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竹久たけひさゆめ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹久たけひさたけひさ ゆめゆめじ
誕生たんじょう (1884-09-16) 1884ねん9月16にち
出生しゅっしょう 岡山おかやまけん邑久おくぐん本庄ほんじょうむら現在げんざい瀬戸内せとうち
死没しぼつねん 1934ねん9月1にち(1934-09-01)(49さいぼつ
死没しぼつ 長野ながのけん諏訪すわぐん落合おちあいむら
墓地ぼち 雑司ヶ谷ぞうしがや霊園れいえん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
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竹久たけひさ ゆめ(たけひさ ゆめじ、1884ねん明治めいじ17ねん9月16にち - 1934ねん昭和しょうわ9ねん9月1にち)は、日本にっぽん画家がか詩人しじん本名ほんみょう竹久たけひさ 茂次しげじろう(たけひさ もじろう)。

概要がいよう

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すうおおくの美人びじんのこしており、その抒情じょじょうてき作品さくひんは「ゆめしき美人びじん」とばれた[1]大正たいしょうロマン代表だいひょうする画家がかで、「大正たいしょう浮世絵うきよえ」などとばれたこともある。また、児童じどう雑誌ざっし詩文しぶん挿絵さしええがいた。文筆ぶんぴつ分野ぶんやでも、歌謡かよう童話どうわなど創作そうさくしており、なかでも、宵待草よいまちぐさ』にはきょくけられて大衆たいしゅうとしてけ、全国ぜんこくてき愛唱あいしょうきょくとなった。また、おおくの書籍しょせき装幀そうてい広告こうこく宣伝せんでんぶつ日用にちよう雑貨ざっかのほか、浴衣ゆかたなどのデザインがけており、日本にっぽん近代きんだいグラフィック・デザイン草分くさわけのひとりともいえる。

かれ自身じしん独特どくとく美意識びいしきによる「ゆめしき美人びじん」とばれる作品さくひんおおくは、日本にっぽん技法ぎほうえがかれ(軸物じくもの屏風びょうぶ仕立したてでのこる)、また、洋画ようがキャンバス油彩ゆさい技法ぎほうによる女性じょせいぞう風景ふうけいものこされている。このんで様々さまざま表現ひょうげん形式けいしきこころみたが、むしろ、それらは後世こうせいになってから評価ひょうかされたもので、当時とうじ時点じてんにおいては、印刷いんさつされた書籍しょせき表紙ひょうし広告こうこく美術びじゅつなどがおおくのれ、大衆たいしゅう人気にんきというかたち脚光きゃっこうびたのであった。一時いちじ中央ちゅうおう画壇がだんへのあこがれもあったようだがれられず、終生しゅうせいにあってあたらしい美術びじゅつのありかた模索もさくした。

うごきとしてみた場合ばあい当時とうじ画壇がだんでは様々さまざま芸術げいじゅつ思潮しちょう交錯こうさくし、ある意味いみ胎動たいどう不定ふていのさなかである。都市としにおける大衆たいしゅう文化ぶんか開花かいかによる消費しょうひ生活せいかつ拡大かくだい背景はいけいとした、あたらしい応用おうよう美術びじゅつとしてのデザインというものの黎明れいめい時代じだいであり、ゆめもこれに着目ちゃくもくした。生涯しょうがい後期こうきにいたっては、かれ図案ずあんとしての才能さいのう実績じっせきにおいて、生活せいかつむすびついた美術びじゅつ目指めざし、あるいは産業さんぎょう融合ゆうごうすべきとの理念りねんち、むしろ積極せっきょくてきに、商業しょうぎょう美術びじゅつ(のちにいわれるグラフィック・デザイン)の概念がいねんえがいていたようである。榛名山はるなさん産業さんぎょう美術びじゅつ研究所けんきゅうじょ構想こうそうや、先進地せんしんちである欧米おうべい視察しさつへの願望がんぼうがこのことを裏付うらづけている。

21世紀せいきはいっても画集がしゅう詩文しぶんしゅう童話どうわ様々さまざま装丁そうてい刊行かんこうされたり、ゆめ作品さくひんせんもん所蔵しょぞうする美術館びじゅつかん後述こうじゅつ以外いがいでも展示てんじかいひらかれたり[2]している。

また2017ねんには、従来じゅうらいられていなかった作品さくひんとうおうぎきょう』(屏風びょうぶ)が発見はっけんされた[3]

