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実隆さねたかほん源氏物語げんじものがたり系図けいず

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実隆さねたかほん源氏物語げんじものがたり系図けいず』(さねたかほんげんじものがたりけいず、りゃくして実隆さねたかほん)は、三条西さんじょうにし実隆さねたかととのえた源氏物語げんじものがたり系図けいずをいう。内容ないようことなるいくつかの系図けいず現存げんそんするが、最初さいしょ完成かんせい1488ねんちょうとおる2ねん)である。

歴史れきしてき状況じょうきょう

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実隆さねたかほん以前いぜん存在そんざいしたすべての源氏物語げんじものがたり系図けいずは、おおきくきゅうじょうほんながれをむもので、現在げんざいでは一般いっぱんてき本文ほんぶんであるあお表紙ひょうしほん河内かわうちほん成立せいりつする以前いぜん本文ほんぶんもとづいてつくられたものであり、もりさんなど現存げんそんする源氏物語げんじものがたりなかにはあらわれない人物じんぶつについての言及げんきゅうもしばしばられるなど当時とうじ標準ひょうじゅんてき本文ほんぶんとなりつつあったあお表紙ひょうしほんによる源氏物語げんじものがたりとはしばしば整合せいごうせいれないものであった。

そのようななか三条西さんじょうにし実隆さねたかによってととのえられた「実隆さねたかほん」はそれ以前いぜん系図けいずとは形式けいしき内容ないようがいくつかのてんことなっていた。実隆さねたかほん以前いぜんはさまざまな源氏物語げんじものがたり系図けいず存在そんざいしたが、実隆さねたかほん成立せいりつして以後いごみずうみがつしょうおさめられた天文てんもんほん[1][2]などのわずかな例外れいがいのぞいて実隆さねたかほんながれをむものが主流しゅりゅうとなっていった[3]

池田いけだ亀鑑きかん源氏物語げんじものがたり系図けいず時代じだい区分くぶんし、実隆さねたか以前いぜんのものを「源氏物語げんじものがたり系図けいず」、実隆さねたか以後いごのものを「しん系図けいず」とんで区別くべつした[4][5]。(すみれそう以降いこうさらべつとする)

実隆さねたかほん源氏物語げんじものがたり系図けいず成立せいりつ

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三条西さんじょうにし実隆さねたか日記にっき実隆さねたかおおやけ」の記述きじゅつ現存げんそんする複数ふくすうの「実隆さねたかほん源氏物語げんじものがたり系図けいず」の内容ないよう奥書おくがきちがいによって、すくなくとも4ないし5種類しゅるい系統けいとうの「実隆さねたかほん源氏物語げんじものがたり系図けいず」が存在そんざいすることが確認かくにん出来できるため、いち完成かんせいしたのではなくなんかえ考察こうさつくわえて改定かいてい発展はってんしているとられている。

実隆さねたかおおやけ」の記述きじゅつによると、もともと三条西さんじょうにしには源氏物語げんじものがたり系図けいず存在そんざいしたとられ(これが昭和しょうわ初期しょきになって三条西さんじょうにし所蔵しょぞうされていた源氏物語げんじものがたり系図けいずとして三条西さんじょうにし公正きみまさによって紹介しょうかいされたもの[6][7]おなじであるかどうかは不明ふめい)、それを書写しょしゃしたりりしたり、校合きょうごうおこなっていた。また宗祇そうぎ肖柏しょうはくといった源氏物語げんじものがたり造詣ぞうけいふか当時とうじ知識ちしきじんたちの源氏物語げんじものがたりについての講釈こうしゃくき、あるいはこれらの人物じんぶつ議論ぎろんわしている。また既存きそんのさまざまな系図けいず調しらべ、その校合きょうごう改訂かいていおこなっていたが、部分ぶぶんてき校訂こうていではきたらずに全面ぜんめんてき改定かいていおこなうことになった。

実隆さねたかによっておこなわれた「実隆さねたかほん系図けいず」の作成さくせいは、いわゆる三条さんじょう西家にしいえほんばれる源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん制定せいてい細流さいりゅうしょうなどいくつかの三条西さんじょうにし系統けいとう注釈ちゅうしゃくしょ作成さくせいなどとわせて三条西さんじょうにし源氏げんじがく形成けいせいするものである。

