする。

単体たんたい無機むきしお場合ばあいふく結晶けっしょう構造こうぞうについて分子ぶんしモデルに相当そうとうするものは結晶けっしょう構造こうぞうモデルまたは結晶けっしょう構造こうぞう模型もけいばれ、分子ぶんしモデルと同様どうよう形式けいしきあらわされる。

当初とうしょ大学だいがく高校こうこう化学かがく授業じゅぎょうもちいられる程度ていどだったが、1おくばい実体じったい積分せきぶん模型もけい発泡はっぽうスチロールだまつく方法ほうほう開発かいはつされてから、急速きゅうそく初等しょとう科学かがく教育きょういくなか普及ふきゅうし、小学校しょうがっこうてい学年がくねん科学かがく入門にゅうもん教育きょういくでもおおきな成果せいかすまでになった[2][6]

表現ひょうげん形式けいしき[編集へんしゅう]

針金はりがねモデル[編集へんしゅう]

イブプロフェンの針金はりがねモデル。
  • 結合けつごうのみを針金はりがねじょうにあらわしたモデル。たまもちいない。

分子ぶんし立体りったい構造こうぞうをなるべく正確せいかくあらわすためにチューリッヒ大学だいがくのS.Dreiding(en:André Dreiding)が1959ねん考案こうあんし、スイスの企業きぎょう特許とっきょって販売はんばいした。ステンレスのぼうかんわせでできている[5]。C-C結合けつごう結合けつごう距離きょり正確せいかくるように工夫くふうされていた。この模型もけいには水素すいそあらわ部品ぶひんはなかった[7]。いろいろな分子ぶんし模型もけいてるには種類しゅるい部品ぶひん必要ひつよう高価こうかであるのが欠点けってんだった。アメリカのL.F.Fieser(en:Louis Frederick Fieser)は1963ねんにプラスチックせい模型もけいつくり、販売はんばいした[8]

たまぼうモデル[編集へんしゅう]

プロリンたまぼうモデル
  • 原子げんしたま結合けつごうぼうであらわしたモデル。ぼうながさは結合けつごうちょう反映はんえいする。たまおおきさは原子げんし半径はんけい反映はんえいしない。

1865ねんにドイツのホフマン発明はつめいした[9]日本にっぽんでは、1966ねんはた一夫かずお[ちゅう 1]らの考案こうあん日ノ本ひのもと合成ごうせい樹脂じゅし製作所せいさくしょ[ちゅう 2]製作せいさくされ、HGS分子ぶんし模型もけい丸善まるぜん販売はんばいした[8]。このモデルでは従来じゅうらいたまぼうモデルで原子げんしまるたまあらわしていたものを多面体ためんたい変更へんこうして結合けつごうかく正確せいかく模型もけいでき、結晶けっしょう模型もけいつくることもできた[8]

空間くうかん充填じゅうてんモデル(スチュアート模型もけい[編集へんしゅう]

水分すいぶんじつ体積たいせきモデル。

1934ねんにドイツの実験じっけん物理ぶつり学者がくしゃヘルベルト・アーサー・スチュアート(en:Herbert Arthur Stuart(1899-1974ねん))[ちゅう 3]発明はつめいした模型もけい[11]発明はつめいしゃ名前なまえってスチュアート模型もけいともばれる。「CPKモデル」は1965ねんにコリー(R.Corey)とポーリング(L.Pauling)が模型もけいつくり、それをくわしい計算けいさん改良かいりょうしたコルタン(W.Koltum)の頭文字かしらもじをとったものである[12]。「空間くうかん充填じゅうてん分子ぶんし模型もけい」はSpace Fulling Molecular Model直訳ちょくやくである[12]初等しょとう科学かがく教育きょういく分野ぶんやではどもたちがイメージしやすい用語ようごとして実体じったい積分せきぶん模型もけい[ちゅう 4]ぶことが主流しゅりゅうである[12]

それまでの模型もけい結合けつごうかく結合けつごう距離きょりだけ正確せいかくつくり、分子ぶんし骨格こっかくだけをあらわしていたのにたいして、分子ぶんし骨格こっかく電子でんしくもあらわそうとした模型もけいである。原子げんしファンデルワールス半径はんけいおおきさにとり、結合けつごう距離きょりおうじて原子げんしだま一部いちぶとしたものをつないで分子ぶんしかたちてる[14]

ORTEP[編集へんしゅう]

Bi2TeO5のORTEP
  • Xせん結晶けっしょう構造こうぞう解析かいせき結果けっかあらわすためにもちいられる。原子核げんしかく一定いってい以上いじょうかくりつ存在そんざいする位置いちあらわねつ振動しんどう楕円だえんだまえがき、楕円だえんだま結合けつごうあらわぼうでつないだもの。

ORTEPとは、Oak Ridge Thermal Ellipsoid Program(オークリッジねつ楕円だえんたいプログラム)の頭文字かしらもじをとったもの。イギリスの結晶けっしょう学者がくしゃ D.W.J.Cruickshank(1924-2007ねん)(en:Durward William John Cruickshank)が1956ねん考案こうあんした。en:Thermal ellipsoid

歴史れきし[編集へんしゅう]

古代こだいギリシャ[編集へんしゅう]

古代こだいギリシャのデモクリトス(紀元前きげんぜん460ねんごろ-370ねんごろ)は、すべてのものはこれ以上いじょうけられないもの=アトモンなもの=アトムと、アトムがうごきまわる空間くうかん真空しんくうでできていると主張しゅちょうした。かれ原子げんしモデルは「あまいものはまるっこい原子げんしでできていて、つらいものはとげのある原子げんしでできている」などと想像そうぞうした[15]

近代きんだいてき原子げんしろんはじまり[編集へんしゅう]

