花屋はなや抄しょう

『花屋はなや抄しょう』（かおくしょう）とは、慶福けいふく院いん花屋はなや玉だま栄さかえによる『源氏物語げんじものがたり』の注釈ちゅうしゃく書しょ。『源氏げんじ花屋はなや抄しょう（げんじかおくしょう）』あるいは『源氏物語げんじものがたり花屋はなや抄しょう（げんじものがたりかおくしょう）』とも呼よばれる。

概要がいよう

書写しょしゃ年紀としのりにより1594年ねん（文ぶん禄ろく3年ねん）7月がつの成立せいりつとされている。『源氏物語げんじものがたり』の注釈ちゅうしゃくの歴史れきしの中なかでは珍めずらしい女性じょせいによる注釈ちゅうしゃく書しょであって花屋はなや玉だま栄さかえによる69歳さいのときの著作ちょさく。本書ほんしょは全部ぜんぶで4巻かん4冊さつから構成こうせいされており、写本しゃほんによってはそれぞれの巻まきに「春はるの巻まき」・「夏なつの巻まき」・「秋あきの巻まき」・「冬ふゆの巻まき」と題だいされているものもある。「愚案ぐあんなれば名付なづけて『花屋はなや抄しょう』という也」とする跋文ばつぶんの記述きじゅつから『花屋はなや抄しょう』という書名しょめいは著者ちょしゃ自身じしんによる命名めいめいと考かんがえられ、この書名しょめいから慶福けいふく院いん花屋はなや玉だま栄さかえとの関連かんれんを指摘してきされてきたが、かつては無名むめいの人物じんぶつが身分みぶんが高たかい当時とうじの著名ちょめい人じんである花屋はなや玉だま栄さかえに仮託かたくしたものであり、真実しんじつの著者ちょしゃは不明ふめいであるとされてきた。しかしながら、名古屋なごや市し蓬よもぎ左ひだり文庫ぶんこ蔵本ぞうほんにある署名しょめいと書写しょしゃ年紀としのりから花屋はなや玉だま栄さかえが1594年ねん（文ぶん禄ろく3年ねん）7月がつに書写しょしゃしたことが明あきらかになったため現在げんざいでは本書ほんしょは花屋はなや玉だま栄さかえの著書ちょしょであると考かんがえられるようになっている。

著者ちょしゃ・慶福けいふく院いん花屋はなや玉だま栄さかえ

本書ほんしょの著者ちょしゃとされる慶福けいふく院いん花屋はなや玉だま栄さかえは、近衛このえ稙家の娘むすめである。近衛このえ稙家は『紹巴しょうは抄しょう』の著者ちょしゃ里村さとむら紹巴じょうはなどの『源氏物語げんじものがたり』についてのさまざまな著作ちょさくを持もつ人物じんぶつたちと交流こうりゅうがあり、また現在げんざい代表だいひょう的てきな青あお表紙ひょうし本ほん系統けいとうの写本しゃほんとしてさまざまな校本こうほんの底本ていほんに採用さいようされている大島本おおじまほんとして知しられている写本しゃほんの桐きり壺つぼ巻まきを書写しょしゃした聖護院しょうごいん第だい25代だい門跡もんぜきである道みち増ぞうは玉たま栄さかえの叔父おじにあたり、夢ゆめ浮橋うきはし巻まきを書写しょしゃした大僧正だいそうじょう法務ほうむ准じゅん三后さんこう道みち澄きよしは玉たま栄さかえの兄弟きょうだいにあたるなど、玉たま栄さかえは『源氏物語げんじものがたり』について深ふかい知識ちしきを獲得かくとくしうる環境かんきょうにあったと見みられる。花屋はなや玉だま栄さかえには、本書ほんしょの他ほかに本書ほんしょと同様どうように『源氏物語げんじものがたり』について語釈ごしゃくや巻まき名めいの由来ゆらいなどを内容ないようとしているが啓蒙けいもう書しょ的てき性格せいかくのより強つよい初心者しょしんしゃ向むけの注釈ちゅうしゃく書しょである1602年ねん（慶長けいちょう7年ねん）4月がつの成立せいりつとされる『玉たま栄さかえ集しゅう』なる書物しょもつも存在そんざいする。

