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吉川よしかわほん源氏物語げんじものがたり

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吉川よしかわほん源氏物語げんじものがたり(きっかわほんげんじものがたり)または吉川よしかわほん源氏物語げんじものがたり(きっかわけほんげんじものがたり)は、源氏物語げんじものがたり写本しゃほんひとつ。岩国いわくにはんあるじ吉川よしかわ伝来でんらいしたことからこの名称めいしょうばれ、現在げんざいはいずれも岩国いわくに施設しせつ所蔵しょぞうされていることから「岩国いわくに吉川よしかわほん源氏物語げんじものがたり)」とばれることもある。以下いかふたつの写本しゃほん存在そんざいする。

河内かわうちほん

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現在げんざい山口やまぐちけん岩国いわくに吉川よしかわ史料しりょうかん所蔵しょぞうされている54じょうぞろほんである。一部いちぶおぎなえうつしられるまきふくむがうつしまきふくめてすくなくとも室町むろまち時代じだい以前いぜん成立せいりつられる。ほん写本しゃほんもともう利家としいえにあったもので、吉川よしかわひろ息子むすこ吉川よしかわ広正ひろまさ毛利もうり輝元てるもとむすめ「たけ」の婚儀こんぎ元和がんわ2ねん7がつ19にち)のさい毛利もうりからもたらされたものとされる[1]。この写本しゃほん本文ほんぶん自体じたい河内かわうちほんであり、河内かわうちほんなかではしゅうほん鳳来ほうらい寺本てらもととはおおくのなりをせるものの、御物ぎょもつほんにはちか本文ほんぶんであり、またこうくもほん一致いっちする本文ほんぶんをとっている場合ばあい存在そんざいする[2]ほん写本しゃほん本文ほんぶんには河内かわうちほん系統けいとう写本しゃほんのなかでは平瀬ひらせほんちか部分ぶぶんもあり[3]校訂こうてい途中とちゅうおもわせる部分ぶぶんがあったり空蝉うつせみまき前半ぜんはん部分ぶぶんなどにあお表紙ひょうしほん底本ていほんとして書写しょしゃされたのではないかとられる部分ぶぶんふくまれている[4]

蓬生よもぎう関屋せきや松風まつかぜうすくも少女しょうじょ玉鬘たまかずらゆうきり室町むろまち時代じだい以前いぜんうつしられる。このうつし部分ぶぶん本文ほんぶんあお表紙ひょうしほん系統けいとうで、ほん写本しゃほん特色とくしょくである目録もくろくかんぶつっていない[5]

奥書おくがき

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ほん写本しゃほんゆめ浮橋うきはしまき巻末かんまつには河内かわうちほん系統けいとう本文ほんぶん写本しゃほんにしばしばられる「みなもとちかしぎょうによる奥書おくがき」がしるされている。本書ほんしょ奥書おくがき御物ぎょもつほん鳳来ほうらい寺本てらもと共通きょうつうする文言もんごんふく一方いっぽうのどの河内かわうちほんにもほん写本しゃほん独自どくじ奥書おくがきふくんでおり、ほん写本しゃほん独自どくじ部分ぶぶんなかさびについての言及げんきゅうがあり、「この写本しゃほんもとさび奪取だっしゅした」とのこの写本しゃほん伝来でんらいについてのきわめて異様いよう文言もんごんふくんでいる特異とくいなものであり[6]かわ内方ないほう本流ほんりゅう義行よしゆきひじりさとし)や知行ちぎょうくだりおもね)と傍流ぼうりゅうさびとにかれはげしく対立たいりつするようになった経緯けいいさぐがかりになる貴重きちょうなものである。

目録もくろく

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各巻かくかん巻頭かんとうには目録もくろく漢文かんぶん目録もくろく仮名かめい目録もくろく)がしるされている。源氏物語げんじものがたり写本しゃほんほん写本しゃほん以外いがい巻頭かんとう目録もくろくされているれいとしてはなな毫源東山ひがしやま文庫ぶんこくら)、つて慈鎮ふで初音はつねまき静嘉堂文庫せいかどうぶんこくら)などがられている。漢文かんぶん目録もくろく仮名かめい目録もくろくおおむおな内容ないようであり、それぞれのまき内容ないよう項目こうもくとしているものである[7]たとえばきりつぼまき漢文かんぶん目録もくろく仮名かめい目録もくろく内容ないようはそれぞれ以下いかのようになっている。

