楠部くすべこう

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楠部くすべ こう(くすべ たくみ、1964ねん - )は、フリーランスのライター。埼玉さいたまけん出身しゅっしん

シンエイ動画どうが創設そうせつしゃ楠部くすべ大吉郎だいきちろう息子むすこであり、いもうとイラストレーター楠部くすべぶん叔父おじ楠部くすべさん吉郎よしろうがいる。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

東京芸術大学とうきょうげいじゅつだいがく大学院だいがくいん亜細亜堂あじあどうシンエイ動画どうが入社にゅうしゃし、脚本きゃくほんや3DCGを手掛てがける。『Pa-Pa-Pa ザ★ムービー パーマン』を最後さいごにシンエイ動画どうが退社たいしゃし、現在げんざいはフリーランスの出版しゅっぱんライターとして活動かつどうちゅう[1]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

ドラえもんのうた』を作詞さくししたことで有名ゆうめいである。当時とうじ中学ちゅうがく2年生ねんせいであり、子供こども雑誌ざっし特集とくしゅうされ話題わだいんだ。しかし、歌詞かしそのものは楠部くすべ一家いっかあんってつくった、いわゆる合作がっさくであることを本人ほんにんかたった。一方いっぽうで、これについては「ちちから『(歌詞かしが)採用さいようされたらいちまんえんあげるからつくってみて』とわれて、お風呂ふろはいってまどガラスにドラえもんをえがいてかんがえた」ともかたっていたことがある[2]。このほかにも『ドラえもん・えかきうた』もどう時期じき手掛てがけたほか、『いいやつなんだよドラえもん』『すてきないち週間しゅうかん』も作詞さくしし、大人おとなになってからは脚本きゃくほん執筆しっぴつした。

楠部くすべたくみとクレジットされることがある。

また叔父おじである楠部くすべ三吉みつよしろうによると、小学校しょうがっこう高学年こうがくねんころ斎藤さいとう惇夫あつおの『冒険ぼうけんしゃたち ガンバと15ひきの仲間なかま』を「これすごく面白おもしろいからテレビでやってよ」と三吉みよしろうせ、それがきっかけで『ガンバの冒険ぼうけん』の企画きかくがスタートしたという[3]

藤子とうこ・F・不二雄ふじおだい全集ぜんしゅう『ドラえもん』12かん(2011ねん小学館しょうがくかん)の解説かいせついている。

参加さんか作品さくひん[編集へんしゅう]

テレビアニメ[編集へんしゅう]

劇場げきじょう映画えいが[編集へんしゅう]

OVA[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 2011ねん9がつ3にち朝日新聞あさひしんぶん別刷べつづり「be」より。
  2. ^ 1979ねん6がつ30にち 北海道新聞ほっかいどうしんぶん24めん(テレビらんない記事きじより。
  3. ^ 楠部くすべさん吉郎よしろう『「ドラえもん」への感謝かんしゃじょう小学館しょうがくかん、2014ねん、pp.189 - 191。『冒険ぼうけんしゃたち』をんだのは、ちち大吉郎だいきちろう入院にゅういんしたおり宮崎駿みやざきはやお見舞みまいとして持参じさんしたほんふくまれていたからであるという。