洋食
洋食 の誕生
[それらの
それまで
食事 の代 わり
[マカロニグラタン[3]、クリームコロッケ、コンソメスープ、ポタージュ(フランス
歴史
[- 1854
年 12月8日 (嘉 永 7年 10月 19日 )、長崎 で、蘭医 柴田 方 庵 が、西洋 料理 を来客 約 20人 に供応 した[4] - 1863
年 (文久 3年 )、日本 初 の西洋 料理 店 「良 林 亭 」が長崎 で開業 。店主 兼 料理 長 は草野 丈 吉 (1840-1886)。草野 は、長崎 出島 のオランダ商館 で皿洗 いをしながら西洋 料理 を習得 した[5]。パトロンは明治 を代表 する実業 家 の渋沢 栄一 と五代 友 厚 。外国 人 や薩摩 藩士 に重用 された。※『良 林 亭 』は開業 後 、その年 の内 に「自 遊 亭 」に店名 を変 え、さらに1865年 (慶応 元年 )に「自由 亭 」と改称 した。グラバー園 では旧 自由 亭 として紹介 されている。草野 は五 代 により1868年 に設置 された大阪 川口 居留 地 の外国 人 止宿 所 の司 長 に任命 され、その後 独立 して大阪 初 の洋式 ホテル「自由 亭 ホテル」を開業 し、明治天皇 や外国 要人 などに洋食 を提供 した[6]。 - 1868
年 (慶応 4年 )、築地 ホテル館 開業 。レストラン初代 料理 長 はフランス人 コックのルイ・ベギュー。このレストランが日本 で最初 のフランス料理 店 とされる。 - 1869
年 (明治 2年 8月 )、横浜 姿見 町 で、長崎 県 人 大野 谷 蔵 が外人 相手 の西洋 割烹 を開業 した[7]。 - 1872
年 (明治 5年 )、現在 も営業 する日本 最古 の西洋 料理 店 とされる築地 精養軒 (支店 の上野 精養軒 が存続 )が本 開業 [8][信頼 性 要 検証 ]。 - 1872
年 (明治 5年 )、西洋 料理 のレシピ集 『西洋 料理 指南 』[1][2](敬 学堂 主人 )、『西洋 料理 通 』[3](仮名垣魯文 )が出版 される。 - 1895
年 (明治 28年 )、銀座 に「煉瓦 亭 」創業 。「煉瓦 亭 」はソテー料理 であったカツレツを大量 の油 で揚 げる調理 法 によって改良 を行 い、その後 に大 流行 する豚 カツなど日本 の洋食 に大 きな影響 を与 えた。 - 1897
年 (明治 30年 )、和洋折衷 料理 という言葉 が流行 。東京 の洋食 店 が1500店 を数 えた。 - 1917
年 (大正 6年 )、『コロッケー(コロッケの唄 )』が流行 。歌詞 は「ワイフを貰 ってうれしかったが、いつも出 てくるおかずはコロッケー、年 がら年中 コロッケー、アハハッハ、是 りゃ可笑 しい」というもの。新妻 は、女学校 で学 んだ当時 のハイカラな洋食 であるコロッケを毎日 張 り切 って作 っていたのだが、亭主 はうんざりしてしまったという内容 である[9]。 - 1924
年 (大正 13年 )、東京 神田 に和 ・洋 ・中華 のすべてを扱 う大衆 食堂 「須田 町 食堂 」が開店 し、廉価 (8銭 )でカレーライスをメニューに載 せるなどして人気 となった[注 1]。このころ、お好 み焼 きのルーツのひとつである「一 銭 洋食 」が西日本 の駄菓子 屋 で人気 となる。これは小麦粉 を水 で溶 いたものを鉄板 に広 げ、刻 みネギなどを乗 せて焼 きウスターソースをかけて食 べる、同 時期 の東京 でどんどん焼 きと呼 ばれたものとほぼ同一 の食 べ物 である。 - 1950
年 (昭和 25年 )、銀座 に「銀座 キャンドル」創業 。初代 店主 は籠 にフライドチキンを盛 った「チキンバスケット」や「アップルパイアラモード」など、当時 斬新 なメニューを提供 し、赤 ×白 のギンガムチェックのテーブルクロスを用 い、アメリカ料理 と洋食 をミックスした。 - 1956
年 (昭和 31年 )、栄養 改善 指導 のため、数 台 のキッチンカーが日本 中 を走 り、洋食 (および中華 料理 )の調理 法 を教 えて回 った。スケジュールは新聞 で告知 され、主婦 たちのあいだで大人気 となった。献立 の食材 は各 地域 ですぐに売 り切 れるほどだった(めざとい商店 はあらかじめ食材 をたくさん仕入 れたという)。これはアメリカ合衆国 農務 省 が資金 援助 を行 ったもので、その条件 は「献立 にかならず小麦粉 を使 った料理 を入 れること」だった。「フライパン運動 」とも呼 ばれ4年 余 り続 き、その後 も各 自治体 が数 年 にわたって引 き継 いだ。日本 食生活 協会 が設立 されたのもこの頃 である。洋食 は「近代 的 で望 ましい食 」とされ、このころ日本人 の食生活 が大 きく転回 した。
