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横浜よこはま開港かいこう記念きねん会館かいかん

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横浜よこはま開港かいこう記念きねん会館かいかん
情報じょうほう
きゅう名称めいしょう 開港かいこう記念きねん横浜よこはま会館かいかん
建築けんちくぬし 横浜よこはま
管理かんり運営うんえい 横浜よこはま
構造こうぞう形式けいしき 煉瓦れんがみやつこ一部いちぶRC、SRCづくり
建築けんちく面積めんせき 1,520 m²
のべゆか面積めんせき 4,426 m²
階数かいすう 地上ちじょう2かいけん+塔屋とうや5かいけん地下ちか1かいけん
たか 36m
着工ちゃっこう 1914ねん
竣工しゅんこう 1917ねん6月30にち
開館かいかん開所かいしょ 1917ねん7がつ1にち
改築かいちく 1927ねん復元ふくげん建築けんちく
所在地しょざいち 231-0005
神奈川かながわけん横浜よこはまちゅう本町ほんまち1丁目ちょうめ6
座標ざひょう 北緯ほくい3526ふん51.5328びょう 東経とうけい13938ふん28.8924びょう / 北緯ほくい35.447648000 東経とうけい139.641359000 / 35.447648000; 139.641359000 (横浜よこはま開港かいこう記念きねん会館かいかん)座標ざひょう: 北緯ほくい3526ふん51.5328びょう 東経とうけい13938ふん28.8924びょう / 北緯ほくい35.447648000 東経とうけい139.641359000 / 35.447648000; 139.641359000 (横浜よこはま開港かいこう記念きねん会館かいかん)
文化財ぶんかざい 重要じゅうよう文化財ぶんかざい
指定してい登録とうろくとう 1989ねん9月2にち
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入口いりくち
きた入口いりくち
時計とけいとう
南側みなみがわ

横浜よこはま開港かいこう記念きねん会館かいかん(よこはましかいこうきねんかいかん)は、神奈川かながわけん横浜よこはまちゅう関内かんない地区ちくにある歴史れきしてき建造けんぞうぶつくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい

概要がいよう[編集へんしゅう]

1909ねん明治めいじ42ねん)の横浜よこはまこう開港かいこう50周年しゅうねん記念きねん事業じぎょうとして、1913ねん大正たいしょう2ねん)に計画けいかくされ翌年よくねん着工ちゃっこう1917ねん大正たいしょう6ねん)に完成かんせいした。関東大震災かんとうだいしんさい全焼ぜんしょうしたが、1927ねん昭和しょうわ2ねん)に初期しょき建築けんちく復元ふくげんした状態じょうたい再建さいけんされた。昭和しょうわ2ねん再建さいけんはぶかれたドーム1989ねん平成へいせい元年がんねん)に再建さいけんされると同時どうじに、くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた。

現在げんざい横浜よこはまなか公会堂こうかいどうとして利用りようされている。

大阪おおさか中之島なかのしま公会堂こうかいどうなどとならび、大正たいしょう公会堂こうかいどう建築けんちくなかでは有名ゆうめい建築けんちくぶつひとつである。設計せっけい原案げんあんならびに基本きほん構造こうぞう設計せっけい福田ふくだ重義しげよし山田やまだ七五郎しちごろうおこなった。建築けんちく当初とうしょ建築けんちく様式ようしきは、辰野たつのしきフリークラシックとばれる様式ようしきで、関東大震災かんとうだいしんさい構造こうぞう補強ほきょうほどこされ、いわゆる復興ふっこうデザインがくわえられた。

時計とけいとうたかさはやく36mで、「ジャックのとう」の愛称あいしょうしたしまれており。神奈川かながわ県庁けんちょう本庁ほんちょうしゃ(キングのとう)、横浜よこはま税関ぜいかん本関ほんせき庁舎ちょうしゃ(クイーンのとう)とともに「横浜よこはまさんとう」のひとつにかぞえられる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

