尭孝ぎょうこう(ぎょうこう、明徳めいとく2年ねん/元もと中なか8年ねん(1391年ねん)- 享とおる徳とく4年ねん7月がつ5日にち(1455年ねん8月がつ17日にち))は、室町むろまち時代ときよ中期ちゅうきの僧そう・歌人かじん。武家ぶけの二階堂にかいどう氏し。父ちちは僧そうで歌人かじんの尭たかし尋ひろ[1]。和歌わか四天王してんのうの一人ひとり頓阿とんあの曾孫そうそんにあたる[1]。養子ようしに僧そうで歌人かじんの尭たかし憲けん、弟子でしに尭たかし恵めぐみ・三条西さんじょうにし公こう保ほがいる。
曽そ祖父そふの代だいから引ひき継ついだ和歌わか所しょを預あずかった。二に条じょう派はの歌壇かだんの中心ちゅうしん的てき歌人かじんとなり、冷泉れいせん派はの清巌せいがん正徹しょうてつに対抗たいこうした[1]。永えい享とおる5年ねん(1433年ねん)和歌わか所しょ開ひらき闔(かいこう)に任にんじられ、勅撰ちょくせん和歌集わかしゅうの「新しん続ぞく古今ここん和歌集わかしゅう」を撰えらべ出だしている。
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