(Translated by https://www.hiragana.jp/)
浮世絵 - Wikipedia コンテンツにスキップ

浮世絵うきよえ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Painting of a finely dressed Japanese woman in 16th-century style.
Colour print of a colourfully made-up Japanese actor making a bold expression with his fingers extended, facing right. Colour print of a closeup of a heavily made-up woman's face. The woman cranes her head left as she wipes her face with a patterned cloth.
A set of three colour prints of a samurai being menaced by a gigantic skeleton
左上ひだりうえから:

浮世絵うきよえうきよえは、日本にっぽん江戸えど時代じだい初期しょき成立せいりつした、絵画かいがジャンルのひとつ。

概要がいよう

[編集へんしゅう]
葛飾かつしか北斎ほくさい富嶽ふがくさんじゅうろくけい 駿しゅんしゅう江尻えじりすんしゅうえじり』/1831-35ねんごろ東海道とうかいどう江尻えじり宿やどはたうばうばがいけ手前てまええがく。
明治めいじ浮世絵うきよえ

江戸えど時代じだいまでの絵画かいが公家くげ大名だいみょうなどの庇護ひごによる土佐とさ狩野かのおもであった。そのなか風俗ふうぞくえがかれていたがうけたまわおう年間ねんかんごろ1654ねん)には衰退すいたいし、庶民しょみん階級かいきゅうによる風俗ふうぞくえがかれるようになった[1]

これは、土佐とさ狩野かのから転身てんしんしたもの庶民しょみん階級かいきゅうから出現しゅつげんした絵師えし浮世絵うきよえ源流げんりゅう形作かたちづくることになったことによる。あかりれき大火たいかにより江戸えどまちくされたのち町人ちょうにん経済けいざいりょくつよくなり風俗ふうぞくはその階級かいきゅう気風きふう要求ようきゅうこたえるものに変化へんかしていった[2]岩佐いわさ又兵衛またべえ工房こうぼうによる風俗ふうぞくはそれまでの風俗ふうぞく浮世絵うきよえつなぐものであり[注釈ちゅうしゃく 1]菱川ひしかわ師宣もろのぶいた風俗ふうぞくを1まい独立どくりつした絵画かいが作品さくひんとしたことで浮世絵うきよえ始祖しそばれている[4][5][6]

浮世絵うきよえ作品さくひん形態けいたいは、肉筆にくひつ[注釈ちゅうしゃく 2]ふでじかえがいたもの)と木版もくはん印刷物いんさつぶつ)にかれ[7]後者こうしゃいちまいすり版本はんぽん書籍しょせき)にかれるが、庶民しょみんひろまった背景はいけいとして、大量たいりょう生産せいさんとそれによるてい価格かかく可能かのう版画はんが形式けいしきがあげられる[8]商業しょうぎょう資本しほんたる版元はんもと企画きかくしたでの、絵師えし作画さくが)、原版げんばん)、すり印刷いんさつ)の分業ぶんぎょう体制たいせい確立かくりつされ、まとまった部数ぶすうることによって、廉価れんか販売はんばい版本はんぽん場合ばあいすことが出来でき[9][10]

題材だいざいは、大名だいみょう武家ぶけなどの支配しはい階級かいきゅうではなく庶民しょみん町民ちょうみん階級かいきゅうからみた風俗ふうぞくおもであり多岐たきおよぶ。初期しょきには歌舞伎かぶき遊郭ゆうかくなどの享楽きょうらくてき歓楽かんらくてき世界せかい[注釈ちゅうしゃく 3]対象たいしょうとなっておりおおくの役者やくしゃ美人びじんえがかれていった。のち武者むしゃ風景ふうけい名所めいしょ)などすうおおくの題材だいざいひろがっていった[12][13]同時どうじ流行りゅうこう報道ほうどうてき社会しゃかいせいびていることから、江戸えど幕府ばくふたいする体制たいせい批判ひはん風俗ふうぞくみだれをふうじるために度々どど内容ないよう規制きせいをかける禁令きんれい幕府ばくふよりされる事態じたいにもなった[14]

19世紀せいき後半こうはんになるとパリ万国博覧会ばんこくはくらんかい(1867ねん)に浮世絵うきよえ正式せいしき出品しゅっぴんされ反響はんきょうび、ジャポニスムのきっかけにもなり印象派いんしょうは画家がかたちに影響えいきょうあたえた[15]。 20世紀せいき以降いこうでは、変化へんか消失しょうしつした名所めいしょ人々ひとびと生活せいかつ生業せいぎょう文化ぶんかなどをつたえる歴史れきし資料しりょうとしても活用かつようされている[16]

語源ごげん

[編集へんしゅう]

浮世絵うきよえ」のかたり初出しょしゅつは、1681ねんのべたから9ねん)の俳書はいしょ『それそれくさ』での「浮世絵うきよえや したなまいたる おもくさ なついれ」である[注釈ちゅうしゃく 4]

浮世うきよ」とは、平安へいあん時代じだい初期しょきられる「くるしい」「つらい」を意味いみする「し」の連体れんたいけいである「き」に名詞めいしの「」がついた「」が語源ごげんであり[18][19][20][21]いちれいとして『伊勢物語いせものがたり』では「つらいことのおおなか」という意味いみもちいられる[18][22][注釈ちゅうしゃく 5]一方いっぽうで、どう時代じだいの「古今ここん和歌集わかしゅう」「こうせん和歌集わかしゅう」「拾遺しゅうい和歌集わかしゅう」のさんだいしゅうでは「のうきとき」「うきなか」といった表現ひょうげんおおいま語句ごくとしてさだまっておらず、「うき」が多用たようされるのは平安へいあん時代じだい中期ちゅうきの「こう拾遺しゅうい和歌集わかしゅう以降いこうである[18]平安へいあん時代じだい末期まっきになるとさだめない無常むじょうという観念かんねん付加ふかされ「」と表記ひょうきされるようになるが、これには漢語かんご「浮生」の影響えいきょうもあったとされる[18][19][21][注釈ちゅうしゃく 6]

中世ちゅうせいまつ江戸えど時代じだい初頭しょとうになると、前代ぜんだい厭世えんせいてき思想しそう裏返うらがえしとして享楽きょうらくてききるべきなかぎゃく意味いみ使つかわれるようになる[18][注釈ちゅうしゃく 7] [注釈ちゅうしゃく 8] [注釈ちゅうしゃく 9]。そこから「浮世絵うきよえ」に代表だいひょうされるように当代とうだい流行りゅうこう風俗ふうぞくす「当世風とうせいふう」といった意味いみでももちいられるようになる[18]

やなぎてい』(1826・文政ぶんせい9ねんごろ)において、「浮世うきよといふにふたつあり。ひとつは憂世うきよなか、これは誰々だれだれごとく、うたにもえいふるなり。ひとつの浮世うきよ今様いまようといふにつうへり。浮世絵うきよえ今様いまようなり。」と説明せつめいしている[18][24]

歴史れきし

[編集へんしゅう]
岩佐いわさ又兵衛またべえ洛中らくちゅう洛外らくがい屏風びょうぶふね木本もくほん)』みぎせき6おうぎより。1615ねんごろ国宝こくほう歌舞伎かぶきおどりがられる[注釈ちゅうしゃく 10]

諏訪すわ(2008)[25]したがって、以下いかの4けて説明せつめいする[注釈ちゅうしゃく 11]

江戸前えどまえ

[編集へんしゅう]
湯女ゆな、MOA美術館びじゅつかんぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい

最初さいしょ浮世絵うきよえには、版画はんががなく、肉筆にくひつのみであった。桃山ももやまの「洛中らくちゅう洛外らくがい屏風びょうぶ」とくらべ、岩佐いわさ又兵衛またべえどう屏風びょうぶ通称つうしょうふね木本もくほん」。慶長けいちょう19ねん-元和げんな元年がんねん〈1614-15ねん[28]〉)は、民衆みんしゅう描写びょうしゃ目立めだつようになり、そこから寛永かんえい年間ねんかん(1624-44ねんごろに「彦根ひこね屏風びょうぶ」「松浦まつうら(まつら[注釈ちゅうしゃく 12]屏風びょうぶ[30]」(3てんとも国宝こくほう)といった、当世とうせい人物じんぶつ風俗ふうぞく全面ぜんめん作品さくひんまれた[31][32][33][34]。「湯女ゆな」(MOA美術館びじゅつかんぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)での、ひだりからさん番目ばんめ桜花おうかがら小袖こそでおんなる、からだを「く」の姿勢しせいは、菱川ひしかわ師宣もろのぶや、ふところがつどうらの見返みかえ美人びじん原型げんけいになったとの指摘してきがある[35]

美人びじんは、風俗ふうぞくからの発展はってんだけでなく、ぜんてらにあった明朝みょうちょう楊貴妃ようきひぞう日本にっぽん女性じょせいにあてはめたせつがあるが[36]落款らっかんに「日本にっぽん絵師えし」「大和やまと絵師えし」としょしたのが、菱川ひしかわ師宣もろのぶである。安房あわこく縫箔ぬいはくきむ銀箔ぎんぱくまじえた刺繍ししゅう出身しゅっしん。「見返みかえ美人びじん」(東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんくら)に代表だいひょうされる掛物かけものじく)のほかに、巻子まきこ(かんす。まきもの。)、浮世草子うきよぞうしまくらなどの版本はんぽんと、多彩たさい活動かつどうをした。師宣もろのぶ登場とうじょうは、17世紀せいき後半こうはんに、江戸えど文化ぶんかが、上方かみがたのそれにかたならべる契機けいきとなる[37]版本はんぽんは、最初さいしょすみ一色いっしょくだが、後期こうき作品さくひんとして、ぼく摺本すりほんふで彩色さいしきする「」があらわれ、いちまいりも登場とうじょうする[38][39]師宣もろのぶぼつ奥村おくむら政信まさのぶは、赤色あかいろ染料せんりょうふでいろどりしたべにや、すみにかわおおぜ、光沢こうたくうるしはしら浮絵創始そうしし、2・3色摺いろずりを可能かのうにしたべにすりや、拓本たくほん応用おうようした、白黒しろくろ反転はんてん石摺いしずり創始そうしにもかかわった。そして、絵師えしだけでなく、版元はんもと奥村おくむらや」を運営うんえいし、自由じゆう作画さくが販売はんばい経路けいろた。また、自身じしん作品さくひんあつかうだけでなく、版元はんもと商品しょうひんおろしあい、商機しょうきひろめた。活動かつどう期間きかんはん世紀せいきわたった[40][41][42]

歌舞伎かぶき江戸えど初期しょきまれ、幕府ばくふ禁令きんれいもあり、成人せいじん男性だんせいのみがえんずるかたちになった[43]歌舞伎かぶき役者やくしゃとくしたのが鳥居とりいである。「瓢箪ひょうたんあし蚯蚓みみず描(ひょうたんあし みみずがき)」とばれる、瓢箪ひょうたんのようなくびれたあしに、蚯蚓みみずいまわったようなつよすみせんかした描写びょうしゃ[44]、「だいはん」というおおきなはんがたやく55×33センチ[45])でられた。鳥居とりい現在げんざい継承けいしょうされており、歌舞伎座かぶきざ看板かんばんがけている(鳥居とりい清光きよみつ[46]

ふところがつどうやすたびふところがつどうは、工房こうぼう肉筆にくひつ美人びじん量産りょうさんした。庶民しょみん購入こうにゅうそうとし、安価あんか泥絵具どろえのぐもちいた[47]

1720ねんとおる5ねん)に8だい将軍しょうぐん徳川とくがわ吉宗よしむね禁書きんしょれい緩和かんわし、キリスト教きりすときょう関係かんけいのない蘭書らんしょ輸入ゆにゅうみとめたことで、遠近えんきんほうもちいてえがかれたどう版画はんがひとし機会きかいまれた。遠近えんきんほうは、奥村おくむららによる浮絵をむこととなる[48][49]

江戸えど中期ちゅうき

[編集へんしゅう]
鈴木すずき春信はるのぶすわじき八景はっけい ぬりおけ暮雪ぼせつ」、1766ねん

明和めいわ元年がんねん(1764ねん)、旗本はたもとなど趣味しゅみじんあいだ絵暦えごよみ交換こうかんかい流行りゅうこうした。かれらの需要じゅようこたえたのが鈴木すずき春信はるのぶである。かれらのかね糸目いとめをつけない姿勢しせいが、多色たしょく(7・8しょく版画はんがみだすこととなった。にしきのようなうつくしい色合いろあいから「錦絵にしきえ」(ひがし吾妻あづま錦絵にしきえ)とばれる[50][51][49]上述じょうじゅつ奥村おくむら政信まさのぶらが、かさりのさい、ずれを防止ぼうしする目印めじるし、「見当けんとう」を考案こうあんしたことと、高価こうか丈夫じょうぶ越前えちぜん奉書ほうしょもちいられたことが、錦絵にしきえ要因よういんとなった[52][53][50]

