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洋食ようしょく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
グラバーえん自由じゆうていまえにある「西洋せいよう料理りょうり発祥はっしょういしぶみ」。長崎ながさきけん長崎ながさき

洋食ようしょく(ようしょく)とは、広義こうぎでは西洋せいよう料理りょうり全般ぜんぱんし、狭義きょうぎでは日本にっぽん独自どくじ発展はってんした西洋せいよう料理りょうりす。それらは日本にっぽん開発かいはつされた料理りょうりではあるが、和食わしょくとは明確めいかく区別くべつされている[1]ほんこうでは、後者こうしゃ日本にっぽん独自どくじ発展はってんした西洋せいよう料理りょうりについて記述きじゅつする。

洋食ようしょく誕生たんじょう

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洋食ようしょく幕末ばくまつから明治めいじ時代じだい初期しょき日本人にっぽんじん食卓しょくたく徐々じょじょあらわれたもので、元々もともと日本にっぽん在住ざいじゅう西洋せいようじんのため西洋せいよう料理りょうりてん開発かいはつしたといわれている。

それらのみせ下働したばたらきした日本にっぽん料理人りょうりにんたちは、のちに日本にっぽん各地かくち自分じぶんみせひらき、西洋せいよう料理りょうり洋食ようしょく)をひろめた。また日本にっぽん陸海りくかいぐんは、そのけんぐんにおいてヨーロッパ列強れっきょう国軍こくぐんおもフランスぐんイギリスぐん)にはんったため、はやくから西洋せいようしき料理りょうり給食きゅうしょく野戦やせん糧食りょうしょくれていた。こうして徐々じょじょ日本人にっぽんじんられるようになった西洋せいよう料理りょうりは、従来じゅうらい日本にっぽん食事しょくじ和食わしょく)にたいして「洋食ようしょく」とばれるようになった。ふるれいでは、1882ねん明治めいじ15ねん)、福澤ふくさわ諭吉ゆきち著作ちょさくの『帝室ていしつろん』のなかで「洋食ようしょく」のかたり使つかっている。

それまで日本人にっぽんじん一般いっぱんてきしし肉食にくしょく忌避きひしていたため(ただし、山間さんかんなどでは狩猟しゅりょう肉食にくしょくがそれなりにおこなわれていた)、牛肉ぎゅうにく豚肉ぶたにく主体しゅたいとする西洋せいよう料理りょうりにはおおきな抵抗ていこうかんがあった。しかし明治めいじ政府せいふ国民こくみん体格たいかく向上こうじょうのため肉食にくしょく奨励しょうれいしたり、明治天皇めいじてんのうみずか牛肉ぎゅうにくぜんのぼせられたという新聞しんぶん報道ほうどうなどもあり[2]庶民しょみんのあいだでも牛鍋ぎゅうなべなどのかたち徐々じょじょ肉食にくしょくはじまった。

食事しょくじわり

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明治めいじ時代じだい日本にっぽんにおいて、西洋せいよう料理りょうり食材しょくざい完全かんぜんそろえることは困難こんなんで、しばしばだい用品ようひん使つかわれた。また日本人にっぽんじんけにアレンジがくわえられることもあった。そうしてまれた日本にっぽんてき洋食ようしょく代表だいひょうが、ポークカツレツカレーライスコロッケカキフライエビフライオムライスである。ポークカツレツは、とんカツえ、茶碗ちゃわんめし味噌汁みそしるものをセットにした日本にっぽん料理りょうりすにいたっている。また近年きんねんでは、北海道ほっかいどうエスカロップのように、当地とうち料理りょうりとしてまちおこし使つかわれている料理りょうりもある。明治めいじには西洋せいよう料理りょうり高級こうきゅうなものであり、フランス料理りょうり中心ちゅうしんであったが、大正たいしょう時代じだいから昭和しょうわ戦前せんぜんには日本にっぽんてき洋食ようしょく中心ちゅうしんとした大衆たいしゅうけの洋食ようしょくてん登場とうじょうするようになった。

マカロニグラタン[3]クリームコロッケコンソメスープポタージュフランス料理りょうり)、ビーフシチューイギリス料理りょうり)、ピカタイタリア料理りょうり)、ステーキなどは、西洋せいよう調理ちょうりほうをほぼそのまま踏襲とうしゅうしている洋食ようしょくである。これらは戦前せんぜん高級こうきゅう料理りょうりであったが、太平洋戦争たいへいようせんそうのちアメリカ小麦こむぎ戦略せんりゃくPL480余剰よじょう農産物のうさんぶつ処理しょりほう)により、パンしょく普及ふきゅうなど日本人にっぽんじん食生活しょくせいかつ洋風ようふう急速きゅうそくすすみ、ポピュラーな洋食ようしょくとなったものである。