実隆さねたかおおやけ記述きじゅつ

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実隆さねたかおおやけ」には源氏物語げんじものがたり関連かんれんする記述きじゅつ数多かずおお確認かくにんすることが出来でき、そのなか源氏物語げんじものがたり系図けいず関連かんれんする記述きじゅつだけでも以下いかのような記述きじゅつられる[8]

  • 文明ぶんめい9ねん4がつ19にち1477ねん6月9にち
    あめくだ終日しゅうじつ無事ぶじ源氏物語げんじものがたり系図けいずおおせ校合きょうごう
  • 文明ぶんめい17ねん3がつ7にち1485ねん4がつ1にち
    かげあめくだ朝間あさまあね小路こうじもとつならい源氏げんじ系図けいずあずかこれ
  • 文明ぶんめい19ねん正月しょうがつ19にち1487ねん2がつ21にち
    源氏物語げんじものがたりきりつぼいたり空蝉うつせみらんまき人名じんめい不入ふにゅう人々ひとびと抄出しょうしゅついれ
  • 同年どうねん2がつ4にち(1487ねん3がつ8にち
    源氏物語げんじものがたり一部電覧終巧、系図けいずうち不審ふしんしょ潤色じゅんしょく相談そうだん肖柏しょうはく宗祇そうぎとうしゃ
  • 同年どうねん2がつ5にち(1487ねん3がつ9にち
    肖柏しょうはくらい源氏物語げんじものがたり系図けいず事大じだいりゃく治定じじょう□□唐糸からいといちヨリめぐみ肖柏しょうはくりょう宗祇そうぎらい扇子せんすほん哥書□今朝けさ所望しょもうしょこれたたえれい来者らいしゃ
  • 同年どうねん2がつ11にち(1487ねん3がつ15にち
    宗祇そうぎ法師ほうしらい肖柏しょうはく入来いりき源氏物語げんじものがたり系図けいずごといま□(あん条々じょうじょう治定じじょうりょう
  • ちょうとおる元年がんねん11がつ24にち(1487ねん12月18にち
    はれ肖柏しょうはくげんきよしとうらい源氏物語げんじものがたり系図けいずごと談合だんごう
  • ちょうとおる2ねん2がつ20日はつか1488ねん4がつ11にち
    みぎだいべん宰相さいしょうらい宗祇そうぎ法師ほうしげんきよし法師ほうしらい源氏げんじ系図けいずごと談合だんごう大略たいりゃく治定じじょうりょう
  • 同年どうねん3がつ25にち(1488ねん5がつ15にち
    退出たいしゅつこうまいり伏見ふしみ殿どのくにだか親王しんのう)、源氏物語げんじものがたり系図けいず申出もうしでこれため中書ちゅうしょ
  • 同年どうねん3がつ27にち(1488ねん5がつ17にち
    あめくだ源氏物語げんじものがたり系図けいずじきづけしょにゅう別人べつじんとうしょ肖柏しょうはくりょう
  • 同年どうねん4がつ9にち(1488ねん5がつ29にち
    はれ肖柏しょうはく入来いりき源氏物語げんじものがたり系図けいずごとゆう相談そうだんごと
  • 同年どうねん4がつ12にち(1488ねん6がつ1にち
    はれ肖柏しょうはくらい源氏物語げんじものがたり系図けいずごと相談そうだん
  • 同年どうねん4がつ26にち(1488ねん6がつ15にち
    あめくだ肖柏しょうはく入来いりき源氏物語げんじものがたり系図けいずごと治定じじょう落居おちいりょう自愛じあい々々
  • 同年どうねん6がつ10日とおか(1488ねん7がつ27にち
    源氏物語げんじものがたり系図けいず染筆せんぴつれい進上しんじょう竹園たけぞの伏見ふしみ殿どのりょう
  • 同年どうねん7がつ8にち(1488ねん8がつ25にち
    御方おかた源氏物語げんじものがたり系図けいずしょ進上しんじょうゆかりおおせ料紙りょうし今日きょう下之したの
  • 同年どうねん7がつ26にち(1488ねん9がつ11にち
    おおせ源氏物語げんじものがたり系図けいず親王しんのう御方おかたおおせ此間染筆せんぴつ今日きょうおわり其功れい進上しんじょうりょうのり校合きょうごういちしつ自愛じあい々々
  • あかりおう8ねん3がつ24にち1499ねん5月13にち
    源氏物語げんじものがたり系図けいず徳大寺とくだいじ実淳さねあつ所望しょもう□□だてひつ
  • 同年どうねん5がつ29にち(1499ねん7がつ16にち