  • 1909ねん明治めいじ42ねん):横浜よこはまこう開港かいこう50周年しゅうねんさいにおいて開港かいこう記念きねん会館かいかん本町ほんちょういち丁目ちょうめ建設けんせつすることがまる。建設けんせつにあたっては有志ゆうしから寄付きふきん50まんえんつのることとした[1]
  • 1913ねん大正たいしょう 2ねん):2がつ建築けんちく用地ようち坪数つぼすう確定かくてい設計せっけいあんのコンペが実施じっしされ、9月23にち審査しんさ委員いいん総会そうかい結果けっか、100てん応募おうぼ図案ずあんなかから1とう福田ふくだ重義しげよし、2とう西村にしむらよしみとき、3とう藤村ふじむらあきら図案ずあん当選とうせんした[1]
  • 1914ねん大正たいしょう 3ねん):9月12にち起工きこう[2]
  • 1916ねん大正たいしょう 5ねん):5月15にち上棟じょうとうしき[2]
  • 1917ねん大正たいしょう 6ねん):6月30にち竣工しゅんこう、7がつ1にち開港かいこう記念きねん横浜よこはま会館かいかん名称めいしょう開館かいかん[2]開館かいかんしきには大隈おおくま重信しげのぶ徳川とくがわ家達いえさと臨席りんせきした[1]
  • 1923ねん大正たいしょう12ねん):関東大震災かんとうだいしんさいにより倒壊とうかい時計とけいとうかべたい一部いちぶのみが、かろうじて残存ざんそんした。
  • 1927ねん昭和しょうわ 2ねん):震災しんさい復旧ふっきゅう工事こうじ竣工しゅんこう。ただしドーム屋根やね復元ふくげんされなかった。
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん):太平洋戦争たいへいようせんそう終戦しゅうせん連合れんごうこく進駐軍しんちゅうぐんにより接収せっしゅうされる。進駐軍しんちゅうぐん兵站へいたん司令しれい (Logistic Command) として使つかわれた。通称つうしょうめいは「メモリアルホール」
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん):接収せっしゅう解除かいじょ
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん):横浜よこはま開港かいこう記念きねん会館かいかん名称めいしょう変更へんこう
  • 1985ねん昭和しょうわ60ねん):横浜よこはま市内しない創建そうけん設計せっけい発見はっけんされる。
  • 1989ねん平成へいせい元年がんねん):ドーム屋根やねとう横浜よこはまにより復元ふくげんされる[3]9月2にちくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされる。
  • 2007ねん平成へいせい19ねん):近代きんだい産業さんぎょう遺産いさん認定にんていされる。

施設しせつ[編集へんしゅう]

地上ちじょう2かい地下ちか1かいくわえて、1とうゆうする。初期しょき大正たいしょうから進駐軍しんちゅうぐん接収せっしゅうまでは地下ちかかいはダンスホール、食堂しょくどうとうとして使つかわれていたが、現在げんざいはボイラー機械きかいしつとしており、一般いっぱん利用りようきょうしていない。

  • 講堂こうどう(481せき
  • 会議かいぎしつ(9しつ
  • 資料しりょうコーナー
  • 自動じどう販売はんばいコーナー
  • 事務じむしつ

建築けんちく概要がいよう[編集へんしゅう]

  • 設計せっけい山田やまだ七五郎しちごろう佐藤さとう四郎しろう原案げんあん福田ふくだ重義しげよし
  • 竣工しゅんこう:1917ねん大正たいしょう6ねん
  • 建築けんちく面積めんせき:1,520m2
  • のべゆか面積めんせき:4,426m2
  • 構造こうぞう規模きぼ煉瓦れんがみやつこ一部いちぶRC、SRCづくり)、地上ちじょう2かいけん+塔屋とうや5かいけん地下ちか1かいけん
  • 所在地しょざいち231-0005 神奈川かながわけん横浜よこはまなか本町ほんちょう1-6

交通こうつうアクセス[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 横浜よこはま だい5かんじょう横浜よこはま、1971ねん、pp.68-69.
  2. ^ a b c 開港かいこう記念きねん横濱よこはま會館かいかん建築けんちく構造こうぞう大要たいよう』1917ねん7がつ1にち
  3. ^ 開港かいこう150周年しゅうねん記念きねん横浜よこはま歴史れきし文化ぶんか財団ざいだん法人ほうじん 横浜よこはまふるさと歴史れきし財団ざいだんへん、2009ねん、p.329.
  4. ^ ふとせい浪漫ろうまん街道かいどうあたらしあきら”. 株式会社かぶしきがいしゃレッド・エンタテインメント (2002ねん1がつ13にち). 2002ねん1がつ13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん8がつ19にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]