2020ねん1がつ6にちには、面識めんしきがあったかわ水泡すいほうおくった日本にっぽん『サーカス』がかわ遺族いぞくから寄贈きぞうされたと、竹久たけひさゆめ美術館びじゅつかん発表はっぴょうした[4]

経歴けいれき

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年代ねんだいのち満年齢まんねんれいしめす)

ゆめ生家せいか
竹久たけひさゆめ寓居ぐうきょあと京都きょうと東山ひがしやまやすしざか
竹久たけひさゆめ居住きょじゅうあと東京とうきょう渋谷しぶや宇田川うだがわまち
東京とうきょう雑司ヶ谷ぞうしがや霊園れいえんにある竹久たけひさゆめはか

家族かぞく

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  • ちち竹久たけひさ菊蔵きくぞう(1931ねんぼつ) - 邑久おくぐん本庄ほんじょうむらげん瀬戸内せとうち)の農村のうそん地主じぬしつく酒屋ざかやいとなむ。1921ねんから仏門ぶつもんはいり、たいどう改名かいめい
  • はは竹久たけひさ也須のう(1857-1928)
  • あね栗山くりやままつかおり(1877年生ねんせい) - 栗山くりやま安兵衛やすべえ結婚けっこんし、室蘭むろらんらした。
  • いもうと日下くさかさかえ
  • 叔父おじ竹久たけひさざいろう
  • つまきしたまき - 加賀かがはんきし六郎ろくろうみぎ衛門えもんむすめ[7]。1907ねん結婚けっこん、1909ねん離婚りこんするも関係かんけいつづく。ゆめとのあいださんもうける。
  • 長男ちょうなん竹久たけひさにじすけ(1908年生ねんせい) - 両親りょうしん離婚りこん実家じっかあづけられる。ゆめ没後ぼつごゆめについての回想かいそう遺作いさくしゅう編纂へんさんなどにかかわる。
  • 二男じなん竹久たけひさ不二ふじ彦(1911-1994) - 1915ねんちち京都きょうとき、以降いこうちちらした。ゆめ彦を想定そうていした作品さくひん数多かずおお制作せいさく文化ぶんか学院がくいんそつゆめ没後ぼつご大森おおもり洋館ようかんつまひゃくとうえだらし、ゆめについての回想かいそう作品さくひん編集へんしゅう絵画かいが鑑定かんていかかわる。つじまことらと金鉱きんこうさがしに熱中ねっちゅうしたのち、1945ねんより10ねんほど開拓かいたく移民いみんとして一家いっか北海道ほっかいどう移住いじゅう地元じもと中学ちゅうがく美術びじゅつ教師きょうしつとめ、帰京ききょうデザイナーとなり、弥生やよい美術館びじゅつかんちょうつとめた。[8]
  • 三男さんなん竹久たけひさくさいち河合かわい栄二郎えいじろう、1916年生ねんせい) - 女形おんながた俳優はいゆう河合かわい武雄たけお養子ようしされ、栄二郎えいじろう立女形たておやまとなったが、だい世界せかい大戦たいせんニューギニア戦死せんしした[9]
  • まご竹久たけひさみなみ - 長男ちょうなんにじすけ一人娘ひとりむすめ彦の北海道ほっかいどう移民いみん同行どうこう
  • やしなえまご竹久たけひさ野生やせい(1940年生ねんせい) - 二男じなん彦の養女ようじょつじまこと武林たけばやしイヴォンヌ(武林無想庵たけばやしむそうあんむすめ)の実子じっし彦の北海道ほっかいどう移民いみん同行どうこう

かかわった女性じょせいたち

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恋愛れんあい遍歴へんれきについても数々かずかず評伝ひょうでんがあり、自身じしん日記にっき手紙てがみなどでかたられるあい言葉ことばは、後世こうせいおおくの創作そうさく題材だいざいともなっている。とくに、下記かき3にんが「ゆめをめぐる3にん女性じょせい」として、しばしば沙汰ざたされる。

