岡倉 天心
おかくら てんしん | |
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1863 | |
1913 | |
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ジェームス・ハミルトン・バラ アーネスト・フェノロサ | |
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人物 [編集 ]
1890
顕彰 ・記念 事業 [編集 ]
1942
1967
ニューヨークで
来歴 [編集 ]
- 1863
年 2月 14日 (文久 2年 12月26日 )、福井 藩 士 ・岡倉 覚 右 衛門 の次男 として横浜 (生誕 の地 は現在 の横浜 市 開港 記念 会館 )に生 まれる。神奈川 警備 方 を命 じられた福井 藩 は横浜 で海外 貿易 の盛 隆 を目 の当 たりにし、生糸 を扱 う貿易 商店 「石川 屋 」を1860年 に横浜 本町 5丁目 に開店 し、覚 右 衛門 を赴任 させた。店 を訪 れる外国 人 客 を通 じて岡倉 は幼少 時 より英語 に慣 れ親 しんでいった[5]。 - 1870
年 、ジェームス・ハミルトン・バラの英語 塾 へ入 る。母 を亡 くす[5]。 - 1871
年 (明治 4年 )、父親 の再婚 をきっかけに、大谷 家 に養子 に出 されるが、里親 とそりが合 わず、神奈川 宿 の長延 寺 に預 けられる。寺 の住職 から漢籍 を学 ぶ一方 、高島 嘉右衛門 が開 いた洋 学校 「高島 学校 」へ入学 [5]。 - 1873
年 (明治 6年 )、廃藩置県 による石川 屋 廃業 に伴 い、父親 が蛎 殻 町 で旅館 を始 めたため、一家 で東京 へ移転 [5]。官立 東京 外国 語 学校 (現在 の東京外国語大学 )に入学 。 - 1875
年 (明治 8年 )、東京 開成 学校 (1877年 〈明治 10年 〉に東京大学 に改編 )に入学 。漢学 の素養 の深 かった兄 ・港 一 郎 が死亡 [5]。 - 1878
年 (明治 11年 )基子 と結婚 。 - 1880
年 (明治 13年 )7月 、東京大学 文学部 卒業 。11月より文部省 に音楽 取調 掛 として勤務 。 - 1881
年 (明治 14年 )アーネスト・フェノロサと日本 美術 を調査 。長男 の一雄 誕生 [5]。 - 1882
年 (明治 15年 )、専修 学校 (現在 の専修大学 )の教官 となり、専修 学校 創立 時 の繁栄 に貢献 し、学生 達 に大 きな影響 を与 えた。 - 1884
年 (明治 17年 )6月 25日 、フェノロサとともに京阪 地方 の古 社寺 歴訪 を命 じられ、出張 中 、法隆寺 夢殿 を開 扉 、救世観音 菩薩 像 を調査 。 - 1886
年 - 1887年 (明治 19 - 20年 )、東京 美術 学校 (現在 の東京藝術大学 美術 学部 )設立 のため、フェノロサと欧米 視察 旅行 。当地 にて、日本 美術 に触発 されたアールヌーヴォー運動 の高 まりを見 て、日本 画 推進 の意 をさらに強 くする。 - 1887
年 (明治 20年 )、東京 美術 学校 幹事 。 - 1888
年 (明治 21年 )、明治 を代表 する文部 官僚 で男爵 の九鬼 隆一 は岡倉 のパトロンであったが、その妊娠 中 の妻 ・波津子 と恋 に落 ちる。波津子 は隆一 と別居 し、のち離縁 する。離縁 後 、波津子 は周蔵 を生 む。彼 は、子供 の頃 訪 ねてくる天心 を父親 と考 えたこともあったと記 している。10月、博物館 学芸 員 に任命 され、年間 300円 の手当 を得 る[6]。 - 1889
