(Translated by https://www.hiragana.jp/)
三条西家 - Wikipedia コンテンツにスキップ

三条西さんじょうにし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
三条西さんじょうにし
家紋
やっ丁字ていじしゃやつちょうじ ぐるま
本姓ほんせい 藤原ふじわらきた 閑院りゅう 正親おうぎまち三条さんじょうりゅう
いえ 三条西さんじょうにしこうとき
種別しゅべつ 公家くげ大臣だいじん
華族かぞく伯爵はくしゃく
出身しゅっしん 山城やましろこく
おも根拠地こんきょち 山城やましろこく
著名ちょめい人物じんぶつ 三条西さんじょうにし実隆さねたか
三条西さんじょうにしこうじょう
三条西さんじょうにし実枝みえ
三条西さんじょうにし季知すえとも
支流しりゅう分家ぶんけ 武者小路むしゃのこうじ(羽林はばやし,子爵ししゃく)
押小路おしこうじ(羽林はばやし,子爵ししゃく)
高松たかまつ(羽林はばやし,子爵ししゃく)
凡例はんれい / Category:日本にっぽん氏族しぞく

三条西さんじょうにし(さんじょうにし け)は、藤原ふじわらきた閑院りゅう嫡流ちゃくりゅう三条さんじょう分家ぶんけである正親おうぎまち三条さんじょう嵯峨さがのそのまた分家ぶんけにあたる公家くげ華族かぞくいえ[1]公家くげとしての家格かかく大臣だいじん華族かぞくとしての家格かかく伯爵はくしゃくいえ[2]

西三条にしさんじょうとした時期じきもある。つうは「おおやけ」「」「」。分家ぶんけ押小路おしこうじ武者小路むしゃのこうじ高松たかまつがある。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

室町むろまち時代ときよ前期ぜんき正親町おおぎまち三条さんじょうみのるつぎ三条西さんじょうにしこうときはじまる[1]家名かめい屋敷やしきがあった三条北さんじょうきた西朱雀にししゅじゃく由来ゆらいする[1]家格かかく大臣だいじん旧家きゅうか内々うちうち[3]

歴代れきだい当主とうしゅのうちおおやけ実隆さねたか実枝みえじつ公明こうめい内大臣ないだいじん[1][4]おおやけじょうじつじょう右大臣うだいじんとなった[1][5]

実隆さねたか中世ちゅうせい文化ぶんか文学ぶんがく代表だいひょうする人物じんぶつとしても著名ちょめいで、その日記にっき実隆さねたかおおやけ』はいちきゅう資料しりょうとなっている[1]

三条西さんじょうにし嵯峨さがともに、大元おおもと本家ほんけすじにあたる三条さんじょう男系だんけい血統けっとう途絶とだえたさいには度々たびたび養子ようし輩出はいしゅつするバックアップのめん重要じゅうよう役割やくわりたした。戦国せんごく時代じだいには三条西さんじょうにしから三条さんじょう養子ようしはいっている(三条さんじょうみのるつな三条さんじょう公広きみひろ[6]

幕末ばくまつ当主とうしゅ季知すえとも尊皇そんのう攘夷じょうい公卿くぎょうとして活躍かつやくし、ななきょう一人ひとりとしてられる[1]維新いしんのち華族かぞく伯爵はくしゃくいえれっする[1]

歴史れきし

[編集へんしゅう]
三条西さんじょうにしつたわる『栄花物語えいがものがたり』(鎌倉かまくら時代ときよ前期ぜんき書写しょしゃ国宝こくほう)。
4だい実隆さねたか入手にゅうしゅしたもので、その経緯けいいは『実隆さねたかおおやけ』にくわしくしるされている。

南北なんぼくあさ時代じだい

[編集へんしゅう]

南北なんぼくあさ時代じだい後期こうき正親町おおぎまち三条さんじょうみのるつぎ次男じなんけん大納言だいなごん三条西さんじょうにしこうときとする。おおやけじつきよしけん中納言ちゅうなごん在任ざいにんちゅう死去しきょしたため、つぎ世代せだいおおやけ本家ほんけである現在げんざい嵯峨さがから養子ようしはいり、生家せいか家格かかくいだため、大臣だいじん家格かかくゆうすることとなった。