歴史れきし

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  • 1854ねん12月8にちよしみひさし7ねん10がつ19にち)、長崎ながさきで、蘭医らんい柴田しばたかたあんが、西洋せいよう料理りょうり来客らいきゃくやく20にん供応きょうおうした[4]
  • 1863ねん文久ぶんきゅう3ねん)、日本にっぽんはつ西洋せいよう料理りょうりてんりょうりんてい」が長崎ながさき開業かいぎょう店主てんしゅけん料理りょうりちょう草野くさのたけよし(1840-1886)。草野くさのは、長崎ながさき出島でじまオランダ商館しょうかん皿洗さらあらいをしながら西洋せいよう料理りょうり習得しゅうとくした[5]。パトロンは明治めいじ代表だいひょうする実業じつぎょう渋沢しぶさわ栄一えいいち五代ごだいともあつし外国がいこくじん薩摩さつま藩士はんし重用じゅうようされた。※『りょうりんてい』は開業かいぎょう、そのとしうちに「ゆうてい」に店名てんめいえ、さらに1865ねん慶応けいおう元年がんねん)に「自由じゆうてい」と改称かいしょうした。グラバーえんではきゅう自由じゆうていとして紹介しょうかいされている。草野くさのだいにより1868ねん設置せっちされた大阪おおさか川口かわぐち居留きょりゅう外国がいこくじん止宿ししゅくしょつかさちょう任命にんめいされ、その独立どくりつして大阪おおさかはつ洋式ようしきホテル「自由じゆうていホテル」を開業かいぎょうし、明治天皇めいじてんのう外国がいこく要人ようじんなどに洋食ようしょく提供ていきょうした[6]
  • 1868ねん慶応けいおう4ねん)、築地つきじホテルかん開業かいぎょう。レストラン初代しょだい料理りょうりちょうはフランスじんコックのルイ・ベギュー。このレストランが日本にっぽん最初さいしょフランス料理りょうりみせとされる。
  • 1869ねん明治めいじ2ねん8がつ)、横浜よこはま姿見すがたみまちで、長崎ながさきけんじん大野おおのたにぞう外人がいじん相手あいて西洋せいよう割烹かっぽう開業かいぎょうした[7]
  • 1872ねん明治めいじ5ねん)、現在げんざい営業えいぎょうする日本にっぽん最古さいこ西洋せいよう料理りょうりてんとされる築地つきじ精養軒せいようけん支店してん上野うえの精養軒せいようけん存続そんぞく)がほん開業かいぎょう[8][信頼しんらいせいよう検証けんしょう]
  • 1872ねん明治めいじ5ねん)、西洋せいよう料理りょうりのレシピしゅう西洋せいよう料理りょうり指南しなん[1][2]たかし学堂がくどう主人しゅじん)、『西洋せいよう料理りょうりどおり[3]仮名垣魯文かながきろぶん)が出版しゅっぱんされる。
  • 1895ねん明治めいじ28ねん)、銀座ぎんざに「煉瓦れんがてい創業そうぎょう。「煉瓦れんがてい」はソテー料理りょうりであったカツレツを大量たいりょうあぶらげる調理ちょうりほうによって改良かいりょうおこない、そのだい流行りゅうこうするとんカツなど日本にっぽん洋食ようしょくおおきな影響えいきょうあたえた。
  • 1897ねん明治めいじ30ねん)、和洋折衷わようせっちゅう料理りょうりという言葉ことば流行りゅうこう東京とうきょう洋食ようしょくてんが1500てんかぞえた。
  • 1917ねん大正たいしょう6ねん)、『コロッケー(コロッケのうた)』が流行りゅうこう歌詞かしは「ワイフをもらってうれしかったが、いつもてくるおかずはコロッケー、ねんがら年中ねんじゅうコロッケー、アハハッハ、りゃ可笑おかしい」というもの。新妻にいづまは、女学校じょがっこうまなんだ当時とうじのハイカラな洋食ようしょくであるコロッケを毎日まいにちってつくっていたのだが、亭主ていしゅはうんざりしてしまったという内容ないようである[9]
  • 1924ねん大正たいしょう13ねん)、東京とうきょう神田かんだよう中華ちゅうかのすべてをあつか大衆たいしゅう食堂しょくどう須田すだまち食堂しょくどう」が開店かいてんし、廉価れんか(8ぜに)でカレーライスをメニューにせるなどして人気にんきとなった[ちゅう 1]。このころ、こののルーツのひとつである「いちぜに洋食ようしょく」が西日本にしにほん駄菓子だがし人気にんきとなる。これは小麦粉こむぎこみずいたものを鉄板てっぱんひろげ、きざみネギなどをせてウスターソースをかけてべる、どう時期じき東京とうきょうどんどんばれたものとほぼ同一どういつものである。
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん)、銀座ぎんざに「銀座ぎんざキャンドル」創業そうぎょう初代しょだい店主てんしゅかごにフライドチキンをった「チキンバスケット」や「アップルパイアラモード」など、当時とうじ斬新ざんしんなメニューを提供ていきょうし、あか×しろのギンガムチェックのテーブルクロスをもちい、アメリカ料理りょうり洋食ようしょくをミックスした。
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん)、栄養えいよう改善かいぜん指導しどうのため、すうだいキッチンカー日本にっぽんちゅうはしり、洋食ようしょく(および中華ちゅうか料理りょうり)の調理ちょうりほうおしえてまわった。スケジュールは新聞しんぶん告知こくちされ、主婦しゅふたちのあいだで大人気だいにんきとなった。献立こんだて食材しょくざいかく地域ちいきですぐにれるほどだった(めざとい商店しょうてんはあらかじめ食材しょくざいをたくさん仕入しいれたという)。これはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく農務のうむしょう資金しきん援助えんじょおこなったもので、その条件じょうけんは「献立こんだてにかならず小麦粉こむぎこ使つかった料理りょうりれること」だった。「フライパン運動うんどう」ともばれ4ねんあまつづき、そのかく自治体じちたいすうねんにわたっていだ。日本にっぽん食生活しょくせいかつ協会きょうかい設立せつりつされたのもこのころである。洋食ようしょくは「近代きんだいてきのぞましいしょく」とされ、このころ日本人にっぽんじん食生活しょくせいかつおおきく転回てんかいした。