たまき(1912ねんごろ撮影さつえい

1882ねん7がつ28にち - 1945ねん7がつ9にち石川いしかわけん金沢かなざわ味噌みそくらまち出身しゅっしん本名ほんみょうきしまん

唯一ゆいいつ戸籍こせきうえつまとなった女性じょせいである。あにたよって上京じょうきょう結婚けっこんれきがあり死別しべつした前夫ぜんふとのあいだがあった。自立じりつのために早稲田鶴巻わせだつるまきまち開店かいてんした絵葉書えはがきみせ「つるや」に、ゆめきゃくとして毎日まいにちてんかよいつめた挙句あげく、2ヵ月かげつには結婚けっこんにいたった。2ねんには離婚りこんするが、その翌年よくねんふたた同棲どうせい、そして、別居べっきょかえす。ゆめ経営けいえいする絵草紙えぞうしみなと」に出入でいりしていた17さい学生がくせい東郷とうごうてつはる青児せいじ)をたまきが見込みこんで、みせの2かいうつしをたのむようになると、別居べっきょちゅうゆめにんなかうたがい、はだかげる青児せいじをバットでいかけまわしたり、青児せいじかけるたまきの刃物はものでズタズタにいたりした[10]

ゆめが彦乃をったのち大正たいしょう4ねん1915ねん)には、たまきと青児せいじなかうたがい、出張しゅっちょうさき富山とやまけん海岸かいがんにたまきをびつけ、短刀たんとうをつきつけてまわし、ハゲができるほどかみをつかんでまわし、青児せいじとのなかめつづけたのち、左腕さわんすことによって破局はきょくむか絶縁ぜつえんいた[10]。しかし、たまきは結核けっかく療養りょうようちゅうゆめ信州しんしゅう長野ながのけん)まで見舞みまい、またゆめあと終生しゅうせいかれしたつづけたという。

彦乃(1918ねんごろ撮影さつえい
桜井さくらい八重子やえこ

1896ねん3月29にち - 1920ねん1がつ16にち山梨やまなしけん南巨摩みなみこまぐん西島にししまむらげん身延みのぶまち西島にししままれ、本名ほんみょう笠井かさいヒコノ。別名べつめい山路やまじしの。

東京とうきょう日本橋にほんばしかみ問屋とんやむすめとして裕福ゆうふくそだち、女子じょし美術びじゅつ学校がっこう学生がくせいであった。ゆめのファンであり、ならいたいと「みなと草子ぞうしてん」を訪問ほうもんし、交際こうさいはじまる。 たまきとわか京都きょうとうつんだゆめとしばらく同棲どうせいするが、大正たいしょう7ねん(1918ねん)に九州きゅうしゅう旅行りょこうちゅうゆめ途中とちゅう別府べっぷ温泉おんせん結核けっかく発病はつびょうちちによって東京とうきょうもどされ、ゆめ本郷ほんごうきく富士ふじホテルうつるが、面会めんかい遮断しゃだんされる。東京とうきょう御茶ノ水おちゃのみず順天堂医院じゅんてんどういいん入院にゅういんした彦乃は、そのままみじか人生じんせいえる。

ゆめは彦乃をもっとあいしていたようであり、その死後しごしばらくショックからなおれなかった。『彦乃日記にっき』をのこす。彦乃との別離べつりしんいためたゆめは、彦乃の面影おもかげ帝劇ていげき女優じょゆう桜井さくらい八重子やえこ恋文こいぶみのような手紙てがみつづけ、八重子やえこきく富士ふじホテルをたずねている[11]

(1919ねんごろ撮影さつえい

1904ねん3月11にち - 1980ねん10月24にち秋田あきたけん出身しゅっしん本名ほんみょう永井ながいカ子かね

上京じょうきょう東京とうきょう美術びじゅつ学校がっこうモデルとして人気にんきがあった。藤島ふじしま武二たけじ伊藤いとう晴雨せいうらのモデルをつとめたのちに、きく富士ふじホテルに逗留とうりゅうしていたゆめのモデルとしてかよううちに同棲どうせい渋谷しぶや現在げんざい渋谷しぶやビーム、同地どうち石碑せきひあり)に所帯じょたいつ。大正たいしょう13ねん1924ねん)、ゆめ設計せっけいした世田谷せたがや少年しょうねん山荘さんそう」に一緒いっしょうつみ、ゆめ子供こどもたちも同居どうきょした。いちをもうけるが夭折ようせつよく14ねんにお自殺じさつはかり、半年はんとし別離べつりする。医師いし結婚けっこん主婦しゅふとしておだやかな生涯しょうがいごした。

黒船くろふね』のモデル

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ゆめ代表だいひょうてき絵画かいが作品さくひんである『黒船くろふね』のモデルは、彦乃せつ、おせつがある[12][13][14]。ただし、構図こうずキース・ヴァン・ドンゲンの『くろねこいだけるおんな』を参考さんこうにしたといわれる[15]おなじモチーフによる木版もくはんほん装幀そうていもある[16]