ドルトンの原子げんし分子ぶんしモデル(1808ねん)。
ドルトンがつくった原子げんし模型もけい(1810ねん

1808ねんにイギリスのジョン・ドルトン(1766-1844ねん)は『科学かがく哲学てつがくしん体系たいけい』を出版しゅっぱんし、そのなかにあるまるえんあらわした原子げんしとそれらが結合けつごうした物質ぶっしつせた。ドルトンは1810ねんごろに友人ゆうじんのエドワードにたのんで、直径ちょっけい1インチほどのたくさんの木製もくせいたまつくってもらい、それを使つかってわたしじゅくどもたちに原子げんしおしえるのに使つかった。この木製もくせいだまはいくつかのあなひらいており、針金はりがねなどをとおしてつなぐこともできた[16]。ドルトンはこの模型もけい使つかって自分じぶんかんがえた原子げんしでできた物質ぶっしつおしえたとかんがえられている[15]。ドルトンの原子げんし模型もけいはマンチェスター科学かがく産業さんぎょう博物館はくぶつかん(Museum of Science and Indutry)に展示てんじされているものと、科学かがく博物館はくぶつかんグループ国立こくりつコレクションセンター(the Science Museum Group National Collections Centre)に保管ほかんされているものがあるが、それをると直径ちょっけい29mmと19mmのたまで、みじか金属きんぞくぼうでつなげられている[17]

有機ゆうき化合かごうぶつ研究けんきゅう時代じだい[編集へんしゅう]

ホフマンの分子ぶんし模型もけい。これはメタンの模型もけい。(1860ねん

ドルトンののち、1800年代ねんだい後半こうはんごろから、科学かがくしゃたちは炭素たんそふく物質ぶっしつけて分子ぶんし構造こうぞうについて研究けんきゅうし、様々さまざま仮説かせつ発表はっぴょうされるようになった。そしてその仮説かせつ発表はっぴょうするときに分子ぶんし模型もけいつくられるようになった[18]。1865ねんにドイツのホフマン(Augst Wilhelm von Hofmann : 1818-1892ねん[ちゅう 5]が、はじめて「たまぼうがた分子ぶんし模型もけい」をつくった[9]

この模型もけいではくろたま炭素たんそしろ文字もじでCとかれ、そのしろたまにはH、CL、Oなどとかれている。このたまクロッケーボール[ちゅう 6]つくられ、直径ちょっけい92mm、おもさ450gの木製もくせいであり、かなりおおきなものである。これはだいえいおうみとめ研修けんしゅうしょロイヤル・インスティチューション)で1865ねん一般いっぱんけの科学かがく講演こうえんをするさい聴衆ちょうしゅうせるためにつくられた[20]

オランダのファントホッフ(Van't Hoff : 1852-1911ねんは、1874ねんにホフマンの平面へいめんてき分子ぶんし模型もけいとはちがせいよん面体めんていさん角錐かくすいでできている分子ぶんし模型もけいつくった[21]。これはメタンCH4せいよん面体めんてい中央ちゅうおう炭素たんそ原子げんしたいして4つのかく水素すいそ原子げんし立体りったいてき位置いちするというかんがえを模型もけいにしたものだった。ファントホッフは構造こうぞうしき立体りったいてきかんがえたはじめてのひとだった[22]

原子げんしおおきさがかった時代じだい[編集へんしゅう]

ポーリング 1941ねん分子ぶんし模型もけいあつかっている。

1911ねんにイギリスのブラッグ(William.L.Bragg : 1890-1971ねん結晶けっしょうにXせんててその回折かいせつぞうから、原子げんしならかた原子げんしおおきさをあきらかにした[23]。1926ねんにはゴールドシュミット(Victor Moritz Goldschmidt : 1888-1947ねんがイオン半径はんけいひょう発表はっぴょうした。さらに気体きたい分子ぶんし衝突しょうとつしてかえとき最短さいたん接近せっきん距離きょりから「気体きたい衝突しょうとつ半径はんけい」(ファンデルワールス半径はんけい)がもとまり、分子ぶんし状態じょうたい原子げんしおおきさも研究けんきゅうできるようになった。1932ねんにアメリカのライナス・ポーリング(Linus Pauling : 1901-1994ねん)はファンデルワールス半径はんけい共有きょうゆう結合けつごう半径はんけい量子力学りょうしりきがくもちいた化学かがく結合けつごうろんみちびし、ファンデルワールス半径はんけい原子げんしおおきさの基本きほんとしてかんがえ、原子げんし結合けつごうかんがえた。これが原子げんし分子ぶんし模型もけいつくつく人達ひとたちがれた[24]

実体じったい積分せきぶん模型もけい誕生たんじょう[編集へんしゅう]

ポーリングは自分じぶん研究けんきゅう成果せいかもちいて、上手じょうず友人ゆうじん科学かがくしゃに、自分じぶんっている原子げんし分子ぶんしのイメージをえがいてもらい、たくさんの実体じったい積分せきぶん模型もけい自著じちょせた[25]

1934ねんにドイツの実験じっけん物理ぶつり学者がくしゃスチュアート(en:Herbert Arthur Stuart)は、『分子ぶんし構造こうぞう 物理ぶつりてき方法ほうほうによる分子ぶんし構造こうぞう決定けってい』につぎのようにいた。

原子げんしファンデルワールス半径はんけいめられるようになったので、2種類しゅるいあたらしい(メタンの)分子ぶんし模型もけいてた。1つは透明とうめいなガラスだまつくったもので、共有きょうゆう結合けつごう半径はんけいおおきさのたまにしてある。たま中心ちゅうしんには原子核げんしかく位置いちしめちいさなガラスだまがついている。
もうひとつは原子げんしたまつくったもので、たまおおきさはファンデルワールス半径はんけいにしてある。ただし、このたま一部いちぶはカットしてあるのでかけだまである。これは特別とくべつ仕組しくみで原子げんし同士どうし結合けつごうして分子ぶんし模型もけいてるようにしたもので、分子ぶんしない原子げんし自由じゆう回転かいてんできる。つくりたい分子ぶんし自由じゆうてることができるし、その分子ぶんしなか原子げんし自由じゆう回転かいてんできるので、いろいろなかたち変化へんかした分子ぶんし研究けんきゅうすることができる[26]

