1億 おく 倍 ばい の分子 ぶんし 模型 もけい で表 あらわ した液体 えきたい の水 みず
分子 ぶんし モデル (ぶんしモデル、英 えい : molecular model )とは、原子 げんし の幾何 きか 学 がく 的 てき 配列 はいれつ から推定 すいてい される分子 ぶんし 構造 こうぞう のこと。近年 きんねん では分子 ぶんし 構造 こうぞう が詳 くわ しく分 わ かるようになったため、3次元 じげん 的 てき に造形 ぞうけい したものを視覚 しかく 化 か して立体 りったい 化学 かがく を理解 りかい する助 たす けのために用 もち いられるモデル、模型 もけい も意味 いみ するようになった。分子 ぶんし の立体 りったい 的 てき な構造 こうぞう を玉 たま や棒 ぼう を用 もち いて表 あらわ したものは特 とく に分子 ぶんし 模型 もけい (ぶんしもけい、英 えい : molecular graphics )、原子 げんし 模型 もけい (げんしもけい)と呼 よ ばれる。分子 ぶんし 模型 もけい は高等 こうとう ・中等 ちゅうとう 教育 きょういく や科学 かがく 入門 にゅうもん 教育 きょういく において活用 かつよう され、大 おお きな教育 きょういく 効果 こうか があることがわかっている。
最 もっと も早 はや い原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい はジョン・ドルトン が1810年 ねん ごろに使 つか った、原子 げんし を模 も した木 き の玉 たま であるとされている。その後 ご 、有機 ゆうき 立体 りったい 化学 かがく の研究 けんきゅう に分子 ぶんし 模型 もけい が重要 じゅうよう な役割 やくわり を演 えん ずるようになった。分子 ぶんし 模型 もけい の中 なか には結晶 けっしょう 構造 こうぞう 模型 もけい として、結晶 けっしょう 学 がく の理解 りかい に使 つか われるものもある。分子 ぶんし 模型 もけい には大 おお きく2種類 しゅるい があり、原子 げんし の位置 いち と結合 けつごう の状態 じょうたい を正確 せいかく に表 あらわ すだけものと、電子 でんし 雲 くも の大 おお きさまで表 あらわ すようにしたものがある。
作成 さくせい するためには樹脂 じゅし などでできた部品 ぶひん を手 て で組 く み合 あ わせたり、コンピューター上 じょう で描画 びょうが したり、計算 けいさん 化学 かがく やX線 せん 結晶 けっしょう 構造 こうぞう 解析 かいせき などの手法 しゅほう で得 え られた構造 こうぞう をもとに視覚 しかく 化 か したりする。
単体 たんたい や無機 むき 塩 しお の場合 ばあい も含 ふく む結晶 けっしょう 構造 こうぞう について分子 ぶんし モデルに相当 そうとう するものは結晶 けっしょう 構造 こうぞう モデル または結晶 けっしょう 構造 こうぞう 模型 もけい と呼 よ ばれ、分子 ぶんし モデルと同様 どうよう の形式 けいしき で表 あらわ される。
当初 とうしょ は大学 だいがく や高校 こうこう の化学 かがく の授業 じゅぎょう で用 もち いられる程度 ていど だったが、1億 おく 倍 ばい 実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい を発泡 はっぽう スチロール球 だま で作 つく る方法 ほうほう が開発 かいはつ されてから、急速 きゅうそく に初等 しょとう 科学 かがく 教育 きょういく の中 なか に普及 ふきゅう し、小学校 しょうがっこう 低 てい 学年 がくねん の科学 かがく 入門 にゅうもん 教育 きょういく でも大 おお きな成果 せいか を出 だ すまでになった。
表現 ひょうげん 形式 けいしき [ 編集 へんしゅう ]
イブプロフェンの針金 はりがね モデル。
結合 けつごう のみを針金 はりがね 状 じょう にあらわしたモデル。球 たま は用 もち いない。
分子 ぶんし の立体 りったい 構造 こうぞう をなるべく正確 せいかく に表 あらわ すためにチューリッヒ大学 だいがく のS.Dreiding(en:André Dreiding )が1959年 ねん に考案 こうあん し、スイスの企業 きぎょう が特許 とっきょ を取 と って販売 はんばい した。ステンレスの棒 ぼう と管 かん の組 く み合 あ わせでできている。C-C結合 けつごう の結合 けつごう 距離 きょり が正確 せいかく に出 で るように工夫 くふう されていた。この模型 もけい には水素 すいそ を表 あらわ す部品 ぶひん はなかった。いろいろな分子 ぶんし 模型 もけい を組 く み立 た てるには多 た 種類 しゅるい の部品 ぶひん が必要 ひつよう で高価 こうか であるのが欠点 けってん だった。アメリカのL.F.Fieser(en:Louis Frederick Fieser )は1963年 ねん にプラスチック製 せい の模型 もけい を作 つく り、販売 はんばい した。
プロリン の球 たま 棒 ぼう モデル
原子 げんし を球 たま 、結合 けつごう を棒 ぼう であらわしたモデル。棒 ぼう の長 なが さは結合 けつごう 長 ちょう を反映 はんえい する。球 たま の大 おお きさは原子 げんし 半径 はんけい を反映 はんえい しない。
1865年 ねん にドイツのホフマン が発明 はつめい した。日本 にっぽん では、1966年 ねん に畑 はた 一夫 かずお [注 ちゅう 1] らの考案 こうあん で日ノ本 ひのもと 合成 ごうせい 樹脂 じゅし 製作所 せいさくしょ [注 ちゅう 2] で製作 せいさく され、HGS分子 ぶんし 模型 もけい の名 な で丸善 まるぜん が販売 はんばい した。このモデルでは従来 じゅうらい の球 たま 棒 ぼう モデルで原子 げんし を丸 まる い玉 たま で表 あらわ していたものを多面体 ためんたい に変更 へんこう して結合 けつごう 角 かく が正確 せいかく に模型 もけい 化 か でき、結晶 けっしょう 模型 もけい を作 つく ることもできた。
水分 すいぶん 子 こ の実 じつ 体積 たいせき モデル。
1934年 ねん にドイツの実験 じっけん 物理 ぶつり 学者 がくしゃ ヘルベルト・アーサー・スチュアート (en:Herbert Arthur Stuart (1899-1974年 ねん ))[注 ちゅう 3] が発明 はつめい した模型 もけい 。発明 はつめい 者 しゃ の名前 なまえ を取 と ってスチュアート模型 もけい とも呼 よ ばれる。「CPKモデル」は1965年 ねん にコリー(R.Corey)とポーリング(L.Pauling)が模型 もけい を作 つく り、それを詳 くわ しい計算 けいさん で改良 かいりょう したコルタン(W.Koltum)の頭文字 かしらもじ をとったものである。「空間 くうかん 充填 じゅうてん 分子 ぶんし 模型 もけい 」はSpace Fulling Molecular Model の直訳 ちょくやく である。初等 しょとう 科学 かがく 教育 きょういく の分野 ぶんや では子 こ どもたちがイメージしやすい用語 ようご として実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい [注 ちゅう 4] と呼 よ ぶことが主流 しゅりゅう である。
それまでの模型 もけい が結合 けつごう 角 かく と結合 けつごう 距離 きょり だけ正確 せいかく に作 つく り、分子 ぶんし の骨格 こっかく だけを表 あらわ していたのに対 たい して、分子 ぶんし 骨格 こっかく を取 と り巻 ま く電子 でんし 雲 くも も表 あらわ そうとした模型 もけい である。原子 げんし をファンデルワールス半径 はんけい の大 おお きさにとり、結合 けつごう 距離 きょり に応 おう じて原子 げんし 球 だま の一部 いちぶ を切 き り落 お としたものをつないで分子 ぶんし の形 かたち に組 く み立 た てる。