山田やまだ順子じゅんこ

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山田やまだ順子じゅんこ小説しょうせつながれるゝままに』を装幀そうていしたことから恋愛れんあい関係かんけいとなる[8]

長谷川はせがわカタ

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明治めいじ23ねん10がつ22にち-昭和しょうわ42ねん7がつ26にち北海道ほっかいどうまれ。軍人ぐんじん長谷川はせがわやすしさんじょ

秋田あきただかおんな卒業そつぎょう一家いっか千葉ちばけん銚子ちょうし海鹿島あしかじま転居てんきょ明治めいじ43ねんなつ大逆だいぎゃく事件じけん尾行びこうけるため、別居べっきょちゅうつまたまきと長男ちょうなんにじすけとともに銚子ちょうし逗留とうりゅうちゅうだったゆめが、宿やど隣家りんかむすめ・カタを見初みそめ、いいよってくちづけをわすなかとなった。不良ふりょう画家がかむすめ関係かんけい心配しんぱいした父親ちちおやむすめ音楽おんがく教師きょうし須川すがわ政太郎まさたろうとの結婚けっこんいそぎ、しまはなれた。翌年よくねん、カタをわすれられないゆめふたた海鹿島あしかじまたずねたが、すでにカタも長谷川はせがわもなく、いちねんまえにカタと砂浜すなはまオオマツヨイグサながら、「宵待草よいまちぐさ」というつくり、えて雑誌ざっし少女しょうじょ』に発表はっぴょうし、そのちゅうあきらきょくけてだい流行りゅうこうした。[17]

作品さくひん

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絵画かいが

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  • ゆめ画集がしゅう はるまき洛陽らくようどう 1909ねん
  • ゆめ画集がしゅう なつまき洛陽らくようどう 1910ねん
  • 小曲しょうきょく絵本えほん三味線しゃみせんそう』(新潮社しんちょうしゃ 1915ねん
  • 露地ろじ細道ほそみち春陽しゅんようどう 1919ねん
  • 黒船くろふね(1919ねん
  • 長崎ながさきじゅうけい(1920ねん
  • おんなじゅうだい(1921ねん)  

など

木版もくはん

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  • あきのしらべ(1924ねん
  • 花火はなび(1924ねん
  • ゆきふう(1924ねん

絵本えほん挿絵さしえ

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  • 子供こどもくに洛陽らくようどう 1910ねん
  • あおふね実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1918ねん
  • どんたく絵本えほん金子かねこ書店しょてん 1923ねん
  • 童謡どうようしゅううた時計とけい』(春陽しゅんようどう 1919ねん
  • 童謡どうようしゅうたこ』(研究けんきゅうしゃ 1926ねん
  • 童話どうわしゅう『くさのみ』(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1915ねん
  • 童話どうわしゅうはる』(研究けんきゅうしゃ 1926ねん

小唄こうたしゅう詩集ししゅう

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  • どんたく(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1913ねん)『宵待草よいまちぐさ』がふくまれる。中公ちゅうこう文庫ぶんこ再刊さいかん
  • ゆめのふるさと
  • あお小径しょうけい
  • さよなら
  • 出帆しゅっぱん自伝じでんてき小説しょうせつ)。作品社さくひんしゃ再刊さいかん挿絵さしえも)

ゆめ作品さくひん所蔵しょぞうする美術館びじゅつかんなど

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ギャラリー

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油彩ゆさい

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日本にっぽん

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水彩すいさい

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長崎ながさきじゅうけい(1920ねん

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おんなじゅうだい(1921ねん

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ペン・デッサン

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絵葉書えはがき

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関連かんれん書籍しょせき伝記でんき評論ひょうろん画集がしゅう