春信はるのぶ錦絵にしきえは、絵暦えごよみ以外いがいでも、和歌わか狂歌きょうか 、『源氏物語げんじものがたり』『伊勢物語いせものがたり』『平家ひらか物語ものがたり』などの物語ものがたり文学ぶんがくを、当世風とうせいふう俗画ぞくがてはめてえがく「見立みたて」がおおく、教養きょうようじんでないと、春信はるのぶ意図いと理解りかいできなかった。こう価格かかく[注釈ちゅうしゃく 13]摺物すりもの[56]であり、ユニセックス人物じんぶつ描写びょうしゃふくめ、庶民しょみん購入こうにゅう対象たいしょうとしていなかった[注釈ちゅうしゃく 14]

すみわりに露草つゆくさひとし染料せんりょうもちいた「水絵みずえ」(みずえ)が、明和めいわ年間ねんかん初頭しょとう流行はやり、春信はるのぶらの作品さくひんのこるが、現存げんそんする作品さくひんは、だい部分ぶぶん褪色たいしょくしてしまっている[57][注釈ちゅうしゃく 15]

勝川かちがわはるあきら安永やすなが年間ねんかん(1772-81ねん)にほそばん[注釈ちゅうしゃく 16]錦絵にしきえにて、どの役者やくしゃ見分みわけられる描写びょうしゃをし、役者やくしゃめいしるされていなければ特定とくてい不能ふのうな、鳥居とりいのそれを圧倒あっとうした。同様どうよう手法しゅほうで、相撲すもう市場いちば席巻せっけんした。天明てんめい年間ねんかん(1781-89ねん)には、肉筆にくひつ美人びじんじくあしうつし、武家ぶけ購入こうにゅうするほど、高額こうがくでも好評こうひょうであった[61][62]弟子でしはるこのみ は、役者やくしゃだいくびはじめて制作せいさくした[63]

鳥居とりいきよしちょう飛鳥山あすかやま花見はなみ」、1780年代ねんだい後半こうはん

鳥居とりいきよしちょう書肆しょし(しょし。書店しょてんのこと。)出身しゅっしんで、屋号やごうの「白子しらこ」をそのままごうとした。天明てんめい年間ねんかん(1781-1789ねん)に、長身ちょうしん美人びじんぐんぞう大判おおばんよこ2・3まいつづきで表現ひょうげんした。前景ぜんけい群像ぐんぞう後景こうけい名所めいしょは、違和感いわかんなくつながり、遠近えんきんほう理解りかいが、ぜん世代せだい奥村おくむららよりすすんだことがかる。鳥居とりいとして、役者やくしゃえがいたが、上述じょうじゅつわせを応用おうようし、役者やくしゃうしろに出語でがた三味線しゃみせん太夫たゆう)を工夫くふうをした[64][65][66]春画しゅんがそでまき』は、12.5×67センチという、しょう[注釈ちゅうしゃく 17]のように極端きょくたん横長よこながサイズに、あいする男女だんじょをトリミングしてんだ、斬新ざんしん構図こうずである[68]

喜多川きたがわ歌麿うたまろにゅう狂歌きょうかほん潮干しおひのつと』、1789ねんごろ

喜多川きたがわ歌麿うたまろ名声めいせいるのは、版元はんもとつた重三郎しげさぶろうみ、1791ねん寛政かんせい3ねんごろに、美人びじんだいくび版行はんこうしてからである。 雲母うんもりの「婦人ふじんしょうがくじつからだ」、市井しせい美人びじん名前なまえせないおれがたので、にした「高名こうみょう美人びじんろくいえせん」、かお輪郭りんかくせんくした「無線むせんすり」、花魁おいらんから最下さいかそう遊女ゆうじょまでえがひとし、さまざまなこころみをつたしげるしたおこなった。またいれ狂歌きょうかほんほんむしせん』『潮干しおひのつと』とうでは、ぜいくした料紙りょうしすり技術ぎじゅつがつぎまれた 。1804ねん文化ぶんか元年がんねん)、『絵本えほん 太閤たいこう』が大坂おおさか摘発てきはつされ、手鎖てじょう50にちけいけ、その2ねんぼっした[69][70][71][72]

歌麿うたまろ太閤たいこう秀吉ひでよし側室そくしつたちの花見はなみ」、1804ねん。この作品さくひんかれ手鎖てじょうけいける。

寛政かんせい2ねん(1790ねん)、「寛政かんせい改革かいかく」の一環いっかんとして、改印かいいん(あらためいん)制度せいど[注釈ちゅうしゃく 18]ができた。以降いこう松平まつだいら定信さだのぶ老中ろうじゅう寛政かんせい5ねん(1793ねん)まで、浮世絵うきよえへのまりが度々たびたびおこなわれた。上述じょうじゅつ歌麿うたまろけた、「市井しせい美人びじん名前なまえせないおれ」もそのひとつである。改印かいいん制度せいど自体じたいは、明治めいじ5ねん(1872ねん)までつづ[74]

寛政かんせい7ねん(1795ねん)5がつつた重三郎しげさぶろうが、東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらくによるだいくび役者やくしゃ28てん一挙いっきょ版行はんこうする。無名むめい絵師えしに、大部たいぶでかつ高価こうかくろ雲母うんもすり大判おおばんまかせるのは異例いれいである。版元はんもと判断はんだんだけでなく、なんらかのスポンサーがいたのではとかんがえられる。また当時とうじ歌舞伎かぶききょうにあえいでおり、鳥居とりいもそのあおりをらっていた。その間隙かんげきったのがつたしげるである[75] 。それまでの役者やくしゃは、贔屓ひいききゃくってもらうため役者やくしゃ美化びかしてえがいたが、写楽しゃらくは、悪役あくやくみにくさや、女形おんながたいをえがいた。28てん当時とうじ評価ひょうかについては、記録きろくいが、その作品さくひんからは、写実しゃじつ描写びょうしゃかげひそめ、定紋じょうもん屋号やごうあやまりもられるようになり[76]太田おおた南畝なんぽほか『浮世絵うきよえるいこう』(とおる2ねん・1802ねん)にしるされるように「あまりにしんえがかんとてあらぬさまにしょなせしかばながぎょうはれず。いち両年りょうねんにしてむ」こととなった。活動かつどう期間きかんは10かげつ以下いかだった[75]

たいして、歌川うたがわ豊国ほうこくは、典型てんけいてき美化びかした役者やくしゃや、曲亭馬琴きょくていばきん山東さんとう京伝きょうでんらの読本とくほん挿絵さしええがいて、商業しょうぎょうてき成功せいこうる。『絵本えほん太閤たいこう』で歌麿うたまろとも摘発てきはつされたが、歌麿うたまろぼつは、美人びじんでもかれ隙間すきまめることとなる。おおくの弟子でし浮世絵うきよえ最大さいだい流派りゅうはとなる歌川うたがわ基礎きそきず[77]

江戸えど後期こうき

[編集へんしゅう]
けいときえいいずみつやほん春情しゅんじょう富士ふじ乃雪 上巻じょうかん』、1824ねん

けいときえいいずみ遊女ゆうじょ白粉おしろい経営けいえいをしていた経験けいけんがあり、それが美人びじんかされたのか、「婀娜あだあだ[78] 」とばれる、「鼻筋はなすじとおった面長おもながで、つりぐち歪曲わいきょくされた顔貌かおかたち表現ひょうげん[79] 」といった、その時代じだい特有とくゆうしめした[80]

えいいずみどう時代じだい祇園ぎおんとくは、きょう廃頽はいたいてき美人びじん肉筆にくひつえがいた。文化ぶんか文政ぶんせい(1804-30ねん)には、しもくちびる緑色みどりいろえるささくれない[注釈ちゅうしゃく 19]流行りゅうこうする[82]

葛飾かつしか北斎ほくさい諸國しょこくたきまわり 木曽きそおく阿弥陀あみだたき」1833ねんごろ

葛飾かつしか北斎ほくさいは、勝川かちがわはるしょうした役者やくしゃえがき、その俵屋たわらやそうさとし(そうり)を名乗なのり、独自どくじ肉筆にくひつ美人びじん様式ようしき、そして北斎ほくさい名乗なのる。どう版画はんが真似まね名所めいしょ木版もくはん実験じっけんさく発刊はっかん曲亭馬琴きょくていばきん読本とくほん椿つばきせつ弓張月ゆみはりづき』で挿絵さしえ担当たんとうし、馬琴ばきんとの共著きょうちょつづくこととなり、絵師えしとしての名声めいせいる。その北斎ほくさい漫画まんが』もヒットし、版元はんもと西村にしむら与八よはちんだ『富嶽ふがくさんじゅうろくけい』で輸入ゆにゅう染料せんりょうベロあいもちい、あいいち色摺いろずりやきぼかし駆使くしし、斬新ざんしん構図こうずふくめ、ひろ世間せけんれられる。その西村にしむらと『諸国しょこくたきまわ』『しょ国名こくめいきょうらん』や、版本はんぽん富嶽ふがくひゃくけい』も版行はんこうし、名所めいしょというしんジャンルを確立かくりつした。90さいくなるまで絵師えしでありつづけた[83][84][85]むすめおうため は、晩年ばんねんちち作画さくが手伝てつだったとされ、自身じしん明暗めいあん強調きょうちょうした肉筆にくひつのこした[86]

歌川うたがわ広重ひろしげは、『東都とうと名所めいしょ』(文政ぶんせい13-天保てんぽう2ねん・1830ねん-31ねん以降いこう、ベロあいもちいるが、北斎ほくさいくらべ、おさえたいろ使づかいであった。天保てんぽう5ねん(1834ねんごろ版元はんもと保永やすながどうから『東海道とうかいどうじゅうさんぜん55まいそろえを版行はんこうする。残存ざんそん枚数まいすうおよ版木はんぎ消耗しょうもう具合ぐあいから、相当そうとうれたことが推察すいさつできる。また、ぜんぞろいを画帖がじょう仕立したてたものもあり、武家ぶけ豪商ごうしょう購入こうにゅうかんがえられる。『富嶽ふがくさんじゅうろくけい』と版行はんこう時期じきちかく、版元はんもと広重ひろしげが、北斎ほくさい意識いしきしていたとかんがえられる[87]安政あんせい3-5ねん(1856ねん-58ねん)に、版元はんもと魚屋さかなや(さかなや・ととや )栄吉えいきち[88]した目録もくろくふくめ120まいぞろい(うち1まいだい広重ひろしげふで)の『名所めいしょ江戸えどひゃくけい』が版行はんこうされる。

歌川うたがわ国貞くにさだ淡雪あわゆき奈四ろうとしての中村なかむら鶴蔵つるぞう」、1852ねん

ほんシリーズでは、ベロあいくわえ、洋紅ようこうもちいられるが、『東都とうと名所めいしょ同様どうよういろ使づかいは抑制よくせいされる。また広角こうかくレンズでのぞいたような、前景ぜんけい極端きょくたんおおきくえがく「近接きんせつ拡大かくだいほう」を、おおくの作品さくひん採用さいようしている。すべ縦長たてながであることも、これまでの名所めいしょにはいもので、『東海道とうかいどうじゅうさん同様どうよう画帖がじょう仕立したてためかんがえられる[89][90][91][92]

歌川うたがわ国貞くにさだ豊国とよくに門下もんかげ、さんだい豊国ほうこく襲名しゅうめいする。やなぎてい種彦たねひこみ、『偐紫田舎いなか源氏げんじとうごうまき挿絵さしえ成功せいこうる。役者やくしゃ美人びじんでも人気にんきさい晩年ばんねん版元はんもと恵比寿えびす庄七しょうしちでの、役者やくしゃだいくびシリーズぜん60は、ぎわりやそら布目ぬのめ高価こうか顔料がんりょうもちいるひとし手間暇てまひまがかけられており、いちまいひゃくすうじゅうぶんからひゃくぶんられたようだ。市場いちば成熟せいじゅくぶりがられるが、このシリーズでは、出資しゅっししゃかんする史料しりょうのこっている[93]浮世絵うきよえとして、もっとおおくの作品さくひんのこしたといわれる[94][95]

歌川うたがわ国芳くによし源頼光みなもとのよりみつ公館こうかん蜘作妖怪ようかい(部分ぶぶん)」、1843ねん

もとあきら成立せいりつし、日本にっぽんでも読本とくほんれられて人気にんきた「みず滸伝」は、当然とうぜんのごとく、浮世絵うきよえでもあつかわれる。歌川うたがわ国芳くによしは、版元はんもと加賀屋かがや吉右衛門きちえもんでの『通俗つうぞくすい滸伝豪傑ごうけつひゃくはちにん』シリーズで人気にんきる。2・3まいつづきもあり、国貞くにさだ役者やくしゃ同様どうよう高価こうかだったとおもわれる。天保てんぽう14ねん(1843ねん)の「源頼光みなもとのよりみつ公館こうかん蜘作妖怪ようかい(みなもとの よりみつこうの やかたに つちぐも ようかいを なすの ず)」は『太平たいへい』にしるされる平安へいあん時代じだい中期ちゅうき逸話いつわだが、版行はんこう、「 天保てんぽう改革かいかく」での贅沢ぜいたく禁止きんし揶揄やゆし、12だい将軍しょうぐん家慶いえよし老中ろうじゅう 水野みずの忠邦ただくにえがんだとうわさち、加賀屋かがや摺物すりもの回収かいしゅう版木はんぎけずとしたが、海賊版かいぞくばん横行おうこうした[96][97]。 なお、江戸えど時代じだいは、大坂おおさかふゆじんなつじん や、島原しまばららんのぞけば、泰平たいへいであり、かつゆたか以降いこう時代じだい風刺ふうしきんじられていた [注釈ちゅうしゃく 20]ので、それ以前いぜん史実しじつを、当世とうせい暗喩あんゆとして表現ひょうげんする方法ほうほうった。暗喩あんゆ有無うむわず、これらの作品さくひんを「武者むしゃ」と[98][99]

