偐紫田舎いなか源氏げんじ

『偐紫田舎いなか源氏げんじ』第だい12編へんより。各かく編へんとも上下じょうげ冊さつの表紙ひょうしを並ならべると1枚まいの絵えとなる

『偐紫田舎いなか源氏げんじ』（にせむらさきいなかげんじ）は、柳やなぎ亭てい種彦たねひこの未完みかんの長編ちょうへん合ごう巻まき。挿絵さしえは歌川うたがわ国貞くにさだ。文政ぶんせい12年ねん（1829年ねん） - 天保てんぽう13年ねん（1842年ねん）刊かん。江戸えど時代じだい最大さいだいのベストセラーとなり、種彦たねひこの代表だいひょう作さくとなった。14年ねんにわたって書かき継つがれたが、作者さくしゃの筆禍ひっかと死去しきょにより、第だい38編へん（152冊さつ）までに終おわった。ただし、第だい39編へんと第だい40編へんは、遺のこした稿本こうほんにより1928年ねん（昭和しょうわ3年ねん）に公刊こうかんされた。通称つうしょう『田舎いなか源氏げんじ』。『源氏物語げんじものがたり』を通俗つうぞく的てきに翻案ほんあんした小説しょうせつで、「偐」は「似にせ」「偽にせ」の意い。

あらすじ

紫式部むらさきしきぶの『源氏物語げんじものがたり』を下敷したじきにして、時代じだいを平安へいあん時代じだいから室町むろまち時代ときよへ移うつしている。語かたり手ては、江戸えど日本橋にほんばし・式部しきぶ小路こうじの女おんな・お藤ふじで、鉄砲てっぽう洲しゅうの人丸ひとまる神社じんじゃに参詣さんけいし、石屋いしやの二に階かいに仮住かりずまいして筆ふでを取とった、という設定せっていで語かたりはじめる。

将軍しょうぐん足利あしかが義政よしまさの妾腹しょうふくの子こ・光ひかり氏しが、将軍しょうぐん位いを狙ねらう山名やまな宗全そうぜんを抑おさえるため、光源氏ひかるげんじ的てきな好色こうしょく遍歴へんれきを装よそおいながら、宗全そうぜんが盗ぬすみ隠かくしていた足利あしかが氏しの重宝ちょうほう類るいを次第しだいに取とり戻もどす一方いっぽう、須磨すま・明石あかしに流ながれ寓ぐうして西国さいこくの山名やまな勢ぜいを牽制けんせいし、宗そう全ぜん一味いちみをはかりごとで滅ほろぼした後のち、京都きょうとに戻もどり、将軍しょうぐん後見こうけん役やくとなって栄華えいがを極きわめる。

前半ぜんはん部分ぶぶんは、光源氏ひかるげんじにあたる足利あしかが光ひかり氏しが山名やまな宗全そうぜんの隠かくれ謀はかりごとを暴あばく推理すいり小説しょうせつ仕立したてで、22編へん以降いこうは『源氏物語げんじものがたり』に忠実ちゅうじつな翻案ほんあんとなっている。

経緯けいい

柳やなぎ亭てい種彦たねひこは、合ごう巻まきの『正本しょうほん製せい』（しょうほんじたて）シリーズなどですでに流行りゅうこう作家さっかになっていたが、年長ねんちょうの曲亭馬琴きょくていばきんも『金毘羅こんぴら船せん利生りしょう纜ともづな』『傾城けいせい水すい滸伝』などの長編ちょうへん合あい巻まきで人気にんきを集あつめていた。それぞれ『西遊せいゆう記き』『水みず滸伝』の翻案ほんあんである。馬琴ばきんが中国ちゅうごくの小説しょうせつに詳くわしいなら、種彦たねひこは日本にっぽんの古典こてんに通つうじている。『源氏物語げんじものがたり』の翻案ほんあんで対抗たいこうしよう、という動機どうきであったろうと言いわれている。

『偐紫』の『紫むらさき』は、紫式部むらさきしきぶにも高級こうきゅう染料せんりょうの紫むらさきにも通つうじる。

版元はんもとは通つう油あぶら町まち（現在げんざいの中央ちゅうおう区く日本橋大伝馬にほんばしおおでんま町まち）の、3代目だいめ仙せん鶴つる堂どう鶴屋つるや喜右衛門きうえもん。半裁はんさいした半紙はんしの右左みぎひだりに1ページずつを刷すり、2つに折おって10枚まい重かさねて綴とじて、1冊さつ20ページ、上下じょうげ2冊さつを封筒ふうとうに入いれて1編へんとした。B6に近ちかい中なか本ほんであった。