  • 漢文かんぶん目録もくろく
    • きりつぼ御息所みやすんどころ寵愛ちょうあい   六条院ろくじょういん寵愛ちょうあい
      きりつぼ御息所みやすんどころのこれい   同人どうじん薨去こうきょ
      どう人母ひとぼ逝去せいきょ     六条院ろくじょういんぶんはじめ
      同人どうじんれいしょう高麗こうらいしょうじんきゅう 同人どうじんかんさる宿やど曜師
      六条院ろくじょういんため源氏げんじ    うすくも女院にょいんはは薨去こうきょ
      うすくも女院にょいん先帝せんてい四宮しのみや入内じゅだい 六条院ろくじょういん元服げんぷく
      同人どうじん渡御とぎょあおいじょう   同人どうじんごうひかりくん
    仮名かめい目録もくろく
    • きりつほのみやすんところてうあい ろくてうのいんかうたん
      きりつほのみやすんところいれい  おなじじんしきよ
      おなしじんのははせいきょ ろくてうのいんみふみはしめ
      おなしじんこまのさふじんにあはしめたまふ 同人どうじんすくようしかうかへさる
      ろくてうのいんくえんしたり うすくものおんなえんははききさいかうす
      うすくもおんなえんせんていのよんのみやうちへまいりきゅうふ ろくてうのいんけんふく
      同人どうじんあふひのうへかたへわたらせきゅうふ 同人どうじんひかるきみと

かんぶつ注釈ちゅうしゃく

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各巻かくかん巻末かんまつにはかんぶつしるされており、内容ないよう藤原ふじわらゆき源氏げんじしゃく一致いっちするてんおおく(増補ぞうほほん系統けいとう代表だいひょうてき写本しゃほんである前田まえだほん源氏げんじしゃく注釈ちゅうしゃくくわえている場所ばしょについてくらべたときの一致いっちりつやく92パーセントとされている[8]。)、数少かずすくない現存げんそんする源氏げんじしゃくつてほんひとつとしてあつかわれるようになっており、源氏げんじしゃくしょつてほん比較ひかく対照たいしょうしている書物しょもつにも写本しゃほん記号きごうきち写本しゃほんめい吉川よしかわほん」として収録しゅうろくされている[9]。なお、この吉川よしかわほんかんぶつについてはおくいれとの近似きんじ指摘してきする見解けんかい存在そんざいする[10]

系図けいず

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ほん写本しゃほんゆめ浮橋うきはし巻末かんまつには系図けいずしるされている。人物じんぶつ呼称こしょう配列はいれつなどといった系図けいず内容ないよう源氏物語げんじものがたり系図けいずなかではもっと成立せいりつ時期じきふる原型げんけいちかいとかんがえられているきゅうじょうほんもっとちかいものの、為氏ためうじほんちかてんあわつという性格せいかくをもったものである。

またおおくの源氏物語げんじものがたり系図けいず調査ちょうさしたつね磐井いわい和子かずことなえた「系図けいず収録しゅうろくされている系譜けいふ部分ぶぶん人数にんずうすくないほどふる原型げんけいちかいものである」とする法則ほうそく[11]ほん写本しゃほん系図けいずてはめても、

  • きゅうじょうほん系統けいとう系図けいず
  • 吉川よしかわほんほん写本しゃほん) 137にん

という位置いちづけになり、やはりきゅうじょうほんそのものではないもののきゅうじょうほんちかいかなりふる時期じきのものであるということになる。

光源氏ひかるげんじ物語ものがたりほんことには更級さらしな日記にっきぶんふくまれる「」について当時とうじ有識者ゆうしきしゃたちにいてまわったなかで、衣笠きぬがさない衣笠きぬがさりょう)による「源氏物語げんじものがたり写本しゃほんにはつね系図けいずがついている」とする証言しょうげん記載きさいしているが、現在げんざいられているふる時期じき成立せいりつした源氏物語げんじものがたり写本しゃほんなか実際じっさい系図けいずされていることがられている写本しゃほんほん写本しゃほんふくめておおくはない。

校本こうほんへの採用さいようじょうきょうなど

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校異こうい源氏物語げんじものがたりおよびそれをいだ『源氏物語げんじものがたり大成たいせい校異こういへん』への採用さいようい。『河内かわうちほん源氏物語げんじものがたり校異こうい集成しゅうせい』には写本しゃほん記号きごういわ」、写本しゃほんめい岩国いわくに吉川よしかわほん 吉川よしかわ史料しりょうかんぞう」として対校たいこう本文ほんぶんひとつに採用さいようされている。

ほん写本しゃほん単独たんどくでの影印本えいいんぼん翻刻ほんこくほん出版しゅっぱんいものの、ほん写本しゃほん特徴とくちょうである巻頭かんとう目録もくろく[12]巻末かんまつかんぶつ[13]ゆめ浮橋うきはし巻末かんまつ奥書おくがき[6]およ系図けいず[14]についてはそれぞれ翻刻ほんこく存在そんざいする。また源氏げんじしゃく一致いっちするかんぶつ部分ぶぶんについては源氏げんじしゃくしょほん集成しゅうせいおさめられている[9]

あお表紙ひょうしほん

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現在げんざい山口やまぐちけん岩国いわくに岩国いわくにしるし古館ふるたて所蔵しょぞうされている54じょうぞろほんであり、「源氏げんじ外題げだい」なる書写しょしゃ目録もくろくされている。本文ほんぶんあお表紙ひょうしほんなかでも三条さんじょう西家にしいえほん系統けいとうぞくする。三条西さんじょうにし実隆さねたかとうひつによるとされる寄合よりあいほんである。えいただし13ねんから14ねんころ(1516ねんから1517ねんころ)の成立せいりつ推定すいていされる。この成立せいりつ時期じき三条さんじょう西家にしいえほん系統けいとう写本しゃほんとして延徳えんとく年間ねんかん1490ねんころ)成立せいりつられるしょりょう蔵本ぞうほんとおるろく4ねん1531ねん成立せいりつ日大にちだい蔵本ぞうほん中間ちゅうかん位置いちするものである。本文ほんぶん内容ないようについても三条さんじょう西家にしいえほん特徴とくちょうとされる河内かわうちほんからの影響えいきょうについてると、しょりょう蔵本ぞうほん吉川よしかわほん日大にちだい蔵本ぞうほんながれでの影響えいきょうることが出来できるものである[15][16]ほん写本しゃほんについては『校異こうい源氏物語げんじものがたりおよびそれをいだ『源氏物語げんじものがたり大成たいせい校異こういへんとう主要しゅよう校本こうほんへの採用さいようい。またほん写本しゃほん単独たんどくでの影印本えいいんぼん翻刻ほんこくほん出版しゅっぱんい。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • いね敬二けいじ岩国いわくに吉川よしかわ家蔵かぞう源氏物語げんじものがたりおやぎょう奥書おくがきとその資料しりょうてき価値かち広島大学ひろしまだいがく文学部ぶんがくぶへん広島大学ひろしまだいがく文学部ぶんがくぶ紀要きようだい26かんだい1ごう広島大学ひろしまだいがく文学部ぶんがくぶ、1966ねん昭和しょうわ41ねん)12月、pp.. 29-49
  • いね敬二けいじ岩国いわくに吉川よしかわ家蔵かぞう源氏物語げんじものがたりおやぎょう奥書おくがきもとさび周辺しゅうへんちゅう古文こぶん学会がっかい中古ちゅうこ文学ぶんがく創刊そうかんごう、1967ねん昭和しょうわ42ねん)3がつ、もとはちゅう古文こぶん学会がっかい設立せつりつだいいちかい学会がっかい(1966ねん昭和しょうわ41ねん)11月5にち)における発表はっぴょう
  • 加藤かとう洋介ようすけ河内かわうちほん本文ほんぶんれ-岩国いわくに吉川よしかわほん場合ばあい-」『名古屋なごや平安へいあん文学ぶんがく研究けんきゅうかい会報かいほうだい25ごう、2000ねん平成へいせい12ねん)3がつ pp.1-16。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ いね敬二けいじ岩国いわくに吉川よしかわ家蔵かぞう源氏物語げんじものがたり」『源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう 成立せいりつつてりゅう笠間かさま書院しょいん、1967ねん昭和しょうわ42ねん)9がつ、pp.. 49-52。
  2. ^ いね敬二けいじ岩国いわくに吉川よしかわほんこうくもほん源氏物語げんじものがたり」『源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう 成立せいりつつてりゅう笠間かさま書院しょいん、1967ねん昭和しょうわ42ねん)9がつ、pp.. 139-147。
  3. ^ 豊島としま秀範ひでのり河内かわうちほん平瀬ひらせほん」・「吉川よしかわほん」の実態じったい―「はなえんまき―」代表だいひょうしゃ豊島としま秀範ひでのり國學院大學こくがくいんだいがく源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう支援しえん体制たいせい組織そしき本文ほんぶん関係かんけい資料しりょうさい検討けんとうおよしん提言ていげんのための共同きょうどう研究けんきゅうだい1ごう、2008ねん平成へいせい20ねん)3がつ、pp.. 113-122 。
  4. ^ 遠藤えんどう和夫かずお吉川よしかわ史料しりょうかんほん源氏物語げんじものがたりいち特徴とくちょう代表だいひょうしゃ豊島としま秀範ひでのり國學院大學こくがくいんだいがく源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう支援しえん体制たいせい組織そしき本文ほんぶん関係かんけい資料しりょうさい検討けんとうおよしん提言ていげんのための共同きょうどう研究けんきゅうだい1ごう、2008ねん平成へいせい20ねん)3がつ、pp.. 123-130 。