当時とうじの最高さいこう権力けんりょく者しゃである豊臣とよとみ秀吉ひでよしは、晩年ばんねんになってから『源氏物語げんじものがたり』に興味きょうみを示しめしていたが、同人どうじんが『源氏物語げんじものがたり』を学まなぶのに使用しようしたらしい秀吉ひでよし自筆じひつ書写しょしゃ本ほん『源氏物語げんじものがたりのおこり』（阿波あわ蜂須賀はちすか家か旧きゅう蔵ぞう・現げん専修大学せんしゅうだいがく図書館としょかん蔵本ぞうほん）も花屋はなや玉だま栄さかえが北政所きたのまんどころおねねの侍女じじょ「ちやあ」（秀吉ひでよしの側室そくしつであったいわゆる「淀君よどぎみ＝お茶々ちゃちゃ」とは別人べつじんで玉たま栄さかえの姪めいにあたる古市ふるいち胤たね子このこと）に贈おくった源氏物語げんじものがたり古こ系図けいずを元もとにその冒頭ぼうとうか末尾まつびにあった『源氏物語げんじものがたりのおこり』の部分ぶぶんを秀吉ひでよしが書写しょしゃしたもので、かつ完成かんせいした秀吉ひでよし自筆じひつ書写しょしゃ本ほんには花屋はなや玉だま栄さかえが改あらためて奥書おくがきを書かき加くわえている。こうした状況じょうきょうから考かんがえて、秀吉ひでよしは花屋はなや玉だま栄さかえから『源氏物語げんじものがたり』について継続けいぞく的てきな指導しどうを受うけていたのではないかとも考かんがえられている。このような出来事できごとは、花屋はなや玉だま栄さかえの『源氏物語げんじものがたり』についての見識けんしきが当時とうじから高たかく認みとめられていたことに加くわえて、豊臣とよとみ秀吉ひでよしが豊臣とよとみ姓せいを名乗なのる前まえには花屋はなや玉だま栄さかえの弟おとうとである近衛このえ前ぜん久ひさの猶子ゆうしとなって藤原ふじわら姓せいを名乗なのっていた時期じきがあるなど、近衛このえ家かが五摂家ごせっけの中なかでも豊臣とよとみ家かとは最もっとも近ちかい関係かんけいにあることの反映はんえいであるとも見みられる。

内容ないよう

本書ほんしょは語釈ごしゃくを主体しゅたいとした内容ないようであり、「幼おさなき人ひと、女おんなたちばかりなり」のために著あらわしたとして初心者しょしんしゃ向むけの平易へいいな内容ないようとなっている。初心者しょしんしゃ向むけを意識いしきして書かかれた『源氏物語げんじものがたり』の注釈ちゅうしゃく書しょとしては、本書ほんしょ以前いぜんにも一条いちじょう兼良かねらによる『源氏げんじ和かず秘ひ抄しょう』といったものがあるが、『源氏げんじ和かず秘ひ抄しょう』は同書どうしょによって基本きほん的てきなことを学まなんだ後のちは本格ほんかく的てきな注釈ちゅうしゃく書しょに進すすむことを前提ぜんていにしていたのに対たいして、この『花屋はなや抄しょう』では「本書ほんしょを読よむだけで『源氏物語げんじものがたり』を理解りかいできる」ことを目的もくてきとしている。そのため、『源氏げんじ和かず秘ひ抄しょう』の内容ないようはあくまで簡単かんたんな語釈ごしゃくにとどまっていたのに比くらべ、この『花屋はなや抄しょう』では時ときに本文ほんぶん間あいだの異同いどうにまで言及げんきゅうしている。『紫むらさき明あきら抄しょう』・『河かわ海うみ抄しょう』・『花鳥かちょう余情よじょう』といった注釈ちゅうしゃく書しょを賞賛しょうさんする一方いっぽうで、それ以後いご主流しゅりゅうとなった三条さんじょう西家にしいえ系統けいとうの流ながれをくむ数すう多おおくの注釈ちゅうしゃく書しょを「当あたり前まえのことまで一々いちいち注釈ちゅうしゃくを加くわえている」「自分じぶんの学識がくしきをひけらかすだけのもの」などと批判ひはんしている。

写本しゃほん

本書ほんしょは写本しゃほんのみで伝つて存そんしており、以下いかのような写本しゃほんの存在そんざいが確認かくにんされている。

• 内閣ないかく文庫ぶんこ蔵本くらもと
• 筑波大学つくばだいがく蔵本くらもと
• 京都大学きょうとだいがく蔵本くらもと
• ノのートルダム清心女子大学とるだむせいしんじょしだいがく蔵本くらもと（黒川くろかわ文庫本ぶんこぼん）
• 名古屋なごや市し蓬よもぎ左ひだり文庫ぶんこ蔵本くらもと
• 彰あきら考こう館かん文庫ぶんこ蔵本ぞうほん
• 鹿島かしま鍋島なべしま家か旧きゅう蔵ぞう中川なかがわ文庫ぶんこ蔵本ぞうほん
• 関西大学かんさいだいがく蔵本くらもと

本文ほんぶん

• 吉沢よしざわ義則よしのり編へん「花屋はなや抄しょう」『未刊みかん国文こくぶん古こ註釈ちゅうしゃく大系たいけい 第だい11冊さつ』帝国ていこく教育きょういく会かい出版しゅっぱん部ぶ、1936年ねん（昭和しょうわ11年ねん） 複製ふくせい　清文せいぶん堂どう出版しゅっぱん、1969年ねん（昭和しょうわ44年ねん）、pp. 385-448。
• 正宗まさむね文庫ぶんこ国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかん・ノのートルダム清心女子大学とるだむせいしんじょしだいがく編集へんしゅう『花屋はなや抄しょう (正宗まさむね敦夫あつお収集しゅうしゅう善本ぜんぽん叢書そうしょ第だい1期き) 』武蔵野むさしの書院しょいん、2010年ねん（平成へいせい22年ねん）10月がつ。 ISBN 978-4-8386-0246-9

参考さんこう文献ぶんけん

• 伊井いい春樹はるき「古こ注釈ちゅうしゃく書しょ事典じてん　花屋はなや抄しょう」秋山あきやま虔けん編へん『源氏物語げんじものがたり事典じてん』学がく燈とう社しゃ〈別冊べっさつ国文学こくぶんがく〉No.36、1989年ねん（平成へいせい元年がんねん）5月がつ10日とおか、p. 319。