スチュアートの分子ぶんし模型もけいは「分解ぶんかいたて自由じゆう回転かいてん可能かのう」で「くわしい知識ちしきくても自分じぶん分子ぶんしつくれてしまう」というてんがこれまでの分子ぶんし模型もけいになかった画期的かっきてき発明はつめいだった。この模型もけいは1956ねん黒木くろき信彦のぶひこ[ちゅう 7]が『染色せんしょく化学かがく』(まき書店しょてん)のなか日本にっぽん紹介しょうかいした[27]。スチュアート模型もけいでは原子げんし接合せつごうふくにつかうスナップボタンを使つかっている。この分子ぶんし模型もけいケルンのLeybolds商会しょうかいen:Leybold GmbH)が供給きょうきゅうけ、世界せかいはじめて市販しはんされた分子ぶんし模型もけいとなった[28]

1おくばい分子ぶんし模型もけい誕生たんじょう[編集へんしゅう]

スチュアートの実体じったい積分せきぶん模型もけい改良かいりょうされ、イギリスやアメリカなどで教育きょういくよう発売はつばいされた。日本にっぽんでもそれらを模倣もほうするかたち教材きょうざいようとして販売はんばいされるようになった。それらには三田みたむら理研りけん工業こうぎょうの「MRK分子ぶんし模型もけい」、英国えいこくせいでナリカが販売はんばいする「モリモッド分子ぶんし模型もけい(molymod)」、日ノ本ひのもと合成ごうせい製作所せいさくしょの「HGS分子ぶんし模型もけい」、英国えいこくせいでCYPRESSが販売はんばいする「CPK精密せいみつ分子ぶんし模型もけい」がある。これらの模型もけい倍率ばいりつは1.25おくばいから2.8おくばいとなっている。このような半端はんぱ倍率ばいりつになっているのは、アメリカやイギリスの1インチをもとにした倍率ばいりつをそのまま模倣もほうまたは輸入ゆにゅうしたからである[29]えいべい科学かがくしゃ科学かがく研究けんきゅうにはトル法とるほう使つかうが、模型もけいつくるとなると1オングストローム=1インチまたは0.5インチを基本きほんながさでつくっている。これは発注はっちゅうに、日常にちじょうてき単位たんい寸法すんぽう指示しじしたからだとおもわれる[30]欧米おうべい科学かがくしゃ模型もけい倍率ばいりつには関心かんしんかった[31]

科学かがく史家しか科学かがく教育きょういく研究けんきゅうしゃ板倉いたくらきよしせんは、原子げんし分子ぶんしどもけにおしえる絵本えほん『もしも原子げんしがみえたなら』を1971ねん出版しゅっぱんした[32]。このほんでは、1おくばい実体じったい積分せきぶん模型もけい使つかわれた。板倉いたくらはこのことについて「ちょうど1おくばいおぼえやすいから、わざわざこのおおきさにした」とべている。絵本えほんをもとに1975ねんつくられた仮説かせつ実験じっけん授業じゅぎょう授業じゅぎょうしょ「もしも原子げんしえたなら」では、1おくというおおきな倍率ばいりつ説明せつめいするのに、ぎゃく地球ちきゅうれいをあげて「地球ちきゅうを1おくぶんの1にすると直径ちょっけい13cmほどになる」というれい使つかっている[33]

のちにこの絵本えほん授業じゅぎょうしょもと分子ぶんし模型もけいつくるときにも、原子げんし寸法すんぽうは1オングストローム(Å)が「1おくぶんの1cm」であるため、オングストローム単位たんい原子げんし数値すうちをそのまま1おくばいすれば簡単かんたんにcmに換算かんさんすることができるというメリットもあった[34]

しかし、既存きそんのメーカーは1おくばい模型もけいには興味きょうみをしめさなかったため、仮説かせつ実験じっけん授業じゅぎょう研究けんきゅうかい会員かいいん由良ゆら文隆ふみたか[ちゅう 8]ちちかねがた工場こうじょうで1おくばい実体じったい積分せきぶん模型もけいかねがた製造せいぞうしてもらい、プラスチックせい模型もけいとして量産りょうさんし、「YYSブロック」として1993ねん販売はんばいした[36]。その仮説かせつ実験じっけん授業じゅぎょう研究けんきゅうかいでは、1おくばいという区切くぎりの数字すうじ分子ぶんし模型もけい使つかったことによって、科学かがく入門にゅうもん教育きょういくじょうもっと基礎きそてき科学かがくてき概念がいねん」としての原子げんしのイメージが、どもたちにおぼえやすく印象いんしょうのこることになった[31][ちゅう 9]

科学かがく入門にゅうもん教育きょういくへの導入どうにゅう成果せいか[編集へんしゅう]

初期しょき導入どうにゅう[編集へんしゅう]

立体りったい化学かがくでは入門にゅうもんてき学習がくしゅうにはどうしても分子ぶんし模型もけい必要ひつようであるとかんがえられ1960ねんごろには大学だいがく化学かがく授業じゅぎょう市販しはん模型もけい使つかわれていた[37]。しかし学生がくせい1にん1にん模型もけいさわってまなぶには高価こうかであったため、学生がくせいよう様々さまざま自作じさく方法ほうほう考案こうあんされ、たまぼうモデルがつくられていた[37]高校こうこう発泡はっぽうスチロールだまをニクロムせんってつくったり、毛糸けいと電子でんしくもモデルを作成さくせいするこころ[38]大学だいがくでのかみいてることでつく分子ぶんし模型もけい[39]高校こうこう化学かがくでのポリウレタンやEVAとう軟質なんしつプラスチックでたまぼうがた接触せっしょくだま模型もけいつくこころ[40]教育きょういく大学だいがくでのりたたみしきかみせい模型もけいせいよん面体めんてい骨格こっかく模型もけいこころ[41]などがおこなわれてきた。このように、これらはおも大学だいがく高校こうこうでの化学かがく授業じゅぎょう利用りようされた。

初等しょとう教育きょういくへの導入どうにゅう[編集へんしゅう]