国芳くによし役者やくしゃ以外いがいに、「戯画ぎが」もおお作画さくがし、「金魚きんぎょづくし」シリーズとう動物どうぶつ擬人ぎじんしたり、「みかけハこハゐがとんだいゝひとだ」のように、複数ふくすうはだかおとこわせ、かお表現ひょうげんしたり、天保てんぽう改革かいかく役者やくしゃ禁止きんしされたので、「宝蔵ほうぞうかべのむだしょ」のように、かべのひっかきしょう役者やくしゃをひそかに表現ひょうげんしたりした。改革かいかく抵抗ていこうし、わらばす姿勢しせいうかがえる[100][101][96][102][103]

なまず鹿嶋かしま明神みょうじん地震じしんこすなまずよういしさえつけている。

安政あんせい2ねん(1855ねん)10がつ江戸えどだい地震じしん発生はっせいし、その直後ちょくご、「なまず」がおおくの版元はんもとから版行はんこうされた。ナマズ地震じしんこすといういいつたえは、江戸えど時代じだい中期ちゅうきからあった。ナマズは日本にっぽん列島れっとうしたからささえ、その頭部とうぶ鹿島かしま神宮じんぐうにあたり、神宮じんぐう境内けいだい鎮座ちんざする「よういし(かなめいし)」でナマズをさえていたとかんがえられたが、地震じしん当日とうじつ神無月かんなづきだったため鹿島かしま明神みょうじん出雲いずも大社たいしゃ でのかみ々の会議かいぎ出払ではらっていたせいで、地震じしんおさえられなかったと江戸えど人々ひとびとかんがえた。

そのため鹿島かしま明神みょうじんがナマズをよういしさえつけるなまず緊急きんきゅう版行はんこうされた。それ以外いがいにもおおくの図柄ずがらがあり、ナマズが町人ちょうにん地震じしんこしたことをあやまったり、家屋かおく普請ふしん手伝てつだったりするもある。緊急きんきゅう版行はんこうなので、改印かいいんおよび版元はんもと絵師えししるし皆無かいむだが、画風がふうから歌川うたがわ作品さくひんおおいと推測すいそくされる。前向まえむきにきていこうとする町人ちょうにんいきおいが垣間見かいまみえる[104][105][106]

横浜よこはま歌川うたがわ貞秀さだひで横濱よこはま交易こうえき西洋せいようじん荷物にもつ運送うんそう

よしみなが7ねん(1854ねん)3がつ日米にちべい和親わしん条約じょうやくにより、200ねん以上いじょうわたる「鎖国さこく」は終焉しゅうえんした。安政あんせい5ねん(1858ねん)には 日米にちべい修好しゅうこう通商つうしょう条約じょうやくおよオランダロシアフランスイギリスと、同等どうとう条約じょうやくむすばれ、和親わしん条約じょうやくさだめられた 下田しもだ函館はこだて2こうくわえ、4こう開港かいこうとそこでの居住きょじゅうゆるされた。そのうち江戸えどからもっとちか横浜よこはまは、よく安政あんせい6ねん(1859ねん)に開放かいほうされ、江戸えど神奈川かながわ[注釈ちゅうしゃく 21]人々ひとびとは、これまでにたこともない、外国がいこくじん顔貌かおかたち服装ふくそう建造けんぞうぶつ興味きょうみかれた。その結果けっかまれたのが「横浜よこはま」である。1860ねん安政あんせい7・万延まんえん元年がんねん)から1872ねん明治めいじ5ねん)にかけて、だい部分ぶぶん江戸えど版元はんもとから版行はんこうされた。絵師えし歌川うたがわかおるとらよしいんら、国芳くによし門下もんかおお[107][108]。また、五姓田ごせだ芳柳ほうりゅうらによる、居留きょりゅうしゃ似顔にがおを、絹地きぬじ在来ざいらい顔料がんりょう陰影いんえいけてえがき、それに和装わそう姿すがたをモンタージュした「きぬこすり」(絹本けんぽん肉筆にくひつ)も、横浜よこはまふくまれる[109]

慶応けいおう2-3ねん(1866ねん-67ねん)に、国芳くによし門人もんじんである月岡つきおか芳年よしとしと、芳年ほうねん弟子でしである落合おちあいかおるいくによる「英名えいめいじゅうはちしゅう」が版行はんこうされた。これらの28てんは、鶴屋つるや南北なんぼくさく東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん』の歌舞伎かぶきものや、史実しじつからられ、ぜんてん殺戮さつりくえがく「みどろ」である[110][111]どう時期じきに、土佐とさこくまち絵師えしきんが、芝居しばい題材だいざいもとに、「みどろそう屏風びょうぶりの屏風びょうぶ)をのこした[112][113]。これらの作品さくひんまれたのは、その時代じだい実際じっさいてられた屍骸しがいたためではと指摘してきされる[111]

明治めいじ以降いこう

[編集へんしゅう]
戦争せんそう歌川うたがわ芳盛よしもりふで。1869ねん。「本能寺ほんのうじ合戦かっせん」とだいするが、実際じっさい戊辰戦争ぼしんせんそう上野うえのさんたたか

慶応けいおう3ねん(1867ねん)、徳川とくがわ慶喜よしのぶ大政奉還たいせいほうかんにより、徳川とくがわ幕府ばくふ260年余ねんよ歴史れきしわる。そのはん幕府ばくふがわ薩摩さつまはんが、慶喜よしのぶ圧力あつりょくけたため、よく慶応けいおう4ねん(1868ねん)に、鳥羽とば伏見ふしみたたか戊辰戦争ぼしんせんそういた[114]。それらを版行はんこうしたのが「戦争せんそう」であり、江戸えどの「武者むしゃ」とは区別くべつする。とく江戸えど戦場せんじょうとなった、上野うえのやまでの、あきらたいしん政府せいふぐんとのたたかいがおお版行はんこうされた。きゅう幕府ばくふがわには、旧来きゅうらいの「あらため」をするちから[注釈ちゅうしゃく 22]しん政府せいふがわにとっては、宣伝せんでんになるのだから、版行はんこう黙認もくにんした。それ以降いこうも、佐賀さがらん台湾たいわん出兵しゅっぺい(ともに明治めいじ7ねん・1874ねん)、西南せいなん戦争せんそう明治めいじ10ねん・1877ねん)、にちしん戦争せんそう明治めいじ27ねん-28ねん・1894ねん-95ねん)、にち戦争せんそう明治めいじ37ねん-38ねん・1904ねん-05ねん)が版行はんこうされた[116][117][118]

小林こばやし清親きよちか東京とうきょう名所めいしょ両国りょうこく花火はなび」、1880ねん

1868ねん慶応けいおう4ねん)7がつ江戸えどは「東京とうきょう」にあらためられ、9月に明治めいじ改元かいげんよく明治めいじ2ねん(1869ねん)2がつ天皇てんのうきゅう江戸城えどじょうはいり、名実めいじつともに日本にっぽん首都しゅととなる。明治めいじ5ねん(1872ねん)には、新橋しんばし-横浜よこはまあいだ鉄道てつどう開通かいつう[注釈ちゅうしゃく 23]日本橋にほんばし周辺しゅうへんに、木造もくぞう石材せきざい併用へいようし、2かい以上いじょう、バルコニーきの「なずらえ洋風ようふう建築けんちく」がてられてゆく[119]。それに人力車じんりきしゃ馬車ばしゃガス燈がすとうなど、東京とうきょう変遷へんせんぶりをえがいたのが「開化かいか」である。さんだい広重ひろしげや、くにてるらの歌川うたがわ代表だいひょうれいで、「洋紅ようこう」を多用たようした、どぎつい色調しきちょうのものがおお[120][121][122][123]

月岡つきおか芳年よしとしはるてい美談びだん武者むしゃ八景はっけい ほらいん秋月しゅうげつ」。

小林こばやし清親きよちかは、下級かきゅう武士ぶしとして、将軍しょうぐん家茂いえもち慶喜よしのぶしたがい、鳥羽とば伏見ふしみたたかいにくわわり、きゅう幕府ばくふ敗北はいぼく謹慎きんしんする慶喜よしのぶしたがい、静岡しずおかへ。明治めいじ7ねん(1874ねん)、東京とうきょうもどり、絵師えしとしてつ。ひかり意識いしきした東京とうきょう名所めいしょえがき、「光線こうせん」とばれる。都市としえがてんでは「開化かいか」の要素ようそもあるが、絵師えしごとの個性こせいとぼしいそれとは、もの見方みかたいろ使づかいがことなる[124][125]

菊池きくち容斎ようさい前賢ぜんけん故実こじつまき6「藤原ふじわら朝臣あそん保昌やすまさ[126]

幕末ばくまつみどろえがいた月岡つきおかだい芳年ほうねんは、明治めいじ10年代ねんだいなかばになると、「歴史れきし」に注力ちゅうりょくする。

開国かいこくしん政府せいふ成立せいりつにより、欧化おうか政策せいさくすすめられ、明治めいじ9ねん(1876ねん)には、こうしょうが「こう美術びじゅつ学校がっこう」を設立せつりつし、イタリアじん画家がか彫刻ちょうこくいえ建築けんちく招聘しょうへいする。しかし政府せいふは、輸出ゆしゅつひんとして、ヨーロッパの真似まねではなく、在来ざいらい工芸こうげいひんほうれることを認識にんしきする。そして、国内こくない体制たいせい強固きょうこにするには、天皇てんのう権威けんいたかめ、「国史こくし」の重要じゅうようせい認識にんしきし、歴史れきしたっとばれることとなる。また、欧化おうか政策せいさくによってめしわされていた狩野かの芳崖ほうがい橋本はしもと雅邦がほうらは、文部もんぶ官僚かんりょう岡倉おかくら天心てんしんと、政治せいじがく哲学てつがくやと教師きょうし として来日らいにちしたが、その日本にっぽん美術びじゅつ開眼かいがんし、天心てんしん行動こうどうともにするアーネスト・フェノロサの、洋画ようが南画なんが排斥はいせきした、あたらしい絵画かいが[注釈ちゅうしゃく 24]主張しゅちょう同調どうちょうする[129]

その時代じだい注目ちゅうもくされたのが、菊池きくち容斎ようさいの『前賢ぜんけん故実こじつ』(ぜん10さつ天保てんぽう14ねん-明治めいじ元年がんねん・1843ねん-68ねん)である。神武じんむ天皇てんのうから南朝なんちょう時代じだいこう亀山天皇かめやまてんのう時代じだいまでの公家くげ貴族きぞくそう武士ぶし女房にょうぼうら571にん故実こじつと、かれらに見合みあ装束しょうぞく顔貌かおかたち見開みひらいちちょう(2ページ)にえがいたもので、明治めいじ10年代ねんだい以降いこう画家がかの「粉本ふんぽん[注釈ちゅうしゃく 25]としてさかんに引用いんようされる。浮世絵うきよえふく在来ざいらい画家がかかぎらず、洋画ようがも『前賢ぜんけん故実こじつ』を参照さんしょうしてえがくことになる[130][131]

にちしんにち戦争せんそう新聞しんぶん雑誌ざっし石版せきばん写真しゃしん絵葉書えはがき普及ふきゅうし、浮世絵うきよえは、挿絵さしえ画家がかなどへの転向てんこう余儀よぎなくされる[132]明治めいじ40ねん(1907ねん)10がつ4にち朝刊ちょうかん朝日新聞あさひしんぶん錦絵にしきえ問屋とんや昨今さっこん」には、「江戸えど名物めいぶついちかずへられし錦絵にしきえ近年きんねんかげもなく衰微すいびし(りゃく写真しゃしんじゅつぎょうはれ、コロタイプばんおここと近来きんらい絵葉書えはがき流行りゅうこう錦絵にしきえ似顔絵にがおえのうはず昨今さっこんものければひともなし」とある[133]鏑木かぶらき清方きよかたは、かろうじて大正たいしょう時代じだいまで絵草紙えぞうしがあったとかた[134]

山村やまむら耕花こうか「『梨園りえんはな』より、じゅうさんせい守田もりた勘弥かんやのジャン・バルジャン」、1921ねん

逆風ぎゃくふうのなか渡辺わたなべ庄三郎しょうざぶろうは、1905ねん明治めいじ38ねん)にすり雇用こようして、版元はんもとおこす。当初とうしょ版木はんぎり、およ良質りょうしつぶつからの版木はんぎこしと、復刻ふっこくひんだけだったが、大正たいしょうはいり、絵師えし交渉こうしょうして、しん版画はんが制作せいさくするようになる。橋口はしぐち五葉ごよう伊東いとう深水しんすい川瀬かわせともみすい山村やまむら耕花こうからを起用きようし、またかれらも木版もくはんによる表現ひょうげん刺激しげきけた。