    あめ光源氏ひかるげんじ物語ものがたり系図けいずおわりしょこう遺徳いとく徳大寺とくだいじりょう
  • ぶんかめ元年がんねん5がつ25にち1501ねん6がつ20日はつか
    早朝そうちょうそちきょう入来いりき光源氏ひかるげんじ物語ものがたり系図けいず請之あいだこれ
  • 同年どうねん8がつ4にち(1501ねん9がつ26にち
    禁裏きんり源氏物語げんじものがたり系図けいずりょうまきしかほんかけゆかりおおせ美麗びれい古本ふるもと也。ただし礼式れいしき不審ふしんごととう多々たた也、其趣言上ごんじょうりょうおおせ此本奥書おくがきうん
    ぶんひさし3ねん6がつ16にち1266ねん7がつ26にち)以中しょほん書写しょしゃ校合きょうごうりょう
    かれほんおくうん
    ぶんなが3ねん正月しょうがつ廿にじゅう(1266ねん3がつ5にち)於灯かわしゅう草本そうほん書写しょしゃりょう、此本らくきょごととうついかんにゅうかけ
    えいひとし4ねん3がつ4にち1296ねん4がつ14にち
    如此、以之おもえこれけん系図けいずしゃかわ内方ないほう新造しんぞう勿論もちろん也、向後きょうこう可知かち、仍記
  • ぶんかめ3ねん11月3にち1503ねん12月1にち
    今日きょう源氏物語げんじものがたり系図けいずかんさかえ所望しょもうりつひつ
  • ぶんかめ4ねん2がつ20日はつか1504ねん3月16にち
    源氏物語げんじものがたり系図けいず今日きょうおわりこうのり左右さゆう衛門えもんじょうりょう
  • えいただし6ねん6がつ14にち1509ねん7がつ11にち
    ちょうらいくもりはないん殿どの源氏物語げんじものがたり系図けいず書写しょしゃごとおおせむねでん也、料紙りょうしきゅうよしさるりょう
  • 同年どうねん6がつ18にち(1509ねん7がつ15にち
    すすむ於書じょうくもりはないん殿どの源氏げんじ系図けいず書写しょしゃごと先日せんじつうけたまわこれあいだしょためしよしさる
  • 同年どうねん6がつ23にち(1509ねん7がつ20日はつか
    りょう椿つばきらい系図けいず料紙りょうしごと申付もうしつけこれ
  • 同年どうねん6がつ27にち(1509ねん7がつ24にち
    源氏物語げんじものがたり系図けいずこう瑜禅おわりしょこう校合きょうごうりょうつりごと申付もうしつけ椿つばきしゃ
  • 同年どうねん8がつ19にち(1509ねん9がつ13にち
    ぞう朝臣あそんそうあきら法師ほうし同道どうどうらい先日せんじつ系図けいずほん借用しゃくようごとしゃ
  • 同年どうねん8がつ24にち(1509ねん9がつ18にち
    行李こうり朝臣あそんらい系図けいずいちかんおわりしょこうらい自愛じあい也、料紙りょうし一巻又昨日遣之者也
  • えいただし8ねん6がつ18にち1511ねん7がつ22にち
    終日しゅうじつねんおどりあまらい甘露かんろ寺元てらもとちょう入来いりき源氏物語げんじものがたり系図けいずしんうつし携之、存分ぞんぶん相談そうだんりょう
  • 同年どうねん7がつ3にち(1511ねん8がつ6にち
    直来なおらい源氏物語げんじものがたり系図けいず外題げだい所望しょもう染筆せんぴつりょう
  • えいただし17ねん3がつ22にち1520ねん4がつ19にち
    ちょく朝臣あそんらいよりゆきこう以使しゃおく折紙おりがみ和歌わか所望しょもうのり染筆せんぴつけいさかい并源系図けいず料紙りょうし調進ちょうしん
  • 同年どうねん4がつ15にち(1520ねん5がつ12にち
    能登のと畠山はたけやまよしそう返事へんじのここれ源氏物語げんじものがたり系図けいずしんうつしのここれりょう
  • 同年どうねん4がつ16にち(1520ねん5がつ13にち
    粟屋あわやまご三郎源氏本奥哥書之、どう系図けいず今日きょうのこ吉田よしだもとりょう
  • とおるろく4ねん5がつ21にち1531ねん7がつ15にち
    ちゅうこうけい源氏げんじ系図けいず表紙ひょうしとう出現しゅつげん自愛じあい
  • 天文てんもん2ねん6がつ4にち1533ねん7がつ6にち
    源氏げんじ系図けいずさいかちいん請之、のこりょう