小学校しょうがっこう中心ちゅうしんとした初等しょとう教育きょういくで、本格ほんかくてき分子ぶんし模型もけい授業じゅぎょう導入どうにゅうすることは、板倉いたくらきよしせんが1971ねんに『もしも原子げんしえたなら』[32]というどもきの絵本えほん出版しゅっぱんしたことからはじまった。このほんは1964ねんのポーリングの『分子ぶんし造形ぞうけい[42]で、カラーの分子ぶんし模型もけい多用たようした入門にゅうもんしょ出版しゅっぱんしたことを参考さんこうつくられたとおもわれる。ポーリングのこのほん見開みひらきの片面かためんたまぼうモデルやじつ体積たいせき模型もけいや、結晶けっしょう模型もけい多数たすうせられ、日本にっぽん分子ぶんし模型もけいづくりにもおおきな影響えいきょうあたえた[43]。しかし、板倉いたくら絵本えほん対象たいしょう小学生しょうがくせいまでげたことと、実体じったい積分せきぶん模型もけい採用さいようしたことが、それまでの高等こうとう中等ちゅうとう教育きょういく化学かがく授業じゅぎょう対象たいしょうとした模型もけいづくりとはちがっていた[ちゅう 10]。この絵本えほん内容ないよう板倉いたくら予想よそうえてどもだけでなく教師きょうしにも歓迎かんげいされ、小学校しょうがっこうてい学年がくねんでも使つかわれるようになった[45]

絵本えほん授業じゅぎょうしょ[編集へんしゅう]

授業じゅぎょうしょ「もしも原子げんしがみえたなら」の授業じゅぎょうで、空気くうきの1おくばい模型もけいどもたち。

絵本えほんにそって授業じゅぎょうをやりたいという要望ようぼうけて、1975ねん仮説かせつ実験じっけん授業じゅぎょう研究けんきゅうかい会員かいいん平林ひらばやしひろし[ちゅう 11]授業じゅぎょうしょ「もしも原子げんしえたなら」を作成さくせいした[46]。この授業じゅぎょうしょは「おはなしみながら分子ぶんしいろっていく」という簡単かんたん構成こうせいだった。平林ひらばやしは「分子ぶんし模型もけいあたまなかわせながらかんがえることができれば、イメージだけで化学かがく変化へんかかってしまうのではないか」とかんがえた[47]分子ぶんしいろることにしたのは「いろけることによってえがかれているもののイメージがつよのこる」とかんがえたことによる[48]。この授業じゅぎょうしょ小学校しょうがっこうてい学年がくねんでもだい歓迎かんげいされ、大人おとなからどもまで原子げんし分子ぶんしをたのしくまなべることがかった[49]

1おくばいスチロールだま模型もけいはじまり[編集へんしゅう]

名倉なくらひろし[ちゅう 12]は「もしも原子げんしがみえたなら」の授業じゅぎょう三田みたむら理研りけん工業こうぎょうのプラッスチック分子ぶんし模型もけい使つかっていたが、三田みたむら理研りけんは1976ねん廃業はいぎょうしてしまい、分子ぶんし模型もけい入手にゅうしゅこまっていた[51]。そこで様々さまざま材料ざいりょうためした結果けっか、1979ねん手芸しゅげいてんつけた発泡はっぽうスチロールだま分子ぶんし模型もけいつくることはじめた[52]。その結果けっかたまにパイプでしるしけて大型おおがたカッターでるという方法ほうほう考案こうあんした。スチロールだま水性すいせいペイントでいろりをし、木工もっこうようボンドで接着せっちゃくした。三田みたむら理研りけん模型もけいは1.25おくばいだったが、名倉なくらひろしはスチロールだまのサイズを『理科りか年表ねんぴょう』にっていたファンデルワールス半径はんけい(オングストローム単位たんい)の数字すうじを2ばいしてcmに換算かんさんして1おくばいとし、スチロールだまの25~45ミリにちかいものをてはめた。ここにはじめてじつ体積たいせき模型もけい倍率ばいりつが1おくばいとなった。このとき名倉なくら発表はっぴょうしたたまのサイズひょうでは、たとえば水素すいそ原子げんしは25ミリ、酸素さんそ原子げんしは30ミリとなった[53]小学校しょうがっこう4年生ねんせい以下いかはまだカッターがうまく使つかえなかったため、名倉なくらったものを用意よういしていろりと接着せっちゃくだけやらせたた[54]欠点けってんとしては小売こうりてんうスチロールだま1個いっこ25えん~35えん高価こうかなことであった。

製作せいさく方法ほうほう改良かいりょう[編集へんしゅう]

Molecule modes
発泡はっぽうスチロールだまつくった授業じゅぎょうようの1おくばい実体じったい積分せきぶん模型もけい

名倉なくらひろし発泡はっぽうスチロールでつくる1おくばい実体じったいせき模型もけいつくかたは、たのしい授業じゅぎょう学派がくは中心ちゅうしんとするおおくの授業じゅぎょうしゃによって改良かいりょうされた。また、「もしも原子げんしがみえたなら」だけでなく、「いろいろな気体きたい」「さんたい変化へんか」「燃焼ねんしょう」などの授業じゅぎょうしょでも分子ぶんし模型もけい積極せっきょくてきれられた。

  • 1985ねん板倉いたくら吉村よしむら七郎しちろう[ちゅう 13]授業じゅぎょうしょてくる分子ぶんしおおきさとかた図解ずかいした[56]。スチロールだま小売こうりてんから供給きょうきゅうもと入手にゅうしゅさき変更へんこうされ大幅おおはば安価あんかになった。
  • 1990ねん高橋たかはしみちおのれ[ちゅう 14]由良ゆら文隆ふみたか[ちゅう 15]はプラスチックばんあなけて、スチロールだま切断せつだんめんしるしける「モルプレート」を開発かいはつした[57]
  • 1992ねん平尾ひらお二三夫ふみお[ちゅう 16]は「ユニポスカキャップ」でたましるしける方法ほうほうおおくの分子ぶんし模型もけいつくかた解説かいせつしたほん出版しゅっぱんした[58]
  • 1995ねん塩野しおの広次ひろつぐ[ちゅう 17]は1おくの3じょう=108×108×108=1024≒1モルであることから、1おくばい実体じったい積分せきぶん模型もけいはそのまま該当がいとう分子ぶんしの1モル体積たいせき相当そうとうすることを発見はっけんした。そこで1おくばい分子ぶんし模型もけいに「分子ぶんしりょうグラム」ぶんのおもりをれれば、模型もけいでも分子ぶんしりょう実感じっかんできるとして模型もけいなまり小粒こつぶれた分子ぶんし模型もけい考案こうあんした[59]
  • 2005ねん山田やまだ正男まさお[ちゅう 18]斉藤さいとう一郎いちろう[ちゅう 19]電熱でんねつせんカッターをステンレスせんつく乾電池かんでんちうごくようにした。またいろりは水性すいせいペンキがうつくしく出来できこと独自どくじ開発かいはつ角度かくど定規じょうぎ正確せいかくることができるようになった。これらの道具どうぐ仮説かせつしゃ販売はんばいされ、原子げんしすうおお分子ぶんし手軽てがるつくれるようになった[60]