1923ねん大正たいしょう12ねん)、関東大震災かんとうだいしんさい によって、渡辺わたなべ壊滅かいめつてき被害ひがいい、おおくの版元はんもと廃業はいぎょうまれた。しかしかれ再起さいきし、渡米とべい経験けいけんのある吉田よしだひろし起用きよう欧米おうべいれる作品さくひん版行はんこうした。渡辺わたなべ昭和しょうわ37ねん(1962ねん)にくなる[135][136][出典しゅってん無効むこう]が、かれ版元はんもとは21世紀せいきでも健在けんざいである[137]。また、アダチ版画はんが研究所けんきゅうじょ同様どうよう制作せいさく営業えいぎょうおこなっている[138]

浮世絵うきよえ画題がだい

[編集へんしゅう]

大久保おおくぼ(1994)[139]参考さんこうに、区分くぶんする。そこに記載きさいされていない「」「長崎ながさき」「歴史れきし」「おもちゃ」を追加ついかした。大久保おおくぼ(1994)以外いがい文献ぶんけんもちいた場合ばあいは、ちゅうす。

はち代目だいめ市川いちかわだん十郎じゅうろう。1854ねん涅槃ねはん見立みたて。32さいし、やく300しゅがあるとされる。[140]
美人びじん
成人せいじん女性じょせいえがいたもので、遊女ゆうじょ茶屋ちゃや看板娘かんばんむすめおおえがかれた。
見立みたて
和漢わかん故事こじ謡曲ようきょく場面ばめん当世とうせい装束しょうぞくてはめてえがいたもの。和歌わか漢詩かんししるされても、こまかな説明せつめいはない。
春画しゅんが
まくらともぶ。男女だんじょ同性どうせい同士どうしもある)のいとなみをえがいたもの。非合法ひごうほうであり、絵草紙えぞうし書店しょてんならぶことはなく、富裕ふゆうそう肉筆にくひつ注文ちゅうもんしたりした。
役者やくしゃ
歌舞伎かぶき人気にんき役者やくしゃ上演じょうえん場面ばめん公演こうえんごとにえがいたもの。
人気にんき役者やくしゃくなったとき報道ほうどうねてされたもの。歌川うたがわ広重ひろしげ歌川うたがわ国貞くにさだのものもある[141][142]
名所めいしょ
明治めいじ以降いこうの、画家がかいとおもったところではなく、人々ひとびとひろられたところをえがいた。絵師えし取材しゅざいせずに、すでにあるからうつしたものがおおい。
浮絵
蘭書らんしょ挿絵さしえ絵師えしが、そこでのせん遠近えんきんほう誇張こちょうして建造けんぞうぶつとうえがいたもの。
相撲すもう写楽しゃらく大童おおわらさん土俵入どひょういり」1794ねん取組とりくみはしない見世物みせもの肥満ひまん少年しょうねん
花鳥かちょう
主要しゅよう画題がだいではなかったが、喜多川きたがわ歌麿うたまろ葛飾かつしか北斎ほくさい歌川うたがわ広重ひろしげ小林こばやし清親きよちからがしつたか作品さくひんのこした。
武者むしゃ
故実こじつだけでなく、当世とうせい事情じじょうゆたか以前いぜん武将ぶしょうてはめ(直接ちょくせつ表現ひょうげんはご法度はっとだった)、ひそかに幕府ばくふ批判ひはんをするれいがあった。
戯画ぎが
葛飾かつしか北斎ほくさい北斎ほくさい漫画まんが』のほかに、歌川うたがわ国芳くによし得意とくいとした。浮世絵うきよえ#江戸えど後期こうき参照さんしょう
相撲すもう
力士りきし土俵入どひょういり、みをえがいたもの。役者やくしゃ同様どうよう興行こうぎょうごとに新作しんさくる。
長崎ながさき
らんせん出島でじまでのカピタン唐人とうじんかれらの風習ふうしゅうえがいた。いちまい合羽かっぱすりおおく、長崎ながさき版元はんもとからされた[143]
長崎ながさき。カピタンとかれつかえる少年しょうねん。18世紀せいき後半こうはん合羽かっぱすり
なまず
1855ねん安政あんせい2ねん)の大震たいしん直後ちょくご浮世絵うきよえ#江戸えど後期こうき参照さんしょう
横浜よこはま
開国かいこく横浜よこはま舞台ぶたいにした外国がいこくじん風俗ふうぞくえがいたもの。浮世絵うきよえ#江戸えど後期こうき参照さんしょう
開化かいか
維新いしん東京とうきょうでの、洋館ようかん鉄道てつどう馬車ばしゃ人力車じんりきしゃガス燈がすとうなどをえがいたもの。浮世絵うきよえ#明治めいじ以降いこう参照さんしょう
戦争せんそう
戊辰戦争ぼしんせんそうからにち戦争せんそうまでの戦争せんそうえがいたもの。浮世絵うきよえ#明治めいじ以降いこう参照さんしょう
新聞しんぶん錦絵にしきえ
1874(明治めいじ7ねん)、東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん別刷べつづりに落合おちあいかおるいくえがき、商業しょうぎょうてき成功せいこう郵便ゆうびん報知ほうち新聞しんぶん月岡つきおか芳年よしとし起用きよう追随ついずいする。純粋じゅんすい新聞しんぶんには速報そくほうせいおとるので、殺人さつじんなど、過激かげき題材だいざいをどぎついいろもちいて描写びょうしゃした[144][145]。 
歴史れきし
明治めいじ10-20年代ねんだいに、国民こくみん意識いしきたかめることを意識いしきした、歴代れきだい天皇てんのうやその血族けつぞく忠君ちゅうくんえがいたもの。浮世絵うきよえ#明治めいじ以降いこう参照さんしょう
おもちゃ
上方かみがた模型もけい立板たていたいにしえ」(たてばんこ)が流行りゅうこうし、江戸えどでも18世紀せいきまつれられる。明治めいじには歌川うたがわ芳藤よしふじがおもちゃ専門せんもん絵師えしとして活躍かつやく[146][147][148]

おも版元はんもと

[編集へんしゅう]
木版もくはん 1862ねん

娯楽ごらく出版しゅっぱんぶつあつか地本じもと問屋とんや(じほんといや・とんや)が浮世絵うきよえ版元はんもととなっている。「地本じもと」とは、上方かみがたからもたらされたものではなく、江戸えど独自どくじのものであることをしめ[149]

浮世絵うきよえ版画はんが制作せいさくほう

[編集へんしゅう]
浮世絵うきよえ版画はんが工房こうぼう
浮世絵うきよえ版画はんが版木はんぎ

このあきらは、安達あだち小林こばやし(1994ねん[150]池田いけだ(1997ねん[151]もと記述きじゅつする。

企画きかくてるひと版元はんもと版元はんもとからの注文ちゅうもんえがひと絵師えしぶ。絵師えしえがいた下絵したえはんるのが版木はんぎいろけ、かみるのがすりである。版元はんもと絵師えしだけが作品さくひんしるされることがおおいが、すりはいることもある。

  1. 版元はんもと企画きかく立案りつあんし、絵師えし作画さくが依頼いらいする。
  2. 絵師えし版下はんしたえがく。
    絵師えしすみせんだけをもちいておもばん(おもはん)の版下はんしたえがく。
  3. 版元はんもと版下はんしたを、草子ぞうしがかりの名主なぬし提出ていしゅつ出版しゅっぱん許可きょかしるししてもらい、わたす。
  4. おもばんる。
    はんざいには、サクラ板目いためざいもちいる。はんおおきさは、18世紀せいき終盤しゅうばんになると、「大判おおばん」とばれる、奉書ほうしょたて半切はんせつしたおおきさ(やく39cm×やく26.5cm)が主流しゅりゅうとなる。版下はんした版木はんぎ裏返うらがえしにけ、おもばんる。この工程こうていで、絵師えしえがいた版下はんしたは、られて消滅しょうめつする。
    この工程こうてい出来上できあがったおもばん校合きょうごうり(きょうごうずり)という。
  5. すりおもばんすみり(校合きょうごうり)を10すうまいって絵師えしわたす。
  6. 絵師えし校合きょうごうりにかくいろばんべつしゅいろ指定していをする。また、着物きもの模様もようなどのこまかい個所かしょえがむ。
  7. 指示しじしたがい、いろばんつくる。
    いろ指定していされた校合きょうごうりを裏返うらがえして版木はんぎり、かたなれをおこなう。まず三角さんかくがたなかくはん模様もようむが、ぼくばんについてはかくいろばん部分ぶぶんふくめてりをくわえる(無駄むだりという)。この無駄むだばんったかみ版木はんぎけていろすうおうじたいろばんる。無駄むだばんいろばんとを絵合えあわせし、調整ちょうせい無駄むだばんすみ以外いがい部分ぶぶんけずる。
    つぎかくはん不要ふよう部分ぶぶんをのみとづちおおまかにけずり、さらにほそいのみで仕上しありをおこなう。
    仕上しありの工程こうてい見当けんとうわせようの「かぎ」と「け」をのこしておく。多色たしょくりのさいいろがずれないようにかみ位置いちしめす「見当けんとう」(トンボ)をつくる。
  8. すり絵師えし指示しじどおりにためりをつくる。
    すみ固形こけいのものを半年はんとしあいだすいにつけて乳鉢にゅうばちこまかくしたものをもちいる。また、絵具えのぐにはいわ絵具えのぐにかわみずぜてつくる。かみ越前えちぜん奉書ほうしょおおもちいられ、防止ぼうしのため、にかわミョウバン混合こんごうえき「ドウサ(礬砂)」をっておく。
    版木はんぎすみおよ顔料がんりょう刷毛はけ(21世紀せいきではブラシ)でむ。版木はんぎ表面ひょうめん顔料がんりょうせるのではない。
  9. 絵師えし同意どういられれば、はつり200まい馬楝ばれんる。
  10. 草子ぞうしから作品さくひん販売はんばいする。

値段ねだん

[編集へんしゅう]

浮世絵うきよえ値段ねだんは、しばしば「そばいちはい」とおなじとされる。実際じっさい価格かかく調しらべると、浮世絵うきよえ形式けいしき年代ねんだいなどによってバラつきがあるが、19世紀せいき前後ぜんこう大判おおばん錦絵にしきえ実勢じっせい価格かかくやく20ぶん前後ぜんこうで、19世紀せいきなかばになってもそうじて20文台ぶんだい推移すいいしたことが、当時とうじ史料しりょう日記にっき紀行きこうるいなどで裏付うらづけられる。そばだい幕末ばくまつで16ぶんだったことから、ほぼ同等どうとうなせる[152]

山東さんとう京伝きょうでん黄表紙きびょうし『荏土自慢じまん名産めいさんつえ』(文化ぶんか2ねん〈1805ねんかん)には、「はちじゅうろくぶんでやくしやゑまい きゅうじゅうはちぶんでさうしがさつ よん廿にじゅうならだいにしきいちまい」というくだりがあり、しばしばしょしょ引用いんようされる。なお、2まいで16ぶん役者やくしゃとは、用紙ようしもややおとほそばんことだとかんがえられる。時代じだいさかのぼったたかられきごろ(1751-61ねん)のほそばんべにすり役者やくしゃは、1まい4ぶんだったとしるされている(随筆ずいひつ塵塚ちりづかだん文化ぶんか11ねん〈1814ねんかん)が、これはべにすりわずか2,3色摺いろずりで、紙質かみしつうすぶん安価あんかだったからだとかんがえられる。

寛政かんせい7ねん(1795ねん)のまちさわでは、20ぶん以上いじょう錦絵にしきえ在庫ざいこかぎりはってよいが、あらたに制作せいさくするものは16ぶんから18ぶん制限せいげんされている(『類聚るいじゅうせんよう』)。天保てんぽう改革かいかくでは、色摺いろずりは7,8かいまで、値段ねだんは1まい16ぶん以下いか規制きせいけている。この数字すうじ採算さいさんれすらまねきかねないきびしい数字すうじだったらしく、『藤岡ふじおか日記にっき天保てんぽう14ねん〈1843ねんはる記事きじには、べに多用たようした極彩色ごくさいしょく神田かんださい錦絵にしきえれはしたが、16ぶん値段ねだんではればるほど赤字あかじになったというはなししるされている。

鈴木すずき春信はるのぶちゅうばんは、65ぶん程度ていどられ、代表だいひょうさくである「八景はっけい」は8まいぞろいできりばこれられ、かね1ふん(=ぜに1000ぶん)もした[注釈ちゅうしゃく 26]ほかにも、天保てんぽう改革かいかく風刺ふうしとの風評ふうひょうった歌川うたがわ国芳くによし大判おおばんさんまいつづけ源頼光みなもとのよりみつ公館こうかん蜘作妖怪ようかい』は、商品しょうひん回収かいしゅうのうえ、版木はんぎけずられるたが、歌川うたがわ貞秀さだひでかたぎこくは、ひそかに100ぶんられた(『藤岡ふじおか日記にっき』)り、おなじく国芳くによし大判おおばんさんまいつづけ八犬伝はっけんでんうち芳流閣ほうりゅうかく』(1840・天保てんぽう11ねん)は、1まい38ぶん、3まいぞろいで118ぶんられ、曲亭馬琴きょくていばきん割高わりだかだとかんじつつも、いろばんおお使つか通常つうじょうより手間てまがかかっているからとききおよんで、それをもとめている(馬琴ばきん日記にっき[154]