室町むろまち時代ときよ

[編集へんしゅう]

三条西さんじょうにし当主とうしゅ代々だいだい和歌わかすぐれたが、そもそも三条西さんじょうにし歌道かどうとの関係かんけい正親おうぎまち三条さんじょう時代じだい正親町おおぎまち三条さんじょうみのるつぎはじまる。じつつぎじょうためあきら弟子でしとなり、じょう一門いちもん古今ここん伝授でんじゅ継承けいしょうしゃつらねた。また三条西さんじょうにしこう古今ここん伝授でんじゅ継承けいしょうしゃであるじょう尭孝ぎょうこう弟子でしであった。室町むろまち時代ときよ後期こうき三条西さんじょうにし実隆さねたかじょう宗祇そうぎ師事しじ歌人かじん書家しょかとしてをなした。また、三条西さんじょうにし家業かぎょうとなる「香道こうどう御家流おいえりゅう)」も、この時期じきよりはじまった。

戦国せんごく安土あづち桃山ももやま時代じだい

[編集へんしゅう]

三条西さんじょうにし三栖みす下庄しもしょう丹波たんば今林いまばやししょう越前えちぜん田野たのむらしょうなどを所領しょりょうとしてっていたが田野たのむらしょう以外いがい戦国せんごく大名だいみょう有力ゆうりょく国人くにびと横領おうりょうされ収入しゅうにゅうられなくなった。 戦国せんごく時代じだい三条西さんじょうにし実隆さねたか三条西さんじょうにしこうじょう三条西さんじょうにし実枝みえ和漢わかん精通せいつうし、実隆さねたかおおやけじょう実枝みえの3にん三条西さんじょうにしさんだいばれる。三条西さんじょうにしによる歌学かがく継承けいしょうは、三条西さんじょうにし実枝みえのあと、本来ほんらい三条西さんじょうにし公国こうこくぐべきであったが、実枝みえ老齢ろうれいたっしたおりいまおさなかったため、三条西さんじょうにし実枝みえ高弟こうてい細川ほそかわ幽斎ゆうさい中継なかつぎとして古今ここん伝授でんじゅけ、三条西さんじょうにし公国こうこく成人せいじんをまってつたえた。しかし、三条西さんじょうにし公国こうこく早世そうせいしてしまったため、幽斎ゆうさい実枝みえとの生前せいぜん約束やくそく誠実せいじつたすべくふたた公国こうこく三条西さんじょうにしみのるじょうつたえなおしている。じつじょう武将ぶしょうでもあった幽斎ゆうさい関ヶ原せきがはらたたか居城きょじょう田辺たなべしろてきぐん包囲ほういされており、こう陽成ようぜい天皇てんのう勅書ちょくしょたずさ丹後たんごまで下向げこうしている。

江戸えど時代じだい

[編集へんしゅう]

三条西さんじょうにしみのるじょうのあとは三条西さんじょうにしこうかちいだ。またじつじょうだい三条西さんじょうにしこうしゅ武者小路むしゃのこうじだいさん西にし郊実ごう西にし郊家のちの高松たかまつ)が分家ぶんけ独立どくりつし、それぞれてた。以降いこう江戸えどとおして歌道かどう三条西さんじょうにし一門いちもん家職かしょくてき学問がくもんとなる。

藤原ふじわら定家さだいえ子孫しそんとしては冷泉れいせんられているが、実際じっさいには、室町むろまち時代ときよから明治めいじにいたるまで、じょう[注釈ちゅうしゃく 1]ただし嫡流ちゃくりゅう伝承でんしょうする三条西さんじょうにしが、定家さだいえ後継こうけいしゃとして、歌壇かだん主流しゅりゅうめた。おおやけしょうのあとは三条西さんじょうにしみのるきょういだ。じつきょうじょう宗家そうけとしてのほこたか歌人かじんであった。おおやけしょうで、じつきょうおとうとであるおおやけおん分家ぶんけ独立どくりつ押小路おしこうじてた。

