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くず

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
絵本えほんひゃく物語ものがたり』にえがかれたくず

くず(くずのは)は、室町むろまち時代ときよつくられた安倍晴明あべのせいめい出生しゅっしょう説話せつわ登場とうじょう人物じんぶつ[1][2][3][4][5][6][7]キツネであり、安倍晴明あべのせいめいははとされる。くずきつね(くずのはぎつね)、信太しだつま信田のぶたつま(しのだづま)ともいうが、この人物じんぶつに“くず”とがつけられるのは1699ねん歌舞伎かぶき『しのだづま』以降いこうのことである。[8][9][10][11]その正体しょうたい吉備真備きびのまきびまれわり[12]とう碁打ごうち“げんひがし”のつま隆昌りゅうしょうおんな”のまれわり[13]稲荷いなり大明神だいみょうじん宇迦たましいしん)のだいいちかみ使[よう出典しゅってん]ひとし作品さくひんによって様々さまざまである。またくずをヒロインとする人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりおよび歌舞伎かぶきの『あし道満どうまん大内おおうちあきら(あしやどうまん おおうち かがみ)』も通称つうしょうくず」としてられる。

説話せつわ概要がいよう

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説話せつわ内容ないよう作品さくひんによって多少たしょうことなるが、おおむね以下いかのとおりである。[12]

月岡つきおか芳年よしとし新形しんがたさんじゅうろくかいせん』より「くずきつね童子どうじにわかるるの」。童子丸どうじまる安倍晴明あべのせいめい)にわかれをげるかずらと、ははにすがる童子丸どうじまる姿すがたえがいたもの。

村上むらかみ天皇てんのう時代じだい(946ねん-967ねん)、河内かわうちこくのひと石川いしかわあくみぎ衛門えもんつま病気びょうきをなおすため、あにあし道満どうまんうらないによって、和泉いずみこく和泉いずみぐん信太しだもり現在げんざい大阪おおさか和泉いずみ)にき、きつねぎもようとする。摂津せっつこく東生とうせいぐん安倍あべ現在げんざい大阪おおさか大阪おおさか阿倍野あべの)にんでいた安部あべたもつめい信太しだ明神みょうじんおとずれたさいあくみぎ衛門えもんひきいる狩人かりゅうどわれていたきつねたすけてやるが、そのさいにけがをしてあくみぎ衛門えもんつかまりころされそうになる。そこにあくみぎ衛門えもん檀家だんかをしている和尚おしょうがやってきて殺生せっしょうとがめいたすける。この和尚おしょう正体しょうたいきつねであり、もと姿すがたになってっていった。その女性じょせいがやってきて、めい自分じぶんいえまで案内あんないする。(めいちち郡司ぐんじあくみぎ衛門えもんあらそってたれたが、めいあくみぎ衛門えもんった。)いつしかにん結婚けっこんして童子丸どうじまるという子供こどもをもうける。(のちの安部あべ清明きよあきである。)童子丸どうじまるが7さいのとき、つま正体しょうたいめいたすけられたきつねであることがれてしまう。すべては稲荷いなり大明神だいみょうじん(宇迦たましいしん)のおおせであること告白こくはくし 、 さらにつぎいちしゅのこしてってゆく。

こいしくばたず和泉いずみなる信太しだもりのうらみくず

途中とちゅう童子丸どうじまるははきつねわなかれ衣装いしょうててきつね姿すがたになりながらも、信太しだもりへとかえっていった。

めいきから、きつね恩返おんがえのためにていたことをり、童子丸どうじまるとともに信太しだもりき、姿すがたをあらわしたつまから黄金おうごんはこ水晶すいしょうたまわかれる。すうねん童子丸どうじまるはれあきら改名かいめいし、天文てんもんどうおさめた。そして母親ははおやのこたからちから天皇てんのう病気びょうきなおしたので、陰陽いんようあたまにんぜられ、またその清明せいめいぶしだったので晴明せいめいの「はれ」のあらためて安部あべ清明きよあき名乗なのるよう綸旨りんじくだる。しかし、あし道満どうまんに讒奏され、うらないのちからくらべをすることになり、結局けっきょくこれをかして、道満どうまんころされたちちめいかえらせ、朝廷ちょうていうったえたので、道満どうまんくびをはねられ、清明せいめい天文てんもん博士はかせとなった。