年 (明治 22年 )、日本 美術 学校 開校 。美術 雑誌 『国華 』創刊 。5月、帝国 博物館 理事 に任命 [7]。12月、大 博覧 会 美術 部 審査 官 となる[8]。 - 1890
年 (明治 23年 )、10月7日 東京 美術 学校 初代 校長 に岡倉 天心 (浜尾 新 は校長 事務 取扱 に留 まり、事実 上 の初代 校長 は岡倉 天心 [9]、副 校長 はフェノロサ)。27歳 のこの頃 が最 も活動 がさかんであった。同校 での美術 教育 が特 に有名 で、福田 眉 仙 、横山 大観 、下村 観山 、菱田 春草 、西郷 孤月 らを育 てたことで知 られる。西 黒門 町 から中根 岸 7番地 に転居 [10]。 - 1891
年 (明治 24年 )12月、シカゴ万国博覧会 の評議 員 に選 ばれ、政府 出品 物 の鳳凰 殿 の室内 装飾 と出品 物 制作 を受託 。鳳凰 殿 模型 の建築 を東京 美術 学校 で請負 い、その英文 解説 を執筆 した。[11] - 1893
年 (明治 26年 )7月 11日 、宮 内省 より清国 出張 を命 じられ、竜 門 石仏 を発見 し、12月7日 、帰国 。 - 1897
年 (明治 30年 )、『日本 帝国 美術 歴史 』の編纂 主任 になる[12]。 - 1898
年 (明治 31年 )、東京 美術 学校 を排斥 され辞職 。同時 に連帯 辞職 した大観 らを連 れ、日本 美術 院 を下谷 区 谷中 に発足 させる。 - 1901
年 - 1902年 (明治 34 - 35年 )、インド訪 遊 。タゴール、ヴィヴェーカーナンダ等 と交流 する。 - 1902
年 -来日 したビゲローと交歓 [13]。 - 1903
年 (明治 36年 )、ロンドンのジョンマレー社 より"The Ideals of the East with Especial Reference to the Art of Japan"刊行 。そののち、1922年 (大正 11年 )に日本 美術 院 より刊行 の『天心 全集 』で初 めて訳出 されたあと[14]、1942年 の「東邦 の理想 [15]」(村岡 博 訳 )をはじめ、逆 輸入 というかたちで続々 と翻訳 紹介 が始 まる。 - 1904
年 (明治 37年 )、ビゲローの紹介 でボストン美術館 中国 ・日本 美術 部 に迎 えられる[注釈 1]。この後 は館 の美術 品 を集 めるため日本 とボストン市 を往復 することが多 くなり、それ以外 の期間 は茨城 県 五 浦 (いづら)のアトリエにいることが多 くなり表立 った活動 は少 なくなった[注釈 2]。 - 1905
年 (明治 38年 )、9月渡米 [16]。 - 1906
年 (明治 39年 )、美術 院 の拠点 を茨城 県 五 浦 に移 す。この団体 は岡倉 の活動 が鈍 るにつれて活動 も減少 するが岡倉 の没後 、大観 らによって再興 された。 - 1907
年 (明治 40年 )、三 回 目 のボストン美術館 勤務 のため渡米 [5]。正 五 位 勲 六 等 に叙 され、8月 に美術 審査 委員 会 委員 に就任 [17]。10月、文部省 公設 展覧 会 の出品 締 め切 りに遅 れた画家 ・高橋 廣 湖 のために会場 の一部 を私費 で借 りて展覧 会 を開催 [18]。 - 1910
年 (明治 43年 )、ボストン美術館 理事 長 のエドワード・ホームズ(Edward Jackson "Ned" Holmes[19]。日本 美術 愛好 家 で妻 は日本人 [5])の支援 でボストン美術館 に東洋 部 を設 けることになり、ヨーロッパの美術館 東洋 部 の視察 ののち[5]、ボストン美術館 中国 ・日本 美術 部長 に就任 。 - 1911
年 (明治 44年 )、9月帰国 [20]。 - 1912
年 (明治 45年 )、文展 審査 委員 就任 [21]。 - 1913
年 (大正 2年 )、ボストンに歌劇 場 ができることを聞 き、葛 の葉 を題材 としたオペラ「白狐 」を書 き、アメリカでの支援 者 のひとりであるイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館 のガードナー夫人 に贈 る。その作曲 は親交 のあったチャールズ・マーティン・レフラーに委 ねられたが、作曲 の筆 が遅 く、結局 完成 されなかったため、岡倉 とレフラーの関係 は気 まずい状態 となった。その後 、自 らの死 が近 いことを感 じ、妻 ・基子 の隠居 所 を東京 ・田端 に建設 、妻 の反対 で延 びていた長男 ・一雄 の結婚 披露宴 を開 く。若 い画家 たちの支援 のために原 富太郎 (三溪 )とともに「観山 会 」を組織 [5]。9月2日 、静養 に訪 れていた新潟 県 赤倉 温泉 の自身 の山荘 にて50歳 で永眠 した。慢性 腎 炎 に尿毒症 を併発 していたとされる[22]。同日 、従 四 位 ・勲 五 等 双 光 旭日 章 を贈 られる。戒名 は釈 天心 [23]。墓所 は豊島 区 駒込 の染井 墓地 。遺言 により分骨 され五 浦 にも岡倉 の墓 がある。 - 1931
年 12月6日 、東京 美術 学校 (現 :東京芸術大学 美術 学部 )前庭 で、平 櫛 田中 作 「岡倉 天心 像 」の除幕 式 [24]が行 われた。
栄典 ・授章 ・授賞 [編集 ]
位階
家族 [編集 ]
逸話 [編集 ]
- 1903
年 (明治 36年 )、岡倉 はアメリカのボストン美術館 からの招聘 を受 け、横山 大観 、菱田 春草 らの弟子 を伴 って渡米 した。羽織 ・袴 で、一 行 が街 の中 を闊歩 していた際 に、1人 の若 いアメリカ人 から冷 やかし半分 の声 をかけられた。「おまえたちは何 ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言 われた岡倉 は「我々 は日本 の紳士 だ、あんたこそ何 キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と陽気 な英語 でい返 した。
- <
原文 >- What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?
- We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey? [40]
岡倉 の残 したメモの中 に「第 一 ・四 十 歳 にて九鬼 内閣 の文部 大臣 となる、第 二 ・五 十 にして貨殖 に志 す、第 三 ・五 十 五 にして寂 す」と将来 設計 を記 したものがあり、当時 文部 官僚 だった九鬼 隆一 [41]との密接 な関係 がうかがえる。当初 は岡倉 を引 き立 てた上司 である文部 官僚 の九鬼 隆一 男爵 の妻 ・波津子 (九鬼 周造 の母 )との接近 について彼 の更迭 との関連 も噂 され、一部 で好奇 の対象 となった。(美術 学校 騒動 )岡倉 は、1892年 5月 東京 専門 学校 (後 の早稲田大学 )に特別 科 外 講師 (東洋 美術 史 )として参加 しており、そこで大隈 重信 と知 り合 い、日本 美術 院 の後援 者 となってもらった。後 の早稲田 の美術 研究 も天心 の影響 が大 きい。岡倉 は黒川 真頼 に依頼 して、東京 美術 学校 の開設 時 の制服 を[42]、明治 23年 (1890年 )に制定 された裁判所 で用 いる法服 [43][44]を考案 した。これらの制服 は、聖徳太子 像 より考証 した古代 官服 風 の冠 と闕腋袍 から成 っており、当時 としても異様 なものであった[45]。そのため、黒川 が裁判所 に事件 の証人 として召喚 された際 には、廷丁 に判事 と間違 えられたという逸話 もある[46]。