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  • 山本やまもと一哉かずやへんしみなき青春せいしゅん 竹久たけひさゆめあい革命かくめい漂白ひょうはく生涯しょうがい』ノーベル書房しょぼう、1969ねん
  • 青江あおえ舜二郎しゅんじろう竹久たけひさゆめ東京とうきょう美術びじゅつ、1971ねん中公ちゅうこう文庫ぶんこ、1985ねん
  • 長田ながた幹雄みきおへん竹久たけひさゆめ画集がしゅう講談社こうだんしゃ、1972ねん
  • 細野ほその正信まさのぶ竹久たけひさゆめカラーブックス239)』保育ほいくしゃ、1972ねん
  • 美術びじゅつ手帖てちょう編集へんしゅう特集とくしゅう竹久たけひさゆめ美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1974ねん
  • 小倉おぐら忠夫ただおへん竹久たけひさゆめ近代きんだい美術びじゅつ23)』至文しぶんどう、1974ねん
  • 特集とくしゅう竹久たけひさゆめ」『ほんほん創刊そうかんごう)』ボナンザ、1975ねん
  • 森本もりもと哲郎てつろうゆめ小徑しょうけい講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ、1976ねん
  • 木村きむらしげるけい解説かいせつ現代げんだい日本にっぽん美人びじん全集ぜんしゅう8 竹久たけひさゆめ集英社しゅうえいしゃ、1978ねん
  • アサヒカメラ1978ねん12月増刊ぞうかんごう竹久たけひさゆめ その写真しゃしん世界せかい朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1978ねん
  • 栗田くりたいさむ竹久たけひさゆめ写真しゃしんかんおんな」』新潮社しんちょうしゃとんぼのほん、1983ねん
  • 岡崎おかざきまこと『竹久たけひさゆめ正伝せいでんもとめりゅうどう、1984ねん
  • ゆめ美術館びじゅつかん』(ぜんかん学研がっけん、1985ねん
  • 竹久たけひさゆめ アサヒグラフ別冊べっさつ 美術びじゅつ特集とくしゅう 日本にっぽんへん55』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1988ねん
  • 矢沢やざわひろしへん宵待草よいまちぐさ 竹久たけひさゆめ うた絵本えほん(CDき)』大月書店おおつきしょてん、1992ねん
  • 別冊べっさつ太陽たいよう編集へんしゅう竹久たけひさゆめ別冊べっさつ太陽たいよう 日本にっぽんのこころ:平凡社へいぼんしゃ、1994ねん
  • 金森かなもり敦子あつこ『おというモデルがいた ゆめ晴雨せいう武二たけじえがいたおんな晶文社しょうぶんしゃ、1996ねん
  • 青木あおき正美まさみへんゆめヨーロッパ素描そびょうじょう東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1996ねん
  • 竹久たけひさゆめ 新潮しんちょう日本にっぽん美術びじゅつ文庫ぶんこ33』新潮社しんちょうしゃ、1996ねん
  • 鶴谷つるたにひさしゆめ亜米利加あめりか新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1997ねん
  • 石川いしかわ桂子けいこ谷口たにぐち朋子ともこへん竹久たけひさゆめ 大正たいしょうモダン・デザインブック』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2003ねん新版しんぱん2011ねん
  • 竹久たけひさゆめ ゆめ郷土きょうど美術館びじゅつかんコレクションせんゆめ郷土きょうど美術館びじゅつかん、2007ねん
  • はやしえり竹久たけひさゆめつままん あいせしこのなれど』ウェッジ文庫ぶんこ、2008ねん
  • 野村のむら桔梗ききょう竹久たけひさゆめのすべて』こまくさ出版しゅっぱん、2008ねん
  • 小川おがわ晶子あきこ『もっとりたい竹久たけひさゆめ 生涯しょうがい作品さくひん東京とうきょう美術びじゅつ、2009ねん8がつ
  • 竹久たけひさみなみ監修かんしゅう大平おおひら直輝なおきへん竹久たけひさゆめ 「セノオ楽譜がくふ表紙ひょうしだい全集ぜんしゅう国書刊行会こくしょかんこうかい、2009ねん8がつ
  • 近代きんだい図案ずあんコレクション ゆめのデザイン -文具ぶんぐ装幀そうてい-』げいそうこうどう、2009ねん9がつ
  • 石川いしかわ桂子けいこへん竹久たけひさゆめ《デザイン》モダンガールのたからばこ講談社こうだんしゃ、2012ねん4がつ
  • りゅう檸『竹久たけひさゆめてき世界せかい印刻いんこく出版しゅっぱん台湾たいわん)、2012ねん
  • そで井林いばやし二郎じろうゆめ異国いこくへのたびミネルみねるァ書房ぁしょぼう、2012ねん
  • 竹久たけひさゆめ美術館びじゅつかん監修かんしゅう竹久たけひさゆめ 大正たいしょうロマンの画家がかられざる素顔すがお河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2014ねん1がつ
  • 竹久たけひさゆめ世界せかい えがいて、たびして、こいをして 別冊べっさつ太陽たいよう 日本にっぽんのこころ』平凡社へいぼんしゃ、2014ねん8がつ
  • 朝日新聞社あさひしんぶんしゃへん生誕せいたんひゃくさんじゅう周年しゅうねん 竹久たけひさゆめてん ベル・エポックきたゆめロートレック朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2014ねん8がつ
  • 逸見いつみ久美くみゆめ久允きゅういん 二人ふたり渡米とべいとその明暗めいあん風間かざま書房しょぼう、2016ねん4がつ
  • 石川いしかわ桂子けいこへん竹久たけひさゆめ画集がしゅう岩波いわなみ文庫ぶんこ、2016ねん9がつ
  • ひろたまさき異国いこくゆめ講談社こうだんしゃ選書せんしょメチエ、2023ねん6がつ。ほか多数たすう