日本にっぽん固有こゆう洋食ようしょく

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近年きんねんにおいては、従来じゅうらいのように西洋せいよう料理りょうり全般ぜんぱん大雑把おおざっぱ洋食ようしょくぶことはり、フランス料理りょうりイタリア料理りょうりスペイン料理りょうりロシア料理りょうりドイツ料理りょうりなどとくにべつびわけるのが普通ふつうになっている。そのため、いまは日本にっぽん独自どくじ進化しんかした西洋せいようふう料理りょうりのことを「洋食ようしょく」とすることがおおい。岡田おかだあきらは『とんかつの誕生たんじょう』(p72)で、「パンとうのが西洋せいよう料理りょうりであり、米飯べいはんうのが洋食ようしょく」というせつとなえた。

また石毛いしげ直道なおみちは『講座こうざ しょく文化ぶんか だいかん 日本にっぽん食事しょくじ文化ぶんか』で、「“洋食ようしょく”は特定とくてい欧米おうべい限定げんていされたモデルをもたない。それは、日本人にっぽんじんがばくぜんとイメージした欧米おうべい一般いっぱんのことであり、いわば日本にっぽんさい構成こうせいされた外来がいらいふう食事しょくじシステムである」(同書どうしょp381)とべている。また村岡むらおかみのるは、平凡社へいぼんしゃの『世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん』の「洋食ようしょく」のこうのなかで、「洋食ようしょくには多分たぶん日本にっぽんてき要素ようそがふくまれている」と指摘してきしている。

一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん洋食ようしょく協会きょうかいによると、「洋食ようしょくとは米飯べいはんわせてしょくす、日本にっぽん独自どくじ進化しんかげた西洋せいよう料理りょうり」と定義ていぎしている。