江戸えど時代じだい初期しょき女性じょせいで、江戸えど幕府ばくふ3だい将軍しょうぐん徳川とくがわ家光いえみつ乳母うばとして有名ゆうめい春日局かすがのつぼね三条西さんじょうにしえんのある人物じんぶつで、三条西さんじょうにしみのるじょうなおいもうと縁組えんぐみをし、公卿くぎょうである三条西さんじょうにし息女そくじょとして御所ごしょ参内さんだいし、きょくごうゆるされた。じつじょう武家ぶけ伝奏てんそうとなり官位かんい右大臣うだいじんまで昇進しょうしんした。おおやけしょうわかくしてくなったためじつじょうは、まごたる三条西さんじょうにしみのるきょう古今ここん伝授でんじゅをした。またじつきょう晩年ばんねんになるまで継嗣けいしめぐまれず、嗣子ししとなるおおやけぶくたのは79さいときであった。じつきょう高弟こうていには鍋島なべしま光茂みつしげがいる。三条西さんじょうにしこうぶく加賀かが藩主はんしゅ前田まえだ綱紀つなのりむすめ正室せいしつとしてむかえた。それより以前いぜん加賀かが藩主はんしゅ前田まえだによりだい規模きぼ蔵書ぞうしょ調査ちょうさおよび整理せいりがおこなわれている。おおやけぶくわずか3さいにしてちちをうしなったためれいもと天皇てんのうをはじめ中院なかのいんとおる武者小路むしゃのこうじみのるかげ歌道かどう師事しじした。

江戸えど時代じだい所領しょりょう表高おもてだかは502せき[3][注釈ちゅうしゃく 2]屋敷やしき寺町てらまちどおりさわら木町きまちにあった[3]家臣かしんしょ大夫たいふ河村かわむらがあった[3]

明治めいじ時代じだい以降いこう

[編集へんしゅう]
三条西さんじょうにし季知すえとも

幕末ばくまつ維新いしん当主とうしゅ三条西さんじょうにし季知すえとも歌人かじんとして著名ちょめいだったほか[1]尊皇そんのう攘夷じょうい公卿くぎょうとして幕末ばくまつ政局せいきょく活躍かつやくし、いわゆるななきょう一人ひとりだったことでられる[7]維新いしんにはしん政府せいふ参与さんよつとめ、明治天皇めいじてんのう和歌わか師範しはんつとめた[8]

明治めいじ2ねん(1869ねん)6がつ17にち行政ぎょうせいかんたち公家くげ大名だいみょういえ統合とうごうされて華族かぞく制度せいど誕生たんじょうすると三条西さんじょうにし公家くげとして華族かぞくれつした[9][10]

維新いしんさだめられたいえろくは、げんべいで372せき3[11][注釈ちゅうしゃく 3]明治めいじ9ねん8がつ5にちかねろく公債こうさい証書しょうしょ発行はっこう条例じょうれいもとづきろくえに支給しきゅうされたきむろく公債こうさいがくは1まん6865えん52ぜに8りん華族かぞく受給じゅきゅうしゃちゅう261[13]

明治めいじ14ねん(1884ねん)7がつ7にち華族かぞくれい施行しこう華族かぞく爵制になると大納言だいなごんせんにんれいおおきゅう堂上どうじょう[注釈ちゅうしゃく 4]として季知すえともおおやけまこと伯爵はくしゃくくらいさづけられた[2]

おおやけまこと水原みずはらけん知事ちじおよび新潟にいがた県知事けんちじとして活躍かつやくした[7]。またかれ一時期いちじき西にしさんじょう改姓かいせいした[7]

おおやけまこと三条西さんじょうにしみのるよし御歌所おうたどころ出仕しゅっしする歌人かじんでもあった[7]