Bi2 TeO5 のORTEP図 ず 。
X線 せん 結晶 けっしょう 構造 こうぞう 解析 かいせき の結果 けっか を表 あらわ すために用 もち いられる。原子核 げんしかく が一定 いってい 以上 いじょう の確 かく 率 りつ で存在 そんざい する位置 いち を表 あらわ す熱 ねつ 振動 しんどう 楕円 だえん 球 だま を描 えが き、楕円 だえん 球 だま を結合 けつごう を表 あらわ す棒 ぼう でつないだもの。
ORTEPとは、Oak Ridge Thermal Ellipsoid Program (オークリッジ熱 ねつ 楕円 だえん 体 たい プログラム)の頭文字 かしらもじ をとったもの。イギリスの結晶 けっしょう 学者 がくしゃ D.W.J.Cruickshank(1924-2007年 ねん )(en:Durward William John Cruickshank )が1956年 ねん に考案 こうあん した。en:Thermal ellipsoid
古代 こだい ギリシャのデモクリトス (紀元前 きげんぜん 460年 ねん 頃 ごろ -370年 ねん ごろ)は、すべてのものはこれ以上 いじょう 分 わ けられないもの=アトモンなもの=アトムと、アトムが動 うご きまわる空間 くうかん =真空 しんくう でできていると主張 しゅちょう した。彼 かれ の原子 げんし モデルは「甘 あま いものは丸 まる っこい原子 げんし でできていて、辛 つら いものはとげのある原子 げんし でできている」などと想像 そうぞう した。
近代 きんだい 的 てき 原子 げんし 論 ろん の始 はじ まり[ 編集 へんしゅう ]
ドルトンの原子 げんし ・分子 ぶんし モデル図 ず (1808年 ねん )。
ドルトンが作 つく った原子 げんし 模型 もけい (1810年 ねん )
1808年 ねん にイギリスのジョン・ドルトン (1766-1844年 ねん )は『科学 かがく 哲学 てつがく の新 しん 体系 たいけい 』を出版 しゅっぱん し、その中 なか にある丸 まる い円 えん で表 あらわ した原子 げんし とそれらが結合 けつごう した物質 ぶっしつ の図 ず を載 の せた。ドルトンは1810年 ねん ごろに友人 ゆうじん のエドワードに頼 たの んで、直径 ちょっけい 1インチほどのたくさんの木製 もくせい の球 たま を作 つく ってもらい、それを使 つか って私 わたし 塾 じゅく で子 こ どもたちに原子 げんし を教 おし えるのに使 つか った。この木製 もくせい 球 だま はいくつかの穴 あな が開 ひら いており、針金 はりがね などを通 とお してつなぐこともできた。ドルトンはこの模型 もけい を使 つか って自分 じぶん の考 かんが えた原子 げんし でできた物質 ぶっしつ を教 おし えたと考 かんが えられている。ドルトンの原子 げんし 模型 もけい はマンチェスター科学 かがく 産業 さんぎょう 博物館 はくぶつかん (Museum of Science and Indutry)に展示 てんじ されているものと、科学 かがく 博物館 はくぶつかん グループ国立 こくりつ コレクションセンター(the Science Museum Group National Collections Centre)に保管 ほかん されているものがあるが、それを見 み ると直径 ちょっけい 29mmと19mmの球 たま で、短 みじか い金属 きんぞく 棒 ぼう でつなげられている。
有機 ゆうき 化合 かごう 物 ぶつ 研究 けんきゅう の時代 じだい [ 編集 へんしゅう ]
ホフマンの分子 ぶんし 模型 もけい 。これはメタンの模型 もけい 。(1860年 ねん )
ドルトンの後 のち 、1800年代 ねんだい 後半 こうはん ごろから、科学 かがく 者 しゃ たちは炭素 たんそ を含 ふく む物質 ぶっしつ に目 め を付 つ けて分子 ぶんし の構造 こうぞう について研究 けんきゅう し、様々 さまざま な仮説 かせつ が発表 はっぴょう されるようになった。そしてその仮説 かせつ を発表 はっぴょう するときに分子 ぶんし 模型 もけい が作 つく られるようになった。1865年 ねん にドイツのホフマン(Augst Wilhelm von Hofmann : 1818-1892年 ねん ) [注 ちゅう 5] が、はじめて「球 たま 棒 ぼう 型 がた 分子 ぶんし 模型 もけい 」を作 つく った。
この模型 もけい では黒 くろ い玉 たま が炭素 たんそ で白 しろ 文字 もじ でCと書 か かれ、その他 た の白 しろ い玉 たま にはH、CL、Oなどと書 か かれている。この玉 たま はクロッケーボール [注 ちゅう 6] で作 つく られ、直径 ちょっけい 92mm、重 おも さ450gの木製 もくせい であり、かなり大 おお きなものである。これは大 だい 英 えい 王 おう 認 みとめ 研修 けんしゅう 所 しょ (ロイヤル・インスティチューション )で1865年 ねん に一般 いっぱん 向 む けの科学 かがく 講演 こうえん をする際 さい に聴衆 ちょうしゅう に見 み せるために作 つく られた。
オランダのファントホッフ(Van't Hoff : 1852-1911年 ねん ) は、1874年 ねん にホフマンの平面 へいめん 的 てき 分子 ぶんし 模型 もけい とは違 ちが う正 せい 四 よん 面体 めんてい や三 さん 角錐 かくすい でできている分子 ぶんし 模型 もけい を作 つく った。これはメタン CH4 は正 せい 四 よん 面体 めんてい の中央 ちゅうおう の炭素 たんそ 原子 げんし に対 たい して4つの角 かく に水素 すいそ 原子 げんし が立体 りったい 的 てき に位置 いち するという考 かんが えを模型 もけい にしたものだった。ファントホッフは構造 こうぞう 式 しき を立体 りったい 的 てき に考 かんが えた初 はじ めての人 ひと だった。
原子 げんし の大 おお きさが分 わ かった時代 じだい [ 編集 へんしゅう ]
ポーリング 1941年 ねん 。分子 ぶんし 模型 もけい を扱 あつか っている。
1911年 ねん にイギリスのブラッグ(William.L.Bragg : 1890-1971年 ねん ) は結晶 けっしょう にX線 せん を当 あ ててその回折 かいせつ 像 ぞう から、原子 げんし の並 なら び方 かた や原子 げんし の大 おお きさを明 あき らかにした。1926年 ねん にはゴールドシュミット(Victor Moritz Goldschmidt : 1888-1947年 ねん ) がイオン半径 はんけい 表 ひょう を発表 はっぴょう した。さらに気体 きたい 分子 ぶんし が衝突 しょうとつ して跳 は ね返 かえ る時 とき の最短 さいたん 接近 せっきん 距離 きょり から「気体 きたい 衝突 しょうとつ 半径 はんけい 」(ファンデルワールス半径 はんけい )が求 もと まり、分子 ぶんし 状態 じょうたい の原子 げんし の大 おお きさも研究 けんきゅう できるようになった。1932年 ねん にアメリカのライナス・ポーリング (Linus Pauling : 1901-1994年 ねん )はファンデルワールス半径 はんけい と共有 きょうゆう 結合 けつごう 半径 はんけい を量子力学 りょうしりきがく を用 もち いた化学 かがく 結合 けつごう 論 ろん で導 みちび き出 だ し、ファンデルワールス半径 はんけい を原子 げんし の大 おお きさの基本 きほん として考 かんが え、原子 げんし の結合 けつごう を考 かんが えた。これが原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい を作 つく る作 つく る人達 ひとたち に受 う け継 つ がれた。
実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい の誕生 たんじょう [ 編集 へんしゅう ]