洋食ようしょく料理りょうり

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オムライス
ハヤシライス
コロッケ
ハンバーグ
ナポリタン
  • オムレツ - 鶏卵けいらんってき、しお胡椒こしょう味付あじつけをしてフライパンいた料理りょうりつくかた単純たんじゅんだが経験けいけん必要ひつようであり、フライパン料理りょうり基本きほんともされる。タマネギ、チーズ、ハム、ひきにく、トマトなどをれる場合ばあいもある。
  • オムライス - ケチャップライスたまご薄焼うすやきでくるんだもの。起源きげん諸説しょせつある。
  • ハムエッグ / ベーコンエッグ- 朝食ちょうしょくとして普及ふきゅうしているほか、一部いちぶ洋食ようしょくてん定食ていしょくではレギュラーメニューとして存在そんざいしている。
  • カレーライス - インド料理りょうりカレーイギリス経由けいゆして日本にっぽんつたわり、洋食ようしょくとしてひろまった。ぐん糧食りょうしょく学校がっこう給食きゅうしょくとして採用さいようされ、米飯べいはん主食しゅしょくとする日本にっぽんしょく文化ぶんかとマッチして人気にんきとなった。「ライスカレー」ともばれる。
  • ハヤシライス - デミグラスソースあるいはトマトソースをベースとする薄切うすぎ牛肉ぎゅうにく煮込にこみ。ハッシュドビーフビーフストロガノフ類似るいじする。
  • チキンライス - 鶏肉とりにくざいとしたトマトケチャップあじめしあるいはみごはん
  • コロッケ - 日本にっぽんでポピュラーなポテトコロッケの起源きげんについては諸説しょせつある(コロッケこう参照さんしょう)。たわらがたのクリームコロッケは戦後せんごひろまったもので、エスコフィエ料理りょうりしょ「Le Guide Culinaire」にも掲載けいさいされている由緒ゆいしょあるフランス料理りょうりである[10]
  • カツレツ - スライスしたうしぶたにわとりなどのにくたまごえきをつけ、パン粉ぱんこをまぶし、多量たりょうあぶらげてつくる。うしカツとんカツにわとりカツメンチカツ・エビカツなど。このうちとんカツはカツの代名詞だいめいしになるほど普及ふきゅうし、昭和しょうわ初期しょきには東京とうきょう下町したまち上野うえの浅草あさくさに「とんかつ」専門せんもんてん乱立らんりつさせた。茶碗ちゃわんめし味噌汁みそしる御新香おしんこ膳立ぜんだてで、日本にっぽん独特どくとくのとんかつソースをかけてはしべさせるというスタイルは、もはや和食わしょくんでも過言かごんではない[11]
  • フライ - 調理ちょうりほうはカツとおなじだが、素材そざい魚介ぎょかいるい場合ばあいはフライとぶ。カキフライエビフライアジフライのほか、ホタテイカさけ白身しろみぎょなどが素材そざい使つかわれる。とんかつ専門せんもんてんでもよくあつかわれる。
  • ステーキ - 肉類にくるい大判おおばんあつりにカットしていた料理りょうりふるくは「テキ」ともばれた。通常つうじょう牛肉ぎゅうにく料理りょうりし、あつりで美味おいしくべられる部位ぶいはサーロイン、フィレなどにかぎられているため高価こうかであることがおおい。その一方いっぽうで、豚肉ぶたにくくじらにくレバーといった安価あんか材料ざいりょうでもステーキふう料理りょうりつくられ、「とんてき」や「くじらのテキ」などとばれることがあった。明治めいじ以前いぜん日本にっぽんには存在そんざいしなかったしょく習慣しゅうかんであるが、醤油じょうゆ味付あじつけしたり、ワサビ大根だいこんおろしえられるなど、和風わふう調理ちょうりされる場合ばあいもある。
  • ハンバーグ - 挽肉ひきにくパン粉ぱんこたまごなどのつなぎをわせ整形せいけいしていた料理りょうり戦後せんご普及ふきゅうした名称めいしょうであり、戦前せんぜんはハンブルグステーキやミンチボールなどとばれた。比較的ひかくてき安価あんかつくれるため、レストランでもお手頃てごろ料理りょうりとして人気にんきとなり、家庭かてい料理りょうりとしてもはやくから普及ふきゅうした。
  • ピラフ - 元々もともとトルコ料理りょうりのピラウで、なままいくわ出汁だしいたみごはん料理りょうり。ただ、日本にっぽん洋食ようしょくてんでピラフとしてされている料理りょうりかならずしも本来ほんらいつくかたをしているとはかぎらず、すでにきあがった白米はくまい洋風ようふう味付あじつけしていためている場合ばあいもある。
  • ソテー - 食材しょくざいをシンプルにフライパンでいたもの。豚肉ぶたにくポークソテーのほか、チキンや野菜やさいなどさまざま。
  • ムニエル - さかな小麦粉こむぎこでファリネしてバターでソテーする、フランスでは一般いっぱんてき魚介ぎょかい料理りょうり
  • スパゲッティ - 基本きほんてきにはイタリア料理りょうりであるが、はやくから普及ふきゅうしローカライズが顕著けんちょであるナポリタンミートソース日本にっぽん独自どくじ洋食ようしょく分類ぶんるいされる。
  • シチュー - にく野菜やさい煮込にこんだイギリス料理りょうりで、フランス料理りょうりではラグーやポトフ応用おうようにあたる。日本にっぽんでは簡便かんべん固形こけいルーもちいる調理ちょうり方法ほうほう普及ふきゅうしている。日本にっぽん洋食ようしょくてんでは、ビーフシチューやクリームシチューあきからふゆにかけての定番ていばんメニューとなる。
  • ロールキャベツ - 明治めいじ時代じだい伝来でんらいしており、現在げんざいではおでんとしてもちいられるほどに日本にっぽんしている。
  • グラタン - フランスではグラティネと発音はつおんし、オーブンやバーナーなどで表面ひょうめんしょくをつけることをす。ポテトやシーフードなどのざいにホワイトソースとチーズをかけていたグラタンはフランスでは古典こてんてき料理りょうり
  • サラダ - 後年こうねんこそ野菜やさいサラダをすが、ぶつ野菜やさい生食なましょくおこなわなかったしょく習慣しゅうかんもあり、もともとポテトサラダ、それもマヨネーズのあじつよいものを中心ちゅうしんにして「サラダ」とんでいた。この名残なごり回転かいてんずしにもあり、ようは「マヨネーズあじ」ならなんでもサラダとぶ。また精肉せいにくてん惣菜そうざいにも「サラダ」があり、キュウリやたまねぎもはいるが、日持ひもちの関係かんけいから十中八九じっちゅうはっくはマヨネーズあじのポテトサラダである。
  • ランチ - 昼食ちゅうしょくかぎらず、洋食ようしょくとしてイメージされる各種かくしゅ料理りょうりんだプレートをこのように地域ちいきがある。全国ぜんこくてきには子様こさまランチ代表だいひょうてき