関連かんれん作品さくひん

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映像えいぞう音楽おんがく

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小説しょうせつ

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漫画まんが劇画げきが

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舞台ぶたい

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ File16 ゆめ美人びじんNHKつぼ』(2018ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  2. ^ いちれいとして神戸こうべファッション美術館びじゅつかんゆめロマン 神戸こうべ憧憬どうけい欧米おうべいへのたび」(2017ねん
  3. ^ 竹久たけひさゆめとうおうぎきょう東京とうきょうはつ公開こうかい 新春しんしゅんよろこびをたおやかに産経新聞さんけいしんぶん朝刊ちょうかん2018ねん1がつ4にち(2020ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  4. ^ ゆめの「サーカス」はつ公開こうかい 漫画まんがかわ水泡すいほう遺族いぞく寄贈きぞう 昭和しょうわ初期しょき制作せいさく日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん2020ねん1がつ7にち社会しゃかいめん掲載けいさい共同通信きょうどうつうしん配信はいしん記事きじ。2020ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  5. ^ ゆめ ゆめのゆりかご/最初さいしょ作品さくひん発見はっけん毎日新聞まいにちしんぶん夕刊ゆうかん2018ねん5がつ11にち(2018ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん)。
  6. ^ 繊細せんさいいろどりひつ大正たいしょう浪漫ろうまん画家がか死去しきょ東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ9ねん9がつ2にち夕刊ゆうかん(『昭和しょうわニュース事典じてんだい4かん 昭和しょうわ8ねん-昭和しょうわ9ねん本編ほんぺんp371 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  7. ^ きしたまきについてレファレンス協同きょうどうデータペース、2022ねん03がつ21にち
  8. ^ a b りゃく年譜ねんぷ≫ 竹久たけひさゆめ彦 & つじじゅん・まこと ゆうがくあんない Dioのかい
  9. ^ 竹久たけひさゆめ』 1977、平凡社へいぼんしゃ、p189
  10. ^ a b 薩摩さつまわずがたり』下巻げかん五代ごだいなつおっとあし書房しょぼう、 1986ねん、p20-21
  11. ^ 竹久たけひさゆめよっつのこいのものがたり」そのじゅう美貌びぼう帝劇ていげき女優じょゆうなぞ手紙てがみちゅうみぎあきら、『月刊げっかん 神戸こうべ』2000ねん3がつごう
  12. ^ 新装しんそうばん ゆめ美術館びじゅつかん だい1かん 宵待草よいまちぐさのうた』(小学館しょうがくかん、1988ねん2がつ) p.125、
  13. ^ 「おをモデルにしながらも彦乃の姿すがたがうつされている」、コロナ・ブックスへん竹久たけひさゆめ」『作家さっかねこ』(平凡社へいぼんしゃコロナ・ブックス、2006ねん6がつ
  14. ^ くろねこいだ蠱惑こわくてき女性じょせいかお永遠えいえん恋人こいびと彦乃であろう」、近藤こんどう富枝とみえ竹久たけひさゆめ」『きもの名人めいじん』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2012ねん3がつ
  15. ^ 別冊べっさつ太陽たいよう221 竹久たけひさゆめ世界せかい』(平凡社へいぼんしゃ、2014ねん)p.58
  16. ^ 別冊べっさつ太陽たいよう20 竹久たけひさゆめ』(平凡社へいぼんしゃ、1977ねん9がつ)pp.64-65、
  17. ^ うたおもれてくる―昭和しょうわのメロディー、なつかしいうた塩澤しおざわみのるしんじ、ディスカバートゥエンティワン、2000、「竹久たけひさゆめ宵待草よいまちぐさ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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美術館びじゅつかん記念きねんかん