昭和しょうわ当主とうしゅ三条西さんじょうにし公正きみまさは、実践女子大学じっせんじょしだいがく教授きょうじゅなどをつとめる一方いっぽう御家流おいえりゅう香道こうどう宗家そうけとして日本にっぽん香道こうどう協会きょうかい会長かいちょうもつとめ香道こうどう復興ふっこう発展はってん尽力じんりょくした。また聖霊女子短期大学せいれいじょしたんきだいがく校歌こうか作成さくせいしゃとしてもられる。公正こうせい夫人ふじんは、こうじゅん皇后こうごういもうとにあたる久邇くに宮家みやけ信子のぶこ女王じょおうである。公正こうせいのあとをいだのがじつけんであり、香道こうどう発展はってん尽力じんりょくした。じつけんおとうとじつさかえ母方ははかたのおじのいえである久邇くに侯爵こうしゃく継承けいしょうしている。げん当主とうしゅ公彦きみひこであり、香道こうどうひろめる活動かつどう積極せっきょくてきっている。

三条西さんじょうにし文書ぶんしょは、学習院大学がくしゅういんだいがく東京大学とうきょうだいがく国立こくりつ公文書こうぶんしょかん国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかん早稲田大学わせだだいがくカリフォルニア大学だいがく天理大学てんりだいがく日本にっぽん大学だいがくなどのかく研究けんきゅう機関きかん分散ぶんさん所有しょゆうされている。

歴代れきだい当主とうしゅ

[編集へんしゅう]
  1. 三条西さんじょうにしこうとき
  2. 三条西さんじょうにしみのるきよし
  3. 三条西さんじょうにしこう
  4. 三条西さんじょうにし実隆さねたか香道こうどう御家流おいえりゅうりゅう
  5. 三条西さんじょうにしこうじょう
  6. 三条西さんじょうにし実枝みえ
  7. 三条西さんじょうにし公国こうこく
  8. 三条西さんじょうにしみのるじょう
  9. 三条西さんじょうにしこうかち
  10. 三条西さんじょうにしみのるきょう
  11. 三条西さんじょうにしこうぶく
  12. 三条西さんじょうにしみのるしょう
  13. 三条西さんじょうにし公里くり
  14. 三条西さんじょうにしのべ
  15. 三条西さんじょうにしみのるくん
  16. 三条西さんじょうにし季知すえとも
  17. 三条西さんじょうにしこうまこと一時期いちじき西にしさんじょう家名かめいとする)
  18. 三条西さんじょうにしみのるよし
  19. 三条西さんじょうにし公正きみまさ
  20. 三条西さんじょうにしみのるけん
  21. 三条西さんじょうにし公彦きみひこ

系譜けいふ

[編集へんしゅう]
実線じっせん実子じっし点線てんせんたて)は養子ようし点線てんせんよこ)は婚姻こんいん関係かんけい
正親町おおぎまち三条さんじょうみのるつぎ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三条西さんじょうにしこうとき1おおやけゆたか
 
 
 
 
 
じつきよし2三条西さんじょうにしこう
 
 
 
おおやけ3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
じつれん実隆さねたか4
 
 
 
おおやけじょう5
 
 
 
実枝みえ6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公国こうこく7三条さんじょうみのるつな
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
じつじょう8三条さんじょう公広きみひろ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おおやけしょう9武者小路むしゃのこうじこうしゅ
武者小路むしゃのこうじ
西にし郊実ごう
西にし郊家
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
じつきょう10清水谷しみずだにこうさかえ押小路おしこうじおおやけおん
押小路おしこうじ
 
 
 
おおやけぶく11
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
じつしょう12花園はなぞの公純きんいとのべ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公里くり13武者小路むしゃのこうじこうたかし押小路おしこうじこうのべ14
 
 
 
じつくん15
 
 
 
季知すえとも16
 
 
 
おおやけまこと17
 
 
 
じつよし18[注釈ちゅうしゃく 5]
 
 
 
公正こうせい19
 
 
 
 
 
 
 
 
 
じつけん20久邇くにみのるさかえ
 
 
 
公彦きみひこ21

分家ぶんけ

[編集へんしゅう]

武者小路むしゃのこうじ

[編集へんしゅう]

三条西さんじょうにしみのるじょう次男じなんであるおおやけしゅおこしたいえ家名かめい由来ゆらいは、室町むろまち時代じだい三条西さんじょうにし実隆さねたからがんだ武者小路むしゃのこうじどおりめんする三条西さんじょうにし邸宅ていたくである武者小路むしゃのこうじだいちなむ。おおやけしゅ優秀ゆうしゅう歌人かじんであった。おおやけしゅつぎは、一族いちぞくよりじつかげ継承けいしょうした。じつかげ息子むすこであるおおやけ優秀ゆうしゅう歌人かじんであった。

西にし郊家(高松たかまつ

[編集へんしゅう]

三条西さんじょうにしみのるじょう三男さんなんであるごうおこしたいえごうおよび、その息子むすこ西にし郊実しん優秀ゆうしゅう歌人かじんであったが、じつしん息子むすこであるじつかげは、さらに優秀ゆうしゅう歌人かじんであった。じつかげれいもと天皇てんのういのちにより一族いちぞく武者小路むしゃこうじぐこととなり、西にし郊家は一時期いちじきえることになったが、さらにれいもと天皇てんのういのちによりじつかげ次男じなんであるじゅうによって西にし郊家は再興さいこうされることとなった。じゅうまでは仙洞せんとう御所ごしょつとむつかまつするいんさん公家くげであったが、じゅう以降いこう代々だいだい禁裏きんり出仕しゅっしできる堂上どうじょういえとなった。のちに、西にし郊家は別名べつめいである高松たかまつ称号しょうごうとした。

押小路おしこうじ

[編集へんしゅう]

三条西さんじょうにしこうかち次男じなんであるおおやけおんおこしたいえ

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ このじょうとは、摂関せっかんじょうではなく、まったくのべつりゅうである。別名べつめい御子みこひだりといったほうが、わかりやすいかもしれない。しかし、いえとしては、室町むろまち時代ときよ初期しょき断絶だんぜつしたため、堂上どうじょうとしては三条西さんじょうにしじょうがくみつるいだ。冷泉れいせん京極きょうごくとともに、このじょう分家ぶんけにあたる。
  2. ^ 国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんの『きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょうデータベース』によれば幕末ばくまつさんじょう西家にしいえりょうは、山城やましろこく愛宕あたごぐんひがし紫竹大門しちくだいもんむらのうち50せき7山城やましろこく葛野かずらのぐんうえかつらむらのうち200せき山城やましろこく葛野かずらのぐん松尾まつお谷村たにむらのうち25せき2しょう4ごう山城やましろこく葛野かずらのぐん松室まつむろむらのうち21せき6山城やましろこく葛野かずらのぐん上山田かみやまだむらのうち 3せき4山城やましろこく乙訓おとくにぐん寺戸てらどむらのうち200せき山城やましろこく紀伊きいぐん吉祥院きっしょういんむらのうち1せき56しょうであり、合計ごうけい7むら・502せき28しょう4ごう
  3. ^ 明治めいじ3ねん12がつ10日とおかさだめられた堂上どうじょう華族かぞくいえろく計算けいさん方法ほうほうは、ほんろくまいぶんたまものまいぽうりょうまい救助きゅうじょまい臨時りんじ給与きゅうよ合算がっさんして現高げんだかし、げんべいくさだか比率ひりつであるよんぶつなり計算けいさんしてくさだか算出さんしゅつし、そのわりふんいえろくとするものである[12]
  4. ^ 三条西さんじょうにし大納言だいなごんちょくにん中納言ちゅうなごんからそのまま大納言だいなごんになることをちょくにんといい、じきまかされるいえ中納言ちゅうなごん一度いちどしてから大納言だいなごんになるいえよりかくじょうなされていた)の回数かいすうは12かいなので叙爵じょしゃく内規ないき伯爵はくしゃく基準きじゅんである「大納言だいなごんまでせんにんれいおおきゅう堂上どうじょう」に該当がいとう[14]
  5. ^ 風早かざはやこう
  1. ^ a b c d e f g h i 三条西さんじょうにし」『日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)』https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E8%A5%BF%E5%AE%B6コトバンクより2022ねん11月22にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b 小田部おたべ雄次ゆうじ 2006, p. 324.
  3. ^ a b c d 太田おおた 1934, p. 2703.
  4. ^ 三条西さんじょうにし公国こうこく」『デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus』https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E8%A5%BF%E5%85%AC%E5%9B%BDコトバンクより2022ねん11月22にち閲覧えつらん 
  5. ^ 三条西さんじょうにしみのるじょう」『デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus』https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E8%A5%BF%E5%AE%9F%E6%9D%A1コトバンクより2022ねん11月22にち閲覧えつらん 
  6. ^ 森岡もりおかひろし 2012, p. 239.
  7. ^ a b c d 華族かぞく大鑑たいかん刊行かんこうかい 1990, p. 73.
  8. ^ 三条西さんじょうにし季知すえとも」『デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus』https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E8%A5%BF%E5%AD%A3%E7%9F%A5コトバンクより2022ねん12月15にち閲覧えつらん 
  9. ^ 浅見あさみ雅男まさお 1994, p. 24.
  10. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ 2006, p. 13-14.
  11. ^ かすみ会館かいかん華族かぞく家系かけい大成たいせい編輯へんしゅう委員いいんかい 1985, p. 7.
  12. ^ 刑部おさかべ芳則よしのり 2014, pp. 105–106.
  13. ^ 石川いしかわ健次郎けんじろう 1972, p. 56.
  14. ^ 浅見あさみ雅男まさお 1994, p. 118.

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 浅見あさみ雅男まさお華族かぞく誕生たんじょう 名誉めいよ体面たいめん明治めいじリブロポート、1994ねん平成へいせい6ねん)。 
  • 石川いしかわ健次郎けんじろう明治めいじ前期ぜんきにおける華族かぞく銀行ぎんこう投資とうしだい15国立こくりつ銀行ぎんこう場合ばあい―」『大阪大学おおさかだいがく経済けいざいがくだい22ごう大阪大学おおさかだいがく経済学部けいざいがくぶ研究けんきゅう、1972ねん、27 - 82ぺーじ 
  • オープンアクセス太田おおたあきら国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 三条西さんじょうにし サンデウニシ」『姓氏せいし家系かけいだい辞典じてんだい2、上田うえだ萬年かずとし三上みかみさん監修かんしゅう姓氏せいし家系かけいだい辞典じてん刊行かんこうかい、1934ねん、2699-2701ぺーじNCID BN05000207OCLC 673726070全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123864/218 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 
  • 刑部おさかべ芳則よしのり京都きょうとのこった公家くげたち: 華族かぞく近代きんだい吉川弘文館よしかわこうぶんかん歴史れきし文化ぶんかライブラリー385〉、2014ねん平成へいせい26ねん)。ISBN 978-4642057851 
  • 小田部おたべ雄次ゆうじ華族かぞく 近代きんだい日本にっぽん貴族きぞく虚像きょぞう実像じつぞう中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ1836〉、2006ねん平成へいせい18ねん)。ISBN 978-4121018366 
  • かすみ会館かいかん華族かぞく家系かけい大成たいせい編輯へんしゅう委員いいんかい昭和新しょうわしんおさむ華族かぞく家系かけい大成たいせい 別巻べっかん 華族かぞく制度せいど資料集しりょうしゅうかすみ会館かいかん、1985ねん昭和しょうわ60ねん)。ISBN 978-4642035859 
  • かすみ会館かいかん華族かぞく家系かけい大成たいせい編輯へんしゅう委員いいんかい平成へいせいしんおさむきゅう華族かぞく家系かけい大成たいせい 上巻じょうかんかすみ会館かいかん、1996ねん平成へいせい8ねん)。ISBN 978-4642036702 
  • 華族かぞく大鑑たいかん刊行かんこうかい華族かぞく大鑑たいかん日本にっぽん図書としょセンター日本人にっぽんじんぶつ叢書そうしょ7〉、1990ねん平成へいせい2ねん)。ISBN 978-4820540342 
  • 森岡もりおかひろし日本にっぽん名門めいもん名家めいかだい辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2012ねん平成へいせい24ねん)。ISBN 978-4490108217 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]