一方いっぽうで、板倉いたくらきよしせんは「模型もけいはある程度ていどいい加減かげんなのがいのであって、模型もけいつくることによっておぼえることがえたらいやになってしまう。厳密げんみつさを要求ようきゅうしすぎて分子ぶんし模型もけい利点りてんうしなわないように」といましめている[61]

初等しょとう教育きょういく原子げんし分子ぶんしおしえる意義いぎ[編集へんしゅう]

カードゲームモルQ

板倉いたくらきよしせんは「小学校しょうがっこう1年生ねんせい原子げんし分子ぶんしおしえるのはしつけ、ムチャクチャではないか」という批判ひはんたいして、

明治めいじ以後いご,「大地だいちっきゅうだ」ということは地球儀ちきゅうぎ普及ふきゅう常識じょうしきになった。いま、「そんなことはむずかしくて役立やくだたないからおしえるな」とひとがいるだろうか。あえて「原子げんしろんを」とわなくてもいい。分子ぶんし模型もけい地球儀ちきゅうぎのように身近みぢかなものにすべきだ[2]

こたえている。

また、伊藤いとうめぐみ[ちゅう 20]小学校しょうがっこう1~2年生ねんせいで「もしも原子げんしがみえたなら」を分子ぶんし模型もけい使つかって授業じゅぎょうし、どもたちがきと分子ぶんし世界せかいあそぶようになるおおきな成果せいかげた[62]同様どうよう事例じれいほかにも報告ほうこくされている[63]

このような分子ぶんし模型もけい授業じゅぎょうひろがりと歓迎かんげいについて板倉いたくらきよしせんは、

原子げんし分子ぶんしまなんだどもたちは「分子ぶんし模型もけい知識ちしきがこのおおくの問題もんだいくのにとても役立やくだつ」ということをってしまう。小学生しょうがくせい高校生こうこうせいでもいろんな分子ぶんし模型もけいてて、原子げんし分子ぶんしのことを想像そうぞうするのがたのしんでいる。カードゲームの「モルQ」はそうした原子げんし教育きょういくからまれ、どもたちにだい歓迎かんげいされている[64]

べている。

さらに21世紀せいきはいると「初等しょとう教育きょういくでの本格ほんかくてき分子ぶんし模型もけい授業じゅぎょう」は世代せだいえてがれるようになってきた。たとえば、小学校しょうがっこう時代じだいに「もしも原子げんしえたなら」で分子ぶんし模型もけいたのしんだどものなかから、教師きょうしになってふたた分子ぶんし模型もけい授業じゅぎょうおこなものあらわれた[65]

また分子ぶんし模型もけい授業じゅぎょうけて、成人せいじんにプログラマーの仕事しごといたとき、そのときまなんだ分子ぶんし運動うんどうのイメージを視覚しかくするために「シミュレーションばん〈もしも原子げんしえたなら〉」[66]つくって販売はんばいするまでになったものもあらわれた[67][68]

18ねんぶりに再会さいかいした小学校しょうがっこう同窓会どうそうかいで、小学校しょうがっこう時代じだい体験たいけんした分子ぶんし模型もけいのたのしさが話題わだいになった事例じれい[69]や、仮説かせつ実験じっけん授業じゅぎょう研究けんきゅうかいそとまで分子ぶんし模型もけい授業じゅぎょうひろがり、海外かいがい生徒せいと分子ぶんし模型もけい授業じゅぎょうたのしんだ事例じれいあらわれた[70]