ポーリングは自分 じぶん の研究 けんきゅう 成果 せいか を用 もち いて、絵 え の上手 じょうず な友人 ゆうじん の科学 かがく 者 しゃ に、自分 じぶん の持 も っている原子 げんし ・分子 ぶんし のイメージを絵 え に描 えが いてもらい、たくさんの実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい の図 ず を自著 じちょ に載 の せた。
1934年 ねん にドイツの実験 じっけん 物理 ぶつり 学者 がくしゃ スチュアート(en:Herbert Arthur Stuart )は、『分子 ぶんし 構造 こうぞう 物理 ぶつり 的 てき 方法 ほうほう による分子 ぶんし 構造 こうぞう の決定 けってい 』に次 つぎ のように書 か いた。
原子 げんし のファンデルワールス半径 はんけい の値 ね を決 き められるようになったので、2種類 しゅるい の新 あたら しい(メタンの)分子 ぶんし 模型 もけい を組 く み立 た てた。1つは透明 とうめい なガラス球 だま で作 つく ったもので、共有 きょうゆう 結合 けつごう 半径 はんけい の大 おお きさの球 たま にしてある。球 たま の中心 ちゅうしん には原子核 げんしかく の位置 いち を示 しめ す小 ちい さなガラス球 だま がついている。
もうひとつは原子 げんし を木 き の球 たま で作 つく ったもので、球 たま の大 おお きさはファンデルワールス半径 はんけい にしてある。ただし、この球 たま の一部 いちぶ はカットしてあるので欠 かけ 球 だま である。これは特別 とくべつ の仕組 しく みで原子 げんし 同士 どうし を結合 けつごう して分子 ぶんし 模型 もけい を組 く み立 た てるようにしたもので、分子 ぶんし 内 ない で原子 げんし は自由 じゆう に回転 かいてん できる。作 つく りたい分子 ぶんし を自由 じゆう に組 く み立 た てることができるし、その分子 ぶんし の中 なか で原子 げんし を自由 じゆう に回転 かいてん できるので、いろいろな形 かたち に変化 へんか した分子 ぶんし を研究 けんきゅう することができる。
スチュアートの分子 ぶんし 模型 もけい は「分解 ぶんかい ・組 く み立 たて て自由 じゆう ・回転 かいてん 可能 かのう 」で「詳 くわ しい知識 ちしき が無 な くても自分 じぶん で分子 ぶんし を作 つく れてしまう」という点 てん がこれまでの分子 ぶんし 模型 もけい になかった画期的 かっきてき な発明 はつめい だった。この模型 もけい は1956年 ねん に黒木 くろき 信彦 のぶひこ [注 ちゅう 7] が『染色 せんしょく の化学 かがく 』(槙 まき 書店 しょてん )の中 なか で日本 にっぽん に紹介 しょうかい した。スチュアート模型 もけい では原子 げんし の接合 せつごう 部 ぶ に服 ふく につかうスナップボタンを使 つか っている。この分子 ぶんし 模型 もけい はケルン のLeybolds商会 しょうかい (en:Leybold GmbH )が供給 きょうきゅう を引 ひ き受 う け、世界 せかい で初 はじ めて市販 しはん された分子 ぶんし 模型 もけい となった。
1億 おく 倍 ばい 分子 ぶんし 模型 もけい の誕生 たんじょう [ 編集 へんしゅう ]
スチュアートの実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい は改良 かいりょう され、イギリスやアメリカなどで教育 きょういく 用 よう に発売 はつばい された。日本 にっぽん でもそれらを模倣 もほう する形 かたち で教材 きょうざい 用 よう として販売 はんばい されるようになった。それらには三田 みた 村 むら 理研 りけん 工業 こうぎょう の「MRK分子 ぶんし 模型 もけい 」、英国 えいこく 製 せい でナリカが販売 はんばい する「モリモッド分子 ぶんし 模型 もけい (molymod)」、日ノ本 ひのもと 合成 ごうせい 製作所 せいさくしょ の「HGS分子 ぶんし 模型 もけい 」、英国 えいこく 製 せい でCYPRESSが販売 はんばい する「CPK精密 せいみつ 分子 ぶんし 模型 もけい 」がある。これらの模型 もけい の倍率 ばいりつ は1.25億 おく 倍 ばい から2.8億 おく 倍 ばい となっている。このような半端 はんぱ な倍率 ばいりつ になっているのは、アメリカやイギリスの1インチを元 もと にした倍率 ばいりつ をそのまま模倣 もほう または輸入 ゆにゅう したからである。英 えい 米 べい の科学 かがく 者 しゃ は科学 かがく 研究 けんきゅう にはメ め ートル法 とるほう を使 つか うが、模型 もけい を作 つく るとなると1オングストローム=1インチまたは0.5インチを基本 きほん の長 なが さで作 つく っている。これは発注 はっちゅう 時 じ に、日常 にちじょう 的 てき な単位 たんい で寸法 すんぽう を指示 しじ したからだと思 おも われる。欧米 おうべい の科学 かがく 者 しゃ は模型 もけい の倍率 ばいりつ には関心 かんしん が無 な かった。
科学 かがく 史家 しか 、科学 かがく 教育 きょういく 研究 けんきゅう 者 しゃ の板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん は、原子 げんし や分子 ぶんし を子 こ ども向 む けに教 おし える絵本 えほん 『もしも原子 げんし がみえたなら』を1971年 ねん に出版 しゅっぱん した。この本 ほん では、1億 おく 倍 ばい の実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい の絵 え が使 つか われた。板倉 いたくら はこのことについて「ちょうど1億 おく 倍 ばい が覚 おぼ えやすいから、わざわざこの大 おお きさにした」と述 の べている。絵本 えほん をもとに1975年 ねん に作 つく られた仮説 かせつ 実験 じっけん 授業 じゅぎょう の授業 じゅぎょう 書 しょ 「もしも原子 げんし が見 み えたなら」では、1億 おく という大 おお きな倍率 ばいりつ を説明 せつめい するのに、逆 ぎゃく に地球 ちきゅう の例 れい をあげて「地球 ちきゅう を1億 おく 分 ぶん の1にすると直径 ちょっけい 13cmほどになる」という例 れい を使 つか っている。
後 のち にこの絵本 えほん や授業 じゅぎょう 書 しょ を元 もと に分子 ぶんし 模型 もけい を作 つく るときにも、原子 げんし の寸法 すんぽう は1オングストローム (Å)が「1億 おく 分 ぶん の1cm」であるため、オングストローム単位 たんい の原子 げんし の数値 すうち をそのまま1億 おく 倍 ばい すれば簡単 かんたん にcmに換算 かんさん することができるというメリットもあった。
しかし、既存 きそん のメーカーは1億 おく 倍 ばい の模型 もけい には興味 きょうみ をしめさなかったため、仮説 かせつ 実験 じっけん 授業 じゅぎょう 研究 けんきゅう 会 かい 会員 かいいん の由良 ゆら 文隆 ふみたか [注 ちゅう 8] が父 ちち の金 かね 型 がた 工場 こうじょう で1億 おく 倍 ばい 実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい の金 かね 型 がた を製造 せいぞう してもらい、プラスチック製 せい 模型 もけい として量産 りょうさん し、「YYSブロック」として1993年 ねん に販売 はんばい した。その後 ご 、仮説 かせつ 実験 じっけん 授業 じゅぎょう 研究 けんきゅう 会 かい では、1億 おく 倍 ばい という区切 くぎ りの良 よ い数字 すうじ を分子 ぶんし 模型 もけい で使 つか ったことによって、科学 かがく 入門 にゅうもん 教育 きょういく 上 じょう 「最 もっと も基礎 きそ 的 てき な科学 かがく 的 てき 概念 がいねん 」としての原子 げんし のイメージが、子 こ どもたちに覚 おぼ えやすく印象 いんしょう に残 のこ ることになった[注 ちゅう 9] 。