なお、実隆さねたかおおやけには日記にっきそのものの記述きじゅつほかに、日記にっき転用てんようした手紙てがみとう紙背しはい文書ぶんしょにも源氏げんじ系図けいず関係かんけい記述きじゅつ文書ぶんしょいくつかられる。

現存げんそんする実隆さねたかほん源氏物語げんじものがたり系図けいず

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実隆さねたかほん源氏物語げんじものがたり系図けいずとしては以下いかのものが現存げんそんする。このほか実隆さねたか日記にっきによれば「えいただし17ねん」のものが存在そんざいするとかんがえられるが、これにぞくするとかんがえられる写本しゃほん現存げんそんしない[9]

人物じんぶつ配置はいち

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系図けいず対比たいひしたときの実隆さねたかほん系図けいず最大さいだい特徴とくちょう人物じんぶつ配置はいちにあるとされる。系図けいずではある人物じんぶつ子孫しそんならべるときにまず長子ちょうし記述きじゅつし、そのに「父親ちちおや長子ちょうし長子ちょうし長子ちょうし長子ちょうし次子じし次子じし次子じし長子ちょうし次子じし次子じし」という順序じゅんじょ長子ちょうし子孫しそんすべ記述きじゅつしてからうえ世代せだいもどって次子じし記述きじゅつするという、「しばしばした世代せだいからうえ世代せだいもどることのある配置はいち」を原則げんそく(=きゅう原則げんそく)としており、これにたいして実隆さねたかほんはまず長子ちょうし以下いかをすべて記述きじゅつし、その父親ちちおや長子ちょうし次子じし長子ちょうし長子ちょうし長子ちょうし次子じし次子じし長子ちょうし次子じし次子じし」といった順序じゅんじょ記述きじゅつしていくというおや世代せだい世代せだいまご世代せだいがそれぞれまとまって記述きじゅつされる「した世代せだいからうえ世代せだいもどることのない配置はいち」を原則げんそく(=しん原則げんそく)とするとされるが、ちょうとおる2ねんほん冒頭ぼうとう部分ぶぶんのみしん原則げんそくのっとって記述きじゅつされており、その部分ぶぶん系図けいず以来いらいきゅう原則げんそくのままである。これにたいしてあきらおう8ねんほんではちょうとおる2ねんほんとはぎゃく後半こうはん部分ぶぶんのみしん原則げんそくになっており、その部分ぶぶん系図けいずのままのきゅう原則げんそくになっており、試行錯誤しこうさくごあとられる。ぶんかめ4ねんほんいたってはじめて系図けいず全体ぜんたい一貫いっかんして「した世代せだいからうえ世代せだいもどることのない配置はいち」(=しん原則げんそく)で記述きじゅつされるようになっている。