北斎ほくさい研究けんきゅう永田ながたなまが、『北斎ほくさい漫画まんが』の版元はんもとであった名古屋なごや永楽えいらくあずま四郎しろうに、値段ねだんいたところ、「当時とうじ幕末ばくまつあかりはつ)の出版しゅっぱんぶつ猛烈もうれつたかくて、普通ふつうひと簡単かんたんほんいましょうという値段ねだんではなかった」と証言しょうげんしている[155]

明治めいじになると出版しゅっぱん条例じょうれい改正かいせいによって定価ていか表示ひょうじ義務付ぎむづけられ、浮世絵うきよえ値段ねだんがわかる。そうじて1まい2せん、2まいつづけ・3まいつづけでもこれにじゅんじ、手間てまがかかるものはこの基準きじゅん価格かかくに5りんから1ぜに程度ていど割増わりまし価格かかくられている[156]

展示てんじ保存ほぞんほう

[編集へんしゅう]

現代げんだい美術館びじゅつかんでは、中性ちゅうせい厚紙あつがみ(マット)の中央ちゅうおうをくりぬき、もういちまいのマットとはさんで、保存ほぞんする。展示てんじはそれをがくそうする[157]紫外線しがいせんによる褪色たいしょくふせぐため、直射ちょくしゃ日光にっこうけ、紫外線しがいせんカットの照明しょうめい展示てんじすべきである。通年つうねん展示てんじしてはならない[158][159]

展示てんじしないときの保存ほぞん方法ほうほうとしては、がくからはずし、水平すいへいくことがのぞましく、変色へんしょくふせぐため、防虫ぼうちゅうざいはいっていないきり箪笥だんすなど、湿度しつど調整ちょうせいはこ仕舞しまうことが[160]

絵具えのぐ

[編集へんしゅう]

葛飾かつしか北斎ほくさい富嶽ふがくさんじゅうろくけい 神奈川かながわおきなみうら
さん代目だいめ歌川うたがわ広重ひろしげ新橋しんばしえき

浮世絵うきよえ版画はんがもちいられたのは、植物しょくぶつ由来ゆらい染料せんりょう鉱物こうぶつ由来ゆらい顔料がんりょうであるが、19世紀せいきになると、化学かがく染料せんりょう輸入ゆにゅう使用しようされる[161][162][163]

くろすみもちいられ、多色たしょく版画はんがでは以下いか顔料がんりょう染料せんりょうもちいられる。

赤色あかいろけい
黄色おうしょくけい
青色あおいろけい
  • 染料せんりょう
    • 露草つゆくさあお露草つゆくさ花弁はなびらしぼじる濃縮のうしゅくしたもの
    • あいあい発酵はっこうさせたもの
  • 顔料がんりょう
    • ベルリンブルー(ペルシャンブルー):ベルリンさんしお(ベロ、ベロあいとも)

などがあり、中間色ちゅうかんしょくはこれらをわせて表現ひょうげんした。

その版画はんが表現ひょうげん以下いかのものがもちいられた。

  • 雲母うんもケイ酸けいさん化合かごうぶつ背景はいけいもちいたものは雲母うんもすり(きらずり)とばれる[164]
  • 金属きんぞくきむぎんどうこなはくとして。高価こうかため商業しょうぎょうようではなく、パトロン対象たいしょうの「摺物すりもの」で使用しよう
  • 白色はくしょく顔料がんりょうは、「摺物すりもの」をのぞき、和紙わしいろかし、ほとんどもちいられなかった。

後世こうせい評価ひょうか収集しゅうしゅう

[編集へんしゅう]

葛飾かつしか北斎ほくさい富嶽ふがくさんじゅうろくけい 凱風快晴かいせい
ひだり歌川うたがわ広重ひろしげ名所めいしょ江戸えどひゃくけい おおはしあたけの夕立ゆうだち
みぎゴッホによる模写もしゃ油彩ゆさい

19世紀せいき以降いこう多量たりょう作品さくひん国外こくがいわたり、ヨーロッパの芸術げいじゅつたちに影響えいきょうあたえた。ボストン美術館びじゅつかんにはやく5まんてん[165]ヴィクトリア&アルバート博物館はくぶつかんにはやく3まん8000てん[166]だいえい博物館はくぶつかんには2まんてん[166]プーシキン美術館びじゅつかんにはやく3まんてん[よう出典しゅってん]、そのドイツ、イタリアとう欧米おうべい美術館びじゅつかん[166]大学だいがくとう教育きょういく機関きかん収蔵しゅうぞうひん個人こじんコレクションなど、海外かいがいにはおよそ50まん浮世絵うきよえ収蔵しゅうぞうされており、これは国内こくないの30まんえるとされる[167]

版木はんぎ所蔵しょぞうしている美術館びじゅつかん博物館はくぶつかん図書館としょかんなどもある。版木はんぎ使用しよう破棄はきされることがおおかったため、貴重きちょう文化ぶんか遺産いさんであり、版木はんぎ調査ちょうさ修復しゅうふく、さらに所蔵しょぞう施設しせつとの許可きょかて、りを再現さいげんする版画はんがもいる[168]

日本にっぽん主要しゅよう個人こじんコレクション

[編集へんしゅう]

国内こくないでは、大名だいみょう実業じつぎょうのコレクションがある。

日本にっぽん国外こくがいへの影響えいきょう

[編集へんしゅう]

ゴッホタンギーじいさん(1887ねんなつ)』

浮世絵うきよえがヨーロッパにもっとはやわたったれいとして、1798ねん寛政かんせい10ねん)に、カピタンらが葛飾かつしか北斎ほくさい日本人にっぽんじん男女だんじょ一生いっしょうした巻子まきこ注文ちゅうもんし、故国ここくかえったことがげられる。またシーボルト多量たりょう日本にっぽん資料しりょうかえり、1832-52ねんに『Japonica』20分冊ぶんさつ刊行かんこうするが、そこには『北斎ほくさい漫画まんが』が掲載けいさいされている[169]

1856ねんブラックモンが、日本にっぽんから輸入ゆにゅうされた陶磁器とうじきつつ使つかわれていた『北斎ほくさい漫画まんが』をまわったことで、美術家びじゅつかられるようになったとの「逸話いつわ」は、1990ねん以降いこうでは、疑問ぎもんされている[169][170]

ゴッホが『タンギーじいさん』の背景はいけい浮世絵うきよええがんだり、歌川うたがわ広重ひろしげ作品さくひん模写もしゃした。エドゥアール・マネエドガー・ドガメアリー・カサットピエール・ボナールエドゥアール・ヴュイヤールロートレックゴーギャンらにも影響えいきょうあたえた(ジャポニスム[171]

日本にっぽん美術びじゅつあつかっていたビングは、自身じしん工芸こうげい作品さくひん浮世絵うきよえ表現ひょうげんれた[172]

クロード・ドビュッシーは、葛飾かつしか北斎ほくさい神奈川かながわ沖波おきなみうら所蔵しょぞうし、どうなみ形状けいじょうを、『交響こうきょううみ』の楽譜がくふ表紙ひょうし採用さいようした[173][174][注釈ちゅうしゃく 28]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 岩佐いわさ又兵衛またべえ浮世絵うきよえちちひょうすることもある[3]
  2. ^ 肉筆にくひつ浮世絵うきよえともいう
  3. ^ 歌舞伎かぶき芝居しばいまち遊里ゆうり遊郭ゆうかく風俗ふうぞくみだ場所ばしょとされ「悪所あくしょ」とばれた[11]
  4. ^ 頴原退蔵たいぞう(1947)『江戸えど時代じだい研究けんきゅう臼井うすい書房しょぼう[17]より孫引まごびき。
  5. ^ 伊勢物語いせものがたりはち(10世紀せいき前半ぜんはん) 「ればこそいとどさくらはめでたけれうきになにかひさしかるべき」
  6. ^ そうこくへんだいじゅう』「聖人せいじんなま也天ぎょう、其死也物せい而與かげどうとくどう而與どうなみりゃく)其生わか浮、其死わかきゅう。」「聖人せいじんきているとき自然しぜんのままにふるまい、んでくときは万物ばんぶつ変化へんかのままにしたがい、しずかにしているときはかげにそのとく(もちまえ)をわせ、うごくときは変化へんかわせる、と(りゃく)そのきているときはながれのままにかぶかのように、そのんでいくときは休息きゅうそくするかのようである」[23]
  7. ^ りゅういたるぶし歌謡かよう』(1593-1611・ぶんろく2-慶長けいちょう16ねん)の「はなつきよとらせただ、ほどはないものうきは」 はかなくさだめないのだから、深刻しんこくかんがえないで、うきうきと享楽きょうらくてきにすごすべきなか
  8. ^ りゅういたるぶし歌謡かよう』(1593-1611・ぶんろく2-慶長けいちょう16ねん)の「後生ごしょうねがいひ、うきされ、朝顔あさがおはなよりいたずらを」 享楽きょうらくてき欲望よくぼうをみたしてくれる世界せかい遊里ゆうり。また、遊里ゆうりあそびに夢中むちゅうになること。浮世うきよあそび。の
  9. ^ 仮名かめい草子ぞうし・恨のかい』(1609‐1617)の「『しんなぐさみはうきばかり』とうちしげる」 男女だんじょあいだ恋愛れんあい。いろごと。情事じょうじ。また、こい好色こうしょく情事じょうじなどの対象たいしょうとなるひと
  10. ^ 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん画像がぞう検索けんさくより引用いんよう洛中らくちゅう風俗ふうぞく屏風びょうぶふね木本もくほん”. 2020ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  11. ^ 4以外いがいに、石田いしだほか(1987)[26]の3稲垣いながき(2011)[27]の5区分くぶんもある。
  12. ^ 松浦まつうらきゅうぞうなので、「まつら」と[29]
  13. ^ たから暦年れきねんあいだ(1751-64ねん)のほそばんやく33×15センチ)べにすりが1まいよんぶん程度ていどだったのにたいし、春信はるのぶちゅうばんやく29×22センチ)錦絵にしきえひゃくろくじゅうぶんだった[54][55]
  14. ^ 春信はるのぶ交流こうりゅうのあった太田おおた南畝なんぽの『半日はんにち閑話かんわ明和めいわななねんろくがつこうに「このひと一生いっしょう役者やくしゃをかかずしてうん大和やまと絵師えしなり。河原者かわらものかたちえがくにたへんやと」とある。実際じっさいは、たかられき10ねん(1760ねん以降いこうに、複数ふくすう役者やくしゃのこされている[54]
  15. ^ 20世紀せいき終盤しゅうばん立原たちはらつらぬけ(たちはら・いぬき)は、春信はるのぶらがもちいた染料せんりょう復元ふくげんし、摸刻摸摺をした[58][59]
  16. ^ やく33×15センチ[52]役者やくしゃは、興行こうぎょうてから下絵したええがき、すりするので、ちいさいはんほうはや版行はんこう出来できて、有利ゆうりである[60]
  17. ^ こえ。室町むろまち時代じだい後期こうきの、はば17センチ程度ていどぶりな絵巻物えまきもの[67]
  18. ^ 浮世絵うきよえ版画はんがたいし、幕府ばくふ批判ひはんとう問題もんだいがないか調しらべ、問題もんだいなければ捺印なついんした制度せいど[73]
  19. ^ 1813ねん文化ぶんか10ねん)に版行はんこうされ、(大正たいしょう12ねん)1923ねん関東大震災かんとうだいしんさいで、版木はんぎ焼失しょうしつするまで、100ねん以上いじょうぞくけらけた、『 風俗ふうぞく化粧けしょうでん(みやこふうぞくけわいでん)』には、「べにくちむるは、しもくちびるにはくぬり、上唇うわくちびるにはあわけべし。上下じょうげともにきは賤し(りゃくべにひからさんとするには、まず下地したじすみをぬり、そのうえべにけべし。え、べにいろあおみてひかる也(りゃくまたほうべにひからさんとするに、下地したじ行燈あんどん にたまりたる油煙ゆえんをとりて、ふでさきれたるにつけてぬり、そのうえべにけるもよしといえり」とある[81]
  20. ^ 先述せんじゅつした、歌麿うたまろ豊国とよくにの『絵本えほん太閤たいこう摘発てきはつ国芳くによしの「源頼光みなもとのよりみつ公館こうかん蜘作妖怪ようかい回収かいしゅうれい参照さんしょう
  21. ^ けんめい神奈川かながわではなく、東海道とうかいどうじゅうさんふくまれる地名ちめい当初とうしょ横浜よこはまではなく、神奈川かながわ開港かいこうされる予定よていだった。
  22. ^ 実際じっさいあらためは、地本じもと問屋とんや同士どうし自主じしゅ検閲けんえつだったので、混乱こんらんでの版行はんこう可能かのうだった[115]
  23. ^ 先述せんじゅつの「横浜よこはま」の下限かげんを1872ねんとしたのは、鉄道てつどう開通かいつうによって、時代じだい最先端さいせんたんが、横浜よこはまから東京とうきょううつったことを意味いみしている。
  24. ^ 山下やましたは『狩野かの復古ふっこ主義しゅぎ』と[127]。なお「日本にっぽん」という用語ようごは、「洋画ようが」にたいする対立たいりつ概念がいねんであり、明治めいじ20年代ねんだい登場とうじょうし、30年代ねんだい一般いっぱんにも定着ていちゃくする[128]
  25. ^ ふんぽん。狩野かのもちいられた、見習みならよう手本てほん。これをうつしてまなんだ。
  26. ^ 高橋たかはし誠一郎せいいちろう(1932)「商品しょうひんとしての浮世絵うきよえ版画はんが」『三田みた学会がっかい雑誌ざっし』32(1)。[153]より孫引まごびき。
  27. ^ 2014ねん閉館へいかんし、コレクションの行方ゆくえ公表こうひょうされていない。
  28. ^ 国立音楽大学くにたちおんがくだいがく付属ふぞく図書館としょかんレファレンス調査ちょうさでは、神奈川かながわ沖波おきなみうらが「うみ」の楽曲がっきょく自体じたい影響えいきょうあたえたとべる資料しりょういとの回答かいとうられたレファレンス協同きょうどうデータベース レファレンス事例じれい詳細しょうさい”. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん. 2022ねん9がつ25にち閲覧えつらん