科学 かがく 入門 にゅうもん 教育 きょういく への導入 どうにゅう と成果 せいか [ 編集 へんしゅう ]
初期 しょき の導入 どうにゅう [ 編集 へんしゅう ]
立体 りったい 化学 かがく では入門 にゅうもん 的 てき 学習 がくしゅう にはどうしても分子 ぶんし 模型 もけい は必要 ひつよう であると考 かんが えられ1960年 ねん 頃 ごろ には大学 だいがく の化学 かがく の授業 じゅぎょう で市販 しはん の模型 もけい が使 つか われていた。しかし学生 がくせい 1人 にん 1人 にん が模型 もけい を触 さわ って学 まな ぶには高価 こうか であったため、学生 がくせい 用 よう に様々 さまざま な自作 じさく 方法 ほうほう が考案 こうあん され、球 たま 棒 ぼう モデルが作 つく られていた。高校 こうこう で発泡 はっぽう スチロール球 だま をニクロム線 せん で切 き って作 つく ったり、毛糸 けいと で電子 でんし 雲 くも モデルを作成 さくせい する試 こころ み、大学 だいがく での紙 かみ を切 き り抜 ぬ いて折 お ることで作 つく る分子 ぶんし 模型 もけい 、高校 こうこう 化学 かがく でのポリウレタンやEVA等 とう の軟質 なんしつ プラスチックで球 たま 棒 ぼう 型 がた や接触 せっしょく 球 だま 模型 もけい を作 つく る試 こころ み、教育 きょういく 大学 だいがく での折 お りたたみ式 しき の紙 かみ 製 せい 模型 もけい で正 せい 四 よん 面体 めんてい 骨格 こっかく 模型 もけい の試 こころ みなどが行 おこな われてきた。このように、これらは主 おも に大学 だいがく ・高校 こうこう での化学 かがく の授業 じゅぎょう で利用 りよう された。
初等 しょとう 教育 きょういく への導入 どうにゅう [ 編集 へんしゅう ]
小学校 しょうがっこう を中心 ちゅうしん とした初等 しょとう 教育 きょういく で、本格 ほんかく 的 てき に分子 ぶんし 模型 もけい の授業 じゅぎょう を導入 どうにゅう することは、板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん が1971年 ねん に『もしも原子 げんし が見 み えたなら』という子 こ ども向 む きの絵本 えほん を出版 しゅっぱん したことから始 はじ まった。この本 ほん は1964年 ねん のポーリングの『分子 ぶんし の造形 ぞうけい 』で、カラーの分子 ぶんし 模型 もけい の図 ず を多用 たよう した入門 にゅうもん 書 しょ を出版 しゅっぱん したことを参考 さんこう に作 つく られたと思 おも われる。ポーリングのこの本 ほん は見開 みひら きの片面 かためん に球 たま 棒 ぼう モデルや実 じつ 体積 たいせき 模型 もけい や、結晶 けっしょう 模型 もけい 図 ず が多数 たすう 載 の せられ、日本 にっぽん の分子 ぶんし 模型 もけい づくりにも大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた。しかし、板倉 いたくら の絵本 えほん は対象 たいしょう を小学生 しょうがくせい まで下 さ げたことと、実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい の図 ず を採用 さいよう したことが、それまでの高等 こうとう ・中等 ちゅうとう 教育 きょういく の化学 かがく の授業 じゅぎょう を対象 たいしょう とした模型 もけい 作 づく りとは違 ちが っていた[注 ちゅう 10] 。この絵本 えほん の内容 ないよう は板倉 いたくら の予想 よそう を超 こ えて子 こ どもだけでなく教師 きょうし にも歓迎 かんげい され、小学校 しょうがっこう 低 てい 学年 がくねん でも使 つか われるようになった。
絵本 えほん の授業 じゅぎょう 書 しょ 化 か [ 編集 へんしゅう ]
授業 じゅぎょう 書 しょ 「もしも原子 げんし がみえたなら」の授業 じゅぎょう で、空気 くうき の1億 おく 倍 ばい 模型 もけい を見 み る子 こ どもたち。
絵本 えほん にそって授業 じゅぎょう をやりたいという要望 ようぼう を受 う けて、1975年 ねん に仮説 かせつ 実験 じっけん 授業 じゅぎょう 研究 けんきゅう 会 かい 会員 かいいん の平林 ひらばやし 浩 ひろし [注 ちゅう 11] が授業 じゅぎょう 書 しょ 「もしも原子 げんし が見 み えたなら」を作成 さくせい した。この授業 じゅぎょう 書 しょ は「お話 はなし を読 よ みながら分子 ぶんし の図 ず に色 いろ を塗 ぬ っていく」という簡単 かんたん な構成 こうせい だった。平林 ひらばやし は「分子 ぶんし 模型 もけい を頭 あたま の中 なか で飛 と び交 か わせながら考 かんが えることができれば、イメージだけで化学 かがく 変化 へんか が分 わ かってしまうのではないか」と考 かんが えた。分子 ぶんし に色 いろ を塗 ぬ ることにしたのは「色 いろ を付 つ けることによって描 えが かれているもののイメージが強 つよ く残 のこ る」と考 かんが えた事 こと による。この授業 じゅぎょう 書 しょ は小学校 しょうがっこう 低 てい 学年 がくねん でも大 だい 歓迎 かんげい され、大人 おとな から子 こ どもまで原子 げんし や分子 ぶんし をたのしく学 まな べることが分 わ かった。
1億 おく 倍 ばい スチロール球 だま 模型 もけい の始 はじ まり [ 編集 へんしゅう ]
名倉 なくら 弘 ひろし [注 ちゅう 12] は「もしも原子 げんし がみえたなら」の授業 じゅぎょう で三田 みた 村 むら 理研 りけん 工業 こうぎょう のプラッスチック分子 ぶんし 模型 もけい を使 つか っていたが、三田 みた 村 むら 理研 りけん は1976年 ねん に廃業 はいぎょう してしまい、分子 ぶんし 模型 もけい の入手 にゅうしゅ に困 こま っていた。そこで様々 さまざま な材料 ざいりょう で試 ため した結果 けっか 、1979年 ねん に手芸 しゅげい 店 てん で見 み つけた発泡 はっぽう スチロール球 だま で分子 ぶんし 模型 もけい を作 つく ることはじめた。その結果 けっか 、球 たま にパイプで印 しるし を付 つ けて大型 おおがた カッターで切 き るという方法 ほうほう を考案 こうあん した。スチロール球 だま は水性 すいせい ペイントで色 いろ 塗 ぬ りをし、木工 もっこう 用 よう ボンドで接着 せっちゃく した。三田 みた 村 むら 理研 りけん の模型 もけい は1.25億 おく 倍 ばい だったが、名倉 なくら 弘 ひろし はスチロール球 だま のサイズを『理科 りか 年表 ねんぴょう 』に載 の っていたファンデルワールス半径 はんけい (オングストローム単位 たんい )の数字 すうじ を2倍 ばい してcmに換算 かんさん して1億 おく 倍 ばい とし、スチロール球 だま の25~45ミリに近 ちか いものを当 あ てはめた。ここにはじめて実 じつ 体積 たいせき 模型 もけい の倍率 ばいりつ が1億 おく 倍 ばい となった。このとき名倉 なくら が発表 はっぴょう した球 たま のサイズ表 ひょう では、たとえば水素 すいそ 原子 げんし は25ミリ、酸素 さんそ 原子 げんし は30ミリとなった。小学校 しょうがっこう 4年生 ねんせい 以下 いか はまだカッターがうまく使 つか えなかったため、名倉 なくら が切 き ったものを用意 ようい して色 いろ 塗 ぬ りと接着 せっちゃく だけやらせたた。欠点 けってん としては小売 こうり 店 てん で買 か うスチロール球 だま が1個 いっこ 25円 えん ~35円 えん と高価 こうか なことであった。