著作 (原文 )[編集 ]
- 『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』 1903
年 ジョン・マレー書店 (ロンドン)『東洋 の理想 』[15] - 『The Awakening of Japan』 1904
年 センチュリー会社 (ニューヨーク)及 びジョン・マレー社 (ロンドン)『日本 の目覚 め』 - 『The Book of Tea』 1906
年 フォックス・ダフィールド社 (ニューヨーク)『茶 の本 』対 訳本 は、講談社 インターナショナルと、「対訳 ニッポン双書 茶 の本 」IBCパブリッシングほか。
- 『The Awakening of the East』 1902
年 稿 『東洋 の目覚 め』当時 未 公開
著作 (新版 )[編集 ]
- 『
岡倉 天心 全集 』平凡社 (全 8巻 別巻 1)、1979 - 1981年 。別巻 は年譜 ・資料 、書簡 補遺 - 『
東洋 の理想 他 』、「日本 の覚醒 」「東洋 の覚醒 」を併 せて収録 - 『
日本 美術 史 』平凡社 ライブラリー、2001年 。以上 は、平凡社 「全集 」からの単行 判 - 『
東洋 の理想 』講談社 学術 文庫 、1986年 。冨 原 芳 彰 訳 (巻末 に記載 、旧版 ・ぺりかん社 ) - 『
新訳 東洋 の理想 岡倉 天心 の美術 思想 』古田 亮 ・芹生 春奈 訳 ・解説 、平凡社 、2022年 - 『
日本 の覚醒 英文 収録 』夏野 広 訳 、講談社 学術 文庫 、2014年 (新版 ) - 『
日本 の目覚 め』村岡 博 訳 、土曜 社 文庫 判 、2017年 (新版 ) - 『
茶 の本 』村岡 博 [47]訳 、岩波 文庫 、改版 2007年 、ワイド版 2008年 - 『
内村 鑑三 岡倉 天心 近代 浪漫 派 文庫 4』新学社 、2004年 。浅野 晃 訳 「東洋 の理想 」 - 『
岡倉 天心 コレクション茶 の本 』 ちくま学芸 文庫 、2012年 。解説 佐藤 正英
親族 による回想 ・評伝 [編集 ]
岡倉 一雄 『父 岡倉 天心 』中央公論社 、1971年 /岩波 現代 文庫 、2013年 、解説 酒井 忠康 。初刊 は1940年 - 『
岡倉 天心 をめぐる人 びと』復刻 版 ・中村 愿 校 註、五 浦 美術 叢書 ・中央公論 美術 出版 、1998年 。解説 岡倉 古志 郎
- 『
岡倉 古志 郎 『祖父 岡倉 天心 』五 浦 美術 叢書 ・中央公論 美術 出版 、1999年 岡倉 登志 『世界 史 の中 の日本 岡倉 天心 とその時代 』明石書店 、2006年 岡倉 登志 『曾祖父 覚三 岡倉 天心 の実像 』宮 帯 出版 社 、2013年 岡倉 登志 『岡倉 天心 の旅路 』新 典 社 、2022年 岡倉 登志 ・岡本 佳子 ・宮瀧 交二 『岡倉 天心 思想 と行動 』吉川弘文館 、2013年
伝記 ・研究 [編集 ]
- 『
岡倉 天心 人 と思想 』橋川 文三 編 、平凡社 、1982年 宮川 寅雄 『岡倉 天心 』東京大学 出版 会 「日本 美術 史 叢書 」、1956年 (新装 版 刊 )斎藤 隆三 『岡倉 天心 』吉川弘文館 〈人物 叢書 〉、1960年 (新装 版 刊 )清見 陸郎 『天心 岡倉 覚三 』中央公論 美術 出版 、1980年 。オンデマンド版 2005年 大岡 信 『岡倉 天心 』朝日新聞 社 「朝日 評伝 選 」、1975年 /朝日 選書 、1985年 大久保 喬 樹 『岡倉 天心 驚異 的 な光 に満 ちた空虚 』小沢 書店 、1987年 。第 1回 和 辻 哲郎 文化 賞 受賞 大原 富枝 『ベンガルの憂愁 岡倉 天心 とインド女流 詩人 』福武書店 、1986年 /ウェッジ文庫 2008年 - 『