板倉いたくらきよしせん分子ぶんし模型もけい教育きょういくについてつぎのようにべている。

明治めいじ初期しょき物理ぶつり教科書きょうかしょには、小学生しょうがくせいようのものにも、最初さいしょから分子ぶんしはなしていました。そして「すべてのもの分子ぶんしからできている」ということをらないと「文明開化ぶんめいかいかひと」とはえないとおもわれることもありました。しかし、その原子げんし分子ぶんしろん知識ちしきひろ国民こくみん基礎きそ常識じょうしきとなるにいたりませんでした。しかし、「地球ちきゅう」のほう知識ちしきひろ国民こくみん常識じょうしきとなったとえるでしょう。明治めいじは『地球儀ちきゅうぎ用法ようほう』というほんなに種類しゅるい発行はっこうされて、人々ひとびとに「地球ちきゅう実在じつざい」を雄弁ゆうべんうったえることに成功せいこうしたからです。地球ちきゅう全体ぜんたいおおきすぎてえないのに、つくえうえちいさい地球儀ちきゅうぎえるので、地球ちきゅう実在じつざい有力ゆうりょくうったえることができたのです。分子ぶんし模型もけいがあってはじめて、原子げんし分子ぶんしろん国民こくみん常識じょうしきになるにいたみちいだしたというべきでしょう[71]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 当時とうじ東京都立大学とうきょうとりつだいがく理学部りがくぶ[4]
  2. ^ 2015ねん社長しゃちょうとともに廃業はいぎょう
  3. ^ 当時とうじは35さいで、ドイツりょうだったひがしプロイセン(現在げんざいはロシアのカリーニングラード)のケーニヒスベルクの物理ぶつりがく研究所けんきゅうじょ研究けんきゅういんだった[10]
  4. ^ この模型もけいつくった三田村みたむら理研りけん工業こうぎょう模型もけい説明せつめいしょに「じつ体積たいせき模型もけい」とかれていたのを板倉いたくらきよしせんが、子供こどもたちにも「おおよそのことがんだだけでわかる訳語やくご」として採用さいようして自身じしんほん使つかった[13]
  5. ^ 1845-1864ねんまでロンドン王立おうりつ化学かがく大学だいがく初代しょだい学長がくちょうけん教授きょうじゅとなった[18]
  6. ^ クロッケーとはイギリスでゲートボールのもとになったゲーム。ソフトボールぐらいのおおきさの木製もくせいだま使つか[19]
  7. ^ 当時とうじ大阪府立大学おおさかふりつだいがく教授きょうじゅ工学こうがく博士はかせ[27]
  8. ^ 当時とうじ神奈川かながわけん中学校ちゅうがっこう教諭きょうゆ[35]
  9. ^ 東洋とうようでは数詞すうしが4けた区切くぎりのため1おく区切くぎりがいが、西洋せいようでは数詞すうしが3けた区切くぎりのため1おくかならずしも区切くぎりが数字すうじとはえない。
  10. ^ この国土こくどしゃばん初版しょはん挿絵さしええがいたのは挿絵さしえ画家がかかじあゆふとしだが、について板倉いたくらきよしせん対立たいりつしたはなしつたわっている。絵本えほんなか空気くうきちゅう分子ぶんしまわっているがあるが、かじは「分子ぶんしまわっているのだから遠近えんきんほうえがこう」としたが、板倉いたくらはこれにつよ反対はんたいした。板倉いたくらは「おな分子ぶんしおおきくえがかれたり、ちいさくえがかれたりすると、どもたちが、おな分子ぶんしでもおおきさがちがうものがあると、勘違かんちがいするおそれがある」ことを心配しんぱいし、「読者どくしゃであるどもの印象いんしょうさい優先ゆうせん」であるとして、まわるたくさんの分子ぶんしおなおおきさでえがかれることになった[44]
  11. ^ 1934ねん長野ながのけん諏訪すわ地方ちほうまれ。1988ねんまで小学校しょうがっこう教諭きょうゆ退職たいしょくは「出前でまえ教師きょうし」として、地域ちいきども・大人おとなといっしょに科学かがくたのしむ教室きょうしつひらいている。仮説かせつ実験じっけん授業じゅぎょう研究けんきゅうかい障害しょうがいしゃ教育きょういくけん実現じつげんするかい会員かいいん
  12. ^ (1920-2008ねん仮説かせつ実験じっけん授業じゅぎょう研究けんきゅうかい会員かいいん東京とうきょうでわかば科学かがくクラブを主催しゅさいしてどもたちに、たのしい科学かがく授業じゅぎょうおこなっていた。[50]
  13. ^ よしむらしちろう、1926-2008ねん8がつ13にちもと暁星ぎょうせい小学校しょうがっこう教諭きょうゆ分子ぶんし模型もけい普及ふきゅう授業じゅぎょうしょ宇宙うちゅうへのみち」「地球ちきゅう」などで使用しようする実験じっけん器具きぐ開発かいはつ,「ゴミと環境かんきょう」をはじめとするさまざまな授業じゅぎょうプランの開発かいはつなどがある[55]
  14. ^ たかはしみちひこ。1949ねん福岡ふくおかけんまれ、2022ねん死去しきょ。1980ねん名古屋なごや科学かがく講座こうざおこな私塾しじゅく科学かがくしゃ」をはじめる。1982ねん名古屋なごや仮説かせつ実験じっけん授業じゅぎょう研究けんきゅうかい設立せつりつメンバー。1987ねん名古屋なごや仮説かせつ会館かいかん開設かいせつ
  15. ^ ゆらふみたか、1954ねんまれ。
  16. ^ ひらおふみお、1957ねんまれ。当時とうじ大阪おおさか小学校しょうがっこう教諭きょうゆ
  17. ^ しおのひろつぐ、1951ねん東京とうきょうまれ。千葉ちば中学校ちゅうがっこう教諭きょうゆから小学校しょうがっこう教諭きょうゆて、1990ねん宇都宮大学うつのみやだいがく教育きょういく学部がくぶ非常勤ひじょうきん講師こうし。2000ねん千葉大学ちばだいがく教育きょういく学部がくぶ非常勤ひじょうきん講師こうし
  18. ^ 当時とうじ愛知あいちけん高校こうこう教諭きょうゆ
  19. ^ 当時とうじ北海道ほっかいどう小学校しょうがっこう教諭きょうゆ
  20. ^ 当時とうじ東京とうきょう小学校しょうがっこう教諭きょうゆ