説話せつわ背景はいけい

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舞台ぶたいとなった信太しだ明神みょうじん
信太しだ明神みょうじんいし灯篭どうろう。「南王子みなみおうじむら」としるされている。

くず伝承でんしょうは、差別さべつみん階級かいきゅうひとつである声聞しょうもん民間みんかん下級かきゅう陰陽いんよう)たちがみだしたものだとかんがえられている。[14][4]かれらは晴明せいめい名声めいせい利用りようして自分じぶんたちの生業せいぎょうをより効率こうりつよくいとなむための手段しゅだんにしていた。また、みずからの存在そんざいの賤からひじりせいへの逆転ぎゃくてん企図きとしたとされる。[15][16][17][5]社会しゃかいひと婚姻こんいんすることがゆるされなかった声聞しょうもんたちおもいが、素性すじょう露見ろけんしたことによってあいするおっと子供こどもとわかれなければならない信太しだつま伝説でんせつには具象ぐしょうされているという。[18][2][19]

信太しだもりのすぐそばにあり日本にっぽん有数ゆうすう差別さべつ部落ぶらくであったきゅう南王子みなみおうじむらは、説話せつわちゅう登場とうじょうする信太しだ明神みょうじん境内けいだい居住きょじゅうしていたしょみん起源きげんであり、[20][21]また、きゅう南王子みなみおうじむらには声聞しょうもん呼称こしょうである太夫たゆう名乗なのもの何人なんにんもいた。[22]このんでいた遊芸ゆうげいみん陰陽いんようたちのカタリによって、この物語ものがたり構想こうそうはしだいにふくらませられていき、安倍晴明あべのせいめいむすけられていったというせつがある。[2][23][24]

稀代きたい陰陽いんようとしての伝説でんせつ安倍晴明あべのせいめいが、人間にんげんちちきつねははあいだまれたという異類いるい婚姻こんいんたん初出しょしゅつは、中世ちゅうせい末期まっき成立せいりつした『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』という陰陽いんようどうほん注釈ちゅうしゃくしょ『簠簋しょう』である[25]信太しだつま伝説でんせつ晴明せいめい伝説でんせつ膨張ぼうちょうした室町むろまち時代じだい中期ちゅうき成立せいりつし、近世きんせい初期しょきにはおおくのるいばなし仮名かめい草子ぞうし集成しゅうせいされた。

民間みんかん陰陽いんようかたった系統けいとう信太しだつまでは、和泉いずみ王子おうじまちにあるせい神社じんじゃまつ信太しだ明神みょうじんとの関連かんれん強調きょうちょうしている[25]信太しだ明神みょうじん元々もともとせいかみというきつね使役しえきするかみであり、しゃでんによれば675ねん白鳳はくほう3ねん)に渡来とらいじん信太しだくび勅願ちょくがんによってまつられたこと縁起えんぎしている。平安へいあん時代じだい末期まっきには信太しだもりにちなんで信太しだ明神みょうじんばれるようになった。近世きんせい初期しょき文献ぶんけんからは、信太しだつま伝説でんせつ発生はっせいする以前いぜんから信太しだもりには古狐ふるぎつねむという伝承でんしょうがあったとかんがえられ[25]諏訪すわ春雄はるおは、民間みんかん陰陽いんよう自分じぶんたちの祖師そしともえる安倍晴明あべのせいめい出自しゅつじを、渡来とらいけいかみである信太しだ明神みょうじん稲荷いなり信仰しんこう関連付かんれんづける過程かてい異類いるい婚姻こんいんたんまれたとべている[25]

信田のぶたつま安倍晴明あべのせいめい説話せつわ狂言きょうげん『こんくわい』(つりきつね)が結合けつごうし、仮名かめい草子ぞうしづるのさうし』(つる女房にょうぼう)が転用てんようされたものとかんがえられている。[26][27]