製作 せいさく 方法 ほうほう の改良 かいりょう [ 編集 へんしゅう ]
発泡 はっぽう スチロール球 だま で作 つく った授業 じゅぎょう 用 よう の1億 おく 倍 ばい 実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい 。
名倉 なくら 弘 ひろし の発泡 はっぽう スチロールでつくる1億 おく 倍 ばい 実体 じったい 積 せき 模型 もけい の作 つく り方 かた は、たのしい授業 じゅぎょう 学派 がくは を中心 ちゅうしん とする多 おお くの授業 じゅぎょう 者 しゃ によって改良 かいりょう された。また、「もしも原子 げんし がみえたなら」だけでなく、「いろいろな気体 きたい 」「三 さん 態 たい 変化 へんか 」「燃焼 ねんしょう 」などの授業 じゅぎょう 書 しょ でも分子 ぶんし 模型 もけい が積極 せっきょく 的 てき に取 と り入 い れられた。
1985年 ねん 、板倉 いたくら と吉村 よしむら 七郎 しちろう [注 ちゅう 13] は授業 じゅぎょう 書 しょ に出 で てくる分子 ぶんし の大 おお きさと切 き り方 かた を図解 ずかい した。スチロール球 だま も小売 こうり 店 てん から供給 きょうきゅう 元 もと に入手 にゅうしゅ 先 さき が変更 へんこう され大幅 おおはば に安価 あんか になった。
1990年 ねん 、高橋 たかはし 道 みち 比 ひ 己 おのれ [注 ちゅう 14] と由良 ゆら 文隆 ふみたか [注 ちゅう 15] はプラスチック板 ばん に穴 あな を開 あ けて、スチロール球 だま に切断 せつだん 面 めん の印 しるし を付 つ ける「モルプレート」を開発 かいはつ した。
1992年 ねん 、平尾 ひらお 二三夫 ふみお [注 ちゅう 16] は「ユニポスカキャップ」で球 たま に印 しるし を付 つ ける方法 ほうほう で多 おお くの分子 ぶんし 模型 もけい の作 つく り方 かた を解説 かいせつ した本 ほん を出版 しゅっぱん した。
1995年 ねん 、塩野 しおの 広次 ひろつぐ [注 ちゅう 17] は1億 おく の3乗 じょう =108 ×108 ×108 =1024 ≒1モル であることから、1億 おく 倍 ばい 実体 じったい 積分 せきぶん 子 こ 模型 もけい はそのまま該当 がいとう 分子 ぶんし の1モル の体積 たいせき に相当 そうとう することを発見 はっけん した。 そこで1億 おく 倍 ばい 分子 ぶんし 模型 もけい に「分子 ぶんし 量 りょう グラム」分 ぶん のおもりを入 い れれば、模型 もけい でも分子 ぶんし 量 りょう を実感 じっかん できるとして模型 もけい に鉛 なまり の小粒 こつぶ を入 い れた分子 ぶんし 模型 もけい を考案 こうあん した。
2005年 ねん 、山田 やまだ 正男 まさお [注 ちゅう 18] と斉藤 さいとう 一郎 いちろう [注 ちゅう 19] は電熱 でんねつ 線 せん カッターをステンレス線 せん で作 つく り乾電池 かんでんち で動 うご くようにした。また色 いろ 塗 ぬ りは水性 すいせい ペンキが美 うつく しく出来 でき る事 こと 、独自 どくじ 開発 かいはつ の角度 かくど 定規 じょうぎ で正確 せいかく に切 き ることができるようになった。これらの道具 どうぐ は仮説 かせつ 社 しゃ で販売 はんばい され、原子 げんし 数 すう の多 おお い分子 ぶんし も手軽 てがる に作 つく れるようになった。
一方 いっぽう で、板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん は「模型 もけい はある程度 ていど いい加減 かげん なのが良 よ いのであって、模型 もけい を作 つく ることによって覚 おぼ えることが増 ふ えたらいやになってしまう。厳密 げんみつ さを要求 ようきゅう しすぎて分子 ぶんし 模型 もけい の利点 りてん を失 うしな わないように」と戒 いまし めている。
初等 しょとう 教育 きょういく で原子 げんし ・分子 ぶんし を教 おし える意義 いぎ [ 編集 へんしゅう ]
カードゲームモルQ
板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん は「小学校 しょうがっこう 1年生 ねんせい に原子 げんし や分子 ぶんし を教 おし えるのは押 お しつけ、ムチャクチャではないか」という批判 ひはん に対 たい して、
明治 めいじ 以後 いご ,「大地 だいち は球 っきゅう だ」ということは地球儀 ちきゅうぎ の普及 ふきゅう で常識 じょうしき になった。今 いま 、「そんなことは難 むずか しくて役立 やくだ たないから教 おし えるな」と言 い う人 ひと がいるだろうか。あえて「原子 げんし 論 ろん を」と言 い わなくてもいい。分子 ぶんし 模型 もけい を地球儀 ちきゅうぎ のように身近 みぢか なものにすべきだ。
と答 こた えている。
また、伊藤 いとう 恵 めぐみ [注 ちゅう 20] は小学校 しょうがっこう 1~2年生 ねんせい で「もしも原子 げんし がみえたなら」を分子 ぶんし 模型 もけい を使 つか って授業 じゅぎょう し、子 こ どもたちが生 い き生 い きと分子 ぶんし の世界 せかい に遊 あそ ぶようになる大 おお きな成果 せいか を上 あ げた。同様 どうよう な事例 じれい は他 ほか にも報告 ほうこく されている。
このような分子 ぶんし 模型 もけい の授業 じゅぎょう の広 ひろ がりと歓迎 かんげい について板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん は、
原子 げんし や分子 ぶんし を学 まな んだ子 こ どもたちは「分子 ぶんし 模型 もけい の知識 ちしき がこの世 よ の多 おお くの問題 もんだい を解 と くのにとても役立 やくだ つ」ということを知 し ってしまう。小学生 しょうがくせい や高校生 こうこうせい でもいろんな分子 ぶんし 模型 もけい を組 く み立 た てて、原子 げんし 分子 ぶんし のことを想像 そうぞう するのが楽 たの しんでいる。カードゲームの「モルQ 」はそうした原子 げんし の教育 きょういく から生 う まれ、子 こ どもたちに大 だい 歓迎 かんげい されている。
と述 の べている。
さらに21世紀 せいき に入 はい ると「初等 しょとう 教育 きょういく での本格 ほんかく 的 てき な分子 ぶんし 模型 もけい の授業 じゅぎょう 」は世代 せだい を超 こ えて受 う け継 つ がれるようになってきた。たとえば、小学校 しょうがっこう 時代 じだい に「もしも原子 げんし が見 み えたなら」で分子 ぶんし 模型 もけい を楽 たの しんだ子 こ どもの中 なか から、教師 きょうし になって再 ふたた び分子 ぶんし 模型 もけい の授業 じゅぎょう を行 おこな う者 もの が現 あらわ れた。
また分子 ぶんし 模型 もけい の授業 じゅぎょう を受 う けて、成人 せいじん 後 ご にプログラマーの仕事 しごと に就 つ いたとき、その時 とき 学 まな んだ分子 ぶんし 運動 うんどう のイメージを視覚 しかく 化 か するために「シミュレーション版 ばん 〈もしも原子 げんし が見 み えたなら〉」を作 つく って販売 はんばい するまでになったものも現 あらわ れた。
18年 ねん ぶりに再会 さいかい した小学校 しょうがっこう の同窓会 どうそうかい で、小学校 しょうがっこう 時代 じだい に体験 たいけん した分子 ぶんし 模型 もけい のたのしさが話題 わだい になった事例 じれい や、仮説 かせつ 実験 じっけん 授業 じゅぎょう 研究 けんきゅう 会 かい の外 そと まで分子 ぶんし 模型 もけい の授業 じゅぎょう が広 ひろ がり、海外 かいがい の生徒 せいと が分子 ぶんし 模型 もけい の授業 じゅぎょう を楽 たの しんだ事例 じれい も現 あらわ れた。
板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん は分子 ぶんし 模型 もけい の教育 きょういく について次 つぎ のように述 の べている。
明治 めいじ 初期 しょき の物理 ぶつり の教科書 きょうかしょ には、小学生 しょうがくせい 用 よう のものにも、最初 さいしょ から分子 ぶんし の話 はなし が出 で ていました。そして「すべての物 もの は分子 ぶんし からできている」ということを知 し らないと「文明開化 ぶんめいかいか の人 ひと 」とは言 い えないと思 おも われることもありました。しかし、その原子 げんし 分子 ぶんし 論 ろん の知識 ちしき は広 ひろ く国民 こくみん の基礎 きそ 常識 じょうしき となるに至 いた りませんでした。しかし、「地球 ちきゅう 」の方 ほう の知識 ちしき は広 ひろ く国民 こくみん の常識 じょうしき となったと言 い えるでしょう。明治 めいじ 期 き は『地球儀 ちきゅうぎ 用法 ようほう 』という本 ほん が何 なに 種類 しゅるい も発行 はっこう されて、人々 ひとびと に「地球 ちきゅう の実在 じつざい 」を雄弁 ゆうべん に訴 うった えることに成功 せいこう したからです。地球 ちきゅう 全体 ぜんたい は大 おお きすぎて見 み えないのに、机 つくえ の上 うえ の小 ちい さい地球儀 ちきゅうぎ は目 め に見 み えるので、地球 ちきゅう の実在 じつざい を有力 ゆうりょく に訴 うった えることができたのです。分子 ぶんし 模型 もけい があってはじめて、原子 げんし 分子 ぶんし 論 ろん は国民 こくみん 常識 じょうしき になるに至 いた る道 みち を見 み いだしたというべきでしょう。
^ 当時 とうじ 、東京都立大学 とうきょうとりつだいがく 理学部 りがくぶ 。
^ 2015年 ねん に社長 しゃちょう の死 し とともに廃業 はいぎょう 。
^ 当時 とうじ は35歳 さい で、ドイツ領 りょう だった東 ひがし プロイセン(現在 げんざい はロシアのカリーニングラード)のケーニヒスベルクの物理 ぶつり 学 がく 研究所 けんきゅうじょ の研究 けんきゅう 員 いん だった。
^ この模型 もけい を作 つく った三田村 みたむら 理研 りけん 工業 こうぎょう の模型 もけい の説明 せつめい 書 しょ に「実 じつ 体積 たいせき 模型 もけい 」と書 か かれていたのを板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん が、子供 こども たちにも「おおよそのことが読 よ んだだけでわかる訳語 やくご 」として採用 さいよう して自身 じしん の本 ほん で使 つか った。
^ 1845-1864年 ねん までロンドン王立 おうりつ 化学 かがく 大学 だいがく の初代 しょだい 学長 がくちょう 兼 けん 教授 きょうじゅ となった。
^ クロッケー とはイギリスでゲートボール のもとになったゲーム。ソフトボールぐらいの大 おお きさの木製 もくせい 球 だま を使 つか う。
^ 当時 とうじ 、大阪府立大学 おおさかふりつだいがく 教授 きょうじゅ 、工学 こうがく 博士 はかせ 。
^ 当時 とうじ は神奈川 かながわ 県 けん の中学校 ちゅうがっこう 教諭 きょうゆ 。
^ 東洋 とうよう では数詞 すうし が4桁 けた 区切 くぎ りのため1億 おく は区切 くぎ りが良 よ いが、西洋 せいよう では数詞 すうし が3桁 けた 区切 くぎ りのため1億 おく は必 かなら ずしも区切 くぎ りが良 よ い数字 すうじ とは言 い えない。
^ この国土 こくど 社 しゃ 版 ばん の初版 しょはん の挿絵 さしえ を描 えが いたのは挿絵 さしえ 画家 がか の梶 かじ 鮎 あゆ 太 ふとし だが、絵 え について板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん と対立 たいりつ した話 はなし が伝 つた わっている。絵本 えほん の中 なか に空気 くうき 中 ちゅう の分子 ぶんし が飛 と び回 まわ っている絵 え があるが、梶 かじ は「分子 ぶんし が飛 と び回 まわ っているのだから遠近 えんきん 法 ほう で描 えが こう」としたが、板倉 いたくら はこれに強 つよ く反対 はんたい した。板倉 いたくら は「同 おな じ分子 ぶんし が大 おお きく描 えが かれたり、小 ちい さく描 えが かれたりすると、子 こ どもたちが、同 おな じ分子 ぶんし でも大 おお きさが違 ちが うものがあると、勘違 かんちが いする恐 おそ れがある」ことを心配 しんぱい し、「読者 どくしゃ である子 こ どもの印象 いんしょう が最 さい 優先 ゆうせん 」であるとして、飛 と び回 まわ るたくさんの分子 ぶんし は同 おな じ大 おお きさで描 えが かれることになった。
^ 1934年 ねん 、長野 ながの 県 けん ・諏訪 すわ 地方 ちほう 生 う まれ。1988年 ねん まで小学校 しょうがっこう 教諭 きょうゆ 。退職 たいしょく 後 ご は「出前 でまえ 教師 きょうし 」として、地域 ちいき の子 こ ども・大人 おとな といっしょに科学 かがく を楽 たの しむ教室 きょうしつ を開 ひら いている。仮説 かせつ 実験 じっけん 授業 じゅぎょう 研究 けんきゅう 会 かい 、障害 しょうがい 者 しゃ の教育 きょういく 権 けん を実現 じつげん する会 かい 会員 かいいん 。
^ (1920-2008年 ねん )仮説 かせつ 実験 じっけん 授業 じゅぎょう 研究 けんきゅう 会 かい 会員 かいいん 。東京 とうきょう でわかば科学 かがく クラブを主催 しゅさい して子 こ どもたちに、たのしい科学 かがく の授業 じゅぎょう を行 おこな っていた。
^ よしむらしちろう、1926-2008年 ねん 8月 がつ 13日 にち 。元 もと 暁星 ぎょうせい 小学校 しょうがっこう 教諭 きょうゆ 。分子 ぶんし 模型 もけい の普及 ふきゅう ,授業 じゅぎょう 書 しょ 「宇宙 うちゅう への道 みち 」「地球 ちきゅう 」などで使用 しよう する実験 じっけん 器具 きぐ の開発 かいはつ ,「ゴミと環境 かんきょう 」をはじめとするさまざまな授業 じゅぎょう プランの開発 かいはつ などがある。
^ たかはしみちひこ。1949年 ねん 福岡 ふくおか 県 けん 生 う まれ、2022年 ねん 死去 しきょ 。1980年 ねん に名古屋 なごや 市 し で科学 かがく 講座 こうざ を行 おこな う私塾 しじゅく 「科学 かがく 舎 しゃ 」を始 はじ める。1982年 ねん 、名古屋 なごや 仮説 かせつ 実験 じっけん 授業 じゅぎょう 研究 けんきゅう 会 かい 設立 せつりつ メンバー。1987年 ねん に名古屋 なごや 仮説 かせつ 会館 かいかん を開設 かいせつ 。
^ ゆらふみたか、1954年 ねん 生 う まれ。
^ ひらおふみお、1957年 ねん 生 う まれ。当時 とうじ は大阪 おおさか の小学校 しょうがっこう 教諭 きょうゆ 。
^ しおのひろつぐ、1951年 ねん 東京 とうきょう 生 う まれ。千葉 ちば の中学校 ちゅうがっこう 教諭 きょうゆ から小学校 しょうがっこう 教諭 きょうゆ を経 へ て、1990年 ねん 、宇都宮大学 うつのみやだいがく 教育 きょういく 学部 がくぶ 非常勤 ひじょうきん 講師 こうし 。2000年 ねん 、千葉大学 ちばだいがく 教育 きょういく 学部 がくぶ 非常勤 ひじょうきん 講師 こうし 。
^ 当時 とうじ は愛知 あいち 県 けん の高校 こうこう 教諭 きょうゆ 。