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 吉田よしだ 1962, pp. 25–26.
  2. ^ 吉田よしだ 1962, pp. 51–57.
  3. ^ 吉田よしだ 1962, pp. 57–59.
  4. ^ 山口やまぐち 1995, p. 21.
  5. ^ 田辺たなべ 2011, p. 108.
  6. ^ 小林こばやし 1998, pp. 24–29.
  7. ^ 大久保おおくぼ 2013, p. 8.
  8. ^ "浮世絵うきよえ". コトバンク. ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん. 2020ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  9. ^ 小林こばやしただし. "浮世絵うきよえ". コトバンク. 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ). 2020ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  10. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 120–121長友ながとも千代治ちよじ貸本かしほん
  11. ^ 日本にっぽん生活せいかつ辞典じてん 2016, p. 6.
  12. ^ 山口やまぐち 1995, pp. 18–20.
  13. ^ 吉田よしだ 1962, pp. 26–31.
  14. ^ 稲垣いながき 1990, p. 7.
  15. ^ 田辺たなべ 2011, p. 90.
  16. ^ 神谷かみや 2014, p. 18.
  17. ^ 田辺たなべ 2016, p. 10.
  18. ^ a b c d e f g 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん. https://kotobank.jp/word/%E6%86%82%E4%B8%96%E3%83%BB%E6%B5%AE%E4%B8%96-2010051 2020ねん6がつ1にち閲覧えつらん 
  19. ^ a b “デジタル大辞泉だいじせん. https://kotobank.jp/word/%E6%B5%AE%E4%B8%96-439212#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 2020ねん6がつ2にち閲覧えつらん 
  20. ^ 語源ごげん由来ゆらい辞典じてん. https://gogen-yurai.jp/ukiyo/ 2020ねん6がつ1にち閲覧えつらん 
  21. ^ a b 学研がっけん全訳ぜんやく古語こご辞典じてん. https://kobun.weblio.jp/content/%E6%86%82%E3%81%8D%E4%B8%96 2020ねん6がつ2にち閲覧えつらん 
  22. ^ 大津おおつ 1964, p. 56.
  23. ^ 金谷かなや 1975, pp. 222–224.
  24. ^ 小学館しょうがくかん国語こくご辞典じてん編集へんしゅう 2001, p. 150.
  25. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 44–45諏訪すわ春雄はるお浮世絵うきよえ
  26. ^ 石田いしだほか 1987, pp. 61–62.
  27. ^ 稲垣いながき 2011, pp. 8-13、14-15、32-33、78、114-115.
  28. ^ つじ 2008, pp. 229–230.
  29. ^ 成瀬なるせ 2006, p. 1.
  30. ^ 婦女ふじょ遊楽ゆうらく屏風びょうぶ松浦まつうら屏風びょうぶ”. 2020ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  31. ^ つじ 2005, pp. 293–294.
  32. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 429–431河野こうの元昭もとあき風俗ふうぞく
  33. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 178–179河野こうの近世きんせい初期しょき風俗ふうぞく
  34. ^ 狩野かの 2014, pp. 243–257.
  35. ^ 佐藤さとう 1993, p. 51.
  36. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 431河野こうの元昭もとあき風俗ふうぞく
  37. ^ 田辺たなべ 2016, pp. 8–11.
  38. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 300–301武藤むとう純子じゅんこ
  39. ^ 千葉ちば美術館びじゅつかん 2016, p. 78田辺たなべ昌子まさこ杉村すぎむらおさむ兵衛ひょうえ おんなさんみやとかしわぎのゑもん 」(東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう重要じゅうよう美術びじゅつひん。 )など
  40. ^ 藤澤ふじさわ 1996, p. 129.
  41. ^ にち野原のはら 2014, pp. 189–190.
  42. ^ 千葉ちば美術館びじゅつかん 2016, p. 187.
  43. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 137–138諏訪すわ春雄はるお歌舞伎かぶき
  44. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 422武藤むとう純子じゅんこ瓢箪ひょうたんあし蚯蚓みみず描」
  45. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 409–410田辺たなべ昌子まさこはんがた
  46. ^ 武藤むとう 2016, pp. 12–15.
  47. ^ 千葉ちば美術館びじゅつかん 2016, p. 167.
  48. ^ きし 1994, pp. 1–289.
  49. ^ a b 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん 名所めいしょ誕生たんじょう. https://www.ndl.go.jp/landmarks/column/1.html 2020ねん3がつ30にち閲覧えつらん 
  50. ^ a b 大久保おおくぼ 2014, pp. 172–173.
  51. ^ 千葉ちば美術館びじゅつかん 2016, pp. 229、268-271.
  52. ^ a b 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 409–411岩崎いわさきひとしはんがた
  53. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 444田辺たなべ昌子まさこ奉書ほうしょ
  54. ^ a b 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 260藤澤ふじさわむらさき鈴木すずき晴信はるのぶ
  55. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 409岩崎いわさきひとしはんがた
  56. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 266–269浅野あさのしげるつよし摺物すりもの
  57. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 463田辺たなべ昌子まさこ水絵みずえ
  58. ^ 目黒めぐろ美術館びじゅつかん 2016, pp. 126-129、156-157.
  59. ^ 立原たちはらぬきオフィシャルホームページ”. 2020ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  60. ^ 大久保おおくぼ 2014, pp. 173–174.
  61. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 126–127内藤ないとう正人まさと勝川かちがわはるあきら
  62. ^ 雪月花せつげっか 勝川かちがわはるあきらひつ。MOA美術館びじゅつかん所蔵しょぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい”. 2020ねん4がつ3にち閲覧えつらん
  63. ^ 大久保おおくぼ 2014, pp. 226–227田辺たなべ昌子まさこ代目だいめ市川いちかわ門之助もんのすけ曽我そが五郎ごろう 勝川かちがわはるこのみ
  64. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 349–350鈴木すずき浩平こうへい鳥居とりいきよしちょう
  65. ^ 大久保おおくぼ 2014, p. 175.
  66. ^ 大久保おおくぼ 2014, pp. 228–229田辺たなべ昌子まさこ飛鳥山あすかやま花見はなみさん代目だいめ沢村さわむら宗十郎そうじゅうろう兵衛ひょうえよん代目だいめ岩井いわい半四郎はんしろう小春こはる
  67. ^ サントリー美術館びじゅつかん 2017, p. 222土屋つちや真紀まき地蔵堂じぞうどう草紙ぞうし絵巻えまき
  68. ^ えいあお文庫ぶんこ春画しゅんがてん日本にっぽん開催かいさい実行じっこう委員いいんかい 2015, pp. 322–330.
  69. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, pp. 205–208森山もりやまえつ乃「版元はんもと役割やくわりつた重三郎しげさぶろう活躍かつやく
  70. ^ 浅野あさの・クラーク 1995, pp. 47-54、65-66.
  71. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 167–169浅野あさのしげるつよし喜多川きたがわ歌麿うたまろ
  72. ^ にち野原のはら 2014, pp. 187–188.
  73. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 14佐藤さとうさとる改印かいいん
  74. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 15–16佐藤さとうさとる改印かいいん
  75. ^ a b 大久保おおくぼ 2014, p. 176.
  76. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 333浅野あさのしげるつよし東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらく
  77. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 62–63大久保おおくぼ純一じゅんいち歌川うたがわ豊国ほうこく
  78. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 11諏訪すわ春雄はるお「あだ」
  79. ^ 大久保おおくぼ 2014, p. 246田辺たなべ昌子まさこよしつや仙女せんにょといふ しおくさき… けいときえいいずみ
  80. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 186–187鈴木すずき浩平こうへいけいときえいいずみ
  81. ^ 高橋たかはし 1982, p. 179.
  82. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 169ふとしことぶきどう素子そし祇園ぎおんとく
  83. ^ 鈴木すずき 1999, pp. 13–409.
  84. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 129–131伊藤いとうめぐみ「葛飾かつしか北斎ほくさい
  85. ^ 大久保おおくぼ 2014, pp. 178–179.
  86. ^ 鈴木すずき 1999, pp. 217-218、308-313.
  87. ^ にち野原のはら 2014, p. 191.
  88. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 212市川いちかわ信也しんや魚屋さかなや栄吉えいきち
  89. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 67–68市川いちかわ信也しんや歌川うたがわ広重ひろしげ
  90. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 476–478はら信田のぶたみのる名所めいしょ江戸えどひゃくけい
  91. ^ 大久保おおくぼ 2014, pp. 179–181.
  92. ^ 画帖がじょうは、東洋文庫とうようぶんこ収蔵しゅうぞうされている財団ざいだん法人ほうじん 東洋文庫とうようぶんこ 所蔵しょぞう岩崎いわさき文庫ぶんこ江戸えどひゃくけい 歌川うたがわ廣重ひろしげ 一世いっせいせい”. 2020ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  93. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, pp. 64–65大久保おおくぼ役者やくしゃ製作せいさく舞台裏ぶたいうら
  94. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 53–54藤澤ふじさわあかね歌川うたがわ国貞くにさだ
  95. ^ 大久保おおくぼ 2014, pp. 178、255-256.
  96. ^ a b 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 59–60稲垣いながき進一しんいち歌川うたがわ国芳くによし
  97. ^ 大久保おおくぼ 2014, pp. 257–258.
  98. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, pp. 98–103大久保おおくぼ武者むしゃ物語ものがたり
  99. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 471–472岩切いわきり友里子ゆりこ武者むしゃ
  100. ^ 菊地きくちほか 1982, p. 36「くぎ
  101. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, pp. 104–105大久保おおくぼ戯画ぎが
  102. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 159–160及川おいかわしげる戯画ぎが
  103. ^ 藤澤ふじさわ 2008, pp. 42–44.
  104. ^ アウエハント 1986, pp. 24–334.
  105. ^ 宮田みやた高田たかだ 1995, pp. 5-147、182-189、221-363.
  106. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 364及川おいかわしげるなまず
  107. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, pp. 109–110大久保おおくぼ横浜よこはま
  108. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 504–505横田よこた洋一よういち横浜よこはま浮世絵うきよえ
  109. ^ かぎおか 2008, pp. 12–16.
  110. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 283–284菅原すがわら真弓まゆみだい蘇芳すおうねん
  111. ^ a b 山下やました 2013, p. 234菅原すがわら真弓まゆみ英名えいめいじゅうはちしゅう ちょくじょ権兵衛ごんべえ 稲田いなだ久兵衛きゅうべえしんすけ
  112. ^ 高知こうち県立けんりつ美術館びじゅつかん 2012, pp. 1–238.
  113. ^ 金蔵きんぞう”. 2020ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  114. ^ 松戸まつどてい歴史れきしかん静岡しずおか美術館びじゅつかん 2013, pp. 4-7、44-46、171.
  115. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 14–16佐藤さとうさとる改印かいいん
  116. ^ 兵庫ひょうご県立けんりつ近代きんだい美術館びじゅつかん神奈川かながわ県立けんりつ近代きんだい美術館びじゅつかん 1993, pp. 24-30、103-144.
  117. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, p. 110a大久保おおくぼ戦争せんそう
  118. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 276菅原すがわら真弓まゆみ戦争せんそう
  119. ^ 清水しみず 2013, p. 212.
  120. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, p. 110b大久保おおくぼ開化かいか
  121. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 55藤澤ふじさわあかね「(だい歌川うたがわこくてる
  122. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 68市川いちかわ信也しんや「(さんだい歌川うたがわ広重ひろしげ
  123. ^ ガスミュージアム・明治めいじ浮世絵うきよえ世界せかいガス燈がすとう”. 2020ねん4がつ18にち閲覧えつらん
  124. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 203–204岡本おかもと祐美ひろみ小林こばやし清親きよちか
  125. ^ 練馬ねりま区立くりつ美術館びじゅつかん静岡しずおか美術館びじゅつかん 2015, pp. 194–202.
  126. ^ 菊池きくち容斎ようさい前賢ぜんけん故実こじつまきろく』1868ねんdoi:10.11501/778242 
  127. ^ 山下やました 2013, p. 176.
  128. ^ 古田ふるた 2018, p. 85-108.
  129. ^ つじ 2005, pp. 346–350.
  130. ^ 兵庫ひょうご県立けんりつ近代きんだい美術館びじゅつかん神奈川かながわ県立けんりつ近代きんだい美術館びじゅつかん 1993, pp. 11-23、33-102.
  131. ^ 塩谷しおや 2013, pp. 185–190.
  132. ^ 鈴木すずき 2010, pp. 243-24 7.
  133. ^ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん 明治めいじ錦絵にしきえ”. 2020ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  134. ^ 鈴木すずき 2010, p. 248.
  135. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 522–523岩切いわきり信一郎しんいちろう渡辺わたなべ庄三郎しょうざぶろう
  136. ^ 山梨やまなし 1997, pp. 71–80.
  137. ^ 株式会社かぶしきがいしゃ渡邊わたなべ木版もくはん美術びじゅつ”. 2020ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  138. ^ 株式会社かぶしきがいしゃアダチ版画はんが研究所けんきゅうじょ”. 2020ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  139. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, pp. 27–110大久保おおくぼ主題しゅだいるための基礎きそ知識ちしき
  140. ^ 大学だいがく共同きょうどう利用りよう機関きかん法人ほうじん 人間にんげん文化ぶんか研究けんきゅう機構きこう 国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかん 画像がぞうデータベース”. 2020ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  141. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 227–228藤澤ふじさわあかね
  142. ^ 藤澤ふじさわあかね 2022, pp. 90–91.
  143. ^ 植松うえまつ印田いんだ 2017, pp. 6–171.
  144. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 330–331菅原すがわら真弓まゆみ東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん
  145. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 371–372菅原すがわら真弓まゆみ錦絵にしきえ新聞しんぶん
  146. ^ 中村なかむら 1990, pp. 11–134.
  147. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 109–110稲垣いながき進一しんいち「おもちゃ
  148. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 184–185岩崎いわさきひとしくみじょう燈籠とうろう
  149. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 232–233金井かない圭太郎けいたろう地本じもと問屋とんや
  150. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, pp. 177–204大久保おおくぼ純一じゅんいち制作せいさく現場げんばから」安達あだち以乍牟・小林こばやしただし浮世絵うきよえともに50ねん
  151. ^ 池田いけだ 1997, pp. 148–150.
  152. ^ 浮世絵うきよえ図鑑ずかん 2014, p. 180.
  153. ^ 小林こばやし大久保おおくぼ 1994, p. 216大久保おおくぼ錦絵にしきえ値段ねだん
  154. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 48大久保おおくぼ純一じゅんいち浮世絵うきよえ価格かかく
  155. ^ 根本こんぽん永田ながた 1990, p. 146.
  156. ^ 岩切いわきり 1998, pp. 89–118.
  157. ^ 世界せかいどうオンラインショップ-がく種類しゅるい用途ようと”. 2020ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  158. ^ 田邊たなべとうせき 1994, pp. 291-294、317-318.
  159. ^ 平成へいせい8ねん7がつ12にち文化庁ぶんかちょう長官ちょうかん裁定さいてい平成へいせい30ねん1がつ29にち改訂かいてい国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい公開こうかいかんする取扱とりあつかい要項ようこう” (PDF). 2020ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  160. ^ 田邊たなべとうせき 1994, pp. 317–318.
  161. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, pp. 86–87田辺たなべ昌子まさこ絵具えのぐ
  162. ^ 松井まつい 2012, pp. 181–183.
  163. ^ 目黒めぐろ美術館びじゅつかん 2016, pp. 156–157.
  164. ^ 藤澤ふじさわ 2008, p. 85.
  165. ^ “2008ねん10がつ07にち(火)〜11月30にち(日)にちボストン美術館びじゅつかん 浮世絵うきよえ名品めいひんてん. https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/special/2171/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8-%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5%E5%90%8D%E5%93%81%E5%B1%95/ 2020ねん3がつ29にち閲覧えつらん 
  166. ^ a b c ざい欧州おうしゅうにゅう版本はんぽん浮世絵うきよえのカタロギング”. https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-24401019/24401019seika.pdf 2020ねん4がつ26にち閲覧えつらん 
  167. ^ 立命館大学りつめいかんだいがく校友こうゆう会報かいほう p22 デジタルアーカイブで 世界せかいらばる日本にっぽん美術びじゅつひん共有きょうゆう実現じつげん. https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11447283_po_245.pdf?contentNo=1&alternativeNo= 2020ねん6がつ2にち閲覧えつらん 
  168. ^ 竹中たけなか健司けんじよみがえ世界せかい浮世絵うきよえ版木はんぎ各地かくち図書館としょかん美術館びじゅつかん調査ちょうさうみわたってふたたる◇」”. 『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん文化ぶんかめん). (2017ねん7がつ25にち). https://www.nikkei.com/article/DGKKZO19172550U7A720C1BC8000/ 
  169. ^ a b 永田ながた 1990, p. 150.
  170. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 445津田つだ卓子たかこ北斎ほくさい漫画まんが
  171. ^ Ives, Colta Feller (1974ねん). “The Great Wave The Influence of Japanese Woodcuts on French Prints The Great Wave:The Influence of Japanese Woodcuts on French Prints”. Metropolitan Museum of Art. 2020ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん
  172. ^ 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい 2008, p. 426及川おいかわしげる「ビング、ジークフリート」
  173. ^ 神谷かみや 2014, pp. 19–20.
  174. ^ 袴田はかまだ 2017, pp. 248–249.