種彦たねひこは当初とうしょ『源氏げんじ』の全ぜん54帖じょうを翻案ほんあん・出版しゅっぱんするつもりはなく、「紅葉こうよう賀が」あたりで完結かんけつする予定よていだったが、予想よそう外がいの好評こうひょうにより書がき継つぐことになったようである。しかし、水野みずの忠邦ただくにの天保てんぽうの改革かいかくが始はじまると、「将軍家しょうぐんけの大奥おおおくの内情ないじょうを書かいた」「光ひかり氏しは徳川とくがわ家斉いえなりがモデル」などの噂うわさから本書ほんしょの絶版ぜっぱんと種彦たねひこの断筆だんぴつが命めいぜられ、38編へんまでで終おわった。遺のこされた稿本こうほんから39編へん・40編へんが、1928年ねん（昭和しょうわ3年ねん）版ばんの『田舎いなか源氏げんじ』中ちゅうに翻刻ほんこくされた。なお、「将軍しょうぐん家斉いえなりの大奥おおおく生活せいかつを描えがいた」とする巷説こうせつは明治めいじ時代じだいに生うまれたものである。

各かく列れつの右みぎは、その編へんがピントを当あてている『源氏物語げんじものがたり』の帖じょうの名なである。

• 初はつ編へん：文政ぶんせい12年ねん（1829年ねん） - 桐きり壺つぼ
• 2/3編へん：天保てんぽう元年がんねん（1830年ねん） - 桐きり壺つぼ・帚木／帚木・空蝉うつせみ
• 4/5編へん：天保てんぽう2年ねん（1831年ねん） - 空蝉うつせみ・夕顔ゆうがお／夕顔ゆうがお
• 6/7編へん：天保てんぽう3年ねん（1832年ねん） - 若紫わかむらさき／若紫わかむらさき・末摘花すえつむはな
• 8/9/10編へん：天保てんぽう4年ねん（1833年ねん） - 若紫わかむらさき・末摘花すえつむはな／若紫わかむらさき・紅葉こうよう賀が／末摘花すえつむはな・紅葉こうよう賀が
• 11/12/13編へん：天保てんぽう5年ねん（1834年ねん） - 紅葉こうよう賀が・花はな宴えん／花はな宴えん・葵あおい／葵あおい
• 14/15/16/17編へん：天保てんぽう6年ねん（1835年ねん） - 葵あおい・賢けん木き／賢けん木き・花はな散ち里さと／賢けん木き・花はな散ち里さと・須磨すま／須磨すま
• 18/19/20/21編へん：天保てんぽう7年ねん（1836年ねん） - 須磨すま／須磨すま・明石あかし／明石あかし／明石あかし
• 22/23/24編へん：天保てんぽう8年ねん（1837年ねん） - 明石あかし・蓬生よもぎう／蓬生よもぎう・澪標みおつくし／蓬生よもぎう・澪標みおつくし・関屋せきや
• 25/26/27編へん：天保てんぽう9年ねん（1838年ねん） - 澪標みおつくし・賢けん木き・絵合えあわせ／絵合えあわせ・松風まつかぜ／松風まつかぜ・槿むくげ
• 28/29/30/31編へん：天保てんぽう10年ねん（1839年ねん） - 松風まつかぜ・薄うす雲くも／薄うす雲くも・朝顔あさがお／朝顔あさがお・少女しょうじょ／少女しょうじょ・玉鬘たまかずら
• 32/33/34編へん：天保てんぽう11年ねん（1840年ねん） - 少女しょうじょ・玉鬘たまかずら／少女しょうじょ・初音はつね／玉鬘たまかずら・初音はつね・胡蝶こちょう
• 35/36/37編へん：天保てんぽう12年ねん（1841年ねん） - 胡蝶こちょう・蛍ぼたる・常夏とこなつ／常夏とこなつ・篝火かがりび・野分のわけ／野分のわけ・行幸ぎょうこう
• 38編へん：天保てんぽう13年ねん（1842年ねん） - 藤袴ふじばかま
• 39/40編へん：昭和しょうわ3年ねん（1928年ねん） - 真木まき柱はしら（黒崎くろさき書店しょてん、日本にっぽん名著めいちょ全集ぜんしゅう江戸えど文芸ぶんげい之の部ぶ21 偐紫田舎いなか源氏げんじ下か）