^ 当時 とうじ は北海道 ほっかいどう の小学校 しょうがっこう 教諭 きょうゆ 。
^ 当時 とうじ は東京 とうきょう の小学校 しょうがっこう 教諭 きょうゆ 。
畑 はた 一夫 かずお 「立体 りったい 化学 かがく 学習 がくしゅう 用 よう の分子 ぶんし 模型 もけい 入門 にゅうもん にも高度 こうど の利用 りよう にも役立 やくだ つ新 あたら しい分子 ぶんし 模型 もけい の試作 しさく 」『化学 かがく 教育 きょういく 』第 だい 14巻 かん 第 だい 2号 ごう 、日本 にっぽん 化 か 学会 がっかい 、1966年 ねん 、205-210頁 ぺーじ 。
畑 はた 一夫 かずお 「分子 ぶんし 模型 もけい のいろいろ 」『日本 にっぽん 結晶 けっしょう 学会 がっかい 誌 し 』第 だい 9巻 かん 第 だい 2号 ごう 、日本 にっぽん 結晶 けっしょう 学会 がっかい 、1967年 ねん 、128-135頁 ぺーじ 。
Linus Pauling、Roger Hyward 著 ちょ 、木村 きむら 健二郎 けんじろう ・大谷 おおや 寛治 かんじ 訳 やく 『分子 ぶんし の造型 ぞうけい やさしい化学 かがく 結合 けつごう 論 ろん 』丸善 まるぜん 、1967年 ねん 。ISBN 4-621-02026-9 。 全国 ぜんこく 書誌 しょし 番号 ばんごう :68000623
板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん 『もしも原子 げんし がみえたなら』国土 こくど 社 しゃ 、1971年 ねん 。ISBN 4-337-06007-3 。 全国 ぜんこく 書誌 しょし 番号 ばんごう :45001357
高山 たかやま 晃 あきら 「手軽 てがる にできる分子 ぶんし 模型 もけい の開発 かいはつ (〈特集 とくしゅう 〉最近 さいきん の化学 かがく 教育 きょういく 機材 きざい ) 」『化学 かがく 教育 きょういく 』第 だい 20巻 かん 第 だい 2号 ごう 、日本 にっぽん 化 か 学会 がっかい 、1972年 ねん 、114-119頁 ぺーじ 。
田村 たむら 通 とおる 和 わ 「簡単 かんたん に分子 ぶんし 模型 もけい や結晶 けっしょう 模型 もけい を製作 せいさく する研究 けんきゅう : 1. 紙 かみ で折 お り出 だ す安価 あんか な方法 ほうほう 」『中京大学 ちゅうきょうだいがく 教養 きょうよう 論叢 ろんそう 』第 だい 18巻 かん 第 だい 2号 ごう 、中京大学 ちゅうきょうだいがく 教養 きょうよう 部 ぶ 、1977年 ねん 、231-250頁 ぺーじ 、CRID 1050564289141286400 。
平尾 ひらお 二三夫 ふみお 「発泡 はっぽう スチロール球 だま での分子 ぶんし 模型 もけい 作 づく りの歴史 れきし (1)1971~1991年 ねん まで(初出 しょしゅつ :1991年 ねん )」『〈原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい 〉はどのようにして生 う まれたのか』、カウベル堂 どう 、2021年 ねん 、136-141頁 ぺーじ 。
名倉 なくら 弘 ひろし 「分子 ぶんし 模型 もけい を”発泡 はっぽう スチロール球 だま ”で作 つく ろう(初出 しょしゅつ :1982年 ねん )」『〈原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい 〉はどのようにして生 う まれたのか』、カウベル堂 どう 、2021年 ねん 、132-141頁 ぺーじ 。
石山 いしやま 公 こう 、大槻 おおつき 勇 いさむ 、花屋 はなや 馨 かおる 、村松 むらまつ 隆 たかし 「軟質 なんしつ プラスチックを用 もち いた分子 ぶんし 模型 もけい の試作 しさく と教材 きょうざい 化 か 」『化学 かがく 教育 きょういく 』第 だい 32巻 かん 第 だい 5号 ごう 、日本 にっぽん 化 か 学会 がっかい 、1984年 ねん 、434-437頁 ぺーじ 。
小 しょう 出力 しゅつりょく 「折 おり 畳 たたみ 式 しき 分子 ぶんし 模型 もけい の製作 せいさく 」『化学 かがく 教育 きょういく 』第 だい 33巻 かん 第 だい 5号 ごう 、日本 にっぽん 化 か 学会 がっかい 、1985年 ねん 、420-422頁 ぺーじ 。
板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん 、吉村 よしむら 七郎 しちろう 「分子 ぶんし 模型 もけい の作 つく り方 かた -発泡 はっぽう スチロール球 だま で簡単 かんたん につくれます」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 33号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、1985年 ねん 、41-56頁 ぺーじ 。
高橋 たかはし 道 みち 比 ひ 己 おのれ 、由良 ゆら 文隆 ふみたか 「分子 ぶんし 模型 もけい 定規 じょうぎ -モルプレート」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 93号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、1990年 ねん 、72頁 ぺーじ 。
平尾 ひらお 二三夫 ふみお 、板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん 『発泡 はっぽう スチロール球 だま で 分子 ぶんし 模型 もけい を作 つく ろう』仮説 かせつ 社 しゃ 、1992年 ねん 。ISBN 4-7735-0101-4 。 全国 ぜんこく 書誌 しょし 番号 ばんごう :93037475
吉村 よしむら 七郎 しちろう 「分子 ぶんし 模型 もけい で身近 みぢか になった原子 げんし や分子 ぶんし ,そして化学 かがく 」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 125号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、1993年 ねん 、18-21頁 ぺーじ 。
伊藤 いとう 恵 めぐみ 「低 てい 学年 がくねん における原子 げんし 論 ろん 教育 きょういく の可能 かのう 性 せい 」『仮説 かせつ 実験 じっけん 授業 じゅぎょう 研究 けんきゅう 第 だい Ⅲ期 き 』第 だい 6号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、1995年 ねん 、40-69頁 ぺーじ 、ISBN 4-7735-0116-2 。 全国 ぜんこく 書誌 しょし 番号 ばんごう :96034443
塩野 しおの 広次 ひろつぐ 「1億 おく 倍 ばい 分子 ぶんし 模型 もけい で1モルがわかった」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 155号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、1995年 ねん 、48-55頁 ぺーじ 。
板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん 「読 よ み書 か き・計算 けいさん ,原子 げんし 模型 もけい 分子 ぶんし 模型 もけい 作 づく りを新 あたら しい国民 こくみん 常識 じょうしき に」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 197号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、1998年 ねん 、10-25頁 ぺーじ 。