ちょうとおる2ねんほん

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実隆さねたか作成さくせいした源氏げんじ系図けいず最初さいしょはんであり、ちょうとおる2ねん6がつ10日とおか伏見ふしみみやくにだか親王しんのう献上けんじょうしたものの系列けいれつであるとかんがえられる。系図けいず比較ひかくしたとき個々ここ人物じんぶつ記述きじゅつ大幅おおはばわっているが人物じんぶつ配列はいれつ方法ほうほう冒頭ぼうとう部分ぶぶんのぞいておおむ系図けいずのものをいでおり、冒頭ぼうとう部分ぶぶんにのみ「したからうえもどることのない」といういわゆる「しん原則げんそく」でならべられている。この系統けいとう系図けいずには以下いかのようななが跋文ばつぶんされている。「光源氏ひかるげんじ物語ものがたり系図けいずといふもの、いずれのだいよりき、だれにんのしわざなりといふことをしらず、異同いどうまち/\にして、是非ぜひわきまへがたし、さだめててんてん書写しょしゃのあやまりなるべし、このこのものがたりにしんよするともからさんよんヶ年かねんかほとかたみにあひかたらひじゅうじょうのうちしつかにひらきみてはんらんをかりたいらけ浮詞をきりきる就中なかんづく氏族しぞくたしかならす前後ぜんごみえさるやからをはいちかん/\におきて一人ひとり/\をしるせりただしわらは随身ずいじんこときそのしなかすにもあらす、そのことわささせるかいなきものにいたりてはこれをのそくついにしてろん潤色じゅんしょくをへすなはち書写しょしゃ校合きょうごうをとくるもの也、おほよそかれ物語ものがたり代々だいだいのもてあそびぶつとして、家々いえいえちゅうかずおほしといへども、ももはなぼうぜんかく花鳥かちょう余情よじょうしょうして、松岩寺しょうがんじ左府さふかわうみ遺漏いろうけっきゅうへるにぎたるはなかるべし、かれじょにものこれるをひろひ、あやまりをあらたむるは先達せんだつのしわざにそむかざれば、後生ごしょうのともがらなんぞしたがわざらんやと、ふでのこきゅうはれば、いま系図けいずのおもむき此義理ぎりにひとし、かくさだめおけるなかにも、なおあやまりなきにあらざるべし、将来しょうらい君子くんしかならずこころざしをおなじくすべしといふことしかり、ときにちょう享二きょうじのとしせいさんがつ、これをしるしおはりぬ」[10]なお、実隆さねたかおおやけによればちょうとおる2ねんほんには上記じょうき跋文ばつぶんにあるように3月にいちくにだか親王しんのう献上けんじょうしたものと6がつになってあらためて献上けんじょうしたものとが存在そんざいすることになるが、現存げんそんするものすべて6がつほん系統けいとうであるとかんがえられる。

写本しゃほん

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ちょうとおる2ねんほん系列けいれつぞくするとかんがえられる写本しゃほんには以下いかのようなものが存在そんざいする。

あかりおう8ねんほん

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ちょうとおる2ねんほん比較ひかくすると人物じんぶつ配列はいれつ方法ほうほうについてきゅう原則げんそくしん原則げんそくとが逆転ぎゃくてんするなど一新いっしんされている[11]

写本しゃほん

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あかりおう8ねんほん系列けいれつぞくするとかんがえられる写本しゃほんには以下いかのようなものが存在そんざいする[12]

  • でん三条西さんじょうにし実隆さねたかひつ源氏物語げんじものがたり系図けいず』(金刀比羅宮ことひらぐう社務しゃむ所蔵しょぞう
    この写本しゃほんは「ミセケチ」などをおおふくんでおり、推敲すいこうほんではないかとられている。

ぶんかめ4ねんほん

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系図けいずやこれまでの実隆さねたかほん系図けいずくらべると、人物じんぶつ配列はいれつ方法ほうほうしん原則げんそく一本いっぽんされており、実隆さねたか本源ほんげん系図けいずいちおう完成かんせい位置いちづけられている。

写本しゃほん

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ぶんかめ4ねんほん系列けいれつぞくするとかんがえられる写本しゃほんには以下いかのようなものが存在そんざいする。このほかにゅう源氏物語げんじものがたり慶安けいあんさん年版ねんばんうけたまわおうさん年版ねんばん)、くびしょ源氏物語げんじものがたりといった版本はんぽんおさめられている系図けいずもこの系統けいとうぞくする。