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 井上いのうえ和雄かずお錦繪にしきえ版元はんもと」『浮世絵うきよえだい20ごう浮世絵うきよえしゃ、1917ねん11月、5-8ぺーじ 
  • 樋口ひぐちひろし幕末ばくまつ明治めいじ浮世絵うきよえ集成しゅうせいあじとう書屋しょおく、1955ねん 
  • 大津おおつゆういちこうちゅう伊勢物語いせものがたり岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1964ねん12月16にちISBN 4-00-300081-1 
  • Ouwehand, Cornelius (1964). Namazu‐E AND THEIR THEMES:An Interpretative Approach to Some Aspects ofJapanese Fork Religion. Leiden: E.J.Brill 
    • アウエハント, コルネリウス ちょ小松こまつ和彦かずひこほか やくなまず-民俗みんぞくてき想像そうぞうりょく世界せかいせりか書房しょぼう、1986ねん6がつ15にち 
  • 渡辺わたなべただしへん渡辺わたなべ庄三郎しょうざぶろう渡辺わたなべ木版もくはん美術びじゅつ舗、1974ねん1がつ 
  • 金谷かなやおさむ訳注やくちゅうそう だいさつ外篇がいへん岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1975ねん5がつ16にちISBN 4-00-332062-X 
  • 菊地きくち貞夫さだお、ほか『原色げんしょく浮世絵うきよえだい百科ひゃっか事典じてん3 様式ようしきすり版元はんもと大修館書店たいしゅうかんしょてん、1982ねん4がつ15にち 
  • 高橋たかはし雅夫まさおこうちゅう佐山さやまはんななまるちょ速水はやみ春暁しゅんぎょうとき図画ずが風俗ふうぞく化粧けしょうでん平凡社へいぼんしゃ東洋文庫とうようぶんこ〉、1982ねん10がつ8にち 
  • 石田いしだしょうゆたかほか監修かんしゅう日本にっぽん美術びじゅつ事典じてん平凡社へいぼんしゃ、1987ねん5がつ 
  • 早稲田大学わせだだいがく図書館としょかん へん幕末ばくまつ明治めいじのメディアてん新聞しんぶん錦絵にしきえ引札ひきふだ早稲田大学わせだだいがく出版しゅっぱん、1987ねん10がつISBN 978-4-6578-7024-7 
  • 中村なかむら光夫みつお編著へんちょ『よしふじども浮世絵うきよえ富士ふじ出版しゅっぱん、1990ねん6がつISBN 4-938607-30-1 
  • 稲垣いながき進一しんいちへん図説ずせつ 浮世絵うきよえ入門にゅうもん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1990ねん9がつISBN 978-4-3097-2476-8 
  • 永田ながたなま監修かんしゅう北斎ほくさい美術館びじゅつかん4 名所めいしょ集英社しゅうえいしゃ、1990ねんISBN 4-08-597004-6 
    • 根本ねもとすすむ永田ながたなま対談たいだん近代きんだい漫画まんがのルーツは北斎ほくさい」『北斎ほくさい美術館びじゅつかん4 名所めいしょ』1990ねん、141-148ぺーじ 
    • 永田ながたなま慈「西欧せいおう影響えいきょうあたえた北斎ほくさい作品さくひん」『北斎ほくさい美術館びじゅつかん4 名所めいしょ』1990ねん、149-154ぺーじ 
  • 兵庫ひょうご県立けんりつ近代きんだい美術館びじゅつかん しる神奈川かながわ県立けんりつ近代きんだい美術館びじゅつかん へんえがかれた歴史れきし-近代きんだい日本にっぽん美術びじゅつにみる伝説でんせつ神話しんわ』1993ねん9がつ18にち 
  • 佐藤さとう康宏やすひろかたる11 湯女ゆな平凡社へいぼんしゃ、1993ねん11月20にちISBN 4-582-29521-5 
  • 田邊たなべ三郎助さぶろうすけとうせきけんさん監修かんしゅう美術びじゅつ工芸こうげいひん保存ほぞん保管ほかん』フジ・テクノシステム、1994ねん3がつ10日とおかISBN 4-938555-40-9 
  • 小林こばやしただし大久保おおくぼ純一じゅんいち、ほか『浮世絵うきよえ鑑賞かんしょう基礎きそ知識ちしき至文しぶんどう、1994ねん5がつ20日はつかISBN 978-4-7843-0150-8 
  • きし文和ふみかず江戸えど遠近えんきんほう勁草書房しょぼう、1994ねん11がつ10日とおかISBN 4-326-80031-3 
  • 山梨やまなし絵美子えみこ明治めいじ洋画ようが-高橋たかはし由一ゆいち明治めいじ前期ぜんき洋画ようが至文しぶんどう日本にっぽん美術びじゅつ349〉、1995ねん6がつ15にち 
  • 宮田みやた, とう高田たかだ, まもる監修かんしゅうなまず-震災しんさい日本にっぽんぶんさとぶん出版しゅっぱん、1995ねん9がつ25にちISBN 4-947546-84-0 
  • 浅野あさの, しゅうつよし、クラーク, ティモシー編著へんちょ喜多川きたがわ歌麿うたまろ解説かいせつへん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1995ねん11月3にち 
    • 浅野あさのしげるつよし歌麿うたまろ版画はんがへんねんについて」『喜多川きたがわ歌麿うたまろ解説かいせつへん』1995ねん11月3にち、47-54ぺーじ 
    • 浅野あさのしげるつよし喜多川きたがわ歌麿うたまろ伝統でんとうてき事項じこう画業がぎょう概要がいよう」『喜多川きたがわ歌麿うたまろ解説かいせつへん』1995ねん11月3にち、65-66ぺーじ 
  • 藤澤ふじさわむらさき ちょめん遊女ゆうじょ禿かぶろすだれしたさけ二人ふたり遊女ゆうじょ」、東京とうきょう江戸えど東京とうきょう博物館はくぶつかん日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ へん錦絵にしきえ誕生たんじょう-江戸えど庶民しょみん文化ぶんか開花かいか』1996ねん2がつ20日はつか、129ぺーじ 
  • 京都きょうと国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんほか へん甲斐かいしょうくすのきおとてん日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ、1997ねん2がつ4にち 
  • 池田いけだ一郎いちろうしん特殊とくしゅ印刷いんさつへの招待しょうたいデジタル時代じだいかつかせる拡印刷いんさつ日本にっぽん印刷いんさつ新聞しんぶんしゃ、1997ねん 
  • 小林こばやしただし へん『カラーばん 浮世絵うきよえ歴史れきし美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1998ねん5がつ10日とおかISBN 978-4-568-40044-1 
  • 岩切いわきり信一郎しんいちろう明治めいじ木版もくはん盛衰せいすい」『近代きんだい日本にっぽん版画はんが諸相しょそう青木あおきしげる監修かんしゅう町田まちだ市立しりつ国際こくさい版画はんが美術館びじゅつかんへん、1998ねん12月、89-118ぺーじ 
  • 鈴木すずきしげるさんこうちゅう飯島いいじま虚心きょしんちょ葛飾かつしか北斎ほくさいでん岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1999ねん8がつISBN 4-00-335621-7 
  • 小学館しょうがくかん国語こくご辞典じてん編集へんしゅうへん日本にっぽん国語こくごだい辞典じてんだい2はん 2かん小学館しょうがくかん、2001ねん2がつISBN 4-09-521002-8 
  • 小林こばやしただし江戸えど浮世絵うきよえむ』筑摩書房ちくましょぼうちくま新書しんしょ〉、2002ねん4がつ20日はつかISBN 978-4-4800-5943-7 
  • 武藤むとう純子じゅんこ初期しょき浮世絵うきよえ歌舞伎かぶき-役者やくしゃ注目ちゅうもくして』笠間かさま書院しょいん、2005ねん2がつISBN 4-305-70287-8 
  • 小林こばやしただし監修かんしゅう浮世絵うきよえ列伝れつでん平凡社へいぼんしゃ別冊べっさつ太陽たいよう〉、2005ねん12月1にちISBN 978-4-5829-4493-8 
  • つじおもんみゆう日本にっぽん美術びじゅつ歴史れきし東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん12月9にちISBN 4-13-082086-9 
  • 大久保おおくぼ純一じゅんいち ちょ浮世絵うきよえ制作せいさく流通りゅうつう」、長岡ながおか龍作りゅうさく へん講座こうざ日本にっぽん美術びじゅつ4 造形ぞうけい東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねんISBN 978-4-13-084084-2 
  • 成瀬なるせ不二雄ふじお国宝こくほう松浦まつうら屏風びょうぶ制作せいさく年代ねんだいとその制作せいさく指導しどうしゃについて」『美術びじゅつ論集ろんしゅうだい6ごう神戸大学こうべだいがく美術びじゅつ研究けんきゅうかい、2006ねん2がつ、1-23ぺーじdoi:10.24546/81010376 
  • つじおもんみゆう岩佐いわさ又兵衛またべえ-浮世絵うきよえをつくったおとこなぞ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2008ねん4がつ20日はつかISBN 978-4-16-660629-0 
  • 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい へん浮世絵うきよえだい事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2008ねん6がつ30にちISBN 978-4-4901-0720-3 
  • かぎおかただしちょ五姓田ごせだ芳柳ほうりゅう洋風ようふう」、神奈川かながわ県立けんりつ歴史れきし博物館はくぶつかん岡山おかやま県立けんりつ美術館びじゅつかん へん五姓田ごせだのすべて』2008ねん8がつ8にち、12-16ぺーじ 
  • 藤澤ふじさわむらさきあそべる浮世絵うきよえ 体験たいけんばん江戸えど文化ぶんか入門にゅうもん東京書籍とうきょうしょせき、2008ねん9がつ10日とおかISBN 978-4-487-80262-3 
  • 大久保おおくぼ純一じゅんいち『カラーばん 浮世絵うきよえ岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ しんあかばん 1163〉、2008ねん11月20にちISBN 978-4-0043-1163-8 
  • 鈴木すずき俊幸としゆき絵草紙えぞうし 江戸えど浮世絵うきよえショップ』平凡社へいぼんしゃ、2010ねん12月15にちISBN 978-4-582-84230-2 
  • 稲垣いながき進一しんいちへん図説ずせつ浮世絵うきよえ入門にゅうもん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2011ねん2がつISBN 978-4-309-76160-2 
  • 神奈川かながわ県立けんりつ歴史れきし博物館はくぶつかん へん『ワーグマンがうみよう東西とうざいむすんだ画家がか』2011ねん6がつ11にち 
  • 田辺たなべ昌子まさこ へん徹底てってい図解ずかい 浮世絵うきよえ新星しんせい出版しゅっぱんしゃ、2011ねん12月15にちISBN 978-4-405-10701-4 
  • 松井まつい英男ひでお浮世絵うきよえ見方みかた 芸術げいじゅつせい資料しりょうせいただしく理解りかいする』まことぶんどう新光しんこうしゃ、2012ねん8がつ30にちISBN 978-4-8087-1044-6 