日本 固有 の洋食
[また
洋食 料理
[- オムレツ -
鶏卵 を割 って溶 き、塩 ・胡椒 で味付 けをしてフライパンで焼 いた料理 。作 り方 は単純 だが経験 が必要 であり、フライパン料理 の基本 ともされる。タマネギ、チーズ、ハム、ひき肉 、トマトなどを入 れる場合 もある。 - オムライス - ケチャップライスを
卵 の薄焼 きでくるんだもの。起源 は諸説 ある。 - ハムエッグ / ベーコンエッグ-
朝食 として普及 しているほか、一部 の洋食 店 や定食 屋 ではレギュラーメニューとして存在 している。 - カレーライス - インド
料理 のカレーがイギリスを経由 して日本 に伝 わり、洋食 として広 まった。軍 の糧食 や学校 給食 として採用 され、米飯 を主食 とする日本 の食 文化 とマッチして人気 となった。「ライスカレー」とも呼 ばれる。 - ハヤシライス - デミグラスソースあるいはトマトソースをベースとする
薄切 り牛肉 の煮込 み。ハッシュドビーフやビーフストロガノフに類似 する。 - チキンライス -
鶏肉 を具 材 としたトマトケチャップ味 の焼 き飯 あるいは炊 き込 みご飯 。 - コロッケ -
日本 でポピュラーなポテトコロッケの起源 については諸説 ある(コロッケの項 を参照 )。俵 型 のクリームコロッケは戦後 に広 まったもので、エスコフィエの料理 書 「Le Guide Culinaire」にも掲載 されている由緒 あるフランス料理 である[10]。 - カツレツ - スライスした
牛 ・豚 ・鶏 などの肉 に卵 液 をつけ、パン粉 をまぶし、多量 の油 で揚 げて作 る。牛 カツ・豚 カツ・鶏 カツ・メンチカツ・エビカツなど。このうち豚 カツはカツの代名詞 になるほど普及 し、昭和 初期 には東京 下町 の上野 ・浅草 に「とんかつ」専門 店 を乱立 させた。茶碗 飯 、味噌汁 、御新香 の膳立 てで、日本 独特 のとんかつソースをかけて箸 で食 べさせるというスタイルは、もはや和食 と呼 んでも過言 ではない[11]。 - フライ -
調理 法 はカツとおなじだが、素材 が魚介 類 の場合 はフライと呼 ぶ。カキフライ・エビフライ・アジフライのほか、ホタテ・イカ・鮭 ・白身 魚 などが素材 に使 われる。とんかつ専門 店 でもよく扱 われる。 - ステーキ -
肉類 を大判 の厚 切 りにカットして焼 いた料理 。古 くは「テキ」とも呼 ばれた。通常 は牛肉 料理 を指 し、厚 切 りで美味 しく食 べられる部位 はサーロイン、フィレなどに限 られているため高価 であることが多 い。その一方 で、豚肉 、鯨 肉 、レバーといった安価 な材料 でもステーキ風 の料理 が作 られ、「とんてき」や「鯨 のテキ」などと呼 ばれることがあった。明治 期 以前 の日本 には存在 しなかった食 習慣 であるが、醤油 で味付 けしたり、ワサビや大根 おろしが添 えられるなど、和風 に調理 される場合 もある。 - ハンバーグ -
挽肉 にパン粉 や卵 などのつなぎを合 わせ整形 して焼 いた料理 。戦後 に普及 した名称 であり、戦前 はハンブルグステーキやミンチボールなどと呼 ばれた。比較的 安価 に作 れるため、レストランでもお手頃 な料理 として人気 となり、家庭 料理 としても早 くから普及 した。 - ピラフ -
元々 はトルコ料理 のピラウで、生 米 に具 を加 え出汁 で炊 いた炊 き込 みごはん料理 。ただ、日本 の洋食 店 でピラフとして出 されている料理 は必 ずしも本来 の作 り方 をしているとは限 らず、すでに炊 きあがった白米 を洋風 に味付 けして炒 めている場合 もある。 - ソテー -
食材 をシンプルにフライパンで焼 いたもの。豚肉 のポークソテーのほか、チキンや野菜 などさまざま。 - ムニエル -