  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず天理てんり図書館としょかん吉田よしだ文庫ぶんこぞう
  • 源氏げんじ系図けいず内閣ないかく文庫ぶんこぞう
    系図けいず人々ひとびと」をく。
  • 光源氏ひかるげんじ系図けいず宮内庁くないちょうしょりょう加治かじ文庫ぶんこ
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず高松宮たかまつのみやぞう
    系図けいず人々ひとびと」をく。
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかんぞう
    室町むろまち末期まっきころの書写しょしゃ。「系図けいず人々ひとびと」をく。
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかんぞう
    江戸えど末期まっきうつし。「系図けいず人々ひとびと」をく。
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいずよもぎひだり文庫ぶんこぞう
    寄合よりあいきの源氏物語げんじものがたり写本しゃほんされたもので筆写ひっしゃ目録もくろくによる系図けいず書写しょしゃしゃは「南都なんと連歌れんが紹九」。巻末かんまつあかりおうはちねんほん識語しきごされるが内容ないようぶんかめよんねんほんである。
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいずよもぎひだり文庫ぶんこぞう
    折本おりほん1じょうちょうとおるねん跋文ばつぶんされるが内容ないようぶんかめよんねんほんである。
  • 光源氏ひかるげんじ系図けいずよもぎひだり文庫ぶんこぞう
    系図けいず人々ひとびと」をく。
  • 源氏げんじ系図けいずしゅう石山寺いしやまでらぞう
    折本おりほん1じょう
  • 源氏物語げんじものがたり人物じんぶつこう龍谷大りゅうこくだいがく図書館としょかんぞう
    巻頭かんとう一部いちぶと「系図けいず人々ひとびと」の宿木やどりぎまき途中とちゅう以下いかく。
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず広島大学ひろしまだいがく国文こくぶん研究けんきゅうしつぞう
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず架蔵かぞうほん
    系図けいず人々ひとびと」をく。
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず架蔵かぞうほん
    まきはつに「光源氏ひかるげんじ物語ものがたり目録もくろく」がしるされている。

その以下いかのような版本はんぽんされた系図けいずぶんかめよんねんほん系統けいとうであるとみとめられる。

えいただし9ねんほん

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このながせい9ねんほんでは系図けいずからぶんかめ4ねんほんまでどう一人物いちじんぶつであるとされているひげくろちちでありこん上帝じょうてい (源氏物語げんじものがたり)外祖父がいそふにあたる左大臣さだいじん冷泉れいせんみかど女御にょうごちちである左大臣さだいじんべつ人物じんぶつとするというかたち左大臣さだいじん系譜けいふれている[13]。 この系統けいとう系図けいずには以下いかのような奥書おくがきゆうしている。

ほんうん物語ものがたり系図けいずちょうとおるねん春之はるゆき肖柏しょうはくとう相談そうだんおとずれ宗祇そうぎ法師ほうし指南しなんあらしょ清書せいしょほん也、引余習以けんほんしみ禿筆ちびふで不可ふか出窓でまどがいしゃ也、
えいただしだいきゅうろうがつ廿にじゅうななにち
まき年紀としのりため備忽忘大がいちゅうづけ
えいただしじゅうはち