1700ねん出版しゅっぱん和泉いずみこく地誌ちし泉州せんしゅうこころざし』では「安倍晴明あべのせいめいはは信太しだもりきつねだとするのはかいせつだ」という内容ないよう記載きさいされているが、[28]のちに『しのたづま つりぎつねづけあべノ清明せいめい出生しゅっしょうとうでの「信太しだ明神みょうじん」が「信太しだもり葛葉くずは稲荷いなり」にえられて引用いんようされ、信太しだもり葛葉くずは稲荷いなり神社じんじゃ泉州せんしゅう信太しだもり葛葉くずは稲荷いなり由緒ゆいしょ」の「くず物語ものがたり」の縁起えんぎとしてかたられるようになった。[29][30]現在げんざいせい神社じんじゃの「史的してき伝説でんせつ阿倍あべたもつめい由来ゆらい」、信太しだもり葛葉くずは稲荷いなり神社じんじゃの「くず物語ものがたり」は、近代きんだい明治めいじ江戸えどしゃ祭神さいじん見直みなおしにともなって、しゃ由来ゆらい伝承でんしょう霊験れいけん整理せいり選択せんたくして作成さくせいされ、参詣さんけいしゃきょうされたとかんがえられる。[31]

くず題材だいざいとする作品さくひん

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安倍晴明あべのせいめい主人公しゅじんこうとする作品さくひんには、くずれているものもある。安倍晴明あべのせいめい登場とうじょうする作品さくひん参照さんしょう

備考びこう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 藤巻ふじまき一保かずやす 2000, p. 68.
  2. ^ a b c 諏訪すわ春雄はるお 2000, pp. 149–187.
  3. ^ 武田たけだ比呂ひろおとこ 2002, p. 101.
  4. ^ a b 沖浦おきうら和光かずみつ 2004, p. 55.
  5. ^ a b 水澤みずさわりゅうじゅ 2011, p. 228.
  6. ^ 長谷川はせがわやすしだか; 長谷川はせがわひろしだか 2011, pp. 37–38.
  7. ^ 斎藤さいとう英喜ひでき 2014, p. 93.
  8. ^ 渡辺わたなべまもるくに 1989, p. 149.
  9. ^ 武田たけだ比呂ひろおとこ 2000, p. 115.
  10. ^ 信太しだもり鏡池かがみいけ史跡しせき公園こうえん協力きょうりょくかい研究けんきゅうグループ 2017, p. 101.
  11. ^ なお、晴明せいめいちちに“やすな”とがつけられるのは『安倍晴明あべのせいめい物語ものがたり以降いこうのことである。
  12. ^ a b 横山よこやましげる へん「しのたづま つりぎつねづけあべノ清明せいめい出生しゅっしょう」『浄瑠璃じょうるり正本しょうほんしゅうだいよん角川書店かどかわしょてん、1965ねんNCID BN00500916全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:58014087 
  13. ^ ちかいほまれ泉州せんしゅう信田しのだ白狐びゃっこでん、1757ねん 
  14. ^ 豊嶋とよしまやすしこく 1999, p. 141.
  15. ^ 豊嶋とよしまやすしこく 1999, p. 152.
  16. ^ 武田たけだ比呂ひろおとこ 2000, pp. 119–120.
  17. ^ 斎藤さいとう英喜ひでき 2004, p. 277.
  18. ^ 盛田もりた嘉徳よしのり 1974, pp. 238–239.
  19. ^ 沖浦おきうら和光かずみつ 2004, p. 74.
  20. ^ 和泉いずみ編纂へんさん委員いいんかい 1968, p. 85.
  21. ^ 盛田もりた嘉徳よしのり 1974, p. 237.
  22. ^ 奥田おくだ文書ぶんしょ研究けんきゅうかい 1972.
  23. ^ 和泉いずみ市立しりつ人権じんけん文化ぶんかセンター 2004, p. 52.
  24. ^ 沖浦おきうら和光かずみつ 2004, p. 64.
  25. ^ a b c d 諏訪すわ春雄はるお霊魂れいこん文化ぶんかつとむまこと出版しゅっぱん 2010 ISBN 978-4-585-23002-1 pp.94-99.
  26. ^ 若月わかつき保治やすじ 1944, p. 445.
  27. ^ 秋庭あきばたかし 1986.
  28. ^ 石橋いしばししんみぎ衛門えもん 1700.
  29. ^ 粂稔 1985, p. 703.
  30. ^ 中塚なかつかたかしきよし 1987, p. 235.
  31. ^ 信太しだもり鏡池かがみいけ史跡しせき公園こうえん協力きょうりょくかい研究けんきゅうグループ 2017, p. 103.
  32. ^ オペラ白狐びゃっこについて妙高みょうこう文化ぶんかホール、2013ねん12月1にち
  33. ^ 木下きのしたサーカスプログラム
  34. ^ 岡田おかだあきらちょ『たべもの起源きげん事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん p.212・p.126 2003ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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