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九曜くよう文庫本ぶんこぼん源氏物語げんじものがたり

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九曜くよう文庫本ぶんこぼん源氏物語げんじものがたり(くようぶんこほんげんじものがたり)とは、源氏物語げんじものがたり写本しゃほんのこと。現在げんざい九曜くよう文庫ぶんこ所蔵しょぞうとなっているためこの名称めいしょうばれる。

概要がいよう

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ほん写本しゃほん大正たいしょう時代じだいから昭和しょうわ時代じだいにかけて活動かつどうした国文学こくぶんがくしゃ野村のむらはちりょう1881ねん明治めいじ14ねん)3がつ14にち1966ねん昭和しょうわ41ねん)1がつ30にち)が1924ねん大正たいしょう13ねん)11月に東京とうきょう神田かんだ古書こしょてん細川ほそかわ書店しょてん」から入手にゅうしゅしその所蔵しょぞうとなった写本しゃほんであり、1925ねん大正たいしょう14ねん時点じてんで「源氏物語げんじものがたり じゅうよんじょう及系 ねばそう (野村のむらはち良蔵りょうぞう)」と紹介しょうかいされている[1]のち早稲田大学わせだだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ中野なかの幸一こういちのものとなり、同人どうじん個人こじんコレクションである九曜くよう文庫ぶんこはいった。54じょうぞろほんであり、その系図けいず1じょうされている。系図けいず三条西さんじょうにし実隆さねたかととのえた「実隆さねたかほん」ではなくよりふるい「系図けいず」にぞくするものであり、宗祇そうぎ系図けいず校合きょうごうしたとの跋文ばつぶんされている[2][3]よめにゅうほん形態けいたいうつくしい装丁そうていっており、はこ上蓋あげぶたに「花山院かさんのいんひつ」と記載きさいされているが花山はなやま天皇てんのうふでであるのかは不明ふめいである。

本文ほんぶん

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ほん写本しゃほん本文ほんぶん系統けいとうについて、野村のむらは「流布るふほん(=みずうみがつしょう)と比較ひかくおおいに相違そういする」とした[4]が、中野なかの幸一こういちおおむあお表紙ひょうしほん系統けいとうぞくするとした[5]ほん写本しゃほん単独たんどくでの影印本えいいんぼん翻刻ほんこくほん存在そんざいせず、また『校異こうい源氏物語げんじものがたり』や『源氏物語げんじものがたり大成たいせい校異こういへん』といった主要しゅよう校本こうほんへの採用さいようい。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 中野なかの幸一こういち影印本えいいんぼん九曜くよう文庫本ぶんこぼんけん」」鈴木すずき一雄かずお監修かんしゅう中野なかの幸一こういち編集へんしゅう国文学こくぶんがく解釈かいしゃく鑑賞かんしょう別冊べっさつ 源氏物語げんじものがたり鑑賞かんしょう基礎きそ知識ちしき No.10 けん至文しぶんどう、2000ねん平成へいせい12ねん)4がつ、pp. 20-21。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 植松うえまつやすし源氏物語げんじものがたり書誌しょし」『国語こくご国文学こくぶんがく至文しぶんどうだい2かんだい10ごうつうごうだい18ごう源氏物語げんじものがたり特集とくしゅうごう1925ねん大正たいしょう14ねん)10がつ、p. 355。
  2. ^ 野村のむらはちりょう国文学こくぶんがく研究けんきゅうはらひろ書店しょてん、1926ねん大正たいしょう15ねん)11月、p.319。
  3. ^ 伊井いい春樹はるき源氏物語げんじものがたり注釈ちゅうしゃく研究けんきゅう しつ町前まちまえさくらかえでしゃ1980ねん昭和しょうわ55ねん)11月、p. 517。
  4. ^ 野村のむらはちりょう源氏物語げんじものがたり写本しゃほん一種いっしゅ佐佐木ささき幸綱ゆきつな監修かんしゅうしんはなだい29かんだい8ごう竹柏なぎ会心かいしんはな出版しゅっぱん1925ねん大正たいしょう14ねん)8がつ、pp. 1-9。復刻ふっこくばん教育きょういく出版しゅっぱんセンター 、1997ねん平成へいせい9ねん)10がつ ISBN 4-7632-3284-3
  5. ^ 中野なかの幸一こういち影印本えいいんぼん野村のむらはちりょうきゅう蔵本ぞうほん夕顔ゆうがお」」鈴木すずき一雄かずお監修かんしゅう中野なかの幸一こういち編集へんしゅう国文学こくぶんがく解釈かいしゃく鑑賞かんしょう別冊べっさつ 源氏物語げんじものがたり鑑賞かんしょう基礎きそ知識ちしき No.8 夕顔ゆうがお至文しぶんどう2000ねん平成へいせい12ねん)1がつ、pp. 22-23。