写本しゃほん

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えいただし9ねんほん系列けいれつぞくするとかんがえられる写本しゃほんには以下いかのようなものが存在そんざいする。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ つね磐井いわい和子かずこ天文てんもんほん系図けいず」『源氏物語げんじものがたり系図けいず研究けんきゅう笠間かさま書院しょいん1973ねん昭和しょうわ48ねん)3がつ、pp. 276-279。
  2. ^ 伊井いい春樹はるき天文てんもんほん系図けいず実隆さねたかほん系図けいず」『源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく研究けんきゅう しつ町前まちまえ』pp. 560-563。
  3. ^ つね磐井いわい和子かずこ源氏物語げんじものがたり系図けいず概説がいせつ」『源氏物語げんじものがたり系図けいず研究けんきゅう笠間かさま書院しょいん、1973ねん昭和しょうわ48ねん)3がつ、pp. 1-5。
  4. ^ 池田いけだ亀鑑きかん源氏物語げんじものがたり系図けいずとその本文ほんぶんてき資料しりょう価値かち』「学士がくしいん紀要きようだい9かんだい2ごう 1951ねん昭和しょうわ26ねん)7がつ
  5. ^ 池田いけだ亀鑑きかん編著へんちょ本文ほんぶん資料しりょうとしての源氏物語げんじものがたり系図けいず」『源氏物語げんじものがたり大成たいせい まき7 研究けんきゅう資料しりょうへん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1956ねん昭和しょうわ31ねん)11月。または『源氏物語げんじものがたり大成たいせい だいじゅうさつ 研究けんきゅうへん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1985ねん昭和しょうわ60ねん)9がつ
  6. ^ 三条西さんじょうにし公正きみまさ写本しゃほん源氏物語げんじものがたり系図けいずいて」『国語こくご国文学こくぶんがくだい7かんだい9ごう1930ねん昭和しょうわ5ねん)9がつ、pp. 1-35。
  7. ^ つね磐井いわい和子かずこ「三条西家本源氏物語古系図」『源氏物語げんじものがたり系図けいず研究けんきゅう笠間かさま書院しょいん、1973ねん昭和しょうわ48ねん)3がつ、pp. 193-198。
  8. ^ 伊井いい春樹はるき日記にっきる『源氏物語げんじものがたり系図けいず関係かんけい資料しりょう」『源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく研究けんきゅう しつ町前まちまえ』pp. 508-515。
  9. ^ 伊井いい春樹はるき実隆さねたかほん源氏物語げんじものがたり系図けいず』の出現しゅつげん」『源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく研究けんきゅう しつ町前まちまえ』pp. 515-521。
  10. ^ 伊井いい春樹はるきちょうとおるねんほん」『源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく研究けんきゅう しつ町前まちまえ』pp. 521-531。
  11. ^ 伊井いい春樹はるきあきらおうはちねんほん」『源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく研究けんきゅう しつ町前まちまえ』pp. 531-540。
  12. ^ 伊井いい春樹はるきぶんかめよんねんほん」『源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく研究けんきゅう しつ町前まちまえ』pp. 540-545。
  13. ^ 伊井いい春樹はるきえいただしきゅうねんほん」『源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく研究けんきゅう しつ町前まちまえ』pp. 545-549。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず研究けんきゅうつね磐井いわい和子かずこ笠間かさま書院しょいん、1973ねん3がつ
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいずつたえるもの』つね磐井いわい和子かずこ(「源氏物語げんじものがたり講座こうざ8 源氏物語げんじものがたり本文ほんぶん受容じゅようつとむまことしゃ、1992ねん12月25にちISBN 4-585-02019-5
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず伊井いい春樹はるきへん源氏物語げんじものがたり 注釈ちゅうしゃくしょ享受きょうじゅ事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2001ねん9がつ15にち、pp. 251-253。 ISBN 4-490-10591-6
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず三条西さんじょうにし実隆さねたか)」伊井いい春樹はるきへん源氏物語げんじものがたり 注釈ちゅうしゃくしょ享受きょうじゅ事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2001ねん9がつ15にち、pp. 253-254 ISBN 4-490-10591-6
  • 源氏物語げんじものがたり系図けいず伊井いい春樹はるきへん源氏物語げんじものがたり 注釈ちゅうしゃくしょ享受きょうじゅ事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2001ねん9がつ15にち、pp. 257-258。 ISBN 4-490-10591-6
  • 上野うえの英子えいこ系図けいず新旧しんきゅうねんりつ伊井いい春樹はるき渋谷しぶや栄一えいいちへん講座こうざ源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう だいさんかん 源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく』おうふう、2007ねん2がつ、pp. 105-126。 ISBN 978-4273034535
  • 山脇やまわきあつし実隆さねたか源氏物語げんじものがたり系図けいず京都きょうと文學ぶんがくかい藝文げいぶんだい15かんだい6ごうひらきせいかん出版しゅっぱん1924ねん大正たいしょう13ねん)6がつ のち山脇やまわきあつし源氏物語げんじものがたり文献ぶんけんがくてき研究けんきゅうそうもとしゃ 1944ねん昭和しょうわ19ねん)10がつ、pp. 261-268。
  • 伊井いい春樹はるき実隆さねたかの『源氏物語げんじものがたり系図けいず作成さくせい」『源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく研究けんきゅう しつ町前まちまえさくらかえでしゃ、1980ねん昭和しょうわ55ねん)11月、pp. 507-563。

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