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 17.
  2. ^ a b c 板倉いたくらきよしせん 1998.
  3. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 28.
  4. ^ a b c はた一夫かずお 1967, p. 128.
  5. ^ a b はた一夫かずお 1967, p. 129.
  6. ^ 板倉いたくらきよしせん 2008.
  7. ^ はた一夫かずお 1967, pp. 129–130.
  8. ^ a b c はた一夫かずお 1967, p. 130.
  9. ^ a b 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 34.
  10. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 121.
  11. ^ 榊原さかきばら郁子いくこ 2005, p. 53.
  12. ^ a b c 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 59.
  13. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 60.
  14. ^ はた一夫かずお 1967, p. 134.
  15. ^ a b 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 20.
  16. ^ Gift of Manchester Literary & Philosophical Society.
  17. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, pp. 26–29.
  18. ^ a b 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 31.
  19. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 36.
  20. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, pp. 36–37.
  21. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 38.
  22. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 39.
  23. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 46.
  24. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 51.
  25. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 53.
  26. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, pp. 53–56.
  27. ^ a b 山路やまじ敏英としひで 2021, pp. 57–58.
  28. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, pp. 62–63.
  29. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 58.
  30. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 63.
  31. ^ a b 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 68.
  32. ^ a b 板倉いたくらきよしせん 1971.
  33. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 66.
  34. ^ 名倉なくらひろし 1982.
  35. ^ 由良ゆら文隆ふみたか 2019.
  36. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, pp. 64–68.
  37. ^ a b はた一夫かずお 1966, p. 205.
  38. ^ 高山たかやまあきら 1972.
  39. ^ 田村たむらとおる 1977.
  40. ^ 石山いしやま大槻おおつき花屋はなや村松むらまつ 1984.
  41. ^ しょう出力しゅつりょく 1985.
  42. ^ Pauling・Hyward 1967.
  43. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 80.
  44. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, pp. 77–78.
  45. ^ 板倉いたくらきよしせん 2008, pp. 94–95.
  46. ^ 山路やまじ敏英としひで 2020, p. 165.
  47. ^ 平林ひらばやしひろし 2019, p. 129.
  48. ^ 平林ひらばやしひろし 2019, p. 131.
  49. ^ 板倉いたくらきよしせん 2008, p. 95.
  50. ^ 山路やまじ敏英としひで 2021, p. 132.
  51. ^ 名倉なくらひろし 1982, p. 132.
  52. ^ 平尾ひらお二三夫ふみお 1991, p. 137.
  53. ^ 名倉なくらひろし 1982, p. 135.
  54. ^ 名倉なくらひろし 1982, p. 134.
  55. ^ たのしい授業じゅぎょう編集へんしゅう 2008.
  56. ^ 板倉いたくら吉村よしむら 1985.
  57. ^ 高橋たかはし由良ゆら 1990.
  58. ^ 平尾ひらお板倉いたくら 1992.
  59. ^ 塩野しおの広次ひろつぐ 1995.
  60. ^ 山田やまだ斉藤さいとう 2005.
  61. ^ 山田やまだ正男まさお 2001, p. 135.
  62. ^ 伊藤いとうめぐみ 1995.
  63. ^ 平尾ひらお二三夫ふみお 2015.
  64. ^ 板倉いたくらきよしせん 1998, pp. 18–19.
  65. ^ 古川ふるかわ真司しんじ 2019.
  66. ^ はやし研究所けんきゅうじょ 2019.
  67. ^ 小林こばやし眞理子まりこ 2008.
  68. ^ 小林こばやし眞理子まりこ 2019.
  69. ^ 日吉ひよしひとし 2019.
  70. ^ 那須なす悦代えつよほか 2009.
  71. ^ 板倉いたくらきよしせん 1998, p. 22.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • はた一夫かずお立体りったい化学かがく学習がくしゅうよう分子ぶんし模型もけい 入門にゅうもんにも高度こうど利用りようにも役立やくだあたらしい分子ぶんし模型もけい試作しさく」『化学かがく教育きょういくだい14かんだい2ごう日本にっぽん学会がっかい、1966ねん、205-210ぺーじ 
  • はた一夫かずお分子ぶんし模型もけいのいろいろ」『日本にっぽん結晶けっしょう学会がっかいだい9かんだい2ごう日本にっぽん結晶けっしょう学会がっかい、1967ねん、128-135ぺーじ 
  • Linus Pauling、Roger Hyward ちょ木村きむら健二郎けんじろう大谷おおや寛治かんじ やく分子ぶんし造型ぞうけい やさしい化学かがく結合けつごうろん丸善まるぜん、1967ねんISBN 4-621-02026-9 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:68000623
  • 板倉いたくらきよしせん『もしも原子げんしがみえたなら』国土こくどしゃ、1971ねんISBN 4-337-06007-3 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:45001357