天保てんぽうの改革かいかくの取締とりしまりが緩ゆるくなると、『其由縁えん鄙ひな俤おもかげ』（そのゆかりひなのおもかげ、笠かさ亭てい仙果せんか（1 - 6編へん）柳下やぎした亭ちん種員たねかず（7 - 23編へん）著ちょ、弘ひろし化か4年ねん（1847年ねん）- 元治もとはる元年がんねん（1864年ねん））をはじめ、『足利あしかが絹きぬ手しゅ初はつ紫むらさき』『江戸えど鹿子かのこ紫むらさき草子そうこ』『薄紫うすむらさき宇治うじ曙あけぼの』などの続編ぞくへんや類書るいしょが刊行かんこうされた。

1882年ねん（明治めいじ15年ねん）に、木版もくはん本ほんがあらためて出でたが、全編ぜんぺんが刊行かんこうされたかは明あきらかでない。洋式ようしき製本せいほんによる出版しゅっぱんは、その頃ころから最近さいきんまで繰くり返かえされている。

『田舎いなか源氏げんじ』を脚色きゃくしょくした歌舞伎かぶきには、天保てんぽう9年ねん（1838年ねん）3月がつ市村いちむら座ざ上演じょうえんの『内うち裡うら模様もよう源氏げんじ染しみ』（ごしょもようげんじのえどぞめ）、嘉よしみ永ひさし4年ねん（1851年ねん）9月がつ市村いちむら座ざ上演じょうえんの『源氏げんじ模様もよう娘むすめ雛形ひながた』（げんじもようふりそでひながた）、慶応けいおう3年ねん（1867年ねん）10月がつ守田もりた座ざ上演じょうえんの『忠ちゅう暮くれ時雨しぐれ袖そで旧きゅう寺てら』があり、『源氏げんじ模様もよう娘むすめ雛形ひながた』の一部いちぶが『田舎いなか源氏げんじ露ろ東雲しののめ』の名なで、今日きょうに残のこっている。

なお、似にた題名だいめいの『似に世よ紫むらさき浪なみ華はな源はじめ氏し』（1837年ねん）は、種彦たねひこ作さくの世よをはばかる艶つや本ほんである。

校訂こうてい本ほん

• 『偐紫田舎いなか源氏げんじ 上じょう』（鈴木すずき重しげる三さん校こう注ちゅう、岩波書店いわなみしょてん・新しん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい88、1995年ねん2月がつ27日にち） ISBN 9784002400884
• 『偐紫田舎いなか源氏げんじ 下か』（鈴木すずき重しげる三さん校こう注ちゅう、岩波書店いわなみしょてん・新しん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい89、1995年ねん12月8日にち） ISBN 9784002400891

参考さんこう文献ぶんけん

• 伊い狩かり章あきら『柳やなぎ亭てい種彦たねひこ』（吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1989年ねん） ISBN 9784642051743
• 宮武みやたけ外骨がいこつ『筆禍ひっか史し、改訂かいてい増補ぞうほ版ばん』（崙書房しょぼう、1974年ねん）
• 林はやし美一よしかず『江戸えど艶つや本ほんベストセラー』（新潮しんちょう文庫ぶんこ、1995年ねん） ISBN 9784101309125

外部がいぶリンク

• 『偐紫田舎いなか源氏げんじ』（初はつ編上あみあげ）東京とうきょう：文江ふみえ堂どう、1882年ねん。国会図書館こっかいとしょかん近代きんだいデジタル・ライブラリー
• 『偐紫田舎いなか源氏げんじ』（初はつ編へん下か）東京とうきょう：文江ふみえ堂どう、1882年ねん。国会図書館こっかいとしょかん近代きんだいデジタル・ライブラリー
• 早稲田大学わせだだいがく蔵書ぞうしょ検索けんさく「偐紫田舎いなか源氏げんじ」
• 『新訳しんやく・偐紫田舎いなか源氏げんじ』中内なかうち蝶二ちょうじ 訳わけ (名作めいさく人情にんじょう文庫ぶんこ刊行かんこう会かい, 1920)
• 『偐紫田舎いなか源氏げんじ』国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション