凱風快晴
1830 | |
25.0 cm × 36.8 cm (9.8 in × 14.5 in) |
「凱風
概要
[「
「凱風」とは『
なお、『
脚注
[注釈
[- ^
刊行 年 については柳 亭 種彦 が出版 した『正本 製 』に掲載 された広告 を根拠 とする天保 2年 (1831年 )に刊行 したとする説 、エドモン・ド・ゴンクールの著 した『北斎 』の記述 を根拠 とする文政 6年 (1823年 )から文政 12年 (1829年 )に刊行 したとする説 などもある[2]。 - ^ 邶風・凱風「凱風
自 南 吹彼棘 心 」-夏 の大風 が南 から、芽 ぶいたばかりの棘 の小 枝 に吹 きつける。[4] - ^
上 ・花 橘 ・172「枝 には金鈴 を繋 (か)けたり春 の雨 の後 花 は紫 麝(しじゃ)を薫 ず凱風の程 [5] - ^
立体 地図 ソフト「カシミール3D」を駆使 し、富士見 ポイントを調査 している田代 博 によると、この絵 のポイントとして山稜 右側 の方 が勾配 がきつく、宝永山 の盛 り上 がりがない。山頂 のギザギザがさほど目立 たない。残雪 の特徴 。- 「
赤 富士 」であることは鉄分 が多 いことを示 す。
以上 の点 から西側 から見 たのではないし、カシミール3Dで解析 した結果 、富士吉田 市 か、三 ツ峠 からの画像 とほぼ一致 するとした[9]。 - ^
田代 は、北斎 が1810年 (文化 7年 )に甲州 を訪 れていると記 している[10]が、そのような史実 は無 い[11][12][13]。
出典
[参考 文献
[飯島 ,虚心 『葛飾 北 齏傳』蓬 樞 閣 、1893年 9月 。上下 巻 。川口 ,久雄 、志田 延 義 校 注 『日本 古典 文学 大系 73和漢 朗詠 集 梁塵 秘 抄 』岩波書店 、1965年 。狩野 ,博幸 『絵 は語 る14葛飾 北斎 筆 凱風快晴 赤 富士 のフォークロア』平凡社 、1994年 。石川 ,忠久 『新釈 漢文 大系 110詩経 (上 )』明治 書院 、1997年 。東京 国立 博物館 ,編 『北斎 展 』2005年 。山梨 県立 博物館 ,編 『北斎 と広重 ふたりの富嶽 三 十 六 景 』2007年 。樋口 穣 「葛飾 北斎 「凱風快晴 」考 」『京都外国語大学 研究 論叢 』第 69号 、京都外国語大学 、2007年 、227-243頁 。永田 ,生 慈「北斎 旅行 考 」『研究 紀要 』第 2号 、財団 法人 北斎 館 北斎 研究所 、2009年 、4-14頁 。田代 ,博 『「富士見 」の謎 』祥伝社 〈祥伝社 新書 〉、2011年 。ISBN 978-4-396-11239-4。日野 原 ,健司 「葛飾 北斎 『冨 嶽 三 十 六 景 凱風快晴 』再考 」『浮世絵 芸術 』第 170号 、国際 浮世絵 学会 、2015年 、23-41頁 。日野 原 ,健司 『北斎 富嶽 三 十 六 景 』岩波書店 〈岩波 文庫 〉、2019年 。磯崎 康彦 「北斎 の風景 ・風俗 版画 」『福島大学 人間 発達 文化 学 類 論集 』 34巻 、福島大学 人間 発達 文化 学 類 、2021年 、124-109頁 。