洋菓子ようがし

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くわしくは洋菓子ようがし参照さんしょう

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 当時とうじ大卒だいそつ初任しょにんきゅう70えん日雇ひやとい労働ろうどうしゃ日当にっとう1えん63ぜに

出典しゅってん

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  1. ^ NHK出版しゅっぱん 土井どい善晴よしはる ちょまなびのきほん くらしのための料理りょうりがく」65ぺーじ
  2. ^ 浅羽あさばあきら明治めいじ時代じだいにおける食肉しょくにく事情じじょう岡山おかやまちくさんひろば
  3. ^ Georges Auguste Escoffier『エスコフィエフランス料理りょうり角田つのだあきらやく柴田しばた書店しょてん。p.1119.
  4. ^ 日本にっぽん珈琲こーひー」 珈琲こーひー会館かいかん文化ぶんかへん
  5. ^ 草野くさのたけよしみ)くさの じょうきちコトバンク
  6. ^ 大阪おおさかはつ洋式ようしきホテルの起源きげんとその推移すいい──自由じゆうていホテルの供給きょうきゅう目的もくてき存在そんざい意義いぎ研究けんきゅう廣間ひろま準一じゅんいち大阪おおさか観光かんこう大学だいがく観光かんこうがく研究所けんきゅうじょ年報ねんぽう観光かんこう研究けんきゅう論集ろんしゅうだい14ごう
  7. ^ 横浜よこはま歴史れきし年表ねんぴょう どう編纂へんさん委員いいんかいへん
  8. ^ 日本にっぽん西洋せいよう料理りょうり歴史れきし 5 日本にっぽん西洋せいよう料理りょうり
  9. ^ 小菅こすが桂子けいこ『にっぽん洋食ようしょく物語ものがたり大全たいぜん』p.175.
  10. ^ Georges Auguste Escoffier『エスコフィエフランス料理りょうり角田つのだあきらやく柴田しばた書店しょてん。p305
  11. ^ 『とんかつ フライ料理りょうり - 人気にんきてんのメニューと調理ちょうり技術ぎじゅつ旭屋出版あさひやしゅっぱん、p116。ISBN 978-4751108185

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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