  5. ^ 豊島としま秀範ひでのり吉川よしかわほん毛利もうり伝来でんらい源氏物語げんじものがたり』)の目録もくろく巻末かんまつ注記ちゅうき -なな毫源との比較ひかく-」代表だいひょうしゃ豊島としま秀範ひでのり國學院大學こくがくいんだいがく源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう支援しえん体制たいせい組織そしき本文ほんぶん関係かんけい資料しりょうさい検討けんとうおよしん提言ていげんのための共同きょうどう研究けんきゅうだい3ごう、2010ねん平成へいせい22ねん)3がつ、pp.. 91-104 。
  6. ^ a b いね敬二けいじ吉川よしかわ本親もとちかぎょう奥書おくがきえるもとさび」『源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう 成立せいりつつてりゅう笠間かさま書院しょいん、1967ねん昭和しょうわ42ねん)9がつ、pp.. 52-56。
  7. ^ いね敬二けいじ岩国いわくに吉川よしかわほん巻頭かんとう目録もくろく」『源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう 成立せいりつつてりゅう笠間かさま書院しょいん、1967ねん昭和しょうわ42ねん)9がつ、pp.. 132-139。
  8. ^ 田坂たさか憲二けんじ都立とりつ中央ちゅうおう図書館としょかんほん源氏げんじしゃく』について」今井いまいみなもとまもるへん源氏物語げんじものがたりとその周縁しゅうえん刊行かんこうかいちょ研究けんきゅう叢書そうしょ 74 源氏物語げんじものがたりとその周縁しゅうえん和泉いずみ書院しょいん、1989ねん平成へいせい元年がんねん)6がつ、p. 101。 ISBN 4-87088-363-5 のち「だいいちしょう源氏げんじしゃくいち 都立とりつ中央ちゅうおう図書館としょかんほん源氏げんじしゃく』について」『源氏物語げんじものがたり享受きょうじゅ論考ろんこう風間かざま書房しょぼう、2009ねん平成へいせい21ねん)10がつ、p. 32。 ISBN 978-4-7599-1754-3
  9. ^ a b 渋谷しぶや栄一えいいちへん源氏物語げんじものがたりふるちゅう集成しゅうせい 16 源氏げんじしゃくおうふう、2000ねん平成へいせい12ねん)10がつISBN 4-273-03128-0
  10. ^ 源氏物語げんじものがたりかんぶつ伊井いい春樹はるきへん源氏物語げんじものがたり 注釈ちゅうしゃくしょ享受きょうじゅ事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2001ねん平成へいせい13ねん)9がつ15にち、pp. 238-239。 ISBN 4-490-10591-6
  11. ^ つね磐井いわい和子かずこ源氏物語げんじものがたり系図けいず研究けんきゅう笠間かさま書院しょいん、1973ねん昭和しょうわ48ねん)3がつ、p. 163。
  12. ^ 渋谷しぶや栄一えいいち岩国いわくに吉川よしかわほん源氏物語げんじものがたり」の巻頭かんとう目録もくろくことしょ標記ひょうきについて 翻刻ほんこく高千穂たかちほ大学だいがく高千穂たかちほ学会がっかいへん高千穂たかちほ論叢ろんそうだい43かんだい1ごう高千穂たかちほ大学だいがく高千穂たかちほ学会がっかい、2008ねん平成へいせい20ねん)5がつ、pp.. 1-33。
  13. ^ いね敬二けいじ岩国いわくに吉川よしかわ家蔵かぞう源氏物語げんじものがたり巻末かんまつかんぶつ翻刻ほんこく」『源氏物語げんじものがたり研究けんきゅう 成立せいりつつてりゅう笠間かさま書院しょいん、1967ねん昭和しょうわ42ねん)9がつ、pp.. 541-575。
  14. ^ 渋谷しぶや栄一えいいち岩国いわくに吉川よしかわほん源氏物語げんじものがたり」の巻末かんまつ系図けいず人物じんぶつ呼称こしょうについて 翻刻ほんこく高千穂たかちほ大学だいがく高千穂たかちほ学会がっかいへん高千穂たかちほ論叢ろんそうだい43かんだい2ごう高千穂たかちほ大学だいがく高千穂たかちほ学会がっかい、2008ねん平成へいせい20ねん)8がつ、pp.. 1-17。
  15. ^ 岡野おかの道夫みちお吉川よしかわほん源氏物語げんじものがたり帚木まき本文ほんぶんについて」日本にっぽん大学だいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょへん日本にっぽん大学だいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょ研究けんきゅう紀要きよう日本にっぽん大学だいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょつうごうだい16ごう、1974ねん昭和しょうわ49ねん)3がつ、pp.. 46-64。
  16. ^ 岡野おかの道夫みちお吉川よしかわほん源氏物語げんじものがたり柏木かしわぎまき本文ほんぶんについて」『かたりぶん日本にっぽん大学だいがく国文こくぶん学会がっかいつうごうだい39ごう、1974ねん昭和しょうわ49ねん)3がつ、pp.. 143-163。