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絵師えし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

絵師えし(えし)とは、

  1. 律令制りつりょうせいのおいて中務なかつかさしょうの「画工がこう(えだくみのつかさ)」にぞくし、絵画かいが制作せいさくにあたったもののこと。宮殿きゅうでん寺社じしゃ造営ぞうえいたって文様もんよう装飾そうしょく制作せいさく従事じゅうじした。
  2. 平安へいあん時代じだい末期まっき以降いこうの、寺社じしゃかれた絵所えどころぞくした画工がこう室町むろまち時代じだい以降いこう狩野かの土佐とさのように武家ぶけ公家くげ寺社じしゃもとめにおうじてふすま屏風びょうぶなどを制作せいさくした。
  3. 浮世絵うきよえ原画げんが下絵したえ)をえがくことを職業しょくぎょうとする人間にんげんのこと。絵描えか画工がこうともう。まち絵師えし浮世絵うきよえたこ絵師えし、ねぶた絵師えしなど。
  4. 日本にっぽんえがしゅ画家がかのこと。画師えし畫師えしともく。
  5. 1990年代ねんだいすえごろから使つかわれるようになった用法ようほうで、おも日本にっぽん漫画まんがアニメゲームなどサブカルチャー分野ぶんやで、それらにふさわしいえが画家がかイラストレーターのこと。

日本にっぽん浮世絵うきよええがしゅとしての「絵師えし

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日本書紀にほんしょき』には、たかしたかし天皇てんのう元年がんねん588ねんじょうに、「画工がこうはく(えたくみ はくか)」の推古天皇すいこてんのう12ねん604ねんじょうの「しょ画師えし(きふみのえかき)」、「山城やましろ画師えし(やましろえかき)」の記事きじがある。また、『聖徳太子しょうとくたいしでんれき』ではこのほかに、はた(すはた)画師えし河内かわうち(かわち)画師えしなら(なら)画師えし記述きじゅつがある[1]。この時代じだい(6世紀せいきまつから8世紀せいきにかけて)の画師えし寺院じいん壁画へきが石室いしむろない壁画へきがなど、宗教しゅうきょう壁画へきがとしての仏師ぶっし活動かつどうしており、遺物いぶつとして壁画へきが破片はへん出土しゅつどしている(いちれいとしては、法隆寺ほうりゅうじ若草わかくさ伽藍がらんあと)。

律令制りつりょうせいした画工がこう設置せっちされて、画師えしなどが配置はいちされて宮中きゅうちゅうもちいる絵画かいがなどの作成さくせいおこなった。画工がこう平安へいあん時代じだい初期しょき廃止はいしされたが、ほどなく蔵人所くろうどどころ支配しはいしょばれるれいがい機関きかんとして復活ふっかつしてふたた画師えし配置はいちされた。

江戸えど以前いぜん日本にっぽんには芸術げいじゅつとしての「画家がか」という概念がいねんく、絵画かいが専門せんもんえが技能ぎのうけた技能ぎのうしゃあるいはその仕事しごとをする職人しょくにんなされていた。技能ぎのうけたもの意味いみする「」というもちいられるのもそれゆえである。

浮世絵うきよえ版画はんがとく木版もくはん技法ぎほう複数ふくすう職人しょくにんにより原画げんがからはんつくられおおくのかずられるものである。そのため絵師えし現代げんだいでいうところのアニメーションやゲームの原画げんがのような側面そくめんわせていた。もとえがひと絵師えしまたは下絵したえ、それを版画はんがひとかみひとすりといった。

江戸えど絵師えしは「御用ごよう絵師えし」と「まち絵師えし」にかれており、御用ごよう絵師えしでは狩野かの土佐とさまち絵師えしでは円山まるやま四条しじょう有名ゆうめいであった。

なお、日本にっぽん浮世絵うきよえとう以外いがい実用じつようてきくに絵図えずむら絵図えずなど絵図えずるい作者さくしゃについては絵図えずばれる。

現代げんだいのサブカルチャーにおける「絵師えし

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近年きんねん、ライトノベルの表紙ひょうし挿絵さしえ、ゲームのビジュアルキャラクターなどの、サブカルチャー世界せかいにおけるイラストえがいているものイラストレーター)も「絵師えし」とばれていることがある[2]

なお、「えがひと(イラストレーター)が絵師えし呼称こしょうされる明確めいかく定義ていぎ」、「絵師えしという呼称こしょう敬称けいしょうかどうか」、「ばれはじめた明確めいかく時期じき」は不明ふめいであり、曖昧あいまいものとなってきている。

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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