魚 を小麦粉 でファリネしてバターでソテーする、フランスでは一般 的 な魚介 料理 。 - スパゲッティ -
基本 的 にはイタリア料理 であるが、早 くから普及 しローカライズが顕著 であるナポリタンやミートソースは日本 独自 の洋食 に分類 される。 - シチュー -
肉 や野菜 を煮込 んだイギリス料理 で、フランス料理 ではラグーやポトフの応用 にあたる。日本 では簡便 な固形 ルーを用 いる調理 方法 が普及 している。日本 の洋食 店 では、ビーフシチューやクリームシチューが秋 から冬 にかけての定番 メニューとなる。 - ロールキャベツ -
明治 時代 に伝来 しており、現在 ではおでんの具 として用 いられるほどに日本 化 している。 - グラタン - フランスではグラティネと
発音 し、オーブンやバーナーなどで表面 に焼 き色 をつけることを指 す。ポテトやシーフードなどの具 材 にホワイトソースとチーズをかけて焼 いたグラタンはフランスでは古典 的 な料理 。- ドリア -
昭和 初期 に、横浜 ホテルニューグランドの初代 総 料理 長 ・サリー・ワイルが考案 した料理 。米飯 に獣肉 や魚介 のクリーム煮 とチーズをのせてオーブンで焼 いたライスグラタン。
- ドリア -
- サラダ -
後年 こそ野菜 サラダを指 すが、葉 物 野菜 の生食 を行 わなかった食 習慣 もあり、もともとポテトサラダ、それもマヨネーズの味 の強 いものを中心 にして「サラダ」と呼 んでいた。この名残 は回転 ずしにもあり、要 は「マヨネーズ味 」なら何 でもサラダと呼 ぶ。また精肉 店 の惣菜 にも「サラダ」があり、キュウリや玉 ねぎも入 るが、日持 ちの関係 から十中八九 はマヨネーズ味 のポテトサラダである。 - ランチ -
昼食 に限 らず、洋食 としてイメージされる各種 料理 を盛 り込 んだプレートをこのように呼 ぶ地域 がある。全国 的 にはお子様 ランチが代表 的 。
洋菓子
[注釈
[- ^
当時 の大卒 初任 給 70円 、日雇 労働 者 日当 1円 63銭 。
出典
[- ^ NHK
出版 土井 善晴 著 「学 びのきほん くらしのための料理 学 」65頁 - ^
浅羽 昌 次 「明治 時代 における食肉 事情 」岡山 ちくさんひろば - ^ Georges Auguste Escoffier『エスコフィエフランス
料理 』角田 明 訳 、柴田 書店 。p.1119. - ^ 「
日本 珈琲 史 」珈琲 会館 文化 部 編 - ^
草野 丈 吉 (読 み)くさの じょうきちコトバンク - ^
大阪 初 の洋式 ホテルの起源 とその推移 ──自由 亭 ホテルの供給 目的 と存在 意義 の研究 廣間 準一 、大阪 観光 大学 観光 学 研究所 年報 『観光 研究 論集 』第 14号 - ^
横浜 歴史 年表 同 編纂 委員 会 編 - ^
日本 の西洋 料理 の歴史 5日本 の西洋 料理 - ^
小菅 桂子 『にっぽん洋食 物語 大全 』p.175. - ^ Georges Auguste Escoffier『エスコフィエフランス
料理 』角田 明 訳 、柴田 書店 。p305 - ^ 『とんかつ フライ
料理 -人気 店 のメニューと調理 技術 』旭屋出版 、p116。ISBN 978-4751108185。
参考 文献
[小菅 桂子 『にっぽん洋食 物語 大全 』講談社 +α 文庫 、1994年 。ISBN 978-4062560658。岡田 哲 『とんかつの誕生 ――明治 洋食 事始 め』講談社 [講談社 選書 メチエ]、2000年 。ISBN 4062581795。- 『とんかつ フライ
料理 人気 店 のメニューと調理 技術 』旭屋出版 ムック 2009年 。ISBN 4751108182。 - Georges Auguste Escoffier『エスコフィエフランス
料理 』角田 明 訳 、柴田 書店 、1969年 。 鈴本 敏雄 『佛蘭西 料理 献立 書 及調理法 解説 』奎文社 出版 部 、1920年 。加藤 秀俊 『明治 ・大正 ・昭和 食生活 世相 史 』柴田 書店 、1977年 。村岡 實 『日本 のホテル小史 』中央公論 新 社 1981年 。ISBN 978-4121006165。高橋 清一 『横浜 流 ―すべてはここから始 まった』東京 新聞 出版 局 、2005年 。ISBN 4808308347。