  • 高知こうち県立けんりつ美術館びじゅつかん監修かんしゅうきん ごくいろどりやみ』brambooks、2012ねん10がつ28にちISBN 978-4-903341-16-3 
  • 大久保おおくぼ純一じゅんいち浮世絵うきよえ出版しゅっぱんろん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2013ねん4がつ10日とおかISBN 978-4-642-07915-0 
  • 松戸まつどてい歴史れきしかん ちょ静岡しずおか美術館びじゅつかん へん没後ぼつご100ねん 徳川とくがわ慶喜よしのぶ』2013ねん10がつ5にち 
  • 山下やました裕二ゆうじ へん日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう16 激動期げきどうき美術びじゅつ小学館しょうがくかん、2013ねん10がつ30にちISBN 978-4-09-601116-4 
    • 山下やました裕二ゆうじ日本にっぽん美術びじゅつ修復しゅうふくする-幕末ばくまつ明治めいじ豊饒ほうじょう表現ひょうげんについて」『日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう16 激動期げきどうき美術びじゅつ』2013ねん、170-178ぺーじ 
    • 古田ふるたあきら「19世紀せいき日本にっぽん美術びじゅつ地殻ちかく変動へんどう」『日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう16 激動期げきどうき美術びじゅつ』2013ねん、179-184ぺーじ 
    • 塩谷しおやじゅん歴史れきしまなぶ・たのしむ-幕末ばくまつ明治めいじ視覚しかく表現ひょうげんから」『日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう16 激動期げきどうき美術びじゅつ』2013ねん、185-193ぺーじ 
    • 清水しみずしげるあつし伝統でんとうから解放かいほうされた建築けんちく」『日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう16 激動期げきどうき美術びじゅつ』2013ねん、212-213ぺーじ 
  • 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん東京とうきょう歴史れきし文化ぶんか財団ざいだんほかへんだい浮世絵うきよえてん-国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかい創立そうりつ50周年しゅうねん記念きねん東京とうきょう江戸えど東京とうきょう博物館はくぶつかん開館かいかん20周年しゅうねん記念きねん特別とくべつてん』2014ねん1がつ2にち 
  • 国際こくさい浮世絵うきよえ学会がっかいほか へんだい浮世絵うきよえてん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、2014ねん1がつ2にち 
    • 小林こばやしただし浮世絵うきよえ歴史れきしとその魅力みりょく」『だい浮世絵うきよえてん』2014ねん1がつ2にち、10-13ぺーじ 
    • 神谷かみやひろし浮世絵うきよえたのしむために」『だい浮世絵うきよえてん』2014ねん1がつ2にち、18-20ぺーじ 
  • 安村やすむら敏信としのぶ監修かんしゅう浮世絵うきよえ図鑑ずかん 江戸えど文化ぶんか万華鏡まんげきょう平凡社へいぼんしゃ別冊べっさつ太陽たいよう〉、2014ねん1がつ11にちISBN 978-4-582-92214-1 
  • 狩野かの博幸ひろゆきへん日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう12 狩野かの遊楽ゆうらく小学館しょうがくかん、2014ねん4がつ30にちISBN 978-4-09-601112-6 
  • 北澤きたざわ憲昭のりあき へん日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう17 前衛ぜんえいとモダン』小学館しょうがくかん、2014ねん6がつ30にちISBN 978-4-09-601112-6 
    • 北澤きたざわ憲昭のりあき「「表現ひょうげん」の絵画かいが」『日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう17 前衛ぜんえいとモダン』2014ねん、174-187ぺーじ 
  • 大久保おおくぼ, じゅんいちへん日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう15 浮世絵うきよえ江戸えど美術びじゅつ小学館しょうがくかん、2014ねん8がつ30にちISBN 978-4-09-601115-7 
    • 大久保おおくぼ純一じゅんいち浮世絵うきよえ興隆こうりゅう」『日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう15 浮世絵うきよえ江戸えど美術びじゅつ』2014ねん、170-181ぺーじ 
    • 北川きたがわ博子ひろこ上方かみがた浮世絵うきよえ」『日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう15 浮世絵うきよえ江戸えど美術びじゅつ』2014ねん、182-184ぺーじ 
    • 日野ひのはら健司けんじ版元はんもと-浮世絵うきよえのプロデューサーたち」『日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう15 浮世絵うきよえ江戸えど美術びじゅつ』2014ねん、185-191ぺーじ 
    • 丸山まるやま信彦のぶひこ雛形ひながたほんにみる江戸えど時代じだいのモード」『日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう15 浮世絵うきよえ江戸えど美術びじゅつ』2014ねん、192-199ぺーじ 
  • 練馬ねりま区立くりつ美術館びじゅつかん静岡しずおか美術館びじゅつかんへん小林こばやし清親きよちか 文明開化ぶんめいかいかひかりかげをみつめて』あおまぼろししゃ、2015ねん2がつISBN 978-4-86152-480-6 
    • 加藤かとう陽介ようすけ小林こばやし清親きよちか画業がぎょう」『小林こばやし清親きよちか 文明開化ぶんめいかいかひかりかげをみつめて』2015ねん2がつ、194-197ぺーじ 
    • 山本やまもとかおり瑞子みずこ浮世絵うきよえ版画はんが再生さいせい-清親きよちか評価ひょうか変遷へんせん」『小林こばやし清親きよちか 文明開化ぶんめいかいかひかりかげをみつめて』2015ねん2がつ、198-202ぺーじ 
  • 吉田よしだ洋子ようこ監修かんしゅう小林こばやし清親きよちか光線こうせん”にえがかれた郷愁きょうしゅう東京とうきょう平凡社へいぼんしゃ別冊べっさつ太陽たいよう229〉、2015ねん6がつISBN 978-4-582-92229-5 
  • えいあお文庫ぶんこ春画しゅんがてん日本にっぽん開催かいさい実行じっこう委員いいんかいへん春画しゅんがてん』2015ねん 
  • 千葉ちば美術館びじゅつかん へん初期しょき浮世絵うきよえてん-ばんちからふでちから』2016ねん1がつ9にち 
    • 田辺たなべ昌子まさこ浮世絵うきよえはいかにまれ、なぜつづいたのか-房州ぼうしゅうまれた浮世絵うきよえ 菱川ひしかわ師宣もろのぶ」『初期しょき浮世絵うきよえてん-ばんちからふでちから』、8-11ぺーじ 
    • 武藤むとう純子じゅんこ鳥居とりい役者やくしゃ奥村おくむら政信まさのぶのやつし」『初期しょき浮世絵うきよえてん-ばんちからふでちから』2016ねん、12-15ぺーじ 
  • 東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんほか へん恩地おんち孝四郎こうしろうてん』2016ねん1がつ13にち 
    • 松本まつもととおる抽象ちゅうしょうへの方途ほうと-恩地おんち孝四郎こうしろう版画はんが」『恩地おんち孝四郎こうしろうてん』2016ねん1がつ13にち、13-21ぺーじ 
  • 目黒区美術館めぐろくびじゅつかん へんいろ博物はくぶつ江戸えどいろざいる・む』2016ねん10がつ22にち 
  • 別冊べっさつ太陽たいよう編集へんしゅうへん岩佐いわさ又兵衛またべえ:浮世絵うきよえ開祖かいそえがいた奇想きそう平凡社へいぼんしゃ別冊べっさつ太陽たいよう〉、2017ねん1がつ27にち 
  • 植松うえまつ有希ゆき印田いんだ由貴子ゆきこへん長崎ながさき版画はんが異国いこく面影おもかげ Nagasaki Prints and Visions of Foreign Lands』板橋いたばし区立くりつ美術館びじゅつかん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ美術館びじゅつかん連絡れんらく協議きょうぎかい、2017ねん2がつ25にち 
  • サントリー美術館びじゅつかんへん絵巻えまきマニア列伝れつでん』2017ねん3がつ29にち 
  • 内藤ないとう正人まさと『うき浮世絵うきよえ東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2017ねん4がつ28にちISBN 978-4-13-083071-3 
  • 浅野あさのしげるつよし浮世絵うきよえ細見さいけん講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ選書せんしょメチエ〉、2017ねん8がつ10日とおかISBN 978-4-06-258660-3 
  • 袴田はかまだひろしだい ちょなみ富士ふじ」、馬渕まぶち明子あきこ監修かんしゅう へん北斎ほくさいとジャポニスム』読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ国立こくりつ西洋せいよう美術館びじゅつかん、2017ねん10がつ21にち、234-273ぺーじ 
  • 京都きょうと国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんへん岡本おかもとかみそう時代じだいてん』2017ねん11月1にち 
    • 小倉おぐら実子じっし「「岡本おかもとかみそう時代じだいてん」『岡本おかもとかみそう時代じだいてん』2017ねん11月1にち、6-11ぺーじ 
  • 古田ふるたあきら日本にっぽんとはなにだったのか』角川書店かどかわしょてん角川かどかわ選書せんしょ596〉、2018ねん1がつ26にちISBN 978-4-04-703625-3 
  • 藤澤ふじさわあかね歌舞伎かぶき江戸えどひゃくけい小学館しょうがくかん、2022ねん2がつ21にちISBN 978-4-09-682361-3 
  • 吉田よしだ暎二てるじ浮世絵うきよえ入門にゅうもん緑園みどりえん書房しょぼう、1962ねん9がつ20日はつか 
  • 山口やまぐちかつら三郎さぶろう浮世絵うきよえ歴史れきしさんいち書房しょぼう、1995ねん1がつ31にちISBN 4-380-95206-1 
  • 木村きむら茂光しげみつ安田やすだ常雄つねおはく川部かわべ達夫たつお宮瀧みやたき交二『日本にっぽん生活せいかつ辞典じてん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2016ねん11がつ10日とおかISBN 978-4-642-01476-2 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]
関連かんれん作品さくひん

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]