宝石 の声 なる人 に プリヤンバダ・デーヴィーと岡倉 覚三 愛 の手紙 』大岡 信 ・大岡 玲 編 訳 、平凡社 ライブラリー(新版 )、1997年 大野 芳 『白狐 岡倉 天心 ・愛 の彷徨 』講談社 、1994年 木下 長 宏 『岡倉 天心 』ミネル ヴァ書房 〈日本 評伝 選 〉、2005年 - ワタリウム
美術館 編集 『岡倉 天心 日本 文化 と世界 戦略 』平凡社 、2005年 清水 多吉 『岡倉 天心 美 と裏切 り』中央公論 新 社 〈中公叢書 〉、2013年 - 『いま
天心 を語 る創立 120年 記念 シンポジウム』東京藝術大学 出版 会 、2010年 。岡倉 天心 展 実行 委員 会 編 吉田 千鶴子 『〈日本 美術 〉の発見 岡倉 天心 がめざしたもの』吉川弘文館 〈歴史 文化 ライブラリー〉、2011年 森田 義之 ・小泉 晋 弥 編 『岡倉 天心 と五 浦 』中央公論 美術 出版 、1998年 、増 訂 版 2021年 - 『
岡倉 天心 アルバム』「五 浦 美術 叢書 」中央公論 美術 出版 、2000年 、増 訂 版 2013年 。茨城 大学 五 浦 美術 文化 研究所 監修 ・中村 愿 編 若松 英輔 『岡倉 天心 『茶 の本 』を読 む』岩波 現代 文庫 、2013年 清水 恵美子 『洋々 無限 岡倉 天心 ・覚三 と由三郎 』里 文 出版 、2017年 - 『
岡倉 天心 『茶 の本 』の研究 』熊倉 功夫 ・関 剣 平 編 、世界 茶 文化 学術 研究 叢書 Ⅳ:宮 帯 出版 社 、2020年 - マンガふるさとの
偉人 「五 浦 から世界 へ岡倉 天心 」
岡倉 天心 を主題 とする作品 [編集 ]
テレビドラマ[編集 ]
- 『
脱兎 のごとく岡倉 天心 』(1985年 5月 6日 放送 、NHK)出演 :山 﨑努
映画 [編集 ]
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^ アメリカでの
教 え子 の1人 に、ラングドン・ウォーナーがいる。 - ^ アトリエの
跡地 は現在 、茨城大学 五 浦 美術 文化 研究所 となっている(「五 浦 海岸 」の項 参照 )。
出典 [編集 ]
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岩波 文庫 ・村岡 博 訳 は岡倉 覚三 表記 、他 に旧 仮名 で『東邦 の理想 』『日本 の目覚 め』がある。 - ^ NHK
教育 放送 テキスト『100分 de名著 岡倉 天心 茶 の本 』NHK出版 、2016年 がある。
参考 文献 [編集 ]
関連 項目 [編集 ]
五 浦 海岸 六角 堂 (北茨城 市 )茨城 県 天心 記念 五 浦 美術館 九州 国立 博物館 茶道 東洋 的 浪漫 主義 鎌倉 芳太郎 –首 里 城 の廃 城 を食 い止 めた
外部 リンク[編集 ]
茨城大学 五 浦 美術 文化 研究所 茨城 県 天心 記念 五 浦 美術館 岡倉 天心 と五 浦 の地 岡倉 天心 :作家 別 作品 リスト -青空 文庫 岡倉 覚三 :作家 別 作品 リスト -青空 文庫 天心 全集 日本 美術 院 、1922年 (近代 デジタルライブラリー)岡倉 天心 の作品 (インターフェイスは英語 )- プロジェクト・グーテンベルク映画 『天心 』予告編 - YouTube第 9章 芸術 家 | あの人 の直筆 -国立 国会図書館 - 『
岡倉 天心 』 - コトバンク 岡倉 天心 (村岡 博 訳 )「東洋 の理想 (原題 :東邦 の理想 」 - ARCHIVE
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