山田 やまだ 正男 まさお 「アリがタイなら倉庫 そうこ -102〈教育 きょういく 的 てき 配慮 はいりょ をしない〉」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 135号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2001年 ねん 、10-25頁 ぺーじ 。
山田 やまだ 正男 まさお 、斉藤 さいとう 一郎 いちろう 「電熱 でんねつ 線 せん カッターを使 つか った分子 ぶんし 模型 もけい の作 つく り方 かた その1「道具 どうぐ ・材料 ざいりょう ・作 つく り方 かた 」」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 299号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2005年 ねん 、22-35頁 ぺーじ 。
榊原 さかきばら 郁子 いくこ 「スチュアートタイプ分子 ぶんし 模型 もけい の誕生 たんじょう (初出 しょしゅつ :2005年 ねん )」『〈原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい 〉はどのようにして生 う まれたのか』、カウベル堂 どう 、2021年 ねん 、119-128頁 ぺーじ 。
板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん 「(絵本 えほん )『もしも原子 げんし がみえたなら』について 父母 ちちはは と教師 きょうし 用 よう 解説 かいせつ (全文 ぜんぶん )(初出 しょしゅつ :2008年 ねん 、仮説 かせつ 社 しゃ 版 ばん )より」『〈原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい 〉はどのようにして生 う まれたのか』、カウベル堂 どう 、2021年 ねん 、94-102頁 ぺーじ 。
たのしい授業 じゅぎょう 編集 へんしゅう 部 ぶ 「編集 へんしゅう 後記 こうき 」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 341号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2008年 ねん 、148頁 ぺーじ 。
小林 こばやし 眞理子 まりこ 「空気 くうき の分子 ぶんし 運動 うんどう が目 め の前 まえ に「シミュレーション版 ばん 《もしも原子 げんし が見 み えたなら》」ができました」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 342号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2008年 ねん 、20-29頁 ぺーじ 。
那須 なす 悦代 えつよ 、アグベコ・ジュリウス・コフィ、アブカリ・モーゼス・アブドゥライ、喜多 きた 雅一 まさいち 「水分 すいぶん 子 こ で遊 あそ ぼう : 高校生 こうこうせい を対象 たいしょう とした科学 かがく 遊 あそ びから探究 たんきゅう をめざす教材 きょうざい 」『日本 にっぽん 科学 かがく 教育 きょういく 学会 がっかい 年会 ねんかい 論 ろん 文集 ぶんしゅう 』第 だい 33巻 かん 、日本 にっぽん 科学 かがく 教育 きょういく 学会 がっかい 、2009年 ねん 、295-296頁 ぺーじ 。
平尾 ひらお 二三夫 ふみお 「科学 かがく のたのしさが広 ひろ がるとき 柔 やわ らかい脳 のう みその1年生 ねんせい とお母 かあ さんと分子 ぶんし 模型 もけい 」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 431号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2015年 ねん 、67-73頁 ぺーじ 。
小林 こばやし 眞理子 まりこ 「シミュレーション版 ばん 〈もしも原子 げんし がみえたなら〉リニューアルしました WindowsでもMacでも!」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 494号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2019年 ねん 、97-99頁 ぺーじ 。
日吉 ひよし 仁 ひとし 「残 のこ るもの 18年 ねん 前 まえ の教 おし え子 ご たちとの同窓会 どうそうかい 」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 486号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2019年 ねん 、5-7頁 ぺーじ 。
古川 ふるかわ 真司 しんじ 「人 ひと や自然 しぜん を原子 げんし の目 め で見 み る 分子 ぶんし 模型 もけい が開 ひら く科学 かがく の世界 せかい 」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 487号 ごう 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2019年 ねん 、5-10頁 ぺーじ 。
平林 ひらばやし 浩 ひろし 「授業 じゅぎょう 書 しょ 〈もしも原子 げんし がみえたなら〉ができたころ(初出 しょしゅつ :2019年 ねん )」『〈原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい 〉はどのようにして生 う まれたのか』、カウベル堂 どう 、2021年 ねん 、129-131頁 ぺーじ 。
山田 やまだ 正男 まさお 「自分 じぶん で分子 ぶんし 模型 もけい をつくろう(初出 しょしゅつ :2019年 ねん )」『〈原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい 〉はどのようにして生 う まれたのか』、カウベル堂 どう 、2021年 ねん 、142-150頁 ぺーじ 。
由良 ゆら 文隆 ふみたか 「プラスチック製 せい 原子 げんし 模型 もけい の開発 かいはつ ・販売 はんばい (初出 しょしゅつ :2019年 ねん )」『〈原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい 〉はどのようにして生 う まれたのか』、カウベル堂 どう 、2021年 ねん 、151-164頁 ぺーじ 。
山路 やまじ 敏英 としひで 「原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい の歴史 れきし 年表 ねんぴょう その2(初出 しょしゅつ :2020年 ねん )」『〈原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい 〉はどのようにして生 う まれたのか』、カウベル堂 どう 、2021年 ねん 、103-118頁 ぺーじ 。
山路 やまじ 敏英 としひで 『〈原子 げんし ・分子 ぶんし 模型 もけい 〉はどのようにして生 う まれたのか』カウベル堂 どう 、2021年 ねん 。 全国 ぜんこく 書誌 しょし 番号 ばんごう :23568768
“Five wooden molecular model balls ”. Gift of Manchester Literary & Philosophical Society. 2022年 ねん 6月 がつ 30日 にち 閲覧 えつらん 。
“もしも原子 げんし がみえたなら予告編 よこくへん -YouTube ”. 林 はやし 戸 と 研究所 けんきゅうじょ (2019年 ねん 8月 がつ 14日 にち ). 2022年 ねん 7月 がつ 7日 にち 閲覧 えつらん 。