  • 高山たかやまあきら手軽てがるにできる分子ぶんし模型もけい開発かいはつ(〈特集とくしゅう最近さいきん化学かがく教育きょういく機材きざい)」『化学かがく教育きょういくだい20かんだい2ごう日本にっぽん学会がっかい、1972ねん、114-119ぺーじ 
  • 田村たむらとおる簡単かんたん分子ぶんし模型もけい結晶けっしょう模型もけい製作せいさくする研究けんきゅう : 1. かみ安価あんか方法ほうほう」『中京大学ちゅうきょうだいがく教養きょうよう論叢ろんそうだい18かんだい2ごう中京大学ちゅうきょうだいがく教養きょうよう、1977ねん、231-250ぺーじCRID 1050564289141286400 
  • 平尾ひらお二三夫ふみお発泡はっぽうスチロールだまでの分子ぶんし模型もけいづくりの歴史れきし(1)1971~1991ねんまで(初出しょしゅつ:1991ねん)」『〈原子げんし分子ぶんし模型もけい〉はどのようにしてまれたのか』、カウベルどう、2021ねん、136-141ぺーじ 
  • 名倉なくらひろし分子ぶんし模型もけいを”発泡はっぽうスチロールだま”でつくろう(初出しょしゅつ:1982ねん)」『〈原子げんし分子ぶんし模型もけい〉はどのようにしてまれたのか』、カウベルどう、2021ねん、132-141ぺーじ 
  • 石山いしやまこう大槻おおつきいさむ花屋はなやかおる村松むらまつたかし軟質なんしつプラスチックをもちいた分子ぶんし模型もけい試作しさく教材きょうざい」『化学かがく教育きょういくだい32かんだい5ごう日本にっぽん学会がっかい、1984ねん、434-437ぺーじ 
  • しょう出力しゅつりょくおりたたみしき分子ぶんし模型もけい製作せいさく」『化学かがく教育きょういくだい33かんだい5ごう日本にっぽん学会がっかい、1985ねん、420-422ぺーじ 
  • 板倉いたくらきよしせん吉村よしむら七郎しちろう分子ぶんし模型もけいつくかた-発泡はっぽうスチロールだま簡単かんたんにつくれます」『たのしい授業じゅぎょうだい33ごう仮説かせつしゃ、1985ねん、41-56ぺーじ 
  • 高橋たかはしみちおのれ由良ゆら文隆ふみたか分子ぶんし模型もけい定規じょうぎ-モルプレート」『たのしい授業じゅぎょうだい93ごう仮説かせつしゃ、1990ねん、72ぺーじ 
  • 平尾ひらお二三夫ふみお板倉いたくらきよしせん発泡はっぽうスチロールだま分子ぶんし模型もけいつくろう』仮説かせつしゃ、1992ねんISBN 4-7735-0101-4 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:93037475
  • 吉村よしむら七郎しちろう分子ぶんし模型もけい身近みぢかになった原子げんし分子ぶんし,そして化学かがく」『たのしい授業じゅぎょうだい125ごう仮説かせつしゃ、1993ねん、18-21ぺーじ 
  • 伊藤いとうめぐみてい学年がくねんにおける原子げんしろん教育きょういく可能かのうせい」『仮説かせつ実験じっけん授業じゅぎょう研究けんきゅう だいだい6ごう仮説かせつしゃ、1995ねん、40-69ぺーじISBN 4-7735-0116-2 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:96034443
  • 塩野しおの広次ひろつぐ「1おくばい分子ぶんし模型もけいで1モルがわかった」『たのしい授業じゅぎょうだい155ごう仮説かせつしゃ、1995ねん、48-55ぺーじ 
  • 板倉いたくらきよしせんき・計算けいさん原子げんし模型もけい 分子ぶんし模型もけいづくりをあたらしい国民こくみん常識じょうしきに」『たのしい授業じゅぎょうだい197ごう仮説かせつしゃ、1998ねん、10-25ぺーじ 
  • 山田やまだ正男まさお「アリがタイなら倉庫そうこ-102〈教育きょういくてき配慮はいりょをしない〉」『たのしい授業じゅぎょうだい135ごう仮説かせつしゃ、2001ねん、10-25ぺーじ 
  • 山田やまだ正男まさお斉藤さいとう一郎いちろう電熱でんねつせんカッターを使つかった分子ぶんし模型もけいつくかた その1「道具どうぐ材料ざいりょうつくかた」」『たのしい授業じゅぎょうだい299ごう仮説かせつしゃ、2005ねん、22-35ぺーじ 
  • 榊原さかきばら郁子いくこ「スチュアートタイプ分子ぶんし模型もけい誕生たんじょう初出しょしゅつ:2005ねん)」『〈原子げんし分子ぶんし模型もけい〉はどのようにしてまれたのか』、カウベルどう、2021ねん、119-128ぺーじ 
  • 板倉いたくらきよしせん「(絵本えほん)『もしも原子げんしがみえたなら』について 父母ちちはは教師きょうしよう解説かいせつ全文ぜんぶん)(初出しょしゅつ:2008ねん仮説かせつしゃばん)より」『〈原子げんし分子ぶんし模型もけい〉はどのようにしてまれたのか』、カウベルどう、2021ねん、94-102ぺーじ 
  • たのしい授業じゅぎょう編集へんしゅう編集へんしゅう後記こうき」『たのしい授業じゅぎょうだい341ごう仮説かせつしゃ、2008ねん、148ぺーじ 
  • 小林こばやし眞理子まりこ空気くうき分子ぶんし運動うんどうまえに「シミュレーションばん《もしも原子げんしえたなら》」ができました」『たのしい授業じゅぎょうだい342ごう仮説かせつしゃ、2008ねん、20-29ぺーじ 
  • 那須なす悦代えつよ、アグベコ・ジュリウス・コフィ、アブカリ・モーゼス・アブドゥライ、喜多きた雅一まさいち水分すいぶんあそぼう : 高校生こうこうせい対象たいしょうとした科学かがくあそびから探究たんきゅうをめざす教材きょうざい」『日本にっぽん科学かがく教育きょういく学会がっかい年会ねんかいろん文集ぶんしゅうだい33かん日本にっぽん科学かがく教育きょういく学会がっかい、2009ねん、295-296ぺーじ 
  • 平尾ひらお二三夫ふみお科学かがくのたのしさがひろがるとき やわらかいのうみその1年生ねんせいとおかあさんと分子ぶんし模型もけい」『たのしい授業じゅぎょうだい431ごう仮説かせつしゃ、2015ねん、67-73ぺーじ 
  • 小林こばやし眞理子まりこ「シミュレーションばん〈もしも原子げんしがみえたなら〉リニューアルしました WindowsでもMacでも!」『たのしい授業じゅぎょうだい494ごう仮説かせつしゃ、2019ねん、97-99ぺーじ 
  • 日吉ひよしひとしのこるもの 18ねんまえおしたちとの同窓会どうそうかい」『たのしい授業じゅぎょうだい486ごう仮説かせつしゃ、2019ねん、5-7ぺーじ 
  • 古川ふるかわ真司しんじひと自然しぜん原子げんし分子ぶんし模型もけいひら科学かがく世界せかい」『たのしい授業じゅぎょうだい487ごう仮説かせつしゃ、2019ねん、5-10ぺーじ 
  • 平林ひらばやしひろし授業じゅぎょうしょ〈もしも原子げんしがみえたなら〉ができたころ(初出しょしゅつ:2019ねん)」『〈原子げんし分子ぶんし模型もけい〉はどのようにしてまれたのか』、カウベルどう、2021ねん、129-131ぺーじ 
  • 山田やまだ正男まさお自分じぶん分子ぶんし模型もけいをつくろう(初出しょしゅつ:2019ねん)」『〈原子げんし分子ぶんし模型もけい〉はどのようにしてまれたのか』、カウベルどう、2021ねん、142-150ぺーじ 
  • 由良ゆら文隆ふみたか「プラスチックせい原子げんし模型もけい開発かいはつ販売はんばい初出しょしゅつ:2019ねん)」『〈原子げんし分子ぶんし模型もけい〉はどのようにしてまれたのか』、カウベルどう、2021ねん、151-164ぺーじ 
  • 山路やまじ敏英としひで原子げんし分子ぶんし模型もけい歴史れきし年表ねんぴょう その2(初出しょしゅつ:2020ねん)」『〈原子げんし分子ぶんし模型もけい〉はどのようにしてまれたのか』、カウベルどう、2021ねん、103-118ぺーじ 
  • 山路やまじ敏英としひで『〈原子げんし分子ぶんし模型もけい〉はどのようにしてまれたのか』カウベルどう、2021ねん 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:23568768
  • Five wooden molecular model balls”. Gift of Manchester Literary & Philosophical Society. 2022ねん6がつ30にち閲覧えつらん
  • もしも原子げんしがみえたなら予告編よこくへん-YouTube”. はやし研究所けんきゅうじょ (2019ねん8がつ14にち). 2022ねん7がつ7にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]